夢を見ている。
夢の中の彼女は、王様だった。
誰よりも強く、そして誰もの理想であろうとした王だった。
だが、誰もの理想であろうとした時点で、彼女の理想は理想ではなく。
それは歪んでしまった幻想でしかなかった。
彼女はそんな幻想を胸に抱きながら、剣を抜いた。
親代わりの老魔術師の忠告を聞いてなお、剣を抜き………彼女は人であることを棄てる。
剣を抜いたことによって不死となり、王という名の歯車となることを、他でもない彼女が望んだのだ。
けれど、彼女は余りにも完璧な王であったが故に、民や騎士たちに恐れられることとなる。
彼女は幾度となく聞いた。
騎士たちが自分は人間ではなく、その証拠に人の感情など持ち合わせていない、と。
巫山戯るな、そう俺は思う。
誰の所為で彼女がそうなり、そしてそうなるまで誰も気付かなかった?
少しでも彼女に踏み込める者が居たならば、その運命は変わったかもしれない。
けれど、それは無意味な仮定でしかなく。
彼女は幻想を抱いたまま死に、今も尚、彼女は歪んだ幻想の為に戦っている。
その生涯に僅かに羨望し、哀しみ、そして怒りを覚えた。
彼女と似通った部分があるから羨望なのか。
彼女が歪んでいることに最後まで気付けなかったから哀しみなのか。
彼女を誰一人として理解しなかったから怒りなのか。
答えは出ない。
そして答えが出ることもなく、意識が急速に浮上していった。
Twin Kings
第三話「マキリ」
目蓋を開き、周囲を見渡せば見慣れた部屋。
畳が敷かれた純和風の何も無い部屋は、間違いなく俺の部屋である。
「え〜っと………」
他には何も無い。
ただ上着が剥ぎ取られ、上半身裸の状態で腹部に包帯が巻かれていた。
この巻き具合からして、腰の少し上辺りの為のようだ。
はて? 怪我をした覚えが無いんだが…………。
「あ……良かった。目を覚ましたのですね、シロウ」
「あぁ。おはよう、セイヴァッ!?」
聞えた声の方に視線を向け、挨拶をしようとしたら変な声を上げてしまう。
そこには障子を少し開き、此方を覗き込んでいるセイバーの姿があった。
いや…………それは良いんだけど、彼女の格好が……………。
別に変なわけじゃない。寧ろ良く似合って………って、何言ってる、俺!?
「シロウ? 突然頭を抱えて如何したのですか?
もしや頭が痛いのですか? それならばリンを呼びますが………」
「あ、いや、何でも無いんだ。だから遠坂を呼ぶ必要は無いぞ、全然、うん、本当に」
そうですか? などと言って小首を傾げるセイバー。
その仕草が小動物のようで可愛いなぁ、などと思ったのは秘密の方向で。
「では一体如何したのですか? セイヴァッなどと私を呼んで。
私の名はセイバーです。出来れば間違えないで貰いたい」
「うん、ゴメン。ちょっとセイバーが着てる服に驚いたんだ」
そう、彼女が着ているのは銀の鎧ではなく、普通の洋服なのだ。
蒼色のリボンがアクセントの白いブラウス。下は藍色のスカートで、膝まで広がっている。
セイバーの雰囲気と相成って、非常に清楚で、深窓の令嬢を彷彿とさせた。
「この服ですか?
確かに防御力は期待できませんが、鎧姿ではマッポ≠ニいう治安維持組織に通報されると聞きました。
ですから、服をリンが用立ててくれました。彼女には、感謝しなければ」
防御力って…………いや、マッポの方にツッコミを入れるべきか?
一体誰が……って、遠坂しか居ないか。
まさか召喚時の一般常識で、警察じゃなくてマッポと教えられるわけないよな、多分。
「うん、良く似合ってる。可愛いな」
どうツッコミを入れるか決まらないので、無視して服の感想を言う。
元々は遠坂の服なんだろうが…………如何だろう、遠坂には似合わない気が……………。
「そ、そうですか? その、あの………有難う御座います」
「い、いや、別に礼を言われるようなことじゃないから」
頬を紅葉のように染めながら、ペコリと頭を下げるセイバーは反則的に可愛かった。
これで過去の偉大な英雄だというのだから、驚きであ――――――――!!
「そうだ、バーサーカー!! 昨日の戦いはどうなったんだ!?」
如何にも頭がボケていたようだ。
まさか完全に昨日の出来事を忘れてるなんて、間が抜けているなんてもんじゃない。
そして、俺の突然上げた疑問の叫びに驚いたのか、僅かに眼を見開いていたセイバー。
一瞬にして驚きから、真剣な表情へと変化させると、口を開いた。
「昨日の戦いは、シロウの作戦勝ちでした。
リンのサーヴァントが先走った行動をしましたが、結果的にバーサーカーは退きました。
あくまでも退いただけで、バーサーカー自体を倒すには至りませんでしたが………」
僅かに悔しそうに唇を噛み、報告してくれるセイバー。
……………良かった。
じゃあ怪我人は誰も居ないんだな、そう安堵の声を上げようとした時、セイバーの眉尻が急に上がる。
「ですがシロウ、貴方は無茶をし過ぎる! 死にたいのですか!?」
喝! と言わんばかりの一声に、叱られた子供のようにビクリとしてしまう。
危険な角度になっている眉、そして鋭い眼光に射竦められた俺は、金縛りにあったように直立不動だ。
「アーチャーの攻撃によって破壊された墓石の一部が、シロウの背を貫いたのですよ!
脊柱の一部を粉砕し、内臓を抉った傷は、常人なら確実に死んでいます!!」
……………………………なんだって?
脊柱……つまり背骨を粉砕され、内臓を抉る程の傷を受けた? 昨夜?
