咽かえる様な臭いの中で俺は目覚めた。

 傍らには、体中から雄と雌の体液をこびり付かせたレンの姿がある。

 今は静かに眠っている様だ。

 その姿を見て俺は自己嫌悪する。昨夜のことを、自分の行為を。


「平和な日常…………か。

 ふっ、あれだけの人間が死んでたった50年か。なんて馬鹿馬鹿しい。

 いっそ、やめれば楽になるんだろうが。あいつへの想いが…………それを許さない」


 誰に聞かせるわけでもなく。俺は一人独白する。

 さぁ、思考を切り替えよう。悩むのは後でいい。

 俺がこれから成すべき事を考えよう。














宵闇のヴァンパイア



     第四話 解かれゆく真実














 ふと、目が覚めた。

 ここは………今の主の部屋。そうだ、昨日の行為で私は気絶したんだった………。

 主は………いない。たぶん学校だろう。

 私も行きたかったけど、今はまともに立てない………。


コンコン


「レンちゃん、起きましたか?

 朝食の支度が出来てますから食べませんか?」


 秋子の声………。朝食………昨日主からたくさん精を貰ったから必要ないけど。

 とりあえず下に降りよう。


「あれ?こんなところに、タオルが……(クンクン)……主」


 きっと主が気を遣って置いていったのだろう。とりあえず私はタオルで体を拭く。

 いつもよりも数段遅い動きで私は着替えると、一階へと降りていった。


「…………おはよう」


「おはようございますレンちゃん。昨日は大変だったみたいですね」


 からかう様な口調だが、秋子の心はそんなことを考えてない。

 彼女の目が私に語るのは切望。

 秋子の心は主と共にあることを切望している。


「羨ましいの?」


「!!」


 自慢するわけでもなく、淡々と私は問う。


「秋子。どうして言わないの?『抱いて欲しい』って」


「………とてもストレートに聞くんですね。

 その無垢さと純粋さを祐一さんは気に入っているのかもしれませんね」


 ふぅ、とため息をついた秋子は、今まで隠していた表情を表に出した。

 さっきまでよりグッと幼くなった感じがする。

 なるほど。これが秋子の本来の姿………。

 秋子は偽るのが上手い。主から言わせれば『どこが?』らしいけど……。

 私や名雪は全く気づけない。………歳の差なのかなぁ?


「そうですね、羨ましいんです。私は、……あなたが」


「じゃあどうして言わないの?」


「拒まれるのが怖いんです。

 そして、名雪を捨ててでも祐一さんの傍に居られるかどうか、自信が無いんです」


 苦笑しながら秋子は言う。

 今唐突に理解できた。秋子は弱い人間だ。

 誰もが気づけず、秋子自身皆を欺くことしか出来なかった所為で。私もたった今気づいたんだから。


「秋子は弱いんだね。全然気づけなかった」


「ふふ。その台詞、祐一さんに初めて会ったときに言われました」


 やや嬉しそうに秋子は言う。

 なるほど。主は秋子を理解したただ一人の存在。だからこそ秋子は主に依存しているのかもしれない。


「ねぇ、レンちゃん。祐一さんの事を教えてくれないかしら?」


「?」


「あのね…………」


 話によると、秋子は主のことをほとんど知らないみたいだ。

 ただ、雪兎の親友で、かなりの年月を生き続けているという二点しか知らないみたいだ。

 たったそれだけしか知らないのによく主を信頼できるものだ。

 逆に言えば、本当に秋子の心に触れた存在が少なかったということだ。

 だからこそ秋子は主に絶対の信頼を置いているのかもしれない。


「レンちゃんと祐一さんは、何年の付き合いなの?」


 秋子に対しての考察をしていると、突然問いかけられた。

 え〜っと、私と主の付き合いは確か………。


「400年くらい………だと思う」


「よ、400年なんだ………」


 多少引きつった顔で秋子はそう言った。

 どうしたんだろう?おかしなことを言ったかな?


