二つの月と星達の戦記

第6話 癒しの翼

 

 

 

 

 

 エルシオール内部にまで及ぶヘルハウンズ隊との戦闘から40時間後。

 

「やっとブリッジ前も元通りになりましたね」

 

「ああ、やはり結構時間が掛ったな」

 

 仮設リフトが撤去され、通路の戻ったブリッジ前。

 完全に、あの戦いの前の姿へと戻っている。

 床の大切さを身に沁みて感じたこの40時間。

 アルモとレスターで、戻った通路を通り、ブリッジに戻ってきた。

 

 あの戦いの後、トラップの解除は5時間程で完了しのだが、艦内の修復には更に時間が掛った。

 機関室の完全復旧には更に40時間以上かかる見込みで、トラップを艦内に仕掛けるリスクが示された形となった。

 機関室以外で復旧に時間が掛かったのはブリッジ前になる。

 特殊ナノマシン弾を使用したせいもあるが、なにより、広い範囲で床が無くなり、その下が謎の空洞だった、というのが大きい。

 タクトが齎した設計書にも、その空洞がなんなのかまでは記載されていなかった。

 タクトがその部分を消した事は明白で、ただ、落とし穴と、障壁の設置に利用できる、という事に関する情報しかなかったのだ。

 そんな謎の空間であったのもあり、完全に元通りにする為、落ちた床板の撤去も慎重に行わなければならず、今まで掛ったのである。

 

 余談だが、修理が終わるまで設置されていた仮設リフトというのは、本当に簡単なものだった。

 強化ワイヤーが一本渡され、その上の足場は1人分の両足ギリギリのサイズ。

 つまり、下から見れば、女性クルーの穿いているミニスカートの中が丸見えになっていたのである。

 女性同士でも問題となる事だが、それに最初に気付いたのが撤去作業の指揮を代行していたタクトで、被害者は知らずに渡っていたココ。

 勿論タクトにそんなつもりは無かったが覗いた事は事実で、渡っている途中でそれに気付いたココが、慌てて隠そうとしたせいでリフトから落下、タクトがダイビングキャッチをする、なんて事になった。

 その後、この場所の復旧作業から男性クルーは外され、タクトとレスターも指揮を執らない事が決まり、床の復旧作業が加速した。

 タクトは、ココへの謝罪、ご機嫌取り、更にエンジェル隊への弁解に時間に奔走する羽目になり、かなり本気で悲鳴を上げていた。

 

「これで、もう事故も起きまい」

 

「ココにとっても、マイヤーズ司令にとっても、アレは災難でしたからね」

 

 と、そんな話をしながら、ブリッジに入った2人。

 尚、タクトは別の用事で今は、というより今もいない。

 司令と副司令の2人では、どちらかが絶対にブリッジに居る、というのは無理があるので、こんな事もある。

 

「私としては、マイヤーズ司令には、得もあったと思ってもらわないと」

 

 そんな2人の会話を聞いて、被害者であるココは反論する。

 確かにタクトは余計な仕事が増えて大変だったが、ばっちりスカートの中を覗かれて損をした、なんて言われてはココは納得いかないだろう。

 

「まあまあ、ココだって、男の人にお姫様抱っこをしてもらう経験ができたじゃない」

 

「アレは、確かに滅多にない経験だったけど、そこからの発展がないし」

 

「まあねぇー」

 

 落下しているところを、男に抱き止められて助かるというのは、ドラマみたいな展開と言える。

 そこから始まる恋物語もあるだろうが、なにせタクトにはエンジェル隊が居るので、ココがそこに入るのは難しい。

 エンジェル隊と比べ、ココに魅力が無いと断言する訳ではないが、立場的にも圧倒的不利はいなめず、ココもそれを望んでいない。

 

「あ、そう言えば、マイヤーズ司令、腕は大丈夫だったのかな?

 確か、腕を負傷されていた筈だけど」

 

「そう言えばそうね。

 あの時は個人的にそれどころじゃなかったけど、『重力加速』が付いたから、結構な衝撃だっただろうし」

 

 落下による加速を強調するココ。

 女性だから、自分で自分が重いとは言わないだろう。

 レスターとアルモは苦笑している。

 

「まあ、あの時には完治してたからな」

 

「クールダラス副司令は、傷、もう大丈夫なんですか?」

 

「ん? ああ、アルモの応急手当もあって、問題なく」

 

「いえ、そんな。

 本当に、ヴァニラさんが居て良かったと思いましたよ、あの時は」

 

「そうだな。

 俺達も、ヴァニラが居るというのは、計算に入れてたくらいだ」

 

 本来、司令官自ら戦うなどあり得ない事だ。

 頭が潰れれば、体は死ぬしかない様に、司令官がいちいち戦場に出て負傷しては、その後の戦いに大きな影響が出る。

 戦力が無いというなら、撤退を考えるべきなのだ。

 エルシオールの状況ならば、別の方法で侵入を防いだり、時間を稼ぐ手段もあった。

 ただ、ここでヴァニラが居るというのが大きい。

 少なく、貴重で、今後も大いに活躍してもらわねばならない戦力を、白兵戦に投入できたのは、死ななければ、大抵の傷は直ぐに治してくれるヴァニラの存在あってこそだ。

 エルシオールの医療施設とケーラだけでも大体の傷は治せるが、それでも掛る時間は比べ物にならない。

 ヴァニラの存在は、こちらの戦力計算を倍以上にしてくれる効果がある。

 

「それにしても、あの時の副司令は凄かったですよね。

 罠を張っていたとはいえ、倍以上の兵力を相手にできたのですから」

 

「ま、それも、最後の切り札あってやっと退けられただけだけどな」

 

「私としては、その前の、ヘルハウンズ隊のギネス機を退けた時の方が驚きました。

 マイヤーズ司令がいなくても、エンジェル隊の指揮は十分やれるんじゃないでしょうか」

 

 あの戦いの中、ギネス機を退けられたのは、誰が見てもレスターの手腕だった。

 そして、アルモ達から見れば、それはタクトと変わらない、奇抜な作戦による逆転。

 タクトが司令をやっているのが疑問に思える程、レスターの指揮能力が高いと考えているのだ。

 勿論、タクトは他の面で必要であるから、タクトが要らないとまでは言わないが、レスターが普段から指揮をしても同じじゃないかと思ってしまう。

 

「いや、それはないな。

 タクトがいなければ、ここまでこれなかったよ」

 

 しかし、レスターは、その言葉を否定する。

 褒められて悪い気はしないが、そう言われても調子に乗る事は絶対にできない。

 

「そうですか?

 それにしても、これで士官学校次席だなんて、信じられないです」

 

「ん? タクトに聞いたのか?

 なら、もう少し教えておくと、俺とタクトはルフト先生の生徒だった。

 そして、俺はルフト先生の生徒の中でも、特に優秀だと言われていたんだ。

 しかし、俺はその評価を、素直に喜ぶ事ができなかった」

 

「もしかして、マイヤーズ司令の存在ですか?」

 

「そうだ。

 タクトは、ルフト先生の生徒の中で、最も奇抜な生徒だと言われていた」

 

 懐かしむ様に、遠くを見ながら語るレスター。

 その表情は苦笑と言えるだろう。

 楽しくも、苦い思い出の多い過去を思い出し、レスターはそれをアルモとココに語る。

 

「なんか、マイヤーズ司令らしい表現ですね」

 

「ああ。

 当時から、あんな感じで、軽い印象のタクトに最初は反感をもったものさ。

 だが、勝てない事の方が圧倒的に多く、勝てていた筈の事にも次には逆転されていた事もあった。

 切磋琢磨、あの軽いノリのタクトは、それでいて相当の努力家だった。

 その姿を見せるのは、執拗なまでに嫌っていたがな」

 

「副司令はそんな裏を知って、それで友達になったんですか?」

 

「そんなところだ。

 それに、ルフト先生からも言われていた。

 良くも悪くも教科書通りの俺と、良くも悪くも奇抜な考え方のタクトは、いいコンビになると」

 

「普通なら反発しそうですけど。

 というか、クールダラス副司令、教科書通りですか?」

 

「そうだ。

 前の戦い方を言っているなら、アレは最初からそう運用すると決まっていた物だ。

 奇抜でもなんでもない」

 

 あの戦いでの決め手は、追加装甲と追加武装を使い、ギネス機の動きを妨害した事だ。

 ギネスは、それを見切ったつもりだったが、そこに2番機がアンカークローという長い手を持っている事を利用し、覆した。

 レスターは、紋章機の性能をよく理解し、自らの武器を知り、それを順当に当てはめて、あの作戦を決行したのだ。

 追加装甲を盾にする、という事については、炸薬による急速排除を組み込んでいる事が、そもそもそう言う使い方を想定したという証だ。

 

「だが、タクトは違う。

 アイツは背水の陣をしいて、その背の水を、退路を塞ぐ物ではなく武器に変えるくらいの事をやるんだ。

 しかし、奇策ばかりでは、兵もついていけなくなってしまう。

 そこで、俺がまず正攻法による指揮を示し、そこにタクトが奇策を乗せる。

 そんな形での運用をルフト先生は想定し、俺達はそれを実現した。

 俺も、そういう、目立たない立場の方が良かったし、上手く収まった感じだよ」

 

 レスターは言わないが、自分で最初に作戦を示すのは、その情報処理能力の高さからだ。

 情報を整理し、戦力を計算し、何が最善かを見極め、即座に答えを出す。

 戦いというのは、時間という敵がいる為レスターの存在は大きい。

 タクトだけでは、作戦立案に倍以上の時間が掛かるだろう。

 レスターの倍なら、普通の指揮官よりは早いのだが、やはりその差は大きい。

 

「この戦いの中で、タクトがそれをやったのは、まあ、小惑星をミサイルで移動させた時とかか」

 

 普通は想定しない事を、自分の武器とする。

 本来は障害物でしかないものを、自分の盾として、正に運用したあの行動。

 レスターが、タクトらしい作戦と考えるのは、前回の白兵戦を立案した事を除けば、それくらいだった。

 

「あ、そう、その時の事。

 一度聞こうとしたんですけど、聞けなかったんですよ」

 

 と、そこで、アルモは、突然声を上げた。

 レスターはちょっと驚きながらそちらを見ると、そんな声を上げながら、アルモはいいずらそうにしていた。

 

「どうした?」

 

「ええ、マイヤーズ司令に聞きたかったんです。

 結局、聞く機会がないままでしたけど。

 あの時、ミサイルの弾道計算と、小惑星の動きを計算した筈なんですけど、それをどこでやったのか。

 私達が知る限りのリソースを使った形跡がなかったんです」

 

 ミサイルの軌道計算も、惑星の動きを計算するのも、並のコンピューターでは、専用のソフトウェアでも時間がかかる。

 タクトは、あの時戦いながら、ブリッジから使える計算装置を使って計算した筈なのだが、後で見ても、アルモ達はその痕跡を見つけられなかった。

 わざわざ隠蔽するとはあまり考えられない為、どこでどんな計算をしたのかが、どうしても気になる。

 

「それに、ブリッジ前の下の空間。

 それを知っていたのもマイヤーズ司令ですよね」

 

 整備班から漏れた話ではない。

 誰もが気付く事だ。

 クルーも、整備班も知らないこの艦の秘密。

 それは、外部から持ち込まれたのは明白で、それに該当するのはタクト以外に居ないのだ。

 

「……俺も気になってはいる。

 俺とアイツはそれなりに長い付き合いだが、知らない部分は多い」

 

「クールダラス副司令でもご存知ありませんか……」

 

 こうなれば、本人に直接聞かなければならないが、聞いて良い事とはとても思えない。

 エルシオールのブラックボックス部分まで把握しているとなれば、それは裏に大きな事情を抱えている筈だからだ。

 とても、個人の興味本位で聞ける事ではないだろう。

 

「だが、こうして明らかになった以上、そのうちなんらかの説明はしてくれるさ。

 秘密は多いが、知った相手が不利益になる様な隠し方はしない、そんなヤツだ。

 ……しかし、聞くならば俺達も覚悟が必要だろうな」

 

「ええ、それは解っています」

 

 白き月の奥で発見されたエルシオールの秘密。

 それは、きっと笑いながら聞ける話であろう筈はない。

 世の中には、知らない方が幸せだという情報も多々あり、きっとそれに含まれる。

 けれど、この戦争が始まり、関わってしまった以上、もう後戻りは出来ない。

 エルシオールのクルー、特に整備班とブリッジクルーは、戦争前の状態には戻れない、戻らない覚悟が必要だと知りつつあった。

 

 

 

 

 

 同時刻、医務室。

 

「今日はここまでです」

 

「ありがとうございます」

 

 ナノマシンによるヘレスの治療は今回で3回目となる。

 既に包帯も無く、裸の状態を見ても、傷らしいものは見当たらない。

 綺麗な肌をした、バランスのとれた身体だと言える。

 

 しかし、ヴァニラに言わせれば、全くそんなことはなかった。

 

「最低でも後10回の治療が必要です。

 時間の空いた時、必ず来てください」

 

 深い傷以外なら、1回の治療で完治させてしまるナノマシン治療。

 それがありながら、しかも、曖昧な数を提示するヴァニラ。

 

「それは、今回の傷以外も診る、という事ですか?」

 

「はい。

 古い傷があります。

 当時、あまり良い治療が受けられなかった様ですから。

 現状実害は無いでしょうが、今後、傷を重ねると影響が出ますので、治してしまいます」

 

 何で出来た傷か、などというのは聞かない。

 いや、聞けるはずもなかった。

 それに、ヘレスの古傷は、最近同じ様なものを診たばかりだ。

 

「そうですか。

 今後の事も考えて、お願いしておきます」

 

 ヘレスは、大人しくヴァニラに従った。

 実際、治療時間も大して掛からないし、タダでナノマシン治療が受けられるのだから、断る理由など無い筈だ。

 それでも、断られる可能性があると、ヴァニラはどこかで感じられていた。

 それがアッサリと受け入れられたので、思い過ごしだったかと考えてしまう。

 でも、何処かに違和感を感じていた。

 

 身だしなみを整え、帰り支度をするヘレス。

 ヴァニラはカルテをつけていた。

 

「『彼』の治療は進んでいますか?」

 

「え?」

 

 ヘレスから、そんな話しかけられ方をされるとは考えていなかった。

 珍しく、と言える、純粋に驚いた反応をするヴァニラ。

 それくらい意外だった。

 ヘレスの言う『彼』が誰の事を示すか、そんなこと、ヴァニラとて気付かない筈はない。

 

「私では、もう何を言っても、何をしても、彼を傷つける事にしかならない。

 だからお願いします。

 きっと、貴方が一番適任ですから」

 

「……」

 

 ヘレスは、そう言うと、戸惑っているヴァニラに、一度だけ微笑むと、医務室から出てしまう。

 医務室に、1人残されるヴァニラ。

 

「……私はその傷の治し方を知りません」

 

 魔法の如き万能さで傷を癒すナノマシン医療。

 その技術をもってしても、どうしても治せないものが2つ存在する。

 既に死んでいる人間を蘇生する事はこの場合数えない。

 人間が死に行く原因となる事象で2つ。

 一つは老い。

 そしてもう一つ、『傷』と名の付き、けっして目には見えない傷―――

 

 数多の文献に目を通し、有効な手段とされるものは知っているが、確実なものは何も無い。

 そもそも、その傷を見つける事が難しく、どの様な傷かを判別する事は困難で、治療は更に困難を極める。

 医療技術が発達した今、恐らく最も厄介とされる『傷』。

 ヴァニラは、未熟な自分に診れるとは、とても思えなかった。

 

「でも、何故?」

 

 ヘレスの言葉が気に掛る。

 何故、自分なのか。

 その疑問に、答えてくれる者はいなかった。

 

 

 

 

 

 一方、その頃。

 タクト・マイヤーズはトレーニングルームに居た。

 トレーニングルームの中でも、最近作られた柔道場の倍くらいの広さの格闘訓練施設。

 ランファとタクト、レスターなどの為に、特別に用意された部屋で、床や壁の硬さが調整できる上、障害物も設置できる。

 そんな部屋で、タクトが今相対しているのはランファではなかった。

 

「はっ!」(正面からまず牽制の拳打、カウンターを崩しつつ、蹴る)

 

「てぇっ!」

 

 小さな体に、やや打ち下ろす様に拳打が放たれ、小さな体は、それを払ってタクトの間合いの内側へと入る。

 小柄である事を活かし、ミントは、そこから肘打ちを腹に打ち込むつもりだった。

 

「遅い!」(じゃあ、足で払って、服を掴んで引き倒す)

 

「あっ!」

 

 バタンッ!

 

 しかし、それの肘を絡める様に身体を捻り回避しつつ、足をひっかけ、更に、服を掴んで、床へと叩き倒した。

 床に叩きつけられる直前、ミントは受身をとり、ダメージを軽減する。

 だが、次の行動が間に合わない。

 

「ふんっ!」(背を踏みつけて、内臓へダメージ、下手すりゃ背骨が折れるな)

 

 ドゴッ! 

 

「ガハッ!」

 

 背中を全力で踏みつけられ、一瞬気が遠くなる。

 そんな中、聞こえてくるのはタクトの声だ。

 

「これで、背骨が折れたか、それでなくても呼吸困難、意識混濁でアウト。

 はい、次」

 

「はい」

 

 タクトは一旦離れ、ミントが立ち上がるまで待つ。

 ミントは、すっと立ち上がり、構え直す。

 これで、もう3回目だ。

 

 今、組手をしているのはタクトとミント。

 ミントからの要望によるものだ。

 ランファとは軍服でやっているタクトだが、今回はスポーツウェアを着ている。

 今日は元々、怪我の治療明けという事で、軽く身体を動かす程度の予定だったのだ。

 そこで、ミントとたまたま会い、頼まれて、最近用意されたばかりのこの施設を使っている。

 たまたまだったの為、ミントもスポーツウェア。

 半袖のシャツと、スパッツという軽装だ。

 

「……」(膝で顔を狙うか)

 

 ダッ!

 

 タクトから仕掛ける。

 走り、ミントとの距離を詰める。

 

「……」

 

 ミントもタクトに向かって走しり、距離は一気に0となった。

 

 ブンッ!

 

 ミントが移動以上の行動を取る前に、タクトが、右膝を上げる。

 このまま右膝はミントの顔に向かうだろう。

 

「てぇっ!」

 

 ガシッ!

 

 ミントは、その膝に自ら組みかかり、タクトの右足を取った。

 そして、その足を引きあげる様にタクトの重心を崩し、タクトを押し倒そうとする。

 

「甘い!」(その程度じゃ崩れない、踏み潰す)

 

「あっ!」

 

 ガダンッ!

 

 ミントの組み方が甘く、危うく逆に踏み潰される所だった。

 しかし、一瞬ミントが早く動き、手を離して回避、タクトの左側面に回る。

 

「はっ!」

 

 その移動の勢いのまま、脇腹へと肘を打ち込もうとした。

 

「……」(体勢が悪いから、一緒に巻き込むか)

 

 フッ!

 

 だが、それはタクトが身を後ろに倒して回避。

 更に、身体を後ろに倒したタクトは、ミントのシャツの襟を掴み、引き倒す。

 

 ズダンッ!

 

「きゃっ!」

 

 タクトの後転に引き込まれる形で、ミントも地面に倒れる。

 

「ほいっと」(右腕を極めて、抜けなければ折る)

 

 タクトは、そこからミントの腕を取り、ミントをうつ伏せにし、右腕を極めながらのしかかる。

 

「ぐ……」

 

 何とか抜け様と試みるが、タクトの体重を跳ね除ける筋力はミントにはない。

 

「これで右腕っと」

 

 タクトは手を離し、立ち上がる。

 再度ミントから離れ、ミントが立ち上がるのを待つ。

 ミントは、息を整えつつ立ち上がり、構えなおす。

 

「……」(右手で横薙ぎの目潰しで様子見から)

 

 タッ! ヒュンッ!

 

 タクトが前へ出る。

 迎え撃つ様に構えるミントの目にめがけ、右手の手刀が走る。

 だが、ミントはそこで前に出て、タクトの手刀を受け止め、更に内側へと回り込む。

 

「せぇぇっ!」

 

 タクトの右手を持ったまま、背を向ける様に相手の間合いの内側へと入り、更に回り込んだ左足でタクトの足を軽く払って体勢を崩させる。

 そして、そこから背負い投げ。

 

 ブンッ!

 

「むっ!」(これは無理に抜け出すより、ミントの服を掴んで巻き込むか)

 

「っ!!」

 

 バッ!

   ズダンッ!

 

 背負い投げは決まった。

 しかし、その際、タクトはミントのシャツを、裾から掴みんでいた。

 結果として、ミントは、シャツを半分脱がされる様な形となる。

 投げる為に腕も伸ばしていたので、丁度逆さまになった状態で、シャツが腕に絡まり、視界も封じられた。

 慌てて直そうとするが、汗をかいた腕にシャツが絡まって、なかなか直せない。

 

「とっ!」(起き上がりついでに足払い、ブラ掴んで押し倒すか)

 

 ブンッ!

 

 その間に、タクトは足払いを仕掛け、更に倒れかけたミントの着けているスポーツブラを前から鷲掴みにして、横に引き倒した。

 

 ズダンッ!!

 

「ガッ……」

 

 腕がシャツに取られている為、殆ど受身も取れずに倒される。

 そして、未だシャツに腕を取られ、視界も回復していない。

 横に倒され、現状が解らない。

 

「はい腹っと」(無防備に出てる腹、これは吐くな)

 

 ブンッ!

