不自然な手ごたえ
止まらない得物
はっきり聞こえた、音
迫る破片
塞がる両手
動かない、体
そして彼女は目を閉じた。
来るであろう、痛みに備えて………
だが
!!!!!!
その時
風が、吹き抜けた。
風芽丘異伝
第弐話 吹き抜ける風
「せい!!」
体育館に気合の声が響く。
女子剣道部と護身道部の合同練習は、熱気に包まれていた。
体育館を四つに区切り、剣道部4人、護身道部4人がそれぞれ向かい合っている。
その周囲で残りの部員とあまり多くない一般人が見学をしていた。
「どうだ、高町」
胴着姿の赤星は現在待機中。隣を見ると制服の恭也が
「………ふむ………」
顎に手をやりながら興味深げに見学していた。
「高町君、早速やってるみたいね」
一箇所を凝視しているわけではなく、四箇所をほぼ均等に、同時に眺めている。
僅かに体が揺れているが、その原因は首ではなく細やかに動かされている足元だった。
「………ふむ………」
満足したのか、足を止める恭也。駆け寄ってきた藤代に笑みを見せる。
「藤代さん、呼んでもらって、感謝する」
「いえいえ。でも感謝するって、硬いよ、高町君」
「………そうか」
「高町だからしょうがないだろ」
恭也に関する不思議な説得力と諦め。彼を良く知る赤星ならではの台詞である。
「で、見取れたのか?」
「大体な」
「そう、か!!」
振り下ろされたのは、赤星の手刀。
完全な不意打ちのそれを、恭也は左手で柔らかく受け流し、
「………お見事」
次の瞬間、赤星の衿を取り、投げる体勢に入っていた。
「相変わらず見事な見取りだな」
赤星が掛け値なしに称賛する。
手刀が竹刀、左手が棍、その流れは先ほど行われた試合そのものだった。
「………流しか。もう少し鍛錬してみるか」
左手を顔の前で上下させる恭也と、衿を直す赤星。
体育館の片隅で行われた非常識なやり取りなのだが、幸いにしてそれほど目立っていなかった。
試合場を揃って注視していた護身道部と剣道部のやる気のお陰である。
ただ近くではなく反対側から、視線が向けられていたが………
「奈津美ちゃ〜ん」
そんな二人のやり取りを見ていた藤代に間延びした声がかかる。
合同練習の人数は多かれど、この口調に違和感がない人間はそうそういるものではない。
「次は私たちの番だよ〜」
「じゃ、行ってくる」
護身道部二年生最強、鷹城唯子VS女子剣道部二年生最強、藤代奈津美。
彼女たちが一年の頃から続く好カード。それぞれがかなり有名なので、入部したばかり(今日は見学のみ)の一年生を中心に歓声が上がった。
残り三つの試合場は一時閉鎖され、視線のほとんどが彼女たちに集まる。
そんな中、
「………た、高町君」
「?」
かけられた声に恭也が目をやると、
「………野々村さん?」
見覚えのある小柄な女子生徒が近づいていた。
「は、はい」
野々村小鳥、彼女は2年F組、つまり恭也と赤星と同じクラスである。
と言っても恭也はおろか赤星ともあまり接点がないのだが。
ちなみに恭也が名前を知っていたのは………特技というか努力の結果である。
「なにか?」
「え、えっと………その………ええと………」
言葉を詰まらせる小鳥、視線は伏せられ、小柄な体は更に縮こまっている。
「………俺に何か用が?」
一応言っておくと、恭也は小鳥を脅すつもりなど一切ない。
なのだが小鳥は非常に人見知りをするタイプであり、恭也も仏頂面、無愛想に無口。
親しくない者同士の組み合わせとしては、最悪と言える二人である。
「え、ええ、えっと………」
(………どうする………)
言葉が出ない小鳥に、事態の悪化を恐れてこちらも言葉の出ない恭也。
自分の態度の原因があるのは、恭也にも分かっている。
分かっているのだが…………いきなり朗らかに笑えたら、赤星も母親も苦労しない。