「あ、あのね、祐一さんって本当はいくつなの?」


 意を決したように秋子が尋ねてきた。


「……………分からない。主の本当の年齢は私も知らない」


「そ、そうなの?」


「(コクリ)でも主の知り合いに800歳になるのがいるから、それ以上だと思う」


 私の言葉に、秋子は驚きの表情で固まってしまった。

 私はぬるくなって飲み頃になった紅茶を啜りながら、主のことを考える。

 そう言えば私も主のことをよく知らない。私が知っているのは出会ってからの400年だけ。

 では、それ以前は?いつか聞ける日が来るのかな……………。






◆ ◇ ◆








 その頃祐一はガーデンへと来ていた。

 いつもと変わらぬ登校だが、祐一はどことなく様子が変だった。


「どうしたの祐にぃ?何かあったの?」


「いや、別に無い。そんなことより今はさっさと教室にいくぞ」


 名雪は怪訝な顔をするが、特に追及する気は無かったのかそのままついて来た。


「おはよう、祐一」


「ん、香里おはよう」


 そこに香里がやってきて朝の挨拶を交わす。

 いつもと変わらない日常。だが香里の一言が変化を与えた。


「あ、そう言えば聞いた?石橋が大怪我をしてしばらく入院するみたいよ」


「え!?どうしてなの?」


「さぁ、その原因については私は知らないわ」


 肩を竦めながら香里はそう答えた。


「入院………、生きているのか?」


「はぁ?当たり前じゃない。

 もう、確かに昨日の石橋は行き過ぎた感じがあったけど、そういうことは言わない方がいいわよ」


 祐一の言葉に香里が叱る様に言う。


(驚いたな。あの傷で生きているのか。…………まぁ恐らくは、秋子の魔法だろうが………)


