「ほんまに………来とるんか?」

 

 僅かに震える声で、晴子はたった今聞いたことを聞き返す。

 その声には言い知れぬ恐怖が宿り、対象への畏怖の念を象徴していた。

 

「私もまさか、とは思いましたが。情報は間違ってはいません」

 

 沈痛な表情から紡がれる言葉は、『信じたくない』と『信じたい』の矛盾した思い。

 だが、他に方法も無い。聖は医師として、患者を救う為の藁の名を再び告げる。

 

「現存する四体の真祖が一体。黒の姫≠ノして血と契約の支配者

 死徒二十七祖が第九位…………アルトルージュ・ブリュンスタッドが、この国(エアー)に来ています」

 

 

 

 

 









 
宵闇のヴァンパイア




     第十三話 最美なる失敗作






 


 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっと待てよ! 死徒二十七祖っていえば、最強のヴァンパイア共の番付だろう?

 しかも、真祖って………………そんなバケモノに助けを請うのかよ!?」

 

 住人の言葉に、氷雨と晴子以外の全員が眉を顰めた。晴子が眉を顰めなかったのは、彼女自身も同じ気持ちだったからだ。

 が、それを言葉にする気など毛頭無い。晴子は観鈴を救う為ならば、悪魔の手だろうと迷わず掴むのだから。

 

「国崎君、口を慎み給え。君の言うバケモノに縋る他無いのだ。

 そんな不用意な発言をして、相手が不快に思い、断られたら如何するつもりだ」

 

 聖の鋭い眼光に、住人は慌てて口を噤む。

 確かに聖の言うとおりだ。今の住人たちに、手段など選べるほどの余裕など無いのだから。

 

「……………俺が馬鹿だったな。すまん。

 じゃあ、教えてくれ。黒の姫なら、観鈴の呪いを解呪出来るのか?」

 

「いや、恐らくは不可能だ。何故なら、払うべき代価が足りないだろうしな」

 

「代価?」

 

 住人が疑問に首を傾げると、聖が「あぁ、そうか」と、思い出したように口を開く。

 

「一般の人は知らないことだったな。まして無知な国崎君では、仕方ないことだな」

 

「微妙に貶められている気がするが…………まぁいいや、続けてくれ」

 

「ふむ。ヴァンパイアは『魔法に匹敵する能力を持つ』ということは、知っているだろう?

 黒の姫が持つ能力は、契約≠フ力だ。

 私も詳しくは知らないのだが、『代価を払い願いを叶える』ということが出来るらしい」

 

 僅かな知識を、記憶の底から引っ張り出して聖は語る。 

 

「この代価が曲者でね、黒の姫の価値観によっても変化するらしい。

 私に判断すら出来なかった呪いの解呪だ。一体何れほどの代価を払えばいいのやら」

 

「そうか……………分かった。じゃあ聖、その黒の姫は何処に居るんだ?」

 

「然程遠い場所では無いよ。この町の駅から東に三駅行った所だ」

 

 聖の言葉に、晴子と住人の心は決まった。

 

「よし。じゃあ観鈴のことは任せたぞ、聖」

 

「あぁ、任せておきたまえ」

 

 端的に告げると、二人は診療所を飛び出して行った。当然、秋子たちは置き去りである。

 

「やれやれ、二人とも直情径行にあるからな。確か、水瀬さんでしたね。

 私としては国崎君など如何でも良いが、死なれると佳乃が悲しむのでね。

 何とか、あの馬鹿の手綱を引いてやって欲しい」

 

 聖の言い様に、苦笑しながらも。

 秋子は「分かりました」と言って二人を追いかけるのだった。

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 

「この町のどっかに……………」

 

 聖の診療所を飛び出した晴子と住人の二人は、すぐさま準備を完了し、列車に乗り込んだ。

 高々三駅程度の距離であったし、日帰りで戻る予定なので、着替えも必要無いのだ。

 当然、それだけ準備も早く。一応武器だけは携帯したが、他は着の身着のままである。

 

「舞ちゃん、気配を感知できる?」

 

