「なっ! 祐一が浩平の家に泊まる!?
駄目です、そんなの認められません。浩平の馬鹿が祐一にうつったら如何するんですか」
「うつるかっ!!」
「う〜ん、浩平のは一般に当てはまらないし……………」
「…………瑞佳、お前もか」
ギャアギャアと騒ぐ三人。
一人違うが、これもまた姦しいということだろうか? そんな埒も無いことが脳裏に浮かぶ。
祐一は吐息を一つ。静かに自分を導いたレンへと視線を向ける。
「なぁレン。何でお前は此処に来たんだ?」
「…………甘いもの」
短い返答に、祐一は手で顔を覆った。
あぁそうだったな、と。
レンは無類の甘い物好きで、大騒ぎしている里村 茜もまた、異常なまでに甘いものが好きだったな、と。
宵闇のヴァンパイア
第十六話 出演依頼
彼女もまた五年前の一件の関係者であり、祐一と知り合ったのもその時だ。
幼かった頃から成長した容姿は、充分に人目を惹くものだろう。
栗色の長く腰の少し下まで伸びた髪を、二本の三つ編みにした髪型で、物憂さ気な容姿は神秘的にも思える。
少し大きめの淡い赤色の傘を差しており、この中で唯一雨に濡れていないのも彼女だ。
「兎も角、浩平に祐一は任せられません。私が責任を持って預かります」
俺は犬か猫か? と聞きたかったが、祐一はもう暫く傍観することにした。
「ず、ずるいよ! 私だって祐一さんを家に泊めてあげたいのに!!」
「別に他意はありません。ただ、祐一には色々と聞きたいことがあるので」
キュピーン、と茜の目が光ったような気がして、祐一はふと不安になる。
「そんなの私だってそうだもん!」
「あー、まぁ落ち着け二人とも。まずは家にいって其処で話すべきだ。
このままだと濡れ鼠ならぬ、濡れ美男子に――――」
「それもそうですね。浩平も偶には良いことを言う」
そういって、スタスタと歩き始める茜。
最後まで聞くことは無く、ツッコミも無かったことに浩平は内心ショックを受けながら、その後ろに続く。
その後に更に祐一と瑞佳が続き、当初の目的通りに浩平の家へと向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
浩平の住んでいる家は、一般の住宅街にある極普通の家だった。
浩平の住んでいる家だから油断は出来ない、と思っていた祐一としては些か拍子抜けだったが。
「雨………祐一さんの言った通りに強くなってきましたね」
窓の外を見ていた瑞佳が、祐一はそうだな、と応じて言葉を続ける。
「しかし、直ぐに止む。通り雨だからな」
「残念です………」
心底残念そうに言う茜の声に、祐一は苦笑。
「なんだ、雨が好きなのは変わってないのか?」
「当然です。人の好みは、そうそう変わりません。…………………理由は違いますけど」
本当に小さく呟かれた最後の言葉は、浩平たちには聞えなかったようだが祐一にははっきりと聞えた。
だからこそ、微笑ましく思えて、口元が意地悪く歪む。
それを見た茜が、恥ずかしそうにソッポを向いた。きっと祐一に何かを言われないようにする為だろう。
「まぁ良いか。しかし久し振りだな、茜」
「久し振りです、祐一。会いたかったですよ…………あの日、勝手に行方を眩ました理由を聞きたくて」
半目になって睨んでくる茜に、なんとも言えず頬を掻いた。
五年前からそうだったが、茜は冷静に見えて、かなりの激情家………つまり、気が強い。
きちんとした理由を話さないと、赦してくれそうも無い。
「さて、如何したものか……………」
「何か言いましたか? 祐一」
「いや、別に」
剣呑な目で睨む茜に、祐一は内心で苦笑するしかない。
昔はもう少し儚げで、可愛らしかったんだがなぁ………と、祐一は茜に聞かれたら怒られそうなことを思っていた。
「では、話してくれますよね。五年前…………あの事件の直後に姿を消した理由を」
「ふぅ………瑞佳たちにも話したがな。
此処に留まる理由が無くなった、ただそれだけだ」
そう言うと、茜は愕然としたように目を見開いた。
それは余りの驚きに口も開いたままで、塞ぐことを忘れたように見える。
「……………本気で………言ってるんですか?」
「あぁ、無論だ。こんなところでボケるほど、俺は悪趣味じゃない」
チラリと視線を浩平に向けつつ、祐一はきっぱりと言い切った。
これには瑞佳も驚いたようで、目を見開いたまま固まっている。
「ひょっとして……………」
何かに気付いたように唐突に、茜が顔を上げる。
ひょっとして、俺の目的に気付いたのか? と内心賞賛を上げようとすると、
「五年前の茜たちには、色気が無かったからだな」
「そうだ。残念ながら、俺は別にロリ属性は………って、違う!!