 祐一は香里の言葉を聞かず、思考の海に埋没していた。


「おはよう!おにいちゃん、名雪さん!」


「あぁ、おはよう」


「おはよう、あゆちゃん」


 そこにあゆが来る。最近は名雪がまったく遅刻しなくなったので、大抵朝が一緒になるのだ。

 まぁ、そこには祐一の技と、名雪のダメージがその代価として払われているのだが………。


「おはようございます、祐一さん」


「………おはよう」


 さらに先輩二人が集団に混ざる。

 この時点で、男一人に女性が五人。

 しかもその五人全員が美人なため、周囲からかなり注目を集めている。

 さらに祐一は、最近知り合った二人の後輩の気配を感じ取った。


「む。このおばさんくさい感覚……美汐か!?」


「そんなことを言うなんて、人として不出来すぎます……」


 最早あきらめの境地にまで達したのか、美汐はため息をつきながらそう言う。

 彼女の傍らには、そんな美汐を面白そうに見ている真琴の姿もあった。

 これで高等部の綺麗どころが一同に会したわけである。

 祐一には周囲から嫉妬と羨望の視線が注がれていた。

 無論祐一はそんなことをまったく気にしていない。


「さて、これからどうするか………」


「? 何を悩んでるの?」


 祐一の呟きに反応したのは香里だった。


「ん?…あぁ……その、ちょっと厄介なことが起こっていてな。

 それの解決に向けてどうするべきか悩んでいるんだ」


「ふぅん………。その厄介ごとってなんなの?」


「それは秘密」


 口元に指を当てながら冗談ぽく誤魔化した。

 香里は不満げな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。

 今日も平和な一日が始まろうとしている。

 だが、そこに暮らし始めた祐一の日常は早くも終焉を迎えようとしていた………。






◆ ◇ ◆








 独特の臭いが漂う白塗りの建築物………ここは、病院だ。

 その建物の中を一人の美女が歩いている。

 紫がかった青い髪を一本の三つ編みにしている美女。………水瀬秋子だ。

 彼女は数ある病室の中の、一つの病室の前で立ち止まった。

 病室の扉には面会謝絶の札が取り付けられている。

 秋子は、その札を気にすることなく扉を開けた。部屋の中には一人の男がいる。

 灰色の短髪で、鋼のように鍛え上げられた体を白い包帯によって覆われた男。………石橋堅剛。

 石橋は閉じられていた目を開けて秋子の方を向いた。


「よぉ、水瀬。見舞いに来てくれたのか?」


「はい。その通りです石橋さん」


 二人は先日のことが嘘のように親しげに話している。

 そして、話題は段々と昨夜のことに移っていった。


「それで、昨夜の魔物のことなんですけど………」


「あぁ、ありゃ魔物じゃねぇぜ」


「え?……でも確かに……」


「ありゃあ使い魔だそうだ…………ヴァンパイアのな」


「!!」


 秋子の顔が凍りつく。

 それほどまでに恐ろしいのだ、ヴァンパイアという存在は……。

 ヴァンパイアとは実際に戦ったことがない秋子だが、その噂は聞いていた。

 曰く、トロールを遥かに超える膂力を持っている。

 曰く、人間に匹敵するするほどの魔術を使うことが出来る。

 曰く、魔法に等しい能力を持っている。

 数え上げればきりが無い。だが、そのどれもがヴァンパイアの強大さを知らしめるには充分だった。


「でも一体何故この町に?」


 基本的にヴァンパイアは人間を襲わない。

 昔ならいざ知らず、今は輸血パックというものがあるのだ。襲う必要など皆無と言えよう。

 ただ、中にはそういったことに馴染めない者も居る。そういった奴らは人を襲うが、間もなく殺されるのだ。………同族の手によって。

 最強に等しい力を持ったヴァンパイアの中でも上位種とされる、生まれながらのヴァンパイアである『真祖』の手によってだ。

 同族を狩る『ハンター』となっているのは、『白の姫』と『不死王(ノー・ライフ・キング)』の二名。

 なぜこの二人がそんなことをしているのかは、誰にも分からない。

 だが、理由はともかくとしてもヴァンパイアは無闇には人を襲うことは無い。

 では、なぜ秋子は恐れたのか?人間は大抵自分たちを超えるものを恐れる。

 そしてその対象となったものを、神格化するか悪魔として排斥するのだ。

 例えその対象にそんな気が無かったとしても、人間には関係無い。秋子自身にそんな気が余り無いとはいえ、そういう考えもあるようだ。

 それに加えて、『獲物』となるヴァンパイアは『黒の姫』の審判によって決められるのだ。

 彼らがどのような法で裁かれるのかは分からないが、結果的に街一つを壊滅させたとしても裁かれないヴァンパイアも居るのだ。

 故に、『白の姫』と『不死王』には頼れない。第一、二人が来るのは事が起こってからなのだ。

 到着するのは街が壊滅した後。そんな話もざらにある。

 だからこそ秋子は恐れたのだろう。自分の大切な娘や友を失うかも知れないのだから………。


「さぁな。ヴァンパイアの考えてることなんて俺にはわかんねぇよ。

 ただ、奴とあった場所……信じられねぇ程の力を感じた。今まで感じたことが無い特殊な力だ」


 始めの方はぶっきらぼうに、後半は真剣な表情で石橋は秋子に話した。


「特殊な力………。私には感じられませんでしたが?」


「奴の使い魔と戦っている間にその力も霧散したからなぁ………」


「では他に何か手がかりとなるものはありませんか?」


 秋子は何とか情報を得ようとした。少しでも自分が有利になるように……。


「そうだなぁ……特に無いが。あのヴァンパイアは『何もしていない』って言ってたな」


「何もしていない……?

 どういうことですか?石橋さんはそのヴァンパイアが何かしたから戦ったんじゃないんですか?」


「いや、俺はただ奴が怪しかったから………」


 石橋の言葉に秋子は目まぐるしく表情を変えた。

 その様子に石橋の顔色が悪くなる。


「な、なんだよ。俺、悪いことしたか?」


「私が知る限り最悪のことですよ…………」


 深いため息をつきながら秋子はそう言った。


「知らないとは言わせませんよ。ヴァンパイアが無闇に人を襲うことが無いと言うことを……」


「そりゃあ知ってるけどよ……。でもあいつかなり怪しかったぜ」


「何を言ってるんですか!?そんなことでヴァンパイアに戦いを挑むだなんて………。

 分かってるんですか!?これでそのヴァンパイアは敵に回ったかも知れないんですよ!!