「……………お母さんほど上手くないけど」

 

 秋子の言葉に、舞は何時も通りの言葉で返す。

 その言葉に秋子は、「お願いね」といって笑った。

 

「なぁ秋子。その子はもしかして……………」

 

「えぇ、静華の子ですよ」

 

 その言葉に、晴子はやっぱり、といった表情になる。

 今まで、観鈴のことばかりで頭が一杯だった晴子の表情が、少しだけ和らいだ。

 

「さよか…………。観鈴が治ったら、ええ友達になれそうやな」

 

「そういえば………あの子も」

 

 思い出した事実に、晴子は無言で首肯した。

 

「もう気にしてへんけど……………うち、観鈴に嫌われてんねん」

 

「? とてもそうは見えませんでしたが」

 

 ぞろぞろと一行は歩く中、秋子と晴子は話し続ける。

 どういう意味か知る住人だけが、痛ましげな目で晴子を見ていた。

 

「昨日話したやろ? 観鈴は『親しい者に癇癪』を起こすって」

 

「えぇ。その症状でしたら大変だったでしょう? 子育てが」

 

 秋子の何気ない一言に、晴子は皮肉気な笑みを浮かべて言葉を発する。

 

「そんなことあらへん。観鈴はな、ず〜っとええ子やったで」

 

「え? それはまさか………………」

 

 言いよどむ秋子に、晴子はさらに自嘲するような笑みで言葉を続けた。

 

「癇癪なんて、一度もうちには起こさんかった。だから、うちは嫌われてんねん」

 

 酷く寂しげに紡がれた言葉に、秋子は何と言っていいか分からなかった。

 極普通の観点から見れば、癇癪なんて起こされない方が良いに決まっている。

 しかし、観鈴の癇癪は呪詛であり。起こす理由は、好意故になのだ。

 

「観鈴はな、ちょっとした友達にだって癇癪を起こすさかい…………友達が居らへんのや。

 この居候もな、最初は癇癪は起こさんかったんや。

 けど、一緒に居るうちに観鈴がこの馬鹿に惚れてな。……………そんで癇癪を起こしおった」

 

 晴子が住人を見る目は、羨望。

 ずっと娘として観鈴を愛してきた晴子は、嫌われ、そして観鈴は突然現れた住人を愛した。

 愛は見返りを求めないもの、などと言う輩がいるが、そんなものは詭弁に過ぎない。

 相手に愛して欲しいからこそ、相手を愛するのである。何も求めない愛など虚像に過ぎない。

 けれど………………。

 

「今はそんなこと如何でもええ。観鈴がうちのこと嫌いでも、うちは観鈴のことが大好きや。

 せやから守ってやりたい。何とか助けてやりたい。…………今はそう思えるようになったわ」

 

 娘を想う、無償の愛。これも虚像だろうか? …………否、これは虚像などではない。

 先程の真理と照らし合わせるならば、晴子は観鈴に幸せになって欲しいのだ。

 幸福を得て、笑顔であって欲しい。そう晴子は思っている。

 観鈴がそうであれば、晴子にとって、それは幸福なのだ。まさに、代償行為などと言われること。

 しかし、晴子の思いに理論や真理など不要だ。本当に観鈴を愛しているからこそ、ただ笑って欲しいと思うのだろう。

 

「あははは…………、すまんなぁ。ちょっと、自分の気持ちを確認したかっただけや」

 

 恥ずかしげに後頭部を掻きながら、晴子はそう笑いながら言った。

 彼女自身、不安なのだろう。これから会う相手が相手だからこそ。

 そして悪戯好きな神は、タイミング良く運命の時を告げる。

 

「……………見つけた」

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 

「……………気配が消えた」

 

 薄暗い路地裏に来たところで、舞が困惑したように呟いた。

 だが、経験豊富な秋子や晴子、そして氷雨などは予想していたかのように武器を構える。

 

「秋子さん?」

 

「皆さんも武器を構えて。神経を集中して、攻撃に備えるんです」

 

