扉の先には、荘厳な空間が広がっていた。
天蓋に付けられたステンドグラスから、様々な色の光が差し込み、空間を彩っている。
「ようこそ、皆さん。ファイナルステージへ」
大広間のような空間の中央の、周囲よりも高くなっている場所に、悠然とソレは存在していた。
ボロボロの黒いローブで全身を包み。ローブから覗いている顔には
手には自身の身長を超える、2mはあろうかという禍々しい大鎌を持っている。
仮面の所為で表情を読み取ることは出来ないが、恐らくは喜悦に身を震わせているのだろう。
「何者だッ!!」
鋭い眼光で、ソレを睨みながら石橋が叫ぶ。
「私ですか? そうですねぇ、相沢 祐一さんとは長い付き合いになりそうですし、自己紹介をしますか」
仮面の顎に手を当てて思案すると、ソレは真っ直ぐに祐一を見つめながら哂った。
「私の名は
芝居がかった動きで、お辞儀をする闇主。
まるで祐一を馬鹿にするような態度だが、祐一は眉一つ動かさずに闇主を見ている。
「『鍵』は如何した?」
「クカカカカカ――――――天馬氏がどうなったか気にならないのですか?」
試すような物言いに、祐一は変わらない。ただ闇主を見据え、眉一つ動かさない。
だが、天馬の孫である二人が、闇主の言葉に反応した。
「お爺様に何をした!!」
憤然とした怒りを孕んだ一弥の叫びに、闇主は更に嗤う。
耳障りな哄笑に、全員が不快感を露にするが、闇主は気にしない。
そして、何かを投げた。
ゴトッ……………
床に何かがぶつかり、鈍い音を立てる。闇主の哄笑はより盛大に、声高に響き渡る。
笑う………哂う………嗤う…………何かを見て、盛大に嘲笑っている。
佐祐理が膝をつき、一弥は否定するように首を振る。
他の者も口々に言う。……………『嘘だ』………………と。
だが、現実は変わらない。床に転がっているものも変わらない。
――――――――――――例えそれが、何れほど絶望的であっても。
「首を刎ねちゃいました」
「いやあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
闇主の言葉と、佐祐理の絶叫の間にあるのは。――――――他でもない、倉田 天馬の頭部だった。
宵闇のヴァンパイア
第十話 序曲を奏でた者
「アハ、アハハッ、アハハハハハハハハハハハハハッ!!!
最高ですよ。素晴らしい嘆きです。何て心地良い嘆きなんでしょうか。アァ――――――愉しい」
片手を仮面の額に当て、体をくの字に曲げて嗤う。
佐祐理の嘆きを。目の前の惨劇を。あたかも最高の喜劇を見ているかのように――――――嗤う。
「きさ…………キサマァ!!」
弾かれたように、一弥が闇主目掛けて疾走する。だが、一弥から闇主の所までは、優に20mはある。
その距離を、一瞬にして零にするほどの瞬発力を一弥は持ち合わせていなかった。
余裕を持った動きで、大鎌を一閃する闇主。その一閃は、明らかに射程外の一弥を易々と壁まで吹き飛ばした。
ドガァ!!
「がはっ!」
『一弥!!』
何人かが一弥に駆け寄って傷の具合を見ると、肋骨が何本か折れていた。
「クスクスクスクス………心地良い憤怒ですが、まだ足りませんねぇ。
もっと……もっともっと、心を闇に染めてくださいよ。
そうじゃないと、愉しめないじゃないですか――――――私が」
この言葉に、祐一以外の全員が怒りと殺意を露に、闇主を睨みつける。
だが、向けられる怒りと殺意が心地良いと言わんばかりに、闇主は狂ったように哂っていた。
「如何したんですか、祐一さん? 随分と無口じゃないですか?