 ヴァンパイアは総じて『探求者』が多いと聞きます。もしかしたらその謎の力を調べていただけかもしれないじゃないですか」


 叫ぶように秋子は言う。

 石橋もここまで聞いてさすがに顔色が悪くなる。


「…………すまん」


「もういいです。既に終わったことですから気にしても仕方ありません……。

 問題はこれからどうするかですよ。ヴァンパイアへの対応謎の力への調査。頭が痛いですね………」


 指をこめかみに当てながら秋子は独白する。

 そんな秋子の言葉を聞いて石橋は小さくなっていた。


コンコン

「入るよ。……あれ?秋子じゃない、元気そうね」


 入ってきたのは、黒髪を肩で切り揃えていて凛とした顔立ちの美女だった。

 シックな服装に身を包んでいるが、なぜか左腕に鞘に収めた刀を持っている。


「静華………、あなたもお見舞いに来たの?」


「うん。それと石橋君を殺ったのが誰なのかも知りたかったし」


「俺はまだ死んでねぇ!!」


 この美女の名は、川澄静華。ご存知の通り川澄舞の母親だ。


「まぁまぁ、そんな細かいことはどうでも良いから、何があったのか教えてよ」


「私から説明します実は…………」


 秋子は石橋から聞いたこと、要点を捉えた分かりやすい説明に直して静華に話した。

 静華はふんふんと頷きながら聞いていたが、最後の方になるとため息をつき始めた。


「はぁ〜。石橋君、馬鹿じゃないの?」


「うぐっ!!」


 グサァという効果音と共に、静華の言葉が石橋の胸に突き刺さる。

 当然のことながら全面的に石橋が悪いため、石橋は何もいえない。


「いきなり攻撃するなんて………。しかも、よりにもよってヴァンパイアとはねぇ……」


「静華。そのことを責めても仕方ありません。

 今はこれからのことをどうするべきか、そこが重要です」


「確かにねぇ。でも、具体的にはどうするつもりなの?」


「そうですね……。当面は深夜のパトロールをするしかないでしょう。

 ヴァンパイアに出会えば、石橋さんのしたことを謝罪し、何が目的なのかを尋ねましょう。

 謎の力の発生源を見つけたなら、その力を調べてみましょう」


「う〜ん。私は調査は苦手なんだけどなぁ〜。気配を探ったりするのは得意なんだけど……」


 秋子の言葉に、静華はぼやく。


「仕方ないわ。どうも、謎の力は移動しているみたいだから、その場で調査しないと意味が無いのよ」


「ん、分かった。出来る限りのことはするわ。

 でも、パトロールは二人でしない?さすがにヴァンパイアが相手となると、一人じゃ心許無いんだけど」


「そうね。じゃあ、今晩からパトロールをしましょう」


「うん。なんだかこういうのって久しぶりね」


 静華は無邪気に微笑みながらそう言った。

 秋子もそれにつられて微笑むが、その二人を石橋が厳しい目で見ていた。


「笑ってもいられねぇぜ。あのヴァンパイア、半端じゃねぇ力を持っている。

 あの使い魔にしても恐ろしいまでの力を持っていやがった。

 使い魔はそれだけじゃないのかもしれねぇんだぞ。お前らも充分気をつけろよ」


 石橋は厳しい顔で、二人に話した。


「分かってるわよ。それに戦いに行くんじゃないもの、私たちは交渉に行くんだから……」


「ヴァンパイアが、それに応じればいいがな……」


 石橋の苦々しい顔と言葉に、秋子と静華は眉を顰めた。

 だが、彼女たちは進むしかない。その先に何があるにしろ、そのヴァンパイアと会う道を進むしか……。






◆ ◇ ◆








「ふぅ……。分かってはいたが、何の記述もないか………」


 俺は、分厚い本を閉じながらため息をついた。

 場所はガーデンの図書館。『七つの鍵』についての手がかりを探していたところだ。

 なぜか『七つの鍵』は、レンの能力をもってしても発見することが出来なかった為である。


「……祐一」


「ん?……舞か?珍しいな、一人か?」


コクリ


 俺の言葉に何時の間にか来ていた舞が頷く。

 まったく相変わらず無愛想な奴だ。


「何を調べているの?」


「ちょっとな……。

 それよりも、もう少し愛想良く出来ないのか?」


「……私の勝手」


 祐一の言葉に舞はムッとしながら返した。

 当の祐一は舞の返答を聞かず、時計に目を移していた。


「うわっ!もうこんな時間じゃねぇか」


 思わず叫び声をあげるほど時間は過ぎ去っていた。

 すぐさま帰ろうと思い、荷物を持とうとして祐一はふと気づいた。


「なぁ、舞。なんでまだ校内いるんだ?帰らないのか?」


 そう、何故ここに舞が居るのか?

