今も雪が降り続いている中で、地面には薄っすらとしか雪が積もっていない。
それを不思議に思いながら、わたしは手綱を握っていた。
一瞬、罠か、という疑念を抱くが、それは有り得ないと首を振る。
反乱軍へは、未だ宣戦布告も行われていないのだ。
フラグメントが敵に回るなど、予想もしていないに違いない。
最低限に開かれた道を行くと、森の中に蒼と黒の何かが浮かび上がるように見えてきた。
その姿は、距離が縮まるにつれてはっきりしていく。
蒼い棒状のそれは、槍だった。
上から下まで真っ黒なそれは、人だった。
それも、わたしが知っている人物。
馬を停止させ、その人物をもういちど確認してみる。
…間違いない。
「祐一………」
「………………」
屋敷で別れたはずの彼が、蒼く美しい大身の槍を携え、漆黒の馬に乗って、わたしを見つめていた。
昨日までとは違う、黒かったはずの瞳を金色に変えて。
代行者
無慈悲な戦場で
「祐一………」
困惑した表情で、舞が俺の名を呼ぶ。
何故、此処に居るのか、と。
だが、敵方と知り合いであるという事実は、舞にとっては芳しくないだろう。
「俺とは初対面のはずだが?」
「っ……!」
驚愕と、少しの悲しみを宿した瞳が揺れている。
恐らくは、雰囲気の変わった自分に、彼女からすれば親友を捨てたとも取れる発言に。
これで良かったのだ。
今の自分達は敵同士。
話をするわけにはいかない、馴れ合うわけにはいかない。
それをしてしまえば、フラグメントでの舞の立場を悪くするだけだ。
舞の幸せを願っているはずの自分の手で、舞が手に入れた場所を壊してやるわけにはいかない。
だから、少しの罪悪感を持って、天槍を彼女に向けた。
「この部隊、カノンのものだろう?ならば、先に行かせるわけにはいかない」
「え……?」
何を言っているのか解らない。
舞の顔にはそう書いてあったが、今此処を通してしまえば、解放軍は大損害を被る。
「……わたし達の、道を阻むつもりですか?」
冷静になり、状況を受け入れ始めた舞の言葉。
「そう言っている」
「……道を開けてください。でなければ、武力行使ということになります」
「ふ……出来るか?娘」
言いながら、槍を構える。
馬上であるため、左手はしっかりと手綱を握り締めながら。
「やってみせましょう」
「舞さま、私達が」
「皆では敵いません。わたしでも、勝てるかどうか……」
代わりを買って出た配下の騎士に言って、舞は馬を進めた。
そのまま腰からグラムを抜き、構えながら突進する。
対するユウイチはその場から動こうとせず、槍と共に待ち構えているだけだった。
キィン
すれ違いざまに仕掛けられた舞の剣を防ぎ、態勢を立て直して間髪容れず突きを繰り出す。
馬を返すと同時にグラムでそれを流すと、すぐさま斬り付ける。
ユウイチもそれを横に受け流し、上方から叩き付けるように槍を振り下ろした。
舞は反射的に剣を引き戻し、辛うじてそれを受け止める。
キチキチと力が拮抗する音がするのに疑問を抱き、その状態のまま現状の把握に努める。
よく見れば、舞は両手で剣を支えている。だからこその拮抗状態なのだろう。
「舞さまぁぁぁぁぁっ!」
背後から叫び声が響き、同時に馬の蹄が地を駆ける音がした。
ギィンと舞の剣を弾いて一度距離を取り、直感に従い槍を振るう。
キィィン
「くうっ!」
不用意に飛び出してきた若い騎士は、剣を弾かれたために一瞬ではあるが動揺する。
その隙を逃さず返す槍で騎士を地面に叩き落す。
「ぐあっ!?」
鈍い音とともに落馬した若者は、打ち所が悪かったのか痛みに悶えている。
その騎士は放っておき、背後から斬りかかろうとしていた舞目掛け、背を向けた状態のまま槍を突き出した。
