話を聞き終えた名雪は、呆然とした表情で一言、言った。
「……嘘だよ………」
代行者
〜知った妹、知れぬ姉〜
「いいえ。それが真実です」
「だって……それが真実なら、わたしは…」
「そう。確かに祐一さんが殺したのは、事実です。でもあれは、あの人にも傷を負わせた悲しい事件……
あなたの祐一さんに対する憎しみ、殺意は、そこへ追い討ちを掛けてしまったの……」
友を、自らの手で殺す。祐一はそれを、どんな想いで実行したのだろう。
そして、その後も彼は、何を思ったのだろうか……
そんな彼に、わたしは何てことを言っていたのだろう。
人殺し!!
お父さん達の仇を、わたしが討ってやる!!
家族となった者を、もう奪わせたりはしないよ
この男を入れるの!?
お父さん達だけでなくお姉ちゃんまで殺す気!!
何と醜い言葉を投げ掛けていたのだろう……
わたしは、馬鹿だった……
お父さん達だけでなくお姉ちゃんまで殺す気!!
何と酷い言葉。彼に、そんな気は全く無かったというのに……
どんな気持ちで受け止めていたのだろう……こんな愚かな、子供の言葉の刃を……
返して……返して……お父さんとお母さんを返して!!
人殺し!家から出て行って!!わたしとお姉ちゃんに近付かないで!!祐一さんなんて、祐一なんて大っ嫌い!!
お父さんとお母さんを返して!!
何て残酷な言葉!彼だって、何度それを望んだだろう!!
彼が苛まれていたであろう罪と悲しみ、それをもう一度思い起こさせてしまったのだ!!
なのに彼は何も言わず、ただ黙って消えてしまった。
"祐一さん"がお父さんとした約束。
必ずわたしを幸せにしてみせる。
私は、自ら幸せになる筈だった未来を閉ざし、間違った道へ進んでしまった!
挙句祐一さんが果たす筈だったその約束の道を、わたしは阻んでしまった!!
「……………」
間違いに気付き自分を責める名雪に、秋子は何も言わない。
自分がどれだけ声をかけてやっても、それは同情、いや同情にすらならず、名雪には嘲笑にすら聞こえてしまうだろうから。
「お父さん達に誓いを立てたあの日から、もう間違ってたんだね……」
「………」
呟く名雪の言葉を、ただ静かに聞いてやる。
「きっと、お父さんもお母さんも言いたかっただろうね……
それは違う、間違いだ、って………」
それは、懺悔でもある。七年間もの間、破滅の道を歩んでしまった自分の、そして彼の道を阻んでしまったという罪。
それを聞き届けるのは自らの姉。そして今は、妹の罪を聞く神父でもある。
「あの時、お父さん達以外の人に真実を話されてもきっと聞かなかった……
だから祐一さんは何も言わずに、ただ耐えた……」
「ええ。あの人はそれを解っていたから、今でも自分では語らないのでしょう。
七年経った今でも、祐一さんの話は聞かないだろうと見越して……」
「それで、も、また様子を見に来て、くれて、わたしが何を言っても怒ることも無く、呆れることもせずにぃ……
そんな人のことを、私はいつまでも、拒み、続けて、結局お姉ちゃんに聞かされるまで気付かなくてぇ!」
何を言ってもじっと耐え、何もせず、何も言わず……
それをいいことにわたしはもっと酷い言葉を吐き続けて……
祐一さんは何も悪くは無かった。
お父さん達を殺したのは祐一さん。祐一さんは自分の意志で、お父さん達を殺した。
でも、お父さん達を殺したかった訳じゃない。そうせざるを得ない状況だっただけ………
「あの時までは、祐一さんが好きだったのに…それからは間違いだとも気付かずにひたすら憎み続けて……
うう、ひっく、それでもまた来てくれた祐一さんにわたしは、何て、言えば、ううっく、ぐすっ、うぁぁぁ」
涙を零しながら話す名雪を、秋子はそっと抱き締める。
ゆっくりと頭を撫でてやりながら、静かに言った。
「名雪」
「うう、くっ、ぐすっ」
自分に掛けられた、優しい言葉。
名雪が顔を上げると、そこには優しい顔をして妹を撫で続ける秋子が居た。
「祐一さんは優しいから、きっと許してくれますよ」
「う、ほん、とうに?」
「ええ。だから一言、ごめんなさい、って言えばいいのよ」
聖母を思わせる優しい顔で諭す秋子。
その優しさと、祐一への想いで胸が一杯になった名雪は、秋子の胸で泣き続けた。
もしもこの世に聖女、という人が居るのなら、それはお姉ちゃんのことなんだろうな………
それじゃあ、祐一さんは何だろう?
