「それは、確かなのか?」
「はい。確かに帝国の使者だったと。
同時に、帝国からの"頼みごと"も伝えたそうです」
朝陽の射す書斎。昨夜、祐一と会った場所。
そこに義範と佐弥はいた。
祐一が去った後に倉田家に齎された情報。
それは、反乱軍と交戦状態にあった帝国軍が敗北した、というものだった。
帝国軍と反乱軍の戦力差を鑑みれば当然といえるかもしれないが。
「その"頼みごと"とは?」
「帝国に代わり反乱軍を殲滅してくれ、と」
それを聞いた義範の表情が、暗く沈む。
元々フラグメントが大した抵抗もせずに帝国に降ったのは、
無駄な犠牲者を出さないようにという先王の判断だったのだ。
もし今回の依頼という名の命令に従えば、その意味は無くなる。
従わなければ、今は反乱軍に向けられている帝国の眼が、今度はフラグメントに向くだろう。
そして矛先を変えた帝国軍がこの国に殺到するのは目に見えている。
「王は、その命令に従うだろうな……」
「はい。事実、王の名で諸侯に反乱軍殲滅の命令が下されています」
当然だ。
今逆らえばフラグメントも帝国も只では済まない。
互いに相当数の犠牲が出るだろう。
現国王である久瀬王も、散々悩んだに違いない。
悩みに悩んで、犠牲が少なく済むだろう敵を滅ぼすことを決めたのだ。
「……少し、一人に」
「はい」
佐弥が部屋を出た後で、義範は頬杖をついて溜息を吐く。
当然自分にも出ている討伐命令。
自分は従うべきなのだろうか?
帝国の支配ともいえる程の干渉には以前から疑問を覚えていた。
この際王に諫言するべきなのだろうか?
それとも王の決定に口を出さず、素直に命令に従うべきか?
―――こんな時、祐一君なら如何するだろうか……
頭に浮かんだ青年の姿。
何故彼のことを考えたのだろう。
自分は今、年の離れた青年に頼るほど困っているのだろうか?
少しずつずれていく自分に気付き、苦笑する。
再び一人煩悶し、嘆息する。
―――困って、いるのだろうな……
代行者
〜丘の魔女〜
まだ日の高い街中で、二人の人間が人々の目を引いていた。
―――自分と、彼女が原因だな……
そんなことを考えながら、祐一は傍らにソフィーアを伴い、一つに纏められた髪を揺らしながらゆっくりと街を歩いていた。
何処か街の人間が忙しないように見えるのは、恐らく解放軍との戦争が始まるのだろう。
帝国の命令によって。
数年前から帝国は変わったといえる。
それ以前は各地に行き届いた統治を施し、各国を纏めていたというのに。
それ以降は力を振るうことが多くなってきているように思う。
何処かの国が統治に不服だと言えば武力で解決。
邪魔な国があれば武力で排除。
例え相手が降伏しても武力で以って答える。
帝国に何が起こったのかは未だ判明していないが、何を考えているのだろうかと祐一は思う。
だからか、そんな彼の心の機敏に気付いて彼女は口を開いた。
「ユウイチ様、どうかなさいましたか?」
「ん?ああ、少し考え事をな」
「そうですか…」
言ってソフィーアはまた前に視線を戻す。
本当に鋭い少女だと思う。自分の表情は変わっていない筈なのに。
雰囲気や空気だけで自分の心に気付けるのはこの少女を含めて数名しか居ない。
その中でもこの娘は特に敏感な方だ。
だからだろう、碌に会話もせずに意思の疎通をはかることが出来るのは。
「丘へ行くのですか?」
「ああ。管理者に会って、預けた者を引き取りに行く」
「それが終わったら……」
「彼らと合流するぞ」
「はい」
祐一の遠回しな表現に対しても、聞き返す事無く頷く。
「…あの姉妹には、会わなくて良いのですか?」
「会う時間が無いだろう。特に、姉の方は」
今では騎士に身を置いているという少女を思い浮かべる。
そして薬師を目指しているという妹も。
祐一としては彼女達にも会っておきたかったのだが仕方ない。
それに今は自分も先を急ぐ身。
一刻も早くフラグメントを出る必要があるのだから。
「あの人たちなら、そう簡単に負けることは無いと思いますが……」
「いや、いくら浩平や志貴でも厳しいな」
カノンの兵を相手にするには相当の数、そして実力者を揃えなければならない。
それも、どちらかが欠ければ勝ち目は無くなる。
数だろうと、実力だろうと、どちらも欠かせない絶対条件なのだ。
それを踏まえて状況を鑑みれば、今の解放軍では勝ち目は薄い。
祐一の直感が告げていた。
だからこそ、自分が行かねばならない。
「カノン軍は、軍備にそれほど時間を要しない。恐らく、明日中には動くだろう」
「では、それまでに」
「ああ。此方も急ぐ必要がある」
言下にソフィーアを抱いて、祐一は走り出した。
魔女と神の使いが住む『ものみの丘』へと。
「あなたが兵を率いて戦うのは初めてだったわね。
焦らず、冷静に」
川澄伯爵家。
その一室に二人の女性が居た。
一人はこの家の当主である川澄舞。
もう一人は彼女の母親であり、補佐でもある川澄灯火だった。
