「ここが最上階ね」
「……みさき、どう?」
「うん、ちょっと待ってね」

走り続けていた雪見と舞とみさきは、ほどなくして最上階まで辿り着いた。
階段を上りきった場所にある窓の向こうには、広大な荒野が遠く広がっているのが見える。
状況が違えば、それに見入ることもあっただろうが、今は、雄大な自然に心を奪われている場合ではない。
敵はまだ残っているのだ。
全ては、その敵を撃破してからである。

それ故に、舞は油断なく刀を構えたまま、みさきに能力による探査を求めたし、みさきもまたすぐに対応している。
四方に向けられる視線。
鼠一匹さえも、彼女の目からは逃れられない。
どれだけ巧妙に隠れていようとも、彼女の追跡を逃れることはできないのだ。



「……ここ、左に行って七つ目の大きな部屋。そこに、タイプC能力者がいるね」

輝く目を、とある方向に向けたまま、静かに口を開いたみさき。
彼女が示した答えに対して、舞は頷くことで答える。
ゆっくりと歩き始める舞と、それに続く雪見とみさき。

能力者の情報は、そのタイプがCということのみ。
みさきがそれしか口にしなかったということは、つまりそれ以上の情報は今は得られないということだ。
それがわかっているからこそ、舞も雪見もみさきに何も問うことはしなかった。
何かわかれば、その時にはみさきが知らせてくれるだろうという、それは確信。
今はただ、信じて前へ進むのみだ。



「……入る」

舞が、みさきの示した部屋の扉を、静かに開け放った。
警戒するでもなく、無造作に扉を開く舞と、それに続くみさきと雪見。
だが、もし相手が不意打ちを仕掛けようとしているなら、みさきがそれに気付くはず。
そうである以上、警戒の必要はそもそもないのだ。

ともあれ、部屋への入り口は完全に開放され、三人はそこに足を進めた。
一歩踏み入った段階で立ち止まる三人。
その視界に入ってきたのは、広々とした部屋の真ん中に置かれた椅子と、そこに座って背中をこちらに向けている一人の男。





「……ようこそ、我が部屋へ。心より歓迎しよう」

振り返るでもなく、その口を開く男。
少し低めの声が、三人の耳に届く。
侵入者に気付いてもなお、彼には動く気配すらも見えなかった。

舞やみさきや雪見を低く見ているのか、それとも振り返らずとも攻撃を受けない方法でもあるのか。
いずれにせよ、背中を見せたままの相手がわざわざ振り向くのを待ってやる理由など、舞達にはない。

静かに歩み寄っていく舞。
みさきと雪見は進まない。
戦闘は、あくまでも舞の仕事だからだ。

沈黙の時間。
舞が歩み寄ってきていることに気付かないはずがないのに、男はまだ動かない。
さすがに不審を抱かざるを得ないが、立ち止まるわけにもいかない。
舞は、守りに入る戦い方を得意とはしていない。
あくまでも、攻めの中から攻略法を見出すタイプだ。

逡巡は一瞬。
静かに歩を進める舞は、攻撃の射程圏に入ったと見るや、その場を真っ直ぐに飛び出した。















神へと至る道



第62話  変動する場 -T















右手に構えた刀にエネルギーを充満させて、舞は一足飛びに男へと迫る。
彼女が狙うのは、男の首。
一撃で決める算段だ。

舞が飛び出した瞬間と時をほぼ同じくして、男が、ただ無造作に左手を掲げた。
自身の右側が狙われているにも関わらず、男が掲げたのは、左手。

迫る脅威を自覚しながら、男は振り返るのではなく、ただ左手を上げただけ。
どう考えても無意味な振る舞い。
刀を振り下ろそうとする舞も、後ろで見ているみさきも雪見も、その意図は読めなかった。



「っ!」

と、刀が振り下ろされようとしていたその瞬間に、舞が大きく体勢を崩した。
まるで、走っている人間が、突然横から衝撃を受けたかのように。
当然、姿勢を崩したその状態で、まともに刀を振れるはずがない。

そこでようやく動き始める男。
舞が体勢を崩すことがわかっていたかのように、彼は椅子ごと体を回転させ、右手の甲を彼女へと振るった。
体勢が崩れてしまっていては、対応などできるはずもなく、彼女はそれをまともにくらってしまう。