浮かぶのは疑問ばかり。それも当然だ、セイバーの言うとおりで死んでなければ可笑しいのだから。
これでも弓道だが、一応は武芸を嗜み。半人前以下だが、魔術師の端くれでもある。
それ故に、それが良く分かる。
軽く腰を捻ってみたりもするが、痛みは無い。ただ、何故か体全体が熱っぽい感じもするが、問題は無い。
こんなことは有り得ない。有り得るとすれば、余程高位の治癒魔術だが………俺には使えない。
「確かに、シロウは自分の傷を治すことならば一流のようですが…………それでも無茶が過ぎます!」
セイバーのお叱りの声も、何処か遠くに聞える。
聞く限りでは誰かが治癒した訳ではなく、勝手に治ったようだ。
確かに昔から傷の治りは早い方だったが、ここまでバケモノ染みてはいない。
一体どういうこと何だ? そう思い、思考の深いところへと沈みかけると………、
「聞いているのですか、シロウ!?」
「えっ!? いや、ゴメン。聞いて無かった」
があー、と叫ぶセイバーに素直に答える。
当然素直だからといって、聞いて無かったことは変わらず、セイバーは怒ったままだ。
それにしても、薄暗いな……………ひょっとして一日ぐらい寝てたのか?
「なぁセイバー、今何時だ?」
「………………五時を少し回ったところです」
不機嫌さを隠そうともせず、けれどちゃんと答えてくれるセイバー。
そんな彼女に苦笑しつつ、聞いた言葉を口の中で転がす……。
「五時……か。ひょっとして一日中寝てたとか?」
「いえ。バーサーカーと戦ったのは日付の変わる少し前、つまり昨日の夜ですが。
それから約五時間ほどシロウは眠り続けていました」
成程、じゃあ問題無いな。
既に一日経っていて、セイバーたちの姿が藤ねえや桜に見られていたら目も当てられな――――――、
「あっ!!」
「今度は何ですか、シロウ?」
ま、拙い。セイバーやキングのことを、何て言えば良いんだ?
家族同然の藤ねえや桜に隠し事はしたくないけど、まさか召喚しましたなんて言えるわけ無いし。
第一、魔術師でもない二人に言ったって分かる訳が無い。
「ど、どうしようセイバー!?」
「落ち着いてください、シロウ。主語が抜けていて、意味不明です」
セイバーの冷静なツッコミに、まだ焦りつつも何とか説明する。
藤ねえという姉代わりの女性と、桜という妹のような後輩の二人のことを。
ふむふむ、と静かに話を聞いてくれるセイバー。
一通り説明し終わると、セイバーの方から口を開いた。
「それならば問題ありません。
私はどこかに隠れていますので、見つかり難い場所さえ提供して頂ければそれで充分です」
それは…………………確かに楽で、確実な方法だろう。
本当のことが言えない以上は、嘘をつかなければならないし、俺は嘘が苦手だった。
ボロがでる確立は高いだろうし、セイバーの言うことが最善であることぐらいは分かる。
けれど――――――、
「それは駄目だ。
召喚という法外なことで暮らすことになったとはいえ、此処に住むんだろ?
じゃあ、家族も同然じゃないか。家族を家族から隠す奴なんていないさ」
苦労を背負い込むことになっても、セイバーたちを仲間外れにして笑うことなんて出来ない。
目に見える人は、出来るだけ笑っていて欲しい。
目の届かない人にも、笑っていて欲しい。衛宮士郎の理想とは、そういう類のものだから。
だというのに、
「シロウ、それは間違っている。私は人間ではなく、サーヴァントです。
サーヴァントを家族として扱う必要は無いのですよ」
セイバーはそんなことをのたまう。
全く分かってない、俺の言いたいことを。そして俺の言っている意味が。
だから、思わず眉根を寄せて、不機嫌さを顔に出してしまう。
「シロウ?」
「セイバー、お前は分かってない。
俺にとっては、セイバーがサーヴァントだろうが過去の英雄だろうが構わない。
セイバーは今、確かに此処に存在している。
そして理由はどうあれ、俺たちは一緒に暮らすんだろ? なら俺にとっては家族と同じだ」
はっきりと気持ちを言葉に変えて言った。
それを聞いて、セイバーは一瞬驚き、呆れ、溜息し、最後に嬉しそうな顔で笑う。
何がそんなに嬉しいのか、どこか宝物を見つけた子供のようだ。
「分かりましたシロウ。貴方がそう望むのであれば、私はその指示に従います」
変わらない硬い言葉。
けれど、彼女は優しく微笑んでいた…………。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
セイバーの説得に成功した俺は、彼女を伴って居間に移動した。
当然朝食を用意するためだが、他にもキングと話し合ったり、遠坂と話すことがあるからだ。
「あれ? キングだけか?」
「ふん。なんだ、
我 だけでは不満だとでも言うのか?」
「そうじゃないさ。けど、遠坂にも話したいことがあったからな」
居間でテレビを見ていたキングが、文句を言ってきたが、俺は普通に答えた。
すると興味を失ったのか、ふん、と言って此方に向けていた視線をテレビへと戻す。
傍らに居るセイバーにも視線で訊いてみるが、彼女は静かに首を横に振った。
そこで漸く気付く。セイバーが普通の洋服なのに対して、キングの方は昨日と同じ鎧姿であることに。
「? キングは遠坂から服を貰わなかったのか?」
そう訊くと、キングは酷く不吉な顔で笑い、セイバーは眉根を寄せて難しい顔を作る。
え? 俺、何か悪いことを訊いちゃった?