「えっ!?」
驚きの声を上げた彼女に関わらず、槍はその勢いのままに彼女を捉えた。
ドンッ
「あぐっ!?」
騎士の二の舞とでも言うように、彼女もまた鈍い音とともに落馬する。
穂先ではなく柄の部分で打ったため死にはしないが、それなりの痛みがあるはずだ。
「さて、これで終わりか?」
言って見渡す。
気付けば全員が剣を抜き、戦闘態勢にあった。
「……いいだろう。俺を殺してみろ」
「う、おぉぉぉぉぉぉ」
それは、圧倒的だった。
何十もの人間がユウイチ目指して突撃してくる中で、彼は向かってくる騎士達を片っ端から倒していた。
槍のみを手にして、攻撃を躱し、流し、捌く。
馬上にあるとは思えない動きで敵を殺し、また落とす
五百を数える川澄隊が、たった一人を相手に苦戦を強いられていた。
その理由は勿論、地の利に因るところが大きい。
この森の中では、舞が選んだ五百人という数でさえ多すぎるぐらいなのだ。
その点では、舞はヘヴンの森を見誤ったと言うべきだろう。
そして、こうなるに至った原因はもう一つあった。
即ち、ユウイチの存在。
確かに、彼は強い。
舞も、ユウイチと義範が互角に戦うところを見ていた。
だが、どこの国に部隊一つを足止めできるような人間がいるだろう。
それをこの男は、平然とした顔で実行しているのだ。
ユウイチは、自分には何の才能も無いと自覚している。
たった一つ、槍の扱いに関する才を除いては。
何も取り柄が無いと思っている彼が、唯一自信を持っているもの。
それが槍である。
「これだけ数を揃えておきながら、人一人殺せないか……」
体を血に染め、一人大地に立つユウイチは、無表情のまま。
彼の演武を眺めるしかなかった騎士の一人が、悪魔だ……、と呟いても、何の反応も示さない。
この時点で、既に十数人が戦死、更に十数名は負傷。
残った騎士達は、ユウイチの足元に転がる仲間たちを見て恐れが生じ、攻撃に踏み出せないでいる。
「まだ……」
「舞さまっ!!」
漸く回復した舞が再び馬に乗り、剣を向けている。
部下が止めるのも聞かずに。
「ふっ。やはり、お前だけか」
「……うん。この部隊の中じゃ、わたしが、一番強いからね」
戦いの中で、彼女は気付いていた。
最初にユウイチが言った冷たい言葉は、自分のことを考えてくれた結果なのだと。
やっぱり親友を語るのならこれぐらい通じ合えてないと、等と考えていたりするのだが。
とにかく、彼の気遣いは嬉しいが、それでも舞は、ユウイチの親友でいたかった。
だから、無理して使っていた丁寧語も、捨て去った。
「それに、直に祐一の方が危なくなる」
「…その根拠は?」
そうは言いながらも、ユウイチはこれから何かが起きるだろう事を確信していた。
さっきから痛いほどに感じる嫌な予感。
ユウイチは今まで、常にこの直感を信じて生きてきた。
彼の生涯の中で、それが間違いであったことは無い。
故に、何か良くないことが起こるのだと解っていた。
「だって」
舞が言ったその直後、影が辺りを覆い尽くした。
そして、それは直ぐに消えていく。
まるで、高速で空を移動する生き物でもいたかのように。
ユウイチは、その生き物に心当たりがあった。
「竜か……」
「そう、北川潤が率いる第四騎士団。
彼らは今、反乱軍に向かってる」
「…………」
静かに舞の言葉を聞くユウイチは、それを聞いても無表情を崩すことは無かった。
ただ、金の双眸で舞を見つめているだけ。
「いいの?仲間が危ないよ?」
「問題は無い。この程度のことで全滅するというのなら、それがアイツ等の運命だったのだろう。
自分を生かせない人間に、この先誰かを救うことなど出来はしない」
