二つの月と星達の戦記

第9話 光の翼

 

 

 

 

 

 絶望の闇の中、男はここに言葉を紡ぐ。

 

「我―――

 我、タクト・トランスバールの名に於いて命ず!」

 

 クロノ・クエイクの大混乱を治め、トランスバール皇国を築いた一族の姓を持って。

 

「目覚めよ、『エルシオール』!」

 

 人々に光と、漆黒の空を羽ばたく力をここに示す。

 

 アアアアアアッ!

 

 人々がその言葉の次に先ず耳にしたのは女神の声。

 永い眠りからの目覚めの声。

 そして、やっと担い手が自分を必要としたのだという歓喜の唄だ。

 

 ィィィンッ!

 

 ほぼ全ての機能を失っていた筈のエルシオールが力を取り戻した。

 いや、取り戻したのではない、これは真実『目覚めた』のだ。

 コンソールには光が点っただけでなく、今までに無い、眠っていた機能まで呼び覚まされ、その意味を表示する。

 それだけでも、今までエルシオールに関わってきた白き月の巫女達にとっては驚愕すべき事。

 今までずっと使ってきたつもりで、実は全くエルシオールの事を知らなかったのだと思い知らされる出来事だ。

 だが、そんな驚きなど小さいものだ。

 タクトが名乗った『姓』と、あまりの出来事にタクトへと視線が集中するなか、現れた人の姿を見れば―――

 

 ブワッ!

 

 光を取り戻したエルシオールのブリッジ、その司令官席の正面に光の粒が集まった。

 それはやがて人の形をとり、人の姿となる。

 淡い緑の長い髪を靡かせた、白いドレスの様な服を纏った美しい女性。

 もし白き月の巫女に口を開く余裕があったなら、『シャトヤーン様』と呼んだかもしれない。

 だが良く見れば違う。

 よく似ているが少なくとものシャトヤーンではない事は確かだった。

 しかし、あまりによく似ているその姿はとても幻想的で、当代のシャトヤーンでもそう言われるが、現れた女性はそれよりも上、現実味が無いとすら思える。

 

「おはようございます、タクト」

 

 女性が口にした言葉、その声色もやはりシャトヤーンに近く、しかし少し違う声だ。

 まるで夢でも見ている様な光景だが、これは紛れも無い現実。

 

「大きくなったわね」

 

 まるで母が我が子の成長を喜ぶかの様に、その女性はタクトを見て微笑んだ。

 だが、当のタクトは悲しげな顔をしている。

 

「おはよう。

 状況はどれくらい解っている?」

 

「起き抜けですもの、あまり。

 とりあえずネガティブクロノウェーブが掛かっていたから除去したくらいよ」

 

「では前を」

 

「あら、アレは黒き月ね。

 生き残っていたの。

 それにエオニアはあそこかしら?

 立派になったみたいね」

 

 タクトに促されて前を見たその女性は、嬉しそうだった。

 タクトに向けたのと同じ様に慈しむ笑みを見せる。

 黒き月にも、エオニアに大しても。

 

「では次は後ろを」

 

「あの死に行く星の事を言っているのかしら?」

 

「あの破壊を齎したのは黒き月で、エオニアだ」

 

「そう……」

 

 タクトが教えた事実に、悲しげな顔をする女性。

 それは何に対してなのか、言葉にしていない為誰にも知る術は無い。

 

「現在俺はエルシオールでエオニアが率いる黒き月と交戦状態にある。

 完全な敵対関係だ。

 それを理解したなら力を貸してくれ」

 

「あまり状況がよく解らないわ。

 なればこそ、今は貴方の判断を信じましょう」

 

「ありがとう『エルシオール』」

 

 タクトが口にする『エルシオール』という言葉。

 それは今までタクト達が乗る戦艦の名前だった筈。

 しかし、この場の誰もが理解する。

 それはこの女性の名前であると。

 ならばこの女性とは―――

 

「メインブリッジを使う」

 

「メインブリッジを? でも貴方の権限ではH.A.L.Oシステムの解放はできないけど?」

 

「ならばサラ……いや、当代のシャトヤーンに聞いてきてくれ!