そんな犬のお巡りさん状態を打開したのは
「コラ。クラスメイトだろうが」
「いたっ。真くん、痛いよ」
二人の乱入者だった。
小鳥が恭也に話かけた瞬間より、少し時を遡る。
合同練習の行われている体育館、恭也と赤星のいる場所のちょうど反対側に、恭也と同じ一般見学者が三人立っていた。
相川真一郎、御剣いづみ、そして野々村小鳥の三人である。
「御剣、今日はバイトいいのか?」
「ああ。今日は何も入ってないからな」
御剣いづみの実家は北海道、風芽丘で一人暮らしをしている彼女は生活費をアルバイトで稼いでいる。
「それより野々村はどうしてここに?」
いづみがここにいる理由は、護身道部、というか千堂瞳とそして赤星勇吾の対戦を見学するためである。
だが小鳥は二人の対戦を見る意味もない上に、そもそも格闘技の類は苦手にしている。
「うん。今日、唯子と真くんと一緒に晩御飯を食べる約束をしてて」
合同練習は試合が中心、故にいつもよりも時間自体は短くなっている。
だから、練習が終わった後で、一人暮らしの真一郎、今日は父親が帰らない小鳥、そして両親とも出掛けている唯子の幼馴染三人で買い物をして夕飯を食べることになっていた。
「御剣も一緒に食べるか?」
「………いいのか?」
「3人も4人も大して変わらないからな」
「そうかぁ」
真一郎の誘いにかなり食指の動いた模様のいづみ、だが
「でも相川の家に連れ込まれるのもなぁ………」
彼女の冗談めいた口調もかなり珍しいものである。
当人は抵抗しているが、真一郎の女顔は人間関係にかなりの影響を与えていた。
「お前、俺をなんだと………」
「それなら私の家でやるから、大丈夫だよ」
「小鳥!!」
「冗談だ、怒るな」
じゃれ合う幼馴染みを諌めるいづみ、自分の蒔いた火種だと言うのに涼しい顔をしている辺り、大したものである。
夕飯のメニューなどを話しながら練習を見ていた三人。
三人、というか四人の中で最も買い物に長けている小鳥は、早速算段を始めていたのだが
「………あれ、高町君?」
ふと目をやった反対側に、見覚えのある男子生徒の姿を見つけた。
「高町って………あぁ、昼休みの。あれ、小鳥は知ってるのか?」
その言葉と視線に真一郎も恭也の姿を見つける。
昼休み、同席した同学年の男子生徒。
だが隣にいる有名人の赤星勇吾ならともかく、真一郎も知らなかった恭也の名前を知っているのは、少し不思議だった。
「うん。同じクラスだし。それに翠屋でも何度か………」
翠屋店長の息子、高町恭也。
学校全体ではそれほど知られていないが、小鳥と恭也は同じクラス、クラス内では結構有名な話だった。
ましてや、翠屋のお菓子の美味しさに惚れ込んでいる小鳥。
知っていてもおかしくはない。
ただ
「話したことはないんだけどね」
高町恭也、野々村小鳥、お世辞にも社交的と言えない二人である。
同じクラス、翠屋店員と翠屋愛好家、接点になりそうなことは多いのだが、それでも接点にはなっていなかった。
彼らのちょうど反対側にいる恭也は、赤星と並んで練習を見学していた。
距離があるせいではっきりとは分からないが、時折赤星が話しかけては恭也が返す、そんな短いやり取りと沈黙が続いているようである。
昼休みに赤星は恭也との関係を親友と断言していたが、沈黙が苦になっていないのを見ると、それも納得だった。
そんな二人に近づいていく胴着姿の女子
「あっ、藤代さん」
藤代奈津美、彼女もまた恭也や赤星、小鳥と同じ2年F組である。
恭也を真ん中にしている三人は、クラスでもよく見られる組み合わせだった。
何をするでもなく体育館を見渡していた真一郎と小鳥。
今は知り合いが試合をしているわけではないので、なんとなく反対側の三人を見ていたところ、