ひょっとして……………怒っちゃいました?」
愉悦に浸りきった声に、祐一は眉一つ動かさない。
まるで感情が…………いや、心が無いような無表情のまま、祐一は口を開いた。
「俺の質問に答えろ。『鍵』は如何した?」
この言葉に、石橋以外の全員が驚いた表情になる。
眼前の惨劇を、まるで無視するかのような祐一の発言に、闇主は更に愉快そうに嗤う。
そして、石橋は怒りの矛先を祐一へと向けた。
「ざけんじゃねぇ、相沢!! 人が一人死んでんだぞ!! テメェ……何とも思わねぇのか!!」
祐一の胸倉を掴み上げ、激しく吠え立てる石橋を鬱陶しげに見やると、祐一は冷たく言い放つ。
「別に………何も。
此処に入れた時点で分かっていたことだ。天馬の死も、天馬の考えも」
余りの言葉に絶句する石橋。そして間近で見る祐一の冷たい瞳に、何故か
面倒臭そうに石橋の手を振り払うと、再び闇主に向き直る祐一。そこには相変わらず愉しそうに嗤う闇主の姿がある。
「天馬氏の考えですか? それは是非ともお聞かせ願いたいですねぇ。
実はですね。私も気にはなっていたんですよ。
闇主は嗤いながら尋ねる。
本当に愉快そうにニコニコと哂っている闇主に、愕然としている周囲の視線。
溜め息を一つ吐いてから、祐一は語り始める。死した者が考えていたことを。
「問題はこの『
「如何いうことなのだ。天馬殿が、初めから死ぬ気だったとは? 彼は『鍵』を護る為に…………」
シリウスが言い終わる前に、祐一は答えと共に語る。
「恐らくは違う。アイツは時間稼ぎの為に『
この言葉に、闇主が初めて驚きを見せた。
「驚きましたよ。なるほど…………確かに、そう考えたなら全てに納得がいきますね」
うんうんと、大仰に頷いてみせる闇主。
ここまでで理解できたのは、闇主ただ一人。他の者はまだ分かっていない。
「『
簡単に言えば、命そのものを封印解除の唯一の方法にする魔術だ。
この扉が開いたということは、天馬の命の火が――――――消えたということだろう」
驚きから困惑へ、全員の表情が変化する。
誰も口に出さないが、考えていることは同じだった。――――――何故、そんなことを?――――――。
「クカカカカカカ――――――鈍い人たちだ。
決まっているでしょう。彼に――――――相沢 祐一さんに全てを託す為に、ですよ」
闇主の言葉に、ますます困惑していく。
理由が分からない。理解できない。天馬と祐一には、何の接点も無いはずなのだから……………。
だが、心の何処かで納得している自分が居る。それが理解できなくて、ますます困惑していく。
「――――――あぁ、なるほど。あなた方は知らなかったんですね」
含みある言葉。酷く………嫌な感じがする。
「彼の正体を、教えてあげますよ」
真実を知った者たちが、どんな反応をするのか。そんな期待に満ちた声。
その声は、祐一以外の全員に、不快感と、嫌悪感を与えるに充分な声。
「相沢 祐一の正体。それは――――――」
「やめてっ!!」
誰かの叫びが虚しく木霊する。
止まる筈が無い。止める筈が無い。闇主にとって、これほど愉快なことは無いのだから。
「ヴァンパイアなんですよ。彼は」
闇主の言葉に、凍りついたように全員が動きを止めた。
「そうですよね?
酷く愉快そうな、耳障りな声で祐一に向けて再び問いかける。
揺るがない祐一の表情を見ても、闇主は愉快そうだった。
「………………………」
「嘘………ですよね。祐一さんがヴァンパイアなんて、嘘ですよね」
泣き笑いの表情で、憐れみすら誘う秋子の状態。
弱い女…………誰かに縋らねば立てない女。水瀬 秋子とはそういう女だ。
雪兎に頼まれたからといって、祐一は秋子に深入りし過ぎたのかもしれない。
まったく………儘ならないものだ、と祐一は溜め息を吐いた。
「だったら、如何した?」
否定ではなく肯定の言葉に、全員動揺の色が隠せないでいる。
いや、未だ信じないという者が大半だった。
バサァ
「これが真実だ。
我が名は相沢 祐一。闇を統べし、夜の貴族たるヴァンパイアなり」
瞬時に来ていた服を分解し、魔力が主成分となっているヴァンパイア時に来ている服を纏った祐一。
瞳の色が深紅の眼に変化し、茶色っぽい髪は漆黒に変化した。
全員の驚愕の度合いが酷い……………下手をすれば現実逃避をしかねないほどだ。
「アハハハハハハハッ、アハッ、アハハハハハハッ!!