 今は一刻の猶予もない。

 貴方ならそれができるだろう?」

 

「遠隔での承認? あまり好ましくないのだけど。

 いいわ、聞いてくるから少し待ってて。

 当代のシャトヤーンは白き月ね?」

 

 少し困った顔をしながら、女性『エルシオール』はその姿を消した。

 そして僅か数秒後、再び姿を現す。

 その状況から皆も気付いただろう。

 この女性『エルシオール』はこの船の意思であり、この姿は立体映像なのだと。

 故に『エルシオール』の名は船の名であり、この女性の名でもある。

 

「承認を貰ったわ。

 規定に従い、遠隔地だから限定的な解除になるけど」

 

「それでも今はいい。

 シヴァ皇子、一緒に来てください。

 貴方の力が必要です!」

 

「あ、ああ、解った」

 

 突然名前を呼ばれシヴァは少し戸惑ったが、一刻の猶予もない事は承知している。

 この状況で自分にできる事があるならば、何でもする覚悟はその瞬間にできた。

 

「レスター、暫くここを任せる」

 

「ああ、行ってこい」

 

 その前にシヴァに声を掛けていた事もあってか、レスターは比較的冷静だった。

 いや、レスターはこれの全てを知っていた訳ではないが、ある程度は推測できていたのだ。

 そして、レスターは既にタクトに付いて行くのだと決めている。

 

「シヴァ皇子、こちらに」

 

「解った」

 

 タクトはシヴァを自分の居る司令官席に呼び、密着するように抱きしめる。

 そして、それを確認してエルシオールはその司令官席を動かした。

 司令官の席、正確には椅子の周囲が椅子とタクト、シヴァごと真下へと下がる。

 そんな機能があるとは誰も知らなかったが、それ自体がエレベーターになっていた様だ。

 そして、タクトとシヴァの姿が床下に消えると、その穴は塞がり、エレベーターの痕跡すら見えなくなった。

 

 下へと移動したタクトとシヴァが見たのはコックピットだった。

 紋章機のコックピットによく似た、しかし前後複座のコックピット。

 このエルシオールのコックピットだ。

 

「シヴァ皇子は前の席へ。

 そちらがメインH.A.L.Oドライブです。

 H.A.L.Oシステムの出力をお願いします」

 

「承知した」

 

 シヴァが前方の座席へ、タクトが後方の座席に座る。

 その間に壁でしかなかった周囲が全てモニターとして起動し、周囲の状況が映し出される。

 レーダーやエルシオール、紋章機の状況も表示するシステムも起動し、レーダーにも真正面にいる黒き月を敵としてマーカーされ、解析されたデータも表示される。

 その中、味方の情報を見ると、紋章機は現在停止中であると表示され、エルシオールもレッドランプが表示される部分がある。

 

「ちょっとタクト。

 私の剣が無いのだけど? それにH.A.L.Oツインドライブシステムも」

 

 周囲と自分の状況を確かめていたのだろうエルシオールが、やや困った顔でタクトの隣に出現する。

 

「ああ、外した。

 平時には過ぎた力だからな。

 こんな事態は想定していなかったんだ」

 

「あら、そう。

 ではどうするのですか?」

 

「システムは外されているが、『繋ぐ』事はできるだろう?

 元々そう言うシステムだったんだ。

 やってくれ」

 

「無茶苦茶ね。

 そこまでしないとダメなの?」

 

「フルドライブで、シャトヤーンがメインに入るならまだしも、ハーフドライブで調整もしていないシヴァ皇子がメインだ。

 あの黒き月の主砲を止めるには、俺も入るしかない」

 

 タクトはパネルを操作しながら、エルシオールとも淡々と会話する。

 自分が関わる事なのは話の流れから明らかであるのに、まるで他人事の様に。

 

「そうね、記録を見る限りクロノバスターキャノンは完成しているみたいだし……

 あ、シヴァ皇子と言ったからしら? 今光っているパネルに手を乗せてくださる?

 パーソナルデータを取ります」

 

 エルシオールは少し困った顔をしつつ、もう諦めている事の様に一度目を伏せるだけだった。

 ただ、その言葉の中にはタクトも知らぬ名前があった。

 黒く月が放った砲、その名前とおもわしきものだ。

 妙に親しげに、馴染みある物の様にエルシオールはその名を口にしたのだ。

 いや、エルシオールには実際そういう存在なのだろう。

 最後に、シヴァの隣まで歩くという動作まで再現して映しながら移動するエルシオール。

 

「解った……これで良いか?」

 

「はい、そのまま暫くお待ちください……あら?」

 

 タクトの情報は持っている為、まだ持っていないシヴァの情報を採取した。

 だが、その時エルシオールはふと首をかしげた。

 

「どうした?」

 

「いえ? まあ状況が解らないので今はいいです。

 そうですね、あの子だけでは確かに出力が不足しますね。

 貴方と当代のシャトヤーンのデータがあるので、調整は楽そうですけど。

 2射目ももうチャージ完了しそうですし……チャージ時間の改良も終わってるのね」

 