だが、その衝撃に逆らわずに左へと転がることで、舞はダメージの大半を殺した。
と同時に、相手との距離もとることができる。
即座に体勢を立て直し、改めて刀を男に向けた。

だが、その表情に浮かんでいたのは、ダメージを受けていない安堵ではなく、不可思議な出来事への疑問。
男が左手を掲げた瞬間、自分が体勢を崩したことに驚愕しているのだろう。



「なかなかいい反応だ」

ぎしっと音を立てて、男が椅子から立ち上がった。
油断なく見据えている舞に対し、冷めた視線を向けながら。

年の頃は、三十を少し過ぎたくらいか。
青い瞳に黒い短髪で、彫りの深い顔立ち。
薄い眉と細められた目が、どこか冷酷な気配を感じさせる。

体の各部の動きを確かめながら、彼は視線を舞からみさきと雪見の方へと移した。
それから、一瞬見定めるような目をして、静かに口を開く。

「そちらの二人は、かかってこないのかね?」
「……あなたの相手は、私がする」

男の言葉に答えたのは、みさきでも雪見でもなく、舞だった。
刀を構えたまま、男にいつでも飛びかかれるように、エネルギーを溜めている。

だが、舞は動かない。
男の視線が、みさきと雪見の方を向いているにも関わらず、彼女は一向に飛び出そうとしない。
先程の不自然な現象への警戒ももちろんあるだろうが、それ以上に、男に隙がないということなのだろう。
一瞬ごとに厳しさを増す舞の表情が、それを何よりも如実に物語っている。



「ふむ、その闘志は見事と言いたいところだが、君一人だけでは厳しいだろう? 遠慮はいらない、三人でかかってくればいい」

自分を睨みつけている舞に対して、男は静かに話す。
言葉使いこそ丁寧だが、その内容には敬意の欠片も感じられない。
明らかに、舞を見下している言葉。
彼女では自分の相手にならない、と暗に示しているのだ。

それが故に、舞の表情は、明らかに硬くなる。
格下と言われたも同然なのだから、心穏やかとはいかないのも仕方がないだろう。



「やってみないとわからない」

舞が、上げていた刀を下ろし、左半身を前に出しながら、刀の切っ先を男に向ける。
明らかにそれは突きの体勢。
先程の攻撃は、理解できない方法で回避された。
舞が体勢を崩したから攻撃に失敗したとも言えるが、それが偶然の産物だと考えるほど、舞は愚かではない。
それがつまり、目の前の男の能力に関係があるだろう、と考えるのが自然だ。

となれば、ただ無為に攻撃を繰り返しても、同じように回避される可能性は濃厚だ。
同じ轍を踏むわけにはいかない。

だが、相手の能力がわからない以上、その原理を踏まえての回避は不可能だ。
となれば、今の舞に取り得る選択肢は一つしかない。


不可思議な能力を使われてしまう前に、相手を殺す。


相手が行動する前に、自分の攻撃を当てられれば、何も問題はないのだ。
可能な限り最速の攻撃でもって、能力を行使する暇を与えない。
先手必勝……これ以外にはない。





「やれやれ……」

意志を固めている舞を見て、小さく肩を竦める男。
それから、ゆっくりと彼女に対して向き直った。
その目を見れば、彼が彼女を軽視していることがすぐにわかる。

「あぁ、加勢したければいつでも構わんよ」

彼は、舞に目を向けたまま、みさきと雪見に話しかける。
その言葉にも、二人は動かなかった。
この場は舞に任せるという意思表示なのか、純粋に舞の力を信頼しているのか。
いずれにせよ、二人は、動き出す気配すら見せない。

二人が動こうともしないことを知り、男は小さくため息をつく。
退屈そうに吐き出されたそれが、舞の感情を揺らがせる。

一瞬乱れかけた心を、しかしすぐに平静に戻し、さらに一つ深呼吸をする舞。
冷静さを欠いた攻撃では、男には届かない。
自身にできる最大の攻撃を繰り出すためには、心の揺らぎは障害にしかなるまい。