そんなことを考えながら、姉の温かさを体一杯に感じながら、名雪は泣き続ける。
あらあらと微笑みながら、秋子はいつまでも名雪を抱き締めていた。
何処からともなく取り出した紐で、髪を縛ってから。
刀を抜く。と同時に、左手で小太刀を抜くことも忘れず。
ベルトで鞘が固定されていることを確認し、義範を見る。
「それが、一弥の刀か……」
「…………」
祐一の得物を見て、義範は言った。感慨深そうに。
「なるほど。確かに、私と佐祐理が贈ったものだ」
「…………」
「失礼。お喋りが過ぎたようだ」
義範も長刀を抜き、片手で構える。
左で持つ鞘を投げ捨てると、義範も祐一を見た。
軽く技量を測ってみる。
刀を右に、小太刀を左に逆手で持ち。構えることもせずに立っているだけ。
だが、それは全く隙の無いモノ。長い前髪から覗く眼は鋭く、自分だけでなく周囲にも気を配っているのが分かる。
舞や佐祐理が攻撃してきたとしても、即座にそれを捌き、反撃すらして見せるだろう。
先程もそうだったが、今は人を近付けない雰囲気が増しているように感じられる。
うっかり近付いてしまえば、即刻斬り捨てられてしまうだろう、とまで思う。
それほどのものが、今の祐一には有った。
一弥と共に戦場を駆けたというのも納得だ。
そこで、疑問が浮かぶ。
これ程の人物と共に戦ったという一弥の腕前はどれ程だったのか。
そして共に戦うに至った理由とは、何だったのか。
考えれば考えるほどに、彼への興味は尽きない。
滞在している内に聞ければいいのだが、と考えたところで、義範は思考を打ち切った。
「さて、始めようか」
言いながら長刀を前に突き出し、刃を外にする。
その意を汲み取った祐一は、義範の正面まで歩き、自らの刀と義範の刀とを重ねる。
峰を合わせた格好で立つ二人。
キィンと、互いがそれを打ち合うことによって、稽古は始まった。
義範の突きを小太刀で捌きつつ、刀を振り下ろす!
それを躱しながら刀を引き戻し、空を斬る祐一の背中目掛けて斬り付ける!
が、瞬間白と黒が視界を覆い、
ガギィン
という音と共に刀の軌道が変えられる。
回し蹴りかと気付いた時には再び刀が襲い掛かってくるのが見えていた。
それを刀で受け流し、すぐさま距離を取る。
刀を交えて分かった。
――――彼は、強い。
自分も幾つかの戦場を経験している。
故に、分かる。彼の実力が。
見たところ、刀で攻撃、小太刀で防御をこなしているようだ。
剣術の方もかなりの腕前。
そして剣術だけでなく、先程の体術も中々のものだった。
普通、刀を持っていればそればかりに集中し、体術まで気が回らない。
不意を突くという意味でも、あれは良い判断だと思う。
だが、まさかそれで防御をも行うとは。
足で刀を狙うなど、相当の実力と自信が無ければ出来るものではない。
久々に、強敵が現れた。それも娘と同じ年頃の青年。
義範は、内から湧き上がる衝動に奮えた。
「はえ〜〜」
感嘆の声(?)を上げる佐祐理。
一度は停止した稽古も、義範が飛び込んでいくことによって再会した。
再び戦う二人だが、見えるのは祐一のコートと外套、彼らが持つ刀の軌跡。
そして、剣戟によって起こる火花のみ。
祐一の髪が揺れるたびに義範の長刀が空を斬る。
義範が繰り出す攻撃を悉く避け、捌き、受け流す。
義範自身も、祐一の攻撃を受け、避けては攻撃する。
刀が彼等の身に触れることは全く無い。
「…………」
舞を見れば、彼女もまた、二人の男が織り成す演武に見惚れていた。
特に、祐一の姿をひたすら追っている様に見える。
七年前は自分だったが、今度は逆で自分が彼の戦いを見ている。
初めて見る想い人の演武。
そして一目で解る、自分と彼との実力差。
彼が攻撃を避ける姿。それを見る度に思う。
―――あれが、わたしが理想とする戦い。避ける戦いの極致。
しかし同時に、想い焦がれる彼を意識する自分が居る。
中性的とも言える美しい顔は無表情。それはどこまでもクール。
首の後ろで縛られた黒く長い髪が、揺れる。
人間離れした容姿を持つ彼は美しく、強い。
とくん、と。
自分の胸に、今までとは比べ物にならない程の想いが宿っていることを、舞は実感していた。
キィィィン
祐一の刀を受けながら考えてみる。
今まで、これ程の人物が居ただろうか?