 訳も分からぬまま、香里たちは武器を構える。

 それと同時に、風に乗って力ある言葉(呪文)≠ェ聞えてくる。

 

――――――海の藻屑と消えし亡霊共よ

 

 背筋が凍りつく。呪文に籠められる人あらざる魔力。全身から冷たい汗が噴き出し、我知らず膝が震える。

 だがそれも香里たちだけ。秋子と晴子、そして氷雨の三人はそんな不様な状態にはならない。

 

「丹田に力を籠めるんや。そうすれば相手の魔力に飲まれることは無い」

 

 晴子の一喝で、今まで動きの無かった香里たちも動き始めた。

 彼女の言うとおりにすると、全員から漸く震えが消える。

 

――――――昏き冥府の底にて這い回る者共よ

 

 朗々と紡がれる呪文は、その構築式に従って、一つの力を具象化させていく。

 

――――――汝等既に生は無く、この世にあることは許されぬ。

 ――――――然れど、汝等の無念は死してなお消えず。

 ――――――ならば此の地に現れ、生者と戯れよ。幽霊船団(パレード)

 

 完成した魔術の構築式は、一瞬にして世界を隔絶する。

 唯一つの存在によって、世界は侵食され、世界は一つの意志によって歪められる。

 これが一般に、何と呼ばれるか。それはこの場の誰もが知っていた。

 それは魔術に於ける一つの到達点。最大級の奥義であり、禁忌であり、魔法に限り無く近い魔術。

 現実を侵食し、現実を術者の意志によって歪める魔術は、分類(カテゴリー)としてこう呼ばれた――――――

 

 

 

――――――固有結界(リアリティ・マーブル)――――――

 

 

                                            ――――――と。

 

 

「流石は、現存する四体の一体という所でしょうか」

 

 頬を伝う一筋の汗を振り払うように呟かれた言葉も、恐怖を浮き彫りにしたに過ぎない。

 だからこそ、そんな秋子の薄っぺらい言葉を嘲笑うかのように、遂に固有結界が機能し始める。

 

カタカタカタカタ……………

 

 不気味な音を響かせながら、地面からズルリ……ズルリ………と骸骨たちが現れる。

 ボロボロの鎧は、骨しかない体を申し訳程度に覆い。

 刃毀れどころか、錆びついてすらいるサーベルを持った骸骨たち。

 まるで御伽噺に出てくる、典型的な幽霊船の船員(クルー)だ。

 

ヒュン!

「……………」

 

「クッ!」

 

 斬りかかってくる骸骨たち。だが、その速度は大したものではない。

 魔術師でもある佐祐理にも容易く避けられるほどだ。寧ろ問題は……………。

 

「数が多すぎますね」

 

 骸骨の実力は低い。だが、骸骨たちは既に路地裏を埋め尽くしつつある。

 晴子の持つ、大剣で骸骨を粉々に砕くが、何事も無かったように起き上がってくる。

 

「場所を変えましょう。狭い路地裏では、まともに魔術は使えません」

 

「けど、数の暴力に押し切られるで!」

 

 秋子の提案に晴子が叫ぶが、秋子はあくまでも平静を装った声音で返す。

 

「このままでは大通りにも何れ到達します。そうなった場合、この町の人に迷惑が掛かります。

 ましてや骸骨に幾ら攻撃を加えても死にません。郊外に出ての大魔術。それで一気に消滅させる他、手はありません」

 

 秋子自身、これが最良ではなく苦肉の策だということは分かっている。

 だが、本当に他に手が無いのだ。

 既に物理攻撃は目立った成果を上げておらず。狭い路地裏では、強力な大魔術は使えない。

 

「では、先頭は晴子様にお任せします。私は殿を務めますので」

 

「よっしゃあ!!」

 

 氷雨の言葉に、晴子が威勢良く答えて骸骨の群れに突っ込んでいく。

 当然、人通りの無い路地裏を縫うように進み。関係ない人々を傷付けないように配慮した道だ。

 

「さぁ皆様。遅れませぬよう」

 