浩平!! 変な横槍を入れるな!!!」
余りにも阿呆なことを言う浩平に、祐一からの幻の右が繰り出されるのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「全く、浩平は阿呆です」
「時と場合を考えろ、と言いたいが………………コイツに限っては、その上でやってそうだな」
ズルズル、と何か重いものを引き摺るような音と共に、祐一たち四人は歩いていた。
実質、五人居るのだが、約一名は歩いていないので省いておく。
「ねぇ………祐一さん。如何して浩平は満足そうな顔なんだろう?」
「それはな、浩平が芸人だからだ」
先程から祐一に引き摺られている浩平は、何かをやり遂げたように晴れやかな表情で気絶している。
浩平の家で、祐一の幻の右は正確にヒットして、易々と浩平の意識を刈り取った。
その後の話で、家人である浩平が気絶しているのに、自分達が居るのは如何だろうか? という意見が出たのだ。
そこで、雨が止んだのを見計らって、茜の家に行くことにしたのである。
ちなみに、その意見を発した時、瑞佳と茜の間で一悶着あったことは、敢えて伏せておく。
「祐一さん、浩平の服が泥だらけだよ。このままじゃ、茜ちゃんの家を汚しちゃう」
「そこで浩平の心配をしない辺り、慣れてるな」
瑞佳の言葉に苦笑すると、慌てた様子で弁解を始める瑞佳。
その様子にクックックッ、と意地悪く笑う祐一は本当に悪人だ、と茜は思う。
まぁ、彼女としてもこの手の手合いの扱いには慣れている。
幼馴染が一人居るのだが、彼女もまた浩平と同じような人間で、祐一も浩平と似通っている部分が多い。
………………そんなことを祐一本人に言ったら、全力で否定するだろうが。
「もう少しで私の家です」
瑞佳への助け舟として、茜はそんな確認の言葉を口にする。
そうか、と言う返答と共に、祐一は瑞佳をからかうのを止めた。
だが、突然後ろを振り向き、たった今曲がってきた角を睨み付ける祐一。
「祐一?」
「アレは、お前たちの知り合いか?」
またしても突然の問いに、え? と祐一の視線を追って見れば……………何か居る。
「アレはふざけているのか? それとも、頭が可哀相な奴なのか?」
呆れ顔で指差す場所には、何故かサングラスにカメラを装備した三人の女性がいる。
一人は付き合いで仕方なく、といった雰囲気が見て取れるが、残り二人は間違いなく本気だ。本気で尾行している。
茜は急に痛み出す頭を抑えつつ、これ以上ない位に、きっぱりと言い放った。
「両方です」
「えぇぇぇぇっ!? そんな、茜がそんなことを言うなんて……………詩子さん哀しいっ!!」
茜の言葉に、待ってました≠ニ言わんばかりに飛び出した女性は、非常に芝居がかった動きで泣き崩れた。
その様子を、呆れ半分といった目で見やった後、茜は溜息と共に言う。
「私には貴女の様に怪しげな知り合いは居ません」
「ひ、酷いっ!! 所詮、私たちの友情なんて、男が出来れば崩れるようなモノだったのねっ!!」
「なっ!!?」
謎で怪しい女性の言葉に、茜は一気に真っ赤になる。
その様子に、怪しい女性はにまぁ≠ニいう非常に宜しくない笑みを浮かべた。
「おやおやぁ………これは図星ですかなぁ、茜はん」
「ち、違います!! 私と祐一はそんな関係じゃ」
「ほほぉ…もう呼び捨ての関係ですかぁ」
どんどん泥沼になる茜と怪しい女性の会話。
少し冷静になれば、浩平のことも呼び捨てにしていることに、普通は思い至る。
だが、ヒートアップした茜の頭では、それに気付くことは無い。
「いい加減に落ち着け、茜。どんな知り合いかは知らんが、今のままだとそいつの思う壺だぞ」
「け、けど祐一……」
「ケケケケ、茜ちゃんは祐一君にメロメロかなぁ」
正直、オタオタする茜はレアな上に可愛いので、もう少し困らせたい衝動にも駆られる。
が、それを鋼の精神力で捻じ伏せ、話を進めることにした。
「君が何者かも知らんし、茜を困らせてもう少しこの顔を見ていたい気も分かるが、話が進まない。
俺としては君の名前や、背後で出番を待っている二人の名を知りたいのだが…………」
そう言って、祐一は視線を謎の三人の女性に巡らせる。
三人とも遮光板のように真っ黒なサングラスを掛けていて、その目を見ることは出来ない。
だが、後ろで控えている二人の表情は分かる。笑顔と、呆れ顔だ。
「あははは。そうだねぇ、私も茜の可愛いところを堪能できたし、ここいらで止めときましょうか」
「詩子…………」
恨みがましい目で、睨み付ける茜。
ふぅ、と祐一は吐息。
性格が浩平に似ている……と思い、浩平との相乗効果を考えて、思わず頭痛が奔る。考えたくも無い、と。
「ども〜、浩平君や瑞佳ちゃんは知ってるよね?
