ヘヴンでの戦いが終結した直後、こちらカノンでは、未だに戦いが続いていた。

カノンが落ちるようなことがあれば、フラグメント王都であるキーに剣を突きつけられる格好となる。

それだけは避けなければならない。カノンを落とさせてはならない。

そう考えるのは、第五騎士団『降雪』団長、石橋良人だけではなかった。

在籍する全ての団員が同じことを考え、『降雪』では数少ない女性騎士、美坂香里もまた例外ではなかった。

理由は少々異なるものの、目的が同じなら問題は無い。

大切な人が居る。このカノンに。

必ず守り通さなければならない大切な人が。

生きて帰って、笑顔でただいまと言ってあげなければならない。

彼女には、負けられない理由がある。






代行者

カノンにて








敵はただの傭兵であり、数もそれほど多くはない。

そのような状況で何故彼らが苦戦しているのか。

理由は簡単で、敵の中に魔道士がいるのだ。

50人程度の傭兵の半分を占める彼らにより、騎士団はまともに戦うことも出来ないでいた。

純粋に正面からの戦いであれば、騎士である彼らが遅れをとるはずも無い。

両側を魔道士に挟まれ、正面の傭兵に攻撃を掛けられる。

反撃するものの、敵の剣をかわしながら魔道すらも避けるのは不可能に近い。

事実、避けきれずに倒れる騎士が増えてきている。

103人いたはずの騎士団は、その数を90へと減らしていた。

それでも、彼らはチャンスが来るのを待つしかなかった。

敵とて、いつまでも体力やマナが保つはずはない。

それらが切れるのを待って、一気に反撃に出る。

石橋の無言の命令は、今や騎士全員が理解していた。

問題は、どこまでその命令を全うできるかということ。

こちらとて、いつまでも無事でいられるという保障は無い。

―――いつまで持つかしらね………!