私の攻撃をこうも簡単に躱し、反撃さえしてくる。
ガギィィ
「くっ!!」
自分の攻撃を流される。
自惚れではなく、武術面ではこの国で十指に入ると思っている。
騎士である北川君には一歩譲るが。
国と王、そして民を守るために幾度も戦を経験した。
血で血を洗うようなものも一二度あった。
そこから生還し、今まで生き抜いてきた私の攻撃をあっさりと受け流す彼は、何者だ?
「戦闘中に考え事とは………死にたいのですか?」
「!?」
ヒュッ
気付けば目の前に刀。
「ぐっ」
「お父様!?」
一瞬灼熱感が走ったかと思えば、腕に痛みを感じた。
―――少々切ったか……
幸い斬られたのは左腕。まだ戦える!!
彼を見れば、血払いをしているようだった。一度振ったその刀を、私に突きつけて言う。
「倉田公。貴方は、戦場でも考え事をしながら戦うのですか?」
「…………」
「よく生きてこられたものだ」
私は公爵の地位に在る。
故に私が刀を振るうことは少ないが、それでも私自ら戦わざるを得ない状況は何度でもあった。
その時、私は考え事などしていたか?
否。
何を考えることもなく、ただ全力でこの長刀を振るってきた筈だ。
自らの行いを深く、反省する。
彼の目を見て言った。
「考え事をしながら戦うなど、相手に対する侮辱。
すまない。私は、君を侮辱してしまったようだ……」
「………」
彼と同じ様に長刀を突きつけて言う。
「稽古とはいえ、手を抜いた自分を恥じる。ここからは、全力で相手をしよう」
彼は何も答えず、地と水平にした刀を一度だけ振った後、顔を伏せて目を閉じる。
私には、彼が笑ったようにも見えた。
まるで、そうでなければ面白くないとでもいう風に。
顔を上げゆっくりと目を開いた彼は、私目掛けて地を蹴った。
義範は頭を戦闘用に切り替え、働かせる。
彼の本来の戦闘方法、実力は、高速で敵の攻撃を予測し対応することにある。
予測する。
まずは突進の勢いを利用した突き!
キィィィン
それを自らの刀で右に払う。
次は払われた勢いを利用し、回転。
そのまま左に持つ小太刀での斬りつけ!
片膝を着いてしゃがむ。
ヒュン
頭上を抜ける音。
同時に長刀の刃を返し、切り上げる!
パシッ
そんな音と共に掴まれた彼の右足。
勿論、彼の体術を忘れたわけではない。時間差で襲い掛かってきていたそれも、しっかりと予見していた。
痛む左腕でそれを上へと投げる。
そこへ長刀を―――
トン、と。
自分の左肩に彼の"左足"。それは、私が彼を上へ放り投げるのと同時。いや、少し速い。
彼を投げた手応えがないのも納得だ。それより前に彼は跳んでいたのだから。
しゃがみ込んでいた私の肩に足を置くなど、簡単だっただろう。流石にこれは予測し切れなかった。
足に力が込められ、彼は私の背後へ二回目の跳躍。
威勢よく刀を突き出していた私は、その勢いと彼の反動により地面を抱きかける。
が、受身を取って素早く距離を取り立ち上がり、同時に刀が迫っていることを瞬時に予測。
左から振り向きつつ、長刀で薙ぐ!!