 今この校内には一人もいないはずだった。ところが舞はここに居る。何故?


「私は用事がある」


「ここにか?・・・・う〜ん、忘れ物か?」


「違う。………私はこれからの時間に用がある」


 どうもよく分からない。一体何がこれから起こるというのか?

 ふむ。これは興味深いな……。


「何があるのか知らないが、なら俺も付き合うぞ」


「駄目」


「なんで?」


「危ない」


 舞の言葉を聞いて俺は思わず笑ってしまう。

 俺は舞よりも遥かに強いのだ。それぐらい舞だって知っている。

 にも拘らず舞は俺の心配をして言ってくる。なんというか……、微笑ましいというか愚かしいと言おうか・・・。


「お前に心配されるようじゃ、俺もまだまだだな」


「本当に危ない。それにこれから起こる事は祐一には関係ない」


 舞は相変わらずの無表情でそう言ってくる。

 やれやれ………。


「分かったよ、取り敢えず帰るよ」


 そう言うと舞は目に見えて安堵の表情を浮かべる

 俺は取り敢えず荷物を持ってガーデンを後にする。

 無論。このまま家に帰るつもりは無い。待ってろよ、舞!









「(ピクリ)………妙な気配がするな。『鍵』ではないようだが…?」


 ある場所に寄って俺はすぐさま戻ってきた。

 そしてガーデンの中に入っていく。

 寒々しい空間が昼間との一線を画している。


「誰もいないガーデンとはこれほど閑散としているものなのか…」


 やれやれ、舞の奴は何でこんなところに用があるんだ?


「何で来たの……」


 誰もいない廊下を歩いていた俺に、舞が突然現れて声をかけてきた。


「ほれ、差し入れだ」


 そう言って俺は、左腕に持っていた袋を舞に突きつけた。

 袋の中から食欲をそそる匂いがする。


「牛丼…………」


「しかも特盛りだぞ」


 俺がそう言うと、舞はク〜とお腹を鳴らした。

 その目は物欲しそうにして袋に釘付けだ。


「ん?帰った方がいいのかぁ〜」


「…………牛丼は…」


「ん?これは俺が家で食うさ」


 そう言うと目に見えて寂しそうな顔になる。

 ……俺は牛丼に負けたのか?………ショックだ…………。


「牛丼………」


 物欲しそうな声で舞が言ってくる。

 普通の奴ならこの声だけですぐさま牛丼を渡してしまうだろう。

 だが!!俺はそんな坊やじゃないのだ。


「そんなに欲しいのか?」


「(コクコク)」


 物凄い首の振りようだ。千切れんばかりに振ってるな………。


「でも、その状態じゃ食べれないだろ」


 そう言った俺の視線の先にある舞の状態は、抜き身の西洋剣を持っている状態だ。

 鞘は見当たらず、ずっと警戒しているような感じだ。


「……………」


 漫画なら、『しょぼ〜ん』という効果音が付きそうなくらい舞は凹んでいる。

 う〜む、面白いなぁ〜。


「しょうがないな、ちょっと食べさせてやるか」


 俺がそう言うと舞は喜色満面でこちらを向く。

 いつもは無表情なんだが、牛丼が絡むとこんなに表情豊かになるのか?