「俺の名は相沢 祐一。茜たちとは、五年前からの知人かな」
明るく自己紹介する詩子。
茶色っぽい黒髪は、背中の中ほどまで伸ばされており、ふわりとした見た目は随分柔らかそうだ。
容姿はなかなか整っており、サングラスを取った彼女の瞳には、明確なまでの悪戯っぽい色が見える。
「そちらは?」
「どちらは?」
「ボケないの、みさき。一応、私の方も名乗らせて貰うわね。
私は
「初めまして、私は
先に名乗った雪見は、桃色の髪にウェーブが掛かった髪が、印象的だ。
小作りな顔に、スッとした物腰の彼女は、どことなく香里のようなタイプに見える。
実際、話の具合から判断しても、集団の中でもリーダーなどに選ばれるタイプだろう。
先に反応したのに、後から名乗ったみさきは、艶やかな黒髪のロングで、その長さは大体腰ぐらいまである。
サングラスを外して見えた虚ろな瞳に、やや違和感を覚えたが、それ以外は充分すぎるほど整っている。
会話自体はボケボケしているので分かり難いが、黙っていれば人形のように美しいかもしれない。
「俺の呼び方は自由に決めてくれ。
それと、俺としては全員呼び捨てにしたいんだが………構わないか?」
「私は構わないわよ。それよりも、貴方の呼び方………悪いことは言わないから指定した方が良いわ」
何? と、祐一が雪見の発言の意味を問おうとした時、急な横槍に中止を余儀なくされる。
「ねぇねぇ、祐一君は茜と恋人なんじゃないの?」
「詩子………さっき言ったとおり、俺と茜はそんな関係じゃない。
今後が如何であれ、今は……な」
何かを含むような言葉に、詩子はにんまり≠ニ、笑みを浮かべた。
非常に嫌な予感しかしない笑みに、茜は不安になる。
「あの、詩子? 一体何を「決めた〜」
茜の言葉を遮って、みさきのボケボケした声が響く。
自然とみさきに視線が集まり、全員の視界にはニコニコしているみさきが映る。
「祐一君の名前は、アー君!」
高らかに発表された名に、祐一とみさき以外の全員が同じような表情を作る。それはねぇだろぉ、と。
その理由は色々とある。
10代後半に見える祐一に、今時園児ですら使わない呼び方はどうか、とか。
なんで、名前ではなく名字から一文字取るかなぁ、とか。
某有名大作二次創作で使われる呼び方の一つと、かぶってるんだよぉ、等々。ツッコミどころは満載だった。
しかし、意外なことに祐一は酷く真剣な表情を作っている。
一瞬、怒ったのかと思い、みさきの前に出ようとする雪見。けれど、それは瞬時に止まった。
その理由は祐一の瞳にある。茶色っぽい黒瞳には、深い哀しみのようなものが見えたからこそ。
息を呑むような感情の色に、雪見は魅入られたように動くことが出来なかった。
「悪いが、それは承諾できない」
「どうしてか………聞いても良いかな?」
「ふむ、まぁ単純なことだ。その呼び方は俺にとって、特別な呼び方に近い………ただそれだけだ。
他の呼び方なら好きにしてくれても良い。相沢でも、祐一でも、祐でも、なんでもな。
けど、それは承諾できない。あの呼び方は、アイツだけの特別だから」
祐一の言葉に、みさきは頷くしかない。
人の心の機微に鋭い訳でもないのに、祐一の真摯さが深く伝わってくるような言葉。
それは余りにも真っ直ぐで、思わず嫉妬してしまいそうな位に綺麗だった。
「じゃあ、祐一君って呼ぶね」
「あぁ。気を遣わせて悪いな、みさき」
微笑してみさき≠ニ呼び捨てで呼ぶ祐一に、酷く心地良い感覚を得るみさき。
だからこそ、一歩前へ。不思議なまでに、人を惹きつける祐一との距離を詰める。
「あのね、ちょっと動かないでね」
一応の断りを入れて、みさきは返答も待たずに祐一に触れる。
最初に触れたのは胸。
布越しに感じるゴツゴツした感じは、男性特有の感覚だ。
ポムポム、と触れながら両手を上へ。背後で親友の雪見が何かを言っているが、不思議と気にならない。
頭部へと移動した手から感じたのは、形の良い顎だだった。
下から順に、唇、鼻、耳、目、髪と手を這わせて、みさきは頭の中に、祐一の顔を作り上げる。