 

「んんっ!!」

 

 そんなミントの、丸見えとなっているお腹に、タクトの蹴りが迫る。

 だが、ミントは転がって逃げるのも間に合わず、タクトの足が、おへその当たりに触れ、寸止めとされた。

 

「これを受けたなら、後はもうなすがままだなぁ」

 

 その言葉で、またしきりなおしとなる。

 ミントは、直すのを諦めて、脱ぎ捨てた。

 シャツは既に4度は掴み、投げられた為、伸びたり、破れたりしている。

 それは、下着も同じ事だ。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 大分息も上がっており、殆ど上半身の隠すべき場所が隠せていないのだが、漠然と腕で隠す事しかできていない。

 

「シャツの替えはまだある?」

 

「もうありませんわ。

 ブラだけ替えさせて貰いますね」

 

 そう言って、部屋の隅に置かれたバックに向かう。

 タクトは今更ながら背を向け、ミントが着替え終わるのを待つ。

 既にシャツは1枚潰しており、予備だった1枚も今使えなくなった。

 一応、服としての機能は無くなり切っていないが、よれよれになって掴みやすくなったシャツはもう着ていられない。

 

「終わりましたわ。

 お願いいたします」

 

 スポーツ用の下着とは言え、上半身それだけの身で、再度タクトと向けて構えるミント。

 

「君が望むなら」(見事の気概と言えるけど、それだけじゃ生き残れない)

 

 対し、一切の感情の見えぬ目でミントを見るタクト。

 

「……っ!」

 

 今度はミントから動いた。

 低い姿勢でタクトとの距離を詰める。

 

「……」(右の蹴り、動き次第で左足で牽制)

 

 迎撃の体勢を取るタクト。

 ミントはただ真っ直ぐにタクトに飛びかかった。

 

 ブンッ!

 

 タクトは右足の蹴りで迎撃しようとしたが、ミントはその上を飛んだ。

 そして、右手の指を真っ直ぐに伸ばし、タクトの目を狙う。

 だが、それはタクトの右手で防がれ、更に腕力にものを言わせて、そのままミントの身体も払い退けられる。

 

 バタンッ

 

 地面に落ちるミントだったが、受身を取り、そこから跳ね起きてタクトの後方に回る。

 タクトは目潰しを防ぎ、更にミントを払いのけた際、ミントを一瞬見失っている。

 ミントはわざとタクトに払いのけられ、タクトの死角に移動していた。

 

「……っ!」

 

 タッ!

 

 後ろから、タクトの後頭部に向け、右足による飛蹴り。

 

「……」(後ろから? 飛蹴りか。足を掴む!)

 

 フッ! 

   ガシッ!

 

 だが、一瞬間に合わず、タクトに感づかれ、1歩左に下がり、回避された上に、右手で右足を掴まれてしまった。

 しかし、ミントは、その瞬間に、左足を伸ばし、タクトの顔を踏みつける。

 

 ガッ!

 

 確かに命中し、タクトの顔にミントの左足が入った。

 だが、それだけでな決定打にならない。

 

「……」(このまま潰す)

 

 ブンッ!

 

「ひあっ!」

 

 ミントの小さな体が、宙を舞う。

 タクトとミントの身長差は50cm近い。

 タクトがミントの右足を掴んでいる右手を天に向けて突き上げれば、ミントの身体は地面から遠く離れる。

 

「むんっ!」(このまま下に押しつぶすか)

 

「あっ!」

 

 ガシッ!

   ブオンッ!

 

 タクトは、左手でミントの股座を掴むと、ミントの身体を地面に突き刺す様にして振り下ろす。

 ミントは、両手で地面を受け止めようとするが、しかし、自分の体重の他に、タクトの腕力が加わっているのだ、支えきれる筈もない。

 

 ブオンッ!

 

 しかし、腕を犠牲にしながらも、身体を丸めるのが間に合い、頭部が叩きつけられる事は回避できた。

 だが、

 

「……」(じゃあ、もう一度) 

 

 ブンッ!

 

「きゃぁ!」

 

 ミントは小柄で、体重も軽い。

 タクトにとって、それは片手でも楽に持ち上げら得る程の重量で、再度持ち上げ、振り回す事は造作もない事だった。

 

 ブォンッ! ブォンッ!

 

「そらっ!」(後半回転後、背中を下に床に叩きつける)

 

 2回、宙で回転させられた挙句、今度は水平に背中から地面に叩きつけられる。

 

 ズダァァンッ!!

 

「ごはっ……げっ、ごほっ!」

 

 足を持って回転させられた事で、半ば意識が飛んでいたミントは、受身が取れず、衝撃を全身に受ける事となった。

 

「抜け出せないな。

 また、これでなすがままってところだな。

 ミントの体重なら、俺は軽く10回は振り回して叩きつけられる。

 全身粉砕骨折と内臓破裂だな」

 

 そう言いながら手を離す。

 暫く、ミントは咳き込み、苦しんでいる姿をただ見守る。

 そして、ミントは立ち上がった。

 

「まだ、もう一度、お願いします」

 

 気丈にも、笑顔まで浮かべて、もう構えなおすミント。

 

「そうか」(強い意志は感じ取れるんだが……)

 

 そんなミント相手に、タクトは短くそう言って、自らも構えた。

 前に向かって、大きく手を広げて。

 

「なら、これで終わりだ」(解りやすく、轢くか)

 

 ダッ!

 

 タクトが走る。

 大きく、掴む体勢とって、ミントに向かってただ直進してくる。

 

「あっ!」

 

 ミントは、それを回避しようとしたが、横ステップした程度では間に合わない。

 

 ズドンッ!

 

 そのままタクトの単純な体当たりがミントに直撃する。

 タクトとミントの身長差は約50cm、体重差は約40kg

 これ程の差があれば、ただの体当たりは、それこそ防ぎようの無い大技となり、ミントはタクトに押しつぶされ、圧し掛かられる。

 

「まだまだ」(組み伏せて、後は適当に料理っと)

 

 バッ!

 

 更に、倒れたミントの腹に乗ったタクトは、ミントの両手を右手にとり、空いた左手で突く。

 

「目、耳、喉、心臓っと」

 

 ヒュッ! ヒュッ! ヒュッ! ヒュッ!

 

 それぞれの場所で寸止め、最後に胸の上に手刀を突きたて、止める。

 

「ミント、何回死んだか解るかな?」

 

「気を失ったのもありますから、もう数えられませんわ」

 

 ミントから退いて、立ち上がりつつ、タクトはそんな問いかけをする。

 ミントは、なんとか自分で立ち上がり、息を整えつつ、身だしなみを整えた。

 まだ、なんとか動けるのは、この部屋の床と、タクトの手加減のお陰だ。

 ほぼ全ての攻撃において、タクトは直前で力を抜き、攻撃を解除していた。

 尤も、ミントが受身を取れなかったりして、ダメージはどうしても0にはできず、ここでミントは限界となった。 

 

「ミントの場合、どうしても体格がネックになるね。

 それを何とかできる手段を用意しないと、どうにもならないよ」

 

「ええ、身に沁みましたわ」

 

 この度ミントがかなり無理をしてまでタクトと組手を続けたのは、テレパスを応用した格闘戦の実験の為だった。

 タクトは、それを直接聞いた訳ではないが、それを解った上で付き合っている。

 しかし、心が読めても、相手の攻撃を回避できるかは別問題だ。

 それは、目が見えていれば、目の前に迫るパンチを避けられるのか、というのと同じで、修練が必要となる。

 ミントとしても、一朝一夕でどうにかなるものと思っていないが、やはり問題は多い様だった。

 素手での格闘となると、やはり体格は重要で、ミントとタクト程の差となれば、もう絶望的と言っていい。

 その差を埋めるには、並の格闘技術では敵わず、まずこの点だけでもミントは不利で、今のレベルの応用テレパスでは全く不利分を埋められていない。

 

「そもそも、私では鍛錬も足りませんし。

 まずは基本技術からやり直す必要がありますわね」

 

「格闘技術で言うと、軍式より、ランファに習った方がいいかもしれない」

 

 ミントは、エンジェル隊の中では正規のルートで入った軍人ではない。

 その為、軍人が通常受ける訓練も、受けていないカテゴリーまであるくらいだ。

 白兵戦技術は、銃撃戦などの方はなんとかできるが、格闘戦は一応程度の訓練しかしていない。

 普通なら、その体格の問題で軍人をできないと言えるくらい小柄なので、仕方ない処置でもあった。

 

 平和な世の中ならそれでも良かっただろう。

 しかし、今、戦争が始まった状態では、それが許される訳もない。

 

 先日ヘルハウンズ隊と戦えたのは、エンジェル隊としてロスト・テクノロジーを探し、数多くの危険を掻い潜ってきた経験が活きた形となった。

 だが、トラップを仕掛け、待ち伏せができるのも、エルシオールというホームの中であったからこそ。

 今後いつ、通常の白兵戦技術が必要とされるかは解らない。

 なら、多少無茶でも、習得するしかないのだ。

 

「さて、どうする?」

 

「すぐには動けそうにもありませんわ」

 

 だが、無茶をしすぎて本業であるパイロットである方にまで悪影響が出てはいけない。

 本日はこれまで、とする流れとなった。

 丁度その時だ。

 

 プシュッ!

 

「おんや、もしかしてお楽しみを邪魔しちゃったかい?」

 

 この特別格闘訓練施設に入ってきたのは、フォルテだった。

 珍しくスポーツウェアを着ている。

 尤も、ここはトレーニングルームを通って入ってくる事を考えれば、それが普通の格好だろう。

 フォルテも治療明けだからリハビリに来て、この施設が使われているのが見えたから立ち寄ったのだろう。

 

「もう終わろうとしていたところだよ」

 

「ふーん。

 でも司令官殿、ミントなんかじゃ食いたりなんじゃないかい?」

 

 わざわざここへ入ってきたのは、施設を見学する為ではあるまい。

 その言葉は予想していた。

 

「そう誘ってくれるって事は、食べてもいいのかい?」

 

「私を食えるものならね」

 

 バッ!

 

 そう答えて、フォルテは、持っていたタオルを振った。

 その下から飛び出す物がある。

 ナイフだ。

 その内1本をタクトに投げ、タクトはそれを受け取った。

 フォルテは、自分でも1本持ちつつ、隠し持っていた銃を置いた。

 リハビリでトレーニングルームを使うつもりだった筈だが、普段からどんな所にでも持ち歩いているのだろう。

 流石、エンジェル隊の中でも最も軍人らしい軍人だけある。

 

 そして、そんなフォルテが望んだのは、より実戦に近い、ナイフを使った格闘戦だった。

 

 むしろ、本来軍の格闘戦はこちらが主体だ。

 軍人なら、ナイフと銃が使える事が前提条件の様なものだ。

 実戦では、ナイフも様々な追加機能のある物が支給されるが、格闘訓練では普通の金属のナイフが使用される。

 勿論、訓練なら刃を落とした物だが、フォルテが出したのは刃が付いたナイフだ。

 ヴァニラが居れば、大抵の傷は瞬時に回復できるとはいえ、やりすぎの様な気もする。

 しかし、フォルテも、何か思うところがあるのだろう。

 

「ナイフは久しぶりだ」

 

「実は私もだ」

 

 銃器を得意とし、銃器しか使わないイメージすらあるフォルテだが、当然、正規の軍人であればナイフを使った格闘戦もできる。

 むしろ、銃撃戦を得意とするからこそ、万が一接近された時の対策として、格闘技術も身につけていなければ生き残れない。

 相手の不利な距離を取ろうとするのは、当たり前の戦術なのだから。

 

 ザッ!

 

 タクトとフォルテが同時に構える。

 尚、ミントは見学するつもりで、部屋の隅に移動している。

 見学、正に見て学ぶ為、2人への視線は一挙一動、心の機微も捉えるつもりの様だ。

 

「……」

 

「……」

 

 両者、右手にナイフを持ち、体を横に向けて構える。

 相手に急所を見せない様、その体勢を維持しつつ、ジリジリと位置を調整する。

 

「……」

 

 ダッ!

 

 先に動いたのはフォルテだった。

 低い姿勢をとり、ナイフを突き出す。

 タクトの持っているナイフの下を掻い潜り、タクトの腹部を狙う。

 

「はっ!」

 

 ガシッ!

 

 対し、タクトが取ったのは、いきなりナイフを破棄、フォルテの突き出した腕を両手で取る事だった。

 そして、フォルテが前に出る勢いをそのままに、腕を逆に追って、フォルテを背負う様にして、腕を極める。

 が、

 

「むっ!」

 

 ダンッ!

 

 フォルテはそれを、跳んで、タクトの上を転がって回り込む事で回避した。

 だが、依然としてタクトはフォルテの右腕を両手で取ったままだ。

 

「ふっ!」

 

 タクトは、前に降り立ったフォルテに腕を取りながら、前にでて、肘をフォルテの顔に向ける。

 

 ガッ!

 

 その肘が、入った直後だ。

 

「っ!」

 

 タクトは、殆どフォルテに肘が触れた程度、寸止めに若干失敗した程度で止め、フォルテの腕も離して大きく後退した。

 後退の際、フォルテのナイフが、シャツを掠め、背中の部分からの半分が切られた。

 危うく肉まで切られるところだったが、それが解っていても後退した。

 何故なら、タクトの視界の端で、フォルテの左手がタクトの金的を狙っているのが見えたからだ。

 男として、金的だけは食らってはいけない。

 タクトは1度体勢を立て直し、フォルテと向かい合う。

 しかし、タクトは既にナイフを捨てている。

 ナイフは丁度タクトとフォルテの間辺りに落ちており、拾い上げる事はできない。

 

 タッ!

 

 タクトが走る。

 ナイフが落ちている場所に向かって。

 無理に拾おうとすれば、その瞬間、フォルテに喉を掻っ切られるだろう。

 事実、フォルテはタクトにナイフを拾わせまいと、その場所に走る。

 だが、タクトは、ナイフが落ちている場所に近くなっても、速度を落とさず、屈む気配すらない。

 そして、ついにナイフの上を通過する、その時だ、

 

 ヒュンッ!

 

 タクトは落ちているナイフを蹴った。

 ナイフは地面の上を回転して、フォルテに向かう。

 ナイフの刃の高さは、柄の高さでしかないが、それでも、今フォルテが履いているスポーツシューズの底よりは高く、このナイフの切れ味なら、スポーツシューズくらいなら切り裂いて、足まで切るだろう。

 

「ちっ!」

 

 フォルテは仕方なく床を回転するナイフを踏んで止める。

 しかし、その間に、タクトはフォルテのナイフの内側に入っていた。

 

「はっ!」

 

 またも肘打ち、と見せかけ、フォルテが身を引いたところで、フォルテの右腕と服を掴み、強引に投げ飛ばす。

 

 バダンッ!

 

 フォルテは投げられながらも受身を取って、直ぐに体勢を立て直した。

 しかし、その間に、タクトはフォルテに半ば背を切られていたシャツを脱いで左手に持っていた。

 それをフォルテの右腕に向けて走らせる。

 

 バチンッ!

 

 既に大分汗を吸っていたシャツは重く、ムチの様にフォルテの右腕に絡みついた。

 

「くっ!」

 

 タクトは、左手に持ったシャツで、フォルテの右手を封じた。

 シャツを強く引き寄せ、完全にフォルテの右腕を左手で繋ぎとめつつ、そこから空いている右手で、力技でフォルテに勝とうとした。

 だが、タクトがシャツを引いた瞬間、フォルテは、自ら体勢を崩し、強く引いたタクトの体勢も僅かながら崩れる。

 

「そらっ!」

 

 体勢が崩れた所で、フォルテが回転するように、自分の体の上下を入れ替え、左手だけで体を支え、タクトに両足による蹴りを放つ。

 

「がっ!」

 

 フォルテの体重と勢いが、タクトの腕力を僅かに上回り、繋げてしまった左手を逆に引っ張られ、タクトはその蹴り避けられない。

 なんとか右手でガードするが、体勢が大きく崩れる。

 更に、もう1度フォルテは器用に回転して、地面を足で蹴り、タクトに当身を食らわす。

 同時に、自由な左手をタクトの首に添えた。

 ナイフを持った左手を。

 

「参った」

 

 フォルテは、右手を繋がれたまま、タクトの前で器用に回転しながら、ナイフの持ち替えまでやっていたのだ。

 タクトは、繋いだ時点で勝ったと油断した訳ではないが、自分の策をここまで逆用されると、本当に参った気分だった。

 

「司令官殿もまだまだだね。

 いきなりナイフを捨てるのは面白かったけど」

 

「いやぁ、ごもっとも。

 完全にやられたよ。

 すまないね、お役には立てなさそうだ」

 

 フォルテも何かが掴みたくて来たのだろうが、白兵戦技術ではタクトよりフォルテの方が一枚も二枚も上だ。

 圧倒的に実戦経験に差があり、生半可な策では覆せない。

 せめて、時間を掛けて訓練できればよかったのだろうが、僅か数秒で決着が着いてしまった。

 

「いや、十分さ。

 ちょっとナイフを使った訓練もやっておきたかっただけだし。

 男相手の訓練も久々だった」

 

「俺としては学ぶ事は多かったから、助かったよ」

 

「んじゃ、私はこれで。

 次は銃撃戦の訓練でも付き合ってくれよ」

 

「ああ、機会があれば」

 

 フォルテは、僅か1戦やっただけで、アッサリと帰ってしまう。

 刃を落としていないナイフを使った格闘訓練など、そうそうやるものではないが、随分簡単に終わらせてしまう。

 ただ、部屋から出るフォルテの顔に、不満の色は無かった。

 と、そこで、フォルテと入れ替わりに、また新たな人物が入ってくる。

 

「あら、タクトとミントじゃない。

 こんな所に2人が居るとは思わなかったわ。

 もしかして、さっき出て行ったフォルテさんとも戦ってたの?」

 

 入ってきたのはランファ。

 ランファも、スポーツウェアを着ている。

 ここへ着たのは、普通にトレーニングルームを使う予定で、フォルテ同様に、部屋が使われているから来て見た、というところだろう。

 だが、更にもう1人、部屋に入ってくる者が居る。

 

「うわ、ミントも、タクトさんも、なんで上着てないの?」

 

 ミルフィーユだ。

 ランファ同様にスポーツウェアを着ての登場だ。

 ランファとミルフィーユというのは、組み合わせとしては自然だが、ミルフィーユがトレーニングルームに居るのは珍しい。

 あまり運動していないというランファも証言もあるくらいだ。

 

「ああ、治療明けなんで、リハビリも兼ねて」

 

「休憩中なら、私とミルフィーで使うけど、いい?」

 

「ん? ああ」

 

 どうやら、ここを使うつもりで来たらしい。

 スポーツウェアを着ているのは、ミルフィーユが相手だかか、それとも最初はそのつもりがなかったのか。

 と、そこまで考えて、タクトは思いついた。

 

「いや、ミルフィー、俺が相手をやろう」

 

「え? タクトさんとですか?!」

 

 タクトの言葉に驚くミルフィーユ。

 嫌がっている様にも見える。

 まあ、既に上半身裸で、息を荒げた、汗臭い男と格闘訓練なんて、タクトの立場からすればセクハラで、パワハラだ。

 ミルフィーユは見るからに男慣れはしてないだろうし、格闘も苦手な印象がある。

 今後を考え、慣れさしておくのもいいだろう―――という言い訳が成り立つ。

 

 ともあれ、ミルフィーユの実力は、タクトとしても未知数なので、ここで知っておきたかった。

 

「ランファ、悪いけど、ちょっと見ててよ」

 

「まあ、いいけど」

 

「じゃあ、タクトさん、えっと、お願いします」

 

「ああ」

 

 記録では、ミルフィーユの体術の成績は良いことになっている。

 だが、それは、ミルフィーユの持つ強運によるものかもしれない。

 ミルフィーユは、そのあまりの強運から、良い結果であれ、悪い結果であれ、強運に因るもの、という見方をされる。

 ずっと、そうして見られていた筈だ。

 

 構え、対峙するタクトとミルフィーユ。

 ミルフィーユはどこかやりにくそうに、腰が引けている。

 そこへ、

 

「はっ!」

 

 躊躇無く、タクトは前にでた。

 そして放つのは、顔面への右手の拳打。

 タクトは、女性には甘い方だ。

 しかし、だからこそ、訓練ではそういう甘い手加減はしない。

 それこそ、その女性の為にはならないからだ。

 更に、この攻撃、同時に左手は腹部を打とうとしている。

 女性に対して、決して手を上げてはいけないといわれる顔と腹を同時に狙う。

 

 通常、顔、頭部を狙われる事を人間は恐怖する為、先に見せた顔への攻撃に対して何らかの防御をとり、同時に来た腹部への攻撃は見落としてしまう。

 一般人なら、腹部を強打されれば悶絶し、後は、如何様にでも追撃できるだろう。

 一般人なら、の話だが。

 

「……」

 

 バッ!

 

 ミルフィーユの左手が、顔面の突きを払い、右手が腹部への拳を止めている。

 ミルフィーユは、見事に同時攻撃を凌いだ。

 いや、それだけではない。

 

「はいっ!」

 

 そこからタクトの右腕をとり、足を払って重心を崩して、投げた。

 

 ダンッ!

 

 タクトは、投げきられる前に抜け、背中から落ちるところを、空中で回転して着地する。

 その着地した姿勢から、床を蹴り、再度ミルフィーユへと迫る。

 

 ズババババッ!