良いですねぇ、彼女。確か……水瀬 秋子さんでしたか?
縋り付いていた貴方の真実に、随分と絶望感を感じていますよ」
本当に耳障りな声………………不快にしか感じない言葉。
しかし、今は助かった。闇主の言葉に、逃避しかねない意識を怒りへと変換しているのだから。
「話を続けよう。
天馬は初めから気づいていたのだ、自分では『鍵』を封じ続けることが出来ないことを。
だからこそ、俺に託すことを思いついた。
しかし、アイツは俺のことを50年前に既に知っている為、俺が『鍵』を自ら持たないことを理解している。
なら如何するか? 簡単だ。俺が『鍵』を持つしかない状況に追い込んでやれば良い。その結果がこれだ」
全員に向けていた視線を、再び闇主へと向け、その鋭い眼光で闇主を射抜く。
「策士、策に溺れる。といったところですかねぇ」
闇主は視線を祐一から外し、床に転がっていた首に向けて――――――嘲笑った。
それは死者への侮蔑。明らかな嘲り。
闇主の行為に、佐祐理と一弥の頭が怒りで真っ白になる。
一弥は肋骨が折れて肺に突き刺さっているので、身動きができない。
一弥の行動を代行する様に、佐祐理が高速で呪文の詠唱を行なう。
高まる魔力。佐祐理を止めるものは居ない。――――――居ないはずだった。
スッ
「無駄だ。お前の力では奴に毛ほど傷も付けることは出来ない」
佐祐理の口に指を当て、祐一が詠唱を遮った。
頭に血が上り、思わず跳ね除けようとする佐祐理に対して、祐一は静かに説明を続けた。
「天馬は奴の存在も予測していた」
『!?』
この言葉に、全員が驚きと共に祐一を見る。闇主すら、驚きと共に祐一を凝視していた。
「では……………知っていて私を此処に招いたのですか?」
「そう、天馬は全てを承知の上で俺達を此処へ向かわせ、お前に自分を殺させた。
全部計画通りだったんだよ。貴様が天馬を殺すことも、今此処で俺達と喋っていることもな」
初めて闇主が不快げに歯軋りをする音が、静謐な空間に響いた。
その様子に、今まで無表情だった祐一が初めて
「フッ。愚かな奴だな…………。
天馬の計略通りに動いておいて、それにすら気づかずに天馬を嘲笑うか? 本当に………愚かな奴」
祐一の嘲笑に、闇主は沈黙を保つ。互いに睨み合ったまま、沈黙が続く。
この沈黙を破ったのは、闇主の哄笑だった。
「クカッ、クカカカッ、クカカカカカカカカカカカッ!!
ヒャハハハハハハハハハハッ!! そうですか………そうだったんですか!!
やはり人間は侮りがたい。
流石は禁断の果実を喰らった末裔ですよ。謀略や策謀に関しては、この世の全てを超える才を持っていますね」
今まで以上の
狂笑と共に片手を懐に入れ、七色に輝く竪琴を取り出した。
「――――――ッ!!」
「クカカカカカカッ! これが何なのか知らない人も多いでしょうから、教えて差し上げますよ!!
この竪琴こそ『七つの鍵』の一つ、カノンの『
如何です。美しいでしょう? 禍々しいでしょう? 狂っているでしょう?」
狂気を孕んだ言葉と共に、愛おしげに取り出した竪琴を撫でる。
秋子たちは陶然した様子で、ただ一心に『
凶悪なまでの存在感。見る者の目を、捕らえて離さないほどの強烈な魔力。
今の秋子たちには『
天馬の死も、祐一がヴァンパイアだということも、闇主の存在も、全てが如何でもいい。
全ての意識を、『
「それを渡せ。それは誰も使ってはならない、禁断の魔法道具だ」
「魔法道具? クカカカカカッ!!