「うん、これで祐一君の顔も覚えたよ」
「そうか。なかなかの美男子だろう?」
「うんうん、祐一君は格好良いね」
「……………いや、真っ向から言われると恥ずかしいのだが」
祐一は苦笑して、みさきの頭を撫でてやる。
彼女はニコニコとしたままで、高い位置にある祐一の顔を眺めている。………盲目の瞳で。
「驚かないのね。みさきが盲目でも」
「当たり前だ。彼女の盲目など、一目で分かったからな」
雪見の感嘆の声にも、祐一は素っ気無い返事を返す。
確かに洞察力の高い者ならば、瞳孔の動かない虚ろな目をしたみさきが盲目だということは、一発で分かるだろう。
みさきは普段盲導犬や、杖を持ち歩かない為に分かり難いが………それでも分かる人には分かる。
「優しいんだよ、祐一君は」
「優しい? そんなんじゃないさ、ただ然程珍しいとは思わない……たったそれだけのことだ」
「それでも優しいよ!」
グッと拳を握り締めて、力説するみさきに祐一は苦笑するしかない。
チラリと視線を彷徨わせれば、雪見も同じように肩を竦めて苦笑していた。
互いの視線が合い、やはり同じように苦笑する。
ただ、呆れよりも可笑しかった。
「それにしても、みさきが初対面の人間にこんなに懐くなんてね。貴方………不思議な人ね」
「う〜。雪ちゃん、私犬猫じゃないよ」
「あら、そんなの当たり前よ。貴女みたいに食べるペットなんて居ないもの」
みさきと雪見のじゃれあいは、まるで名雪と香里のやり取りのようだ。
そんな考えに至り、それが余りにも嵌っているものだから、祐一は思わず笑ってしまう。
一度、二組を会わせて見たいな。そう思い、更に笑う祐一。
咽喉を震わせ、響くような笑い声に、みさきと雪見の二人は少しだけ恥ずかしそうだった。
「そろそろ訊いても良いでしょうか?」
タイミングを計っていたらしい茜が、みさきたち三人に声を掛けた。
それに逸早く反応したのが詩子で、明るい口調で言う。
「なに? 茜が知りたいなら、詩子さんスリーサイズまで教えちゃうぞ」
「そんなことに興味はありません。
私が訊きたいのは、どうして三人が揃ってストーカー行為をしていたか? と言うことです」
少し憮然としながら、茜は簡潔に問う。やはり、先程からかわれたことを、根に持っているようだ。
それに対して、反省の欠片も見えない詩子は、ケラケラと笑いながら答える。
「あぁ、それ? 実はね、先輩達に付き合って、役者探しをしてたのよ。
その途中で茜が見知らぬ男の人と歩いてる上に、戦利品よろしくな扱いされている浩平も居るじゃない。
それを見て思ったわけよ。これはもう、つけるしかないな、ってね♪」
「思わないで下さい」
テヘ、と笑う詩子に、無駄だと分かっていながら茜は言う。
無駄だと言うことは分かっている。ただ、それでも願わずにはいられないのだ。………心情として。
「あの〜、役者探しって………まだ決まって無かったんですか?」
遠慮しがちに問う瑞佳に、祐一とレン以外の全員が頷く。
蚊帳の外になっている祐一とレンは、顔を見合わせて首を傾げた。
「一体、何の話だ?」
「一ヵ月後に、チャリティショーをやるんです。
内容は劇で、収益は………確定じゃないですけど、カノンの復興に使われるんですよ。
問題は………まだ役者が決まってないことみたいですね………」
瑞佳の説明に、ほぅ、と吐息とも声ともとれる音を漏らす祐一。
元々、何かの福祉の為に行なう予定だったものを、カノン壊滅の報に予定を変更したのだろう。
「それで、一体何の劇をやるんだ?」
「既存の劇じゃないのよ。演出監督と相談して、私が書いた脚本なのよ」
自慢…というか、誇らしげに胸を張る雪見。彼女自身、相当力を入れているのだろう。
しかし、演出監督まで居るとは…………一体、どんな劇なのだろうか? そう思い、祐一は少しだけ興味を示した。
更に祐一が何かを問うよりも早く、雪見が「ところで……」と、前置きして言葉を続ける。
「………………さっきから気になっているんだけど、貴方の後ろにいる子………誰?」
「ん? あぁ、レンのことか?
