N県県道○▲号線、山道を抜けるこの道路の脇を、荷物を抱えた二人組が並んで歩いていた。


「さあ、恭也君。元気に歩こうじゃないか」


「………父さん、約束って明日………」


「ああ。そうだけど、それがどうかしたのか?」


 やたらと明るい表情で歩く男性と、僅かに憮然とした表情で歩く少年。

 不破士郎と不破恭也の親子は、父の知り合いを訪ねるべく、今日も元気に徒歩で移動中だった。


 その脇を一台、車が鮮やかに通り過ぎていく。


「歩いていくと、一晩はかかるけど」


「そんなにはかからないな。このペースなら、朝の3時には着くぞ」


 予定ではレンタカーを借りて、余裕を持って約束の前日には到着するはずの二人がこうして地道に歩いているのは、財布の残金を勘違いしての散財という、士郎のうっかりミスが原因である。


「………やっぱり財布、預かっとけば良かった」


 そう言う恭也の口調は責める色よりも、むしろ自嘲の色が濃かった。

 前にもあったことだけに、恭也は深く深く反省しており………


「今なら、持っててもいいぞ」


 黒の財布を息子の手に押し付ける犯人に反省の色は見られなかった。

































 風芽丘異伝 外伝 狼少女と彼の約束 前編






















 かなりのハイペースで歩いてきた二人の上に、街灯が灯り始めた。

 周囲の木々も赤から黒へと色を移し始め、二人の足元も薄暗くなっていく。

 車通りもほとんど途絶え、自然と重苦しい雰囲気が、


「なあ、恭也。腹、減らないか?」


「缶詰ならあるけど………非常用だから開けない」


「……ケチだな、お前」


「なんと言われても出さない」


 漂う訳もない親子は、休憩も取らず歩き続けていた。

 ほとんどペースも変えずに、定期的に水を取りながら歩きつづけるその姿は、ベテランのハイカーを連想させるが、彼らの場合は別目的の鍛錬と慣れの賜物である。

 落石注意の鉄板を小突いて、また一つカーブを曲がり終えた。

 そこで


「父さん………あれ?」


「ああ、事故ってるな」


 かなり先にガードレールに頭を突っ込んでいる黒塗りのバンを見つけた。

 完全に反対車線に出てしまっているその車は、おそらくスピードの出しすぎだったのだろう。

 地図で覚えている限り、そこのカーブもかなり急だった。


 士郎と恭也は顔を見合わせると、足を速めて事故現場に急いだ。

 近づくにつれてリア部分の歪んだ車がはっきり見えてくる。

 その前に立っている痩身の中年も。

 その男性は苛立たしげに、ガードレールを蹴飛ばしていた。


「大丈夫か?」


 士郎がそう声をかけると、すぐさま男性と目が合い、そして視線を鋭くした。


「た、大したことはない!」


 その焦った口調、合ってすぐ逸らされた視線、そして何よりその目。

 士郎にとっては職業柄、見覚えのある目、追い詰められた者特有の目だった。


 士郎の雰囲気から察したのだろう、恭也もその表情を僅かにだが、尖らせた。

 そのまま好奇心豊かな少年として当たり前の行動、ゆっくり車を見て周り始める


「お、お―――」


「もう修理業者は呼びましたか?」


「呼んであるから、すぐに来る。問題はない」


「そうですか、それならいいんですけどね」


 士郎と会話をしながらも、男の視線は車を見る恭也に向かっている。

 そのことは士郎も恭也も分かっていた。

 だから士郎は男を引きとめ続け、


「それより、なんでこんなところを子ども連れで………」


「いやぁ、途中で路銀が尽きましてね」


 恭也はゆっくりと、しかし確実に車の周囲を回りつづける。

 そして


「………それは大変―――近づくな!!」


 突然、男が激昂した。

 タイミングとしては、恭也が車の後部を覗き込もうとした瞬間。

 そして、その頃には既に見終わった後だった。


 叫んだ事を謝罪しながらも、車から離れろと言ってくる男に従って、車から離れる。

 しかし、一瞬の集中で必要な情報は、既に頭に入れていた。


(………あの箱か………)