いけませんねぇ、貴方がコレを魔法道具などと言ってはいけませんねぇ。
そんな機能など、あくまでも副産物に過ぎないんでしょ?」
闇主の言葉に、祐一の表情が一変する。
先程までの秋子たちに、勝るとも劣らない程の驚愕した表情に変化した。
ある意味、余裕すらあった祐一に表情に焦りが浮かび、一気に血の気が引いた。
咽喉が渇き、擦れた声で言葉を紡いだ。
「まさか……………『鍵』の使い方を知っているのか?」
「クカカカカッ!! 鍵は、
今の言葉で、信じたくは無いが確信してしまった。
コイツは知っている。『鍵』の…………
「何故………知っている。そのことは俺以外、誰一人知らないはずだ!!」
「クスクスクス。良いですねぇ、貴方の焦燥感。心地良い。
でも、教えてあげませんよ。その代わりと言ってはなんですが…………」
パチンッ
闇主が指を鳴らすと同時に、この空間の壁という壁に様々な映像が映し出される。
映像には様々な場所が映し出されているが、一つの共通点がある。それは…………。
「カノン全域の映像? 何をするつもりだ」
そう。映像には、カノンの町という町が映し出されていて、人々の日常を映し出している。
「序曲を。……………序曲を奏でるんですよ。
そして、彼等が歌い手ですよ。きっと今までのどんな歌手よりも、良い声で歌ってくれるでしょうね」
「ッ!! まさか貴様!!」
「さぁ始めましょう。この序曲と共に。
私と貴方、貴方と私、世界の全てを地獄へ送る。終末の詩を!!」
声高に叫ばれた言葉と共に、竪琴が掻き鳴らされる。
音色と共に、凄まじい魔力が溢れ出す。
「くっ! させるか!!」
ブゥン
祐一は一瞬にして姿を消し、闇主の背後に現れる。手刀の形にした右腕からは、1mほどの黒い刃が生まれている。
黒い刃は、切っ先に近づけば近づくほど黒く染まっており、その切っ先に至っては漆黒に染め上がっていた。
「ハァッ!!」
神速とも言うべき疾さで刃が踊り、闇主の躯を瞬時に細切れにしていく。
バラバラになっていく最中、祐一は竪琴を捕ろうとするのだが………。
「クカカカカカッ!! 素晴らしい切れ味ですね!!
それが貴方の持つ13の能力一つ、『神剣 フラガラッハ』ですか!!」
細切れになって、風化していく破片たちが一斉に喋りだす。
破片たちが竪琴を覆い隠し――――――消えた。
【それではまた、お会いしましょう。
――――――あぁそれと、置き土産は精々30分が限度のようです。少々残念ですが、今日はこれまでにしておきますよ】
姿が消え、声も消える。
これが『鍵』を巡る戦いに於いて、最大の敵との出遭いだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
カノン国内に存在するとある町。
極々平凡な町だった。そう――――――今日、この時間までは。
「オイ、見ろよ。空が……………」
「何だ? いきなり曇ってきた?」
人々の困惑した声。
雪国で知られるカノンに於いても、雷雲の如き黒い雲に覆われる事など珍しい。
まして、今日は快晴であり。先程までは雲一つ無い空だったのだから。
「オイオイ、勘弁してくれよなぁ。山じゃねぇんだからよぉ、天気が変わりすぎだろ」
急激な天候の変化に、人々は精々雨か雪が降ることを予想していた。
人によっては嘆く者もあれば、気にせず日常に戻る者もいる。
彼等に対して、一様に言えるのは。この天候が、異常気象だということだった。
だが、それは大きな間違いだということに、この時、誰も気づいてはいなかった。
「あ? なんか見えねぇか?」
ただ漠然と眺めていた者の一人が、雲を指差しながら言う。
その周りにいた人は、その指を先を追ってみた。
その途中で、空を指していた指が力無く垂れた。不信に思い、その人を見ると………。
「キャアアアアァァァァァッ!!!」
若い女性の悲鳴が上がる。
それも一人じゃない。二人………三人………どんどん増えていく。
悲鳴を上げる人たちの中心には、巨大な槍で串刺しになった人間だったモノがあった。
槍によって立たされ、動かなくなっているモノ。
悲鳴が伝染し、阿鼻叫喚の様相が露に為り始めた時、ソレは降り立った。
ズゥン
重い何かが地面にぶつかった音。
その位置に立っていたのは、鉛色の肌に、2mを超える体躯。そして頭部に角を持つ、俗に『鬼』と呼ばれるモノ。