俺の使い魔だ。今は人型だが、猫の姿にもなることが出来る」
「…………………………良いわね」
突然雪見の目が鋭くなる。それは恰も、獰猛な肉食動物が獲物に目をつけたような目だ。
レンはその目、というか雰囲気に怯えたように祐一の影に隠れ、雪見の様子を伺い始める。
「レンちゃんで良いのよね? ……………あのね、女優にならない?」
「?」
出来る限り優しげな声音で言われた言葉に、レンは小首を傾げた。
そして縋るような目で祐一を見上げ、それに気付いた祐一は口を開く。
「レン、芝居は分かるな? 決められた話し通りに演ずることだが。
女優と言うのは、その演ずることを仕事として選んだ女性のことを指すんだ。分かるか?」
コクン
「……………」
祐一の言葉に、レンは素直に頷く。
物分りの良いレンなので、祐一の大雑把な説明でも凡そ理解したようだ。
「それで、やりたいか?」
フルフル
「………………」
「そんなっ!?」
祐一の問いに、間髪いれず首を振るレン。それに対して、雪見は愕然とした叫びを上げる。
レンがやりたくない、と意思表示をしたことが、相当ショックのようだ。
「きっと楽しいから、ね? ね?」
フルフル
「…………」
「雪ちゃん、嫌がる子にやらせるのは良くないよ」
諦めきれずに説得しようとする雪見に、メッとみさきが注意する。
それでもまだ、名残惜しそうな目でレンを見る雪見。
「レンは人が苦手………いや、俺以外の全てが苦手で、触られるのが大嫌いなんだ。
とてもじゃないが、劇なんて無理だな。
特にレンは、余り喋らないからな。劇ってことは台詞があるんだろう? 尚更難しいな」
「そこは……大丈夫よ。元々台詞が少ない役だし、誰かと接触するようなシーンも無いわ」
祐一の言葉にも雪見はあっさりと反論し、レンのことを諦めていないようだ。
しかし祐一の方は逆に気になる。台詞もなく、誰かと接触しない役などあるのだろうか?
「それはアレか? 木の役とか?」
「そんもの、そこらの人間にやらせれば良いのよ!
私が彼女に任せたいのは、重要なシーンの巫女の役をして欲しいの!!」
「えぇっ!? 巫女って、あのシーンの巫女ですよね!? まだ決まってなかったんですかっ!!?」
「そうなのよぉ〜〜!!」
驚きの声を上げる瑞佳に、僅かに悲観しような雪見の叫びが繋がる。
祐一からすればあのシーン≠ニ言っても、何のことだかさっぱり分からないので、首を傾げることしか出来ない。
ただ、雰囲気から察するならば、結構重要な役どころのようだ。
「それどころメインの…「ふわぁ〜〜〜あ、良く寝た」
続く雪見の声に被ったのは、誰かの大欠伸。
視線を其方に向ければ、しきりに目を擦っている浩平の姿があった。
「ぬぉ!? 俺様の服がボロボロのドロドロ!! 誰じゃいゴラァッ!!」
「寝起きだというのに、ハイテンションだな。お前は」
「ぬぉ!? 祐一じゃねぇか、何で此処に?」
「………………」
少し奇妙なことを言う浩平に、違和感を覚える祐一。
そんな祐一の袖を、遠慮がちに瑞佳が引っ張る。
「ゆ、祐一さん。浩平の記憶が………」
「………………………」
その先は聞くまでも無い。
浩平の記憶は、恐らく今日会ったところから消えてしまったのだろう。あの一撃で。
「なぁ、祐一。一体何があったんだ、俺に?」
「さぁ? 俺が見たときは既に気絶してたぞ」
祐一は、取り敢えずしらばっくれることにした。
「ゆ、祐一さんっ!?」
「しっ! 浩平のことだから、直ぐに忘れる」
「いや、全部聞えてるぞ」
とはいえ、浩平自身なんのことやら、という顔をしている。
祐一は、このまま話を押し通すことにする。
「気にするな。兎も角、今は劇の役者を決めねばならん」
「お。祐一も手伝ってくれるのか?」
「ふっ、当然だ」
話を逸らすにはコレが一番だからな、という言葉は心中で続けた。
祐一は視線を雪見へ。
「と、言う訳で俺も手伝おう」
「物凄く理由が不純だけど………背に腹は変えられないのよね」
ハァ………という溜息が、雪見の口から漏れる。
どうやら余程の人手不足のようだ。
「取り敢えず、レンちゃんにお願いしてくれないかしら。