 タクトはそんなエルシオールの様子と今の言葉の意味が気になったが、今がそう言う状況ではない事は解りきっている為追求もしない。

 黒き月の主砲、クロノバスターキャノンのエネルギーは、既に普通ではありえない程の数値まで上昇しているのだ。

 

「さっさとやってくれ。

 時間がない」

 

「解りました、仕方ありませんね」

 

 タクトの最後の念押しに、エルシオールは溜息を吐きながら従った。

 そして動いたのはタクトが座る席の後ろ、パネルが一枚外れ、そこから出てくるのは何かのプラグだった。

 そのケーブルとプラグを、エルシオールは艦内の環境調整にも使う重力制御をもって操り、それを―――

 

 ザシュッ!

 

 タクトの背、正確には首の後ろに差し込んだ。

 更に、ケーブルのいくつかを更に肉の内側を移動させ、脳や各部神経に直接接続する。

 

「ぐっ!」

 

「どうした?」

 

 激痛を感じている筈のタクトだが、漏れたのはただそれだけの音。

 しかも、シヴァが気付いて振り返った時には既に表情も戻している。 

 

「いえ……なんでもありません。

 それよりシヴァ皇子、H.A.L.Oドライブを始めます。

 皇子はそれだけに集中してください」

 

 そして、これからが本番。

 他のエンジェル隊ならいざしらず、データ採取くらいにしかH.A.L.Oに関わった事の無いシヴァだ。

 そのシヴァにこそH.A.L.O出力を行って貰うにはタクトの後押しが必要だった。

 

「そう―――皇子、後ろを見てください。

 砕かれた星を、そこで消えた命を。

 貴方が護る筈で、護れなかった人々を。

 そして、今更に命が奪われようとしています。

 それをただ感じ、考えてください。

 貴方が今なにを思うか、それをここで示すのです!」

 

 それはエルシオールに今タクトが使おうとしているシステムの使用許可を取り付けた情景。

 だが、ただ一撃の砲で星が殺されるという、あまりに現実味の無い光景故、それによる被害の想像が追いつかなかった。

 それを今、シヴァに自覚してもらう。

 エルシオールに聞けば大凡の数は出てくるだろが、データとしての数はこの場合邪魔にしかならない。

 ただ、穿たれた惑星ロームは、ほぼ資源採掘用の惑星の為、人口は少ないが、それでも住んでいる人の数は億を下らない。

 そこに住む他種の生命で言うならば更に増える。

 

「砕かれた星……消えた命……護る筈だった……護る筈だった―――

 ……あ、あああ……あああああああっ!!!」

 

 シヴァは最後の皇族として既に決起している。

 これ以上民衆を苦しめない為の方策も考えていたことだろう。

 だが、それも全て崩された。

 一体何人の人間がここに居ただろうか?

 自分の名を持って集まってきた人も多かった筈。

 それにロームに人々に至っては、ここに軍が集まったからという理由での被害だ。

 彼等にはなんら落ち度はないのに、こうして住んでいた星ごと殺される結果となった。

 

 それに、星を撃たれるという行為は、シヴァがここまで逃げてくる理由、本星への攻撃という記憶もある。

 シャトヤーンを置いて逃げ出したあの時の記憶までフラッシュバックする中、シヴァのテンションは過去にない程高まる。

 悲しみという、本来テンションを下げる感情すら絡みつき、上り詰める怒りという名の爆発的テンションだ。

 

 アアアアアアアッ!!

 

 エルシオールもそれに呼応して嘆く。

 そしてそれを力とし、今翼が開かれる。

 女神の翼が。

 白き月の剣たる女神が今此処に顕現する。

 

「タクト、子供にするにはあまりよろしくないかと思いますよ? 今のやりかた」

 

 それを自身の事として感じながら、エルシオールはタクトの隣に立っていた。

 

「そうだな。

 俺はどうやっても親にはなれまい」

 

「……??」

 

 タクトの諦めた様なつぶやきに対し、エルシオールは何故か首を傾げる。

 タクトはそれに気付く事はなく、エルシオールも今は追及しない。

 黒き月の主砲は今まさに発射されようとしている。

 

 

 

 

 

 一方、黒き月のエオニアもエルシオールの目覚めが観測されていた。

 エルシオールの重心となる位置、エンジン部のやや前方の左右から巨大な光の翼が生える。

 白き月の剣、剣たる女神がその姿を現したのだ。

 しかし翼は2対で数は足りず、色は赤に近く理想とされる色には程遠い。

 そもそも剣たる女神がその象徴たる『剣』も今はないので、目覚めたといってもまだ起き抜けの状態でしかない。

 だがそれでも、今この現状を打開しうる皇国最強戦力である事には変わりない。

 