「冷たいね……でも、それは仲間のことを信頼している証なんだよね?」
「……何故そう思う?」
「祐一のことだからね。分かるよ」
言って微笑む彼女は、とても美しいと思う。
だからといって、此処を譲る気など毛頭無いが。
「やっぱり、通してはくれないんだね」
「無論だ」
「もう、全滅してるかもしれないよ?」
「死人を護る気は無い」
「そっか」
「そろそろ力も戻っただろう?……第二幕だ」
「気付かれてた?やっぱり油断できないね」
そして、二人は馬を走らせた。
アトリーズとバーレイグが合流した本隊は、相変わらずゆっくりと後退していた。
もう少し速度を上げないと追い付かれる危険があるというのは、浩平も理解している。
しかし、このヘヴンの地を、この数で進むには限界があることもまた理解していた。
何時カノン軍が現われるか。
見えない恐怖と戦う仲間たちは、今は兵として戦っているものの、元は普通の民でしかない。
簡単に恐怖を抑えることは出来ず、そのために速度が鈍ってしまうのも仕方が無かった。
後続はしっかり付いてきているか。
それが気になって、浩平は馬上で振り返った。
しっかりと、付いてきている。
ほっと一息吐いたとき、空に影があった。
未だに雪を降らせている元凶かと思ったが、違う。
目を凝らしてよく見てみると、それは動いていた。
手があった。足があった。翼があった。
そして、人を乗せていた。
空を飛ぶ生き物。心当たりがある。
浩平ははっとして、傍に居たアトリーズを見た。
こくりと頷く彼に頷き返し、自分は声を張り上げる。
「速度を上げろおぉぉぉぉっ!!カノンだあぁぁぁぁっ!!」
「!!!!!」
まさか、空から来るとは思っていなかった。
自分は知っていたはずだ。
あの国には竜がいると。
―――常に最悪を想定し、行動するよう心掛けておけ。
ユウイチの言葉を忘れたのか?
いや、例え覚えていたとしても、実戦で生かせなければ意味が無い。
これは、完全に自分の落ち度だ。
ぎりっと。
歯を食い縛る音が聞こえた。
「浩平様。後悔するより先にやら無ければならないことがあるでしょう?」
「っ!?……そう、だな」
傍に居たアトリーズが、諭すように静かに言った。
そう、今の自分は解放軍盟主の立場に在る。
一弥の命令に従って動いていればよかったあの頃とは違う。
俺が、皆を護り導いていかないといけないのだ。
考えている間に、竜はどんどん近付いてくる。
むしろ、攻撃される前に気付けたのだ。何という幸運かと感謝しようじゃないか。
こういう時に大切なのは、冷静な心!
「アトリーズ、詩子を呼び戻せ。
空を攻撃できるのはアイツの部隊だけだ。
志貴、居るんだろ!皆を護ってやってくれ!!
バーレイグ、皆に伝えろ。後退を急げと」
「しかし、それじゃあ……」
「多少混乱が起きても構わない!こうなった以上、なるべく早く伝える必要がある!!」
「了解っす!」
怒鳴るように言うと、バーレイグは駆けていった。
詩子のことはアトリーズに任せたから大丈夫だろう。
後は……
「浩平」
「何だ、志貴!」
何故か笑みを貼り付けた志貴が、こっちを見ている。
この忙しい時に!!
「一つ、良いことを教えてやる」
「早く言え!時間が無い!!」
「槍の雨に気を付けろ」
「??」
言って、志貴は離れていった。
俺が言ったとおり、皆を護ってくれるのだろう。
そんなことよりも、気になるのは志貴の言葉。
槍の、雨?
当然、そんな天候は存在しない。
俺が昔読み漁った文献や書物にも、そんな記述は一切無かった。
つまり、今から、何かが起こる?
俺は、改めて空を見上げた。
もう間近に迫った竜騎士達は、手に槍を1本、背中にもう1本を背負っている。
……2本!?
やばい!!
