響く破砕音。
床を砕くほどの苛烈な踏み込みから、ウィンスレットが舞に向かって飛び出す。
瞬きする間もないほどの、それは驚異的な速度。
対する舞は、足が床に根ざしているかのごとく立ち尽くした状態で、ただ刀を掲げているだけ。
あるいは、もう動くことすらままならないのかもしれない。
その目に映るのは、微かに左手を上げたまま、自身へと迫り来るウィンスレット。
先の経験から、舞は自分の意識をその左手に集中させている。
その動き次第で、自身が容易に体勢を崩し、最悪の場合、無防備のまま相手の攻撃に晒されるということを、彼女は既に身をもって味わっているからだ。
その前提がある以上は、ウィンスレットの能力の影響を受けることも考慮に入れて、行動しなければならない。
不用意に動けば、相手の思う壺。
その手によって引き寄せられるとすれば、それを利する以外に、取ることができる選択肢はない。
動くのは、まだ早い……そう結論を下した舞は、先とは異なり、完全に迎え撃つ体勢。
下手に動くことはできないのだから、ぎりぎりまで動かずに、じっと待つ。
相手がこちらに向かってくる以上、たとえ不意の能力発動によって引力が作用しようと、その方向は限られている。
備えていれば、急に引っ張られても対処は不可能ではない。
そこに、勝機を見出す。
決断する舞。
集中力を高め、その瞬間のために、エネルギーを溜め込む。
そこへ迫るウィンスレット。
緊張の瞬間。
微かに重いものを引きずるような音がしたのは、その時だった。
それとほとんど同時に、舞の体を襲う突然の衝撃。
だがそれは、彼女が想定していたものとは、明らかに異なっていた。
衝撃の発生源は、彼女の背中。
重い何かが、抉るようにそこにぶつかっていたのだ。
反り返っている彼女の体が、その威力を物語る。
容赦ない攻撃を繰り出したのは、彼女の背後にある棚に置かれていた灰皿。
だがもちろん、舞がそれに気付く余裕など、あるわけもない。
彼女は、突然の衝撃に、目を見開かせていた。
だが、予想外の出来事とはいえ、一瞬でも硬直してしまったことが、彼女にとって最大の失敗だった。
その一瞬で、ウィンスレットは、掲げた左手を振り抜いていた。
迸るエネルギーを纏った拳が、空気すら焦がしながら、舞の腹部に叩き込まれる。
鈍く響く衝突音。
凄まじい速度。
凄まじい威力。
強く軋む体、激しく歪む表情、小さく響く骨の砕ける音。
硬直した状態のまま、なす術もなく後方へと吹き飛ばされる舞。
僅かのタイムラグを挟んで、彼女の体が、勢いそのままに壁へと叩きつけられる。
重い重い衝撃音。
小さく亀裂の走る白い壁。
一瞬静止していた体は、やがて糸の切れた人形のように、真下へと落下した。
重い荷物を床に落としたような音が響き、ようやく舞の体は完全に静止する。
静寂は、しかしほんの僅かな時間。
一度体を大きく震わせた舞が、苦しそうに咳き込む。
吐き出される血、小さく漏れる呻き声、歪んだままの苦悶の表情。
「……まだ、抗うか」
舞の様子を見やっていたウィンスレットが、小さな呟きを漏らす。
無意識にか軽く振られているその左手は、赤く滲んでいた。
返り血などの類ではなく、それは明らかに彼が受けた傷。
先の衝撃の瞬間、確かに舞は全く反応できなかった。
だが、彼女には“まい”がいる。
彼女の能力により具現化される彼女は、しかし独立した意識を確立しているのだ。
だから、たとえ舞が反応できなかったとしても、“まい”も反応できないとは限らない。
“まい”にとって最も優先される事柄は、舞を含む仲間達の生命。
その意識が、先の瞬間に発現されていたのである。
ウィンスレットの攻撃に対し、カウンターのようにぶつかることによって。
それが故に、本来なら舞の命を刈り取るはずだった一撃は、致命傷足り得なかった。
“まい”の最大のセールスポイントは、舞が自分の意思で自在に発動できることよりもむしろ、こうして“まい”が独自に判断し、行動できることにこそある。