「くっくっくっくっ、笑える話だ。あの魔術師の服では「ただいまー」
何かを言おうとした丁度そのとき、タイミング良く遠坂が何処かから帰ってきた。
遮られる形となったから、てっきり不機嫌になるかと思ったが、予想に反してキングは愉快そうに笑っている。
はて? 何故だろう、とんでもなく身の危険を感じるのは。
「あ、衛宮くん起きたのね」
「あぁ、心配掛けたな」
遠坂は少しだけ気怠そうな顔をしていた。
恐らく、寝ていないのだろう。
遠坂は片手に紙袋を持ち、学園の制服の上に赤いコートを羽織っている。
「そんなに心配はして無かったわ。だって、物凄い魔力で瞬く間に治していくんだから。
流石に驚いたわ。貴方は治癒に特化した魔術師だったのね」
明らかに勘違いされている言葉に、否定の言葉をぶつけようとした。
だが、それよりも速く、遠坂が紙袋を突き出す。
「さぁ、これが私の持っている服の中で一番大きなサイズよ!」
何故か挑戦するような言葉を、高らかに叫ぶ遠坂。
紙袋の中から出てきたのは、赤い上着だった。
遠坂が着るには、少しばかり大きなその服を、キングが受け取る。
「まぁ無駄だと思うがな」
物凄く勝ち誇った顔をしながら、纏っていた金色の鎧を消す。
霊体である彼女ならば、これぐらいは出来て当然である。
それはさて置き、鎧をとった彼女は黒いタイツのようにピッチリとした服だった。
キングの体の線がはっきりと見て取ることが出来、健全な男子高校生にとっては目に毒な光景である。
「やはり…………キツイな」
「グッ!!」
少し苦しげに呟かれた言葉に、遠坂はガックリと膝を付いた。
何のことか良く分からなかったが、キングがこれ見よがしにある場所を押さえたのを見て理解する。
「…………成程」
「何が成程なのよ…………」
地獄の底から響いてくるような声に、自分の死期を悟る。
つい、出来心で見比べ、そして納得の声を上げてしまった迂闊な俺は如何しようも無い阿呆だった。
「い、いや、その、何だ。…………こ、これからだって!!」
「そう、有難う衛宮くん。お礼に……………」
物凄く良い笑顔を浮かべながら、目だけが笑っていないその姿は、
「逝きなさい」
赤いあくま≠ニ呼ぶに相応しいお姿でした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ふむ、これが現代の町並みか」
新都にある繁華街に着き、キングが周囲を睥睨しながら呟いた。
昨夜はこの辺りには寄らなかったが、今日は服を買うことが目的なので此処に居るのだが………。
「大丈夫ですか、シロウ」
「な、何とか」
遠坂に殴られてから五時間も経つというのに、まだ頬が痛い。
殴られた時の衝撃といったら、頭がもげたかと思うほどだ。
「何をしている、雑種。さっさと来い!」
キングの言葉に、僅かにふらつく足取りで動く。
今日は平日ということもあり、それほど人通りは多くない。
学校は如何したのかといえば、サボったのだ。
無論、そんなことを教師である藤ねえが許す筈も無いのだが、何とか説得した。
直接会ってセイバーたちを紹介する方法は、まだ思いつかなかいので、電話を使ったのである。
同時に桜にも電話をして、説得しておいた。だから、今日は二人には会っていないのだ。
「良し、此処にするか」
そういって入ろうとするのは、見るからに高級そうなブティック………って、ちょっと待て!
「ま、待て、こんなところの服を何着も買う金なんて無いぞ!」
「何を言っている。
我 は王だぞ? 王たる我 が、何故金なんぞ払わねばならん」
でた、王様発言。
キングの言うとおりにしたら、朝のセイバーの言葉じゃないがマッポに通報されてしまう。
当然だが、そんなことはご免被るので、何とかキングを説得する。
「面倒だな、全く。
碌に魔力の供給すら出来ぬ雑種の癖に、言うことだけは一人前とは」
キングの言葉が胸に突き刺さる。
遠坂に殴られた後、朦朧とする意識の中で睡眠学習しているように聞かされた話。
それは俺とセイバー、キングの二人にパスが繋がっていても、魔力が全く流れていない、ということ。
その所為で、キングは蔵≠ニやらを開くことが出来ず、セイバーを危険な目に合わせたそうだ。
何て不様なん――――――――、
「シロウ」
「あ、な、何?」
突然掛けられた声に、思わずビクリと反応してしまう。
声を掛けてきたセイバーは真剣な目で俺を射抜き、そして細い指で俺の手を取る。
心臓が跳ね上がるほど鼓動が高鳴ったが、見せられたものに一気に冷める。
「余り無理をなさらぬよう」
見せられた俺の手には、強く握り過ぎた所為か血が滲んでいた。
「雑種、これで良いのか?」
少し陰鬱としていたところへ、キングの声が聞えてきた。
そちらに目を向ければ、何故かキングは大きなジュラルミンケースを持っていた。
「如何したんだ、それ?」
「そこに置いてあったのだ」
指で指し示されたのは無人のベンチ。
周囲を見渡せど、何故か人影すら見えない。
「落し物かな?」
首を傾げながら、何か手がかりでも無いかとジュラルミンケースの蓋を開けると、
「んなっ!!?」
そこにあるのはケース一杯に敷き詰められた福沢諭吉…………もとい一万円札。
一千万? いや、下手したら一億はあるんじゃ…………。
「何をボ〜ッとしている。それで好きな服が買えるのだろう?」
「ば、莫迦! これは落し物なんだから交番に届けなきゃいけないに決まってるだろ!!」
「き、貴様!
我 に向かって莫迦とは何だ、莫迦とは!!」
ギャーギャーと言い合いを始める俺たちを余所に、セイバーは繁々と札束を見ている。
時折、「これが現代のお金……」や「見事な絵ですね」などと呟くのが聞えた。
非常に変な三人に見えること請け合いだが、幸いというか周囲に人影は無い。
それから五分ほど言い合いをしたあと、何とか交番へと移動することになった。
「あ、有難う御座います! これで契約の方も何とか纏まります!!」
交番に着くと、落し主が泣きそうな顔で警官に事情を説明しているところだった。
落し主は40代後半の恰幅の良い男性。どこかの社長らしく、今日は大事な商談の予定だったらしい。
気を付けて下さいね、と一言付け加えて渡し、何度も礼を言う男性の前から立ち去ろうとすると、
「あ、待って下さい! お礼に一割を貰ってください!!」
「そ、そんないいですよ」
懐から取り出した大き目のハンカチに、幾つもの札束を無雑作に突っ込む社長。
明らかに一千万はありそうな包みを押し付けてくる社長に、俺は引け腰だ。
はっきり言って、こんなことをされても困る。
別にお礼が欲しくて届けた訳では無いし、何より届けたことへの報酬としては高すぎた。
「いえ、今時ちゃんと届けてくれるような方が居るなんて、私は感激したのです!
何も遠慮などすることは無いんですよ。法律でも決まっているのですから」
グイグイと押し付けてくる社長に、俺は完璧に途方に暮れていた。
どうやら何が何でもお礼をしたいらしい。俺としては要らないのだが、押しに弱い俺は断りきれない。
セイバーやキングは我関せずとばかりに、交番の外から此方の様子を覗っていた。
「じゃ、じゃあせめて減らしてください! 一介の高校生には一千万は多すぎます!!」
「そうですか? では、八百万ほどに…………」
「なんでそんなに残念そうなんですか………。
それよりも、八百万なんて多すぎますよ! 十万でも充分です!!」
「何を仰る! 貴方の心がけは、一千万でも足りないくらいなんですよ!!