俺は、迫り来る竜達から視線を放さないまま、出来る限りの力で叫んだ。
「みんな逃げろおぉぉぉぉぉぉ!!」
しかし無常にも、騎士達は、手に持つそれを、大地を逃げ回る俺達目掛けて投げつけた。
ドドドドッ
「うわっ!!」
浩平は、自身にも飛んできたそれを辛うじて躱しながら、再び空を見上げた。
上空で一度動きを止めた彼らは、先頭の金髪の男の合図で、一斉に背中の槍を抜き、構える。
浩平は、その意図をすぐさま察し、声を張り上げる。
「来るぞっ!皆、備えろっ!!」
先頭の男が槍を振り上げ、解放軍に向けて振り下ろした。
停止していた竜騎士達が、槍を片手に突っ込んでくる。
「折原浩平だな!その首貰った!!」
言いながら突撃してくる先程の男を視界に捉え、浩平も聖剣を抜いた。
「俺はまだ死ぬわけにいかないんだよっ!」
突進の勢いが上乗せされた突きを躱すも、馬上であったためにバランスを崩す。
それを計算していたかのように、反転した男は再び落馬した浩平目掛けて向かってきた。
浩平もそれを予測していたのか、受け身をとり素早く立ち上がる。
低空で突撃してくる男の槍を紙一重で避けつつ剣を振るう。
身の丈より少々短い程度のロングソードは、男の体にこそ触れなかったが、竜の翼を掠めていった。
「くっ」
声を上げた男はしかし、それでも浩平目指して反転する。
これを繰り返されては堪らないなと考える浩平の耳に、聞き慣れた声が飛び込んできた。
「浩平君、避けてっ!」
言い終わらぬうちに矢を番え、放つ詩子。
それを合図と言わんばかりに、彼女の後ろにいる仲間達も次々と矢を放つ。
浩平がアトリーズを使いにやってから、それほど経ってはいない。
徒歩ならば、この短時間で間に合わせるのは不可能だろう。
そう、柚木詩子率いる弓隊は、徒歩ではなかった。
彼女達は、馬を自らの足として操る。
馬上から、しかも動く敵を射止めるなど、到底出来ることではない。
実際にそれを成し得るには、相当の訓練と技量を必要とする。
そのため、この弓隊は、詩子を含めても百名足らずの小隊でしかない。
しかし、数は少なくとも余りある機動力がその欠点を補っている。
従来の常識を覆したこの部隊は、倉田一弥の提案によって創設された。
彼が騎馬弓隊と名付けた型破りのこの編制は、今や解放軍には無くてはならない存在となっている。
閑話休題
「詩子か、助かった!!
援軍だぞっ!!これ以上の攻撃を許すなっ!!」
気の利いたことは言えないが、援軍という言葉を口にするだけでもかなり違う。
少ない経験の中でそれを知っていた浩平は、周囲の人間を鼓舞し始める。
結果として、奇襲という任務に失敗した竜騎士達は撤退を始めた。
奇襲は、成功してこそ意味がある。これ以上戦いを引き延ばせば、解放軍が押し勝つのも時間の問題だろう。
彼らが撤退したのは道理であり、当然のことであった。
名乗ることも無く去っていった騎士達を追うことも無く、解放軍は撤退を再会した。
攻撃によって散った同胞の亡骸を回収した後で。
「はぁ、はぁ、はぁ」
何十回打ち合っても、彼には勝てそうも無い。
もしわたしが使っている剣がグラムでなければ、とっくに折れているだろうというぐらい打ち合った。
なのに、彼は疲労を全く感じさせない無表情のまま、変わらずそこにいた。
戦場において、一人の人間とこれだけ打ち合うのは、滅多に無い。
正直言って、何故わたしは祐一と戦っているのか、戦わなければならないのか、未だに分からない。
心で何度何故を繰り返しても、その答えは出なかった。
「終わりか?」
ココは戦場で、今はお互い敵同士だから?
―――割り切れるわけないよそんなの!
心の中で愚痴をこぼしながら、目前の祐一を見据える。
蒼い槍を携えたまま、彼は微動だにしない。
腰の刀には一切手を触れない、抜こうという意思すら見えない。
そのことにも疑問を抱きかけるものの、今のわたしは祐一の敵。
これ以上余計な雑念を持っていては、確実に負ける。
お互いに仕掛けることの無いまま、時間だけが過ぎていく。
―――別ルートに切り替える?