舞にとって、“まい”は自分の能力ではなく、パートナーに等しいのだ。
咄嗟のカバーにより、舞も致命傷だけは避けられた。
だが、多大なダメージを受けた事実は覆らない。
いくらまいによってダメージを減らしているとは言っても、ウィンスレットの強大な攻撃力を考えれば、到底その威力を殺しきれるものではない。
倒れ伏したまま、苦痛を堪えるようにしている舞の状態が、それを如実に物語っている。
それでも、ウィンスレットの鋭い眼光は、舞を射抜くようにして動かない。
多大なダメージを受けていることが事実なら、まだ生きていることも事実。
そのエネルギーとて、相当に減ってはいるものの、まだなくなったわけではない。
意識があるかどうかも定かではないが、まだ舞の敗北が決定したとは言い切れないのだ。
何があるかわからないのが、能力者同士の戦闘。
これまで能力者として戦い抜いてきた経験が、彼の心に油断を与えさせない。
それ故に、ウィンスレットは油断なくエネルギーを展開したまま、ゆっくりと舞に歩み寄っていく。
今度こそ、確実に止めを刺すために。
敵は殺せるうちに殺しておかなければ、自身の死に繋がり得る。
それをよく知っているのだ。
能力者同士の戦闘に、絶対の文字はない。
一見しての強さの比較は、勝敗において、さしたる意味を持たない。
それを理解しているからこそ、ウィンスレットは、まだ自身の勝利を確信しない。
舞の息の根を完全に止めて、初めて勝利を確認できるのだ。
「……」
いつでも能力を展開できるように。
いつでも攻撃に、そして防御にも移ることができるような体勢のまま、ウィンスレットが少しずつ舞との間の距離を縮めてゆく。
そこからは、僅かの隙も見つけられない。
舞を睨みつけた状態のままで、けれど、みさきと雪見に対する注意とて、決して怠ってはいなかった。
だから。
「……止めておくことだ。君程度の攻撃では、私には届かない」
厳しい表情で一歩踏み出した雪見に、目を向けることすらなく、そう言い放つ。
言われた彼女は、瞬間足を止める。
背を向けていてもなお、雪見の足を止めるだけの圧力を、その声は持っていた。
そしてまた、彼の言葉は、厳然たる事実。
戦闘に特化した能力者である舞と、情報収集などに特化した能力者であるみさきと雪見。
両者の間の実力差は、火を見るより明らかだ。
みさきと雪見では、エネルギーの質、量ともに、文字通り、舞の足元にも及ばない。
舞ですら届かなかったウィンスレットに対し、雪見の攻撃が如何ほどの効果を発揮できるだろうか。
「……やってみなきゃわからないわよっ!」
足を止めていた雪見だったが、次の動きは早かった。
彼の言葉に激昂するなり、その場を飛び出して、一直線にウィンスレットへと突っ込んでゆく。
射抜くような強い視線、力の篭った強い声……だが、その身に纏うエネルギーは、ひどく頼りない。
それこそ、目の前で倒れ伏している舞の現在のエネルギーよりも、あるいは少ないかもしれないほどの量。
ウィンスレットとの距離は遠く、また両者の力の差は歴然。
強い相手に立ち向かう気概は認められても、今この場合は、マイナスにしかならない。
それは勇敢という言葉よりもむしろ、無謀という言葉こそがふさわしい行動だ。
雪見の特攻を察知し、小さく息をつくウィンスレット。
体を反転させ、見下すような視線を向ける。
その目に広がるのは、侮蔑と憐憫の色。
「……命を粗末にするか」
呟かれた言葉は、雪見の耳には届かない。
決死の形相で、彼女は真っ直ぐに駆ける。
とてつもなく長い時間。
そして両者の距離がウィンスレットの間合いにまで到達した時、彼は、左の拳を強く握り締めた。
神へと至る道
第63話 変動する場 -U
「雪ちゃんっ!」
と、そこでようやく我を取り戻したかのように、みさきが悲痛な声で叫ぶ。
けれど彼女の声すらも、今の雪見を止めることは叶わない。
みさきにできるのは、その場を動かずに、ただ立ち尽くすことだけ。