「お〜い♪」
「お前、いいのか、こっちに来て?」
「うん、次に奈津美ちゃんやるから、教えとこうと思って」
駆け寄ってくる唯子を切欠に真一郎と小鳥の視線が恭也たちから離れた。
「この前は負けちゃったんだよね」
だから今日は勝つと、意気込みながら軽くストレッチしている唯子に、特に何も言わず見守る真一郎と小鳥。
前回の雪辱。前回はいなかった真一郎と小鳥といづみ。態度にそこまでの変化はないが、かなり気合が入っているのを、幼馴染み二人はちゃんと分かっていた。
時々、唯子が話しかけては二人が相槌を打つ。
そんなことを繰り返しているうちに、唯子と藤代の順番が回ってきた。
封鎖される他の場、そして用意される決闘場………ではなく試合場。
「奈津美ちゃーん」
声はまだ間延びしていたが、目元は引き締まっている。
「次は私たちの番だよ〜」
応じて手を上げる藤代、あちらの緊張感も高まっているようである。
護身道部二年生最強、鷹城唯子VS女子剣道部二年生最強、藤代奈津美。
高まる緊張感に狭まっていく見学者の輪、他の三つも乗り越えて彼女たちが立つ試合場に集まってくる。
真一郎たちも当然向かったのだが
「御剣、行かないのか?」
いづみだけがその場に残っていた。
「………野々村」
その視線が向かうのは、近くにいる二人ではなく反対側に立っていた二人。
唯子が来ていた時、彼女に向いたはずの視線は、いつのまにか戻っていた。
「あの高町は、柔道なり、何かの部活に入っているのか?」
「え、えっと………」
突然の問いに戸惑いながらも記憶を探る小鳥。
放課後、高町恭也の行動は………
「確か、何もやってなかった、と思うよ」
恭也とは今年になってからのクラスメイトだが、部活に行くような様子はなかった。
そもそも何処かに入っていたら、赤星が勧誘するようなこともないだろう。
「そうなのか………」
思案に入るいづみ、その表情はかなり険しかった。
そして
「野々村、悪いんだけど、少し話したいことがあるから、仲介を頼める?」
「た、高町君と?」
「そう」
「で、でも私、話したことないし」
「?………同じクラスなんだろ」
「う、うん。それはそうなんだけど………」
躊躇いながらも、引き受けるのが小鳥の人の良さである。
結局、迷子の小猫状態になってしまうのだが。
そして、少しの時を経て
「す、すいませんでした」
「こちらこそ」
熱気に包まれる体育館の片隅で、恭也と小鳥は頭を互いに頭を下げていた。
「ったくもう」
先ほどまで小鳥に説教をしていた真一郎。幼馴染みの人見知りは熟知しているが、さすがにあれは失礼だった。
「本当にごめんなさい」
何度も頭を下げる小鳥、真一郎の説教を経て彼女の状態は混乱から恐縮へと変わっていた。
何もしてない、どころかこちらから話しかけたというのに………
省みるにあまりに失礼な行為をしてしまったとの思いが、彼女をひたすら恐縮させていた。
そんな小鳥の何度も上下する頭に
「そんなに気にしなくても構わない」
恭也の手が乗せられる。
決して柔らかくはなく、むしろゴツゴツした硬い手のひら。
だが、それでも
「………はい」
不思議とその温もりは小鳥を落ち着かせた。
「っと、いきなりすまなかった」
逆に少し焦った様子で、恭也は小鳥を撫でていた手を離した。
咄嗟に妹用の対応を取ってしまったのだが、さすがに話したこともない同級生相手にしていいことなのか………
しかも彼女が怯えた理由はおそらくあの時の恭也の雰囲気が原因である。
赤星と藤代以外、彼に関わろうとする人間などいないと思っていたため、少し油断していた。
「まあ、とにかく、これで終わろう」
後ろで笑っている赤星を片目で睨みながら、まだ焦った声で告げる恭也。