七百五十万。これ以上は負かりません!!」
「そ、そこを何とか!」
世にも奇妙で、馬鹿馬鹿しい値下げ交渉は、社長が商談時間になるまで続けられた。
え? 具体的な時間? ………………忘れるほど疲れたよ………………。
「漸く買い物をすることが出来るな。
全く、雑種が問題ばかり起こすから、余計な時間が掛かったわ!」
ギン、と睨みながら仰るキング。
普段の俺なら、縮み上がってしまうような眼光なのだろう。
しかし、今の俺はそれどころでは無かった。
そこら辺の店で買った小さなバック。その中には、結局押し付けられた四百万が入っている。
それを両手で抱き、周囲をキョロキョロと見ながら歩く俺は、間違いなく挙動不審だった。
普通なら職務質問されるだろうが、事情を知っている警官は苦笑しながらサムズアップしていた。………俺に如何しろと?
「良し、此処にするぞ」
やはり高級そうな店を選び、ズンズンと中に入っていくキング。
その後をセイバーが続き、最後に俺が続く。
高そうなだけあって、内装はとても綺麗だし、置いてある服も趣味が良い。
固い服ばかりかと思えば、カジュアルな服も置いてあり、その内の一つを手にとって見る。
良い生地を使ってるなぁ、などと思いつつ値段に目を走らせると、
「………………………」
目玉が飛び出るかと思った。
こ、これが一万!? 商店街に行けば、バーゲン品で五百円で買えそうなのに!?
いや、このデザインや生地の良さを考えれば妥当なのかも知れないけど………。
それでも庶民の俺には、信じられない位に高かった。
「お客様、今日はどのような服をお探しでしょうか?」
「え?」
ニコニコと営業スマイルを浮かべる店員に、訳も無く焦ってしまう。
言いよどんでいると、意外なところから救いの手が差し伸べられた。
「雑種、ちょっと来るがいい」
キングの声を聞き、店員に断りを言って彼女の下へ行く。
本当に高級店なんだなぁ〜、という感想を漏らしながらキングの下へと到着すると、彼女は服を選んでいた。
それをボンヤリと眺めているセイバーだが、時折服を手に取ったりもしている。
「なんだい、キング」
「これを着ろ」
そういって彼女が押し付けてきたのは、下から上までの服一式。
訳も分からず試着室に放り込まれ、強制的に着替える破目になった。
「なんか高そうだな…………」
「良いからさっさと着替えろ!」
トレーナーとジーパンを脱ぎ、キングの用意した服に袖を通す。
誂えたようにサイズがピッタリだったが、そこは敢えて無視しておく。
服は俺の赤毛に合わせたのか、赤いアンダーウェア。そしてその上に黒いジャケット。
下のパンツも黒いもので統一されているが、全体的に品が良く、作り手の誇りすら感じられる。
はっきりいって、かなり気に入ってしまった。
普段、子供っぽい感じが密かなコンプレックスだった俺にとって、大人な感じを出してくれる服は有り難い。
この服は、そういった意味でまさに俺の理想と言えるだろう。
「ほぅ、流石は
我 だな。小汚い雑種でも、見れるだけのものにするとは」
ふふん、と何やら自画自賛しながら俺を苛めてくるキング。………酷い言われようだな。
「曲りなりにも
我 のマスターなのだ、身なりには気をつけよ。良し、これならば他のものも着せる必要は無いな。さぁ雑種、服を持て、次へ行くぞ」
言いたいことだけ言って、ズンズンと立ち去っていくキング。
俺には文句を言う暇も、試着した服を着替える暇すら与えられない。
慌てて会計し、持たされた服は、大きな紙袋で十個もあった。
ちなみに値段は…………福沢諭吉が三十人は天に召されたと言っておこう。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
日が暮れて、漸く家に帰ってきた。
あの後、家具店に行ってはキングサイズのベットを買ったりして大量の買い物をしたのだが…………、
「やっぱり増えてる…………」
札束を数え終え、嬉しいはずのことで肩を落とした。
詳しいことは分からないのだが、キングの保有技能である「黄金率」が関係しているらしい。
なんでも一生に於いてどれだけお金が付いて回るか、という確立らしく。
キングはそれがA≠ニいう破格なのだそうだ。
かなり使ったはずなのに、手持ちの金額は六百万。最初よりも二百万も増えている。
「…………考えても仕方ないか」
溜息を一つ吐き、キッチンへと向かう。
幸いというか今日は桜も藤ねえも来ない。何やら用事があるらしく、今日は来れないのだそうだ。
よって、今日の晩御飯はセイバーとキングの三人だけである。
「そういえば、昨日から何も食べてないんだよなぁ」
キッチンに立った途端に、腹が鳴る。
今日はトンカツに決めてあり、材料も帰りに買ってきている。
セイバーとキングとは初めての食事なので、鹿児島産の最高級黒豚を用意した。
勿論、ヒレではなくロースだ。トンカツなどの揚げ物に使うならば、ロースの方がカロリーが少ない。
ヒレだと揚げる時に油を吸ってしまい、結果的にロースよりもカロリーが高くなるのだ。
ダダダダダダダダンッ!!
