サク、サク


「また、来たよ」


降りしきる雪の中。

束ねた黒髪を濡らし、青年は呟いた。

視線は目の前の切り株から離さない。


「再び戦争が、殺し合いが始まる……お前は、どう思う?」


切り株に語るように話すユウイチは、哀しそうに目を伏せた。

刀へと目をやり、撫でるように手を置きながら、ユウイチは独白を続ける。


「この戦争は俺が引き起こした様なものだと言えば、お前は怒るだろうか?」


―――殺し合いを嫌っていたものな。

―――それに俺が加担しているだなんて知ったら、お前は怒るだろう。

―――悲しそうな顔をしながら、お前は怒るだろう。

そう思いながらも、彼女なら自分を許すだろうという確信が有った。

でなければ、自分に外套を預けたりしない。


「ユウイチくんが正しいと思ったなら、それを貫けばいいと思うよ……」


先程の考えを証明する証拠の一つ。

嘗て、彼女が言ったこと。

異種族であり、絶大な力を持ちながらも、それを使うことを嫌った少女。

ユウイチと共に旅をした少女は、他人が傷付くことを嫌った。

それならばいっそ自分が、と言い出したほど優しい彼女の心は、大戦時にあっても変わらなかった。

彼が身に着けている白い外套は、彼女そのものを表してもいる。


「……この愚か者の行く末を、これからも見守っていてくれ……アユ」


神族に属するその少女は、雪の絶えぬこの地で静かに眠っている。







代行者

〜開戦前夜〜








――――水瀬秋子――――



明日から始まる戦のことで手が一杯だった。

私が振るうことになる剣、身に着ける甲冑。

それらの手入れや、公爵を守るために決められた配置の暗記等。

全く、少しぐらい趣味に費やす時間が欲しいものですね。

もう少しで新しいジャムが完成するというのに………


「お姉ちゃ〜ん、ご飯出来たよ〜」


ぽわぽわした妹が呼んでいる。

祐一さんに対する誤解が解けた名雪は、以前よりすっきりしたように思う。

毎日続けていた素振りも肩の力が抜け、軽いものになっている。


「お姉ちゃ〜ん」

「はいはい、今行きますよ」


リビングに漂う美味しそうな匂い。

この子も腕を上げたものだと感心してしまう。

役に立たない妹にはなりたくないからと、この家の家事一切を自ら引き受けてくれた。

料理もその中の一つ。

当然初めは上手くいかず、それでも何度も練習してここまで来た。

本人によれば、挫けそうになったこともあるらしいけど。


「いただきます」

「いただきます」


箸を動かし、私はご飯に手を付ける。

それを真剣な眼差しで見守る名雪。

自分は一切動かず、固唾を飲んで私の一挙手一投足に注目している。

私は箸を口に運び、もぐもぐと味わった。

閉じ込められた味が、口の中で広がるのが解る。

美味しいと、素直に思った。


「また腕を上げたわね、名雪」

「ふ〜〜。良かったよ〜」


緊張していた名雪に一言そう言ってやると、強張ってすらいた体を弛緩させ、名雪は一息吐く。

お互いに吹っ切れたところがあるのか、ここ数日の私達姉妹は更に仲が良くなった。

従兄妹と妹のことで悩む私と、食卓でも復讐という暗さを背負う名雪。

それが無くなった食事風景は、雰囲気からして以前とは違う。

笑いながら楽しく箸を動かすなど、以前なら考えられなかったこと。

これも、彼のお蔭なのかもしれない。

今もこの街に居るであろう彼、祐一さんの。

まあ、既に出てしまっているかもしれませんが………

祐一さんはそんな人だ。

連絡も無しに突然顔を出したかと思えば、知らない間に姿を消している。

まるで、初めから居なかったかのように。

頼れるようでいて、儚いような雰囲気もする不思議な青年。

その最大の謎とも言えるのが、

以前と同じ、変わらない姿だったこと。

自分達よりも年上なのは間違いない。

だが、どれだけ差があるのか全く判らないのだ。

年を取っていないのではないかとも思えるほど変わらぬ姿のまま、彼は現れた。


「ごちそうさま〜」


恐らくは、この妹を救うために。

そして救われた妹は、今度は自らが抱える罪に悩んでいる。


「ごちそうさま」


食器を片付け、再び戦の準備に取り掛かる。

それ程のものでもないのけど。

…悩む名雪を、彼はまた救いに来るのだろうか?