それを聞いた小鳥の強張りは、ほとんど溶けていった。
「それで結局、俺に何か?」
と恭也が見るのは先ほど自己紹介を済ませた真一郎といづみ。
有名人の二人だったが、当然と言うべきか、恭也は名前を知らなかった。
ただ昼休み、同じ席にいたことは覚えていたが。
「ああ。私が聞きたいことがあったんだけど………」
先ほどまで険しい顔をしていたいづみだが、小鳥と恭也のやり取りに毒気と言うか、緊張感を綺麗に抜かれていた。
「唯子の試合が始まりそうだから、また後で」
いづみの言葉通り、唯子と藤代はウォーミングアップも既に終わり、試合開始直前だった。
慌てて環の一番外側に加わる恭也たち。
ちなみに環に加わるのが遅れてしまったために、ほとんど見れなくなってしまった小鳥を、肩車するかでまた少しあったのだが………ここでは略する。
なんにせよ、試合は順調に始まっていた。
「ん〜、疲れたニャー」
期待通りの大熱戦を演じた鷹城唯子と藤代奈津美。
額に汗を浮かべつつ、二人は並んで戻ってきた。
「唯子、お疲れ。それに藤代さんも。凄かったよ、二人とも」
唯子とは幼馴染み、藤代とはクラスメイトである小鳥が、戻ってきた二人に労いと称賛の言葉をかける。
「ありがと」
片手にタオル、片手にドリンクを装備する二人。その顔を見るに引き分けと言う結果、というかその内容に満足しているようである。
もちろん周囲も満足していたが、しかし熱はまだ冷めていない。
なにしろ、メインはまだ残っているのだから。
唯子と藤代が引き上げた試合場は、部員によって再度整えられた。
セミファイナル、鷹城唯子VS藤代奈津美、そして
「次が最後か」
本日のメインイベント、千堂瞳Vs赤星勇吾。
試合場で向かい合う二人に、均等に見られるように少し大きな一重円を描いている見学者、準備は万端である。
「よろしくお願いします」
「お願いします」
互いに礼、試合が始まった。
正眼に構える赤星に、棍を片手に構える瞳。
軽々しく仕掛けるような真似はせず、互いの一挙手一投足に気を使いながら、少しずつ動いていく。
これが剣道の試合ならば、確実に注意を受けているだろう状況。しかし文句を付けるものは誰もいなかった。
護身道部側からの提案で始まったこの合同練習。その大きな目的に‘護身’がある。
元々、護身道も剣道などはただのスポーツではなく、相手を制することによって身を守るための技術である。
そのことを考えると、ただ大会で勝ち上がるためだけの練習をするのではなく、もっと色々な状況に適応出来るような練習をするべきではないのか。
何代か前の護身道部主将はそう考え、剣道部に提案。それ以来合同練習は風芽丘の伝統行事になっていた。
それ以外にも互いの技術の共用などの目的もあるが、本来の目的はあくまで‘護身’のための技術向上である。
故に慎重であることは悪いことではなく、むしろ軽々しく仕掛けるほうが合同練習の趣旨に反していた。
「はっ!!」
と言ってもさすがにいつまでもお見合いしているわけにもいかない。
赤星が徐々に間合いを詰めていく。
そして一気に飛び込む。
「せい!!」
正眼から振り上げられた竹刀が、瞳の肩へと振り下ろされた。
剣道部側の制約は、面及び突きは禁止。且つ出来れば寸止めするようにとなっている。
逆に本来は一本にならない部位でも打つことが出来るのだが、それは染み付いた癖のためにほとんど使われない。
ただ赤星は剣道だけでなく草間一刀流という剣術も修めているために、その限りではないが。
一方、護身道部は投げる体勢までで止めるように言われていた。
竹刀を持ったまま投げられると、受身が取りづらくかなり危険だからである。
その辺り、実戦とかけ離れているが、それはしょうがないことだろう。