 後部座席を前に出し、毛布で半ばまで覆われていた大きな箱。

 あの大きさなら中には色々入るだろう、物も、そして人も。


「さて、恭也。なんとか業者の車に便乗できるように、頼んでみるか」


「そうしようか」


 恭也と目を合わせた士郎は、道路脇に荷物を置き始めた。


「恭也、水と食べ物、用意しとけ」


「分かった」


 同じく荷物を置いた恭也が、自分の荷物を漁り始める。


「父さん、そっちに缶切り、ないか?」


「ちょっと待て」


 並んで荷物を漁る親子を苦々しく見つめていた男だったが、その顔が突然、笑みを浮かべた。

 明らかに正の感情ではなく負から生まれた笑み。

 その笑みのまま、


「貴様ら、好奇心が猫を殺す、という言葉を知っているか」


「ん、なんのことです?」


 夕日も既に完全に落ち、街灯の頼りない光だけが、親子と男を照らしている。

 闇の中で、男は禍禍しい笑みを浮かべながら


「親子揃って遭難。見つかったとしてもショックで自分が誰かも分からない。気の毒にな」


 その目で、二人を見た。

 赤く、血の色に染まった瞳で。


 それは力、人などという種よりも遥かに優れた超越種の証。

 故に人など、どうにでも………


「………夜の一族か。珍しいな」


 しかし、その声は変わらなかった。


「………よるの………?」


「そういや、まだ教えてなかったか。こっちじゃほとんど会わないからな。とりあえず一つだけだ、恭也」


「なに」


「目を見るな、以上」


「了解」


 目を伏せながら、親子は揃って立ち上がる。

 いくら力を込めても、顔を上げる様子もなく、しかし確実に男を見ていた。

 背筋に、冷たいものが走り抜ける。


 そして士郎の側も密かに緊張感を高めていた。

 相手は夜の一族、故に


「恭也、抜け」


 小太刀を二振り、腰に差し、抜刀する。

 恭也も一刀を納刀したまま、背中から抜刀していた。


「………ぅ」


 刀を突きつけられ、背筋がいよいよ凍りつく。

 しかし生まれつきの鋭敏な感覚がもたらす予感を、生まれつきの力を知る理性が否定する。

 そして彼は、足に力を込めた。


「っ!」


 跳躍

 軽々と痩身を浮かせ、男はガードレールを飛び越える。

 そのままわき目も振らず、木々の間に抜けていった。


 それを小太刀を構えた親子は、焦りもせずに見送っていた。


「………追う?」


「ちょっと待て」


 音で男を追うのを息子に任せ、士郎は近くにあった公衆電話で、知り合いに連絡を取る。

 ナンバーその他を伝え、持ち主の調査を車の引き取りを頼み――おそらく修理業者に電話などしていないだろう――準備完了。

 自分達の荷物を車に積み込み、恭也を連れて追跡を開始した。


「どっちに行ったか、分かるか?」


「こっち。足跡がはっきりしていて分かりやすい」


 素人の、それも常人以上の身体能力を持つ素人の足跡の追跡など、二人には容易なことである。

 しかし先行した男を追うこと、五分ほど、足跡に変化が現れた。


「ここで止まってるな」


 士郎が指差したのはある木の根元、そこで足跡がかなり重なっていた。

 どうやらここで何かをしていたらしい、さすがに何をしていたのかは分からないが………


「っち!」


 耳に入った風切り音、一瞬でその音に反応した士郎が、小太刀を振り抜いた。

 小太刀の腹で、二人に襲い掛かった飛来物を地面に叩きつける。


「………飛針?」


「どっちかというと、ニードルだな」


 襲撃武器の確認を済ませた士郎は、確認しておいた発射場所に視線を送る。

 そこにいたのは先ほどの痩身の男と、もう一人、妙齢の美女が立っていた。


「………ずいぶん変わった格好だな」


 頭頂部で纏め脇に流した髪は灰色、身に纏っているのは赤を基調にした体にピッタリと張り付いたボディスーツ。

 そして左手には反りの付けられたブレードが、手にあるのではなく、付けられていた。

 左の手首から肩口まで、甲のようなものを嵌めており、ブレードはその甲に取り付けられている。

 かなり動かしにくそうではあったが


「やれ」


 言葉に従って無言で飛び出し、


「おやおや、唐突な事で」


 恭也を置いて前に出た士郎に斬りかかった動作は、極めて滑らかなものだった。


 斬!!