「見ているか? ノア。

 まだ不完全とはいえ、エルシオールが目覚めたぞ」

 

 玉座の様な司令官席に座るエオニアは、その姿をただ笑みをもって見つめていた。

 この状況を打開されてしまうかもしれない敵戦力に対し、脅威も警戒の念もなく、ただエオニアは再びこうして姿を見れた事を喜んでいる。

 

「ええ、見ているわ。

 不完全すぎてあまり参考にはならないけど、懐かしいわ」

 

 そして、不思議な少女ノアもまた、敵である筈のエルシオールになんら敵意も抱いている様子はなかった。

 それどころか、愛しそうな視線を向けている。

 

「さて、では試そうか。

 今度こそ当てるぞ、ちゃんと見ておけ」

 

「ええ、勿論」

 

 そう言ってエオニアが構えるのは銃の形をした主砲のトリガーだ。

 本来ならこんな物を使う必要はないのだが、主砲の為だけにスコープ付きで用意させたものだ。

 

「そうだ、ノア。

 一つだけ覚えておけ。

 先の一撃も、この一撃も、全て私がトリガーを引いた」

 

「ええ、お兄様がそう望んで、私が用意したもの。

 それがどうしたの?」

 

「いや、ノアはそれを覚えていればいい」

 

「そう? 解ったわ」

 

 エオニアの言葉の意味をノアは理解できた様子はない。

 しかし、言われた通り、ただ覚える事はしておく。

 エオニアも意図の理解は求めていない様だ。

 そいて、今度こそエオニアはスコープを使って照準をエルシオールに合わせる。

 その進路上に紋章機が全機浮遊しているが、この段階なら問題にはならないだろう。

 

「クロノバスターキャノン、発射!」

 

 その声と同時にエオニアはトリガーを引いた。

 星すら破壊する闇の一撃をここに放った。

 

 

 

 

 

 その射撃の狙いは、目覚めたエルシオールによって予見されていた。

 

「タクト、クロノバスターキャノンはこの艦を狙っていますよ。

 それと、この射線だと停止中の紋章機も巻き込みます。

 後、後方の都市衛星にも当たりますし、ロームという星の残った命も完全に助からなくなります」

 

「回り込こみ、防ぐ!

 総員、かなり無茶な動きをする! 何かに掴まれ!」

 

 艦内に放送を流し、タクトは操縦桿を握る。

 

「飛ぶぞ、シヴァ! エルシオール!」

 

「ああああああっ!!!」

 

「ええ」

 

 バッ! ドゥンッ!!

 

 エルシオールが羽ばたく。

 その2対の翼を動かし、宇宙空間で鳥が舞う様な挙動で飛んだ。

 その速度、今までのエルシオールでは出しえない速度であり、高速艦をも凌ぐもの。

 タクトの放送どおり、艦内では重力制御による衝撃緩和もしきれず、かなりの揺れが生じ、混乱している。

 危険物や薬品などはエルシオールによる集中保護で無事だろうが、怪我人は覚悟しておかなければならない。

 だが、怪我人程度で済むのなら安いものだ。

 

 ズダァァァァアアアアンッンンンンンン!!!!

 

 再びあの光が放たれる。

 黒き月から、星をも破壊する光が。

 未だ動けずにいる紋章機も、都市衛星ファーゴも、今度こそこの宇宙の藻屑と……いや跡形も残らない消滅に見舞われようとしている。

 だが、そこへ割り込む光がある。

 

「第一、第二翼を前面にに展開! エネルギーフィールド全開!

 止めろぉぉぉおおおおおっ!!!」

 

「あああああああああっ!!!」

 

 ガガガガガガガガガガガガッ!!!!

 

 2対の内1対を自らを護る盾とし、光の壁を展開したエルシオールは紋章機の前に割り込み、その後ろのファーゴ、ロームの盾となる。

 残る1対の翼を推進力として、最早誰も傷つけさせぬとここに踏みとどまる。

 

「おおおおおおおっ!!!」

 

「あああああああっ!!!」

 

 タクトとシヴァ、2人のテンションが螺旋を描く様に重なり、上昇する。

 惑星にすら死を齎すエネルギーを、僅か2人の人間の意志で相殺しようと言うのだ。

 しかし、元よりその覚悟を持った者達。

 銀河を遍く治めようと言う皇の意志だ。

 星一つも壊しきれぬ力になど、屈していられる筈はない。

 

 パシュンッ!!