 氷雨の言葉と同時に、全員が晴子の後を追って走り始めた。

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 

「へぇ〜、頑張ってるねぇ」

 

 とある高い建物の上で、白い服を着た金髪の男が愉快そうに呟いた。

 彼の周りには、漆黒の少女と彼と対をなす様な黒い男。

 そして恐ろしいまでの存在感を放つ、白い魔犬が少女の傍らに伏せていた。

 

「フィナ、随分と戯れておるな」

 

「ん〜。彼女たちが僕らに、幸運を運んで来てくれたかも知れないしねぇ。

 まぁ、殺しちゃうのは簡単だけど。その過程を楽しめるなら、楽しまなくちゃ」

 

 少女の言葉に、フィナと呼ばれた男は愉快そうに答えた。酷く物騒な答えだが、これが彼等にとっての常識なのだ。

 過程を楽しむ…………それが長命である彼等の常識なのだ。例えそれが、命であっても。

 

「なるほど………、だからあの船員≠ヘあんなにも弱いのか」

 

「通常のままだと、生き残るのは3〜4人だけっぽいからねぇ。

 やっぱり人間って脆いからさぁ、ちゃんと手加減してあげないと直ぐに壊れちゃうんだよ」

 

 邪気の無い、ともすれば子供のような笑みに、少女は苦笑。

 余りに異常な言葉だが、やはりこれも彼等にとっては普通の言葉だ。

 

「む。如何した、リィゾ? そんなに難しい顔をして」

 

「いえ…………あのメイド服の女が」

 

「えぇ!? リィゾって、あぁいう子が好みなの!?」

ゴンッ!!

 

 馬鹿なことをいうフィナに、リィゾと呼ばれた男が、鞘を付けたままの剣で殴りつけた。

 かなり良い音が鳴り、余りの痛みにフィナは転げ回るが、リィゾは完全に無視した。

 

「それで、あの娘がどうかしたのか?」

 

「はい。あの女…………どこかで見たような気がするのです」

 

「ほぅ」

 

 少女は目を細め、秋子たちが奮闘している様子を眺める。

 ちなみに少女の位置から秋子たちの場所まで、200m以上はある。

 しかも、秋子たちのいる場所は路地裏で、かなり見難いのだが…………。

 

「確かに…………言われて見れば何処かで…………」

 

 少女は形の良い眉を寄せて、記憶とメイド服の女………氷雨の顔を照らし合わせる。

 

「むぅ…………いかんな、思い出せぬ。リィゾ、フィナ、プライミッツ・マーダー、行くぞ」

 

「はっ」

 

「え? もう少し遊ばないの?」

 

 少女の言葉に、リィゾとフィナが其々声を返し、少女に従って秋子たちを追う。

 今まで伏せていた白い魔犬も、すぐさま起き上がり、その後を追っていくのだった。

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 

「はぁ………はぁ…………」

 

 増える一方の骸骨の群れを掻き分けながら、秋子たちは全力疾走で郊外の人が居ない場所を目指していた。

 段々苦しくなってくる呼吸に、亡者の如く群がってくる骸骨たち。

 どうしても考えが暗い方向に向かってしまうが、それを振り払うかのように更に歩を速める。

 

「この辺りで良いでしょう」

 

 秋子がそういった場所は、多少木々があるが、周囲には殆ど何も無く。

 当然、人も居ない。全員が振り向き、秋子や佐祐理といった魔術師が詠唱を開始した瞬間。

 

「え?」

 

 思わず困惑した声が、誰かから漏れた。

 今まで亡者の如く群がってきた骸骨たちが、突然攻撃を止めたのだ。

 それだけではない。まるでモーゼの如く骸骨たちが、左右に退き、一つの道を作り上げた。

 

「な、何?」

 

 骸骨たちは道を作っただけではない。そのまま膝を付き、深く頭を垂れる。

 それは恰も、偉大なる存在に敬意を表するかのように…………。

 

「あ、あれは!」

 