「舞、今回はあなたが先鋒を務めることになる。
最前線は目まぐるしく状況が変わる所でもあるの。
しっかりと指揮できる?」
「……分からない」
女性伯爵代行。
目の前に居る母親は、そんな大役に自ら就き、そして立派に役目を果たした自分の憧れだった。
その母に伯爵位を譲ると言われた時は本当に驚いたのを覚えている。
何れはそうなるだろうとは思っていたが、まさか二十を数えぬうちに引き受けることになるとは。
成長するにつれて母は自分を従軍させるようになった。
わたし自ら剣を振るったこともある。
当然人を斬ったことも、ある。
でも、だからといって初めての戦で先鋒なんて務まるのだろうか。
当主として初めて戦場へ立つわたしを気遣う母さんの声を聞きながら、
わたしは自分がこの戦いに参加する発端となった軍議の席を思い出していた。
今回の戦い、反乱軍の殲滅という命令を王から受けた倉田義範公は、
フラグメント領カノンにいる貴族全てに招集を掛けた。
帝国敗退の報が届いたのは昨夜だと聞いているから、その日の内に王から命令が出たのは異例の速さだといえるし、
またそれに従って召集を掛け、軍議を行った義範公も迅速だった。
その席には当然わたしも出席したのだが、倉田公直々に先鋒として指名を受けたのだった。
反乱軍は帝国を退けた後、自国であるヘヴンへと帰還中であるという。
そこを突いて攻撃を仕掛ける。
故に素早く軍備を整え、カノンを出る必要がある。
それを聞いたわたしは、軍議の席でそれらを踏まえた部隊編制を考え始めていた。
―――迅速な行動が求められると言うのなら、大勢は連れて行けない。
―――そして準備だけでなく、カノンを出た後も出来るだけ早く行動する必要がある。
―――となれば、馬が最適だ。騎馬を中心に編制して……
「伯爵」
はっと顔を向けてみれば、席に居る全員がわたしを見ていた。
何度も呼び掛けていたらしく、幾人かは苛立ちを隠せていない。
「川澄伯、ご気分でも?」
「いえ、少し考え事を……申し訳ございません」
何を呑気なとこれまた幾人かが騒いでいるが、倉田公はそれを気にせず続ける。
「何について、かな?」
「…………」
「気にせずに言ってみなさい。君はその年で公私をしっかり区別している。
関係のないことを考えるはずが無いのだから」
流石に、公爵はお見通しみたいだけど……
言っていいのだろうか?
まだまだ若輩の、しかもこんな小娘が、一端に戦について考えていたなどと。
「この場に集った人間には、年齢の差など関係ない。必要なのは貴族としての力なのだから」
「!!」
―――そこまで見透かされているのなら、もう怖気付く必要も無い、よね?
―――これ以上黙っているのも、逆に失礼になるだろうし。
そう思い、わたしは口を開いた。
「"私"が考えていたのは、この戦についてです。
目標である反乱軍は拠点であるヘヴンへと引き上げる途中。
ご存知の通りヘヴンは隣国、目と鼻の先ですが、それでも急ぐ必要がある。
相手はあの帝国を退けた程の力を持っています。
もし態勢を整えられては、此方の兵にかなりの被害が出るでしょう。
いや、下手をすれば勝つことも危うくなる。ですから、攻撃を掛けるのなら今を置いて他に有り得ません」
「ほう。では、伯爵はどういう編制をお考えで?」
"子供"にすら分かる簡単な状況整理。
だけど、部隊編制にまで興味を持つなんて……
ここまで言えば誰もが同じ様な編制を考えていると思っていた。
現に、今発言した斉藤卿には周囲から冷たい視線が向けられている。
愚問だな、と。
「私は騎馬を中心とした、いえ、騎馬のみの部隊編制で戦に臨もうと思っております」
「そうか…ならば川澄伯。貴公ならばこの戦、どういう戦い方をする?」
公爵様は更に興味を持ったのか、身を乗り出して訊いてくる。
わたしも、それに答えるために再び言葉を紡いだ。
「…まずは騎馬部隊を先遣隊として送り、これで敵を足止め。
本隊の到着を待ち、到着後、一斉に打って出る。これが私の描いた絵図です」
「……ふむ、確かに長引かせればヘヴンに近い分不利だな。
だから短期決戦が望ましい、か」
「はい」
「だが、その騎馬部隊は命を捨てる覚悟で戦わなければならない。
更には逆にその部隊を壊滅させられかねないが……これについては?」
そう。この作戦の弱点。
それは、先遣隊として戦っている兵士達が持ち堪えるかどうか。
ヘヴンは周りを木々や山々に囲まれた国。
故に大軍での進軍は出来ないし、そんな大勢で動いていては間に合わなくなる恐れがある。
そのため少数で進軍させる必要があるのだが、それだけ危険は増す。
だからわたしには、それを補うための考えがもう一つ、有った。
「はい。無論、それについても考えてあります。
兵士達の負担を減らすために増援を送るのがいいかと」
「数が多い方がいいのは分かるが、あそこは大勢で進むことは出来ないぞ?