倒れた騎士を横目に、香里は思った。

彼女が騎士団に在籍するようになってからまだ一年と少し。

その間に戦闘は一度も無かったため、これが初陣である。

訓練や書物等から得られる知識で彼女は知っていた。

剣で斬られれば血は流れるし、傷が深ければ人は死ぬ。


「炎よ、我が敵をその灼熱にて身罷らせ給え」


詠唱だと判断するより早く、香里は前に飛び込んだ。

視界の端を過ぎった火球が、直前まで立っていたところを通り過ぎるのを見て、冷や汗が流れるのを感じた。

戦闘が開始してよりずっと、頭で考える前に体が動いている。

彼女が今まで生きていられたのもこれのおかげで、訓練の成果が出ているということだろう。

不用意に近付きすぎた魔道士を斬り捨てながら、密かに感謝した。

それを隙と見たのか、斬りかかって来た剣士に即座に対応して、自らの剣で受け止める。

キィンと甲高い音を響かせて受け止めたのを確認しながら、そのまま鍔迫り合いに持っていく。

他の傭兵に背中を晒す形になるが、そこは他の騎士が対応してくれるはずだと言い聞かせた。

お互いに一歩も引かず、全力で力をぶつけたまま時間が流れる。

女である自分が、男の剣士と互角に渡り合っているのは不思議だった。

突然香里は剣を引きながら背後へ跳び、敵は込めていた力、勢いのままにつんのめる。

それを逃さず、香里はすぐさま肉薄して蹴り倒した。

倒れた敵に跨り、胸目掛けて剣を突き立てる。

絶命したのを確認して引き抜くと血飛沫が舞い、香里の顔を赤く染めていく。

地面に接している背中からも流れ出し、雪を侵食していた。

立ち上がり、香里は呆然と剣を眺める。

これこそが、訓練などでは決して理解できないこと、人の死。

彼女が剣を振るたびに血は重なり、確実に罪は重くなっていく。

一合二合と剣を交えている時は、ある種の興奮状態にあるのか、何も考えられなかった。

そして、誰かを殺してから人の死を実感するのだ。

香里はそれを、恐ろしいと思った。

つまり、殺される前に殺さなければ、死ぬのは自分である。

これが戦場のたった一つの真実。

物語のような美しいものでは断じてない。

それでも、人は慣れていく生き物だ。

事実、石橋も初めて人を斬った時は震えた。

自分が愛用する斧を血で濡らして戦いを終えた時、不意に恐ろしくなった。

詰め所では中々眠ることが出来ず、最終的には吐いてしまったものだ。

真っ赤に染まった軽めの甲冑と剣を見つめる香里こそ、あの時の石橋に他ならない。

かといって、戦場での油断は禁物である。

彼女を殺めんと突進してくる男達は、香里が気付くのを待ってはくれないのだから。

大柄な体に似合わず、機敏な動きで石橋も香里へと近付き、群れる彼らを一撃で薙ぎ払った。


「あ……団長……」

「お前の気持ちも解るがな、今は集中しろ。でなければ死ぬのはお前だ」

「………はい」


呆然としていた香里は、いくらかマシになったらしい。

戦闘前と同じ目になっていた。

知的で冷静な、美坂香里の目付きへと。


「団長、あとどれぐらい待てば?」

「判らん。俺は予言者じゃないしな」

「竜や川澄伯爵が居ればこんな――」

「言うな。俺達とて騎士だ。いない人間に頼るわけにはいかん」


他に言うべき言葉を持たない彼は、ただ目の前の敵に集中した。

未だに止まない魔道士達の苛烈な攻撃が、目下のところ最大の障害である。

しかし、始まってから十分、いや二十分は経過している。

並の魔道士ならマナが切れて倒れているところだ。

つまり、彼らは並ではないということになるが、全員が全員というのも珍しい話だと香里は思った。

魔道は誰でも学べるが、辿り着ける場所は個々の才能に因る。

その才能の一つに分類されるのが、体内に貯蓄できるマナの量である。

これは予め決まっており、しかも先天的なものなので、どうやっても増やすことは出来ない。

無くなれば、休んで回復を待つ必要がある。

それがどうだ。

ローブで顔を隠して攻撃を放つ彼らは、一度も休んではいない。

才能に愛された、一流の魔道士であるとしか思えなかった。

それだけ帝国はカノン、延いてはフラグメントを滅ぼしたがっているということだろう。

その時だった。

突然地面に影ができ、続いて風が吹いた。