 

 ミントやフォルテ相手にはやらなかった拳打の連発。

 肩、腹、顔、腕と、打ち、隙あらば取ろうとする。

 しかし、その全ては、ミルフィーユに捌かれ、ほぼ無力化され、取らせてない。

 

「はぁっ!」

 

 そして、終にはタクトが腕を取られ、また投げられてしまう。

 だが、タクトは途中で抜け、ミルフィーユから一旦距離をとって、立ち上がる。

 そうして、距離をおいて、再び向かい合う。

 

 ミルフィーユ・桜庭は一般人ではない。

 士官学校を卒業した、れっきとした軍人である。

 その過程では、ミントが飛ばしてしまった格闘訓練も収め、例え成績は強運によって変化していても、訓練を受けた事実はここにある。

 

「あの、タクトさん2人を相手にした後でお疲れなんじゃ?」

 

 自分が優勢である事に疑問を持っているのか、ミルフィーユはそんな事を、本気で尋ねた。

 

「ミルフィー、そりゃ本気で言ってるなら男の子に対しちゃこの上ない侮辱だよ。

 いや、でも、悪いね、ちょっと侮ってたよ」

 

 タクトは、大凡平均的な軍人を相手にするつもりで仕掛けたが、すべて簡単に返されてしまった。

 そこに運の要素が入り込む場所は無く、これは間違いなくミルフィーユの実力だ。

 

 ミルフィーユは、今までどんなに頑張って結果をだしても、全て強運のおかげだと言われてきただろう。

 どんなに努力をしてもだ。

 ミルフィーユは、その生まれついての性格からか、非常に努力家だ。

 例え運による結果だと周囲から言われ続けても挫けないくらい、不屈の精神を持っている。

 そして、そんなミルフィーユの士官学校からの友人がランファとなれば、ランファに付き合って格闘訓練をした事は1度や2度では無い筈。

 故に、ミルフィーユは、半ば知らずに並の軍人よりも高度な格闘訓練を受け居た事になり、それをやりとげたミルフィーユは、素の状態でも十分に強かった。

 

 ただ、それは一度も発揮された事がない。

 それは―――

 

「でも―――」

 

 ダッ!

 

 タクトは、真っ直ぐミルフィーユに駆け寄り、無理やりその腕を取ろうとした。

 だが、逆にミルフィーユに右腕を取られ、そのまま引き倒さ、うつ伏せに倒れる。

 

「てぇいっ!」

 

 ズダンッ!

 

 更に、右腕を極められてしまう。

 ミルフィーユはタクトの両手で、腕を抱き、且つ両足で挟んだ上、身体も押さえつける。

 技名で言うならば、裏十字固めだ。

 

 しかし、

 

「ミルフィー、それで極めているつもりかい?」

 

 ミシ……ミシミシ……

 

 タクトは、極められている状態から体をほぼ力ずくで起こし、極められている腕も振り解こうとする。

 無理にそんな事を行えば、腕が折れてしまう筈だが、そうはならない。

 

「あっ!」

 

 バッ!

 

 これ以上は無理だと判断し、ミルフィーユは自ら離れる。

 殆ど決まっていた状態から、タクトをあっさりと逃がしてしまった事になる。

 

「ミルフィーも、手加減が過ぎるんじゃないか?」

 

 立ち上がったタクトは、普段エンジェル隊と接している時には決して出さない様な、冷たい言葉を放つ。

 先ほどから、ミルフィーユ優位の戦いが続いていた。

 しかし、どれも、肝心な所でタクトが抜け出し、決まっていない。

 だが、それは、ミルフィーユが最後まで投げきらず、極めも甘いから起きた事だ。

 極められた時など、タクトはそうしやすい様に動いたのに、ミルフィーユは、きちんと技をかけなかった。

 いや、正確には、技を完成させる事を自ら拒んだのだ。

 

「私……」

 

 生来の性格からか、人を傷つける事を嫌っているのだろう。

 全く気にしないというのもそれは困るが、できない、というのは更に困る事だ。

 平時ならまだしも、今は戦争をしていて、敵を迷い無く殺しながら、人の心を失わない様にしなくてはならないという難題がある。

 幸いにも、敵は基本的に無人艦で、誰も気にする事なく倒せるが、ヘルハウンズ隊が出てきたことでそれが崩れた。

 そして、今後は、いつ裏切者の軍人が出てくるかも解らない。

 既に1人出てきているが、その時は、相手が軍艦に乗っていたことで、殺さず、撤退させるというのは可能だったが、戦闘機に乗られたらそれも難しいだろう。

 

「ミルフィー、もう1度やるよ」

 

 ダッ!

 

 タクトはミルフィーユの返事を待たずにミルフィーユとの距離を一気に詰める。

 わざと極められる為に出た時と同じくらい、ただ真っ直ぐに。

 

「っ!」

 

 ヒュッ!

 

 ミルフィーユは、身についている技術として、牽制の為に右で拳打を放った。

 丁度、タクトの顔面に向けて。

 それをタクトが捌くなり、回避するなりの行動に出た時、その動きを逆用して投げるなりの攻撃をする筈だった。

 しかし、

 

 ドゴッ!

 

 その拳はタクトの顔面に直撃した。

 

「え?」

 

 タクトなら避けられない筈はないと思った牽制が、何故か命中し、戸惑うミルフィーユ。

 思わず、手を下げてしまった。

 そこへ、タクトが、更にミルフィーユに近づく。

 

 バシッ!

 

 タクトがミルフィーユの腕と、服を襟を掴んだ。

 

「はぁっ!!」

 

 そして、まだ戸惑っていたミルフィーユを一本背負いで投げ飛ばす。

 ミルフィーユがこれで手を出せないのは予想していた。

 タクトとしては、自分の命をかえりみずに襲ってくる敵に対し、どう対処するかを考えてくれれば良かった。

 だから、この投げで、終わろうと思っていた。

 

 が―――

 

 ビリビリビリビリッ

 

 突然、音が響いた。

 当たり前に聞こえる音の一種ではあるが、あまりに大きすぎる音。

 同時に、タクトの手から重量が消える。

 

「は?」

 

 思わず、声を上げてしまう。

 

「へ?」

 

 もう一つ、声が上がったが、それは誰からだったのかは定かではない。

 

 ズダンッ!

 

 そして、落下音。

 タクトが投げきった体勢から顔を上げれば、そこにはミルフィーユがいた。

 それは当然なのだが、タクトの手には、破れたミルフィーユの服がある。

 それを確認して、もう一度ミルフィーユを見る。

 

「……」(傷なしの綺麗な肌だ、ギリギリのCと見た、それに名に桜とある通り、綺麗な桜色だな、上も下も)

 

「……」

 

 どうやら、投げの途中でミルフィーユのスポーツウェアが破れた様だ。

 確かに、そうなる事も予想していたが、ありえないレベルでの大破で、前後に分離するくらいの破れ方だ。

 これもまた、ミルフィーユの強運の影響だろう。

 更には、何故か、ブラまでタクトの手にあって、地面に落ちた時にそうなったのか、下も大きくずれている。

 それで、頭から落ちたのをどう受身を取ったのか、ミルフィーユは、床に座り、タクトに向けて足を広げている状態だ。

 まあ、そういう状態で、タクトからどう見えるかは、明記しない事とする。

 

 その後、悲鳴が響いたのは言うまでも無い。

 慌ててランファがタオルを投げたが、その時には、とうにタクトの脳裏に情報が刻まれた後だった。

 

「で、こんな凶運もあるものなのか?」

 

「いえ、こんな酷いのは私も初めて見たわよ」

 

 既にミルフィーユは居ない。

 ランファが予備として持ってきていた服を着て、部屋に戻ってしまった。

 正確には更衣室に寄ってからだろうが。

 『もうお嫁に行けません〜』とも言っていたので、そんな頻繁にある類ではないとは思ったが、ランファが知る限り初らしい。

 

「本当に、タクトさんには幸運を齎す人ですわ」

 

 タクトがミルフィーのをばっちり見た時、何を考えていたかを読んだだろうミントは、そう言って意地悪そうな笑みを浮かべていた。

 

「いや、実際幸運だったよ、いろんな意味で」

 

 勿論、見れた事は幸運だ。

 今後ミルフィーユとの付き合い方にいろいろ問題が出るだろうが。

 だが、それ以上に、タクトがやるべき事を全て終えた後で、あんな事が起きて、混乱するままに別れられたのは本当に幸運だった。

 悪い雰囲気で別れてしまうより、ずっと次に会った時に話易い。

 ミルフィーユなら、アレで全てがあやふやなまま、何の答えも探さずに終わる事はないだろうから。

 

「それにしても、そうか、ミルフィーにはこれもあったからな」

 

 今日ミルフィーユがここへ来たのは、ヘルハウンズ隊に勝てない事について、今何かできる事をと考えた末の事だろう。

 前回は白兵戦もあったのだから、次に起きた時の事も考えているものと思われる。

 そして、軍人としてミルフィーユが抱えている問題、人を殺せない自分に対し、何か答えを探している。

 そこまでは、ミルフィーユが来た時点でタクトが考え付いた事だ。

 しかし、問題はそれだけではなかった。

 

 ミルフィーユの強運は人を巻き込む。

 今まで巻き込まれ、負傷した人の数はどれ程に昇るだろうか。

 それを考えれば、もしミルフィーユが何かをして、それに対して凶運が働き、結果殺してしまう、などというのも考えられる。

 戦闘機での戦闘なら、不幸にも脱出装置が機能せず、死なせてしまう、などだ。

 白兵戦でも、弾の当たりどころが悪い、技をかければ、それが妙な当たり方をして殺してしまう。

 だから、どの技も、大きく手を抜いた形になってしまっているのだろう。

 

「さて、私はそろそろミルフィーを慰めに行ってくるわ。

 見られたのは、責任とれそうな男でもないしねぇ」

 

 ランファも、それには気付いているのだろう。

 タクトなどよりよほどミルフィーユの傍に居るのだから。

 そして、タクトよりも、それに関して、何かを示せる可能性がある。

 

「ああ、頼むよ。

 とりあえず、今度何か奢るとして、まあ、何も見なかった様に接する気ではいる。

 忘れようと思っても忘れられないだろうけどね」

 

「忘れなさいよ。

 なんならヴァニラにでも頼んで」

 

「いや、そんな、勿体無い」

 

「私が1発殴ろうか? 都合よく記憶が飛ぶ可能性もあるでしょうし」

 

「いやいや、遠慮するよ」

 

 そんなやり取りを後、部屋を出るランファ。

 とりあえず、ここはランファに任せるべきだろう。

 

 が、ふと別の事を思い出した者が居る。

 

「あ、ランファさん、こんなタイミングで非常に頼みにくいのですが―――」

 

 呼び止めたのはミントだった。

 空気が読めない訳がないミントだが、いや、だからこそ非常に申し訳なさそうにしている。

 ただ、それはミントにとっては切実な問題だった。

 

「宇宙コンビニでいいので、シャツを1枚買ってきていただけませんか?」

 

「ああ、ついでに俺のも」

 

 ミントは現在上は下着のみ。

 タクトにいたっては上半身裸だ。

 それを思い出し、しかも予備を失っているので、ここを出るとき困るのだ。

 まあ、ミントは破れ、伸びきったのを着れば、なんとか服の機能はギリギリ果たすし、タクト本人は別に上半身裸でも気にしない。

 けれど、女性クルーの比率が圧倒的に多く、現在トレーニングルームにも多数の女性クルーが居る中、上半身裸で通って何も問題ないかは別なのだ。

 

「予備は持ってこなかったの?」

 

「予備は使ってしまいましたわ」

 

「俺は予備元々持ってこなかった」

 

 ミルフィーユ以外は、実際予備を持ってきている。

 普通に考えて、予備のスポーツウェアを持ってくる必要があるとは思えないが、皆もしかしたらタクトかレスターと組手をするかも、と考えての事だった。

 ミルフィーユだけは、タクトやレスターと組手をするとは考えなかったのだろう。

 タクトの場合、単にその予定が無かったからである。

 

「予備持ってきて、予備まで潰してどうすんのよ。

 まあいいわ、ちょっと待ってなさい」

 

 確かに、予備は予備で、使い潰しては本末転倒と言える。

 だが、それだけミントが本気で取り組んでいたという事だ。

 呆れつつも、ランファは宇宙コンビニへと向かうのだった。

 

「さて、ランファさんが戻るまで時間があるでしょうし、私は休めました。

 タクトさんはどうですか?」

 

「ああ、俺もちょっと動き足りない気分だ」

 

 フォルテ、ミルフィーとの組手を見ていたミントは、再びタクトに組手の相手を頼み、タクトはそれを承諾した。

 戻ってきたランファに呆れられる程、またボロボロになったりする。

 今は時間があるから、こうして時間を使うのも良いだろう。

 ランファとも、服が破れない程度に軽く組手をして、ランファは先ほど告げた通り、ミルフィーユの下へと向かった。

 その後も、約1時間程、タクトとミントの格闘訓練は続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、医務室。

 ミントと共に医務室を訪れ、ヴァニラに治療してもらう事となった。

 タクトの方は大した怪我はないし、ミントも打ち身程度であるが、本業があるので治療しておかなければならないだろう。

 

「フォルテさん、ミルフィーユさん、ランファさんもいらっしゃいました。

 タクトさんは4人と組手をなさったそうですね」

 

「ああ、そうなる」

 

「フォルテさんとは刃の付いたナイフを使った組手だったとか」

 

「その通りだ」

 

「それは、私が居るからですか?」

 

 ヴァニラは、怒っている。

 外見上、そうは見えないが、怒っている。

 珍しいと言ってしまうが、それも仕方ない事だろう。

 

「訓練は必要なんだよ、ヴァニラ。

 あまり知られていないが、軍で行う訓練では年間2桁の死者と、3桁の再起不能者を出している。

 それでも訓練が必要なんだ、実戦で生き抜くために。

 その訓練で死んでしまうのは本末転倒な気がするだろうが、それくらい真剣にやらなければいけない」

 

 ヴァニラは、ミント同様に、正規のルートで軍にはいった人間ではない。

 軍医、と言ったほうが近い立場だ。

 そもそも、ヴァニラの年齢で、軍に居ること自体が特例中の特例。

 エンジェル隊という部隊、紋章機との相性というのは、本来のルールを軽く超越しているのである。

 そんな理由だから、ヴァニラは本来受けるべき軍の訓練の大半を受けていない。

 勿論、ミント同様に一通り、最低限受けているが、やはりそれでは足りない。

 

 尤も、この場合、訓練を受けていたら、ヴァニラの意見が変わるのか、というのとは別問題だ。

 

「訓練が必要なのは解っているつもりです。

 ヘルハウンズ隊は強いですから、今以上の力が必要になります。

 ですが……」

 

「ああ、すまない、言い訳だよ。

 事実君が居るから無茶な訓練ができている。

 君にとっては重荷かもしれないが、俺達にとって、君が居ることで怪我のリスクが払いやすくなっているんだ」

 

 そこでタクトは一呼吸置いた。

 ヴァニラへの純粋な謝罪以外の言葉を入れる為に。

 

「まったくもって勝手な話だ。

 ヴァニラは、最近働きすぎだから休むように言おうと思っていたのに、こうして頼るんだから」

 

 ヴァニラは、普段からそうだが、前回の戦いの後始末を手伝っていた。

 今回は特にナノマシン兵装を使用した事もあり、ヴァニラが手伝う事で飛躍的に効率があがる現場も多い。

 機体の調整を含むパイロットとしての仕事、医務室の手伝い、艦内整備の手伝い。

 その全てをこなすヴァニラは、完全に働き過ぎで、これがタクトの命じたものだとしたら、タクトは司令官としての資格を失いかねない管理放棄だ。

 それを解っていたから、艦内の状況も落ち着いた今日あたりは休むよう命じるつもりでいたのだ。

 

「私達が動けない分、紋章機の整備まで手伝っていただいていた様ですわね。

 本当に感謝していますわ」

 

 ミントも、今日まで怪我の為、休んでいた。

 ヴァニラからそう言われたから、その通り休みを取っていたのだが、そのせいでヴァニラの負荷が増えていたとなればミントも平気ではいられない。

 それなのに、こうしてタクトに組手を頼んでまた新しい怪我をしてくるのだから、タクトと同罪だろう。

 

「仕事は、私の意志でおこなったものですから」

 

「ああ、自分の意思であれほどの仕事をしてくれる事には、俺は感謝の言葉も無い。

 けど、やりすぎの域にきている。

 ヴァニラ、俺達は君のその治療を頼らなくてはならない。

 君の治療技能は今後の戦略上大きな意味を持つ。

 だからこそ、君はこれ以上無茶をしないでくれ」

 

 ヴァニラの回復能力という意味で重要と考える為、ヴァニラをパイロットから外すという考えもある。

 しかし、それは言えない。

 ヴァニラは、撃墜能力、対人迎撃能力が低い事を気にして、過剰な程復旧作業を手伝ったりしている可能性が否定できないから、それは言える筈がない。

 それに、5機しかない紋章機を1機欠く事は戦力が20%ダウンした事になり、今後の戦略に大きな穴ができる事になる。

 

「と、言うのはあくまで司令官としての言葉だ。

 ヴァニラ、俺は俺個人として君の身体が心配だ。

 組手の事はそう見えないかもしれないが、俺達は俺達の間でちゃんとギリギリのラインを守り、例えヴァニラの治療がなくとも司令官、パイロットの仕事に支障を出さない様にしている。

 それでも君を頼るのは、より確実な治療があるからそれをしない選択ができないだけだ。

 しかし、疲労はナノマシンでもたいした効力を持たないだろう?」

 

「私も、私の体の事は管理していますから」

 

 自己管理という面に関して、タクトはヴァニラ程信頼できる人もいないと考えている。

 他のエンジェル隊が自己管理が出来ていないとは言わないし、フォルテは自分のテンション管理も上手くやっている。

 だから、全く自らを省みずに仕事をしているとはタクトも思っていない。

 

「ああ、それは解っている。

 けど、俺は心配なんだ。

 それだけは覚えておいてくれ」

 

「タクトさん……」

 

「そして、感謝している事も。

 治療もだが、ちゃんと怒ってくれた事もありがたい。

 軍人をやっていれば、そういうのはあまり受けられない事でもあるからね。

 だから、ありがとう、ヴァニラ」

 

「私は……」

 

 あまり喋らずともミントもヴァニラには感謝の意をここに示している。

 少し話しすぎたか、ヴァニラが戸惑っている。

 しかしフォローはタクト達の側からは難しい。

 だが、丁度そこに適任者が戻ってきた。

 

 プシュッ!

 

「あら、マイヤーズ司令、怒って欲しいなんて、マゾヒスト的な物言いですわね」

 

 医務室の扉が開き、同時に声が聞こえる。

 この部屋の本来の主、ケーラだ。

 

「ええ、実はサドでマゾなんですよー」

 

「あら、重度の変態ね。

 ヴァニラ、マイヤーズ司令の30m以内に近づいちゃだめよ」

 

「けど、エンジェル隊とその司令官じゃそうもいかない」

 

「職権乱用じゃない?」

 

「職権は利用する為にあるものですよー」

 

「ダメだわ、この司令官、早くなんとかしないと。

 ミントさん、格闘訓練なんかやって、いやらしい事されなかった?」

 

「ええ、格闘戦である事をいいことに、それはも、いやらしく全身弄られましたわ」

 

 今まで会話に参加していなかったミントが、話を振られ、それはも嬉しそうに話した。

 そして、それは事実なのが困った所だ。

 

「そう言うのは、フォルテさんとか、ランファさんにすればいいのに」

 

「むふふふ。

 俺の守備範囲を甘く見ちゃいけません。

 そして、男は常に狼なのです」

 

「エロオヤジだわ」

 

「俺まだ20代ですけど」

 

 そんな、他愛も無い冗談を言い合うタクトとミントとケーラ。

 十分に場が和んだと思われた。

 その時だ。

 

「タクトさん、触りたいですか?」

 

 冗談の場に、ヴァニラの声が貫いた。

 そう、場違いとも言える澄んだ声で、ヴァニラはそんな事を真顔でタクトに尋ねたのだ。

 

「へ?」

 

 場が凍りつく。

 タクトも、ケーラも、ミントまでも、笑顔のまま固まってしまった。

 

「……ごめんなさい」

 

 数秒後、固まってしまった皆に、ヴァニラは申し訳なさそうに謝るのだった。

 

「あ、いや、うん、えーっと、俺、そろそろ仕事に戻らないと。

 ヴァニラ、ありがとう」

 

「私も、部屋で休みますわ、ヴァニラさん、ありがとうございます」

 

「……はい」

 

 無理やり話を変え、退出しようとするタクトとミント。

 ヴァニラは、もう普段通りの雰囲気で答えていた。

 

「じゃ、ケーラ先生、また」

 

「ええ。

 たまには無傷できなさいね」

 

「はい」

 

 最後にケーラにも一言挨拶して、医務室を出た。

 

 プシュッ!

 

 扉が閉まると、タクトは、その背にもたれ掛かる勢いで、全身から力が抜けてゆく。

 ミントもそこまでいかなくとも、緊張していたのが解けるが見て取れる。

 

「はぁ……冗談が過ぎたかな?