「そこまで!!」
舞の声。互いに得物を無理やり停止させる。
首には冷たい感触。
祐一の首には、触れてはいないがこれまた義範の刀が。
このまま続けていれば義範が先に死んでいただろう。
しかし、長刀の勢いが急に止まるはずもなく、慣性のままに祐一も死ぬ。
要するに引き分け、という訳だ。
祐一の傍へとソフィーアが歩み寄る。
「お疲れ様でした」
「ああ」
キン、と鞘に納めながら返事する。
同じ様に、義範の傍には血相を変えた佐祐理が居た。
「お父様、大丈夫ですか!?」
腕を見ながら訊く。
「気にするな。これ位如何ということはない」
「ですが………」
佐祐理はかなりの心配性だ。それは特に家族や、親友の舞に対して発揮される。
それを知っているからこそ、義範もこれ以上心配を掛けない方がいいだろうということを悟っている。
「分かった。止血し、治療を受けてこよう。それでいいな?」
「はい」
その言葉を聞き、ほっとする佐祐理。
「祐一君」
「はい」
突然、舞とソフィーアに囲まれている祐一に声を掛けるが、彼もさして驚かずに返す。
彼の実力は充分分かった。後は……
「良い戦いだった。また頼むよ」
「私でよければ」
「今日は寛いでいきたまえ」
そう言い残し、義範は屋敷に消えていった。
祐一に対する興味が膨らんでゆくのを感じながら。
「ここが祐一さんの部屋ですよ〜」
「ありがとう」
言って早速中へ入ろうとする。
「あ、ソフィーアさんはこちらですよ〜?」
ソフィーアと共に。
そのソフィーアが振り向き、佐祐理に対して感情の篭らぬ一言。
「私は……祐一様と一緒です」
「はえ〜、いいんですか?」
「はい」
無表情で頷くソフィーア。
佐祐理は、もし間違いが起きたときのことを言っている。
ソフィーアは同姓の佐祐理から見ても、思わずため息を吐いてしまいそうなほどの美しさだ。
しかも、見た目は佐祐理と同年代に見えるため、佐祐理は落ち込みそうな気分にまでなる。
そんな女性と、男が同じ部屋で一夜を過ごす。
何が起こっても不思議ではない。
それを危惧して言ったのだが、心配無用だったらしい。
―――寧ろそれを望んでいるようにも見えたのは、気のせいですよね?
「祐一さんと同じ……いいな……」
「あはは〜、何か言いましたか?」
「え!?いや、何も!」
隣の舞から不穏な台詞が聞こえた気がしたのだが………
しかし、祐一と会ってからの舞は、どこか幼くなっているようにも思える。
いつも元気で明るい舞らしからぬ言動が目立つのだ。
やはり、想い人と再会して気持ちが急いているのだろうか?だとしたら――
―――かわいいですね〜。
いつもとは違う親友に温かい眼を向ける佐祐理。
とはいえ、彼女も彼には興味があった。
ソフィーアや舞とは違った意味で、だが。
―――弟の事を聞くまでは、逃がしませんよ。
一人怖いことを考える佐祐理だった。
大きな部屋。佐祐理はこの部屋に祐一だけを通すつもりだったのだから、元々ここは一人部屋なのだろう。
しかしソフィーアと二人で入っても、あと一人二人は大丈夫なんじゃないかと思わせるほどの広さがあった。
刀を壁に立て掛け、部屋に在るベッドに腰掛ける祐一。ベッドは一つしかない為、その隣へ座るソフィーア。
「ユウイチ様。あの方が……?」
「間違いない。一弥の言っていた倉田佐祐理嬢だ。
まあアイツの予想したとおり、未だに引き摺っているようだが」
無表情にも見える祐一。
しかし、それは親しいものが見れば悲しみを湛えたものであることが分かる。
普段は常に無表情な祐一が、この街では感情を露にすることが増えている。
それが気になったソフィーアは、話題を変えた。
「ユウイチ様は…この街では、表情を出されるようになりましたね……」
「……ああ。自分でも驚いている」
他の地でも表情が無かった訳ではない。感情が無かった訳ではない。
ただ、この街ではそれが多かったから言ったのだ。