痺れを切らしたわたしが考えた時、不意に空を駆けるものがあった。
それは、反乱軍を攻撃していたはずの竜騎士軍団。
何故と考えたわたしが答えを出すのに、五秒と掛からなかった。
―――失敗した!?
カノンで、いや、フラグメントを含めても最強の一角に数えられる竜たちが、持ち堪えられなかった!?
あと少し、もう少しだけでも維持できていれば、本隊が到着していただろう。
考えられる原因は一つ。
わたし達が、間に合わなかったから。
無事に反乱軍へと追い付いていれば、北川君たちと共に戦うことが出来た。
それなら、本隊が来るまで持ち堪える等と悠長なことを言わずに、
自分たちだけで反乱軍を壊滅に追い込む自信さえあった。
でも、現実にはたった一人の青年に道を阻まれ、今も突破することが出来ない。
わたし達を欠いたまま戦わざるを得なかった仲間たちは、数の上では圧倒的に負けている。
結果、彼らは敗北し、撤退にまで追い込まれた。
「問題は無い、と言ったろう?」
同じ様に空を見上げる祐一が、不敵に微笑んだ。
それにドキッとしながら、わたしも答える。
「そうだね……甘く見てた」
「……退け」
「うん。わたしも、それが最善だと思う」
言って馬を返し、そのまま来た道を戻る。
突然の反転にも、仲間達は問題無く付いてくる。
祐一は、追って来なかった。
人の命が失われる。
それは、何度見ても慣れるものではなかった。
―――慣れないと、いけない。
だが、そんなことが出来るのか?
人は、順応性の高い生き物だ。どんな環境でも、すぐに慣れる。
実際、俺も自分の立場に慣れてきている。
率いられる立場から、皆を率いる立場へ。
一弥の後継者として指名されたときはどうなるかと思ったが、案外なんとかなるものだ。
今までの政策や戦略、戦術が最善のものだったのかは別として。
けど、戦争、人と人が殺し合う戦場の光景だけは、いつまで経っても慣れることが出来ない。
今の戦闘にしてもそうだ。
壮絶な光景だった。
放たれた手槍に貫かれ、絶命していた人々。
その身を地面に縫い付けられながらも、まだ命のある人々。
己の身体に刺さった槍を引き抜こうと、多量の血を流しながら必死にもがいていた。
傍目から見れば、それは助かる筈の無い致命傷だと理解できた。
言葉に表すことの出来ないナニカを、俺は感じた。
それは、今まで敵として戦った人々も同じだったろう。
国のため、大切な人のため、自分のため。
それぞれ戦う理由を胸に、殺し合った。
結果、生きて帰ることの出来なかった人間はたくさんいただろう。
そのことに、どれだけの人間が怒り、悲しみ、そして世を呪ったのだろう。
俺は、あと何回、あの凄惨な光景を目にしなければならない?
あと何度戦えば、戦争は無くなる?
あと何人殺せばいいんだ……
「浩平様!ヘヴン王都の方に煙が!!」
なぁ、祐一。平和って、何なんだ?
「な!?君たちが、敗れた……?」
「はい………」
全速で撤退していたわたし達の部隊は、
偶然進軍してきていた本隊と合流することが出来た。
事態を察した倉田公爵は、その場で全軍に撤退命令を出し、カノンに引き返した。
そしてヘヴンとフラグメントの国境を越え、一先ず安全を確保したところで陣を張り、
一度休息を取ることになったのだ。
わたしは今、公爵がいる本陣で、先の戦いの報告をしていた。
事前に人払いをしてもらったため、わたし達以外は誰もいない。
「公爵様、わたしは……」
「いや、君たちが失敗したのなら、誰にも出来はしなかっただろう。
あまり自分を責めるな」
「……はい」
「しかし、世界は広いな。たった一人で部隊一つを足止めするなど、今まで聞いたことが無い。
川澄君、どのような人物だったのだ?」
「…公爵様もご存知の方ですよ」
言われて、義範は軽く思案する。
私も知っている?