 驚愕と恐怖に彩られた声が聞えたかと思えば、秋子たちの前方から漆黒の少女が現れる。

 傍らには白い魔犬。そして白い服の男と黒い服の男。

 三人と一匹から放たれる、桁外れの魔力。それだけで全員の体が硬直する。

 

「ふむ………見れば見るほど確信は深まるが、どうしても思い出せぬ」

 

 少女は、真っ直ぐに氷雨を見ながら言う。その禍々しくも美しい瞳で、一心に氷雨を見ていた。

 

「何者だ? 貴様は」

 

「私は斉藤 氷雨。倉田家に仕えるメイドです」

 

 圧倒的なまでの少女に対しても、氷雨は全くの無表情のまま、表情を崩すことが無かった。

 その様子に、少女は満足げに口元の笑みを深めた。

 見た目14〜15歳の少女が浮かべる笑みにしては、酷く淫靡な笑みだったが、この少女にはとても似合っていた。

 

「面白いことを言うな。ただメイドが、この私の眼を真っ直ぐに見返しながら、返答が出来るとでも?」

 

「はい。メイドとして、主人に恥を掻かせる訳にはいきませんから」

 

 やはり氷雨は揺るがぬ無表情で返答する。

 その間も、秋子たちは全身から冷や汗をだらだらと流していた。

 秋子や晴子はまだ少ないが、佐祐理たちは危険な程に冷や汗を流している。

 

「フィナよ、船員を消せ。この者と戯れるのに、邪魔だ」

 

「は〜い」

パチンッ

 

 少女の言葉に、フィナが幽霊船団(パレード)≠止める。

 すると一瞬にして数百と出現していた骸骨たちが消えた。

 

「さぁ、見せて貰おうか。倉田家のメイドとやらの力を」

 

 振り上げられた少女の指先は、まるで猛禽類の鋭い爪のようだった。

 真紅のマニキュアを塗られた爪は、恰も血濡れのようで、見る者の死を連想させた。

 

シュ

「…………」

 

ヒュン

 

 滑るように間合いを詰めた少女の腕の一振りを、氷雨はスウェーバックで回避する。

 少女の歩行を滑るように、と表現したが、本当にそんな動きだった。

 何処までも優雅な少女の動きは、寒気がするほどに見るものを惹きつけてやまない。

 

「尚も私の爪を躱すか。これも倉田家のメイドならば可能なのか?」

 

「いいえ。これは私の技能です」

 

 無表情のまま表情を一切崩さず、氷雨は少女の爪を躱す。

 少女は口元に浮かべた笑みを一層深め、鈴を転がすような美しい声で言った。

 

「ならば、速さを上げてみようか」

 

 振るうたびに風切り音が聞えるような速度から、少女は更に振るっていた爪の速度を速めた。

 既に視認すら困難な爪を、いかな氷雨といえど、全てを躱すことは出来なかった。

 

ガキィィィィィィンッ!!!

 

「その剣は!?」

 

 今まで余裕の笑みを崩さなかった少女の表情が、驚きに目を見開いた。

 後ろで控えていた、白と黒の二人も、驚きの表情で氷雨を見ていた。

 氷雨は、何処からか取り出した二本の剣で、少女の爪を受け流したのだ。

 その剣というのも特殊な剣で。刀身と柄が鍔の部分でずれている、おかしな剣だ。

 

「ク、クククククク…………そうか、そういうことか。

 道理で貴様の顔に見覚えがあるはずだ。答えよ、何故貴様が此処に居る? 私の命でも獲りに来たか?」

 

 今までとは比べ物にならないほどの殺気が、少女から放たれる。

 直接向けられた訳でもないのに、佐祐理たちは一瞬にして意識を刈り取られて気絶する。

 起きているのは、秋子に晴子、そして住人だった。

 住人を支えているのは、観鈴への思いだけで、最早指一本動かすことが出来ない状態だ。

 

「アルトルージュ・ブリュンスタッド様。私共は貴女様と争う為に来た訳ではありません」

 

「ほぅ、面白いことを言うな。悪名高き殺戮者たる貴様が、争わない、だと」

 

 深紅の双眸が細まり、品定めするような目で氷雨を見返す。

 