空を見上げると、カノンの人間にとって見慣れた竜達が、北川を先頭に滞空している。

瞬間、香里は勝利を確信した。


「団長!!」

「あ、ああ! お前ら、援軍だ! 畳み掛けるぞ!!」


よっしゃ! という声が響き、彼らは自分にもっとも近い敵に向かって駆けた。

同時に竜達が動き、瞬く間に魔道士は駆逐されていった。

突然の出来事に対応できず、得意の魔道を放つことも出来ぬまま。

香里は心底、彼らが味方で良かったと思うのだった。









報告は俺がやっとくからもういいぞ。帰って休め。

報告書の書き方を覚えているのか疑問ではあったものの、団長のお言葉に甘えて帰らせてもらった。

詰め所ではなく、自分の本来の家へ。

今日は栞の検査の日であり、いつものあたしなら見舞いがてら、そのまま一緒に帰ってきていただろう。

でも今日は、妹のあの笑顔を正視できる自信がない。

穢れの無いあの微笑みを、まともに見られる気がしない。

自分の手に付いたを見透かされているような気分になるから。

いや、彼女が真っ先に浮かべるのは、恐怖の表情だろう。

今のあたしの格好を見れば、栞でなくとも誰もが同じ反応をするのは明白だった。

身に付けた、本来純白であるはずの甲冑は一部を残して赤。

顔も返り血が付いていたため、先程拭ったばかりだ。

自分でも、実家にいる方が異常だと思う格好をしている。

いかにも戦場から戻ってきたばかりというこの姿は、詰め所の方が合っている。

ブーツも脱がずに立ち尽くしているのは、血の匂いを家に持ち込みたくなかったからだ。

どうしても自室に入る決心が付かなかった。

だからだろう。

くるりと踵を返し、詰め所へ向かおうとしたのは。

直後、あたしは自分の判断の遅さを呪った。

呆然とした表情を浮かべ、立ち尽くす栞の姿がそこにあった。

家を汚したくなかったとか、彼女の笑顔を見るのが辛かったとか、そんなのは建て前に過ぎない。

そんなことより何より、妹に自分のこんな姿を見せたくなかったというのに。









翌日。

第四騎士団団長の北川と、第五騎士団団長の石橋、更に川澄伯爵の三人は、正装の姿で倉田家の書斎に居た。

倉田義範は、ここを城でいう謁見の間と同じように扱う。

そして、各種報告はここで聞き、それらに対する命令や方針もここで指示している。

屋敷の主である義範は、彼ら三人を見回して言った。


「今回の帝国の襲撃だが、同日ヘヴンでも同じようなことがあったそうだ」

「えっ!? ヘヴンもですか!?」


実際に先鋒として侵攻していた舞が逸早く反応する。

続いて、北川が口を開いた。


「つまり、俺達と交戦していた時、ヘヴンは帝国とも戦っていたということですか?」

「いや。正確には君達が撤退する直前にワンの襲撃があったということだ。

 そのおかげで間に合ったのだろう。直接王都を襲撃された為に大きな被害を被ったが、

 もう少し襲撃が早ければ王都は陥落していたに違いない。現在は戦いの後始末に動いているそうだ」

「それは確かですか?」

「うむ。確実な情報だよ」


石橋は顎に手を当て、何かを考え始めた。

彼が何を考えているのか気になったが、舞にとっては自分の疑問の方が重要だった。

それを解消しようと遠慮なく尋ねてみる。


「帝国は、ヘヴンの兵が私達と戦うことを知っていたのでしょうか?」

「そうだろうな。でなければ、二国同時侵攻などしないさ」

「ということは、カノンに敵と通じている者が………」

「推測の域を出ないがな。ヘヴンにも間者が紛れ込んでいた可能性があるという報告を受けている。

 城門が開かれ、敵を招き入れたのを見たというから間違いないだろうな」


舞は驚いた。

それが事実なら、帝国は初めから二国を攻め取るつもりだったということになる。

帝国の属国であるはずのヘヴンが解放軍によって落ちたのもこれで納得できた。

そして、フラグメントの降伏も表面的には了解したが、心から受け入れた訳ではなかったのだろう。


「しかし、それなら一つ疑問があります」


時折質問を挟みながら話を聞いていた石橋が、再び義範を見た。


「何だ?」

「それほどまでの準備を整えておきながら、ワンには詰めの甘い点がある。

 カノンにしてもヘヴンにしても、襲撃が少々遅くはありませんか?