制約なしの練習で大怪我をしたら、それこそ‘護身’にとって本末転倒なのだから
「!!」
迫る赤星の竹刀。長身から繰り出される迫力のある一閃に、瞳は冷静に対処した。
半身になると同時に、棍を掲げる。
そして両者の接触にタイミングを合わせ、斜めに引いた。
結果、棍の上を滑った竹刀の軌道は瞳からどんどん離れていく。
見事なまでの捌きだった。
「っ!!」
本来なら確実に隙を作っていたはずの見事な捌き、しかし寸止めのために勢いを抑えていたのが幸いした。
それほど体勢を崩すことなく、間合いを取り正眼に戻る。
それからしばらく赤星の攻勢が続いた。
護身道側の攻撃手段は棍か、無手。
明らかに間合いは剣道側のほうが広い。
竹刀の内側に踏み込めれば、一気に有利になるのだが、両者のスピードにはそこまでの差がなかった。
だが………
「くっ!?」
何度目になるか、赤星が竹刀を振り上げた瞬間、今まで捌きに徹していた瞳が前に出た。
加速前、比較的速度の遅い鍔元、そこならば赤星の袈裟切りでも片手で押さえられる。
そして竹刀と棍が激突し、瞳は更に前に出た。
空いている片手で衿を取って、一気に決め………
「なっ!?」
衿に迫る瞳の手、しかしそれは空振りに終わる。
早めに竹刀を止められた赤星は、後ろに跳躍していた。
膝まで使う時間のなかったために、使ったのはほとんど足首のみ。
並外れた足腰の鍛え方である。
『おおーー!!』
湧き上がる歓声、この見ごたえのある攻防に一気に場は盛り上がった。
そして主役の二人は
「ははっ」「ふふっ」
同時に笑みをこぼすと、また間合いを詰め始めた。
御剣いづみは戸惑っていた。
目の前で繰り広げられる非常にレベルの高い攻防、ついさっきまで周囲と同じようにそれらに没頭していたのだが………
(なんだ?)
違和感。何かしらの違和感がいつしか彼女を捉えていた。
「はあ!!」
ピシッ!!!
先ほどの攻防を切欠に、瞳の受けが捌くと止めるが半々ぐらいになっていた。
故に棍と竹刀の打ち合う音は序盤よりも大きくなっている………
(音!?)
それに思い至ったいづみは聴覚に神経を集中した。
周囲の歓声、二人の気合の声、そして踏み込む音、全てをカットし、激突音のみに照準を合わせる。
変則的に薙ぎ払われる竹刀を棍で受け止める瞳、そしてそのまま竹刀を抑え………
ピキッ
ほんの僅かだが、罅が入るような音がした。
それはいづみだから捉えられるほど小さな音。しかし自覚できるようになったということは確実に大きくなってきている。
(………竹刀に罅、か?)
普通なら聞き逃してしまう音。あれほど集中しなければ聞くことの出来ない音。
それならば無視することも出来るのだが………
蔡雅御剣流、国家忍術免許三級。御剣いづみの勘が、危険を察知し警鐘を鳴らしていた。
(止めるか………でも)
幼い頃から磨かれた勘には信頼を置いている。
しかしそれは自分に降りかかるものではなく(瞳たちへの危険を見過ごしても構わないと思っているわけではなく、勘の精度に疑いがあるということ)、しかも目の前の攻防を見続けたいとの思いもあった。
悩みに入るいづみ、その目の前で赤星が上段に構えを変えた。
間違いなく渾身の一撃を放つ準備、応じるように瞳も棍を両手で下段に構え………両者飛び出す。
いづみのいる場所は両者の真横、この攻防を見るには最高の環境なのだが………
(まずい!!)
警鐘が最大音量で鳴り響く。
「………ひと」
「赤星!」
制止の声は少し後ろから聞こえてきた叫び声に掻き消された。
それに驚きながらも二人を止めるべく飛び出そうとし、
「えっ!!??」
刹那、いづみとその声との間には時間にするとそれだけしか差がなかった。
しかし彼は、前にいた。
(高町!?)