 ミント、ヴァニラは何を考えていたか、とか聞いていいかい?」

 

 あまり、こんな手段は使いたくはない。

 けれど、あまりに突飛なヴァニラの言葉に、そう問いたくなってしまう。

 

「私としても、アレは不意打ちでした。

 『そうすれば、貴方は癒されますか?』という意味で言ってましたわ。

 その深い意味までは、読み取れませんでした。

 それで、場の雰囲気を崩してしまったから、謝っていたのです」

 

「そうか……

 ありがとう」

 

「いえ。

 残念ですが、今の私では、この程度しか解りません。

 テレパスも万能ではありませんから」

 

「それは解ってるよ」

 

「ハッキリといわれると、少し悔しいですけれど」

 

 先ほどまでは、テレパスの格闘戦に応用する事を実験していたのだ。

 通常の使い方ですら、解らない事があるのは、やはりまだまだ使い方が甘い、と言えるのだろう。

 

「タクトさんの深い部分も、やはり見えませんし」

 

「そりゃ助かるよ」

 

 タクトは苦笑する。

 その一瞬、ミントには、そのタクトが隠している深い部分、と言われているだろう事柄を一瞬想起し、ミントがそれを垣間見る事になる。

 簡単な思考の誘導。

 これくらいなら、テレパス能力者として、普段から使っていることだが、今後は、これももっと応用、活用してゆく必要があるだろう。

 

 と、それとは関係なく。

 1つ、試したい事があった。

 

「ところでタクトさん。

 触りたいですか?」

 

 ヴァニラと同じ様に、ミントは無邪気そうに尋ねた。

 

「勿論だ」

 

 が、タクトは、胸を張って即答する。

 ヴァニラの時とは正反対と言える反応。

 試すまでも無く解っていたことで、全く嘘偽りのない言葉だ。

 しかし、2度目とは言え、こう反応が違うと、悔しい気持ちもするミントだった。

 

「既に触っている代償は、まあまた今度にいたしますわ。

 今日のところは、部屋に戻って休む事にします」

 

「ああ、俺も、仕事に戻るよ」

 

「では、また今度、お付き合い願いますわ」

 

「楽しみにしてる」

 

 そう言って別れるタクトとミント。

 だが、その足取りは、どこか重かった。

 

 

 

 

 

 それから30時間後。

 一応平和な時間が続いていた。

 その中で、エンジェル隊とのコミュニケーション及び訓練を進め。

 それともう一つ、シヴァ皇子との交流も行っていた。

 

「と言う訳でして。

 こうなります」

 

 トンと、置いた駒により、シヴァ皇子の方の駒は包囲された状態にあった。

 そうなると解っていたのに防ぎきれず、終には追い込まれた形だ。

 チェスを通じたシヴァ皇子との交流も、これで4度目。

 まだ授業形式ではあるが、それでも、タクトはもう殆ど手加減をせずにやらなければならなかった。

 

「むぅ、なるほど」

 

 暫し考え込むシヴァ。

 タクトとしては、抜け道を2つ程用意しているつもりだ。

 だが、どちらを選んでも、逆転とまではいかない。

 そこから更に上手く立ち回わらなければならない。

 

「ところでマイヤーズ。

 一つ聞こうと思っていたのだが」

 

「なんでしょうか?」

 

「アンダルシアは、戦力に数えているのか?」

 

 次の1手を出しながら、しかしこのゲームのついでではない問いをしてくる。

 シヴァは、あくまで盤上を見ながら、しかし、誤魔化す事を許さない雰囲気だった。

 

 ヘレス・アンダルシア。

 シヴァ皇子の侍女であり、先日の白兵戦では、十二分な戦力を発揮した人物だ。

 あそこまでの立ち回りは、並の軍人でも期待できず、相当な実戦経験が必要となる。

 エンジェル隊の中で実戦経験を積んでいると言えるのは、フォルテくらいなもので、つまり、今のエルシオールでは、貴重な人材と言える。

 

 だが、それでも、

 

「いえ、軍人ではない彼女を正式な戦力と数える事はありません。

 ですが、あれ程の能力は保険として考えずにはいられないのも事実。

 シヴァ皇子の侍女を勝手に使う事はありませんが、場合によってはお借りする事もあると思います」

 

 タクトは、ハッキリと答えた。

 シヴァ皇子に倣い、1手を返しながらの返答。

 しかし、誤魔化しの無い、司令官タクト・マイヤーズとしての答え。

 

 戦力として数えない、などと答える事はできない。

 それが事実であり、しかし軍人で無い上に、シヴァ皇子の侍女を勝手に動かす事は命令系統の混乱にもなるからできない。

 だから、司令官であるタクトには、この答えしか在り得ない。

 

「私個人としましては―――」

 

 敢えて、そう敢えて付け加える感情。

 口にすべきかさんざん悩みながら、それを言葉にしようとした。

 だが、それは止められた。

 

「よい。

 それは、私も解っているつもりだ。

 すまぬな、実に卑怯な行いだった」

 

 そう言って、打ったシヴァ皇子の1手。

 それは、タクトの敗北を告げる1手だった。

 先のタクトの1手が、どれ程心乱されながらの1手だったか、如実に現れていると言える。

 

「私はあの時、通路の様子を見ていた」

 

「……」

 

 あの時、とはヘルハウンズ隊との白兵戦の事。

 そして、その時の通路の様子とは、ヘレスがヘルハウンズ隊と戦う姿から、タクトとヘレスの会話も含むことになる。

 だが、それはタクトもある程度予想はしていた。

 自分の部屋の前で行われている事だ。

 どうなろうとも、その推移を知っておくことは重要だから、シヴァが見ていても当然と言える。

 

「さて、もうこんな時間か。

 今日は仕舞いにしよう」

 

「はい」

 

「マイヤーズ。

 次からは手加減無しで頼もうか」

 

「そうですね、もうそれくらいになるでしょう。

 解りました。

 では、次からは暫く、負け続けていただきます」

 

「楽しみにしている」

 

 最後に、こんな会話をした後だからこそ、次の話をして、別れた。

 2人とも、作った笑みで。

 しかし、次を望む心を持って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 更に20時間後。

 平和な時間が続いていた。

 その為に若干遠回りをしているのだが、不気味なほど敵と遭遇せず、エルシオールは順調にローム星系に近づいている。

 弾薬も十分に残っており、後数回の戦闘には耐えるし、食料などの物資もローム星系までなら問題ない。

 ただ、敵にこちらの存在が知られ、恐らく進路も予測されている。

 だから、油断はできない。

 

 そう言う時期に、事件は起きた。

 

 ビービービー!

 

 タクトが部屋で眠っていると、緊急連絡のアラームが鳴る。

 ベッドから跳ね起きたタクトは即座に通信回線を開く。

 

「どうした?」

 

『先行していた無人偵察機が救難信号をキャッチした。

 距離は全速で40分、民間船と思われる』

 

 ブリッジにいるレスターが、簡単且つ要点を押さえた連絡が入る。

 だからこそ、タクトの決断も早かった。

 

「急行する。

 エンジェル隊に緊急出撃準備をさせてくれ。

 俺も5分でブリッジに上がる。

 後、シヴァ皇子にも連絡しておいてくれ」

 

『了解』

 

 通信回線を切ると、直ぐにタクトは身だしなみを整える。

 40分しかないが、司令官という立場上、身だしなみは重要だ。

 味方への士気もそうだが、救助に向かうのもあり、救助される相手にとっても助けに来た者の見た目、第一印象は重い。

 こう言うときの為の備えはしてあるし、男のタクトなら、5分あれば、わりと余裕だった。

 司令官室はブリッジの直ぐ近くに在る為、移動時間は30秒程度で済む。

 

 大変なのはエンジェル隊だ。

 全員女性なのもあるし、この時間だとミルフィーユ、ランファ、ミントは寝ていた筈で、準備には移動時間も含めて20分程度しかない。

 パイロットは基本的に交代で就寝時間をずらしている。

 だが、残念ながら、予備パイロットもいない上、殆どの場合全機出撃となるこの状況では、彼女達が安心して熟睡できる日はない。

 

 とはいえ、短時間での連続出撃が今のところ無いと言えるので、疲労はさほどない筈。

 今までも主要メンバーの数名が寝ている時間に戦闘が発生した事もあったが、どれも大した問題にはなっていない。

 この戦争も始まって既に10日以上が経過している。

 まだたった10日であるが、元々軍人であるエンジェル隊は、この程度は問題にならないだろうし、タクト以上にこう言う事態に対する備えはしてある筈だ。

 

 ただ、パイロット達の体調としては問題なくとも、テンションまでは管理しきれない。

 H.A.L.Oシステムを搭載する紋章機にとっては、体調よりもテンションが重要だ。

 例え腕一本動かなくとも、やる気が漲っていれば普段より高い性能を発揮できる。

 逆に体調は万全でも、気持ちが沈んでいれば、全く動かなくなる事すら在り得る。

 そう言う機体だ。

 だからこそ、タクトが居ると言えるのだから、タクトの身だしなみというのは、更に重要になる訳である。

 敢えて馬鹿をやって笑いを取る事でテンションを高める方法もあるが、戦争という状況の中ではそれは反感を買う可能性の方が高い。

 

 と、そんな小難しい計算をしつつも、キッチリ身だしなみを整えて、タクトはブリッジへと走る。

 そして、そこで思考がシフトする。

 

 『救難信号』『民間船』

 この2つの情報。

 状況は簡単に想像がつくが、ならばどうしてこんな所に、という疑問もつく。

 罠である可能性もある。

 全速で向かっている中、情報を収集し、的確な判断をしなければならない。

 

「情報を全てこちらに」

 

 だから、ブリッジに上がったタクトの第一声はこうなる。

 

 

 

 

 

 30分後。

 民間船の進路がこちらに向かった為、若干早く戦闘エリアにエルシオールが入る事になった。

 その中で、最後までタクトは収集される情報を見続ける。

 どうやら、民間船は、かなり大型、且つ高性能で、自衛用の武装までしてあり、更に護衛機まで持っている。

 複座大型戦闘機、フィオ高汎用戦闘機が8機、突撃仕様、砲撃仕様、電子支援仕様の3タイプが確認されている。

 

 本来、こういった兵器の類の使用は制限がある。

 民間人が無許可で戦闘機を使う事はできない。

 ただ、宇宙では何があるか解らず、近年は内戦があった星もあるから、許可も割と簡単に取れるのが実情だった。

 だから、珍しい事ではない。

 ただ、フィオ高汎用戦闘機は、シルス高速戦闘機と製造会社こそ違うが、同じレベルの最新鋭機だ。

 民間で、こんな装備をしている船、しかもその船も完全オリジナルの大型艦となれば持ち主は大体絞れる。

 例え、エルシオールにこの艦の情報がない、つまり軍に正式な申請がされていない艦であっても。

 

 それに白を基本とし、赤と黒で彩られたその塗装はあまりに特徴的で、そもそも紋章を隠そうともしていない。

 ガルド星系、惑星ガルドの領主、ガルド侯爵家の紋章だ。

 

『タクト、出撃準備はできてるよ』

 

 戦闘エリアに近づき、通常手段で安全に出撃できる時間も残り僅かだ。

 時間ギリギリまで、紋章機では、各員、水分補給をしたり、身だしなみをチェックしたりしながら、戦況を確認も同時におこなっている。

 いつでも中断し、出撃する体勢は整っているが、まだ出撃命令を下していない。

 それは、エンジェル隊にできるだけ時間を与えるというのもあるが、それ以上にタクトがこの段でもまだ考えている事があるからだ。

 出撃するというのはもう揺るがないが、どう対応するかが問題なのだ。

 

 しかし、もう時間も限界だ。

 

「情報では、あの大型艦には多数の民間人が乗っている。

 母星を追われ、逃げ延びた人々だ。

 我等は2度も彼等を見殺しにする事はない。

 総員出撃! 今目の前に居る彼等を、誰一人失うな!」

 

『了解!』

 

 情報とは、ここに到着するまで、通信で得られたものだ。

 恐らく、これだけでエンジェル隊は通常以上のテンションで戦闘を行えるだろう。

 敵の数は、ミサイル艦3、巡洋艦5、駆逐艦7。

 通常でも、やや時間の掛かる程度の敵だ。

 今回は更に、半壊よりマシな状態の高性能戦闘機が8機も居るのだ。

 護るべき大型艦も高速の為、逃げ遅れている訳でもない。

 ならば、後は簡単だ。

 エルシオールが民間船の護衛につき、エンジェル隊は戦闘機と共に敵を駆逐すればいい。

 

 そして、それは現実となる。

 敵の増援は無く、合計13機と、数の上でも拮抗する為、さした苦労する事はなかった。

 大凡、敵1隻に対し、1機が取り付けるので、戦力を分散し、敵を進行を阻みつつ、確実に数を減らし、駆逐した。

 どういう戦闘だった、と説明するならば、それしか書くことがないくらい、あまりに当然の勝利だ。

 

 紋章機ではない戦闘機とは言え、皇国の技術、解明できたロストテクノロジーも集結させて製造された高性能戦闘機は、エンジェル隊にも負けない戦果を上げている。

 これだけを見ると、救難信号を出していた事が理解できない程だ。

 だが、ソレの理由も直ぐに解る。

 戦闘が終わって、戦闘機のパイロットと通信回線を開いてみれば、殆どのパイロットが怪我を押しての出撃だった。

 聞けば、最初は戦闘機は全部で12機、護衛艦も4隻いたらしい。

 護衛艦の姿は既に無く、戦闘機も8機に減っている。

 どれ程過酷な道のりだったか、それで十分解る事だ。

 

 

 

 

 

 戦闘が終了した後、改めて民間船との通信が開いた。

 

『ガルド旗艦ヴァルガザードよりエルシオールへ。

 救援を感謝する』

 

 通信士ではなく、艦長らしき男が通信に出てくる。

 貫禄のある、40代と思われる男性だった。

 若いタクトと比べれば、いかにもといえる雰囲気がある。

 

「いえ、こちらは当然の責務を果たしたまでです。

 それより、そちらはそうとう疲弊している様に見えますが、何かできる事があれば、可能な限り支援致しますよ」

 

 正直な話、エルシオールが、今後もこの船を助け続ける事はできない。

 一緒にローム星系まで行くのはあまりに危険すぎる。

 なにせ、エルシオールは敵に狙われているのだから。

 だから、せめて何か今この時にだけ、何かできることはないかという意味でタクトは尋ねた。

 

『はい、実を言えば、ガルドから逃げ延びた際には護衛の艦艇も3隻いたのですが、全て撃沈されました。

 その内、無事だった人員と物資を回収してここまできましたが、医者と医薬品が足りません。

 できましたら、医薬品を分けて頂けませんか』

 

 その意図を理解し、相手は物資を挙げた。

 護衛して安全な所まで連れて行け、と言われても仕方ない状況なのだが、それを言わないだけこちらの目的を推測できているのだろう。

 それに、この船には明確な目的地があるらしい。

 

「解りました。

 こちらもさほど余裕が在るわけではありませんが、不足している薬品のリストをください。

 用意しましょう」

 

『助かります』

 

 後は物資を渡し、それで別れる。

 そんな一時の交わり。

 それで終わる筈だった。

 

 しかし、

 

『タクト・マイヤーズだな』

 

 突然通信に割り込んできた人物が居た。

 50代の厳しい目付きをした痩せた男だ。

 人に畏怖を抱かせるのが目的の様な睨む様な視線。

 そして、名乗っていない筈のタクトのフルネームを読んだ事。

 それにより、タクトはこの人物を断定する。

 

 ガルド星の領主である、ガルド侯爵、ゴドウィン・T・ガルド。

 ガルド家は、クロノ・クエイク後に発見されたガルド星を開拓、発展させた高名な領主。

 また、多くの有能な軍人を輩出する事でも有名でり、皇国の中でも優秀な家柄と言える。

 ゴドウィンはそんなガルド家の現当主だ。

 軍歴もあり、ガルド星では駐在する皇国軍の他に、私兵ではるが、独自の武力も持っている。

 だからこそ、ここまで戦ってこれたのだろう。

 

「これはガルド卿、お初にお目にかかります」

 

『私は何度か君を見た事があるがね。

 だが、そんな挨拶はいい。

 私のところまで来たまえ、拒否は許さん』

 

 この場でわざわざ名前を呼んだのには意味がある筈と、一応挨拶をしたが、相手は素っ気無い。

 更に、タクトが現在軍務中である事を知りながら、そんな要求までしてきて、それで通信を切る。

 いくら侯爵家とはいえ、『拒否を許さない』と言えるほどの権限は無い事になっている。

 名目上は皇王直属であり、指揮系統として、現在ルフト准将の命令で動いているのもあり、その作戦行動に支障が出る様な命令は拒否できる。   

 ゴドウィンは目敏い事で有名であるから、タクトがエルシオールを指揮している事から、そこら辺の事情も推察している筈。

 それでも尚、拒否を許さなかったとあれば、重要な話があるという事だろう。

 

「物資の受け渡しと同時に伺います。

 格納庫は使えますか?」

 

『連絡艇ならこちらで用意しますが?』

 

 ゴドウィンとは違い、丁寧にそう申し出る艦長。

 先ほどのゴドウィンの言い方だと、待っている時間はさほど長くはないだろう。

 しかし、こちらとしても、全てを投げ出せる状況でもない。

 それに、時間も稼ぎたい。

 

「いえ、こちらから向かいます」

 

『解りました。

 物資搬入口も、格納庫も使えますので、大丈夫です。

 丁度リストも届きましたので、そちらに転送します』

 

「受け取りました。

 では、可能な限り用意しますので、暫くお待ちください」

 

『助かります』

 

 そこで、一旦通信を切る。

 タクトは、直ぐに立ち上がり、行動を開始した。

 先ほどの戦闘よりも慎重且つ迅速な対応が必要となったのだ。

 

 

 

 

 

 タクトがまず向かった先、そこは格納庫だった。

 

「クレータ班長、クレータ班長はどこに?」

 

「マイヤーズ司令、どうされたんですか?

 そんなに慌てて」

 

 駆け込んできたタクトに、驚きつつも、クレータは直ぐにタクトの傍まで来た。

 因みに、クレータは先ほどタクトがブリッジから連絡した、物資の移送の準備をしていたところだった。

 普通、急ぎの用であれば通信の方が早い筈だが、わざわざ直接来たという事は、通信では話せない内容だと予想できる。

 そして、それはいままでも何度かあったこと。

 クレータは、そう身構えていた。

 

「すまない、物資移送の件とは別で、しかしそれと同時に行わなければならない急用でね。

 アレを使いたいんだけど、アレの完成状況は?」

 

「『アレ』ですか? ええ、試作タイプは完成していまして、テストも終えてます。

 一応は使えます」

 

「そうか。

 それと、多分それのオプションパーツも使う事になるが」

 

「そちらも試作は完成してます。

 エルシオールにもある技術な上、前回の戦いでいいジャンクが手に入りましたから」

 

「いい状態の落し物があったのは幸いだったか。

 ともあれ、なんとかなりそうか」

 

 アレ、などと呼んで、味方しかいない場所でも発言に気を使うタクト。

 クレータもタクトに合わせてことばを選んだが、解らなかった。

 アレを使う理由が、今、この状況で。

 それに、タクトは、クレータの前でなにやら更に考え込んでいる様子。

 また何か、水面下で何かが動くのだろうと、クレータは身構えたまま、タクトの前で待機する事にした。

 と、そこへ、やってくる人物が居た。

 

「タクトさん」

 

「ん? ああ、ヴァニラ、どうしたんだい?」

 

 やってきたのはヴァニラ。

 戦闘終了直後という事もあって、他の機体はまだ周囲警戒するなか、ケーラを手伝う為、単機戻ってきていたのだ。

 そろそろ他のメンバーも交代で戻り、休憩を取って、また周囲警戒をする予定になっている。

 その中で、ヴァニラはケーラのところから、タクトのところまで、わざわざ直接出向いてきた。

 

「先ほど、民間船の状況を確認したところ、艦内に多数の負傷者が居ることが解りました。

 物資の受け渡しの間だけでも、民間船での医療活動を支援したいのですが、よろしいでしょうか?」

 

 医療物資が足りない、などという状況からも容易に想像できる事態。

 それに、ここへ来るまでに護衛艦を失っているという情報からも推察できる。

 流石に、撃墜された味方艦から、誰一人怪我もなく無事に脱出できた訳ではない。

 むしろ、多くの人員を見捨てた事もあるだろう。

 だから、辛うじて脱出してきた者達が、本来の定員をオーバーしても、あの大型船に乗っている事になる。

 辛うじて脱出してきた、負傷もしているだろう者達が。

 そうなる事で医薬品が不足していると思われ、不足しているから満足な治療が受けられてない筈だ。

 

 そんな状況だ。

 ヴァニラがそう申し出てくるのも当然の事。

 しかし、タクトの返答は若干遅れた。

 そこまで、気が回らなかった為で、今考えている為だ。

 

「そうだな……

 ヴァニラ、実のところ、その申し出は承諾し難い。

 理由はいえないが、君があの船に乗り込むことが危険と判断している。

 それに、君はエルシオールの復旧作業を手伝っていたから、疲労も溜まっている筈だ。

 それでも、行きたいかい?」

 

「はい」

 

「そうか」

 

 ヴァニラは即答した。

 それは、タクトの言葉を無視した訳ではない。

 タクトがそう言うからには、何らかの重大な理由があると推察はできてる。

 

 あの後、結局ヴァニラはエルシオールの復旧作業を手伝い続けていた。

 一応タクトの言葉を心には留めていたらしく、頻度は下がったが、それでも十分過労だ。

 その上更に今しがた戦闘をしたばかりで、ヴァニラの疲労はかなり蓄積されている筈だった。

 

 しかし、それでも、医療に携わる者として、行かねばならないと、そうヴァニラは考えているのだ。

 

「解った。

 30分で準備をしてくれ。

 あ、ところで、ナノマシンの予備とそのナノマシンを制御しているヘアバンドって予備はあるよね?」

 

「はい、ナノマシンは現在私がナノマシンペットとして持ち歩いている分量の2.237倍の量が保管してあります。

 ナノマシンを操作する私の装備は、このヘアバンドと同じタイプが2つ、非常携帯用が2つ用意があります」

 