立ち尽くしたまま、雪見の後姿を、それに対して振りかぶられたウィンスレットの凶悪な腕へと、光を宿さぬその目を向けることだけ。
両手を体の前で構えるようにしながら、一直線に飛び込んでゆく雪見。
それを見るウィンスレットの目は、冷ややかなまま。
彼女のエネルギーを見る限り、たとえその攻撃を無防備にくらったとしても、彼は僅かのダメージを受けることさえないだろう。
あるいは何か隠し玉があるのかもしれないが、それよりも前に、ウィンスレットの攻撃は、容赦なく雪見を死に至らしめることができる。
「その程度の力で、一体何ができるっ!」
ウィンスレットの叫びと同時に、雪見のそれとは比べ物にならないほどに高められたエネルギーが、彼女に向かって放たれる。
舞をも戦闘不能に叩き込む攻撃。
防御力もさほど高くなく、また特別な防御手段など持たない雪見では、くらえば即死は必定だ。
防御も回避も、もはや不可能。
津波のように押し寄せてくる攻撃に対し、雪見はというと、ただ手を体の前にかざしたまま、突っ込んでゆくのみ。
そして、彼の拳は、真っ直ぐに彼女に突き刺さった。
「?!」
自身の拳が、確かに雪見を捉えたと思った瞬間に、ウィンスレットの表情に、強い狼狽の色が浮かぶ。
左腕は、深々と彼女の体に飲み込まれているのに、まるでその感触がなかったのだ。
空気を殴ったかのような、肩透かしをくわされたような、そんな不自然な感覚。
「っ!」
自身の左腕に目を向けたウィンスレットの表情が、今度は驚愕の色に染まる。
それは、間違いなく雪見に向かって伸びていた。
だが、そこから先は、雪見の両手の間の空間にある、まるで穴のような暗闇に飲み込まれてしまっていたのだ。
真っ暗な空間……まるで、そこから別の空間に繋がっているような、そんな不自然な闇。
明らかに異質な闇は、間違いなく能力によるもの。
「……えぇ、そうね。わたしには、何の力もないわ。あなたを傷つけることなんて、絶対に無理でしょうね。だけど……」
静かに話す雪見。
その言葉の意味するところに、ウィンスレットが思考を巡らせる、その一瞬の間に、彼の腕を掴む者がいた。
闇に飲み込まれているその手が、何者かに掴まれている。
その異常な状況に、ウィンスレットの表情に、一瞬だけ動揺が走った。
それを確認し、雪見は宣言するように告げる。
先の激昂が嘘のように、それは落ち着いた声。
「あなたを攻撃するのは、わたしじゃないのよ」
刹那、雪見の両手の間の空間から、何かが飛び出してきた。
突然の出来事に、ウィンスレットは完全に反応が遅れている。
それが人であると彼が気付いた時には、もうその左腕に、エネルギーに満ちた拳が叩き込まれていた。
「ぐ……っ!」
何かを潰したような鈍い音と同時に、くぐもった呻き声が、ウィンスレットの口から漏れた。
闇から現れた拳は、深々と彼の左腕を抉っている。
間違いなく、骨まで貫くダメージ。
「そういうこと……だっ!」
左腕が折られたことにより、一瞬彼が硬直したその隙を利して、影から現れた人物は、着地後すぐに飛び上がり、呆然としているウィンスレットの顎を、思い切り蹴る。
声も出せないまま、跳ね上げられる頭。
一瞬飛ぶ意識。
だが、その攻撃は、まだ終わらない。
放っておいたら、あるいは崩れ落ちていたかもしれないウィンスレットの体に、蹴りから体勢を立て直した人物が、揺らぐ体に、体重を乗せて肘を叩き込んだ。
まるで反応できないまま、その強烈な一撃をまともにくらってしまい、彼は体をくの字に曲げた状態で、後方に吹っ飛ばされた。
あっという間に壁に達し、叩きつけられる体。
それから、まるで壁にもたれかかるように、床へと沈む。
「……っと」
攻撃の体勢から一瞬の硬直を置いて、飛び出した人物が、体勢を戻す。
ふぅ、と軽く息をつき、すぐ後ろにいる雪見に目を向ける。
次いで交わされる言葉。
「ちょっと危ないところだったな」
「そうね。でも、これ以外のタイミングじゃ、ここまで上手くはいかなかったわよ、祐一」