そんなことを考え、窓から月を眺めた。

そうなればいいのに、と思いつつ、再び剣の手入れに取り掛かるのだった。

そして、妹を口実に会おうと考える罪深い私の心も、救って欲しい。










――――水瀬名雪――――



ご飯を食べたわたしは、部屋へと戻る。

ガチャ、と音を立てて開く扉を潜り、閉めた。

最近はお姉ちゃんも明るくなったと思う。

わたしと祐一さんのことを気にしていたから、それが無くなった今、本当に嬉しいのだろう。

壁に立て掛けられた剣を見ながらベッドに腰掛ける。

数日前のわたしは、ただ憎悪のままに剣を振っていた。

それが今は笑顔で食事をしているなんて、どうして予想できただろう。

やっぱり、祐一さんが殺したという事実は変わらなかったけど。

そこに至る真実は残酷で、悲しいものだった。

親友の香里は、当事者のわたしよりも事態を把握していたんだ。

第三者の目から見た結果なのかもしれない。

でも、香里の忠告を聞かなければ、わたしは戸惑う事無く祐一さんに斬りかかっていただろう。

本当に、わたしには過ぎた親友。

だけど、疎ましいと思ったことは一度も無い。

香里とお姉ちゃんが居なければ、今頃わたしは憎しみに身を焦がして狂っていたに違いない。

そんなわたしを、放っておくこともせずにまた様子を見に来てくれた祐一さん。

窓から見える月を見ながら、祐一さんは月なのかもしれないと思った。

何も言わず静かで、それでいてわたし達を見守っていてくれる。


「月の従兄妹、だよ」


我ながら意味が解らない。

でも、月という表現は的を射ている。

冷たく見えるけど、触れてみれば温かい。

実際に触ったことなんてないけど。

いつも静かに、わたし達を見守ってくれている。

それをわたしは、温かいと思った。

その温かさで、お姉ちゃんも救ってくれないだろうか?

ここ数日のお姉ちゃんは、何か悩みを抱えているんじゃないかと思うほど暗く見えることがあった。

お姉ちゃんは確りした自慢のお姉ちゃんだけど、何でも自分で抱え込むのが欠点。

何を悩んでいるかは分からない。

でも、妹に相談して欲しい、自分を頼って欲しい。

そんなに頼りないのだろうか?わたしは。

以前香里に、あなた、どこかほわほわしてるわよね、なんて言われたことがあるけど。

確かに、わたしでは頼りないかもしれない。

祐一さんに対する憎悪が無くなった今、また新しい問題、悩みを抱えているのだから。

それすらも自分で解決できないわたしには、相談できないのも分かる。

何年も彼を憎み続けた自分には、贖罪の義務がある。

でも贖罪って、どうすればいいんだろう。

というより、祐一さんに何をしてあげられる?

自分より遥かに大人な彼に、何をしてあげられる?

この剣で、彼を守る?

……それはいいかもしれない。

彼は七年も私に命を狙われた。

実際に剣を抜いて斬りかかったことはなくても。

だったら。

わたしも、命を懸けるのが筋ではないだろうか?

この体を盾にして、彼を守るのが。

命を狙っていたわたしがそれをするのも可笑しな話だと思うけど……

今度祐一さんに会うことがあれば、言ってみよう。

もうソフィーアさんが居るけど、わたしも彼の傍に在りたいから。










――――川澄舞――――



「はあ〜」


ベッドに倒れこみながら、無意識に一つ大きな溜息を吐く。

はっ!