「……」

息が詰まるような静寂が、場を支配する。
男もまた、舞の気迫を感じたのか、表情を若干鋭いものに変えていた。
場を包む空気の緊張感が高まってゆく。
とてつもなく長い一瞬。

それを破ったのは、力強く床を蹴って飛び出した舞。
空気の壁を突き破るようにして、舞が一直線で男に迫る。
狙うのは、男の喉。
最短距離で刀を走らせ、最高速度で刀を突き出す。
それで終わりだ。

一瞬で最高速に入った舞。
彼女の体は、まるで瞬間移動でもしたかのように、男の眼前に迫る。
刀は既に、突きの体勢に入っている。
あとは、それを喉に突き立てるだけ。





――今度こそ……!――





舞は、自身の勝利を確信する。
絶対に回避できない距離。
絶対に回避できない速度。
絶対に回避できない威力。

その一撃は、放つ彼女の視界を極めて狭いものにする。
見えるのは、攻撃すべき男の喉。
そこ以外に、見えるものもないし、そもそも見る必要などなかった。





轟く爆音。
それはもはや、風を切る音というにも生温い。
舞の突きが、空気の壁を貫いた音だ。
そう、彼女が貫いたのは、空気のみだった。



「かはっ……!」
「舞ちゃん!」
「舞っ!」

目を大きく見開かせる舞。
口から漏れる押し潰したような呻き声。
悲痛な声で彼女の名を呼ぶみさきと雪見。
みさきと雪見の目に映るのは、舞の背中と、その腹部に叩き込まれた男の右拳。



「……なるほど、これは私の見込み違いだったな。今の攻撃は、正直肝を冷やしたよ」

衝撃に硬直している舞に向かって話しかける男。
その右拳は、彼女の腹部を抉るように突きこまれており、その左拳は、自身の左上部へと掲げたまま。
そして、間違いなく男の喉を貫くはずだった舞の刀は、彼の首の左側に逸れていた。
微かに首筋から流れている血を見る限り、完全に回避はできなかったようだが、それでもそれは掠り傷程度のもの。
自身の突進の威力を加味したカウンターを、腹部にまともにくらった舞のダメージの方が、遥かに大きいはずだ。



「ふんっ!」
「ぐっ……!」

と、男が右拳を舞の体ごと降り抜いた。
呻き声とともに、舞は後方に吹っ飛ばされる。
受身をとる余裕もないのか、飛ばされた舞の体は、床を数回跳ねて転がってゆく。

やがて静止する体。
だが、動きを止めていてもなお、舞はまだ動く気配を見せない。
痛みに堪えるかのように、その体は小刻みに震えている。

「舞っ! しっかりして!」

雪見が舞の名を呼ぶ。
悲痛を帯びた声。
隣のみさきは、唇を噛み締めたまま、男の方を睨みつけている。
睨まれている彼は、それを気にするでなく、ただ動かぬ舞へと視線を送るのみ。



「……」

呼びかけに対して、何の反応も見せない舞。
それを理解して、雪見が動き出そうとする。
と、そこでようやく、舞が動き始めた。
震える腕で、それでもどうにか体を支えて、床から身を起こす。
ふらつきながらも、自分の足で立ち上がる。
それを見て、踏み出そうとした足を戻す雪見。

「舞……まだいけるの?」
「……まだ、大丈夫」

雪見の言葉に、舞は視線を男に固定したまま答える。
だが、発するその声も、体を支えるその足も、震えを隠しきれない。
それが故に、彼女の言葉をそのまま鵜呑みになどできるはずもなかった。

「舞、一人じゃ……」
「まだ、早い……まだ、私だけでも、いける……」

心配そうな雪見の声にも、舞はやはり否定の意味の言葉を告げた。
刀を支えにして立ちながら、舞はなお、一人で立ち向かおうとする。



「無理をしない方がいいのではないか? 武士道というやつなのかもしれないが、賢明な行動ではない」
「……まだ、私が負けたわけじゃない」

刀を構え直し、男を睨みつける舞。
それを見て、小さく目を細める男。
鋭い視線に込められた殺気は、ただそれだけで向かい合う舞を圧倒しようとする。
ほとんどダメージもない男のエネルギーは、既に舞よりも遥かに大きい。
それでも彼女は、僅かさえも視線を逸らすことなく、そしてまた一歩も引くことなく、男に負けじと睨み返す。