 

 破壊の光が止まった。

 エルシオールを包む翼は殆ど消えかけていたが、それでも黒き月の砲は止まった、止めきった。

 しかし―――

 

「あ……ああ……」

 

 バタンッ!

 

 シヴァが倒れた。

 経験の無い激情をここに出し切り、気を失ったのだ。

 いくらH.A.L.Oシステムがそれを力に変えるとは言え、10にも満たぬ子供には重過ぎる意志。

 いや、あの破壊の光を止めきっただけでも、流石は皇王の器と言うべきだろう。

 

「うぐ……シ、ヴァ……」

 

 そして、それに付き合い、元より無茶な接続をしているタクトもまた、限界が近い。

 だが、タクトはまだ気を失う訳にはいかない。

 破壊の光は止めたとは言え、敵はまだ健在で、味方は誰一人まだ動ける状態にない。

 今タクトが倒れる事は許されない。

 

「エルシオール、紋章機はどうなっている?」

 

「この接近によりネガティブクロノウェーブは除去できています。

 しかしクロノストリングエンジンは停止状態で、紋章機のクロノストリングエンジンは遠隔での再起動ができません。

 搭乗者本人達でなければ」

 

「通信はできるか?」

 

「補助システムでなんとか音声くらいなら」

 

「全員に繋げ」

 

「了解」

 

 エルシオールはその手を紋章機へと向ける。

 今はまだ立ち上がれぬ子供達に手を差し伸べる様に。

 

 

 

 

 一方、紋章機に乗るエンジェル隊は、やはり動けずに居た。

 目の前で起こる出来事に頭が追いつかないというのもある。

 だが、折られた翼の痛みがあまりに大きく、動く事を恐れてすら居た。

 そこへ、声が届く。

 コンソールも何の反応も示さない闇に、小さく声だけが届いた。

 

『エンジェル隊、まだ折られた翼は痛むかい?』

 

 その声は、酷くかすれ、受信状況が悪いのか、内容を聞き取るのがやっとだ。

 しかし、彼女達には誰の声かなど考えるまでも無い。

 だが、誰の声か解って、どんな内容かを聞き取る事ができても、反応のしようがない。

 元より受信のみだとしても、今の彼女達に声の問いに答える力はない。

 

『だが周囲の状況は見えているな?

 今の状況は解っているな?

 だからこそ痛いのだろうから』

 

 声にも力は無い。

 その理由を彼女達が今知る事もできないし、考える事もできない。

 

『なればこそ、君達は今思い出すんだ。

 君達が戦ってきた理由を、君達が羽ばたく理由を、今ここで―――』

 

 声に少しだけ力が戻った。

 己のその理由を思い出してか、僅かながら強く、大きくなる声。

 違いは僅かなものだ。

 こうしてただ沈黙の中に響く声だからこそ解る程度の変化。

 しかし、その僅かな力に意味はあった。

 

『君達は、それを実現できる翼を持っている!』

 

 言葉が響く。

 この闇の世界に。

 暗く沈んだ心の中に。

 天使達の記憶の根底にある、それぞれの理由が揺り起こされた。

 

 

 

 

 

 カッ!

 

 光が走った。

 純白の光が。

 そして周囲を埋め尽くすように舞う白の羽。

 まるで、本当に天使が舞い降りたかの様に思える光景がそこに広がっていた。

 

 紋章機に、5機の紋章機全てに翼が生えていた。

 純白の美しく、そして力強い翼が。

 先ほどまで微動だにできなかった事が嘘の様に、この宇宙という暗闇を自由に飛んでいる。

 

「エンブレムフレームの起動を確認しました」

 

 エルシオールは、そう告げる。

 紋章機の翼の顕現に対してだろう、現象に向けて、その名をここに紡ぐ。

 

「そうだ、それでこそエンジェル隊だ……

 総員、黒き月の主砲を破壊せよ!」

 

『了解!』

 

 エルシオールと共にその姿を確認したタクトは、既に息も絶え絶えながら、指令を下す。

 ただし、黒き月の破壊、とは言わず、主砲の破壊とだけ。

 エンジェル隊は、それに疑問を挟まず、即座に命令を実行する。

 自由な翼を持ってこの宇宙を舞い、数多の無人艦隊と黒き月からの迎撃の隙間を縫って接近。

 それぞれが持つ最高の攻撃手段を持って主砲を攻撃―――破壊に成功する。

 

 その勢いがあれば、黒き月そのものの破壊も可能だろう。

 戦闘機でしかない紋章機と、黒き月ではサイズがあまりに違うが、それでも破壊出来ない事はない様に思える。

 今の彼女達ならば―――

 

 

 

 

 

 その頃、黒き月の者達は、主砲を破壊されたというのに冷静そのものだった。

 

「エンブレムフレームも起動したか。

 どうだ? ノア」

 

「ぜんぜん。

 こんなものじゃない筈なんだけど」

 

「そうだな。

 だが、それでも主砲は防がれたし、破壊されてしまったな」

 

「ええそうね。

 まあ、完成しただけの主砲だったからいいんだけど。

 防がれたのは、流石はお姉さまが惚れた男、とでも言うべきかしら?