祐一自身、その事実に驚いていた。だが、その理由も分かっている。
それは……
「安心させてやりたいのだろうな。皆を」
「安心…ですか?」
「……俺が以前問題の解決に手を貸したことで、皆に影響を与えたのは分かっている。
故に、その鍵である俺が、皆を不安にさせるわけにはいかない」
少女達の鍵。
自惚れでも何でもない。自分が、問題解決の扉を開く鍵になったのは間違い無いのだ。
そのキーである祐一は、今は皆の拠り所ともなっている。
それは、今回カノンを訪れたことで確かな事実として認識した。
こんな自分を想う少女が居たのには驚いたが。
そんな重要な存在である自分が、感情も無く彼女達に接したらどうなるか。
皆に不安を与え、それだけでなく恐怖感すら与えてしまうかもしれない。
見放されるかもしれない、見捨てられるかもしれない。
それは、新たな問題を作るきっかけとなる可能性が高いのだ。
名雪を除いてではあるが、少女達は難しい問題を乗り越え、安定した生活を築きつつある。
だが、それは些細な事で崩壊してしまう危うさをも孕んでいるのだ。
少女達が強くなるまでは、不安を与えるわけにはいかない。
「それが、仮初めの笑顔だろうと、な」
秋子の家にあるテーブルよりは大きいな……
夕食の席に招かれ、席に着いた祐一がまず考えたのはそんなことだった。
幅はそれほど変わらないが、長さがある。
ただ、公爵が住む屋敷にあるものとしては、少し質素な感じがした。
家の者と、客が来たときのことも考えれば妥当な大きさではあるが。
先程見た部屋の大きさから来た先入観だろう、もっと大きなものを想像していた祐一は、些か拍子抜けした。
そのテーブルには色取り取りの、そしてかなりの量の食事が置かれている。
倉田家は普段は三人のため、これは祐一達のために作られたものだろう。
もしこれが普段の量ならば、とそこまで考えて、止めた。
―――これを、三人で食べ尽くせるはずが無い。
ガラっと、椅子が引かれる音と共に義範が立ち上がる。
手にグラスを取り、掲げる。
グラスの中の赤い酒を揺らめかせながら言った。
「私は、堅苦しいことは好きじゃない。皆も腹が減っているだろう。私もだ。
疲れた体が速く食べさせろと騒いでいるだろう。私もだ。
では、皆グラスを取ってくれ」
軽すぎる公爵の口調と、省きすぎなその言葉に驚きを覚えるが、気を取り直してグラスを持つ。
義範の妻、佐弥がグラスを手に取る。
佐祐理と舞も同じ様にグラスを取るが、舞はこの国の決まりで、18になるまでは酒を飲めない。
佐祐理も、舞と同じが良いです、と酒を飲もうとはしないので、二人は果実から作ったジュースを飲む。
ちなみに、祐一とソフィーアは酒入りのグラスを手にしている。
「皆、持ったかな?それでは、乾杯!」
誰も気にしている様子が無いので、何に?という突っ込みは無しのようだ。
食事中は様々な光景があった。
少し考えれば分かることなのだが、意外にも舞のマナーが良かった――伯爵であるため、その辺は叩き込まれている――こと
は衝撃的だった。勿論、それを顔に出すようなヘマはしなかったが。
倉田家の面々は明るく、時には笑顔も見せながら食事を楽しんでいた。
そのため、ただ黙々と食べていたのは祐一とソフィーアのみだったりする。
味は、秋子よりは上、琥珀よりは下であったと言っておこう。
食事を終えて部屋に戻った祐一とソフィーア。
十時を少し過ぎたところだろうか。
祐一は、まだ眠るには早いなと思いつつ、考え事をしていた。
ソフィーアは既にベッドで熟睡していたりするが。
不意にコンコン、と。
音と同時に小太刀へ手を掛ける祐一。
「誰だ?」
静かに扉へ、その向こうの相手へと声を掛ける。
「義範様がお呼びです。書斎へ来ていただけないでしょうか?」
「向こうからは来れないのか?」
内容の予想はつくが、鎌をかけてみる。