軽快に包丁の背を使って肉を解し、卵を付けて小麦粉を付ける。
そして再度卵を付けて、最後にパン粉を塗す。あとは熱した油の中に放り込むだけだ。
ジュワァァァァ、という音を聞きつつ、キャベツを千切りにしていく。
やはりトンカツの付け合わせといえば、キャベツの千切りだろう。
「良し、完成だ」
付け合せに味噌汁も用意したところで、時刻は六時半を少し回ったところだ。
晩御飯にしては少々早いのかもしれないが、偶には良いだろう。
手際よく居間へと運ぶと、何やら餓えた獣のような眼をした二人が座っていた。
「ど、どうかしたか?」
「……………別に」
「……………何でもありません」
嘘を吐いていることぐらいは直ぐに分かったが、何も言わない………いや、言えない。
何故なら、余計なことを言えば齧られそうな雰囲気すら感じたからだ。
「え、え〜っと…………取り敢えず、いただきます」
手を合わせて、食事の始まりを告げる声を言う。
セイバーたちも声は出さなかったが、俺を真似るように手を合わせた。
箸が使えるか不安だったが、それは杞憂で終り、二人とも普通にトンカツを口に運ぶ。
一口、二口、三口とカツを口に運び、その度に浮かべる表情に安堵する。
二人とも本当に美味そうに食ってくれたからだ。
ホッとしながら、俺も食事を再開する。うん、今日も上手く出来たな。
「ふん、まぁ雑種如きにも取柄の一つぐらいは有るものだな」
食事を終え、お茶を飲んでいるときの感想がこれだった。
勿論、誰かは言うまでも無くキングである。
言葉遣いは悪いが、俺の頬には笑みが浮かんでしまう。何故なら……、
「キング、頬に米粒が付いてるぞ」
「――――――――ッ!?」
慌てて頬に付いた米粒を取るキング。そのアワアワとした動きは可愛らしく、思わず頬が緩んでしまう。
……………それとセイバー。お前には付いてないから頬を擦らなくても良いぞ。
「ところでシロウ、今晩は如何しますか?」
「如何するって?」
「勿論、聖杯戦争に関することです。自ら打って出るか、それとも敵を待ち受けるか。
私としては前者をお勧めします。この場所は、守るに向いてはいない」
そういえば、未だに実感が湧かないけど聖杯戦争中だったな。
………………さり気無く一回死んだ上に、二回も死に掛けているんだけどね。
兎も角、聖杯戦争での被害者を減らすべく参加したのだから、見回りも必要だろう。
家に篭もっていたところで、誰も護れないし、誰も救えない。
「行こう、セイバー。
でも、打って出るんじゃない。見回りに行くんだ」
「………………分かりました。
しかし、これだけは約束してください。いざという時は、迷わぬことを」
いざという時。
それは一般人を襲う、外道の魔術師と対峙した時のことだろう。
迷わぬこと。
それは、例え殺すことになっても躊躇うな、ということか。
「……………分からない。今の俺には約束出来無い。
俺は人を殺したことは無いし、人を殺すことを学んだ覚えも無いから」
中途半端で、不十分な答えだろうが、今はこれが精一杯だ。
安易に人を殺すことは認められないし、殺さないことも誓えない。
はっきりと出来ないとも言えないし、出来るとも言えない半端な言葉。
けれど、その言葉にセイバーは微笑んだ。
「シロウ、貴方はマスターとしては致命的な程に甘い。
しかし、人として貴方は正しい。
そんな貴方だからこそ、私は貴方のサーヴァントであることを誇りに思います」
真っ直ぐな言葉に、一種の気恥ずかしさすら憶えて顔を俯かせる。
今はセイバーに顔を見られるのが、酷く恥ずかしかった。
「では、行きましょう」
セイバーの声に急かされて、立ち上がる。
同時にセイバーも立ち上がるのだが、キングだけが立たない。
「どうしたんだ、キング?」
「
我 は行かんぞ」
え?
「何を呆けている。当然だろう、貴様のような雑種と違い、
我 は王だ。王たる
我 が、何故あくせくと 見回りなんぞをしなければならない」
あぅ………またしても我が儘ですか。
間違いなく俺が何かを言っても動いてはくれなさそうなので、如何したものか、と途方に暮れていると。
「構いません、シロウ。
やる気の無い者を連れて行ったところで、充分な戦力にはなりません。
キングには拠点の防衛を任せるのが上策かと」
「そうだな…………………。じゃあ、キングは家を任せたから」
「まぁ良かろう。小汚い家だが、新しい住処を探すのも面倒だ。
引き受けてやるから精々感謝しろ、雑種」
王様発言にも大分慣れてきたかなぁ。
最初は少しカチンきたりしたけど、今では可愛いとすら思えるし。
…………………もしかして、そういう趣味があったのか? 俺。
「ま、まさかな………」
「何がまさかなのですか、シロウ」
「い、いや、何でもない。行こう、セイバー」
首を振って恐ろしい考えを振り払い、セイバーの手を取って家を出る。
夜の風が、酷く冷たく感じられた……………。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
冬木市全域をパトロールすることは、流石に不可能なので、今日は深山町を回ることにした。
やはり自分の周囲、つまりは自分の足場を固める必要があるからなのだが………、
「随分と静かだな」
新都と比べれば深山町は住宅街に等しい。
だからこそ、既に深夜と言える時間帯では人通りもかなり少ないのだが………どうも妙だ。
「静か過ぎる」
「同感です。気を付けて下さいシロウ、きっと何かが……」
言い終えるよりも早く、絹を裂くような悲鳴が聞えた。
交わすべき言葉も無く、全力で駆け出す俺とセイバー。
身体能力の差から、セイバーが先行するが俺は気にしない。
それよりも、見ず知らずの被害者に思いを馳せていた。
「……ハァ…ハァ……」
僅かに上がった息を整えながら到着したのは、冬木大橋を望める公園。
この公園の中央を挟んで対峙するのはセイバーと、見知らぬ女性。………恐らくはサーヴァントだ。
女性にしては長身で、膝まで伸びた紫色の髪。
露出度の高いレザーボンデージのような服に、やはり革で出来た眼帯をしている。
その美貌は神の如くであり、表情を消した無表情であることが残念に思えるほどだ。
「衛宮?」
意外そうな男の声。
サーヴァントに集中していた意識を、その背後に立つ男へと向ける。
「しん………じ…………?」
「はは……まさかお前もマスターになってるなんてな。
お前みたいな何の取柄も無い奴が、な」
蔑むように吐き棄てたのは、俺のクラスメイトである
間桐 慎二 。青味がかったウェーブの入った短髪に、服装は学校の制服。
左手に洋書らしき本を、開いた状態で持っている。
それよりも気になるのは…………慎二の足元で蹲っている女性。
「その人に何をした………」
思わず低く、唸るような声で問う。
あぁ、これ? 等と言って足で指し示すと、何でも無いことのように言った。
「餌にしたのさ」
――――――――今、なんて言った?