これじゃあ祐一に笑われちゃうよ、気を付けないと。

でも今日は準備で忙しかったから、仕方ないよね。

そういえば、と今日のことを思い出す。

お母さんに許可を貰えたこと。

戦での先鋒を賜ったこと。

色々あったと思う。

その中でも、祐一について行く許可を貰えたのは本当に嬉しかった。

今思い返しても嬉しくなる。


「顔がにやけてるわよ、気持ち悪いわね」

「ああっ!!見てたの!ていうか驚かさないで!!」


知らぬ間に現れた小さな少女。

黒く長い髪、そして愛らしい顔は、幼い頃のわたしにそっくりだった。

それもその筈、彼女はわたしなのだから。

わたしの中で眠っている異能の力。それが彼女。

名前だって"まい"というように、本当にそっくり。

唯一わたしと違うのはその口調、そして性格。

―――麦畑で戦ってたあの頃はもっと暗かったのに……

本人曰く、二年もわたしに苛め抜かれた所為で捻くれたのだとか。


「ちょっと、聞いてる?」

「え、何を?」

「はあ、これだから舞は……だから、佐祐理には何時話すのって訊いてるのよ」


そう、お母さんに認めてもらえても、あと一人、親友の佐祐理にも言わないといけない。

普段はわたしの中に居るまいは、そこには居なくてもあたしを通して世界を見ている。

だから、説明しなくても事情を把握していたりする。


「何時って……明日の戦が終わった後でいいよ」

「ふ〜ん。でも、祐一はこの国を出てしまう訳でしょう?それって何時なの?」

「ええと、そこまでは聞いてないけど……あっ!」


そうだった!今も戦っている人のために行かなければって言ってたっけ!?

ということは、早いうちに国を出る可能性が高い。下手をすれば、もうこの国には居ないかもしれない。

祐一の言った『戦う』が、どういう意味なのかは分からない。

わたし達みたいに何かの問題と戦っているのかもしれないし、本当の意味での戦うということかもしれない。

どちらにせよ、それを祐一が放って置くはずが無いのは確か。


「ああ〜〜どうしよう〜」

「まあ、どうしようって言っても明日は戦、

 今からはその為に睡眠。祐一にも佐祐理にも会いに行く時間なんて無いわね」


慌てるわたしと冷静に状況分析するまい。

分かってはいる。でも、どうにかしたい!


「諦めることね。立場上勝手をするわけにもいかないでしょう?」

「うっ、それはそうだけど……」


結局は諦めるしかないのだった。

こういう時は伯爵という立場が煩わしく思える。


「でも、良かった」

「何が?」

「祐一に会えたこと。舞がどれだけ心待ちにしていたか」


…確かにそう、本当に良かった。

自分で探しに行くことも出来ず、諦めたこともあった。

でも、絶対に会えると信じて今までやってきた。

そして、会えた。今まで信じてきて良かったと、心から思った。

ただ、気になることが一つ。


「祐一、全然変わってなかった……」

「そうね。本当にあの頃のまま……何も変わっていない」


わたしに会ったということは、当然皆にも会っているだろう。

同じことを考えた人もいるはず。

でも、多分真実を知っている人はいないだろう。

困った人を見れば近付いてその問題を解決する。

自分のことは何も話さずに。

それが、祐一なのだから。

もしかしたら、祐一も何か抱えているのかもしれない。

七年前のわたしみたいに。

訊けば教えてくれるだろう。

でも、わたしはそれを好ましく思わない。

祐一が自分から話してくれる方が何倍も良いから。

それまでは、ずっと傍に……


「舞、妄想もその辺にしとかないと祐一に嫌われるわよ」

「何気に酷いよまい。それはともかく、まいが言わなかったら大丈夫だよ」

「……教えてあげようかしら?」

「ダメ。……全く、わたしを苛めるのがそんなに楽しい?」

「ええ、とっても」


祐一、あの頃の無口だけど純粋だったまいはここまで捻くれてしまいました。

どこで育て方を間違ってしまったんでしょう。

……お姉さんは悲しいです。


「やっぱり言おうかし―――」

「ごめんなさい心の底から反省してますから許してください」

「くすくす。あなたには誇りというものが無いの?『お姉さん』が聞いて呆れるわ」


うう……

祐一、会いたいよぅ………

そしてまいこの子を何とかして……










――――倉田佐祐理――――



今回の戦は舞だけでなく佐祐理も出ることになっている。

経験で言えば、佐祐理も舞と殆ど変わらない。

何度かお父様に連れられて戦場を体験した。

数百の兵を預かって剣を振るった。

この手で、数人の命を奪った。

ごめんなさいと、心で呟いた。

何度も何度も。

でも、それで許されるとは思っていないし、許されようとも思っていない。

それでもそう呟いてしまうのは、佐祐理が人だから、でしょうか?