 本当に子供並だな………。

 まぁいいさ。ともかく食わせてやるか。ニヤリという邪悪な笑みを俺は浮かべながら、牛丼を取り出して蓋を開ける。

 食欲をそそる美味そうな匂いが、あたりに立ち込める。


「あ〜ん」


「!!」


 フッフッフッ、固まってる固まってる。

 今何をしたのかは、勘がよくなくても分かるだろう。

 俺は牛丼を箸で掬うと、それを舞の口近くまで持っていったのだ。

 よくバカップルがやる、食べさせあいという奴だ。

 舞はオロオロとした後、意を決したのか、匂いに負けたのか、顔を真っ赤にしながら箸に口を近づける。

 もう少しで入る、というところで、俺はその箸を自分の口へ持っていく。

 そして牛丼を咀嚼する。うむ、美味い。


「……………」


 舞は無言で剣の切っ先をこちらに向けてきた。しかもその目は涙目になっている。

 そんなに悔しかったのか聞きたかったが、何とかしないと斬られそうだったので、先にこの状況を何とかすることにした。


「冗談だって。ほら、今度こそちゃんと食べさせてやるから」


 そう言って再度牛丼を持っていく。

 疑わしげに俺と箸を交互に見ていたが、やがて牛丼を口に入れる。

 牛丼を咀嚼している舞の表情といったら……、至福の表情とはこういうのを言うのだと教えられた気分だ。


「ほら、あ〜ん」


 もう一度牛丼を舞の口元へもって行く。

 舞が恥ずかしそうに、もう一度口を開いて牛丼を食べようとすると………。


「!!」


ヒュゴォォ


 俺と舞の間を何かが通り過ぎた。

 だが、目で見ることは出来ない。つまりは不可視の攻撃となる。


「祐一逃げて。まものが来た」


「魔物?」


「多分違う。私が言っているのは平仮名で『まもの』と書く」


 平仮名で言うことに意味があるのかと思ったが、 舞が言う『まもの』の方を見て納得した。

 なるほど、あれは魔物ではない。しかし『まもの』でも無い。


「せいっ!!」


 短く言うと。舞は弾ける様にまもの方へ向かっていく。

 そして、周りから見れば何も無い場所を薙ぐ。


ギィィィィィン!!