 ヴァニラがほぼ常に装備している、看護帽にも見えるヘアバンドは、ナノマシンを操作している装置である。

 これもまた、ロストテクノロジーの1つで、あまり量産、改良ができないものだ。

 非常携帯用とは、今頭に着けるタイプよりも小型でそれこそ普通のヘアバンドくらいの大きさの物だ。

 ただし、小型化されるにあたり、エネルギーの持続力が低く、効率も悪い為、普段は今もつけているタイプを装備している。

 因みに、どんな時に使うかと言うと、ヘルメットを被ったりしなければならない時などが挙げられる。

 

「そうか、それ、一応小型と通常のを1つずつ用意しておいてくれ」

 

「はい」

 

 タクトがそんな事を言い出す理由は問いたださず、ただ頷くヴァニラ。

 タクトは自分が大型船に渡るのを危険だといったのだから、その対策だという風には考えつつも、説明は求めない。

 

「後、俺も向こうに用事があるから、5番機に乗って行く事にする。

 悪いけど、5番機に乗せて貰うよ。

 クレータ班長、その準備と、アレとそのオプションの準備を。

 それから、エンジェル隊との打ち合わせも必要だな」

 

 と、そう指示を下した時、丁度2番機が格納されるところだった。

 ここから、また慌しく動く事になる。

 すぐ傍に居る大型船には知られぬ様に、静かに。

 

 

 

 

 

 それから30分後。

 物資の移送が行われる事となった。

 紋章機が1機まるまる入りそうなくらいな大きなコンテナ1つを、5番機で牽引し、2番機がその後方を護衛する形で、エルシオール格納庫から、大型船の格納庫へと移送する。

 その際、民間船側の戦闘機3機と、他の紋章機1、3、4番機も出て周囲警戒をしている。

 まだ、戦闘後の警戒中でもあるのだ。

 物資を牽引する5番機とその護衛の2番機を合わせて、紋章機は全機出撃中という事になる。

 

「こちらタクト・マイヤーズ。

 ヴァニラ・Hと共に5番機で着艦します。

 許可を」

 

『こちらヴァルガザード。

 着艦を許可します。

 ハッチを開放、2番格納庫へお入りください』

 

「了解した」

 

 予定されていた通り、5番機進路上正面の格納庫ハッチが開く。

 それを見てから、タクトは別の通信回線を開く。

 

「2番機はこのまま周囲警戒を継続せよ」

 

『了解』

 

 2番機との通信回線。

 出てきたランファは、そう答えて、エルシオールの周囲を低速で周回する飛行へと移る。

 30分程すれば、また交代して帰還する予定になっている。

 

 それから、気密ブロックを通過し、艦内へと入る5番機。

 同時に重力も掛る様になるが、コンテナは用意されていたパレットに載り、5番機もパレットに乗って搬入される。

 大型民間船の格納庫は、やや乱雑としていて、ジャンクといえる壊れた戦闘機の破片や、修理機材であふれていた。

 現在戦闘機が出撃中の為、その開いているスペースに5番機を停止させ、紋章機用のロックは用意されていない為、重力ブレーキとワイヤーで固定する。

 

「ようこそ、タクト・マイヤーズ司令官。

 ヴァニラ・H少尉」

 

「おまたせしました」

 

 コックピットから出ると、直ぐに迎えの者が到着する。

 ゴドウィンの側近だろう、若い成年だ。

 燃える様な真紅の髪に、真っ直ぐな蒼い瞳。

 顔立ちも整っているし、全体的に落ち着いた雰囲気も持っている。

 初対面の相手としてはこれ以上はないくらいの外見と言えよう。

 

 そして、タクトは初対面としての反応をここに示す。

 

「ガルド卿がお待ちです。

 それから、ヴァニラ少尉は……」

 

「お待ちしておりました!」

 

 案内しようとしていた青年の後ろから声が響いた。

 女性の声だ。

 見れば、白衣を着た40前後の女性が駆け寄ってきている。

 

「ヴァニラ・H様、ようこそいらっしゃいました。

 私がこの艦に務めます医長でございます。

 大変失礼ながら、現在容体の思わしくない患者がいますので、早速手伝って頂けないでしょうか」

 

「構いません、その為に着ました」

 

「よろしくお願いいたします。

 こちらです」

 

「では、タクトさん、私は行きます」

 

「ああ、そっちもがんばってくれ」

 

「はい」

 

 ヴァニラはそのまま医長と共に患者の下へと向かった。

 先ほどの医長、40代のベテランと言う雰囲気だったが、ヴァニラに対しては敬語を使い、心から畏まった感じだった。

 ヴァニラが患者を診る為にこの艦への許可を求めた時、一瞬躊躇われた雰囲気があったが、直ぐに向こうから頭を下げる程であった。

 それだけの効力があるのだ、『ナノマシン医療技師』という肩書きは。

 

 ナノマシン医療は、現在は十分に認知され、知らない人などいないといっていい。

 タクトも既に数回受けているが、あの魔法としか言い様の無い素晴らしい効力は、注目されない訳がないのだ。

 だが、その技師の絶対数があまりに少ない。

 それは、ロストテクノロジー故の費用面の問題ではない。

 確かに、単独の医療技術としてはかなり高価になるが、これ一つで数多の薬剤、機材が不要となる事を考えれば遥かに安価と言える。

 今ではナノマシンの生産ラインも整っており、比較的簡単に(兵器流用もされる為、当然使用目的の明示は必要)手に入れる事ができる。

 しかし、ナノマシン医療は、医者としての技術と、ナノマシンを操作する技術の2つの技術が必要となる『医療技師』という技術になる。

 医者になるだけでも難しいのに、そこに無数のナノマシンを意のままに操る技術が必要なのだから習得は困難を極める。

 その為、現在ナノマシン医療技師の資格保持者は長年の努力の末に習得した壮年以上の年齢層か、よほどの天才の若年層かの2つのタイプしか居ないとすら言われている。

 ヴァニラの場合、特殊な事情があって、この年齢をしてナノマシン医療技師の資格を持っているのだが、今はそれは置いておこう。

 

 そんな、あまりに少ない高度な技術の持ち手の中、ヴァニラの様に若い女性というのはどうしたって目立つ存在だ。

 更に、ヴァニラの師が有名であった事もあり、あっという間に軍に目をつけられ、勧誘されてしまったのは皮肉な話でもある。

 ともあれ、ヴァニラは医療業界の中では知らない人はいない有名人であり、どんな高齢の医師でも憧れ、尊敬する対象でもある。

 

 そんな訳で、ヴァニラは明らかに年上の医長からも、敬語を使われている。

 そして、事実、尊敬すべき人として認識される事だろうと、タクトは確信していた。

 ヴァニラなら、これからタクトがゴドウィンと会談を終える間に、多くの人を救える筈だ。

 

「失礼。

 大変に見苦しい所。

 それに、ヴァニラ少尉にご助力を願える事、私からもお礼を言わせていただきます」

 

「いえ、彼女が望んだ事ですから。

 では、我々は我々の仕事をしましょう」

 

「はい、ではこちらになります」

 

 タクトは青年の案内で、艦内を移動する。

 ただその時、一度だけタクトはヴァニラが走っていった方向に目を向けた。

 

(なんとかなっているな)

 

 タクトは、今回布いている作戦について、ふとそんな事を考えていた。

 

 

 

 

 

 数分後。

 広き艦内を移動し、着いたのは厳重なセキュリティーの施された一室。

 中は威厳を示す事を目的とした、威圧的な装飾がなされていた。

 ここは、ヴァルガザードのゴドウィンの私室だ。

 そこでタクトは、ゴドウィンと2人きりで向かい合う。

 椅子に座っているゴドウィンと立ったままのタクト。

 

「遅れましたことを、まずお詫びいたします」

 

「挨拶はよい。

 まずは、そちらが持っている情報を見せてもらうか」

 

「こちらです」

 

 事前になんの連絡もなかった。

 しかし、互いに無人艦と交戦しながらここまで来たのだ。

 その情報を持ってきた。

 ブリッジ同士でもやりとりされている情報交換だが、更に細かい情報もここに直接持ってきていた。

 その記録媒体をタクトは渡す。

 

 タクトの側も、ヴァルガザードが交戦してきた敵の記録と戦闘した場所の情報を貰い、ここで見る。

 幾度も戦闘をしてきたが、互いにまだ出会っていないタイプの無人艦が存在している事が解る。

 エオニア軍の底はまだ見えていないという事だ。

 

 暫し情報を交換する。

 主導はゴドウィンで、タクト側は、あまり情報を詳しく見えることはできなかった。

 

「情報はこれだけか?」

 

「軍事機密に触れる部分は削除しておりますが、エルシオールが知りうる限りの軍全体の交戦記録も含めております。

 それが全てです」

 

 当然ながら、紋章機の詳細な戦闘機録は乗せていない。

 それはヴァルガザード側も同じ事で、どんな攻撃が有効だった、という記録はあっても、使ってる兵器の詳細までは載っていない。

 身内とは言え、軍が軍の外部に機密情報を漏らす事はできないし、ヴァルガザード側としても私設の兵力の内情を全て明かす訳にもいかないのだ。

 

「まあよい。

 ならば、やはり知らぬ様だな」

 

 タクトが軍事機密を開示した事をどう思っているか、それは常に厳しい表情をしている顔からはうかがい知る事はできなかった。

 だが、それ以上に、タクトが気にならざる得ない言葉をここに出してきた。

 

「マイヤーズとその息子2人がもう亡い事は知っているな?」

 

「正確な情報としてはないですが、そうだろうという事は知っております」

 

 マイヤーズ、と言うのはこの場合、マイヤーズ侯爵家の現当主の事。

 つまり、タクトの父親の事だ。

 クーデター当時はトランスバール本星に居た筈で、恐らく、エオニア軍の攻撃で皇王ジェラールと共に死亡しているものと思われる。

 あの惨事の中では、遺体も残っていない可能性が高く、今後も死亡の確認も取る事は難しいだろう。

 

 それくらはい、エルシオールが持っていた情報からタクトも推測できる事。

 だから、ここは恐らく前振り。 

 ここから続く本題、それにタクトは備えた。

 

「マイヤーズの上の男達が死に絶えた上、ベオルブに嫁いだ長女も戦死した」

 

「なっ! エルマ姉上が!」

 

「その情報もそちらに入れてあるが。

 これだ」

 

 示された情報を見ずには居られない。

 夫であるベオルブ卿と共に会談に出席した帰りに無人艦と遭遇し、脱出も敵わず艦と共に命を落としたらしい、という情報だった。

 その情報の裏を取る事はできないが、ここで嘘の情報を流す利点はないだろう。

 

「これで、マイヤーズはお前のものだな」

 

「……はい。

 父上達の名を汚さぬ様、また、父上達が名誉の戦死であったとする為にも、私は勝たねばならないでしょう」

 

 兄達の子供は、どうなっているか解らない。

 だが、順当に考えて、マイヤーズの家名はタクトが継ぐ事で決まったも同然だろう。

 タクトしかいなくなった、という方が正しい。

 だから、とりあえずそう述べた。

 マイヤーズを名乗る者として、当たり前の言葉としてだ。

 

 しかし、

 

「ふん、そんな事、どうでもよいのであろう?

 養子のお前には」

 

「―――」

 

 公式には実子とされている筈のタクトが、実は養子である。

 貴族の中において、養子というのは意味があまりに大きい。

 だが、ゴドウィンの言葉はまだ終わらない。

 

「私は、君の父親が誰なのかを知っているよ」

 

「―――っ!!」

 

 タクトは、今度こそ動揺を隠せなかった。

 姉の話をされていなければ、もしかしたら耐えられたかもしれない。

 跡継ぎとしての話も、既に覚悟していた事だからだ。

 しかし、姉の話で一度心を揺らされていた。

 だから、隠し通す事はできなかった。

 そして、その言葉を聞いて、タクトは、拳を握る。

 そんな反応する一瞬遅れた。

 

 その動きが、ゴドウィンに見られている事は明白だった。

 

 タクトは、一度呼吸を整え。

 それから、口を開いた。

 

「この話は、公爵以上の方にしか明かされていない話ですが?」

 

「秘密に完全なものはない」

 

「それは、心得ています」

 

 だが、とタクトは思う。

 これだけは、そう易々と手に入る類の情報ではない。

 タクトは改めなければならない。

 ゴドウィンの情報を。

 優秀だとは解っていたが、これ程までの情報網を持っている意味は大きい。

 

「その上で言おう。

 私は、エオニアにつくつもりだ」

 

「……今のは、少し驚きました」

 

「だが、考えていなかった訳ではない様だな」

 

 これだけの情報網があるならば、エオニアにつき、現政権を裏切る理由はいくつも考えられる。

 よほど現政権から甘い汁を吸わせてもらっていない限り、貴族ですら、現政権に、ジェラール皇王には不満があるのだ。

 タクトでも、エオニアは正しいと思う部分がある。

 しかし、エオニアのやり方を肯定する訳にはいかない。

 

「私はエオニアに付く。

 シヴァ皇子が最後の1人として生き残っていたとしても」

 

「……」

 

 シヴァ皇子の事は、タクトからは話していない。

 だが、ゴドウィンならシヴァ皇子の存在と、何処に居たか、そしてそこから今エルシオールに乗っている事くらいは推察してもなんら不思議は無い。

 それを知った上で、タクトはゴドウィンにシヴァ皇子の事を話す事はないし、シヴァ皇子と会わせる事もしない。

 そして、例え皇族の生き残りの事を知っていても、やはりエオニアに付くという選択は在り得る事だ。

 何せ、エオニアも皇族なのだから。

 

「因みに、これは勧誘ではないよ」

 

「そうですか、それは安心しました」

 

 そういいながら、タクトとゴドウィンは視線を交わす。

 だが、タクト側からはろくな情報は取れなかったと言える。

 心を揺さぶられた後だ、どれ程ゴドウィンに心の内を見透かされたかすら解らない。

 

「それだけだ。

 ごくろうだった」

 

「いえ」

 

 背後で、扉のロックが開いたのが解る。

 つまり、もう帰れという意味か。

 それとも―――

 

 しかし、タクトの今の行動に選択肢はない。

 タクトは挨拶を述べた後、部屋を出た。

 時計を見れば、この艦に来て90分が経過しようとしていた。

 

 

 

 

 

 ゴドウィンの部屋から出たタクトは、ゴドウィンの側近と思われる先ほどの青年に案内され、艦内を移動していた。

 向かう先はヴァニラの居る場所。

 元々、ゴドウィンと会っている間というのが制限時間でもあるので、ヴァニラを迎えに行く所だ。

 

 その移動で歩く廊下は、ベッドが足りない為に溢れかえっている怪我人が多数仮設のベッドに横たわっていた。

 命からが護衛艦から脱出した人々であろう。

 だが、彼等の表情は皆安らかで、苦悶の声は聞こえない。

 その理由は、すぐそこにあった。

 

「ヴァニラ」

 

「タクトさん、もう時間ですか?」

 

「ああ。

 緊急を要する重体患者から診ているって聞いたけど」

 

 ヴァニラが今廊下で治療しているのは、重傷ではあるかもしれないが、緊急を要する患者ではないと思われる。

 が、既にヴァニラのナノマシン治療で、どういった怪我だったのかが見て取れなくなっている。

 

「はい。

 重体の方は全て治療を終えました。

 今は、パイロットの方を優先しつつ、重傷の方々を順番に診ていました。

 ですが、この方で、重傷の方も最後で、ナノマシンもほぼ使い切ってしまいました」

 

 見ると、普段小動物の形をとって形態しているナノマシン群、ナノマシンペットの姿が無い。

 在るのは、靄程度にまで数の減ったビー球程度のナノマシンの球体で、しかも透けて見える程密度も低い。

 

「ありがとうございます。

 計32名の重体、重傷の怪我人は、完治とはいいませんが、後は寝ていれば治る程度まで回復しました。

 艦を代表し、感謝いたします」

 

 付き添っていた看護士の女性がそう述べて深々と頭を下げる。

 ここに居ない医長は、後始末に回っているらしい。

 それにしても、僅か90分で32名の怪我人を治療するのは、本当に魔法としか思えない早業だ。

 確かに、タクトが診て貰う時も、診断後のナノマシン治療は1分にも満たない。

 既にカルテがあり、状態を安定させるだけならば、2,3分で1人を診る事ができるという事か。

 

 尚、後に聞けば、ナノマシンは重体患者4名を治療するのに6割を消費し、30分近い時間が掛かかり、ナノマシンもそこで大半を消費したらしい。

 残る重傷患者は28名は、1人2分そこそこで治療して回った事になる。

 

 説明がない今、それが見てとれるのは、ヴァニラが息を乱し、多量の汗をかいているところだろう。

 尚、汗は付き添いの看護士の方が、細かくふき取っている。

 表情には出さないが、流石に90分にも及ぶ長時間ずっとナノマシン治療をしていたのだ、疲労は凄まじいだろう。

 

「ご苦労様、ヴァニラ。

 エルシオールに戻るぞ」

 

「はい」

 

 やはり疲れているのか、タクトが手を差し伸べると、足元がふらついているのが解る。

 早くエルシオールに戻り、休養させるべきだろう。

 

 が、それは叶わなかった。

 

「止まれ」

 

 ガチャッ!

 

 格納庫へ向かおうとしたタクト達の前に、レーザー銃を構えた兵士が立ち並ぶ。

 その中央には、ゴドウィン。

 元々厳しい表情しか見えないが、今は更に冷たい視線でタクトを見ていた。

 更に、

 

 カチャッ!

 

 タクトの後頭部にも銃口が突きつけられる。

 道案内をしていた青年のものだ。

 どうやらタクトの見張り役でもあったらしい。

 

「一体なにを……」

 

「お前には関係ない。

 さっさと持ち場に戻れ」

 

 突然の状況に、見送るつもりでついてきていた看護士の女性が慌てふためく。

 しかし、青年の冷たい視線と、もう一丁のレーザー銃での脅しで、看護士はただ逃げ出す事しかできなかった。 

 

「やはり、帰す気はありませんか」

 

 その後、言葉を発したのはタクト。

 極めて冷静な感想を述べる。

 こうなる事は解っていた。

 だから、ヴァニラは連れてきたくなかったのだ。

 

「当然だろう。

 合流前に押さえてたかったのだがね、少し遅れたよ」

 

 部屋でタクトを取り押さえなかったのは、あの場ではゴドウィンもタクトと1対1だったからだ。

 その為の備えもあるが、敢えてリスクを冒す事もないと、部屋から出した。

 そして、あの場ではタクト側から仕掛けてくる事はできない。

 無防備に見えて、装飾の下に多重のトラップが在る事は解っていたし、ゴドウィンを殺したとて、逃げる事はできないからだ。

 

「銃を捨てろ。

 それと、そちらの娘はナノマシンの制御装置をだ。

 ナノマシンは、何処に隠し持っているか解らんからな」

 

「……」

 

 タクトは大人しく銃を床に捨て、ヴァニラにも制御装置を外させる。

 その時点でナノマシンは球形の形すら失い、霧散する。

 

 パシュンッ!

 

 ナノマシンの制御装置であるヘアバンドを床に置くと、ゴドウィンは即座にそれを銃で撃ち、破壊する。

 この瞬間、制御される元がなくなった為、ナノマシンは機能を停止させ、それこそ塵と同じとなってしまった。

 こうなっては再び制御装置を装備しても、ナノマシンを回収する事は極めて難しい。

 ゴドウィンはどうやら、ナノマシンの有用性を理解しているらしい。

 その間も、他の兵士、ゴドウィンの私兵達がタクト達に銃口を向け続けている為、タクトは動く事ができない。

 

「おっと、それは捨ててください」

 

 そこで、後ろの青年から銃口で突かれる。

 タクトが右手の袖口から出そうとしていた物が見つかったのだ。

 タクトはそれを床におとすと、なにやら薄い棒状の装置だったが、青年がそれを破壊する。

 

「そちらの腕にもあるだろう」

 

 パシュンッ!

 

 ゴドウィンは、そう言ってタクトの左手の袖口を打ち抜いた。

 

「ぐ……」

 

 掠めたレーザーが、タクトの腕を焼く。

 しかし、それ以上に、隠し持っていた仕掛けを両手分破壊された事の方が大きい。

 タクトが腕を撃たれた事でヴァニラが動こうとしていたが、それはタクトが制止した。

 今は、この程度の傷には構っていられない。

 

「捕まると解っていてのこのこ来たのだ。

 わざわざエンジェル隊は全員外に居る事まで見せ付けてこの艦に入ったのだから、おおかた医療物資に何か仕掛けでもあるのだろう?

 アレは、今格納庫で厳重にシールドしているよ」

 

 青年がわざわざ解説してくれる。

 この分では、格納庫の紋章機も無事ではないだろう。

 だが、それは確かめようがない。

 

「さて、とりあえず監禁しておけ。

 娘の方は先の指示通りだ」

 

「と言う訳だ、付いて来て頂こう」

 

 ゴドウィンの指示の下、私兵と青年がタクト達を連行する。

 それで、この場は終わり。

 と、思われたその時だ。

 

「それと、お前はその猿芝居をやめてもらおうか」

 

 パシュンッ!