 二刀差しの一刀を抜刀、小太刀とブレードをかみ合わせる。

 しかし女性の片手の斬撃は、士郎の抜刀を圧倒していた。


「くっ!」


 予想外の圧力に、瞬時に受けから流しに切り替える。

 そのままあっさり引くと、合わせて位置を下げていた恭也に話し掛けた。


「………何者だ、ありゃ」


「夜の一族、じゃないの?」


「だと思うんだが………」


 そう言いながら、士郎は落ち着きを取り戻していた。

 冷静に戦力分析すると、相手の突進力は確実にこちらを凌駕している。

 しかし、足場の悪い状況での歩行に慣れていないのか、少しだがバランスを崩していた――それでもこちらを押し切るのは脅威だが。

 結論、突進させなければいい。


「恭也、俺は場所を移す。だからあっちは任せる」


 森の中でも足取りもしっかりしており、斬撃の応酬にも動揺はない。

 しかしまだ小学生の恭也に任せるなどというのは………


「分かった」


 しかし、恭也は背負いの形で差していた小太刀の一振りを抜刀する。

 その動きに怯えも躊躇いもなく、その構えは、美しかった。


「ずいぶん舐めたことを言ってくれるものだな」


 苛立たしげに声をかけてくる男。

 それを庇うように無言で前に立つ女性。


「さて、行くか」


 峰で肩を一叩き、応じて前に出る士郎。

 その言葉に頷き、構えを若干前のめりにする恭也。


 夜の一族と小太刀を二振り差した少年。

 正体不明の女性と戦闘専門家である男性。


 二組の戦闘が、始まった。



































 斬撃の音が、柔らかな土と生い茂る葉に吸い込まれていく。

 士郎と女性の戦闘は、森の深くに場所を移していた。


「っとぃ!」


 明らかに先ほどよりも速度を落とした斬撃を受け流す。

 形状からして斬る専門のブレードは加速する前に木によって邪魔をされ、踏み込む足は崩れる地面に流される。

 予定通り、柔らかな土と乱立する木々は女性の戦闘能力を削っていた。


 それでも、人並み外れた彼女の膂力は、木を何本もなぎ倒している。

 それに


「っち!」


 彼女の武器はブレードだけではない。

 最初に士郎達を迎えたニードルが、顔と胸に向かって撃ち込まれる。

 一本をかわし、一本を弾き、回避には成功したのだが………


(不自然すぎるぞ、あれは)


 彼女はニードルを投げているわけではない。

 そんな手の動きは見られない。

 ならば、手首にバネなどを仕込んで発射している、としか考えられないのだが、


(どうやって撃ってるんだ?)


 彼女には発射のためのアクションが、ほとんど見えなかった。

 要するに右手に仕込んだニードルを発射するために必要不可欠なはずの、右手ないし左手の動きがないのである。

 ただ右手を相手に直線的に向ける、という動作はあるので見切れてはいた。


「ったく、こっちもどうなってんだか」


 そしてこちらからの飛針は、甲を付けた腕、ないしボディスーツに弾かれていた。

 特にそのボディスーツはよほどの材質でできているのか、ほとんど当たるに任せている。

 対刃対衝撃用の優れた素材で出来ているのだろう。

 だが


「だったら、こっちでやればいい話だな」


 飛針が使えなくても、不破士郎には双刃がある。

 今までの交戦で相手の癖は、既に見切っていた――それも何故かパターンが限られていて、かなり見切りやすかった。

 周囲の状況に意識を向け、決めの場所へと誘導すべく、移動を始め――


 !!


(あっちか)


 自分達とは別の場所での交戦、そちらのほうで、木が悲鳴を上げていた。

 折れる枝、落ちる葉、擦れる幹、木が倒れている。


(………素手でか。さすがにムチャだな、あいつらは)


 走り方などから察するに、あの男は武器の類など持っていなかった。

 ならば、素手で木を砕いたのだろう。

 優れた身体能力と、一般人とは比べものにならない再生能力があれがこその、荒業である。

 しかし士郎は改めて、無表情な女性を向かい合った。


(多少無茶の効く素人に負けるような鍛え方はしてないからな、恭也)