「何だよ、だって当然だろ? サーヴァントは魂喰いなんだ。
餌を与えなきゃ消えちゃうんだからさ、面倒でも餌はあげないと。
…………もしかして知らなかったのか? クク、やっぱり出来損ないだな」
「もういい……………喋るな」
「なんだと」
慎二がしたことに、驚きは無い。それは遠坂からも、聞かされていたことだったからだ。
英霊という最上級の使い魔を使役するには、膨大な魔力が必要になる。
無論、ある程度は聖杯が負担するのだが、足りない分は魔術師が提供しなければならない。
俺は未熟だから提供する方法も分からないが、提供するだけの魔力が足りない魔術師も中にはいる。
そんな時、如何するのか? 簡単だ、自分が持っていないのなら、あるところから持ってくればいい。
そして供給するに当たって、最も効率が良いのは、人間から吸い上げること。
しかし、魔術師でもない人間………ましてや無理矢理吸い上げるとなれば、その負荷は半端ではない。
下手をすれば………いや、かなりの高確率で死んでしまうほどの負荷になるのだ。
「慎二、お前は此処で止める!」
「止める? 甘いな、反吐が出るよ。
これは戦争なんだぜ。……………殺すか殺されるかなんだよ!!」
決意を込めた叫びも、慎二には届かず、嘲笑と共に叫ばれた。
そして同時に、信頼するパートナーへ叫ぶ。
「頼んだぞ、セイバー!」
「殺せ、ライダー!!」
洋服から鎧へと、一瞬にして武装を完了して飛び出すセイバー。
その姿は、正に蒼銀の弾丸!
対するライダーと呼ばれた女性もまた、恐るべき速度で飛び出した。
その姿は、正に黒き閃光!
相対する二人のサーヴァントは、それぞれのマスターの前で激突する!!
ギィィィィィィンッ!!!
セイバーは不可視の剣をもって、上段からの切り下ろし。
ライダーはそれを、いつの間にか両手に持っていた鎖の付いた杭のような短剣で防ぐ。
しかし、セイバーの膂力が桁外れているのか、吹き飛ばされたように離れるライダー。
「二刀流かと思いましたが、剣術に関しては素人のようですね」
「…………………」
冷静に戦力を分析するセイバーに対して、ライダーは沈黙を保つ。
そして無言のまま、不気味な動きでセイバーの周囲を回る。
その動きは蛇のようで、捉え所の無い動き。
ライダーの奇妙な動きに、セイバーは目を細めて、動くのを止めた。
セイバーを中心に据えて、円形に動くライダー。
その疾さは、セイバーよりも上だ。だから、このセイバーの選択は正しい。
何故なら……………、
ザシュゥゥゥゥゥゥゥッ!!!
「は?」
厭らしい笑みを浮かべていた慎二が、間の抜けた声を上げた。
一見、優勢にも見えたライダーが、ただの一刀で地に伏したのだから当然といえば当然かもしれない。
そう、セイバーはただの一刀でライダーを倒したのだ。
動きは簡単だ。
動かないセイバーの背後からライダーが襲いかかり、セイバーは攻撃を防ぎつつ斬撃を与えた。
言葉にすればその程度のことだが、セイバーがライダーの技を遥かに上回っていたからこそ出来た戦法である。
それと、何故かライダーが戸惑っていたようにも見えたんだが…………?
「…………ガ、ッハ………ぁ……グ」
「私たちの勝ちですね、ライダー。そしてライダーのマスター」
「ヒッ!」
セイバーに見られただけで、恐怖に駆られた声を漏らす慎二。
別に睨み付けたわけじゃない。ただ慎二がこれから起こる事を勝手に予想して、怯えただけだ。
最早セイバーを見ていることなど出来ず、倒されたライダーを憎悪の篭もった目で睨み付け叫ぶ。
「何やってんだよ!! 何勝手にやられてんだよ!!
お前がやられたら、僕が危ないじゃないか!! さぁ立てよ! 立って戦えよ!!
この僕がマスターをしてやってるんだぞ!! さっさと立て!!」
「ぁぁぁっ!! ぐ、ぁあ……ぎ……」
袈裟懸けに斬られた傷から、盛大に血を噴出しながらも何とか命令に従って立とうとするライダー。
だが、余りにも深い傷がそれを許さず、そして契約の縛りが命令に背くことを赦さない。
彼女の躰に、バチバチと従うことの出来ないライダーを痛めつける電流が流れ、その度に苦悶の声を上げる。
「止めろ、慎二!! もうライダーは戦えないんだ、無理させたら本当に死ぬぞ!!」
「死ぬ? ふざけるなよ、コイツはもう死んでるんだよ!! そんな奴を如何扱おうが勝手だろ!!」
なん……だと? 死んでるから、如何扱おうが勝手?
巫山戯るな………巫山戯るな!!!
「慎二、おまえ――――――ッ!!」
「シロウ、此処は私が」
激昂して、思わず殴りかかろうとした俺を、セイバーが静かに止める。
そんな彼女の目も、静かな怒りで満たされており、明らかに慎二の言葉に怒りを憶えている。
「ライダーが可哀相ですね。ここまで役に立たない上に、愚かなマスターをもって」
「黙れっ!!」
「どういう手段かは分かりませんが、貴方は正規のマスターではありませんね。
恐らくはその本。その本が令呪の代わりとなり、マスターとしての権利を移譲しているのでしょう」
慎二の言葉を無視して、淡々と喋り続けるセイバー。
それにしても、慎二が正規のマスターではなく。
更に、マスターとしての権利を譲られた存在? そんなことが可能なのか?
「碌な魔力の供給も出来ない以上、彼女の実力も本来のものよりも劣るでしょうね。
同情しますよライダー。こんな愚にも付かない、莫迦なマスターを得てしまったことを」
「黙れっ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れっ!!
亡霊如きが、この僕を莫迦にするなぁっ!!!」
夜の闇を切り裂くほどの醜い絶叫に、何処までも冷たい眼でセイバーは言う。
「莫迦になどしていませんよ。私はただ、事実を口にしただけです」
セイバーの冷たい言葉の刃に、更に叫び声を上げる。
「立て!! 立てよ!! あのクソ生意気な亡霊をボコボコにして犯してやる!!
だから立て!! 立って戦え!!!」
無茶苦茶な命令にも逆らうことなど出来ないライダーは、無理をして立ち上がる。
だが、それが限界。深すぎる傷の所為で、息も絶え絶え。
無傷のセイバー相手に、戦うことなど不可能に等しく、勝つことなど夢のまた夢だ。
「愚かな。貴方のような人間は、一度痛い目を見ないと分からないようですね」
一歩、前へと踏み込むセイバー。
慎二は怒りの方が強いのか、怯えない。ただ壊れたように戦えと叫ぶばかりだ。
「セイバー………」
(安心してください、シロウ。殺したりはしません。
ただ殴るだけです。………………まぁ骨の一本や二本は折れるかもしれませんが)
止めようとした俺に、セイバーからの念話が伝わる。
骨が折れるのはちょっとやり過ぎな気もするが、今の慎二には良い薬かもしれない。
今の慎二は、人の痛みを知るべきだろうし……………。
「良し、思いっきりやってきてくれ」
「了解しました、シロウ」
俺の言葉に明瞭な声で返すセイバー。心なしか、彼女は良い顔をしている。
不思議と……………慎二の生命が危ぶまれた。
(…………………殺す気は無いんだよな?)