その時に振るっていたこの宝剣。

見た目はとても綺麗だけど、その実何人もの血を吸っている。

いえ、これを振るったのは佐祐理だけじゃないから、何十、何百にもなりますね。

また明日も、その人数を増やさなければならないのでしょうか……

一弥なら、佐祐理みたいに悩む事無く突き進んでいたでしょう。

あの子は、強い子だったから。

"だった"

そう、過去形。

あの子はもう、この世にいない。

相沢祐一さんから聞かされた、あの子の最期。

一弥が生きていないと聞かされた佐祐理の心は、何とか堪えている。

不思議な雰囲気を持ったあの人は、佐祐理に言った。

一弥を忘れるなと。

あれから自分と向き合った佐祐理は、色々な発見をした。

やっぱり佐祐理は、一弥の姉だったのだ。

それでも、真実を聞きたい。

一弥が消えたあの日の真相、その後のあの子の軌跡を。

だからといって佐祐理の罪が無くなるわけじゃないけど……

そういえば、あの日からでしたね。

佐祐理が自分のことを佐祐理と呼ぶようになったのは。

これは、消したくても消せない私の罪。

自分を第三者的な目で捉え、仮面のような笑顔を貼り付けて振る舞う。

まるで、何処かの国が有するという人形そのもの。

それでも、私は人形じゃない。

罪滅ぼしとして、自分を捨て去り、誰かを幸せにしてあげようと思った。

居なくなってしまった一弥と、捨てられた私の分まで。

その対象が、舞。

同じ様な立場だけど、辿ってきた過去は全くの別物。

舞の過去は暗く、哀しい悲劇の連鎖。

それを佐祐理は、舞から聞いた。

自分なんてどうでもいい。

舞のためなら自分がどうなってもいい。

そう思えるほどの親友に佐祐理がしてあげられることは、あまり無い。

もし彼女が佐祐理を頼ってきたら、その時は全力で手伝う、助ける。

佐祐理に出来る事があるのなら、それで舞が幸せになるのなら。

私は喜んで力を貸そう。

そして、舞が幸せになる、なれる方法はもう解ってる。

祐一さんだ。

舞が想いを寄せているのは知っているから、これを応援しない手はない。

ふふ、どうやってくっつけましょうか………










――――天野美汐――――



ユウイチさんが雪の中へと出て行ってから既に一時間程度。

そろそろ雪も酷くなってますし、戻ってきた方がいいとは思うのですが……

あの人に限っては、そんな心配は無駄にしかならないでしょうね。


「あぅ。美汐?どうしたの?」

「ふふ、何でもありませんよ」


対面にいた真琴が話し掛けてくる。

この子は人の心に敏感だ。

人に対して警戒心を持っているのに、常に変わり続ける人の心を読むことに長けている。

少し矛盾しているように思えますが、これでもマシになった方でしょうね。

昔の真琴ならば、心に触れようともしなかったでしょうから。


「…………」

「どうかしましたか?真琴」


そして、変わったのは私も同じですね。

以前の私ならば、他人を気に掛けるなど有り得なかった事。

これも、真琴とユウイチさんのお陰でしょう。


「真琴?」

「……ねぇ、美汐。美汐はユウイチのこと、好き?」

「…?ユウイチさん、ですか?」


好きと言うのは、どういう意味でしょうか?