「……私の名は、ウィンスレット・ベーレンズだ。君の名を聞かせてもらいたい」
「川澄舞」
「そうか、覚えておこう」

そんな言葉のやりとりの後で、男――ウィンスレットが、初めて構えをとる。
それは、先程までの防御の構えとは異なり、完全に攻撃のための構え。
舞を倒すべく、舞を殺すべく、彼はそのエネルギーを解放する。
先程までの、彼女を侮っている雰囲気は、もはやそこには存在しない。

あてられるだけで皮膚が焼けると思えるほどの殺気と闘気。
それが、真っ向から舞にぶつけられている。
凶悪なほどのエネルギーの高まり。
ただ正対しているだけでも、普通の人間では耐えられないだろう。
後方から見ているみさきと雪見でさえ、まるで自身がその対象とされているかのように、表情を引きつらせているほどだ。

浅からぬダメージをその身に刻まれた舞は、しかし倒れることなく、刀の切っ先をウィンスレットに向けている。
何も話さずに向かい合う両者。
だが、先程の静寂とは異なり、二人の周囲の空気は重く暗い。
その充満しているプレッシャーが、空間から音を奪っているかのようだ。



「参る!」

と、ウィンスレットが場を飛び出した。
身長は二メートルにも満たないはずのウィンスレットが、しかし舞の目には、その数倍にも感じられてしまう。
それほどのプレッシャー。
真っ向から受け止めるには、それは余りにも巨大。

それでも、じっとしていても、ただ殺されるだけだ。
舞は、震える膝を叱咤して、男を迎え撃つべく、刀を握る手に力をこめる。

相手が向かってくるのなら、相手の勢いを加味した攻撃も可能だ。
失敗は許されない。
タイミングを合わせて、舞は構えていた刀を真っ直ぐに突き出した。
そして同時に、何が起こるかを見定めるために、集中力を高める。





そして、刀が突き出されつつあったところで、再びウィンスレットが動く。
左手を自身の左側へと伸ばし、掌を舞に向けてくると、またしてもそこで舞は体勢を崩した。
だが、まさにその時に、彼女はようやく気付いた。

体勢を崩した際に、最初に動いているのが、自分が手に持っている刀であることに。

だが、そのことに思いを巡らせる間もなく、舞の刀がウィンスレットの横を突き抜ける。
今の舞は、隙だらけのまま、敵の眼前に立っているだけの状態。
それを認識し、ウィンスレットが、右手の照準を舞の頭部に絞る。

刹那の時を置くことさえもなく、ウィンスレットの拳が、舞との間にある空気の壁を突き破った。
その勢いのままに、舞の頭部へと叩き込まれる拳。

衝撃は一瞬。
爆弾が炸裂したかのような壮絶な音と同時に、彼女の体が横へと吹き飛ばされた。
その勢いは、まるで弾丸のように。
次の瞬間には、彼女の体は部屋の端にあった。

乾いた音と振動を残して、壁に叩きつけられる体。
そのまま、舞は床に崩れ落ちた。
ごとりという鈍い音を響かせて。
倒れたまま、全く動かない舞。
言葉もなく見ているだけのみさきと雪見。










「……なかなか、味な真似をする」

凍りついたかのように動きを止めていたみさきと雪見は、しかし突然聞こえてきた言葉で我に返る。
反射的に二人がその視線を向けると、ウィンスレットが、左腕に手を当てて、膝をついた状態で、その表情を歪めていた。
抑えたその手からは、血が滴っている。



「何が、起こったの?」

雪見の声は、驚愕に満ちていた。
それに答えたのは、しかしウィンスレットではなく、もちろん倒れている舞でもなく、彼女の隣にいたみさきだった。

「舞ちゃんが、反撃したんだよ」

目はウィンスレットに向けたまま、みさきが言う。
驚きを残したまま、みさきの方へと目を向ける雪見。

「反撃?」
「うん。どのみちあの状態じゃ、避けることなんてできなかった。それならせめてって思ったんだろうね。舞ちゃんは、防御じゃなくて攻撃を選んだんだよ」

雪見と違って、みさきは、その能力の特性上、目で見るよりも正確に、能力の発動を感知できる。
それが故に、彼女は、今の舞とウィンスレットの攻防を捉えることができたのだろう。
だが、雪見が疑問に思っているのは、その内容だ。