ちょっと不安になり、念話で聞いてみると、
(勿論です。………………ですが、事故ということもありますので御覚悟を)
「へ? ちょ、まっ!!」
恐ろしいことをボソリと付け加えて、駆け出すセイバー。
止められない速さで駆け出したセイバーを止めたのは、予想外の出来事だった。
ボウッ!!
「ギャヒッ!! も、燃える!? 偽臣の書が燃える!!?」
突如燃え上がる本。
赤々と燃え上がる炎は、瞬く間に慎二がもっていた本を灰にしていく。
本が完全に灰になった途端、同時にライダーの姿も消えていった。
「な、何で!?」
「儂が燃やしたのよ」
突然の第三者の声に、俺とセイバーが身構える。
公園に満ちていく強烈な腐敗臭に、覚えがあるのか、慎二の顔が引き攣っていく。
「さて、お前さんと会うのは二度目だの。衛宮の息子よ」
現れたのは禿げ上がった頭に、地味な色の着物を纏い、木の杖を持った老人。
確かに、一昨日の夜に桜を家まで送った時に会った爺さんだ。
皺くちゃの顔は、はっきり言えば妖怪のようでかなり不気味である。
「クカカカ、孫可愛さにサーヴァントを与えてみればこの体たらくよ。
やはり魔術師でも無い者に与えても、宝の持ち腐れよな」
不気味な笑い声を上げる老人に、セイバーが眉を顰めた。
きっと俺の眉も顰めていることだろう。
「今、魔術師でも無い者に………と言いましたね。
どういうことですか? 魔術師でもない者がマスターになるのは、不可能な筈です」
「確かに普通の方法では、マスターにはなれんじゃろう。
じゃが、儂が姓はマキリ。この国では間桐と書くが、それは瑣末なことよ………。
さて、聞き覚えが無いかね? サーヴァント・セイバー。この間桐≠ニいう姓に」
「確か、聖杯戦争を……………」
「その通り。嘗て作り上げたのよ、この聖杯戦争を。
後は製作者の特権じゃな。
誰よりもこの戦いのシステムを理解しているが故に、抜け道も心得ておる」
嗤いながら愉しげに語る老人。
つまり、何らかの裏技を使って慎二をマスターに仕立て上げた、ということか。
「クカカカカ。それにしても驚いたぞ、衛宮の息子よ。
まさか親子二代に渡って、同じサーヴァントを召喚しようとはな」
「え?」
今なんて言った? セイバーが
切嗣 に召喚された?
「なんじゃ、その様子では知らなかったようじゃな。
まぁ詳しい話は直接聞くがいい。今はそれよりも頼みたいことがあってな」
「………な、なんだ?」
困惑する頭で、なんとか言葉を返す。
好々爺然とした老人は、言葉を続ける。
「何、簡単なことよ。慎二の命を助けてやって欲しい、ただそれだけよ」
「え?」
声を上げたのは、老人の登場から呆然としていた慎二だった。
驚きに目を見開き、唖然としながら老人を見ている。
「無論、タダでとは言わんよ。老い先短い命だが、儂の命をもっていくがいい」
淡々とした言葉に、俺とセイバーは顔を見合わせた。
はっきり言えば、怪しい。
突然現れた上に、見た目は胡散臭いというか、モロ悪人ですと言っているようなものだし。
有り体に言えば信用できないのだ、この老人を。だが、老人は此方を無視するように話を続けた。
「何をしている? 貴様はもう用済みじゃ、早々に失せるがいい。
貴様もまた、父と同じで出来損ないだったようじゃしな」
「……………クッ!」
歯の軋む音が聞えるかと思うほど、慎二はキツク歯を噛み締める。
しかし、反論することも無く、慎二はもたつく足で公園を後にした。
最後に振り返った時、深い憎悪を孕んだ眼が、酷く印象的だった。
「さて、如何する? 儂を殺すか?」
哂いながら自分の死を示唆する老人には、一種恐怖すら覚える。
本当に、その真意が全く分からない。何故、こんなにも平然と言えるのか?
困惑するのは、孫を護る為という殊勝な心がけがあるように見えないのが、その一因だろう。
「何を考えているんだ、爺さん」
「爺さん等と呼ばんで欲しいな。
儂の名は臓硯。マキリ
臓硯 が儂の名じゃよ」
初めて聞く老人……臓硯の名。
間桐ではなく、マキリ。それが嘗ての名だと、臓硯は言った。
なら、まだ聞かなければならないことがある。
「間桐は魔術師の家系なのか?」
「いかにも。元はマキリだったが、この地へ根を下ろすときに間桐と姓を変えたのだ」
「じゃあ、桜も魔術師なのか?」
そうだ、ずっとそれが気懸かりだった。俺のことを何故か慕ってくれている優しい後輩。
そんな桜が、聖杯戦争みたいな殺し合いに参加するなんて、想像するだけで嫌だ。
「それは無い、魔術というものは基本的に一子相伝。
長男、或いは長女でなければ魔術は教えぬ」
「そう………か。なら良いんだ」
ホッと、安堵の溜息を漏らす。
現金な反応かもしれない。けれど、知り合いが殺し合いに参加しているなんて、認めたくないものだ。
ましてや、家族のように接している桜ならば、その思いが数段強い。
「訊きたい事はそれだけかな? ならば儂はもう行くが………」
「あぁ、別にかまわ――――――っ!?」
立ち去ろうとする臓硯の背後。
振り翳しているのは、見たことも無いが、凄まじい力を感じる剣!
ビシャ!!
「汚らわしい」
嫌悪感を隠そうともせず、彼女は吐き棄てる。
「なんで…………なんで殺したんだ、キング!!!」
臓硯を脳天から両断したのは、俺のもう一人のサーヴァントであるキングだった。
幾ら怪しいからといって、殺すなんて絶対に間違っている!!