公爵自ら来るとは思えない。だが、あの公爵に限っては、有り得ないとも言えないのだ。
「何でも、内密にしたいのでそちらから出向いては貰えないだろうか?とのこと」
まあ、当然と言えば当然だった。
客とはいえ、何の地位も持たぬ人間に公爵自ら足を運ぶはずが無い。
だが、そのような話で無ければあちらから出向いてくるだろうと、何故か確信できた。
他にも何人かそういう貴族、いや、人間を知っている。
そういう人間は得てして、国民からの信頼が厚いものだ。
だからこそ、義範はこの地の統治を任されたのだろうが。
流石、アイツの父親なだけあると思いながら部屋を出て、侍女に付いていった。
「ねえ、舞」
「なに?」
そろそろ寝るか、それとももう少し起きているか迷う、そんな中途半端な時間。
舞は佐祐理の部屋に居た。
佐祐理の家で眠るときは、時間が来るまで雑談をし、それからベッドに入るのが通例となっている。
「舞は、祐一さんが好きなんだよね?」
「うん」
即答する舞。
照れるといった素振りは少しも見せずに言った。
「それは、七年前の出来事があったからなんだよね?」
「うん。あれが無かったらわたしはここには居ないよ」
七年前に何があったか、佐祐理はそれを、舞自身から聞いていた。
故に、彼女が言う"ここ"とは、この世という意味であることを理解している。
「だから祐一さんは、わたしにとっては恩人でもあり、想い人でもある」
舞は胸に手を当て、目を閉じて言った。
木刀を手にした少女と、瓜二つの姿をした少女。
二人は、黄金色に輝く麦畑で戦い続けた。
そして、何時の間にか現れた彼は、それをずっと見守っていた。
気が付けば、戦いは終わり、彼にしがみつき泣いている少女の姿。
自分に瓜二つの姿をしていた少女は消えていた。
その少女は自分だった。異能を身に宿していた少女が、それを具現化させてしまったもの。
故に、二人の少女は一人。一人の死は、もう一人の死を意味する。
それを気付かせてくれた彼は、翌日には消えていた。
夢だったのかとも考えた。でも実際に居たのだと、信じてきた。
そして今日、会えた。
嬉しかった。
「良かったね、舞」
佐祐理は、眠ってしまった親友の髪を撫でながら、一人呟く。
だが、佐祐理は気になることがあった。
祐一がカノンから消えたという時期が、一弥が死んだ、いや死んだと聞かされた時期と一致している。
恐らく一弥は、祐一と行動を共にしていたのだろう。
どういう経緯があったのか。それを、知りたい。
一弥について全て知っているといった彼。
祐一なら、それを知っているはずだ。
「どうぞ」
書斎に通じる扉を開け、侍女はそう言った。
言われたとおり、祐一は中へ入る。
バタンと扉が閉められた。侍女はその場に待機しているのだろう、去っていく足音は聞こえない。
中は円形の造りをしていた。中心に当たる場所には、机が一つ。
そこには椅子に座る義範と、傍で佇む佐弥の姿があった。
その前まで歩き、立ち止まって問う。
「一弥について、ですね?」
「聞かせてくれないか?息子の過去を、空白の七年間を」
答えた義範の顔は、真剣だった。
to be continued……
あとがき
第五章です。
如何でしたでしょうか?
ここでは、名雪の親に関する真実と、祐一の実力、その片鱗について書いてみました。
秋子が名雪に話した内容は少しづつ書いていくつもりです。今一気に書くのも速いかなと思いまして。
今でも充分展開速いですが。しかも長すぎる。作中ではまだ一日が経っただけなんですよねぇ。(汗
祐一の実力ですが、とりあえず義範と伯仲か、それより若干上といったところです。
あの状態では、ですが。←軽く伏線
そして舞の回想と佐祐理の考え、義範との対面で終了です。
第六章ではこの対面から始めていくつもりです。当然ですが。
それではまた会いましょう。
紅い蝶でした。