私のイメージに、ほぼピッタリなのよ。敢えて言うならもう少し大人だと良いんだけど」
「ふぅん……まぁそれも出来なくも無いが、やはりレンが承諾すればだな」
「出来るのっ!?」
祐一の言葉に驚く雪見。それに祐一は、あぁ、とだけ答える。
「しかし、レンは………」
フルフル
「………嫌」
「うぅ〜〜、可愛いわねぇ〜〜」
赤い瞳をウルウルさせながら祐一を見るレンは、殺人的なまでに可愛らしい。
雪見は思いっきり抱きしめたい衝動に駆られるが、祐一の影に隠れるレンが相手では叶わない。
「では、その役は取り敢えず保留ということにして。
他に何か決まっていない役とかあるのか?」
「う〜ん、まだあるにはあるんだけど…………それは演出監督と決めないと」
腕を組み、少しばかり難しい顔をする雪見。
「そいつは何処に居るんだ?」
「そろそろ合流する予定よ」
言うが早いか、直ぐに声が聞えた。正しく噂をすれば影、と言う奴だろう。
駆け足で来るのは、浩平たちと同い年ぐらいの少女。
青味がかった黒髪のツインテールが、彼女の動きに合わせて揺れる。
段々と明瞭に見える容姿は、活発そうで、ともすれば気が強そうにも見えた。
大きく手を振りながら駆け、何故か左手には竹刀を持っている。
「はぁはぁ…すいません、急な雨で…………」
「良いのよ。それよりも、貴女も自己紹介した方が良いわね」
「は? ……そういえば、この人は?」
祐一を指差しながら訪ねる少女は、祐一にではなく雪見に問うた。
「彼は相沢 祐一。私たちに協り「相沢 祐一ッ!!?」
雪見の言葉に、大きな声で叫ぶ少女。
驚きに目を見開き、祐一を指している指も小刻みに震えている。
少女からすれば祐一のことを知っているようだが、祐一には全く覚えが無い。
訝しげに少女を見れば、彼女は少しだけ震えた声で言葉を発した。
「貴方が、あの相沢 祐一なの!?」
「ふむ。どの相沢 祐一かは知らないが………確かに俺の名は、相沢 祐一だが」
「じ、実在したんだ…………」
「先程から言っている意味が分からないし、俺は君のことを知らないのだが」
祐一の冷静な指摘に、少女の頬に羞恥から来る赤味が差す。
顔を俯かせて、「お、乙女としたことが……」等と呟いている。
「乙女? 随分と変わった名だな」
「ち、違います! 私は
叫ぶように名乗る留美の言葉に、祐一はふむ、と留美を改めて見る。
…………しかし、やはり記憶に無い。
五年前の関係者では無い筈なのだが、彼女の様子から祐一のことを知っているのは間違い無さそうだ。
「…………ひょっとして、浩平たちの誰かから俺のことを聞いているのか?」
「はい。相沢さんのことは、浩平から色々聞いてます。
何でも、とんでもない女っ誑しで、ロリ属性の変人だって…………」
「ほぅ………それは興味深い。是非とも詳しい話を聞きたいな、浩平を交えて」
貼り付けたような笑みで、祐一は留美に言う。
取り敢えず、浩平は自分の死期を悟った。
「それと………想像を絶するくらい強い。神様だって平伏するぐらいに…………」
真剣な瞳で、真っ直ぐに祐一を見る。
そしてソレに対して祐一は、深淵のように深い瞳で応じた。
ゆっくりと口元を吊り上げてニヤリ、と不敵に笑う祐一に、留美は一瞬驚きを見せて、直ぐに笑う。
「あはは、聞かされていた以上ですね。相沢さんは」
「それは後者に対してだということを、祈っておこう。
それと俺のことはもっと気安く呼んで貰って構わない。俺も留美と呼ばせて貰うから」
「そうですか? なら…うん。分かったわ、祐一」
自然に笑う留美は、中々に可愛らしい。
まぁ彼女ほどの歳ならば、可愛いよりも美人だと言われた方が嬉しいのかもしれないが、祐一はそう思った。
「留美が劇の演出監督なのか?」
「えぇ……まぁ、一応ね」
「なんだ、歯切れが悪いな」
言い淀む留美に、祐一は首を傾げながら思ったことを口にする。
そしてその答えは、留美からではなく雪見から答えられた。
「彼女は元々は貴方と同じで、協力者なのよ。
シナリオの演出上、私よりも彼女の意見が有効だと判断して、彼女に演出監督を任せたってわけね」