当の人物――祐一が、雪見の言葉に一つ頷く。
それが本心である証拠に、彼の表情には、むしろ安堵の色が濃い。
そして、ウィンスレットの方を見たまま、彼は言葉を続ける。
「冷や冷やしたよ、実際。舞もヤバかったしさ」
「でも、そんな状況でもないと、わたしが特攻する理由にはならなかったわ」
二人の話の内容は、つまりこれが計画的な行動であったということ。
祐一はずっと、雪見の能力によって創り出された空間内で、待機していたのだ。
その空間は、雪見の意思によってのみ、この世界に入り口を開く。
ウィンスレットの右腕が自身に襲いかかったその時に、彼女はその入り口を開き、攻撃を回避。
同時に、その空間に手を突っ込んでしまったウィンスレットと入れ替わりに、祐一が飛び出して、彼に攻撃を加えた、ということだ。
「ぐっ……」
そこでようやく、ウィンスレットが、ゆっくりと立ち上がる。
左腕は、だらんと力なく下がったまま。
けれど、なおその闘志は衰えることなく、鋭い視線を向け続けていた。
表情こそ苦痛に歪んでいるが、まだ戦闘不能には程遠い。
「……タフだな」
それを見て、祐一も真正面からウィンスレットに向き直る。
鋭い眼差しは、こちらも負けてはいない。
エネルギーを展開したまま、敵意をむき出しにして睨み合う両者。
「お前は、リーダーの……」
「そうだよ。舞には悪いけど、俺がお前の止めを刺すぜ」
ゆっくりと、雪見の創り出している空間に手を突っ込む祐一。
一瞬後、そこから出されたその手に握られているのは、野球ボール大の鉄球。
「……左腕を折られたくらいで、私が負けを認めるとでも思っているのか?」
吐き捨てるように言うウィンスレット。
その額には、僅かに脂汗が浮かんでいる。
左腕の痛みは、変わらず襲っているはず。
けれど、彼はそれを抑えつけるようにして、毅然と立つ。
言葉とともに展開したエネルギーは、まだまだ衰えるところを知らない。
「そうだな。もし、左腕を折っただけだとしたら、の話だが」
祐一は、そんなウィンスレットの言葉に対して、冷静に頷いて返す。
だが同時に、含みを持たせた言葉も続ける。
言い終わってから、大きく振りかぶる祐一。
漲るエネルギーは、相対するウィンスレットに負けず劣らず強大。
「……」
祐一の言葉を聞いて、ウィンスレットの表情に、微かに疑問の色が滲む。
考えるのは、その言葉の示すもの。
左腕をへし折られたその時に、他に何かをしていたというのだろうか。
それともただのハッタリか。
が、敵にそんな思考の時間を許すほど、祐一も愚かではない。
次の瞬間には、振りかぶっていた右腕を、全力で振り下ろす。
すなわち、鉄球をウィンスレットに向けて放り投げたのだ。
放り投げたと言っても、それは生易しい速度ではない。
高められたエネルギーによって強化された鉄球の速度は、弾丸にも等しい。
破壊力は絶大だ。
祐一の右腕が振り下ろされた瞬間に、ウィンスレットは、ほとんど反射的に右腕を大きく掲げる。
襲い来る鉄球の軌道を変えないことには、まず助からないことを、無意識にでも理解したからだろう。
彼は右腕を可能な限り体から離し、能力を展開する。
祐一の手から鉄球が離れた瞬間と、ウィンスレットが能力を使った瞬間。
両者はほとんど等しく、それ故に、この攻撃は無駄に終わるはずだった。
祐一のエネルギー、放たれた弾丸の始点、そこから推察できる軌道と速度。
そこから発動すべき引力を導き出し、寸分違うことなく発現したのだ。
だからこそ、放たれた鉄球は、ウィンスレットの顔の横を通っていく……少なくとも、彼はそう信じていた。
体から離したはずの右腕が、いきなり自分の顔の前に移動するまでは。
驚愕に目を剥いたのは、当のウィンスレットだ。
これは完全に自分の意思に反する行動。
ウィンスレットは、祐一の投げつけてくる鉄球を回避するために、右腕は自分の体から離したはずだったし、そこから動かす意思もなかった。