 その無茶の効く素人と、不破士郎が鍛え上げた息子は、当初の接触位置をほとんど動いていなかった。

 男は先ほどの怯えを否定するために、足よりも舌を動かしており、恭也も特に動きは見せていない。

 そして嘲笑に付け加えたパフォーマンスが、士郎の聞いた木を折る音の原因である。

 だが、士郎の見極めとは違う事実が一つあった。


「どうだ、恐いか? お前もすぐにこうなる」


 男が手近な木に拳を叩きつけ、その木は倒れた。

 そして自慢げに恭也に脅しをかけているが、そんなものは全く気にしない。

 そんな口上よりも、恭也は先ほどの行為に付随したモノを気にしていた。


(………砕けた? それにアレは透明な………)


 木に叩きつけたはずの拳に傷はなく、倒れた木の長さを合計すると数十センチ分短くなっている。

 そして拳と木の間には、僅かだが、隙間があった。


 不可視の砕きの力、普通なら考えれない事だが


(透明な、何か破壊力を上げるようなものがある。それが手の周りに張られてる。それでいいか)


 恭也はあっさり取り入れ、若干間合いを広げた。

 常識などというものに囚われて、戦力を見損なう危険性は、士郎にしっかりと刻み込まれている。

 すぐに相手の戦力分析に修正を加えていく。


(身体能力はこっちより上。あの透明なモノを受けたら多分致命的。目を合わせたら………どうなるのかは聞いてないが、合わせない方がいい)


 要するに、相手の能力はほとんど恭也に勝っていた。

 だが、恭也はゆっくりと前に出る。

 興奮で酔っている男と対照的な冷めた目には、動揺も怯えもない。

 そして一気に加速する。


 斬!!


 綺麗な楕円を小太刀が描く。

 小太刀自身のバランスを利用した、腕力のない恭也にとって最適の振り方。

 しかし楕円は、男に届かなかった。


「残念だったな」


 派手に一メートルほど跳躍し、着地後すぐに加速する。

 目の前の子どもに掌を向け、突き出し――


 ――恭也はギアを入れ替えた。

 回転によって抉った地面を足場にし、直線運動に切り替える。

 小さな体が、一瞬で男の脇を走り抜ける。


「……なっ!?」


 振り返った男が見たのは、彼がへし折った木に足を当てて強引に方向転換した恭也の姿だった。

 上部を砕かれても揺るぎもしなかった幹、子どもの体重を支えるのには充分すぎるものである。

 そして幹を蹴り、再度加速!!

 斬撃が襲い掛かる。


 撃!!


 虚を付かれたまま、抵抗さえも出来ず、首筋に峰を撃ち込まれた男は崩れ落ちた。




「………ふぅ」


 後処理を終えた恭也は、ようやく一息ついた。

 その足元には、意識を失った男が肩を外され、木に縛り付けられている。

 それが超越者を気取った素人の末路だった。


 如何に能力があろうとも、使いこなせなければ意味はない。


 例え相手に不可視の何かがあろうとも、一度でも見ていれば対策は立てられる。

 撒き餌として見せる、などという手の込んだことも考えられるが、男のそれまでの言動から考えるとそれはないと確信できた。


 結局

 戦闘に関して、男は素人だった。

 幼いにしても、恭也は専門家だった。

 その差が無傷の恭也と、土塗れの男の姿に現れていた。


 そして一息ついた専門家の卵の少年は、声を上げた。

 自分を信用してくれている父に無事を知らせるために。


「終わった」


「よし」


 息子の声を聞いた士郎は、笑みを浮かべた。

 恭也の勝ちは予想通り、しかし本人には言わないが、愛弟子の勝利は悪いものではない。


「じゃあ、こっちも終わらせるか」


 余裕の勝利宣言、しかしそれを受けても女性の無表情は崩れない。

 彼の息子も無愛想とよく言われるが――言うのは八割方、士郎だが――、彼女は無愛想というよりも


(………まるで、人形だな)


 士郎の戦闘経験の中には職業暗殺者とのものもあるが、彼らでもさすがにここまでではなかった。

 痛みや戦闘の恐怖や興奮、それに緊張感にも全く表情を動かさない。

 それはかなり不気味なのだが


(まあ、いいか)


 表情が読めなくても、動きの先が読めないわけではない。

 疑問には思っても、止まる理由にはならなかった。


「よっと!」


 牽制の飛針で相手の位置と左手をコントロール。

 そして


 加速!! 抜刀!! 斬!!