「ほぅ………益々気になるな。誰か台本を持っていないか?」
想像が全くつかない祐一がそう言うと、雪見は一冊の本を取り出す。
本と言っても、紙を束ねて括っているだけのモノだが、如何やらコレが台本のようだ。
「タイトルは…………『人と在った神』か」
パラパラと台本を捲り、その内容に目を通す祐一。
その内容は……………、
「ク、クク、クククククククククッ……………」
咽喉を震わせ、祐一は嗤う。否、嗤わずにはいられなかった。
余りの異様に浩平たちが引いているが、そんなことは全く気にならない。
それ程、祐一は台本に描かれているシナリオに見入っていた。
「ど、どうかした? ひょっとして、そんなに面白かった、とか?」
そんなわけない、と自分にツッコミを入れたくなるが、そう聞かずにはいられない。
寧ろ、そうであって欲しいという願望が多分に入っている、雪見の願いだ。
「失礼。少々取り乱したようだ」
「そ、そう………」
何処か酷薄な笑みを見せる祐一に、雪見の笑顔が引き攣る。
シナリオを見て祐一が何を思ったのか、それは祐一にしか分からない。
しかし、今の祐一は何処か寒気を感じずにはいられなかった。
「良い劇だ、きっとな………。雪見、お前が全部考えたのか?」
「え、えっと、七瀬さんが信仰している闘神教の神話をアレンジしたものだけど」
「闘神教………闘神 アザゼルの、闘いへの信仰か」
唇がつり上がり、祐一の顔に再び笑みを作る。
それは皮肉への狂笑のようにも見えたが、やはり真意は見えない。
「見たところ、闘神の巫女の役と闘神 アザゼルの役が決まっていないようだな」
「そうなのよ。巫女の役はレンちゃんみたいな子が良いんだけど、闘神がねぇ」
漸く雰囲気が落ち着いた祐一に安堵しつつ、雪見が言葉を漏らす。
祐一の纏う雰囲気が落ち着いた所為か、浩平たちも自然と声が口に出る。
「しかし、良いのか? この展開は。
仮にとはいえ、カノンの復興資金になる劇の収入だが………肝心の劇の内容がな」
改めて疑問の声で問う祐一に、雪見は難しい顔をする。
「元々はそういうつもりじゃなかったから………。
でも、シナリオの変更は難しいのよ。そこは、この話の肝なんだから」
成程、と祐一は頷いた。確かに件の展開は重要なものであり、削除できるような場面では無い。
カノンの援助という面で見れば、不相応かもしれないが、仕方の無いことなのだろう。
「分かった。では、闘神の巫女と闘神の役が決まれば、全て完了だな」
「えぇ。でも、何よりも闘神の役が厳しいのよ……………」
眉を顰め、雪見は手で顔を覆う。………本当に困っているようだ。
「この役には、人よりも美形で、魔術の腕が高くて、ミステリアスな人が良いんだけど」
「それはまた…………」
雪見の言葉に、祐一は苦笑するしかない。
彼女の要求するものを満たせるような者など………、
「ねぇ、誰か知らない? こんな人」
「祐一だな」
「祐一さんですね」
「祐一以外の何者でもないですね」
「は?」
浩平、瑞佳、茜の三人が声を合わせていうものだから、祐一は思わず間抜けな声が漏れた。
まじまじと三人の顔を見れば、自分の言ったことに満足している顔だ。
「へぇ、祐一君か…………確かに顔も良いし、ちょっとミステリアスね」
「ちょっと待て、俺はやる気は無いぞ」
「あら? さっきは協力してくれるって言ったのに、アレは嘘だったのかしら?」
雪見の鋭い切り返しに祐一は、ぐっ、と呻くことしか出来ない。
祐一の知る香里に似た……いや、年齢を考えるなら香里以上の雪見が、煙に巻くのは難しいだろう。
ハァ……と、溜息を一つ。無駄かもしれないが、抵抗してみることにする。
「しかし、俺が闘神 アザゼルの役なんて………」
「祐一なら似合います。祐一は強いし、底がしれませんから」
「煽てるな…………頼むから」
祐一の意図を知らぬ茜は、率直な意見を言う。
それが祐一にとっては、致命的な意見なのだ。
「私も祐一君が一緒だと楽しいよ!」
「詩子さんも祐一が一緒だと、(色々と)楽しいだろうねぇ」
「……………不思議だな、詩子が言うとやる気が激減だ」
「詩子! アンタは黙ってて!!」