 耳障りな音と共に僅かな火花が散る。

 間違いなく何かにぶつかったのだ。つまり、目に見えないがそこには何かが在るということでもある。

 まものからは、怒りにもよく似た感情が感じられる。この感情………どこかで………。

 よく、この感情を浴びせられているような気がするが、思い出せない。


「はっ!!」


 俺が思考の海に旅立っていた間にも、舞と『まもの』の戦いは激化していた。

 何はともあれ舞に『まもの』を殺させるわけにいかない。

 さて、どうしたものか………。


「!! 祐一、逃げて!!」


 舞が叫ぶ。む、こっちに来たのか。

 …………そうだ、アレをやってみるか。

 俺がそれを思い立つのと、不可視の衝撃がこちらに向かって放たれるのは同時だった。


「祐一ぃ!!!」





◆ ◇ ◆







「…………」


「どうしたの、秋子?怖い顔して……」


 秋子と静華の二人は、昼間相談した通り夜の見回りをしていた。

 そんな時、突然秋子が振り向いたのだ。それも静華の言うとおり、厳しい表情で……。


「いえ。……胸騒ぎがしたものですから………」


「う〜ん。祐一君のことかしらねぇ。帰ってこなかったんでしょ?」


「そうなんです…………、そうなんですよ!!静華!!」


 急に叫びだす秋子の様子に、静華は「しまった〜」という顔になる。

 待ち合わせの時もそうだった。祐一が帰ってこない……と、泣きそうな顔で、延々と愚痴り続けたのだ。

 静華が、「夜の見回りのついでに、祐一君を探せばいいんじゃない?」と言うまで、秋子はずっと愚痴っていた。


「聞いてるんですか!?静華!!」


「き、聞いてるわよぉ」


 秋子に聞こえないようにため息をつく静華。

 まさかここまで依存しているなんて……。そんな考えが静華の脳裏をよぎる。

 昔とは比べ物にならないほど秋子は弱くなった。

 いや、本来の姿を他人にも見せるようになったと言うべきだろうか?以前の秋子はいつも無理をしていた。

 無理をしているのが当然だと言わんばかりに……。

 そんな秋子が変わったと気づいたのは、親友・雪兎の葬儀の時である。

 あの日は、秋子は誰かの胸で泣いていた……。その誰かは、自分とは初めて顔を会わせた人物……相沢祐一だった。

 その時から興味を持って話しかけたのだが、話せば話すほど不思議な人物だと思った。

 捉えどころの無い人、というのが静華から見た第一印象だった。

 そんな祐一に秋子は自分の全てを曝け出していた。

 正直、静華はそんな祐一に嫉妬したものだ。学生時代から、ずっと親友だと思っていた秋子の心を曝け出させた二人目の人。

 一人目は雪兎だが、彼にしたって何年もかけて秋子の心を少しずつ開いていったのだ。

 だが、祐一は違う。たった半日。たったそれだけで彼は秋子の心を開いた。自分は何も出来なかったのに………。


「静華……」


「えっ!?き、聞いてるって………」


「違います。というか話は終わってます。………聞いてませんでしたね」


 秋子の冷たい視線を浴びて、静華は思わず乾いた笑いをするしかなかった。


「ともかく。ほら、あそこを見てください」


 秋子が指差す方向には一人の少女がいる。

 夜の闇でよく見えないが、ストールを羽織った小柄な少女だ。


「普通の女の子じゃ……!! 何アレ!?」


 静華は少女を凝視する。

 静華は感じていた。目の前の少女から発せられる『魔』の気配を…………。


「ねぇ、秋子。アレは人間だと思う?」


「間違いなく人間でしょう。恐らくは、何かが憑いているんだと思います」


 静華の言い方に眉を顰めながら、秋子はそう答えた。

 静華は少女から『魔』の気配を感じたとたんに、少女をアレと呼んだのだ。

 その言い方は静華の血筋に原因があるのだが、それはまだ先の話になる。


「まぁ、それが妥当なところね。で、どうする?」


「取り敢えず声をかけてみましょう。謎の力と何らかの関係があるかもしれませんし。

 そうでないとしても、ほうって置くことは出来ないでしょう」


「そうね。じゃ、話しかけてみましょうか……」


 そう言うと、静華と秋子は少女に近づいて行く。


「ねぇ、君」


「はい?・・・あの、どちら様でしょうか?」


 静華が声をかけると、痴漢の類では無いとは分かってはいるが、警戒しながら返答した。


「ちょ〜〜っと気になってね。あなたの持つ『魔』の気配がね……」


「え?……」


 静華の鋭い目線に、少女は困惑することしか出来なかった。


「ど、どういうことですか!?私から魔の気配がするって!?」


「静華……、いきなりそんなことを言ったら混乱してしまうでしょう」


 咎める様な視線で静華を見る秋子。

 静華は、「あはははは……」と言って頬をかいていた。


「申し訳ありません。

 実はあなたに何かが憑いている様だったので、そのことを言ったんです。

 何か心当たりはありませんか?」


「心当たりと言っても………」


 困惑したままの少女を落ち着かせようと思ったのか、秋子は再度口を開いた。


「自己紹介がまだでしたね。私の名前は水瀬秋子です。

 こっちは私の友人で川澄静華です。あなたの名前はなんて言うんですか?」


「あ……美坂栞です」


 一瞬呆然とした栞だったが、何とか自己紹介をした。


「美坂……栞さんですか…」


「あの……私の名前に何か?」


「あ、いえ。ちょっと知り合いに同じ苗字の人がいるものですから」


 慌てたように秋子が説明する。


「そうですか。ところでさっきの話なんですけど……」


「心当たりが?」