友人としてなのか、異性としてなのか。

ですが、どちらにしても答えは決まっています。


「美汐、好き?」

「……ええ。好きですよ」

「男の人として見ても?」

「ええ」


人の話を聞かず、強引で図々しいけれど。

あれほど優しく、他人だれかのために必死になれる人も居ないでしょう。

今も誰かのために、その髪を、体を、服を濡らしているに違いありません。


「真琴、私はあの人が好きですよ。

 冷たい外見とは裏腹に、とても温かい心を持っていることを、私は知っています」

「……うん」

「あなたも、その優しさに助けられたのでしょう?」

「…うん」


真琴がユウイチさんについて尋ねた理由。

それは恐らく―――


「あの人の周りに人が集まるのは当然のことなんですよ。

 同性、異性を問わず」

「うん」

「だから、あなたがユウイチさんを独り占めすることは出来ないんです。

 他にも彼を慕う女性が居ますから。解りましたか?」

「……でも」

「真琴、ユウイチさんを独り占めしたいのなら、彼と共に歩く資格を得なさい。

 それだけが、ユウイチさんと二人だけで生きていく方法ですよ」


恐らく、真琴は嫉妬していたんでしょう。

彼と共に訪れたソフィーアさんを。彼の隣に在った彼女を。

静かに私達のやり取りを見守るソフィーアさんを見やり、そんなことを思います。


「美汐、それはどうやったら貰えるの?」

「え?」

「あぅ、ユウイチと一緒に生きる資格……」


真琴の補足で理解しました。

それを教えるために息を吸い、言葉を整理する。


「…それはですね、真琴が頑張ったら貰えますよ。

 それをあげられるのはユウイチさんだけですから、ユウイチさんに対してアピールしましょう」

「あぴーる?」

「ええ。ユウイチさんが真琴無しでは生きられなくなるぐらいに真琴の魅力を伝えるんです。

 そうすれば、彼の方から言ってくれますよ」


分かりましたか?

うん!と勢いよく頷く頭と、それに振り回される亜麻色の髪。

ふと横を見れば、ソフィーアさんが外を見ている。

釣られて見た私は、少し驚いた。

これは、冷え込むわけですね。


「悪化してますね……」

「はい…私の所為、でしょうか……?でも、ユウイチ様なら…特に問題は」

「??」


何故雪が悪化するのが彼女の所為なんでしょうか?

天候は個人が操れるものではないと思いますが……

もし本当にそんなことが出来れば、戦争は一変しますね。


「朝…早起きしたので……」

「は?」


ソフィーアさんが早起きしたら雪が降るんでしょうか?

よく分かりませんね……

といいますか、今心を読まれませんでしたか?

もし、私も彼について行くのなら…

この方との付き合い方を真剣に考えなければならないでしょうね………










――――真琴――――



あぅ。

美汐が首を捻っているのは何でだろう。

このぼけ〜と外を見てるソフィーアがそんなに気になるのかな?

確かにさらさらした銀色の髪とか、ゆったりしたローブを着てても判る大人っぽい体とか。

大人の魅力って言うのかな?それが溢れてるし、色々羨ましいけど……

真琴は真琴が一番気に入ってるから美汐ほどは気にならない。

…そういえば、ソフィーアに訊きたいことがあったんだ!


「ねえ、ソフィーア」

「はい」

「ユウイチと何かあった?」


勿論、何か問題があったのかを訊いているんじゃない。

ユウイチとはその後の進展があったのかを訊いてるんだけど……


「いいえ。……あの人が、手を出すと思いますか?」

「ううん。思わない」


ということはまだ真琴にもチャンスはあるということよね。

でも、真琴に変わったからと言ってユウイチが手を出すとは思えない。

ユウイチは優しいから、女の人に手を出さない。

その好意に気づいていても。

ユウイチは常に他人の問題を抱え込んでいる。

それの所為で自分のことを後回しにしているんだと思う。

だったら、真琴も何か問題を抱えれば、真琴を見てくれるのかな?

あぅ〜……

でも、それはユウイチを心配させるから嫌。

美汐が言ったとおりこれからは一緒に居られるんだし、大丈夫よね。

流石のユウイチも真琴の魅力には勝てないんだから。










振り続ける雪は、今も尚止む気配を見せない。

それでも、ユウイチはそこに居る。

切り株に座り、鈍色の空を見上げていた。

降り止むどころか、先程より悪化しているのが判る。

―――フィアの所為か?