いづみの眼をもってしても霞むほどの速さで、高町恭也が疾駆していた。
モノクロに染まる世界、不自然なほど遅い世界。
そんなまるで色を消し去るゼリーに包まれているような世界を、恭也は駆けていた。
彼が違和感を感じたのはいづみとほぼ同時だった。
そして同じように音から原因を察知したのだが………
彼を躊躇わせたのは、練習前の赤星の様子だった。
楽しそうに話す赤星、それを少し眩しげ見る恭也………
だが両者が構えを変えた瞬間、躊躇いは消え去った。
彼は己の勘に絶対の信頼を置いている。
「赤星!」
いづみよりも僅かにだが早く警告を飛ばした恭也は、飛び出した。
【御神流・奥義ノ歩法・神速】
スローになる世界を唯一、普通に駆けていく恭也、だが世界は止まっているわけではない。
ゆっくりと、だが確実に二人はモーションに入っていく。
高められた二人の集中力が、警告をカットしていた。
上段から竹刀を振り下ろす赤星。
その剣からは先ほどまでの手加減が抜けていた。
しかし、それでも、その剣は相手を打ち倒すためのものではない。
彼の剣は人を傷つけるためのものにあらず。
ただ互いを高めるため、そう、純粋に振るわれる剣。
だからこそ止めるために恭也は疾駆する。
竹刀と棍が接触する。
恭也の眼には、不自然に
結局、それは耐え切れず………
飛散
瞳の顔に向かう破片。
目を閉じ顔を逸らす瞳。
そして………風が、吹き抜けた。
「!?」
頬に風を感じた瞳は、しかしすぐには目を開けなかった。
彼女が最後に見たのは、迫り来る破片。
痛みと傷の恐怖を感じながら、目を閉じたのだが………いつまで経っても破片は襲ってこなかった。
(当たらなかった、みたいね)
それをようやく実感すると目を開ける。
感じた風を疑問に思いながら、状況を確認しようとすると、目の前に顔があった。
「えっ?」
圧し掛かるように上から覗き込まれている。
そこまで来て、ようやく視神経と脳が正常に連動し始めた。
「………ん。傷は見当たらない、か」
目元にかかっている黒髪、その下にある鋭い目。
それでもその顔立ちが端正であることは、間近で見るとよく分かる。
それに彼から感じる、瞳の抱く男性のイメージからかけ離れた雰囲気。
だからだろう、男性恐怖症の瞳がその状態で恐慌に陥らなかったのは。
「何処か、痛いところは?」
覗き込まれながらの質問。それを確かめるために手を顔に持ってくると、途中、彼の頬に手が触れてしまった。
そのことに改めて距離の近さを実感する。
少し首を
「な、ないです」
まだ離れないのは黒髪の下の目が、本当に心配の色を湛えていたからだった。
「それなら、良かった」
言葉と共に顔が遠ざかっていく。
そこまで離れてようやく目の前の男子の名前が頭に浮かんだ。
「………高町君………」
今日の昼休みに昼食を共にした、しかし全く会話のなかった赤星勇吾の親友。
名前と顔は、練習を見学するというインパクトもあって覚えていたのだが………
名前を呼ばれた彼は、少し不器用そうに微笑むと瞳に背を向けた。
「そっちも怪我は無いか?」
瞳の無事を確認した恭也は、もう一人の当事者、赤星に向き直った。
折れた竹刀の破片がほとんど瞳に向かったのを確認していたが、赤星に向かったものもゼロではない。
「あ、ああ。大丈夫だ」
確かに細かい破片はいくつか赤星のほうにも飛んできたが、それらは高くても胸元辺りまでだった。
厚めの胴着を破り、彼の体に至ったものは皆無である。
「助かった、高町」
「あ、ああ」
勢い良く頭を下げた赤星の視界に、恭也の傾いた足元が入った。
少し左側に傾いたその原因は………
「高町、お前?」
「ああ。少しな」
「っておい。手からも血が出てるぞ!」
体育館の床に赤い雫が落ちる。
出血している左手には、ほぼ原型を残した竹刀の一節が握られていた。
あの時、瞳の顔には恭也が握るそれと、細かな破片が襲い掛かろうとしていた。
そこで、恭也は左手で最大の破片を掴み、右手で細かな破片を振り払った。
その後、破片を持った自分と二人がぶつかると、倒れこみ予期せぬ怪我をすることを恐れ、急激に減速。