 破壊に関しては、完成したからとりあえずつけただけの設置状況じゃ、破壊してくださいと言ってる様なものだったし、されて当然」

 

 まるで、この状況を当たり前、むしろ足りないとすら考えている。

 遊んでいる、という風でもないのに、どこか戦争をしているというには緊迫感に欠けるものがある。

 いや、それ以前の『何か』が欠けているのは確かだった。

 

「さて、中途半端な見世物も飽きた事だし。

 そろそろ一度幕を下ろそうか。

 メインステージの為にもな。

 ―――我、エオニア・トランスバールの名に於いて命ず。

 止まれ、エルシオール」

 

 エオニアは、何かの機器を操作する事もなく、ただ虚空に向けてそう告げた。

 

 

 

 

 

 それと時を同じくして、エルシオールでも、その声は聞こえていた。

 

『―――我、エオニア・トランスバールの名に於いて命ず。

 止まれ、エルシオール』

 

 エオニアはなんら通信機器を介した訳でもないのに、その声はエルシオールのメインブリッジに響く。

 

「エオニアからの停止要求を受理しました」

 

 そして、エルシオールはそれを『当たり前』とし、ここに認める。

 それが『権限』であるが故に。

 

「エルシオール、俺はここに居るぞ!」

 

 同時に、タクトも『権限』を示す。

 ただ、それはエオニアと違って、自分の存在を示した上での副次的なものでしかない。

 

「エオニア・トランスバールの権限を受理しますが、タクト・トランスバールの緊急権限を同時に受理します。

 権限所持者2名の対立を確認。

 遠隔承認のシャトヤーン権限はここに破棄。

 権限発令前の状態へと回帰させます。

 エルシオールのメインブリッジ機能並びにエンブレムフレーム機能を封印します」

 

 その言葉が終わるのと同時に、このメインブリッジのコンソールが全てその機能を失う。

 更に、紋章機に展開していた翼も消えた。

 ただ、全ての機能が失われた訳ではなく、エルシオールも、紋章機も元の状態に戻っただけだ。

 

「ちぃ……」

 

「タクト、ネガティブクロノウェーブは解除されています。

 アレはエネルギー消費が激しいですから、暫くは広域展開は無理でしょうね」

 

「エンジェル隊は撤収、エルシオールに帰還せよ。

 エンジェル隊を回収後、エルシオールはトランスバール皇国軍本隊と合流、ルフト准将に連、ら……く、を……」

 

 その言葉を最後に、タクトは意識を失った。

 最後に、エルシオールが大きな溜息を吐く顔が見えた気がした。

 

 

 

 

 

 最後の指令を出したタクトがコンソールに沈む。

 それを確認したエルシオールは、既に機能はカットしていたタクトに接続しているドライブシステムを切断、分離させる。

 

 ブシュッ!

 

 元より身体に直接プラグを刺し込むと言う無茶苦茶な接続。

 脳や内蔵、重要な血管等を傷つけない様、分離には最新の注意が払われたが、それでもプラグが抜かれると同時に血が噴出す。

 その出血はエルシオールによる重力制御で止めるが、これだけでは応急処置にしても全く足りていない。

 

「5番機に乗っているヴァニラ・H、貴方はナノマシン医療技師でしたね。

 タクトの容態が拙いから早く戻ってきてちょうだい。

 タクトの容態と過去の同じ症例に対する治療実施記録を送ります。

 操縦は自動に切り替えて読みながら最速で戻ってきなさい』

 

『え? はい……』

 

 まだエルシオールの事を知らないヴァニラはエルシオールからの通信に驚きつつ、タクトについての情報である為素直に聞き入れる。

 そこで通信自体は切ったので、タクトの容態の情報と、その原因、治療方法の情報を見てどんな反応をしているかは解らない。

 ただその直後、5番機が暴走に近い速度を出して戻ってくるのは確認できている。

 

「ヴァニラ・Hが到着するまで最速でも352秒ね。

 搬送と応急処置も進めないと」

 