 

 突如、ゴドウィンは、連行を指揮していた青年を胸を撃った。

 青年がゴドウィンの真横を通り過ぎようとした時に、ほぼ0距離から。

 レーザー光は青年を貫通し、壁に穴を開ける。

 

「な……」

 

 その一撃で崩れ落ちながら、ゴドウィンを見上げる青年。

 何故、と。

 

「アレン・ヴァイツェン。

 貴様が、私の監視でここに居る事は調べがついている。

 ルフトの息子が何をしているかと思えば、つまらん事を企みよって。

 ルフトの教え子であるタクト・マイヤーズともつながりがありそうだな。

 どちらにせよ、敢えてお前をほうって置く理由もなくなったのだよ」

 

 おそらくは、今まで偽名を使っていたのだろうが、この青年の本名はアレン・ヴァイツェン。

 ゴドウィンの解説どおりルフト准将の息子であり、宇宙皇国警察に所属していた筈の人物だ。

 タクトは彼が居るとは知らなかったが、格納庫での再開時は知らぬフリをし、アレンも合わせた。

 それがどう働くかは解らなかったが、希望的観測は今ここに潰える。

 

 心臓を撃ち抜かれ、そのまま死を迎えるアレン。

 ヴァニラも、反応する事すらできなかったか、その姿をただ見つめるだけだった。

 

「さあ、連れて行け」

 

 冷めた言葉で兵を動かし、アレンの後始末と、タクト達を連行させる。

 タクトとヴァニラは、今はただ従うしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タクト達が捕らえられ、2時間程が経過した。

 タクトは今何もない部屋、監禁専用の部屋と言うものは無いだろうから、ただの空き部屋に入れられていた。

 ヴァニラとは別々にだ。

 どうやら、ゴドウィンはナノマシンを恐れているらしく、ヴァニラの扱いには徹底している。

 タクトの方も、一度服も全て奪われた後、徹底的にチェックされていから、上着以外は返却されている。

 上着は他にもいろいろ仕掛けているので処分されたのだろう。

 その上で両手を後ろ手で拘束された状態で1人、部屋の中央で座っている。

 この部屋に変化があるとすれば、数分ごとに部屋にくる見張りの兵くらいだ。

 

 尚、ゴドウィンはエルシオールと交渉した筈だが、タクトはその内容を知らない。

 エルシオールへ、タクトを監禁している様子を伝えたと思うのだが、この部屋に付いている監視カメラからの一方的な放映しかしていのだろう。

 つまり、何時の映像がエルシオールに渡ったかも、タクトには定かではない。

 どんな手段であれ、エルシオールとの交信を避けるつもりなのだろう。

 ゴドウィンは相当用心深いのか、タクトがそれほど評価をされているのか、そのどちらもか。

 

 それにしても、とタクトは思う。

 今シヴァ皇子がどうしているか。

 実は、タクトがエルシオールを出る直前、シヴァ皇子が格納庫までわざわざ出向かれたのだ。

 そして、そこで告げたのは『気を付けろ』との言葉。

 何を、とは言わない。

 ゴドウィンも一応シヴァ皇子の臣下なのだ。

 ただ、シヴァ皇子はゴドウィンと会った事があるらしく、ヘレスを戦力としての貸し出す事まで言い出そうとしていたくらいだ。

 それはタクト側で止めたが、正直なところタクトは借りたいと一瞬思った。

 

 しかし、今ヘレスを戦力として借りなかった事を後悔はしていない。

 

 何もないく、白い壁だけがある部屋に放置され2時間。

 半ば拷問に近いこの処遇の中、タクトは1人待っていた。

 そして、それは来た。

 

「……仕込みは終わったのかい? ランファ」

 

 何もない部屋で、そう呟く。

 すると、タクトの目の前の空間が歪み、そこに別の色が出現する。

 

「こんな状況でも冷静ね。

 ここは流石司令官、と言っておくわ」

 

 そこに出現したのは、戦闘用宇宙服を着たランファだった。

 高機能ステルス迷彩を搭載した物で、先日のヘルハウンズ隊襲撃から作っていた物だ。

 ヘルハウンズ隊が残した戦闘用パペットの残骸から素材を得て。

 

 ステルス迷彩。

 これを聞くと、無敵になれるかの様にも思えるが、今の時代ではそうでもない。

 ステルス迷彩の技術が確立しているが故に、対抗する手段がいくらでもあるからだ。

 事実、入られては困る場所で、侵入者が在り得る様な場所では、ステルス迷彩を見抜く装備が常備されている。

 ステルス迷彩は、所詮姿が見えなくなるだけで、そこに存在している事に変わりは無い為、アナクロな手段でもいくらでも見つける事ができる。

 そう言った見抜く手段にも在る程度対応した高機能型のステルス迷彩も存在するが、どちらにせよ攻撃を受けたら終わりだ。

 

 では、何の為に使うか。

 それは、見つからない為だ。

 見つける手段はいくらでもあるが、ステルス迷彩を使われているとバレなければ、極めて有効な手段なのである。

 ステルス迷彩をした敵を想定していない場所ならば、良い訳だ。

 どこでも常時ステルス迷彩の為の対抗手段を稼動させる事は、経費が掛りすぎるからできない。

 

 有効に使える例としては、自分の艦内で、侵入してきた敵に対して自分がステルス迷彩を使う、などだ。

 侵入してきた相手になら、その相手は、基本的に自分の装備で見破らない限り、ステルス迷彩を使った防衛を回避できない。

 そう言う使い方を想定し、タクトはエルシオールの防衛の為に用意していたのである。

 尚、この戦闘用宇宙服は、ステルス迷彩がメインではない。

 そもそも、ヘルハウンズ隊の使っていた様な戦闘用宇宙服相手では見破られてしまうからだ。

 だから、あくまで1つの手段として用意したものでしかない。

 

 さて、敵地に潜入して何か目的を果たす、と言う場合、最初の問題はやはり潜入だ。

 セキュリティーを破り、相手に気付かれない様に扉を開かなければならない。

 だが、今回はこの大型船に侵入する方法は確実なものだった。

 相手側から招かれるという方法だ。

 ランファは、タクト同様に5番機に乗って、タクト達と一緒にこの艦に来た。

 更に、客人として招かれ、医療行為に従事していたヴァニラの傍に居ることで、中のセキュリティーもほぼ素通りで隠れ続ける事ができたのだ。

 

 そう、ランファは5番機に乗っていた。

 では、物資移送の際の2番機はとなるが、アレはクレータが同じ戦闘用宇宙服を着て、ランファに化けて操縦していたものだ。

 紋章機はH.A.L.Oシステムの適合者でなければ動かせないし、パイロット登録によるロックもあるが、整備班は整備、テストの為に動かせる必要がある。

 各部分だけなら外部からのエネルギーで動かしてテストもできるが、全体の機能チェックの際には、整備員が乗り込み、実際に動かす事でテストする必要がある場合もある。

 紋章機のH.A.L.Oシステムは戦闘機動させるのには高い適正が必要だが、整備する程度なら整備班の大半がその適合レベルを持っており、今回はそれを利用したフェイクだった。

 

 尚、今回潜入するのがランファだったのは、完成した戦闘用宇宙服が、試験でクレータが着る為に、彼女のサイズで作った試作品しかなかった為だ。

 クレータに近い体格の(胸囲が足りず、腰回りはゆるかったらしいが)ランファかミルフィーユしか使えなかったのだ。

 ミルフィーユに潜入ミッションができるとは思えなかったので、ランファが1人で担当する事となった。

 因みに、タクトとしてはフォルテかミントが望ましかったが、どうあがいてもサイズが合わないので断念した。

 

 余談ながら、サイズがぎりぎり適応する人物として、ヘレスも存在した。

 それでも、シヴァからの申し出も先に止めてまで利用しなかったのは、先日ヘレスを戦力とは数えていないと明言した事。

 そして、この程度の事でいちいちヘレスの力を借りねばならぬのなら、未来への希望はあまりに儚いだろうという考えからだ。

 

「それにしても、よく解ったわね」

 

「居ると解っていれば、解るもんさ」

 

 因みに、今ここにランファが居るのは定期的に見回りに着ていた兵士に付き添って入ってきたのだ。

 大体5分ほど前の話になる。

 この5分は、この部屋の管理システムをハッキングし、処理していた。

 それも終わったので、タクトの傍に歩み寄ったところで、タクトはランファの名を呼んだのであった。

 

 因みに、ゴドウィンに破壊された装置は、ランファとの連絡を取る為の端末だった。

 タクトの置かれている状況を発信していたのだ。

 タクトの周囲でされている会話の内容までも。

 その機能は、一度ゴドウィンの部屋でタクトによって切られ、部屋を出たところで再開していた。

 

「まあ、確かにそうかもね。

 無力化は済んでるわ。

 切るわよ」

 

「頼む」

 

 ランファは、装備の一つであるレーザーブレードでタクトの拘束を斬って落とす。

 この部屋の監視システムは、ランファが言う通り無力化されており、監視映像には、タクトはまだ座ったままの状態で見えている筈だ。

 この戦闘用宇宙服には、そう言った機能があり、格納庫にある5番機の機能も借りて、この2時間でこの艦のセキュリティーをほぼ無力化する事ができた。

 

「ヴァニラは?」

 

「捕まっている場所は把握してるわ。

 ヴァニラの扱いは酷いからすぐに助けないと。

 タクトと同様に服全部取られて、拘束服を着せた上に、更に拘束してるわ。

 ここまでやるかって、感じに。

 脱がせたり、拘束したのは女だったけど、監視カメラ見てるのも全員女とは限らないのよねぇ」

 

 ランファの声に怒りが感じられる。

 拘束服、などという物が用意されていたのも驚きだが、やはりゴドウィンはナノマシンを過剰なほど恐れているらしい。

 確かに、魔法にしか見えないくらいの有用性があるから、仕方のない部分もあるだろう。

 だが、それでも許せないものは許せない。

 

「それに、さっき見張りじゃない男達がヴァニラが居る部屋に向かったわ。

 急いで」

 

「ああ」

 

 拘束を外し終え、ランファから装備を受け取り、準備を終えると、タクトはステルス迷彩を掛け直したランファと共に監禁部屋を出た。

 タクトは、通信でのランファの道案内の下、ヴァニラの救出へと向かう。

 

 

 

 

 

 その頃、ヴァニラが拘束されている部屋。

 

 ヴァニラは、拘束服を着せられた上、テープやロープで何重にも拘束され、床に転がされていた。

 更に目隠し、耳栓までしてあり、動けない、見えない、聞こえない状態となっている。

 13歳の少女にする仕打ちとは到底思えないものだ。

 そんな状態でもう2時間、この部屋で監禁されてきた。

 だが、そこへ、2人の男が入ってくる。

 

「聞いた通り、小娘だな。

 これを始末しておけとは、相変わらずだぜ、家のダンナは」

 

「しっかし惜しいな。

 ナノマシン技師としてもそうだが、なかなかの上玉じゃないか」

 

「おいおい、確かに将来有望だろうが、まだ13らしいぞ」

 

 なにやら怪しげな会話をしている2人の男。

 ゴドウィンの私兵で、なにやら大きな袋と、妙な形の銃を持っている。

 どうやら、ゴドウィンの命でヴァニラを処分しに来た様だが、それだけでは済まなそうな空気だった。

 

「いいだろう?

 このところろくな事がなかったしな。

 確かに青過ぎる果実だが、どうせ殺すんだ、その前に使って」

 

「ふん、そうだな。

 逃亡生活ももう10日。

 流石に俺も溜まってるから、今後の為にここで1、2発は―――」

 

 既にその気の1人の男が、拘束されたヴァニラに手を伸ばそうとし、もう1人もなんだかんだと手伝おうとした、その時だ。

 男の台詞は突如止まる。

 次に響くのは、

 

 ズダンッ!!

 

「あ?」

 

 妙な音が響いた事で、ヴァニラに手を伸ばそうとした男が振り向いた。

 だが、その男の記憶はそこで途絶える事になる。

 

 ドゴンッ! バズッ! ズダァァァンッ!!

 

 男の身体は1人でに凹み、歪み、宙を舞った挙句、不自然な加速を持って床に叩きつけられる。

 と、そこで、床にうつ伏せになっている男の背、突然出現する人影。

 あまりに激しい動きでステルス迷彩の切れたランファの姿だ。

 ヘルメットの下は無表情。

 あまりの怒りに逆に表情は冷め切っているという状態だった。

 

「おいおい、気持ちは解るが、あまり大きな音を立てるなよ」

 

 最初の男を引き倒して昏倒させたタクトは、既にヴァニラの拘束解除を行っていた。

 目隠しと耳栓が在る為、この男達の会話も、今の騒ぎも聞き取れていないヴァニラ。

 まずは目隠しと耳栓を外し、それから拘束を解除する。

 

「ヴァニラ、お待たせ」

 

「指示通り、仮眠を取っておきました。

 体調に問題はありません」

 

「この状況でよく休めるわね。

 流石ってところかしら?」

 

 拘束を解いた拘束服のまま立ち上がりるヴァニラ。

 治療の疲れはある程度抜けた様だ。

 それにしてもこの状態で休めるのは、普段からナノマシンを制御する為、感情をコントロールできているからか。

 ともあれ、頼もしい限りだった。

 

「さて、急ごう。

 てか、服はどうしようか」

 

「こいつ等から奪う、のも気持ち悪いけど、それよりはマシ?」

 

 拘束服は拘束する事が目的なので、服としての機能はあまりない。

 前から見る分にはいいが、拘束器具を通す為の穴だらけで、乙女の身体を護るにはあまりに相応しくない物だ。

 

「いや、こいつ等の服だと何処に何が仕掛けられているか解らないし、調べる時間もない。

 俺のシャツで我慢してもらおう。

 何かを付けられた可能性もあるが、それを言い始めると何も着れないしな。

 サイズ的にはミニのワンピースぐらいにはなるだろう」

 

 警備員なら、備えとして、発信機と通信機は当然とし、健康状態をチェックし送信する機器を装備していてもおかしくはない。

 どこでどの味方がやられたか、それを管理しておけば、侵入者に気付ける一つの方法にもなる。

 つまり、ここでこうして2人も倒してしまったのだから、いくらセキュリティーを無力化していても、いつかは気付かれる事になる。

 機械としてのセキュリティーはある程度無力化しても、人が気付くのを止める事は難しい。

 

「まあ、そんな拘束服よりかはいいか……」

 

 ランファは、まだ何か言いたげだが、ヴァニラの服が見つからなかった以上は仕方ないと諦めている。

 時間が無いのはランファも解っている事だ。

 

「じゃ、ヴァニラ」

 

「はい」

 

 と、タクトが脱いだシャツを受け取り、自らは着せられていた拘束服を脱ぐヴァニラ。

 その場で、素早く。

 が、

 

「あっ!」

 

「ちょっ!」

 

 そこでタクトとランファは初めて知った。

 タクトが奪われたままなのは上着だけだったのに対し、ヴァニラは何も返還されていなかった事に。

 本当に素早かったため、一瞬だったが、下着すら奪われたままだったヴァニラは、まさに生まれたままの姿をタクトの前に平然と晒し、タクトのシャツを着る。

 

「ヴァ、ヴァニラ、貴方下着も取られたままだったの!

 とうか、ちょっとは隠しなさいよ!」

 

「あ、いや、今のは俺が悪かった。

 後でちゃんと謝罪するから、今は急ごう」

 

「はい」

 

「あー、もう!

 兎も角、ヴァニラ、これ貴方のヘアバンドとナノマシン」

 

 言いたい事が増えたランファであったが、やはり時間は無いのだ。

 バックパックから携帯用のナノマシン制御装置とナノマシンの入った袋を渡す。

 ステルス迷彩を使う上で、最大の問題となる外付けの装備、それを解決するステルス迷彩を掛けられるバックパックだ。

 ステルス迷彩を掛けてる、あまり大きくないバックパックにわざわざナノマシンの制御装置とナノマシンを入れておいたのは、こんな事態を予め想定していたからこそだ。

 その故に、多くの装備を持ってこれなかったが、格納庫の5番機から電子支援を受けられる為、なんとかなった。

 

「ありがとうございます。

 タクトさん、腕を診せてください」

 

「ああ、頼む」

 

 ゴドウィンにレーザー銃でやられた腕。

 殆どかすり傷だが、今後の事を考えて治してもらう時間をもうける。

 

「あ、そうだ、ナノマシンを服にすればいいんじゃないの?」

 

「いや、ナノマシンは攻防にも使うし、この量じゃ下着分にもならないだろう」

 

「はい、服には少なすぎます」

 

 今回持ってこれたナノマシンの量は、普段ヴァニラがナノマシンペットにしている分量の尻尾部分も無い。

 今回は、脱出の際に臨機応変な使い方が要求されるため、腕の周りにリング状にして装備している。

 ともあれ、量が少ない上、使用して減り続けると思われるので、服にする事はできない。

 

「よし、ありがとうヴァニラ。

 で、最後の作戦会議だが、俺とヴァニラは5番機で一度脱出する。

 ランファはアレンを探してくれ」

 

「ああ、あのルフト准将の息子さんとか言う人?

 やっぱ死んでないっぽい?」

 

 ランファはあの後、アレンは兵士の1人が、逃げた筈の看護士と一緒にどこかに運ぶのを見ているが、それだけだ。

 逃げ出した筈の看護士と一緒に運ぶ、というだけでも怪しいが、それ以前から怪しい点はある。

 

「はい、レーザー銃で心臓を撃たれた症状を見せていません。

 人体が焼ける匂いも不自然でしたし」

 

「あ、やっぱヴァニラも気付いてたか。

 それに、アレ、艦内でレーザー銃を使われて、一度人を貫通したのに壁に穴空けてるだろ」

 

「ああ、あの装備か」

 

 あの時も、ヴァニラは医師としての冷静な分析をしていたらしい。

 タクトの場合は、貫いたレーザー光の方で判断している。

 普通宇宙船の艦内で武器を使わざる得ない場合、相手の装備にもよるが、出力は抑えるものだ。

 なにせ、艦に穴が開けば、自分まで危ないのだから。

 そして、あの時、相手が特殊な装備をしていない事を前提にすれば、人を貫通して尚壁に穴を開けるレーザー光は強すぎる。

 

 ここで、一つの装備が考えられる。

 レーザーや銃弾から身を護る装備、というのは実際のところいくらでもある。

 が、ならば、より強い武器、となりがちだ。

 しかし、死んだ相手になら、それ以上の攻撃は加えられないのが普通だ。

 そう、死んだフリは有効なのである。

 それ故に、一部の防犯装備の中に、死んだフリができる装備というのが存在する。

 特にレーザー武器が主流であるが故に、貫通したレーザー光まで再現でき、肉のこげた匂いまで発する事のできる物も。

 

 ゴドウィンは恐らく人を殺し慣れている。

 自分の手でも殺した事もあるだろう。

 だが、殺しのプロでは無い為、手ごたえが解らないし、常に護衛が居る様な身分では、死んだフリをするという防犯装備の事は意識にないのだろう。

 対し、何時自分が殺されてもおかしくないという状況なら、アレンがそう言った装備を常備しているのはむしろ自然だ。

 

「アレンとは面識があってな。

 ルフト准将と同様に信用できる。

 が、アレンも別の目的で動いてるだろうから、完全に信用はするな」

 

 敵の敵は味方、というのは共通の敵が存在する間のみ有効な理論であって、共通の敵を始末し終えたら掌を返される事は当然考えられる。

 アレンが宇宙皇国警察として動いていたとしても、警察機関と軍では協力する事はあっても、絶対の味方ではない。

 尤も、戦争状態にある今ならば、多少の融通はきかせてくれるだろうが、それを期待しすぎる事はできない。

 

「了解」

 

「よし。

 後、何か利用できそうなものはないかな?」

 

 今一度装備を確認する。

 タクトは、下着としてのシャツと、ズボン、靴、は全て今日着てきたもの。

 武装は小型のレーザー銃とレーザーブレード。

 あまりに心許ない装備だが、仕方ない。

 

 ランファはステルス迷彩機能付きの戦闘用宇宙服と、レーザー銃とレーザーブレード。

 近接戦闘なら格闘技能を戦闘用宇宙服がバックアップするので、それだけでも強力だ。

 

 ヴァニラはタクトのシャツを腰で拘束服のベルトで縛っただけの服。

 武装はナノマシン。

 

 と、そこで、ヴァニラは男達が持っていた妙な形の銃に気付いた。

 

「この銃、薬品を打ち込む物ですね。

 装填されている薬品は、神経毒です。

 一度の噴射量を調整すれば、即効性の麻酔薬にもなります」

 

「お、流石ヴァニラ。

 できそう?」

 

「はい」

 

 これでタクトの装備に麻酔銃が増えた。

 ただし、0距離でしか使えないのだが、確実に相手を麻痺させる事ができるなら頼もしい武装だ。

 今回の敵は、ゴドウィンに従っているだけの私兵で、一応民間人だ。

 死傷者は出したくない。

 

「脱出作戦、麻酔銃か……

 ダンボールが欲しいところだな」

 

 今一度装備を確認して、そんな事を呟くタクト。

 ダンボールとは、今の時代も改良を加えられた上で使用され続ける物資輸送の際の入れ物だ。

 探せば転がっているかもしれないが、流石にそんな余裕はない。

 

「何故ダンボール?」

 

「いや、映画の話」

 

 タクトとしては有名な映画だと思っていたが、ランファは知らない様だった。

 その様子を残念そうにしながらも、冗談を言える余裕は在る様だった。

 厳しい状況だが、これならなんとかなるだろう。

 

「じゃあ、作戦開始!」

 

「了解」

 

 まずはランファのバックアップの下、格納庫へ移動して脱出。

 既に脱走を感づかれている可能性の高い艦内を、可能な限り戦闘を回避しつつ格納庫まで移動する。

 

 

 

 

 

 その頃、ゴドウィン私室

 

『ゴドウィン卿! タクト・マイヤーズとヴァニラ・Hが脱走しました!』

 

「警備は何をしていた?」

 

 警備からの慌しい報告が上がる。

 しかし、ゴドウィンは極めて冷静だった。

 それくらいは想定していたという事か。

 

『それが、セキュリティーが解除されていて、内部に敵がいるとしか』

 

「そうか。

 兵を総動員し、捕らえよ。

 タクト・マイヤーズの方は生きてさえいればよい。

 小娘の方は始末してかまわん」

 

『りょ、了解しました』

 

 平然とそんな命令を下し、次にゴドウィンは格納庫への回線を開く。

 

「紋章機はどうなっている?」

 

『は、それが、自律防御もしてある上、ロストテクノロジーの塊ですので、まだ……』

 

「爆破しろ」

 

『え? は、はい、了解しました』

 

 そこで通信を切り、ゴドウィンは立ち上がった。

 

「流石に、簡単にはゆかんな」

 

 そう呟いた後、部屋を出てブリッジへと向かうゴドウィン。

 その表情には、一切の感情は無かった。

 

 

 

 

 

 ビー! ビー! ビー!