手には巨大な剣を持ち、猛禽類のように鋭い歯を持った口は、愉しそうに歪んでいた。
「ヒサカタブリノニンゲン」
一言だけ鬼は呟くと、地面に突き刺さっている槍を、人間ごと引き抜いた。
そして槍に付いている人間を見て、満足げに哂うと――――――。
ベキッ……ゴキッ、クチャクチャ……
喰った。
鬼は人間を美味そうに喰っている。耳障りな音と共に、骨ごと貪っている。
悪夢よりも凄惨で、日常からは余りも逸脱した、人間が喰われるという場面。
誰もが声を失い、逃げることすら忘れた。
人はある程度までは反応できる。人が殺されれば恐怖で逃げる等、その最たる例だ。
だが、それにも限度はある。今回のように、人間が丸ごと喰われていく場面などでは反応できない。
逃げることも、悲鳴を上げることも、現実逃避することも、何一つ――――――出来ない。
彼等に出来ることは見ていることだけ。
ただただ人間というものが、肉塊へと変わり、鬼の腹に納まるのを見ていることしか出来ない。
「ハァァァ……………ウマシ」
血で染め上げられた口を開き、鬼は満足げな呻きを洩らす。
そして哂いながら――――――人を殺す。
ビシャ………
人を遥かに超えた膂力で振るわれた槍は、周囲にいた人を易々と引き裂いた。
辺りは朱く染められ、独特の臭いが漂う。
鬼は一杯にその臭いを嗅ぎ、また――――――嗤う。
パシャ
血の海に、何かが下りた音がする。鬼がそこに目を向けると、一人の女性が居た。
愕然とした表情のまま、膝をつき、呆然と鬼を見ている。
その女性を見て、鬼がまた嗤う。だが、先程のような笑みではない。
その笑みは、確か人間もしたことが――――――。
「ヒッ!!」
そこまで考えて、女性には怖気が走った。
まさか……まさか、まさか……まさか、まさか、まさか、まさか、まさか!!
予想したことは、反応できる範囲。
人を喰らうよりも、余程現実的で、人間でもする事。だが、それは……………彼女が堪えるには余りも酷な出来事。
鬼は哂いながら、一歩、また一歩と彼女に近づいてくる。恐怖で擦れてしまった声は、音を発することが上手く出来ない。
それでも必死になって彼女は、音を出そうとする。
「……ない……で…………」
辛うじて出た微かな言葉。…………鬼はさらに近づいてくる。
やがて彼女の目の前にまで来て、鬼は女性を見下ろしながら哂っている。
「い……やぁ…………こないでぇ!!」
必死に首を振りながら叫ばれた言葉に、鬼は更に哂い、女性に伸し掛かっていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」 「たすけてぇっ!!」
「おかぁさんっ!! おかぁさんっ!!」 「やだぁ!! こんなのやだよぉ!!」
四方八方から絶望的な悲鳴が木霊する。壁には、鬼に蹂躙されていく人の姿が映し出されていた。
先程までの日常を映していた光景など、何処にも無い。
数え切れないほどの鬼の軍勢が、空から飛来したかと思えば、次の瞬間にはこんな光景が延々と映し出されている。
「…………なのよ。……何なのよこれは!!」
香里が必死に耳を塞ぎながら、絶叫を上げる。
よく見れば、殆ど者が耳を塞ぎ、響き渡る悲鳴を聞かないようにしている。
それだけではない。目を閉じて、体を小さくして震えているのだ。
こんなものを直視できるはずが無い。まだ彼等は子供なのだから…………。
人が串刺しにされる。人が喰われる。母親の前で幼い赤子が喰われる。子供の前で、母親が頭だけ残して貪られる。
大人でも正視できない光景。そんな映像がモザイク無しで、ましてフィクションでもない現実の光景として映っている。
こんな光景を表情を歪めながらも見ていられるのは、羅異や秋子などの大人たち。
そして、祐一と久瀬の二人だった。
「――――――戻ろう。すぐに戻れば、救える者も「無駄だ」」
羅異の僅かな希望の言葉も、祐一が即座に切って棄てた。
「奴が言っていた言葉を忘れたか? この『
召喚は既に為されている。まして………お前たちに何が出来る?
この映像から見ても、『百鬼夜行』はカノンの全域に展開している。お前たちが向かったところで、焼け石に水だろう」
理路整然とした祐一の言葉。
祐一の言葉が正しいのは、分かっている。それでも………それでも納得できることではない。
「貴方の能力なら可能では無いのですか?