 そう1人呟いたエルシオールは自分の姿を上の、今まで使っていたブリッジの方へと移動させる。

 突然の出現に驚くブリッジクルーだったが、それに対応している暇はない。

 

「えっと、貴方、レスター・クールダラスさんですね? 宇宙クジラよりタクトが最も信頼している人物と聞いています。

 メインブリッジへの侵入を特別に許可しますので、タクトを運び出してください。

 後、ヘレスはシヴァ皇子を。

 2人共H.A.L.Oシステムの過剰ドライブで疲弊し動けません」

 

「ああ、解った」

 

「承知しました」

 

「はい、そこに立って。

 もう少し寄って下さい。

 今は緊急用の、本来1人が定員のエレベーターしか設置されてませんから」

 

「ああ。

 失礼します」

 

「いえ、御気になさらず」

 

 先ほどタクトとシヴァが降りるのも見ている為、理解が早い2人は密着状態となる。

 そこで、エルシオールは空気の流れを操作し、この2人だけに聞こえる音を出す。

 

「シヴァ皇子の方は実際ただの疲労ですが、タクトの方は機器を身体に強制接続し、傷を負っています。

 運び出す時には注意してください」

 

「……」

 

「……」

 

 先ほど、ここで皆に伝える様に言った言葉、『2人共H.A.L.Oシステムの過剰ドライブで疲弊し動けない』というのも嘘ではない。

 事実として、タクトが倒れた理由もそちらなのだ。

 エルシオールは基本的に嘘はつけない。

 しかし、現状が良く解らない以上、司令官クラスが負傷して倒れたという情報を表沙汰にすべきでもないと判断しての事だ。

 後は、タクトの傷を悪化させない様にしつつも、傷を知られない様、士気が下がらない様、運び出すのはレスターに任せるしかない。

 エルシオールも重力制御で補助するにしろ、そう言った判断は現状を知り、タクトを良く知るレスターが主導で行うのが最善であろう。

 

 そうして、レスターとヘレスをメインブリッジに入れ、2人を医務室へと搬送する。

 レスターはその後、連絡を入れてきたルフトに、『タクトは今は通信をつなげられない機密区間に居る。通信では話せない事なので直接着て欲しい』と話し、ルフトがこの艦に来る事となった。

 タクトは戻ってきたヴァニラによって治療を受け、容態は安定し、障害も残さずにすみそうだという。

 シヴァの方は、心の方は兎も角、唯の疲労に等しいので、暫く休めば回復するだろう。

 

 艦内がそうして忙しく動いている間、エルシオールは表には出ずにメインブリッジにその姿を投影していた。

 わざわざ姿を投影し、システムの停止しているメインブリッジを掃除している。

 重力制御と環境管理のシステムを使って。

 それも終わると、エルシオールは1人呟いた。

 

「タクト、私が貴方を『大きくなった』と評価し、エオニアを『立派になった』と評価した意味が解りますか?」

 

 まるで人であるかの様に、もう映っていないモニターの先に黒き月を見るエルシオール。

 

「エオニアの方も大分滅茶苦茶な事をしているみたいですけど。

 まったく……そんなところまであの人に似なくていいでしょうに……」

 

 悲しげに、何かを思い出す様に呟くエルシオール。

 その言葉の意味を知る者は、今は何処にも居ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒き月との戦闘から3時間後。

 エオニア軍も後退した為、一応の落ち着きを取り戻したトランスバール皇国軍。

 戦いの最中に繰り広げられた、この世のものとは思えない光景は、皇国軍の希望を繋ぐものであった。

 しかし、あまりに謎の多い光景故に不安も隠せないないでいるのは事実。

 当事者であるエルシオールもあの後、なんとか生きながらえたファーゴに入港し緊急メンテナンスをしている状態だ。

 ただ、エルシオールのクルーでも、どう手をつけていいのか解らないでいる。

 エルシオールは既に、自分たちの知っている物ではないのだから。

 

 その全ての謎を握る人物はまだ眠ったままだった。

 勿論、外部にはそんな情報は流れていない。

 エルシオール内部でも、タクトが何も言わない、姿を現さない理由を知るものは少ない。

 外部からすれば、エルシオールはただ押し黙っているだけにも見える。

 それが、不安を更に加速させていた。

 

 それが解かれるのは更に2時間後。

 あの戦闘から5時間が経過した頃だ。

 

 

 

 

 

「ぐ……」

 

 苦痛と共に目を覚ましたタクトが先ず目にしたのは白い天井。

 エルシオールの医務室の天井だった。

 そして、何故自分に痛みが走っているのか、医務室で目を覚ましているのかを思い出す。

 