なんとか二人に触れる寸前にストップして、先ほどの瞳に圧し掛かるような格好になったわけである。
そこまで気を使った恭也だが、自分が掴んだ破片について気を回す余裕はさすがに無かった。
彼が掴んだのは破片の尖った部分。それほど尖ってはいないが、手加減抜きで掴んでしまったために、彼はこの場において唯一の怪我人になってしまった。
また雫が落ちる。
赤星の声と落ちる赤い雫、止まっていた体育館が再び動き始めた。
「別に大した怪我じゃない」
「そんなこといってる場合か。ああ、もう! さっさと保健室行くぞ」
蘇る喧騒の中。赤星は人を助け、自分だけ傷を負った親友の袖を引く。
「千堂先輩、すいませんがこいつを保健室に連れてきます」
「あっ、はい。お願いします」
「それでこの竹刀ですけど、後で片付け………」
床に落ちた赤星の折れた竹刀、破片は床にも散らばっている。
片付けないと危ないのだが、恭也を保健室に連れて行くのが優先。
そこに声をかけたのは
「赤星君、それは私がやっとくから早く保健室に」
「藤代さん、助かる」
赤星と藤代の絶妙なコンビネーション。
そして、高町恭也は赤星勇吾に連れられて体育館を去った。
残ったのは、狐に摘まれたように状況が分かっていない大多数と、
「………真くん。高町君、ずっとここにいたよね」
「………ああ」
前後を把握しつつも、過程を認識できなかった小鳥と真一郎。
「………いづみちゃん、見えた?」
「………辛うじて」
過程を僅かながらも認識できたが、それに衝撃を受けている唯子といづみ。
特にこの中で最も恭也の動きを見ることが出来たいづみは、震えが来ていた。
(なんなんだ、あいつは………)
刹那の反応。視認することさえ難しい速さ。
高町恭也の”力”を実感したいづみは、もうその場にはいない恭也の背中をしばらく追っていた。
そして
「千堂先輩」
「えっ!ふ、藤代さん。何か?」
「ここは私が片付けておきます。それと練習ですが………」
「あっ、そうですね」
この場で最も平然としている藤代と、茫然自失状態を彼女の言葉でようやく抜け出した瞳。
藤代は竹刀の片付け、及び垂れた血の清掃を続け、瞳は練習を終わらせようと部員をまとめていく。
結局、何事もなかったように合同練習は終了した。
ただ確実に、高町恭也はその存在を広げていた。
続く
後書き
風芽丘異伝、第弐話になります。
扱い的には前回の壱話と合わせて前、後編みたいな感じです。
今回恭也は、瞳ヒロインフラグを立てつつ、小鳥と親しくなる切欠を掴みつつ、いづみに興味を持たれるという大活躍ですが、次回からも数人を一話にまとめてしまうと思います。
さすがに一人一話は………無理です。
そして次回ですが、合同練習編(と命名しました)のエピローグと目指せ2ヒロイン登場の予定です。
彼女が見たい、もしくは耕介を出せ!!いや大輔だ、などのご希望がありましたら、一筆、BBSかメールかにお願いします(後ろの二つはないと思うんですけど、もしかしてマスターを出せとか言われたらどうしましょう………)
最後になりますが、掲載していただいた傭兵さん、早速感想メールを送ってくださった方々、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
それでは〜
管理人の感想
希翠さんから第弐話を投稿していただきました。
続き早っ。
超遅筆の私には羨ましい執筆速度です。
希翠さんも後書きで書かれてらっしゃいますが、恭也大活躍。(笑
このまま恋愛関係にも大活躍……は無理か。
朴念仁だし。(苦笑
恭也の日常生活とかも見てみたいですね。
鍛錬とか、彼の家族とか。
2キャラですが、私は薫と十六夜の登場を希望。
知佳とかゆうひも惜しいんですが、取り敢えずその2人で。
感想は次の作品への原動力なので、送っていただけると作者の方も喜ばれると思いますよー。
感想はBBSかメール(kisui_zauberkunst@yahoo.co.jp)まで。(ウイルス対策につき、@全角)