「殺した? ハッ、やはり気付いていないかったようだな。
この汚らわしい蟲を見ろ、この醜悪な蟲をな!」
キングの言葉に従い、真っ二つにされた臓硯を見る。
なっ!? 蠢いている…………!!?
「クカカカカ…………やはり衛宮は侮れぬ。
よもや伏兵を用意しているとは、ましてそれがサーヴァントとはなぁ」
斬られた時に咽喉も破壊されたのだろう。元々嗄れていた声が、壊れて、酷く聞き取り辛い。
だが、臓硯が生きていることは、はっきりと理解した。
「初めから騙すつもりだったのか…………」
「騙される貴様が阿呆なのだ。この程度のことに気付けないのがな」
愚か者、という感じでキングに叱咤される。
そんな風にキングに怒られている間にも、臓硯の躰がバラバラになり、無数の蟲となって消えていく。
かなり悍ましい光景だ。子供に見せたら、間違いなくトラウマになるだろう。
「そうだ! あの女の人は!?」
「大丈夫です。衰弱していますが、生命に大事はありません」
いつの間にかセイバーが女性を抱き起こしており、容態を確かめていた。
良かった、あとは近くの公衆電話からにでも救急車を呼んでおけば良いだろう。
「まったく。失態だな、セイバー。汚らわしい蟲に欺かれるとは…………」
「クッ!」
フフン、と嘲笑うキングに、セイバーは悔しげに歯を鳴らす。
臓硯は完全に逃げたようだけど、一つ疑問が残る。
「なぁキング、なんで臓硯を完全に殺さなかったんだ?
それとも、今の躰は人形だったとか?」
殺すのは赦せないが、キングが俺の為に殺さなかったとは思えない。
だとすれば、これは本体ではなく。人形か何か、となるんだろうけど。
「…………………あ」
今、まさに気づきました、という典型の声を、キングがベタにも漏らした。
思いっきり油断していたというか、うっかりしていたと言おうか………。
「ふ、ふふん。アレは本体では無かったのだ!
そう、本体では無いから無理に消滅させなかったのだ!!
け、決して忘れていた訳では無いぞ!!」
「忘れてたんだな」
「忘れていたんですね」
俺とセイバーのツッコミが、同時に入る。
殺されても大丈夫というか、蟲の群体であることをすっかり忘れているとは…………。
再び言い合いを始めるセイバーとキング。
なんというか、俺の中のキングの評価に、うっかり≠ェ付け加えられた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
彼女は、今何か追われていた。
ズルリ………ズルリ………という人で無いものが発する音。
それがある場所からずっとついてきている。訳も分からぬ恐怖に駆られ、必死に走った。
ただ怖いと思い、必死に……必死に走った。
けれどそれは一向に離れない。最早耳元で聞えるような錯覚すら感じ、更に歩を早めても離れない。
「ハァ………ハァ………!!」
走る、奔る、走る、奔る、走る、奔る!!
離れない、離れない、離れない、離れない、離れない、離れない!!!?
埒も無いことがグルグルと脳裏を巡る。
何故、今日に限って残業などしてしまったのか?
何故、今日は別の道で帰らなかったのか?
あぁ………アァ………ああ………アア………嗚呼………!!
そうすれば、こんなモノに追われずに済んだのに!!
ガッ!
「キャッ!!」
ナニかに足を取られ、転んでしまう。
気が付けば固いアスファルトの上ではなく、どこかの公園の芝生の上だった。
慌てて立とうとして、何かが無いことに気付く。
――――――――あぁそうか、足りないのは、
「ぁ、ヒッ……ひぐ…ぅ」
――――――――足が、足りないんだ。
………ボトッ………ボトッ………
………ボトボトボトボト………
……ボトッ……ボトッ……ボトッ……
何かが無数に降って来る。
体中を這いずり回り、汗ばんだスーツの中に進入してきたのは…………蟲?
少なくとも彼女は、ソレをはっきりと蟲とは言えなかった。
ソレは見たことも無い醜悪な形状をしていたから。そして…………、
ボキッ グチャリ ズリ………ズリ………
ブチッ ビシャ
■■■■■■■■ ■■■■■■■■
あぁ………段々音が遠くなって、遂には聞えなくなってしまった。
何故? と思えば………簡単だ、と蟲が答えた気がする。
――――――――食べたからだ、と――――――――
悍ましい惨劇の後、一つの影が起き上がった。
それは消えていった年若い女性ではなく、皺だらけの老人の姿。
老人は己が両手を眺め、その皺だらけの顔にある表情を浮かべた。
――――――――それは純然たる憎悪。
老人がそんなものを浮かべる理由。
それを口にすることも無く、ゆっくりと闇へと消えていった。
後に残るのは、紅い水溜り………………。
後書き
皆さん、私には悩みがありました。それはコレが「ほのぼの」なのかってことです。(爆
だから私は決めました。これが「ごっちゃ」というジャンルにすることを。
「ごっちゃ」は全ての要素有りです。流石に18禁部分はカットしますがね。(笑
それはさて置き、思いの他長かったなどとほざいて見る、放たれし獣です。
今回の後書きでも言えますが、前振りが長かった……………。(汗
セイバーの服や、キングたちとの買い物………前振りのはずが、ほぼメインに。(核爆
引きが結構ヴァイオレンス的な描写。苦手な人には堪らんでしょう。(笑
ほぼ原作みたいな感じ書いたと思うんですがね。………それにしても長い。79kですぜ、旦那。(爆
一話辺りの長さでは、歴代二位です。やったね。(笑
目指すは過去最高の84k越え。はてさて、そんなことが出来るのやら。(核爆
管理人の感想
また隔日で3話です。
士郎君ちょっとMに目覚める? の巻。(違
まぁ実際その素質はありそうですが。
慎二君登場しましたね。
やはり彼はこうじゃないと。
彼の持ち味はあのひねた態度と、やられた時の情けなさですし。
士郎より彼の方が取り柄がなさそうなのはスルーの方向で。(笑
臓硯が怪しいと分かってるのに、彼の発言を鵜呑みにする士郎はらしいなぁ。
内容の正否はともかく、簡単に信用しすぎです。
まぁそれでこそ士郎なんですが。
最後が、ダークというかヴァイオレンスと言うか……。
確かにこの作品には全ての要素がありますわ。
感想は次の作品への原動力なので、送っていただけると作者の方も喜ばれると思います。
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