「でも、どうやって?」
「簡単だよ。右手の刀を、逸れた勢いを利用して、そのままあの人の左手にぶつけただけ」

突き出した刀が左に逸れた時に、舞は決めたのだろう。
どうせまともに当てられないのなら、せめてどこかにぶつける、と。
威力はそれほど高くならなくとも、決して浅くもならない。

「でも、それじゃ……」

防御を捨てて攻撃を選択した。
それはすなわち、無防備で相手の攻撃をくらうということ。
あの凶悪なほどのウィンスレットの攻撃をそんな風に受けては、いくら舞と言えども、命はないのではないか?

雪見がそういう危惧を抱き、みさきにすがるような目を向ける。
今、向こうで倒れている舞は、生きているのだろうか?



「大丈夫だよ、舞ちゃんはもう一つ、攻撃してたから」
「え?」

雪見を安心させるように、強い眼差しを見せるみさき。
だが、その大丈夫という言葉に、雪見が安堵を覚える暇もあらばこそ。
舞がもう一つ攻撃手段を講じたというみさきの言葉に、彼女は疑問を覚えた。
一体、何をどうしたというのか。
そして、なぜ舞が無事なのか。

「正確には、舞ちゃんが攻撃したんじゃないんだけど」
「……あ、まさか」

何かに気付いたように軽く目を見開く雪見。
そして、それに頷いて返すみさき。

「うん、まい(・・) ちゃんが、あの人の攻撃にぶつかっていったんだよ」



みさきには、正確に把握できていた。
ウィンスレットの攻撃が、舞の頭部に叩き込まれる瞬間に、そこからまいが飛び出し、男の拳にぶつかっていたのだ。
それによって、幾分かでも衝撃を殺し、同時にその攻撃による反作用も利して、自身の体を横へ飛ばした。
もちろん、ダメージは小さくはない。
しかし、それでも爆発的な威力の少なからぬ部分を殺すことはできた。

自身の受けるダメージを最小限にとどめ、可能な限りのダメージを相手に与える。
追い詰められた状況で、舞は、取り得る最良の選択をしたと言っていいだろう。










「……げほっ」

重く咳き込む声。
壁際で、舞がようやくその身を起こしていた。
彼女の頭部からは、血が流れている。
いくら衝撃を殺したとはいえ、攻撃を受けたことに間違いはないのだ。
行動不能というわけではないが、それでもその攻撃は、舞にとっては余りにも重い。

「……見事だ、川澄舞」

未だ流れ続ける血を払い、ウィンスレットが立ち上がる。
よく見れば、彼の左腕のみならず、右の拳もまた血が滲んでいる。
まいの衝撃が、僅かだがウィンスレットのエネルギーの障壁を超えたのだろう。



「……みさき、わかった?」

舞が、刀を支えにして立ち上がり、ウィンスレットを睨むように見据えたまま、みさきに問いかける。
それは、彼女の能力が導き出した答えを問うもの。
聞かれたみさきは、静かに頷いてみせる。
そして、舞が聞きたいことの、その答えを口にした。



「うん、その人はタイプC能力者。能力は、舞ちゃんも気付いてるだろうけど、多分、引力を操るんだと思う」
「……やっぱり」

最初に斬りかかった時。
次に突きを繰り出した時。
攻撃されそうになったところを迎撃した時。

いずれの場合も、舞は突然体勢を崩してしまい、目的の行動をとれなかった。
そして最後の時に気付いたのだが、その体勢を崩す大元は、刀からだと考えて間違いはないだろう。
つまり、刀が強制的に舞の体勢を崩す方向に移動させられていた、と考えられるのだ。

何らかの力の作用によって、舞の刀が、無理やり運動の方向を変えさせられて、それが彼女の体勢を崩すことに繋がったのだろう。

そして、みさきの答えも、その舞の推論に一致している。
この結論に、まず間違いはない。
というよりも、みさきの能力が導き出した答えに、疑う余地などありはしないのだが。