考えて苦笑する。

ソフィーアが原因では、と考えたからではない。

心中でも偽りの名を呼んでいること、それに気付いたからだ。

そう、彼も彼女も、互いに偽名を名乗っている。

彼は、もう一人の父とも言える人物から与えられた名を。

彼女は、彼が考え、与えた名を。

夫婦にも間違えられたことのある二人が、実は偽名を名乗っている。

どこかの御伽噺の様だ、と思った。

いや、御伽噺ですらそんな話はないだろう。

―――なあ、そうだろう?アユ……

うぐぅ……

そんな、困った声が聞こえた気がする。

此処に来る度に思い出す彼女の声と顔、そして姿。

毎年この地にユウイチがやって来るのは、彼女を忘れたくない気持ちと、彼女に謝りたい気持ちがある証。

この切り株に触れて、その気持ちを新たにしているのだ。

生きている間に言いたいことを言えなかった。

それは本当に辛いこと。

だから、毎年この地を訪れ、彼女の想いが残るこの場所で伝えるのだ。

世界の進む方向と、自分が今やろうとしていること。

そして、言えなかった言葉を。

徐に、ユウイチは立ち上がった。

髪と肩に積もった雪を払い、更に悪化した雪の中を歩いていく。

―――済まなかった、アユ………

―――ううん、気にしないで。ボクが悪かったんだよ。

振り返り切り株を見たユウイチは、笑顔で手を振るその少女を幻視した。

再び体を反転させ、雪の向こうを見つめながら歩を進める青年は、微かな笑みを浮かべていた。








「私も連れて行ってはくれませんか?」


ユウイチが社へ戻り、ソフィーア、真琴を伴い出発しようとしたところ、天野美汐がそんなことを言った。

その体に似合わない弓を傍に置いて。

美汐が付いて行こうとしているのは戦場だ。

人と人がぶつかり、命を奪い合い、血の海と屍の山を築くこの世の地獄の一つ。

だが、そんなことを言わなくても美汐なら解っているだろうとユウイチは思う。

だからこその弓なのだろう。

それでも彼は尋ねることにした。

彼女の覚悟を。どれ程になるか判らない、下手をすれば一生帰っては来れないのだから。


「それは、これから待ち受けていることを知っての発言か?」

「はい。ユウイチさんが戦場いくさばへ臨もうとしているのは百も承知です。

それを理解した上で、私はお願いしています」

「…ならば、いい」


自分が死ぬかもしれないということも、理解している。

そう言い切った美汐の覚悟に、ユウイチがこれ以上口を出せるはずも無かった。

ただ、ふと気になったことがある。

なんとなく訊いてみた。


「しかし良いのか?美汐には物見としての、管理者としての役割がある筈。

 それを放棄するような真似を、カノンが許すとは思えないが」

「彼らはこの丘には近付きませんから、私一人が居なくなっても分かりません。

 それに此処には、私ではない、元々の管理者が居ます」

「……そうだったな」


それで納得したのか、ユウイチがそれ以上言うことは無い。

美汐は安堵したのか、柔らかな微笑を浮かべている。


「あぅ。美汐が恋敵……」


そんな言葉を最後に、彼らは部屋を出た。

待っていたのは漆黒の空、そして吹き荒ぶ雪。

それを見ても彼らが躊躇することなど無い。

迷わず縁側へ近付き、地に足を着ける。

既に相当な量の雪が積もってはいるが、歩けなくは無い。

例え歩けなくとも、歩くしかないのだ。

こんな時間にでも出なければ、カノン軍の方が先に到着する可能性が高いのだから。


「真の管理者に、挨拶が要るな」


美汐ではない、もう一人の管理者。

いや、一人という言い方は適当ではない。

何故なら、彼女は人ではないのだ。

彼女に、丘を返すという旨を伝えなければならない。

ましてや、子どもを連れて行くというのなら尚更で。

そうして彼らは、丘の、更に奥へと消えていった。

一行がカノンを去ったのは、これから更に二時間ほど経った後のことである。






to be continued……



あとがき


どうも、紅い蝶です。

再び時間を空けての更新となりました。

その分長くした積もりですが、どうでしょう?

今回はヘヴンの反乱軍とカノンとの間に戦端が開かれる、その前夜のお話です。

ユウイチと再会した少女達の心を書いてみました。必要なかったかもしれませんが。

この中では天野美汐が私を困らせてくれましたね。

一歩間違えれば佐祐理や秋子と同じような口調になってしまうもので。

どれだけ書き直し、他の作家さんや原作を参考にさせて頂いたか……

あ、ちなみに最後の『彼女』に関してですが、会話シーン等はありません。

これ以上だらだらと進むのもアレなので。

ともあれ次の話からONEキャラが登場します。長かった……

それでは、また次の話で会いましょう。