 斬撃がブレードの根元を切り離す。

 抜刀で流れる体を強引に、回転させ、そのまま


 刺突!!


 狙いは顔、と言っても刺し殺すはない。

 本能として必然的に顔を庇おうとした瞬間、持ち替えたもう一刀の柄を鳩尾に打ち込む。

 それで終わり――


「なっ!?」


 ――にはならなかった。


 士郎の叫びの先では、彼女が何の躊躇いもなく己の左腕を顔の前に差し出していた。

 それだけなら、そこまで驚く事でもないのだが………


「ちぃ!!」


 すぐさま掌を貫通している小太刀を手放し、距離を取る。

 数瞬後、士郎の顔があった場所をニードルが数本、通り過ぎていった。


「ったく、何の冗談だ」


 そう呟き、士郎は空いた手で髪を掻き揚げた。

 その間に愛用の小太刀が、投げ捨てられる。

 その刃には、赤い血ではなく、何か油のようなものが付いていた。


 結論から言うと、彼女は生身ではなかった、少なくともその両手は。

 貫かれた左手の傷跡から覗いているのは、血と骨ではなく、油と何らかの金属。

 ニードルが発射されていたのは、手首からではなく掌から。

 仕掛けは外ではなく中にあったらしい。


「義手………違うか」


 彼女の行動に気を取られてはいたが、鳩尾に――鳩尾の位置に柄も打ち込んでいる。

 にも関わらず、彼女は咳き込む気配もなく、その感触も生身のものではなかった。


「………ホントに人形ってか。珍しいのと会ったな」


 動揺は一瞬、それだけで士郎はモードを切り替えた。

 弟子に教えたことを、師匠が実践できないわけがない。

 相手が生身でないモノなら、遠慮の必要はない。


「……おっとぉ!」


 飛針で再びバランスを崩し、鋼糸を巻きつけ、木に叩きつける。

 体勢を崩しながらもニードルを撃ってくるが、しかし既に士郎の姿はそこにはない。

 投げ捨てられた愛刀を回収、二刀も持って構えなおす。

 立ち上がる人形、向けられる拳と掌、全ての動きが、止まっていく。


【御神流・奥義の六・薙旋】


 斬! 斬! 斬! 刺!!