「ほう……よくわかったな。その通りだ。私の能力は、変動する場(グラヴィティ・フィールド) 。対象に定めた物体と、私の手との間の引力を制御できるのだ。もちろん限界はあるがな」

舞とみさきの会話を聞いて、感心した様子を見せたウィンスレットが、さらに自分の能力についての説明を始めた。
呆気にとられたような目を向ける舞とみさきと雪見。
それを意に介すでもなく、彼は説明を続ける。

「一言で言えば、万有引力の制御となるだろう。今回の場合は、君の刀と私の手の間の万有引力を、瞬時に高めることによって、攻撃の軌道をずらし、体勢を崩させたということだ」
「……どうして、そんなことを喋るの?」
「ん?」
「どうして、自分の能力について、そんなに話してしまうの? どういうつもり?」

不快げな舞の声が、ウィンスレットの言葉を遮った。
みさきと雪見もまた、不機嫌そうではないにしても、不思議そうな表情をしている。
だが、当のウィンスレットは、気にした様子も見せていない。

自身の能力について、わざわざ敵に教える。
これを愚かと言わずして、一体何と言えばいいのか。
自分の能力に関する情報とは、そのまま自身の生命線でもある。
相手に知られていない手の内というものが、いざという時の保険になることも多い。
それは、能力者にとっては常識にも等しい。

それなのに、ウィンスレットは、必要もないことをべらべらと話した。
それを知ることが、そのまま勝利に繋がるわけではないが、知らせる必然性など、欠片もありはしない。

もちろん、騙そうとしている可能性も、あり得ないとは言えない。
だが、彼の口ぶりから察するに、それが嘘とは考え難かった。
少なくとも、みさきの能力の分析結果との矛盾はなかったのだ。
一体、何の意図を持って、わざわざ自分の能力について、情報を示したというのか。





「何のことはない。知られても問題などないからだよ」

だが、舞の鋭い視線を気にすることもなく、ウィンスレットは事も無げに答える。
その表情にも、その声にも、動揺の色は皆無だ。
そこから窺えるのは、自身の能力に対する、絶対の自信。

「まぁ、知られないに越したことはないがね。だが、知られたとしても、私の能力の行使に、聊かの影響もない。この能力は、対象が物質である限り、常に効力を発揮するのだからな」

物質が対象である以上、有効な対応策は存在しない。
そういう意味の彼の言葉に、内心歯噛みする舞。
能力を見破ったとて、それが何の決め手にもならないことに気付いたからだ。

たとえ、舞がどのような手段を講じようとも、確かにウィンスレットは、何の影響もなく能力を行使できるだろう。
例えば刀を捨てたとしても、おそらく他の何かとの間の引力を変動させて、彼は戦うだろう。
そしてそれは、舞を不利にこそすれ、有利にすることなどない。
そうなると、彼の能力を知ったことによるアドバンテージなど、ないに等しいのだ。



「川澄舞、君は強い。だからこそ、今ここで殺させてもらおう」

話は終わりとばかりに、ウィンスレットが再びエネルギーを展開する。
変わらず圧倒的な闘気。
左腕からはなお血が流れ、右の拳も傷ついてはいるものの、彼のエネルギーは、まだまだ衰えるところを知らない。
対する舞は、どうにか立ってはいるものの、先程よりもさらに危険な状況だ。
傷は深く、ダメージは色濃い。
まいを呼び出して戦うにしても、どこまで彼女のエネルギーと体力がもつか。

目に見えるばかりに莫大なエネルギー。
展開されるそれに、みさきと雪見は、思わず息を呑む。
対して舞は、震える手で、それでも刀を掲げる。
闘志はなお、失っていない。
ウィンスレットは、またしても左手を上げた状態のまま、右手を強く握り締める。

再度訪れる、ひりつくような緊張感。
死を賭した勝負は、まだ終わる気配も見せない。









 続く












後書き



さて、いよいよ大詰め。

第二章もようやく終わりが見えてきました。

といっても、ここからがまた大変だったりもするんですが。

ここが正念場……気合入れていきますか。

このままのペースで進められるように、と。

それではこれにて。