 

 警報が鳴り響く艦内。

 どうやらタクト達の脱出がバレたらしい。

 警報自体は直ぐに停止するが、多数の足音と声が通路に木霊する。

 

「隔壁は下ろせないのか!」

 

「管理システムが乗っ取られています。

 現地での手動ならなんとかなりますが、遠隔ではできません!」

 

 5番機のバックアップを得た上でセキュリティーの乗っ取り。

 それはこの上なく成功している。

 しかし、これは出来すぎ、とすら言える。

 いくらロストテクノロジーである紋章機のバックアップを得ているとは言え、ランファはこういったクラッキングのプロではない。

 ランファ曰く、既に幾つかのセキュリティーが解かれていたらしい。

 罠だと思うくらいに。

 

「……」

 

 壁に沿って通路を歩くタクト。

 ランファが先導し、安全が確認できたところでヴァニラを手の合図のみで呼ぶ。

 

「……」

 

 ランファ達程ではないが、訓練を受けているヴァニラの動きに無駄は無い。

 音も立てず、しかも素早くタクト達と合流する。

 

『タクト、次の角の先に見張りが2人居るわよ』

 

 ランファから、通信での連絡が入る。

 ランファはヘルメットを被っている為、音が漏れない様にできるから通信ができるが、タクトからはできない。

 タクトは、ランファが居る筈の方向に手で合図して、挟み撃ちにする事を提案する。

 

『了解』

 

 ステルスを駆使し、回り込むランファ。

 タクトも通路の角にぴったりとつくながら、移動して様子を伺う。

 

「こちらBブロック、異常なし」

 

 丁度、定時報告をしているところだった。

 通信中ももう1人が周囲を警戒しており、相手側も訓練されている事が解る。

 流石軍歴もあるゴドウィンの私兵だけある。

 ただ、対ステルス装備はしていない様子だ。

 ならば、

 

「ん?」

 

 通信をしていた兵が、何かに触れられた気がして振り向く。

 そこにはランファが居るが、まだ見えない。

 その為、身構える事もできず、そのまま投げられる。

 

 ズダンッ!

 

「なにっ!」

 

 プシュッ!

 

 もう1人の兵士がそちらを見て驚いていた瞬間、炭酸飲料の蓋を開けた時の様な音がした。

 圧縮ガスで薬の付いた針が射出された音であり、兵が振り向いた瞬間に角から飛び出し、首に麻酔銃を押し付け、発射した音だ。

 

 ドサッ!

 

 素早く、無駄なく2人を処理するランファとタクト。

 そうして、すぐにヴァニラを呼ぼうとしたタクトだった。

 しかし、ふりむくと、ヴァニラの後方に近づく人影があった。

 

『ヴァニラ、後ろ!』

 

「っ!」

 

 ランファが呼びかけ、タクトも走る。

 だが間に合わない。

 人影はヴァニラのすぐ後ろまで近づいており、それは敵兵の男だと断定できる。 

 男は、銃の柄を振り上げ、ヴァニラを殴ろうとしていた。

 ヴァニラには射殺命令が出ている中、それをしなかったのは、やはり見た目は13歳の少女でしかないヴァニラを撃つ事を躊躇ったものと思われる。

 それによって救われた部分はあるが、危機的状況には変わりない。

 しかし、

 

「……」

 

 ランファの呼びかけにより振り向いたヴァニラは、やはり無表情のまま男が動きを見ていた。

 そして、男が銃の柄を振り下ろした瞬間。

 

 パッ!

   ズダァンッ!!

 

 その手を取って男の懐に入り、足で払って重心を崩し、投げ飛ばした。

 芸術的な一本背負いだった。

 しかも、その一撃で見事に男は脳震盪でダウンしている。

 完璧な迎撃と言える。

 

「……」

 

 それを行ったヴァニラは、何事もなかったかの用にタクトを見る。

 指示を待っているらしい。

 

『調書になかった? ヴァニラは格闘もいけるのよ。

 先手は絶対にしない、反撃のみだけど。

 打も、投げも、締め技も完璧で、体格くらいしか弱点がないくらいよ』

 

「……」

 

 ランファの通信を聞きながら、タクトはヴァニラに指示を出して合流させる。

 ランファが言っていた事は調書にあったが、ここまでちゃんと対応できるとは思わなかったのだ。

 確かに、医者であるのだから、技術さえ身に付けば最適な手加減ができるのだから、反撃ならば躊躇する必要はない。

 しかし、ヴァニラは心優しい少女だし、医者でもあるのだから、人を傷つける事はできないという偏見じみた感覚があった。

 だが、ヴァニラは既に覚悟をしているのだろう。

 軍人になったという覚悟を。

 だからこそ、技術を身につけ、医者のスキルまで利用し、最小限の力と影響で相手を無力化する事を選んだ。

 

 そんな覚悟をできている事を頼もしく思う一方で、タクトは悲しくも思う。

 僅か13歳の少女にそんな覚悟をさせた事に。

 だが、それを表に出す事はできる筈もない。

 

『それに、ロストテクノロジーの探索をしていた頃だって、ロストテクノロジーでおかしくなった人間が相手、なんて事もあったのよ。

 ミルフィーは、その時の事まで気にしてるけど』

 

 ミルフィーユの場合、彼女が原因でなくとも、彼女の凶運で起きたと言えるから、下手な慰め方はできない。

 やはり、ミルフィーユの場合は、根が深く、扱いは難しいだろう。

 

「……」

 

 タクトは、ランファの話に一度頷いて、『行こう』と指示を出す。

 今は、ヴァニラの事を理解できた収穫だけでも十分過ぎる。

 まずは、ここから生きて出る事だ。

 

『もう少しよ』

 

 セキュリティーを止められ、ステルス状態のランファが居るため、移動は比較的楽に行う事ができた。

 とは言え、気絶させて強行突破も多数発生したが、ヴァニラのナノマシンも駆使し、無傷で通過する事ができる。

 

 

 そうして、格納庫まで辿り着いた。

 格納庫の前にも敵が3人程居たが、ステルスを使っているランファの格闘の前にはなす術も無く倒されている。

 

「ランファ、5番機は無事だな?」

 

『ええ、近くに危険物は無い様よ」

 

 格納庫に入る前に、5番機とコンタクトが取れるランファに確認する。

 最悪爆破されている可能性もあったが、まだ手が回っていない様だ。

 尚、宇宙に破棄、という手もあるだろうが、すぐ傍にエルシオールが居る為、それはあまり良い手ではない。

 

「よし、じゃあランファはハッチを」

 

『OK』

 

「ヴァニラ、ナノマシンで両側を覆ってくれ。

 目くらまし程度でいい」

 

「はい」

 

 入る直前、現在残っている全てのナノマシンを、自分達の両側へと展開する。

 ベール程度の薄さで、盾にもならないが、射撃を受ける可能性を考えれば、相手の照準を逸らす事くらいはできる。

 

 プシュッ!

 

 扉を開き、物資が散乱している格納庫を走り、5番機まで向かう。

 周囲では騒ぎが起きるが、そのまま直進する。

 格納庫の中だからか、結局、攻撃を受ける事はなかった。

 

「ハーベスター」

 

 ウィィンッ!

 

 ヴァニラの声に応え、ハッチを開き、フックワイヤーを射出する。

 タクトはヴァニラを抱えてそれに足を掛け、5番機へと乗り込んだ。

 高速で引き上げられたが、周囲の警戒は欠かさない。

 といっても、妨害行為も受ける事はなかった。

 

 ガチャンッ!

 

 ハッチを閉じ、ヴァニラは操縦席に座り、機能チェックを始める。

 それと同時にナノマシン制御装置を携帯用から、普段着けている物に付替える。

 携帯用よりやはり普段着けている方が良い為、壊された時の為に通常の物も操縦席に置いておいたのだ。

 

 5番機の状態を調べると、武装解除はされそうになったが、警報後、シールドを発生する事で防いだ記録がある。

 更に、外部からのアクセスを受けたが、拒否している。

 ただ、どれも1度か2度試してみた程度で、本気で5番機をどうにかしようとした訳ではなさそうだ。

 

「機能、武装共に問題ありません」

 

「よし。

 ランファ、そっちはどうだ?」

 

 通信で呼びかけると、ランファから応答がすぐに返って来た。

 ここの格納庫の発射口を管理している管制室が格納庫の脇にあるのだが、そこの制圧を既に終えているらしい。

 ただ、ランファから返って来た答えは、タクトにとっては意外なものだった。

 いや、これも必然だったのだろう。

 その答えとは、

 

『制圧するまでもなく協力してもらえたわ。

 カタパルトで出すわよ、指定の位置まで移動して』

 

 ランファの答えと共に、誘導灯まで点き、格納庫に残っていた人も、発射時の体勢へと直ぐにシフトする。

 どうやら、格納庫の整備員達は、はじめからゴドウィンの命令は聞き流す程度の事しかしていなかったらしい。

 ゴドウィンへの忠誠は、最早無く、むしろ不信を買っている様だ。

 

「了解。

 後の処理も任せたよ」

 

『楽な仕事になりそうだわ』

 

 今回はゴドウィンに様々な手を打たれ、危ない状況だったが、ゴドウィンは既に味方の大半を失っている。

 それは、宇宙で散った護衛艦隊ではなく、人の信という最も大切な味方だ。

 ただし、

 

『でも、既に1番格納庫から戦闘機が全機出撃しているわ。

 外の状況はここからじゃ良く解らないけど、気をつけて』

 

「ああ」

 

 まだ、全てを失ったわけではない。

 未だに従う兵士がいる以上、脅威である事には変わりない。

 タクト達の戦いは、まだ終わってはいない。

 

 

 

 

 

 バシュゥゥンッ!!

 

 カタパルトで射出され、宇宙空間へと出る5番機。

 そして、そこで目の当たりにするのは、5機のフィオ高汎用戦闘機によって攻撃を受けているエルシオールの姿だ。

 残る3機は、この大型艦の護衛をしている様子。

 兎も角やる事は、先ずはこの艦を全速で離れる。

 そして、それと同時に通信だ。 

 

「レスター、状況は?」

 

『現在敵機5機から特殊弾頭による攻撃を受けている。

 電子妨害と、捕縛用ネットだ。

 1,3,5番機により迎撃しているが、それも限界に近い』

 

 脱出については何も言わない。

 今はそれどころでもない。

 

 捕縛用ネット。

 実体のネット場合もあるが、電磁ネットだったり、重力ネットだったりする、相手の動きを封じるネットの事を指す。

 本来は漂流物の確保などに使う物で、場合によっては停止要求に従わない船を止めるのに使う事もある。

 そう言った装備が、現在エルシオールに仕掛けられている。

 どうやらゴドウィンはエルシオールが欲しいらしい。

 タクトを捕らえていた事で降伏勧告もしていた筈だが、その上で動きを封じてトドメとしたかったのか。

 いや、この場合、タクトが容易に帰れない様にしているのもあるだろう。

 エルシオールの格納庫付近も執拗に狙われている。

 

 今は1,3,5番機がその弾頭、ネットを撃ち落して対処しているが、相手は5機だ。

 この特殊弾頭も無限ではないだろうが、今はエルシオール側が不利と言える。

 

「他に情報は?」

 

『そうだな。

 通信を傍受したところ、どうやらこの戦闘機、遠隔自爆装置があるみたいだ。

 ゴドウィン卿ご自慢の恐怖政治だな』

 

「やはりそんなところか」

 

 ガルド侯爵、ゴドウィン・T・ガルドが敷いている政治は、所謂『恐怖政治』だった。

 暴力にも等しい圧力政治と、厳しい刑罰、情報操作。

 それによって、確かに秩序ある社会を築いていたし、皇国としてもそれで良かった。

 だが―――

 

「ミント、この敵機を撃墜せずに行動不能にだけする事はできるかい?」

 

『難しいですわ。

 この方々、決して腕の悪いパイロットではないですから』

 

「そうか」

 

 解っていた答えだが、確認の為聞いてみた。

 タクトが見ても、このパイロット達の腕は高い。

 流石にここまで無人艦相手に逃げ延びただけの事はある。

 

 しかし、今見れば、撃墜されるという死の恐怖に加え、味方から爆破される恐怖に挟まれている。

 それ故の危うさと、動きの固さがある。

 

「自爆装置か。

 かなり厳しいな」

 

 元より、攻撃してくる戦闘機を停止させるのは難しい。

 相手が使っている様な捕縛用の兵装があれば良かったが、生憎容易がない。

 全く無い事もないが、まるで足りない。

 

 それが無いとなると、攻撃して撃墜寸前まで追い詰め、撤退させるか、推進装置だけを破壊して行動不能にするかだ。

 だが、自爆装置まで付いているとなれば、それも難しい。

 勿論自爆装置が外部の損傷で簡単に働いていては、有能なパイロットを失う事になりかねないから、その点は厳重だろうが、戦闘による損傷でどれほど期待できるか解らない。

 後は、母艦を狙う方法だが、こちらも、今後も無人艦の居る宇宙を渡るとなれば、損傷はできるだけ避けたい。

 ゴドウィンは兎も角、中に居る人は本当に民間人なのだから。

 

 戦闘力を奪うにしても、人死が出かねず、母艦も狙えない。

 内部制圧による降伏勧告は、ランファ次第だが、時間が掛かるだろう。

 このままでは、エルシオールが行動不能になってしまうかもしれない。

 それは避けねばならないから、タクトは戦闘機に対して攻撃命令を下すしかない。

 決して悪ではない人間に対し、エンジェル隊に撃墜の命令を下すかどうか、それが問題だった。

 

 だが、その時、天使が囁いた。

 

「タクトさん、私がやります」

 

「ヴァニラ……

 もしかして、ナノマシンを使うのか?」

 

 突然、最もそう言った事をさせたくない少女が言い出した。

 しかし、改めて考えれば、確かにヴァニラ程の適任者は居なかった。

 

 あるのだ、方法が、もう一つ。

 5番機のナノマシンは、今まで紋章機の修理にのみ使用してきた。

 しかし、機体を直せるという事には分解も含まれ、それは壊す事もできるという事だ。

 そして、ナノマシンを使えば、推進装置だけ、武装だけ、自爆装置だけを狙って安全に破壊する事もできる。

 

 ただ、直す為のナノマシンで、安全な停止の為とは言えナノマシンを使って破壊活動を行う。

 それについてヴァニラはどう考えているのか。

 

「恐怖で縛られた人達が居ます。

 戦いを止めたのに、止められない人が。

 私は、この方々を治療したい」

 

 まだ捕縛用の兵装しか使われていないとは言え、戦場で少女はそう告げた。

 戦闘中である為、ヴァニラからタクトの瞳を見ることはできずとも、タクトはその真っ直ぐに患者達を見る視線を見ることができる。

 諦めなどではない、自己弁護でもない、確かな意思がここにあり、ヴァニラはナノマシンを医療に利用すると言っているのだ。

 

 問題があるとすれば、慣れ親しんだ紋章機相手の修理でも多大な集中力が要求される筈なのに、攻撃し、逃げる敵機相手に精密な破壊活動をナノマシンに命じる事ができるのか、である。

 それも、自分も相手の攻撃を避け、敵機と距離を保たなければならないのだ。

 それが一体どれ程の負荷となるか、それにヴァニラが耐えられるのかが解らない。

 

 だが、それにタクトは応えた。

 

「よし。

 やってみろ、ヴァニラ。

 君の力で、彼等を救うんだ」

 

「はい」

 

「ならば、っと。

 ヴァニラ、ちょっとごめんよ」

 

「タクトさん? 何を?」

 

 ヴァニラに命を下したタクトは、次に行ったのは移動だった。

 操縦席の脇に立っていたタクトは、操縦席に座るヴァニラを一度抱き上げ、自分が操縦席に座って、自分の膝の上にヴァニラを乗せる。

 そうして、ヴァニラが持っている操縦桿をヴァニラの手の上から握った。

 

「操縦は俺に任せろ。

 操縦も込みでは難しいだろうけど、医療活動だけなら、君の専門分野だ」

 

「はい」

 

 タクトが戦闘機の操縦ができるなど、聞いた事がない。

 しかし、タクトが一緒に握る操縦桿に、力強さを感じたヴァニラは、ただそう応えた。

 

「セッティング、少し変えさせてもらうよ……っと。

 これで、あ、ヴァニラちょっと右足を、そう」

 

 紋章機は、H.A.L.Oの適合者しか動かせない。

 移動させる程度ならさして適合はいらないが、戦闘機動となれば皇国中から選び抜いたエンジェル隊でなければならない。

 しかし、逆に言えば、H.A.L.Oの適合者が居れば、それだけでも動く事ができ、操縦桿は他者が動かしても動く。

 H.A.L.Oには操縦補助システムもあり、適合者の思考と操縦桿の動きがバラバラでは動かなくもなるが、それもセッティング次第でどうにかなる。

 もとより、操縦補助なしでも、セミオートからマニュアル操作にするだけの事で、操縦に支障は無い。

 そう言った、2人で動かす時の為のセッティングを施し、タクトは5番機の操作権限を獲得する。

 

「よし、じゃあ、行くよヴァニラ」

 

「はい」

 

 そうして、この宇宙を天使が駆ける。

 

 

 

 

 その姿はブリッジからも見ることができた。

 

「敵戦闘機は5番機に一任。

 3番機は5番機の補助に回れ、1番機、4番機はこのままエルシオールの護衛を続行」

 

『了解!』

 

 冷静に指揮を続けるレスター。

 それに対し、

 

「え、マイヤーズ司令って戦闘機の操縦までできるんですか?!」

 

「いえ、その前に、何で紋章機のセッティングを弄れるの!?」

 

 会話の内容もちゃんと聞いており、紋章機の状態についても情報の入るブリッジ。

 その様子には、白き月の巫女であるアルモとココは驚かざるを得ない。 

 同じパイロットとして、ミルフィーユ達も問いたい疑問だろうが、今は戦闘中だからか、何も言ってきていない。

 

「ああ、クリオム星系の駐留軍だった頃も、シミュレーター乗ってたしな。

 パイロット技能はある。

 実は、士官学校時代、最初タクトはパイロット志望だと思っていたくらいだ。

 いや、その頃には既にパイロットの技能は持っていたが、改めて取り直していた感じだった。

 俺があの頃、タクトに勝てる科目があったのは、パイロットの訓練と講義まで受けていたからだろうな」

 

 紋章機の事に関して以外は、レスターには特に驚くべき事ではなかった。

 むしろ、何故司令官をやっているのかという方が疑問だったくらいだ。

 しかし、『パイロットになる事はない』というのが、本人からの言葉だった。

 

「あの、パイロットと仕官の両立なんてできるんですか?」

 

「ある程度はな。

 だが、パイロットになるのは至難だ。

 軍では毎年パイロット志願は定員の10倍以上の数の応募がある。

 それを定員まで絞り、更に軍学校時代の最初の1ヶ月間で3割が振り落とされ、卒業し着任できるまでになるのは入学時の半分にもならない。

 志願から計算すれば20倍の倍率だな。

 それも、戦闘機の操縦補助システムが進歩した最近の話で、昔はもっと酷かったらしい」

 

 戦闘機に関しても、ロストテクノロジーの力はどんどん使われるようになっている。

 それによって、操縦は比較的簡単になったが、それでも尚戦闘機のパイロットになれるのは狭き門だ。

 それを、士官学校に入った当初には既に持っていたタクトに、レスターは嫉妬を覚えた事もあった。

 

「話はここまでだ。

 戦闘に集中しろ。

 敵も対応を変えてくる筈だ」

 

「了解」

 

 今は過去に思いを馳せる時間ではない。

 今は、この現実を打破する時間。

 意識を集中させ、あらゆることに目をむけ、考え続ける。

 この戦いに勝つことを。

 

 

 

 

 

 敵の動きは明らかに変わった。

 エルシオールを攻撃していた3機と、護衛についていた戦闘機の2機を合わせ、合計5機が5番機の対処に動き出したのだ。

 敵の通信は全て傍受する事はできないので、細かい司令の内容は解らないが、5番機をどうにかするつもりなのは確かだ。

 

「ミント、まずは目の前の突撃仕様機をやる。

 他の機体の動きを攪乱してくれればいい」

 

『了解ですわ』

 

「ヴァニラ、いいね」

 

「はい」

 

 簡単な作戦の下、タクトは操縦桿をたおし、ペダルを踏む。

 交差するところだった突撃仕様機が、直前でネットを発射するが、それが展開しきる前に通り過ぎる。

 丁度、真正面から交差した事になり、今敵機は真後ろだ。

 タクトは、やや緩やかなカーブで旋回し、敵機を追う。

 敵機も旋回し、5番機を再び照準に収めようとする。

 敵機も高性能機で、速度、旋回能力も今程度の出力の紋章機では並ばれてしまう。

 互いに旋回と捕捉を繰り返しつつ、ついに5番機は敵機に背後を取られた。

 そして、再び捕縛用の特殊弾頭を発射された、その時だ。

 

 ブワッ!