 何の抵抗も許さず、両腕を切り落とし、胸を貫く。

 不破士郎の本気に、相手は完全に沈黙した。


「終わり、だな」



































「ったく聞いた以上だな、夜の一族ってのは」


「凄いね、あんなに滑らかに動いてたのに」


 戦闘を無傷で終えた親子は、揃って破壊された人形を覗き込んでいる。

 その作りは精巧、その人間にしか見えない外見と滑らかな動きは、明らかに普通の科学の限界を超えていた。


「それで、これはどうする?」


「どうするつってもなぁ」


 先ほど知り合いに連絡は取ったのだが、正直、この人形を差し出すのは抵抗があった。

 夜の一族とは、士郎のいるところを影と呼ぶなら、闇の住人。

 あまり表ざたにすべき事ではない。


「………父さん」


「ああ」


 悩み事は後にして、刀を抜く。

 夜の森に、第三者の音を捉えた親子は、再び戦闘態勢に入った。


「ったく忙しいな」


 足音は闇の中でも、戸惑いを聞かせていない。

 隠すつもりはないようだが、かなり闇に目が利く、二人組のようだった。


「……また、あれかな?」


 可能性として一番大きいのは、縛っている男と同じ、夜の一族。

 相手としては少々厄介である。


「待ってください」


 いよいよ緊張感を高めた二人にかけられたのは、若い男の声だった。

 それで緊張を解くような真似はしないのだが


「こんばんは、不破士郎さんですね」


「………俺って有名人?」


「それは分かりませんが、私たちは貴方の名前を知っています、不破――」


「イレインオプション!! 馬鹿な、破壊したのか………人間が………」


 敵意がないことを示すように、手を広げて士郎の名前を呼んだ男の後ろから、もう一人が叫び声を上げた。


「おい、筑岡。失礼だぞ」


「そんなこと言ってる場合か、樋影! 人間があのイレイン・オプションを」


 激昂している男の言葉から察するに、士郎が壊したあの人形は『イレインオプション』という名前らしい。

 だがそんな意味のない情報よりも


「人の名前を呼んどいて勝手に話を進めるな、夜の一族」


 こちらのほうが重要だった。

 士郎たちを人間と呼んでいること、夜の一族の連れていた人形の知識があること、などからして彼らはほぼ間違いなく夜の一族である。

 そして夜の一族に名前を売った覚えなど、士郎にはなかった。


 不特定多数に名前が知られることは、士郎のような職業の人間にとって好ましいことではない。

 特に一人でなく恭也を連れている今は、リスクは極力避けるようにしておいたのだが………


「失礼しました」


 士郎の割り込みに言い合いを中断した二人組。

 そして応じたのは、樋影と呼ばれた男だった。

 相方を片手で抑え、一礼。

 顔を上げると話を続けた。


「私たちは、貴方の仰るとおり、夜の一族です。私が樋影、そしてこっちが筑岡です」


 慇懃な口調の樋影と、憮然とした筑岡。

 だが、態度など、どうでもことでしかない。


「名乗らなくても分かってるみたいだから、名乗らないぞ」


「ええ。構いません」


 そう言うと樋影は笑みを浮かべ


「まずお伝えしておきますが、私たちは、貴方を知っているわけではありません」


 士郎の思考を読んだかのように、先回りをした。


「私たちが追っていたのは、そこに縛り付けられている男です。その中で、伸ばした手の一つに引っかかったのが貴方の電話でした」


「………なるほどな」


 あの時、士郎は車のナンバーや男の特徴について連絡を入れていた。

 それを別ルートから聞きつけたのが二人。

 一応、筋は通っている。


「お陰さまで、手間が省けました。感謝します」


「俺たちだけで十分だったんだがな」


「筑岡!!」


(そっちのほうが、分かりやすくていいけどな)