魔法に等しい能力を持つ、ヴァンパイアである貴方の能力ならば」
縋る訳でもなく、選択肢の一つとして尋ねる言葉。
この状況下に於いても冷静な久瀬に、祐一は僅かに興味を覚えた。
「何とか出来ない訳でもない。
俺が全力を出せば……だがな。しかし…………………そうしてやる道理が何処にある?」
久瀬はこの言葉に、やはりか………という表情を浮かべて、落胆は然程無かった。
だが、石橋や秋子は憤然とした怒りや、悲しみを孕んだ声で訴えた。
「ふざけんじゃねぇっ!! 何とかできるだけの力があるなら、やれよっ!!」
「祐一さん。どうして………如何してそんなことを言うんですかっ!!」
二人の叫びに、祐一は今まで以上に冷めた目で見下ろす。
「随分と勝手な言い草だな。石橋…………お前、ずっと俺を疑っていただろう。
俺が雪兎のことを話さなかっただけで、ずっと気を伺っていただろう? …………俺を殺す時を」
祐一の言葉に、石橋に視線が集まる。苦々しげな表情を浮かべる石橋だが、祐一の言葉を否定したりはしない。
「それなのに、自分が苦しければ助けてくれ……か?
下らんな。俺はそんな人間が嫌いなんだ。
そして、秋子。俺がこんなことを言っている理由は、お前が自ら表現していただろう?」
石橋への嘲笑に続いて、秋子へも弾劾の言葉が続く。
「ヴァンパイアは人間の敵。だからこそ、ショックを受けたんだろう? 俺がヴァンパイアだと知って」
祐一の言葉は、秋子の心を深く抉った。
そうだ…………もう秋子たちは、祐一に縋ることが出来る立場には無いのだ。
祐一がヴァンパイアだと知って、彼女達の胸に去来した想いは………驚き、恐れ、猜疑、敵意。
驚きだけなら良いだろう。しかし、他の想いは何れだけ言い繕っても取り返しがつかない。
だからこそ――――――秋子たちは、祐一に助けを求めれる立場にはない。
「じゃあな。カノンのことは、貴様等で何とかするんだな。
俺は『鍵』を追わねばならんのでな。ここで失礼する」
「待ってくれ!!」
宵闇のマントを翻し、この場を後にしようとする祐一。
その祐一に待ったをかけたのは、『真紅の雷帝』天野 羅異だった。
「若人たちの気持ちに関しては、すまぬとしか言えん。
じゃが。どうか………どうかカノンの民を救ってやって欲しい。…………この通りだ」
膝と両手を地面につき、額も地面に擦り付ける。所謂、土下座をして祐一に頼み込む羅異。
そんな羅異の姿にも、祐一は冷たい目で見るばかり。それでも羅異は、必死になって言葉を続ける。
「儂のでよければ、命も持っていってくれ。
老い先短い命だが、ヴァンパイアにとって強者の血は美味いと聞いたことがある。
これでもカノンでは名を馳せた猛者じゃ。腹の足しぐらいにはなるはずだ」
「どこで聞いたかは知らんが――――――」
羅異の言葉に、祐一が口を挟んだ。
「俺が美味いと感じるのは、若い生娘の血だ。男の…………まして爺の血など要らん」
スゥゥゥゥ
やはり冷たく言い放つ祐一。そして再びマントを翻して、姿を消した。
だが、姿が消えるの一瞬。祐一は羅異を一瞥した。そしてその視線に、羅異は気づいた。
「クソッたれっ!! 兎に角、スノーフェリアに帰るぞ!!
今から行っても間に合わなくても、ここに居るよかマシだ!!」
誰に向けるわけでもなく毒づくと、石橋は矢継ぎ早に指示を出した。
確かにここに居ても悲鳴を聞くばかりで、心を擦り減らすだけなので、文句も言わず全員が駆け出した。
ペースのことなど考えない、ただ悲鳴から逃れたい一心で全力で走り続けた。
あっと言う間に『氷銀の聖殿』の入り口に辿り着いた。
「お主は如何する?」
歩みを止め、背後に居たシリウスに問いかける羅異。
「私はここに残る。この遺跡に眠っていた『鍵』は持っていかれたが、他にも財宝があるのでな…………」
「そうか…………さらばだ」
羅異の短く紡がれた別れの言葉。
互いと過ごした時間は短く、そして良いものではなかったが、忘れがたい時間になったからこそ…………。
森を抜け、町まで必死になって走る。体力の限界など、当の昔に超えている。
それでも走り続けるのは、先程まで見ていた現実を、夢だと思いたいが故にだろうか?