たとえ数を送っても、それが動けないのなら意味が無い」
「増援と言っても、騎馬や歩兵といった普通の部隊ではありません。
竜を自在に操り空を翔るフラグメント最強の部隊……第四騎士団『吹雪』の派遣を進言します」
おお、と彼方此方から驚きの声が上がる。
―――第四騎士団『吹雪』
フラグメントが有する六つの騎士団の中の一つだ。
この国には六つの騎士団が存在し、その内の二つがカノンに常駐している。
即ち第四騎士団『吹雪』、第五騎士団『降雪』である。
国を護ることを任務としているため、彼らが国外へと攻撃をしたことは一度も無い。
北川潤率いる彼ら騎士団は、大陸でも数の少ない『竜』を操るカノンの懐刀である。
フラグメント最強との呼び声も高い彼らを、今回の戦いに同行させようというのだ。
それを考えた舞は続ける。
「彼らなら木も山も関係なく進軍できます。それに、その実力ならば充分な増援足り得ると思いますが」
「そうだな。私もそれを考えていた。早速王へ進言してみよう」
一先ず自分は認められたのだとほっと一息。
だが、義範様は更に驚くべき提案をした。
「今回の戦、先鋒は川澄伯爵に任せようと思うが、如何かな?」
驚きと、賛成の嵐。
公爵様の言葉を理解してから周囲に眼を向けたときには、既に決定してしまっていた。
そう、それでわたしは先鋒を賜ったんだ。
今考えてみれば作戦を提案したのはわたしなのだから、妥当な判断だったのだろう。
つまり、自分で言ったことを自分の力で実行してみろと、そういうことだ。
「舞、あなた、私の話を聞いてる?」
「えっ?」
「はあ。聞いてなかったのね……」
「えっと、ごめんなさい」
「ふう。もう一度言うけど、準備は順調だそうよ。明日の朝には国を出られるだろうって」
「ん、分かった」
軍備も大切だが、今のわたしにはもう一つ、母さんに言わないといけないことがある。
それは、祐一のこと。
ついて行きたいと言ったわたしに彼が出した条件。
その許可を貰うために。言わないといけないことがある。
「母さん」
「ん、何?」
「相沢祐一という名前を覚えていますか?」
「どうしたの、改まって。ええ、覚えてるわ」
この母は一度だけ、祐一と会ったことがあるらしい。
わたしが抱える問題が解決したのを見届けた彼は、その足で川澄家を訪れた。
そして母と謁見した祐一はその場で、「舞を大切にしてやって欲しい」と言ったそうだ。
それから幾つか言葉を交わしてから、祐一は去っていったという。
「あの黒と白を身に纏った不思議な青年、よく覚えているわ。
彼がどうかしたの?」
「昨日、祐一に会ったの」
「……そう。それで?」
「祐一はまだ旅を続けている。それについて行きたいと言ったら、彼は条件を出した。
自分の大切な人たちに許可を貰って来ること、って」
幼い頃からわたしが祐一に恋焦がれていたことは、母さんも知っている。
だから、わたしの言葉も落ち着いて聞いてくれた。
「………あなたは、彼について行きたいのね?」
「はい」
「自分の役目を理解しても尚、それは変わらないの?」
「……はい」
自分が今置かれている立場は、そう易々と捨てられるものじゃない。
わたしはそれを理解していたけど、それでも。
彼について行きたい。
「今何処に居るかは分からないけど、この街に居るのは確か。
わたしは、この戦いが終わったら彼について行きたい」
「……決心は、固いのね?」
「はい」
「だったら、私が言うことは何も無い。あなたの、好きなようになさい」
「!あ、ありがとう!!」
こうもあっさりと許してもらえると思っていなかったわたしは、思わず大声を出す。
でも、母の話には続きがあるようで、落ち着きなさいと眼で言った。
「だからと言って、あなたが伯爵の地位に在るのは変わらない。
恋に溺れるだけじゃなく、旅先で学べることはしっかりと身に付けなさい。
若い頃には経験を積むことが大事。世界を知らなければ、あなたは狭い物の見方をしてしまう様になる。
今回の話は、とても良い機会だと思うわ。旅に出たいと思っても、簡単に出来るものじゃないから。