 未だ抜き身の刀を肩に乗せている士郎は、再び顔を付き合わせた二人に胸中でそう呟いた。

 抜き身の刀、保ったままの間合い、要するに士郎も、そして一言も喋っていない恭也もこの二人に対して、全く警戒を緩めていないのである。


 夜の一族、常識を越えた人形、見てはならないものを見た可能性は高い。

 だとしたら、刀で道を切り開く必要がある。

 まあ、時々あることでしかないが。


「そちらも刀を下ろしていただけませんか、不破さん」


「断る」


 やはり油断ならないのは樋影のほうだった。

 なら筑岡はある程度、恭也に任せても早めに仕留める。


「困ったなぁ。ホントにこっちには、貴方たちをどうするつもりもないんですけどね」


「信用できると、思うか?」


「とりあえず――」


 そう言って樋影は、指を二本、立てた


「別に私たちは隠れ里に住む一族じゃないですからね。知られたくらいじゃどうもしませんよ。実際、貴方は元から知ってましたよね?」


 これが一つ目、と一本、指を折る。


「そしてイレインオプション………ってそこで斬られてる自動人形ですが、それは回収させてもらいます」


 構いませんね、と言われた士郎が頷く。


「貴方の手元に何も残らない以上、何を話そうが信用されないです。ですよね?」


「………確かにな」


「構造を調べた痕跡もなし。そもそも、失礼ですが一族の秘を尽くした自動人形の構造が調べられるかどうか………無理でしょう」


 これが二つ目です、と残った指を折った樋影が笑みを見せる。

 それは明るい、不自然なほど明るい笑みだった。


「………ほっとけ」


 そう言って士郎は刀を納めた。

 それは樋影の言い分を認めたという意思表示。

 その背後で合わせて恭也も納刀した。


「それじゃあ、ちょっと失礼します」


 三人から距離を取り、樋影が取り出したのは、小型の無線のようなものだった。

 それに向かって何事かを、おそらく現状を何処かに報告している。

 その間も、筑岡は憮然とこちらを見ていた。

 それを見ているとついつい、余計なことが口から出てしまいそうになり、


「しかし粋を尽くしたわりには弱かったな、あの人形」


 止める間もなく、出てしまった。


「なんだと!?」


「………父さん」


 首筋を掻きながら、激昂する筑岡ではなく、嗜めるように口を開いた恭也に向けて、士郎が続ける。


「悪い、悪い。ついつい本音が」


「悪いと思ってないでしょ」


「実はな」


 呆れた口調の恭也が、溜息には些か長い息をつく。

 その様子に士郎は僅かに目を細め、立ち位置をずらした。


「お前、人間がそんなことを!!」


 恭也の前に移動する形になった士郎を気にすることもなく、筑岡はただ感情を発露させ続けた。

 士郎の顔が、僅かに険を帯び始める。


「つっても弱いもんは弱いぞ。パターンも読みやすかったしな」


「これはオプションだ!! 集団の1であるオプションを単独起動したために本来の10分の1も実力は発揮されていない!!」


「なんかずいぶん色々言ってるが、勝手に喋ったんだからな」


「………分かってます」


 戻ってきた樋影が溜息を一つ、追求はせずに、改めて士郎と向かい合う。


「不破さん、お願いがあるんですが、私たちと一緒に来てもらえませんか」


「………」


「ですからこっちには貴方とやりあう気なんてありません。少なくともあの切り口を見ただけで、私は勘弁です」


「そりゃどうも」


 神速から刃を完璧に立てての四連撃。

 あの人形のことは見ても分からなかったが、こっちの技を見せてしまったな、と僅かに顔を顰める。


「それで、先ほどの連絡で話した私たちの上役が、是非貴方にお会いしたいと」


「なっ!? 何を言っている、樋影!?」


「長の意思だ、久しぶりだがな」


「しかし!! 今の時期に人間を!!」


「あと三日ある。通すのは離れ。そこまで問題はない」


「だが今度の集まりには、海外からの出席者も多い! その前に余計な――」


 またしても当事者を無視して始まる言い争い。

 その時間の浪費に、湧き起こっていた苛立ちが、士郎の口を開かせた。


「そこまで嫌がられると、逆に誘いに乗りたくなるな」


 しかし口調は不破士郎、本来の茶目っ気に満ちた明るいものだった。

 故に、筑岡は深く考えずに口を開こうとし


「お――」


「筑岡、いい加減にしろ」


 赤の瞳がそれを遮った。

 瞳を赤く染めた樋影が静かな、しかし、力の篭った言葉を発する。

 気圧され、口を閉ざした筑岡に、変わらぬ口調で言葉が叩きつけられた。


「不破さんは既に長が招こうとしている、客人だ。無礼は許さん」


 そこで士郎たちに改めて、一礼。


「申し訳ありません。それで如何でしょうか?」


「興味がないわけじゃないが、用事もあるし、遠慮する」


 内容としては未練がありそうだったが、その実、意思ははっきりしていた。

 その答えは予想していたのだろう。

 樋影は、むしろ笑みを浮かべて


「そうですか。それはそうと、先ほどの場所に車がなかったのですが、もしかして徒歩で移動されてますか?」


「………ああ」


「もし来ていただけるなら、車でその用事の場所までお送りしますよ。会うと言ってもそれほどお時間はいりませんし」


 そして見たのは、士郎ではなく後ろの恭也だった。

 小太刀を背負い、闇にも赤い瞳にも怯える様子を見せない子ども。

 しかし、その顔色は、良いとは言い難かった。


「ったく、しょうがないか」


 徒歩での移動、予期せぬ戦闘、夜の一族との接触。

 決して口には出さないだろうが、恭也の疲労はほぼピークに達している。