 もっと早ければ、確実にここもヘヴンも落ちていたはずです」

「そう、それだ。

 何時間者を送り込んだのかはともかく、用意周到でありながら詰めを誤る。

 報告が遅れたのか、たんにタイミングが悪かったのか………」

「はい。ヘヴンが落ちたのは昨年の初夏の頃ですが、フラグメントの降伏は数年も前のこと。

 その頃から入念な準備をするほど慎重であり、最後の最後でミスをすると軽率でもある。

 これは偶然でしょうか?」


舞と北川は困惑した。

石橋の話を聞いていると、それが偶然ではなく、意図的に行われているように思える。

しかし、そんなことをして何の意味があるのだろうか。

敵を増やすだけだとしか考えられない。


「石橋さん、ワンは何を考えているのでしょう?」

「それは俺にも解りませんよ、川澄伯爵。

 しかし、このままでは再び攻め込まれるのは明白。

 あちらさんの思惑などは二の次だ」

「その通りだ。いくらカノンでも、帝国相手にいつまでも持ち堪えられるとは思えない」

「………確かに。いつか抜かれる時が来るでしょうね」


舞が頷き、北川も苦々しそうな顔で頷いた。

カノンの兵が質の良いものだとすれば、帝国の兵は数と質の軍である。

それが解っているからこそ、久瀬王は降伏せざるを得なかった。


「では、川澄伯。どうすれば帝国と対等に渡り合えると思う?」

「……同盟、ですか」


少し考え、舞は言った。

その隣の北川と石橋も同じ結論に達したのか、異なる案を出す者はいない。

そんな帝国と戦おうとするのなら、カノンだけでは戦力不足である。

なら、数を味方に付ければいい。


「それで、同盟を結ぶ相手は?」

「私達と、つまりカノンと同じ、帝国に攻められやすく、しかもその恐ろしさを充分に知る国が望ましい。

 解放軍を率いて帝国に抗う国、ヘヴン。

 この国を置いて他には無いと私は考えているのだが、皆はどう思う?」

「私もそう思います。問題は……」

「ですね。俺達が攻めた直後だ。受けてくれるかどうか」

「解らんな。まずはやってみるべきだ」

「石橋さん、んな身も蓋も無い……」


呆れた北川が声を掛けるが、これこそ彼らしい。

彼の言う通り、まずはやってみるしかないと北川も思う。

その後のことはそれから考えよう。

そういうことで、この場に居る人間は納得した。


「良いんですかねぇ、こんな調子で……」

「わたしもそう思う……」








川澄家。

ちょっとした会議が終わり、わたしは自室に居た。

母さんと同じで侍女は使わないため、部屋には誰もいない。

正装をベッドに脱ぎ捨て、いつもの服に着替える。

夕食までは多少の時間があった。


「ちょっと休もう………」


祐一に言われたことを守ることにして、ベッドに腰を下ろす。

足を見つめながら、一つ息を吐いた。


「舞、疲れてるんでしょ?」

「うん………」


また勝手に出てきたまいが言った。

項垂れているから足しか見えないけど、心配してくれているのは判る。


「祐一がいるなんて思わなかった………」

「ええ」

「まさか、戦うことになるなんて………」

「…………」


しかも、強かった。

わたしだって毎日鍛えている。

佐祐理と特訓したり、母さんに指導してもらったり。

長く生きてきたわけじゃないけど、何度か戦場にも出ている。

それなりに自信もあったのに、全く通じなかった。


「何人も殺された………」

「ええ。下手をすれば、舞だって殺されていたかもしれない」


相手は一人。たった一人。

なのに、十四名もの部下を殺され、それを上回る十八名を負傷させられた。


「あの槍が、祐一の本当の武具なんでしょうね」

「うん。刀は一弥の形見だから持っているだけ。

 祐一の本来の得物は槍。それも、かなりの使い手だよ。

 剣を交えたわたしだから解る」

「舞では勝てない?」

「間違いなく。きっと、何回っても勝てない」


はぁ。

何かと思ったら、自分の溜息だったらしい。


「戦争に犠牲者は付き物よ。誰も死なない戦いなんて有り得ないわ」

「うん………。でも今回は、人が死に過ぎた………。

 完全にわたしの負け……………」


全てはわたしの判断ミスだったのだろう。

戦わずに、時間を掛けてでも迂回すべきだったのだ。

一度打ち合った時点で、相手の実力は解っていたのに。

早く行かなければと焦りすぎた。


「舞、そろそろ夕食の時間よ」

「……もう、そんな時間、か」


柱時計を見ると、今が良い時間だということを指している。

でも、行きたくない。母さんがいるから。

戦いの前日、わたしにアドバイスしてくれた。

それらを守れたかどうかは結果を見れば判る。

当然、母さんの耳にも入っているはず。

合わせる顔が無かった。


「何て言えばいいんだろう………」

「わたしたちの母親よ? 叱ってくれるわ。とても怒った顔でね。

 絶望して、舞を見捨てたりなんかしないわ」

「……そうかな」


まいは、しっかりとわたしの不安を見抜いている。

怒られるならいい。大声で怒鳴られたり、叩かれたりしても、怖いけど耐えられる。

一番の不安は、母さんを失望させること。

舞になんか任せるんじゃなかったと言って、母さんを失望させること。


「大丈夫よ。安心しなさい。あの人は優しいわ」


なでなで。

まいに頭を撫でられるのは恥ずかしいけど、でも温かい。

小さな手から齎される安心感も、結構気に入っていたりもする。

そして現金なことに、きっと大丈夫だろうと希望を抱き始めるのだ。

根拠はまい。あと母さん。

母さんが思いっきり叱った後に微笑んでくれることを、わたしは知っている。











to be continued……



あとがき


どうも、紅い蝶です。

今回の話は、ヘヴンの戦いが決着した直後のカノンからです。

初めは十三章に入れようと思っていたのですが、こちらの方が区切りが良いと思い、

外伝という形で書くことにしました。

この話で美坂香里が登場し、さらに石橋先生もまさかの出演を果たしています。

香里は栞とは原作と同様姉妹という設定ですが、病気は既に完治に向かっている状況であり、

それほど複雑な関係ではありません。

ただ、自分が誰かを傷付けているということから、

命の脆さや人間の弱さなどを良く知る栞に対し、罪悪感にも似た想いを持っているというオリジナル設定があります。

栞についてですが、代行者では脇役的な位置に居るというのは否めないかもしれません。

それでも、彼女には香里の日常を象徴する大切な存在として活躍してもらいますので、

そういう意味ではかなり重要な位置にあるのは間違いありません。

そして石橋についてですが、彼についてお話しすることはございません!!(ぇ

それでは。