酷いですよっ!! 先輩も祐一も!! という詩子の叫びは無視。
こっそり茜が、うんうんと頷いている辺り苦労しているのだろう。
「兎も角、協力すると言った以上は手伝ってもらうわよ」
「そうだぞ、祐一。雪見先輩に目を付けられた以上、地の果てまで追いかけられるんだ。諦めろ」
「………浩平君、何が言いた「何言ってんのよ、浩平!!」
「ウゴァッ!!」
パッシーーン、という小気味の良い音と共に、留美の持っていた竹刀が浩平の頭を直撃する。
途中までしか言わせて貰えなかった雪見は、お仕置きも出来なかったので怒りのやり場が無い。
「雪見先輩、浩平のお仕置きは私がやっておきました」
「そう。有難う、留美」
「え? あの……その、私不味いことしました?」
にっこりと作り物めいた微笑を見せる雪見に、薄ら寒いものを感じて怯える留美。
それに対しても、雪見は微笑を崩さない。それが余計に怖い。
留美は切羽詰り、助けを求めて視線を彷徨わせるが………、
ツイ
そんな擬音が聞えそうな位に、全員が照らし合わせたように目を逸らした。
助けの無いことを悟った留美が肩を落とした瞬間、雪見の手が留美の肩に置かれる。
「浩平君をちょっと、そこの影まで運んでくれるかしら」
「は、はいっ!!」
留美に引き摺られた浩平が、祐一たちから死角になる場所まで連れて行かれる。
そして、雪見もそれについて行き、祐一たちからは見えなくなった。
「ゆ、祐一さん! い、一緒に劇をやりましょう!!」
「そ、そうだよ祐一君。じゃないと浩平君が……ゲフンゲフン……きっと楽しいよ!!」
「そこはかとなく、死刑執行のサインをさせようとしてないか、お前ら?」
瑞佳とみさきの二人が、必死になって祐一に言う。
それは約一名の怒りを鎮める為。
そして雪美たちの消えた角から断続的に響く叫びを、聞かないようにする為でもある。
何をされているのかは不明だが、この世のモノとは思えない叫び声が続いていた。
「祐一………明日は我が身、という諺を知っていますか?」
「や、やる以外に道は無いのか……?」
「無いわね。雪見先輩といえばしつこいこと、スッポンの如くと…「へぇ、それは初耳ね」
ピシリ、と硬直した詩子の肩を、白魚のように綺麗だが、万力のような力を持った手が掴んだ。
ミシミシ、と詩子の肩が悲鳴を上げているが、彼女は硬直したまま動けない。
背後から来る、空恐ろしい鬼気の所為で。
「詩子、ちょ〜っと来てくれるかしら」
ブンブン
「…………っ!!」
「貴女に拒否権なんて無いわよ」
必死に首を振る詩子を無視して、雪見は無情な言葉と共に引き摺っていく。浩平の消えた、角の先へと。
「あぁ、そうだ祐一君」
「な、何だ?」
「役の件、考えといてね。こっちはもう少し掛かるから」
満面の笑みで、目だけが笑っていない表情で雪見が見えなくなる。
その一連の動きに、祐一は嘆息を一つ。
「やります」
見上げた空は、腹が立つほど晴れ渡っていた。
後書き
プロットは出来ているのに、中々文にはならないことで悩んでいる放たれし獣です。
今回も浩平が不幸な目に…………可笑しい。もう少しボケ倒す筈なのに。(笑
兎も角、ONEのキャラたちと絡むイベントとなる演劇です。今回は勧誘編でした。
…………………えー、強要とか言わないように。(核爆
しかし、最近は暑いですな。暑いのが苦手な私は厳しい季節です。
特に、本文での最後である『見上げた空は〜』の一文は、私の心からの言葉ですよ。(苦笑
と、言う訳で今回はこの辺で。御意見、御感想をお待ちしております。
管理人の感想
雪見のはっちゃけ具合が凄まじいですね。
その所為か、みさきや詩子や留美の存在が……。
いや、別に良いんですがね。
浩平の私生活は命がけですか。
まぁ留美と雪見だけなら少しはマシなのかもしれませんけど。
kanonヒロインより暴走する面子は少ないですしね。
次回は雪見以外が目立つのを楽しみにしてます。
感想は次の作品への原動力なので、送っていただけると作者の方も喜ばれると思います。
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