だから、その機会を物にできるように頑張るのよ」
「うん、うん、ありがとう!!」
ここまで子供のことを考えてくれる親が私の母親で、本当に良かった。
わたしは目に浮かんだ涙を隠す様に、自分の甲冑の手入れを始めるのだった。
「……この辺りで良いだろう」
丘の中腹辺りだろうか。
そこで祐一は突然ソフィーアを降ろして言った。
此処まで彼女を抱えて走ってきた祐一だが、息切れの様子など一つも無い。
降ろされたソフィーアは若干残念そうな顔をしたものの、何も言わず地に足を付けた。
「そうですね」
代わりに言ったのは先程祐一が発した言葉に対する肯定。
見渡す限り木、木、木。
常人が見ればそれしか無い丘の中。
だが、彼らは唯の人ではない。
祐一は自らの経験から、ソフィーアは己が持つ技術と経験から。
それぞれ丘の途中から結界が張られていることを看破していた。
それは、隠蔽と感知とを兼ね備えたもの。
丘に入る者があっても、結界に因り奥までは進めない。
だが、力を持つ者ならばその効力を打ち破り奥まで足を進めることが出来る。
そのような場合には、術者に知らせが届く仕組みになっている。
シャラン
故に―――
「お久しぶりですね、お二方」
術者である彼女、『丘の魔女』と呼ばれる天野美汐が二人の前に姿を見せても、それは当然と言えるのだ。
丘を管理する彼女を先頭にして進む祐一とソフィーアは、現在頂上付近に居た。
頂上まで上りきると、此処からでしか見ることの出来ない絶景が待っている。
ものみの丘を挟んで反対側、つまり街の南側には帝国に面した雪原が広がり、
此処からでもそれと判るほど陽の光を反射していた。
西を見ればヘヴンとカノンとを繋ぐ凍土平原が見えている。
それも、光を受けてキラキラと輝いていた。
「此処に来るのも久しぶりだ……」
「そうですね。貴方が私に無理矢理真琴を預けていってから七年ですから」
遠回しに祐一を非難する美汐だが、柔らかく微笑んでいる。
七年前、一弥を発見する直前に、祐一は真琴という妖狐を美汐に預けていた。
それも無理矢理に近い形で。
当の美汐は嫌がっていたものの、祐一が直ぐに行ってしまったために引き受けざるを得なかったのだ。
実はこれも祐一の狙いであったのだが。
当時の天野美汐は、現在と同じ様に丘の管理者をしていたが、丘に住む他の種族、『妖狐』に極度の恐れを抱いていたのだ。
元々美汐は誰かと関わろうとしない性格だった。
それも重なってか、接触を恐れていたのだ。
美汐が妖狐を恐れたのは、単に自分と異なる種族だったから、という訳ではない。
古代、妖狐は神の使いとされていた。それは今も同じである。
更に丘には、妖狐に関われば悲しき災いが降り掛かる、という伝承もある。
その二つが相俟って、美汐に過度の恐れを抱かせるに至ったのだ。
その改善の為に祐一が預けたのが妖狐、真琴である。
祐一は先ず、身近な存在である妖狐から慣れさせようとしたのだ。
その結果は判らないが、少なくとも以前は笑顔を見せることは無かった。
多少は効果が有ったと見て良いだろう。
だからといって美汐の消極的さが直ったとは言えないのだが。
「……確かにそうかもしれないが、結果的には引き受けてくれたのだろう?」
「う……まあ、頼みごとを無碍にするのも人として不出来ですし……」
「ふ、そうか」
「はあ、貴方には敵いませんね。とりあえず中へどうぞ。
何時までもここに立っているのも何ですし、真琴も会いたいでしょうから」
そう言って美汐は、丘からの風景を眺めていた祐一達の背後に在る建物へと入っていく。
東方では社と呼ばれているその建物は、神を祀る神聖なものであると同時に、美汐の住まいでもある。
そしてその中には、七年越しの再会を楽しみにしている者が待っていた。
社の中。
畳と呼ばれる敷物が敷き詰められた部屋。
その一室に、着物姿の少女が座っている。
美汐の案内でそこに通された祐一は、ソフィーアと共に少女と顔を合わせた。
「あぅ……」
「元気だったか?真琴」