「はい。実は、私は生まれつき病気を持っているんです。

 もしかしたら、それが魔物の所為なのかも……」


 一縷(いちる)の希望を込めて、栞はそう言った。


「ともかく、一度ご両親にお会いしましょう。詳しいことを話さないと」


「は、はい!」


 栞は素直に頷いた。

 彼女がこんなにも素直に応じたのは、秋子のお陰なのかもしれない。

 秋子の持つ暖かな雰囲気で、つい話してしまうのかもしれない。


「それじゃあ、行きましょうか」


 秋子は、とても暖かな雰囲気のまま栞の背を押して歩き始めた。





◆ ◇ ◆







「夜分遅くに失礼します。あなた方が美坂栞さんのご両親ですか?」


「はい、そうですが……。あなた方は?」


「……………」


 秋子と妙齢の美女が互いに挨拶する。

 ちなみに静華と栞の二人は、その傍らでピクピクと動くぼろきれの様になった一人の男性を突っついていた。


「ねぇ、凄かったわねぇ、あなたのお母さん。見た?見事な十連コンボだったね」


「見ました、凄かったですぅ。私初めて見ました」



 ヒソヒソと二人は一人の男性を突っつきながら話し続けた。

 何故この人がボコボコにされたのか、それは数分前に遡る。





「ただいま。お父さん、お母さん」


「「栞!!」」


 栞が帰宅すると二人の男女が出迎えた。

 男性は茶色の髪を肩まで伸ばしている。その髪はウェーブが掛かっていて、顔つきは精悍な顔をしている。

 女性も茶色の髪で、背中の中ほどまで伸ばされている。くせっけの無いストレートの髪でかなりの美人だ。

 ただ、欠点を挙げるとするなら、プロポーションが慎ましいということだろう。


「こんばんは」


「お邪魔いたします」


 そこへ静華と秋子の二人が入ってきた。

 二人の美女が入ってきたことで、男性は怪訝な顔に、女性は何故か顔を伏せる。


「あの、どちら様「フフフフフフフ」!?」


 突然不気味な笑い声を上げた女性に、男は驚いて横に退く。


「そう、そうなのね。あなたの浮気相手なのね……」


 何がそうなのかさっぱり分からないが、かなりヤバげな雰囲気だ。

 女性が顔を上げると、そこには一匹の夜叉が居た。


「ち、ちが…「問答無用!!」」


 男の言い訳は聞かずいきなり殴りかかる。そこからは見事なものだった。

 殴り、蹴り、投げる。一連の動作は演舞のようであり、華麗ですらあった。


「浮気に罰を、浮気者に死を…」


 決め台詞を言うと、苛烈な攻撃によって宙に浮かび上がった男性は落ちてくる。

 彼は、ベシャっという音と共に床に落っこちた。


「「……………」」


「あ、あの〜。私たちはそういうのでは無いんですが……」


「えっ!?」


 男を呆然と見る静華と栞。秋子が遠慮がちに女性に言うと、女性は心底驚いた顔になった。





 ………とまぁ、上記のことが、こうなった一連の動きである。

 女性は、その後何事も無かったかのように挨拶を始めたのだ。ちなみに秋子も同じだ。


「初めまして、水瀬秋子と言います」


「あ、私は川澄静華よ。よろしく」


「どうもご丁寧に。私は、美坂(みさか) 志野(しの)といいます。

 そっちで転がっているのが主人の美坂(みさか) 勇人(はやと)です。それで今晩は何のご用件で?」


 自己紹介を終え、志野は二人に尋ねる。

 それに対して口を開いたのは、秋子たちではなく栞だった。


「聞いて、お母さん。私、助かるかもしれないの」


 栞には興奮した様子は無い。

 だが、そのこと聞いて、志野は驚きに目を見開き栞に詰め寄った。


「どういうことなの、栞!?助かるって……病気のことよね?

 その方たちがそうなの?…………信頼できるの?」


 出来ることなら信じたい。だが、志野はこれまでに何人もの人間に騙されてきた。

 栞の病気を治したい。それに付け込んでくる者は何人も居た。

 だが、結局は財産を奪われ、栞の病気は彼女の小さな体を蝕んだままだった。

 だからこそ志野は、突然現れた二人を信じることは出来なかった。


「すぐに信じろ、というのは無理でしょう。

 ですから、まずは栞ちゃんの病気と呼んでいる魔物のことを説明しましょう」


「「魔物!?」」


 秋子の言葉に床に、転がっていた勇人も起き上がり驚愕の声をあげた。


「できるだけ詳しく説明します。ただ話が長くなるので…」


「え、えぇ…じゃあリビングへ……」


 未だ呆然とした美坂夫婦と秋子たちは、美坂家のリビングへと向かった。

 残酷な真実と、一握りの希望を得るために……。












 
To Be Continued......











あとがき


ま、マジで疲れた………。

書き直すこと合計5回(泣)何やってんだ、俺?

しかもメインの栞と同じくらい舞が目立ってたり……(大汗)

舞のことは次話で一応の解決をする予定です。栞の方は何処まで行くかは未定だったり(爆)

今回のあとがきはこんなところで…。それではご意見、ご感想をお待ちしています。






管理人の感想


 放たれし獣さんから投稿SSをいただきました。感謝。

 最初の方がちょっと年齢制限ぎりぎりかなぁと思いますが。(笑

 ちょっとだけ祐一の過去が見えたり見えなかったり。

 舞との絡みで彼がどうなったのか心配です。


 美坂家はやっぱり大変のようで。

 不治の病って嫌な人間が群がるものでしょうしねぇ。

 壷売りつけたり……。(ネタ古い?



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