 それを見抜いた樋影は取引材料に車での移動を使い、士郎はそれを受け入れた。

 ある程度、先回りする厄介な樋影という男を信用したからこその結果ではあるが。


「じゃあ行きましょう」


 樋影が自動人形を、筑岡が男を持って、四人は移動を開始した。

 闇の森を抜け、街灯に照らされた道へと。


「なあ、あんた」


「なんですか?」


「よく嫌な奴って言われないか?」


「ええ。何故だかはわからないんですが、よく言われますね」


 やっぱりなと言って、士郎は樋影の車に乗り込んだ。

 そして車は動き出す、出会いの場所へと。



































 そこは、山奥の巨大な建物の一室だった。


 樋影に屋敷まで送られた士郎と恭也は、日本では珍しいメイドに案内されて、屋敷の一室へと通された。

 ここも城のような外観に相応しく、内装も豪華である。

 と言っても親子揃って羨ましいとは欠片も思わなかったが。


「疲れそうだな、この部屋」


「畳のほうが良い」


 率直なコメントを漏らす息子は、和風好き。

 行動に制約が出る拘りは持たないようにしているが、この屋敷で暮らすとしたら、一週間が限界だろう。

 正直、この建物は二人とは相容れないものである。


 コンコン


 待たされること二十分ほど、部屋を物色していた士郎と、ソファに横になって睡眠を取っていた恭也が、ドアに視線を向ける。

 静かにノックされたドアの先で、誰かが返事を待っていた。


「どうぞ」


 鍵を閉めていないドアがゆっくりと開いていく。

 そこには士郎たちを案内してきたメイドが立っていた。


「どうぞ、こちらへお願いします」


 その言葉に従って、部屋を出る。

 行く先は、二人を呼び出したこの屋敷の主の私室らしい。


「………あっ」


 メイドに先導され歩いていた恭也が、小さくだが驚きの声を上げた。

 その視線の先では曲がり角から恭也と同年代らしき少女が姿を見せていた。


 樋影に連れてこられたこの屋敷は、ほとんど人気がなかった。

 会ったのは樋影と数人のメイドのみ。

 樋影と筑岡の話とも照らし合わせると、ここにはほとんど人がいないと思っていたのだが、その予想は外れた訳である。


(………ずいぶんとまあ)


 士郎の呟きも、こちらに曲がってきた少女へのものである。


 小柄でピンク色のフワフワした髪の少女。

 その容姿だけならば可愛いと評するべきなのだろうが、しかし浮かべている表情がその評価を躊躇わせた。


「さくら様」


 そう少女に呼びかけたのは、二人を案内しているメイドである。

 そしてさくらと呼ばれた少女に寄り添うと、何事かを――おそらく士郎と恭也について――耳打ちした。


「………………」


 対する少女は無言、ただその表情には僅かな驚きが浮かぶ。

 しかし、結局一言も発することもなく、軽い会釈だけで士郎たちとすれ違い、歩いていった。


 それを見送る士郎と恭也も無言、そして少女と反対方向に二人は歩き始めた。














――不破恭也と綺堂さくらは出会いとも呼べぬまますれ違う。


 彼らが出会うのは暫しのち


 たが、確実にその時は近づきつつあった。















 後編へ




















 後書き


 風芽丘異伝 外伝、今回はさくら編 前編です。

 先の出番争奪戦で見事同率一位を獲得した、綺堂さくら嬢。

 ですので気合が入っています。

 ………入っているんですが………

 既に読まれた方はお分かりでしょうが、この話ではまださくら嬢がほとんど出ていません。

 代わりに大活躍なのが、少年恭也君ではなく、不破士郎さん、完全に主役になっています。


 これに関しては、拙作短編「夕暮れにあの人と」の士郎さんと恭也君の話が思ったよりも好評だったので、二人の話がまた書ける今回、ちゃんと書いてみようかな、と思ったのが原因です。

 書いてみたら、思ったよりも二人が書きやすく、書いているうちに話が伸びていき――結局、前編、全て使ってしまいました。

 後編ではちゃんとさくら嬢が登場しますので、ご容赦ください。

 そしてその後編ですが、ほとんど完成はしています。

 一応、一週間後の投稿を予定していますが、もし早く読みたいと思われたなら、メールかBBSにお願いします。

 早めに仕上げるようにしますので。


 そして最後に作中の解説になりますが

 作中に出てきたイレイン・オプションは3に登場したあのイレイン・オプションです。

 ただしあの男が戦闘に関して自律行動が出来るようにソフト面を組み直したので、単独起動しています。

 能力的には元祖の人形よりもかなり低いですが、戦闘に特化している分、皮膚表面などは汎用人形よりも強化されています。

 士郎の相手には不足でしたが、それなりの能力は持っています。


 それでは後編で。

 では〜







管理人の感想


 希翠さんから外伝SSの前編を投稿していただきました。
 1位の彼女ですねぇ。


 本編からすれば過去。
 夜の一族を説明するにはいい機会だと思います。
 結構不透明な部分がある一族ですので、そこを補う希翠さんの手腕に期待でしょうか?

 彼と彼女がどう知り合い、そしてどう誼を通じるのか。
 まぁ2人とも幼いので艶のある展開はさすがに無理でしょうけど。


 後編も楽しみですが、私は同率1位の彼女の話も楽しみ。



感想は次の作品への原動力なので、送っていただけると作者の方も喜ばれると思いますよー。

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