その言い方はつまり、彼女も知っている人物ということだろう。
私と、川澄君が知る、共通の人物。
脳裏に浮かぶのは、先日自分の屋敷を訪れた彼、相沢祐一君。
まさか、と思った。しかし、彼以外に心当たりは無い。
「祐一君……」
「そうです。先日別れたばかりの彼が、槍を片手に立ち塞がっていました」
「待て。槍?彼は、一弥の刀を使ってはいないのかい?」
「はい、この世のモノとは思えない美しい槍でした。
刀は腰にありましたが、結局一度も抜かず……」
状況に適した得物を選んだということか?
刀は馬上で用いるには少々短く、些か不利ではある。
しかし、だとすると彼は、刀だけでなく、槍をも扱えるのか?
それも、一部隊に損害を与えられるほどの実力………
「祐一君は、どれ程の実力だったんだい?」
「見当も付きません。少なくとも、わたしは足元にも及びませんでした」
信じられない。
今、目の前にいる少女も、伊達に伯爵位を名乗っているわけではないのだ。
17歳の、まだ子どもと言える年ではあるが、それなりの実力を持っている。
いや、カノンでも屈指の実力者と言える程の力が、彼女には有るのだ。
そんな少女であるから、当然、彼我の実力を見極めることも出来る。
その川澄君をして、足元にも及ばないと言わしめる彼。
「底が知れないな、彼は……」
「はい……」
味方に被害が出ているというのに、不謹慎にも嬉しくなってしまう。
力を備えているだけでなく、彼は人柄もいい。それは、既に確認済みだ。
一弥は生前、それだけの人物に出会い、師事していたのだ。
そして、彼は佐祐理にも影響を与えている。勿論良い意味で。
娘たちは、良い人物に出会えた。それが嬉しい。
「失礼します!!」
「何だ!しばらく入るなと―――」
「も、申し訳有りません、しかし……」
「……すまない。報告は?」
「は、はい。報告します。現在、帝国軍がカノンヘ迫っているとのこと。
急ぎ帰還し、これを迎撃せよ、と」
川澄君が息を呑むのが分かる。
かく言う私も、傍から見れば呆然とした顔をしていたに違いない。
帝国の裏切りは、それだけの衝撃を伴って身体に染み込んできた。
カノンの周囲に、砦や町のような、防衛拠点となるような地は一切無い。
そのため、攻め込まれた場合はそこが最前線と化す。
だからこそ、北川君の第四騎士団や、石橋君の第五騎士団が常駐しているのだ。
―――くっ、こんなことなら一気に帰還するべきだった!!
いや、嘆いても遅い。
今はただ、全速力で帰還するのみ!!
彼以外に、誰も居なくなった街道。
それを確認してから、ユウイチは木陰へと声を掛けた。
「フィア」
「ここに。………お怪我は?」
「無い。それより、この地点での足止めは完遂した。戻るぞ」
「はい」
隠れていたソフィーアを呼び戻す。
馬へと乗せてやるため、ユウイチは彼女に手を差し出した。
片手にあった槍は何時の間にか消え、彼の瞳も、いつもの漆黒へと戻っている。
それに疑問を持つことなく馬へ乗ったソフィーアを確認すると、
彼は手綱を握り締め、雲の切れ間から射す陽光の中へ、ヴェーダを走らせた。
to be continued……
あとがき
どうも、紅い蝶です。
今回の話は、折原浩平率いる解放軍と、カノンの先発隊である舞、北川との戦闘を書きました。
北川に関しては殆ど名前が出てきませんが、戦闘にはしっかり出てますので、気に掛けてやってください。
今回遂に集団戦を書いたわけですが、どうでしょうか?
一章分で終わってしまう短い戦いなので、戦記物としては、やや迫力に欠けるかもしれませんね。
しかも、集団戦というより幾つかの個人戦を並べただけのような気がしたり。
この辺りも話の流れとしては必要なものですが、
やはり戦記物を謳うのならもっとしっかりしたものを書きたいですね。
これは今後の課題とも言えるかもしれません。
今度の集団戦では更に努力しますので、温かく見守ってやってください。
それでは。