だが、まるで何かに操られたかのように、ほとんど瞬間的に、右腕が自分の眼前に移動していたのだ。
いや、手が動いたというよりも、彼の腕を覆う服が勝手に動いたような、そんな感じだった。
鉄球を投げようとする祐一に集中していた目が、次の瞬間に映したのは、自分の右手の甲。
それに気付き、事の異常さを察した時には、既に全てが遅かった。
鈍い音を撒き散らしながら、鉄球が、ウィンスレットの右手に吸い込まれる。
もちろんのことだが、凄まじい速度で突っ込んできていた鉄球の威力を、右手だけで止められるはずもなく、右手を介して、ウィンスレットの顔面にも、鉄球のエネルギーは叩き込まれた。
右手の骨を砕き、鼻や頬骨を砕き、血を撒き散らしながら、後方に倒れゆく体。
おそらく、頭蓋骨も折れている。
あるいは、放っておいても死ぬかもしれない。
だが、それを待つほど、祐一達に余裕があるわけではないのだ。
「……じゃあな」
時間差で接近していた祐一が、ほとんど倒れかけているウィンスレットの首に右手を向けながら、それだけを呟く。
その彼は、もう意識もないのか、何の反応も示さなかったが。
祐一は、強く握り締めた右拳を、首へと突きたてて、そのまま床に叩きつけた。
余りの破壊力に、床が小さく揺れる。
濁った衝撃音が空気を震わせ、真っ赤な血が噴き出す。
祐一の拳に、喉を突き破るような感触と、生暖かい液体が絡みつくような感覚が走る。
それから一瞬の間を置いて、彼は右腕を引き抜き、その場を立ち上がった。
血に濡れた右腕を若干気にしながら、小さく息をつくと、すぐに視線を雪見とみさきの方へと向ける。
それはすなわち、ウィンスレットがもう動くことはないという、その証でもあった。
「祐一。これで敵も全滅でしょ? とりあえず、神器を探す前に舞を治してあげて」
「あぁ、わかってるよ」
駆け寄ってくる雪見が、祐一に舞の治療を頼み、彼も頷いて答える。
今彼らがいるのは、この棟の最上階だ。
ここまで来たのだから、もう全ての敵を倒したと考えてもいいだろう。
となると、次にすべきは神器の回収だけ。
とは言え、それはいつでもできることだ。
もうエネルギーを温存する必要もないのだし、まず治療に当たるのは当然のこととも言える。
そう判断し、舞の方に向き直った祐一は、そのまま歩き出そうとしたのだが、ふと思い出したように、雪見と同じく駆け寄ってきていたみさきに声をかける。
「なぁ、みさき。これでこの棟は片付いたと思うんだけどさ、他の棟がどうなってるのか調べてくれないか?」
「あ、そうだね。うん、了解だよ」
祐一の言葉に、小さく頷くみさき。
確かに、他の棟に向かった仲間達がどうなっているのかについては、大いに気になるところだ。
信頼はしていても、不安や心配が無くなるわけではない。
敵は強大……勝てると確信できる相手などではないのだから。
すぐに能力を発動し、右の棟へと探査の目を向けるみさき。
雪見はというと、彼女の隣で、その表情を窺うようにしている。
やはり彼女も、他の仲間達のことが気にかかるのだろう。
「んーと……あ、右の棟は勝ったみたい。二人ともボロボロだけど」
「大丈夫なの?」
「ちょっと危ないかも。でも、二人とも下の階の方に向かってるみたいだし、大丈夫だと思うよ」
安堵の声を漏らすみさき。
祐一と雪見に向かって二人の勝利を告げてから、次に左の棟へと意識を向ける。
「……こっちも、大丈夫だね。えーと……留美ちゃんはかなり危ないけど、澪ちゃんは全然大丈夫みたいだから、こっちも安心だよ」
「そう……とりあえず勝利ってことになるのかしら」
四人が傷だらけだとわかって若干顔を顰めたものの、安堵したように息をつく雪見。
それでも生きて棟を脱出しようとしているのなら、まずは安心してもいいだろう。
祐一達の仕事は、あくまでもここの制圧のみ。
その全てを、全員が死なずに達成できたことが、何よりの成果だ。
一様に安堵の吐息を零す三人。