「ん? 見てください、スノーフェリアから光が!!」
久瀬の言葉に、俯いていた顔を上げて見れば、光が天に向かって飛んでいた。
黒雲にぶつかる直前に光が弾けると、様々な方向に光弾が飛んでいく。
幾つかはさらに分裂しながら、町へと降り注いだ。
「アレは一体?」
「考えるよりも走った方が良かろう。
光はスノーフェリアにも落ちた見たいじゃからな、町に行って見れば分かるじゃろう」
「…………そうですね」
羅異の出来る限り優しい声で諭されると、全員が再び無言で走り始めた。
このペースで行けば、スノーフェリアまで後40分……………。
後書き
微ダーク&ヴァイオレンス〜!!(壊
ちなみに、この『微』は『両方とも微妙な』という意味です。(爆
…………え〜っと、取り敢えずは放たれし獣です。
如何でしたでしょうか? 記念すべき、第10話なんですが……………。
兎に角、闇主が暴走状態。宿敵がこんなのでいいのか? とか思いつつ、書き綴ってみました。……妄想のままに。(爆
そして祐一の能力がお披露目〜♪ でも、目立ってない。(滝汗
『神剣 フラガラッハ』の元ネタの漫画が分かった人には、短編のSSをプレゼント。期限はこれがアップされてから一ヶ月。(マジ?
大したものではないですが、『宵闇』のメンバーで劇をやるSSです。ヒロインの希望があれば答えと共にどうぞ。
元ネタの答えはBBSには絶対に書かないで下さい。(SSも送れませんし、他の方にも分かってしまうので
それにしても、アクシデントが無ければあと2、3日は早くアップ出来たんですがねぇ……。
え? 何があったのかですって? 実はですね………………腰を痛めました。(泣
何故か朝起きたら腰が痛くて………、もう2日も続いてます。(泣
丁度、百鬼夜行が飛来したところを書いてたんで、カノンの民の呪いかと思いましたよ……。(爆
ちなみに今もピップエレキバンを貼って書いてます。多分血行が良くなるんですよ。(アホ
さて、長々と如何でも良い話になってしまいましたが、この辺で。
意見や感想など、滅茶苦茶待ってますので、メールでもBBSでも幾らでもどうぞ。
あ〜……………もしかしたら今月中にもう一本アップするかも……………予定は未定ですから、お気になさらず。
それと、以下は設定です。
封印と、命をリンクさせることによって完成する魔術。
危険なだけにその効力は絶大で、物理90%魔術90%を無効化できる。
よって、リンクさせた命を刈り取らない限りは解除はほぼ不可能。
リンクさせる命は、術者で無くても可能。
危険度S1級に分類される最悪の魔物。
数百の鬼で構成させる鬼の暴徒。出現しては、殺し、喰らい、奪い、犯す。
構成する鬼たちの力はA級なのだが、その余りの残虐性と、甚大な被害からS1級に分類されている。
この百鬼夜行が現れた所為で、地図上から消えた町は少なくない……………。
管理人の感想
初っ端からやってくれますねぇ闇主。
微ヴァイオレンスッぷりを発揮してます。
笑い方も狂人っぽいし。
そしてヴァンパイアの正体暴露。
表面上は何ともなさげな祐一ですが、内心はどうなんでしょうか。
自らではなく、第3者にばらされるのってある意味最悪ですよね。
祐一の能力が出ました。
他に12もあるのか……さすがだ。
全部考えるのが大変そうです。(笑
ちなみに管理人は『神剣
フラガラッハ』の元ネタ分かりました。
クイズの期限は3月17日までになりますね。
ふるってご参加ください。
最後に。
祐一君は情に弱い……。
感想は次の作品への原動力なので、送っていただけると作者の方も喜ばれると思います。
感想はBBSかメール(isi-131620@blue.ocn.ne.jp)で。(ウイルス対策につき、@全角)