「あ……うん!」
真琴と呼ばれた少女は、祐一の声を聞くと嬉しそうに目を輝かせた。
「……さて、七年ぶりの再会で言いたいことは沢山あるだろうが……一つ聞かせてくれ」
「あぅ、何?」
「この七年間で、天野美汐は変わったか?」
「…うん。変わったと思う。最初の頃みたいに真琴を避けたりしないし」
真琴の答えを聞くと、祐一は微笑んだ。
やはり、効果はあった、と。
また一つ、彼の心配事が消えた。
「真琴、これからどうしたい?」
「あぅ、祐一について行きたい……」
小さいものだったが、真琴はしっかりと自分の意志を伝える。
祐一に対しては特に自分のしたいことを伝えられなかった真琴が。
これも、美汐に預けた結果だろう。
予想外の成果に、祐一は満足した。
カラと仕切りを開き、美汐が入ってくる。
その手に湯呑みとお茶菓子を持って。
それらを祐一たちに渡して自らも腰を下ろした美汐に、祐一は言った。
「魔女よ、礼を言おう。そなたのお蔭で真琴は成長した。以前とは比べ物にならぬほどにな」
「いいえ、私にとっても良い経験となりましたので。此方からも礼を言わせてもらいましょう、賢者よ」
「一つ、言っておこうか。俺はその名が好かぬ。血に塗れ穢れきった者に、その名は相応しくはない」
「……では、私からも一つ。先程貴方が言った魔女という言葉。私はこう呼ばれることを嫌います。
ましてや貴方がそれを口にするなんて、そんな酷なことはないでしょう」
美汐の言葉を聞いた祐一は少し考え込む。
少しして何か思いついたのか、再び口を開いた。
「…では、そなたのことは美汐と。これで良いか?」
「はい。私も、ユウイチさんと呼ばせてもらいます」
「いや、今の俺は相沢祐一だ。俺がそう思う限り、俺には名が二つある」
そんな彼の言葉に、美汐は軽く驚く。
彼はまだ、その名を使っているのかと。
「未だにそう名乗っているのですか?貴方は」
「ふ、俺には父が、母が二人居る。それも、悪くは無いだろう?」
「……そうかも、しれませんね。
ですが、やはり私はユウイチさんと。この方が呼び易いので」
「……美汐がそう望むのなら、それも良いだろう」
互いの呼び方を決めた彼らは、一息吐くため湯呑みに手を伸ばした。
ずずっと一口啜ると、湯呑みを置く。
そして一言。
「良い腕だ」
「有難うございます」
再び口を閉ざした彼らだが、そこからの行動は違っていた。
祐一は菓子に手を伸ばし、美汐は開いたままの仕切りから外へと目をやる。
燃える様な夕日。
それが少しずつ、ゆっくりと、しかし確実に西の方角へと消えていく。
気が付いてみれば、雪もちらほらと降っている。
菓子と茶を食べ終えた祐一もまたそれを見ていたが、夕日に染まる朱い雪に目を奪われていた。
まずソフィーアがそれに気付き、次に真琴が、最後に美汐が気付く。
彼女達が見た祐一は哀しそうで、今にも泣き出しそうな目は、朱い雪に釘付けだった。
見つめる彼女達の視線に振り返る事無く。
ただ、降りしきる雪に目を奪われていた。
「少し席を外しても、いいか?」
ポツリと、呟くように放たれた祐一の言葉は、誰に向けられたものでもない。
だが、それには美汐が反応した。
「ええ、どうぞ。その方はユウイチさんを待っていると思いますよ」
「……済まない」
一言返した祐一は、それから縁側へと降りる。
「真琴。次に出るときは、お前も一緒だ」
振り返り一言告げると、再びコートを翻し、雪の中へと消えていった。
to be continued……
あとがき
お久しぶりです、紅い蝶です。
気が付けば一ヶ月ぶりの更新……
全く以って申し訳有りません。
そして今回は第八章をお届けしました。
まだ終わる気配の無いカノン編。
カノン編は今回で終わりだと前に言っていましたが、すいません。
後一章分だけ許してやって下さい。次は必ず終わりますので。
その後は、他の作品のキャラが出ます。いきなり修羅場になる予定ですが、ね。
近付いてくるカノン軍と反乱軍との対決。
それを前にして各人は何を想うのか。
それでは、また会いましょう。