と、そこで雪見が、思い出したように、みさきに向かって問いかける。
「で、佐祐理の方はどうなの? 能力を得るつもりだったみたいだけど、成功したのかしら?」
「あ、そうだね、えーと……あ、よかった、勝ってる。佐祐理ちゃん以外には誰もいな…………え?」
瞬間、穏やかだったみさきの表情が凍りつく。
それに不審を覚える雪見。
止まった言葉に気付いて、知らず足を止める祐一。
二人の目に映るみさきの表情には、明らかな怯えの色があった。
青ざめた顔は、微かに震えている。
その尋常ならざる様子に、雪見が思わずみさきの肩を掴んで揺する。
「ちょっと、みさき、どうしたのよ?」
「……な、何? 何なの? こ、こんな……」
自分の体が揺すられていることにも気が回らないのか、震えた声で呟き続けるみさき。
その声にも、恐怖の色が滲んでいる。
明らかな異常事態に、祐一の表情にも緊張が走った。
「みさき! しっかり! どうしたのよ?!」
さらに強くみさきの方を揺らす雪見。
それでようやく我を取り戻したのか、彼女ははっきりとした声で話す。
「雪ちゃん、終わってないよ……まだ、終わってないんだよ!」
その声は、雪見だけでなく、祐一にも向けた言葉。
脅威が去っていないことを告げる言葉。
それ故に、祐一の表情もまた、厳しいものに変わる。
「何だ? どういうことだ? みさき、話してくれ!」
祐一の問いかけ。
その表情には、もはや先程までの安堵の色はなかった。
彼の、そして雪見の表情にあったのは、紛れもない不安と恐怖の色。
「ほう、ウィンスレットを倒すとはな。なかなかやるじゃないか」
祐一の問いかけに答えたのは、みさきではなかった。
三人の誰とも違う低い声が、小さな拍手と同時に、部屋に響く。
一瞬で表情が強張る三人。
次いで、ほとんど反射的に、声のした方向へと顔を向ける。
見れば、部屋のもう一つの入り口に、男が一人立っていた。
それは、出発前に、アリエスに見せられた写真の男。
「……参ったね。あんたがこっちに来てるとは、正直思ってもなかったよ――シャディード」
引きつったような笑みを浮かべる祐一。
みさきと雪見はというと、シャディードの放つ存在感と威圧感の前に、言葉を失っていた。
ただ立っているだけだというのに、それだけで空気が重くなったように思えるほどのプレッシャー。
それこそが、彼の力のその証。
シャディードは、みさきや雪見、舞には目もくれず、ただ祐一だけを、射抜くような視線で見ている。
言葉に出来ないほどの圧迫感。
その視線だけで気圧されそうになるが、それでも祐一は、その動揺を表に出したりはしない。
「ふむ……まさに願い通りの展開だ。いい、いいぞ、お前は。あぁ、何と素晴らしい……」
そこで突然、シャディードが右手を両目に被せるようにしながら、ゆっくりと天を仰ぐ。
まるで何かに耐えているかのように、その体は小さく震えている。
そうしているだけでも、場の圧迫感が強くなったような気がして、祐一とみさきと雪見の表情は、さらに厳しいものになる。
「くくく……まさに神の思し召しというヤツだな。あぁ、最高だ、神よ!」
そして、堪えきれなくなったのか、シャディードは天を仰いだまま、高らかに笑い始めた。
場の空気を震わせる高笑い。
恐怖をも喚起させる笑み。
その目には、何が映っているのだろうか。
彼の体は、ただ歓喜に震えている。
縫い止められたかのように動けない祐一達を他所に、しばらく笑い続けたシャディードだったが、やがて笑いを止めると、改めて祐一に向き直る。
喜びに満ちた目。
そして、そんな視線を向けたまま、まるで宣告するかのように、ゆっくりと言った。
「さぁ、お前の力を見せてくれ」
続く
後書き
ラストバトルですな。
まぁリーダー同士の戦闘ってのは、ある意味基本ですし。
オーソドックスにいくのもいいんじゃないかと。
まぁあまり多くは語るまい、と。
長い話になるかとは思いますが(話数も期間も)、気長にお付き合いくださいますよう。
それでは。