「はい。私共は、貴女様の協力を頼みに「協力だと?」

 

 酷く可笑しそうなアルトルージュと呼ばれた少女の声が、凍りついた空間に響き渡る。

 

「もう一度言うぞ。あの悪名高き殺戮者が、この私に協力を乞うだと?」

 

「その通りです。ただ、一つだけ訂正を入れるならば、私は既にあの組織との縁は切れております」

 

 氷雨の言葉に、アルトルージュが驚きの表情になる。

 

「何だと?」

 

「先に言っておきますが、本当のことです。

 そうでないならば、どうして皆様を連れて戦ったでしょうか」

 

 なるほど、とアルトルージュは頷いた。

 未だあの組織に籍を置いているのであれば、単独で動く筈であり、群れることなど無いはずだった。

 アルトルージュが考えている中。氷雨は止めの一言を口にする。

 

「私共が求めているのは等価交換。当然、貴女様にも充分な見返りがあると思いますが」

 

 その一言で、アルトルージュの心は決まった。

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 

 秋子たちは気絶していた佐祐理たちを起こすと、町中にある料理店で交渉の場を開いた。

 アルトルージュが一番の上座に座り、その周りをリィゾとフィナが座っている。

 秋子たちは下座の方に、適当に決めた席に座っていた。

 

「ふむ。一応は名乗っておこうか。

 私の名はアルトルージュ・ブリュンスタッド。長いので、アルトで構わぬ」

 

 片手に持ったグラスを傾けながら、少女…アルトが名乗る。

 

「そしてこの者がプライミッツ・マーダー。或いはガイアの怪物などと呼ばれているな」

 

 アルトの座っている椅子の横に居たプライミッツ・マーダーが、それに応える様に「ワンッ!」と鳴いた。

 

「じゃあ、次は僕だね。初めまして、僕はフィナ=ヴラド・スヴェルテン。

 二十七祖の第八位で、白騎士とか呼ばれてる。趣味は……………小さい子と戯れることかな」

 

 最後の部分が、やたらと寒気がしたが、賢明な秋子たちは何も言わなかった。

 

「私はアルトルージュ様に仕える騎士。私の名はリィゾ=バール・シュトラウト。

 二十七祖が第六位にして、黒騎士などと呼ばれている」

 

 最後に名乗ったリィゾに対しては、全員が好感を持った。

 ただ名乗っただけなのだが、言葉の節々にアルトへの実直な忠誠心が見えたからだ。

 正しく騎士の鏡、といったリィゾに対して、悪い印象を持つ方が困難だろう。

 

「さて、聞かせて貰おうか。貴様等が私に求める要求と、私に差し出す代価を」

 

 鋭い瞳で全員を見るアルトに、場を代表するかのように晴子と住人の二人が立ち上がった。

 一瞬だけ、二人が目を見合わせて、最初に口を開いたのは晴子だった。

 

「うちが頼みたいんは、観鈴の……娘の観鈴の呪いを一時的に抑えて欲しいんや」

 

「ふむ。今更だが、私の能力も知っているようだな。まぁ、説明が楽でいい」

 

 晴子の願いに答えず、アルトは深紅の液体(ワイン)を喉に流し込む。

 

「だが、知っていて解呪ではなく抑えること、とはな。それ程に代価≠ェ恐ろしいか?」

 

「恐ろしくなんか無い。それこそ俺の命だって「命だと?」

 

 住人の言葉に、アルトは喉を鳴らして哂う。

 その様子に住人がムッとした表情になるが、何も言うことは無かった。

 

「下らぬな。貴様等の命に何の価値がある?