 

 5番機はそこで急速な逆噴射で停止寸前まで機体速度を落とした。

 それと同時に、その場で宙返りをするように機体を上下方向に旋回させる。

 本来こんな急減速と急加速はパイロットに多大なGを与えるが、そこはパイロットスーツすら要らない紋章機だ。

 そよ風程にしか圧力を感じない。

 

 パシュゥンッ

 

 5番機の速度も計算に入れて発射された特殊弾頭は、5番機を見失い、更に敵機本体もそのまま5番機を通り過ぎてしまう。

 5番機は旋回しながら加速、通り過ぎた敵機の真後ろに付く。

 一瞬で立場を逆転させたのだ。

 戦闘機としては、基本的な戦術の一つだが、エルシオールにある5機の紋章機の中では最も小回りの利く5番機だがからこそできた事でもある。

 そして、基本的戦術であるが故、これは敵機にも可能なの事であり、返される可能性もある。

 

 しかし、ここからだ。

 

「ヴァニラ」

 

「はい。

 ナノマシン散布」

 

 一度後ろを取った時点で、タクトの合図の下、ヴァニラは行動を開始する。

 修理用として使ってきたナノマシンを散布し、敵機を包む。

 敵機は、何をされるのか解らない為、そのナノマシンを振り切ろうとするが、5番機はその後ろに張り付き続け、ナノマシン自体は振り切られても、散布し続ける事で補う。

 全速で飛ぼうが、敵機の全速は5番機とほぼ同等。

 旋回能力も、やや5番機が上、先ほどタクトがやった様に速度に緩急をつけた動きも、加速、減速共にやはり5番機が性能的にも上を行く為、振り切らせない。

 タクトはこの時の事を『紋章機5番機の性能だからこそ、性能に頼りきってできた事だ』と言ったが、それ以上に技術も必要な筈だ。

 

 1機の後方に張り付いている中、周囲の敵機は援護しようとするが、あまりに2機が近すぎる為援護射撃も出来ない状況だ。

 それに、ミントもフライヤーを使って牽制している。

 フライヤーは射撃をさせなくとも、そこに在るだけで、戦闘機はそれを避けて通らせる障害物となる。

 ミントは、射撃をしない事で、普段より多くのフライヤーを一度に展開し、敵を攪乱していた。

 

 そうして、90秒が経過した。

 

「見つけました。

 自爆装置解除、推進システムダウン」

 

 ヒュォォォン……

 

 ナノマシンに包まれていた敵機が突然減速する。

 完全に停止はしないが、自分の機体の姿勢を制御するだけで精一杯といったところだ。

 

「自爆装置は解除。

 推進システムは伝達経路を電気系障害を起こし、出力が上がらない様にしました。

 帰艦してください」

 

『……っ!』

 

 ヴァニラは、敵機に通信を繋げ、そう呼びかける。

 相手側はヘルメットもしているので、表情も解らないが、ただ驚いている事は解る。

 返答のないまま、通信を閉じ、次の相手に取り掛かる事にする。 

 

 

 

 

 

 その後も、タクトとヴァニラは1機ずつ、確実に処理を続けていった。

 2機目から、レーザー、ミサイル等の通常攻撃をもされるようになり、タクトを捕らえる事も諦めたらしい。

 背後に張り付いている間も機銃などの攻撃を受ける様になったが、タクトはその攻撃範囲を見切った位置取りをするだけだった。

 この敵機は全て、先の戦闘で味方として一度見ているのだから武装の見極めは既に終わっている。

 5番機はシールドの性能も高いが、タクトはほとんどシールドを使う事はなかった。

 シールドを展開すれば、ナノマシンの散布に支障が出る為だ。

 回避に専念し、危ない時は、マニュアル操作でシールド発生位置を指定した使い方をするだけだった。

 

 敵機の処理も高速化する。

 ヴァニラは、1機目で構造を理解した為、後は30秒も貼り付けば同じ処理が可能となり、既に6機の処理に成功していた。

 そんな姿を攻撃を受けなくなったエルシオールの傍から見るのは、ミルフィーユとフォルテだ。

 

『あんな戦い方、ヴァニラもした事はないんだがね』

 

 エルシオールを攻撃していた機体も全て5番機の方に向かった為、護衛として残ってはいるがやる事はない1番機と4番機。

 とは言え、手伝いに行こうにも、乱戦になってしまうのでできないし、護衛は3番機だけで十分だ。

 そんな状況だから、戦況を離れた位置から観察する事ができ、フォルテはそんな感想を呟いた。

 

「あのナノマシンの使い方。

 確か、想定はされていて、機能としてはあるとは聞いてましたけど」

 

『ああ。

 でも、基本的にレーザーやミサイルで攻撃した方が早いってんで、結局お蔵入りした機能さ。

 ヴァニラとしても、修理に使っている方が良かった筈だしね』

 

「それを、こんな実戦で使いこなすなんて、ヴァニラは凄いですね!」

 

『操縦はタクトがしているとはいえね』

 

 ミルフィーユとフォルテ、そしてミントも、タクトが戦闘機の操縦ができる事については、勿論驚いている。

 だが何故か、どこかでそれくらいはできてしまう様な気がしていた。

 タクトは、どこかでエルシオールや紋章機に関わってきたと、そう思える情報はいくつもあったのだから。

 しかし、ここまで紋章機を乗りこなせるとなれば、ミルフィーユ達は自分たちの想定が全く甘いものだったと思い知らされる。

 

 今タクト達がやっている事は、複座の戦闘機と同じようでいて、全く違う。

 本来1人乗りで、1人で操縦する様にセッティングされている筈の紋章機を2人で動かす事は、二人羽織に近い。

 セッティングをいじって、それを複座に近い形にする事は、あんな短時間でできる作業ではない。

 予め、そう言うセッティングが内臓されていない限りは。

 

 本来、こんな二人羽織の様な動かし方をすれば、H.A.L.Oシステムも不安定になる、そう考えていた。

 しかし、実際はどうだ。

 今の5番機は、前回の戦いよりも高い性能を出している。

 民間人を救うというテンションが上がって当然の戦闘の時よりも、明らかに出力も上がっているのだ。

 

 それに―――

 

「フォルテさん。

 ハーベスターから羽の様な物が見えませんか?」

 

『ミルフィーにも見えるって事は、私の錯覚じゃなかったのか。

 確かに、アフターバナーから羽が舞い散っている様に見える』

 

 今、5番機は、飛んだ後に羽を残して飛んでいた。

 まるで天使が羽ばたいている様に。

 今は翼は無くとも、その痕跡を見せるかのように。

 

 こんな事、今まで無かった事だ。

 

 

 

 

 

 5番機はいよいよ最後の敵機の処理に掛っていた。

 大型艦を護衛していた機体も含め、最後の機体だ。

 一応正面から攻撃はしてくるものの、ミントの援護もあって、実にあっさっり処理に成功した。

 これで、敵戦闘機は全て行動不能となった。

 

 残るは大型艦のみ、そうなったところで、通信が入った。

 大型艦のブリッジ、ゴドウィンからだ。

 

『見事だ、タクト・マイヤーズ。

 降伏しよう』

 

 ゴドウィン側からの降伏。

 大型艦は持っていた武装も解除し、ゴドウィンは全てを諦めた、しかし威厳だけは失わない目でそう敗北を告げた。

 力と恐怖で人を従えて来た者が、敗北を認める。

 引き際も弁え、全てを覚悟しているのが伺えた。

 

『既にブリッジ以外は内乱者に制圧されている。

 代表者と連絡をとるがいい』

 

「ガルド卿……」

 

 タクトは、言うべき言葉が思いつかなかった。

 だが、タクト側から動かなければならない。

 タクトはまずランファに連絡を取った。

 

「ランファ、そちらは?」

 

『そっちが終わらせたから、敵も降伏しているわ。

 というか、脱出に動いていた時には、既に内部の反乱も動いてたみたいね。

 更に言うなら、それ以前から工作、説得は進んでて、私もやる事が殆ど無かったわ』

 

「そうか」

 

 更に、ランファはアレンと話し、通信を繋ぐ。

 ブリッジは既に降伏しているが、アレンがそこまで移動するのは時間が掛かる為、ランファとの通信回線を利用しての通信となった。

 

『タクトさん、レスターさん、お久しぶりです』

 

 既に正体が明らかとなっている青年、アレン・ヴァイツェンは、タクトとレスターが良く知る笑顔でまず挨拶を送ってきた。

 

「3年ぶりか、アレン君。

 早速ですまないがそちらの事情は話してもらえるのかな?」

 

 久しく会っていなかった知り合いであり、友でもある相手。

 しかし、積もる話をするのは今ではない、まずは互いの仕事を済ませる事を先決する。

 

『宇宙皇国警察としての守秘義務がありますので、あまりお話できる事はありません。

 ただ、私はゴドウィン・T・ガルドに掛っていた疑惑の調査の為に潜入していました。

 内容については詳しくはお話できませんが、証拠も揃い、逮捕に至りました。

 現時点を持って、ゴドウィン容疑者はガルド星系における権限は失効となります』

 

 アレンの職業から、こんな場所に居るには意味が在るとは思ったが、ゴドウィンは何かしらの犯罪を犯していたという事になる。

 そして、潜入捜査として、アレンは正体を隠していた。

 

「そうか。

 では、全員に知らせよう。

 恐怖の一つが潰えた事を」

 

『はい』

 

 既にゴドウィンの降伏は艦内と外のパイロットにも伝わっている。

 だが、改めて宣言される。

 ゴドウィンによる恐怖は終わった事を。

 背後から刃を突きつけられながらの戦いが無くなった事を。

 

 状況の整理にはまだ時間が掛かる。

 タクトこれから一度戻るか、大型艦に入るか、決めるところだった。

 だが、その前に、一つの通信が入った。

 この5番機に対して、

 

『ありがとう』

 

 それは敵だった戦闘機のパイロットの1人からの通信。

 タクトと、ヴァニラに向けられたただ一言の感謝の言葉。

 しかし、解放された喜びを伝える確かな言葉。

 ヘルメットを外して見せたその素顔は、ヴァニラが治療した者の1人だった。

 そして今、本当に痛みから解放された事で、安らかな笑顔を見せている。

 

 短い通信は、相手側から閉じられた。

 一応敵だった身の上を気にしての事だろう。

 だが、それでも伝えておきたかったのだ。

 

「ヴァニラ、君の力だ」

 

 今の感謝の言葉は、ヴァニラが受け取るべきものだ。

 誰一人死者を出さずに相手を降伏させることが出来たのは、ヴァニラの力あってこそ。

 ヴァニラは、確かに彼等を恐怖を治療する事ができた。

 

「いえ、私は―――」

 

 ヴァニラはタクトの言葉に一度目を伏せた。

 しかし、次に目を開き、タクトを見上げる。

 意を決した瞳で。

 

「タクトさん、いつか必ず、貴方も―――」

 

 そう言って、手を伸ばしたヴァニラ。

 しかし、そこまでだった。

 

「ヴァニラ!?

 ……流石に疲れたか」

 

 ヴァニラは気を失っていた。

 事前の疲労もある上での戦闘と、長時間に及ぶナノマシンの治療、そこから脱出劇に、更にナノマシンをフル活用した戦闘までこなしたのだ。

 味方機を直すのとは違い、逃げる敵機をナノマシンで処理する為、大量のナノマシンを散布し、操作していた。

 それがどれ程負荷だったか、タクトには解らない。

 だが、言うべき事が一つある。

 

「お疲れ様、ヴァニラ」

 

 きっとヴァニラの師シスター・バレルもきっと喜んでいる事だろう。

 孤児だったヴァニラを育てた、当時のナノマシン医療の第一人者シスター・バレル。

 シスター・バレルの傍で育ったが故に幼い頃からナノマシン医療を傍で見て、10にも満たない頃に技術を習得したヴァニラ。

 しかし、魔法の様な医療技術も老衰による死を助ける事はできない。

 今ですら子供と言えるヴァニラが、更に幼い頃に、ナノマシン医療技術を身につけながら、老衰で死に行く養母を助けられなかった過去は、ヴァニラにどれ程の影響を残したか。

 

 しかし、もう心配は要らない。

 タクトにはそう思えた。

 

 ヴァニラが最後に言いかけた言葉は、タクトには解らない。

 ただ、タクトがやるべき事は決まった。

 ヴァニラが意識を失った事で、タクトの独力で動かさなければならなくなったが、エルシオールまで戻り、ヴァニラを休ませる事が最優先事項だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、20時間を掛けて後処理が行われた―――らしい。

 らしい、とはヴァニラはそれに関わる事はなかったからだ。

 タクトに抱きかかえられエルシオールに帰って来たヴァニラは、その後丸一日眠った。

 ケーラからは重度の疲労と診断され、後一日は安静にしているようきつく言われている。

 

 尚、今回の件についてはタクトもケーラからさんざん説教を受けたらしい。

 働かせすぎだと。

 ヴァニラは自分の意思で働いていたのだから、タクトを責めるのは間違っているのだが、タクトは指揮官として管理を怠ったと、自らの責任としている。

 ともあれ、今回の事件は既に解決したのだが、今のところヴァニラにはその内容が解らない。

 仕事の話も禁じられているのだ。

 

「困りました」

 

 休め、といわれているのだが、睡眠は既に十分とっている。

 確かに疲労はまだ残っている様だが、何もする事がないと退屈だ。

 

 退屈。

 そんな事を感じるなどヴァニラには今まであっただろうか。

 休暇も、医学書を読んだり、別の技術書を読んだりと、学ぶ事に時間を費やしていた。

 そして、別の時間の使い方をヴァニラはあまり知らない。

 一つ上げるとすれば、クジラルームにいる動物達を眺める事くらいだろう。

 だが、それも部屋から出るなという指示がある為できない。

 

 それに、部屋から出てはいけないとなると、食事はどうしようか。

 と、考えた時だった。

 部屋に来客を告げるチャイムが鳴る。

 見れば、タクトが扉の前に居た。

 

「やあ、ヴァニラ体調はどうだい?」

 

「はい、大分回復しました。

 タクトさんにはご迷惑をお掛けしました」

 

「いや、いいよ。

 俺が無理をさせたんだしね。

 と、これ食事ね。

 後、これはお見舞いの定番、フルーツ盛り合わせをエンジェル隊一同から」

 

「わざわざ運んできてくださったのですか?」

 

 扉を開けてみれば、タクトは手にお盆を持ち。

 そこに食事が乗ち、腕にはフルーツの入ったバスケットを持っていた。

 

 とりあえず、タクトが運んできてくれた食事を摂る事となった。

 タクトは、食器類を持ち帰る気らしく、そのまま留まり、リンゴの皮をむいたりしていた。

 と、そこでふと食事の中に見なれない物があるのに気付く。

 エルシオールの食堂メニューには無かった物。

 スープと大豆の炒め物。

 

「あの、タクトさん、これは?」

 

「ああ、ケーラ先生と相談したんだけど、今日の食堂のメニューには疲労回復に丁度いい物がなくてね。

 材料と場所を借りて先生と一緒につくったんだ。

 俺が作ったのはスープの方ね。

 昔風邪を引いた時とかに祖母に作ってもらっていたものでね、ニンニク入りでちょっと匂いが気になるけど、疲れている時には良いと、ケーラ先生のお墨付きをもらったよ。

 大豆の炒め物はケーラ先生の家庭で作られていた物、ケーラ先生なりのアレンジが加わっているらしいよ。

 スープは一応味見してるから、食べられる物にはなってる。

 ケーラ先生の方は料理も手馴れてるみたいだから心配ないけど」

 

「そんなわざわざ」

 

 食事を作ってもらう、というのはエンジェル隊ならばミルフィーユが良くしていることで、ヴァニラもそれを楽しんでいる。

 だが、それ以外ではなかった。

 食事は基本食堂で、食堂の食事はおばちゃん達の手作りだが、それ以外の、こんな身近な人たちが作ってくれる食事は経験がなかった。

 

「どうして、タクトさんやケーラ先生は、そこまでしてくれるのでしょうか?」

 

 ヴァニラには解らなかった。

 自分にそこまでしてもらえる理由が。

 タクトならば、司令官としての部下の体調管理もあるだろうが、それでもここまではしないだろう。

 

「不思議かい?」

 

「はい」

 

「そうか。

 でも、俺もそれを上手く言葉にできる自信はないな。

 ただ、心配する気持ちは理屈で語れるものではないと思う。

 俺もケーラ先生も、ヴァニラを大切に思ってるんだよ。

 勿論エンジェル隊の皆も」

 

「それは……ありがとうございます」

 

「いや、お礼を言われる様な事じゃないよ。

 今日はゆっくり休むんだよ」

 

「はい」

 

 その後は、静かな食事が続いた。

 タクトも、静かにリンゴなどの皮を剥き、時折自分で食べたりしていた。

 静かな、けれどどこか安心できる時間だった。

 

「ごちそうさまでした」

 

「はい、おそまつさまです。

 じゃあ、食器は持っていくよ」

 

「すみません」

 

「気にしない、気にしない。

 あ、そうだ。

 これ、アレンから受け取ったヴァニラが治療した人たちからのお礼の言葉」

 

「え?」

 

 お盆を片手でも持って、タクトはポケットからメモリーディスクを取り出し、テーブルに置いた。

 

「皆からの感謝の言葉さ。

 暇があったら読んでみるといい。

 あ、それと、ラウンジとクジラルームくらいなら出かけていいよ。

 でも仕事はしないように。

 じゃあ、またね」

 

「はい」

 

 タクトが部屋を出た後で、ヴァニラはタクトが置いていったメモリーディスクを手に取った。

 医療行為をしていれば、感謝される事もよくある事だ。

 ただ、こうやって手紙として受け取るのは初めてだった。

 

 中身は、タクトが言う様に、ヴァニラが治療した人たちからの感謝の言葉が綴られていた。

 文章で、映像で。

 治療した中には、ナノマシン医療を最初は拒んだ人もいたが、その人からも謝罪と感謝の言葉が届いていた。

 ナノマシン医療は、ナノマシンを身体に侵入させる事に抵抗感を持ったりと、まだ心理的に受け入れられていない部分がある。

 だから、拒まれる事もしばしばある事で、抵抗される事もあった。

 けれど、今回は、治療した人から、治療した事を心から感謝する言葉が届いている。

 ヴァニラがやった事は間違っていなかったという証言だ。

 

「いつか、きっと―――」

 

 ナノマシン医療はまだまだ広まっているとはいえない。

 魔法の如く便利で、有効な治療方法だが、さまざまな問題でまだ一部でしか使われていない。

 ヴァニラは考える。

 この医療を広める方法を。

 誰もがこの治療を受けられる様になる世界を。

 

「でも、その前に―――」

 

 ただ、それ以前の問題としてやるべき事がある。

 診なければいけない患者がいる。

 治すべき傷がある。

 ヴァニラは、新たな決意を固めていた。

 

 そして、どちらを実現するにも、まずこの戦いに勝たなければならない。

 全ての未来を得る為にも。

 

 

 

 

 

To Be Continued......

 

 

 

 

 

 後書き

 

 6話でした〜。

 これにてエンジェル隊5人の個別シナリオが終わりました。

 いやぁ、どんだけ時間かけてるんでしょうねー。

 1話の更新日時を見るのが怖い……

 

 因みに、前半にある格闘訓練は実は前話のアップ3日後には完成してました。

 容量的には1/3が書きあがったので、これは直ぐに書き終わるか、と思ってたらこのありさまです。

 ホント、執筆が安定しなくて困ります。

 てか、リリカルとらいあんぐるハートは約1ヶ月で2話分書いていたのは夢だったのだろうか……

 

 さて、反省はまたじっくりしておきますので、とりあえず内容的な話を。

 格闘訓練は前話の絡みで必要だったんですが、長くなりましたねぇ。

 最近格闘書いてないなぁとか思って書いてたらこうなりました。

 ん〜、それにしても格闘系は戦闘がない物を書いてないから、いい加減書きなれたかなぁとか思ってたら、やっぱり全然ですね。

 改めて小説の難しさを体感するだけでした。

 書き始めたことから成長してませんしねぇ。

 因みに、格闘戦を書くときの資料は主に某ケンイチとか某るろ剣です。

 家には銃がメインの漫画、小説、アニメが無い為、銃撃戦とか苦手なんですよね〜。

 資料用に何かまた買おうかと思う今日この頃です。

 

 内容的な話になっていない気がする。

 えー、上にも書いてますが、6話にて個別シナリオが終わったので、次からいよいよ、な展開が待ってます。

 既に大分改変してますので、今後も結構変わってくると思います。

 ネタバレ的な話になりそうだからあまり書ける事がないなぁ。

 ともあれ、そんな感じになりますので、それでも見ていただけるかたはまた次回でお会いできればと思います。

 では、また次の話で〜。








管理人のコメント


 6話です、何時の間にか個別シナリオ終わってたとか……。

 次回からは一気にオリジナルとの差異が出てくるんでしょうかねぇ。

 今回でも原作ではなかった事柄とかありましたし。

 しかし、それにしてもタクトは変に多芸ですねぇ。

 おそらくいまだ語られない過去に要因があるんでしょうけど。

 それも次回あたりから語られそうなので楽しみですね。



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