 貴様等如き、瞬きする間に殺しつくせるほど脆いのだぞ」

 

『……………』

 

 アルトの言葉に、秋子たちは何も言えなくなった。

 確かにアルトの言うとおりで、恐らくなす術もなく殺されるだろう。

 秋子は人類の中でも最強クラスの実力者だが、制約≠ェついている現状では、全力を出すことが出来ない。

 

「抑える、といっても、差し出すべき代価≠ェ無いのではな。

 確か……………斉藤 氷雨だったな。私への充分な見返りとやらは、如何したのだ?」

 

 アルトの問いかけに、氷雨は立ち上がって秋子に一礼する。

 そしてアルトへと向き直り、口を開いた。

 

「皆様が探しておられるのは、相沢 祐一様です」

 

『!?』

 

 氷雨の言葉に、アルトたちは明らかに動揺を見せた。

 余りにも分かり易い動揺の為、思わず演技かと疑ってしまうほどだ。

 

「答えよ。貴様等が知る祐一の全てを」

 

 絶対の威圧感を持って放たれた言葉に、秋子たちは完全に硬直した。

 先程の氷雨に向けた殺気とは質が違うが、強さは此方の方が遥かに上だ。

 秋子たちの心中に働きかけ、一種の強迫観念にも似た何かを呼び起こす。

 

「ここより先は、秋子様に御願い致します。

 カノンで何が起こったのか。その当事者で在られる、水瀬 秋子様に」

 

 氷雨の言葉に、アルトたちの視線が秋子に集中する。この世界に於いて、屈指の実力を誇る三人の視線を受け。

 秋子は氷雨を恨みがましく思いつつ、カノンでの出来事、その顛末を語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「そう……か」

 

 秋子が語った出来事。それはアルトたちが予想していた事を、遥かに越えていた。

 アルトから紡がれた言葉は、様々な思いを露にして、故にどんな思いか分からなくしていた。

 

「信じ難いが……………これもまた真実なのだろうな」

 

「如何致しますか、姫? 我等も『鍵』を集めますか?」

 

 リィゾの進言にアルトは眉を顰め、口を開く。

 

「愚かなことを言うな。如何な我等とて、『鍵』などを持てば狂ってしまう」

 

「むぅ…………しかし、闇主とは何者でしょうか? 確かに話から察するに狂人のような存在ですが」

 

「やっぱり『鍵』の力で狂っているんじゃ「それは無かろう」

 

 フィナの言葉を途中で遮り、アルトは言葉を続ける。

 

「私も過去に一度だけ、『鍵』で狂った者を見た事がある。

 確かに一度だけは『魔法』を使うのも見た。……………だが、それだけだ。

 『鍵』に直接触れたる者は心を食い潰され、ただ荒れ狂う亡霊よ。

 そこに知恵は無く。理性は無く。心も無い。只々魔力を放出し、全てを壊す災禍に成り果てる。

 だが、話を聞く限りは闇主にその様子は無い。恐らくは、正気を保っておる」

 

 アルトの言葉に、リィゾとフィナは驚き。そして秋子たちは沈痛な面持ちだ。

 

「やはり祐一に会う必要があるな」

 

「問題は居場所だねぇ…………」

 

 フィナの呟きで、アルトとリィゾもそれが問題だ、という顔になった。

 表情などは分からないが、プライミッツ・マーダーも同じような雰囲気だ。

 

「そこで交渉です」

 

 一種の冷徹さすら感じさせる氷雨の声に、全員の視線が集まる。

 

「此方の要求を呑んで頂けるならば、来栖川家との仲介人を御引き受けいたします」

 

 この言葉にアルトの双眸が細くなる。

 来栖川家………東鳩に本拠を置く、多角企業を興した家名。

        その規模は余りにも大きく、既に世界規模での活動をしている。

        この世界では交通機関が発達していない為、企業はその大陸内でしか活動しない。

        だが、この来栖川家が興した企業・来栖川コーポレーションはその常識を打ち破った最初の企業。

 

「なるほど…………人探しならば、人ほど便利なモノは無いか」

 

 そう言って喉を鳴らすアルトに、どこか薄ら寒さを感じずにはいられなかったが、誰一人それを口にすることは無かった。

 

「良かろう。その提案、受けようではないか」

 

 一方的な回答と共に、アルトたちは立ち上がり踵を返す。

 

「ア、アルトさん、どこへ……」

 

「ふっ。案ずるな、私としても準備が必要なだけだ。

 貴様等の匂いをプライミッツ・マーダーが憶えた。この国に居る間は、貴様等の位置の特定は容易い」

 

 問いに答えると共に、アルトたちの姿が陽炎のように揺らぎ――――――消えた。

 

「ふぅぅぅぅ」

 

 誰とも無く大きく息を吐き、椅子の背もたれに、もたれかかる。

 ただ一人、氷雨だけが変わらぬ体勢で、秋子へと向き直る。

 

「申し訳ありませんでした、秋子様。使用人でありながら、出過ぎた真似を…………」

 

「そ、そんなこと。氷雨さん、良いんですよ。寧ろ感謝したい位です」

 

 深々と頭を下げる氷雨に、謝られた秋子の方が恐縮してしまう。

 実際、氷雨がいなければアルトとの交渉も殆ど不可能であったし、下手をすれば殺されていた。

 しかし氷雨の御蔭で、殺されることも無く、交渉も成功を収めることが出来た。

 唯一つ、気になることといえば。

 

「なぁ、あんたは一体何者なんだ?」

 

 言い難いことを言ってしまう住人の癖は、美点であり汚点でもある。

 誰もが動きを止め、何故か牽制するような視線が飛び交い始める。

 こんな状況を作り出した原因でもある住人は、ここにきて漸く気付いたらしく挙動不審だ。

 僅かばかり俯いた姿の氷雨は、その表情が見えないままで口を開く。

 

「知りたいですか?」

 

 表情が見えないので、非常に不気味な氷雨の問いに、住人は思わず周囲に助けを求める。

 キョロキョロと、やはり挙動不審に視線を彷徨わせるが、全員が思いっきり目を背けた。

 完全な孤立無援に、思わず泣きそうになってしまうが、何とか踏みとどまる。

 

「そ、そりゃあ、出来ることなら知り「知りたいですか?」

 

 住人の言葉を最後まで言わせることなく、紡がれた絶対零度の声に、住人は冷や汗すら凍り付いたように出なかった。

 最後の気力を振り絞り、首を左右に振ることに成功した住人は、そのまま意識を闇に沈める。

 沈み行く意識の最中、霧島診療所で今も苦しんでいるであろう愛しい人へ、心の中で言葉を送る。

 

(観鈴…………俺…………頑張ったよな? もう、ゴールしても良いよな?)

 

 キャスティングが違うような気がしないでも無いが、幸いなことに心の声なので誰にも聞かれることは無かった。














  
To Be Continued......












後書き

 

 どうも、放たれし獣で御座います。

 なにやらタイトルとはかけ離れている気がしないでも無いのですが、まぁお気になさらず。(爆

 今回も大量に伏線を引きました。

 あぁ、先に言っておきますが、氷雨の使っていた剣は黒鍵ではありません。近いですが。

 当然、氷雨以外にもたっぷりと引いています。意味を成すのは、ずっと先でしょうが。(汗

 それにしても………………フィナが気が付くと喋っている。

 逆にプライミッツ・マーダーは話せないから、書き辛い。(泣

 そしてリィゾはツッコミ役で、アルトは萌え担当。(核爆

 全体的にはこの御一行は書き易いです。ただ、他のメンバーが喋れなくなるのが問題ですが。(苦笑

 さて、今回の後書きはこの辺で。御意見、御感想はいつでもお待ちしております。………………カノンの人物設定を書かないとなぁ。(汗








管理人の感想


 1週間経たずに13話を頂きました。

 更新速度については何も言う事は無いでしょう。


 今回のメインは……氷雨さん?

 謎すぎなメイドです。

 彼女が過去に所属していた組織ってのは何でしょうねぇ。

 幾つか候補はありますが、結局謎ですし。


 フィナも大活躍ですね。

 初っ端から固有結界ですし。

 彼はボケ担当ですから、彼が喋らないとリィゾはツッコミ入れられませんし。

 会話の口火を切る存在は貴重です。




 次回は契約の話ですな。

 果たして姫は大人化して萌えを補完するのか?(爆



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