「……」

 

 そして全身の状態を確かめねばならない。

 すると、視力や思考に問題は見られず、手足、指の一本一本に至るまで動かす事ができる。

 せいぜい痺れが残っているくらいで、経験からこれは時間次第で治るものだと判断できる。

 痛みも、首の裏が痛むくらいだろう。

 

 首の裏からプラグを差し込まれ、ケーブルに体を侵食され、機械と直接リンクするという方法を使った割りに、奇跡というくらいの影響の少なさだ。

 

「おはようございます、タクト」

 

 その確認が済むのを見計らってか、少し違和感のある声が聞こえた。

 自分の耳の周りだけに響いている、そんな本来ありえない音だ。

 

「……」

 

 ベッドに寝ていた状態から上半身だけを起こし周囲を見渡す。

 すると、ベッドの脇でヴァニラが居るのが見える。

 タクトが眠っていたベッドに寄りかかり眠っている。

 タクトが今こうして上半身を自力で上半身を起こす事ができるのも彼女のおかげだろう。

 

 そして、反対側には声を掛けてきたエルシオールの姿が見えた。

 彼女の持っていたデータと、適切な指示があってこそ、ヴァニラの治療はここまで奇跡的な結果となったのだ。

 更に見渡すがケーラの姿は見えなず、今はタクト、ヴァニラ、エルシオールしかこの医務室には居ない。

 同様に倒れた筈のシヴァは起きたか、それとも部屋で休養を取っているかだろう。

 

 この違和感のある声は眠っているヴァニラに配慮してものもだろう。

 いや―――少し違うか。

 

「貴方側からもその子には声が届く事はありませんよ」

 

「そうか。

 改めておはよう、エルシオール」

 

「ええ。

 もう少しましな起こし方をして欲しかったと言っておきますわ」

 

「すまない」

 

 エルシオールのどこまで本気か解らないその言葉には、タクトは謝罪する以外にない。

 例えエルシオールがどう思っていようと、あの様な場で、あの様な状況で起こす事になるなど、本来想定していなかった事だ。

 

「貴方が目覚めた事が皆に知れれば、説明を求められるでしょう。

 ですが、先に一つだけ貴方に確認したい事があるのです」

 

「どれの事だい?」

 

 エルシオールから問われる可能性のある事、その候補はそれこそありすぎて解らない。

 ただ、タクト側からも問いが一つある。

 

「と、その前に、エルシオール。

 現状を全く把握できていないのかい? 確か『半分眠る』という状態だったと聞いたが」

 

「ええ、眠っているのは半分です。

 機能のほぼ全ては封印しつつ、貴方方の呼びかけに答える為の半分です。

 ですので、エルシオールというこの身体が得られる情報とリンクしていた訳ではなく、戦況という意味での情報はほぼ得られておりません。

 例外としては宇宙クジラですね、あの方とはいろいろと話し、情報を得ていましたが、それだけです」

 

「そうか」

 

 宇宙クジラとエルシオールが会話可能だったという事は宇宙クジラの口ぶりから予想していた。

 だが、だからこそそれなりの現状は把握しているものと思っていたが、考えてみれば宇宙クジラの視点は人間のそれとは違う。

 故に、人間が言うところの『現状の重要情報』と、宇宙クジラが言う『現状の重要情報』は異なる。

 だからこそ、宇宙クジラの情報が貴重になる事もあるが、基本的には話がずれてしまう事になる。

 

「で、君が聞きたい事は?」

 

「エオニアとの戦っている理由です」

 

「その事か……」

 

 タクトも、問いの候補の中でもトップクラスと位置づけていたものだ。

 しかし、して欲しくない問いのトップクラスでもあった。

 

「すまん、解らん」

 

「解らない?」

 

 そう、解らない。

 それは、タクトも解らず、むしろタクトこそ教えて欲しいと思っている事だ。

 何故こんな事になったのか―――タクトには考えても解らない。

 原因と思われる事は幾つもある。

 しかし、全て推測でしかなく、どれも確信を持てる様な事ではない。

 

「解らないんだよ、エルシオール。

 俺はエオニアが何を考えているのか」

 

 理解していたつもりでいた。

 だが、その前提は全てあの黒い光で砕かれた。

 星をも砕いた一撃は、タクトの心をも砕くのに十分な威力だった。

 

 こんな答えでエルシオールが納得する筈はない。

 だが、タクトにはそう答えるしかなかった。

 

「何を考えているか、なんて。

 タクト、貴方以外にいったい誰がエオニアを理解できると言うの?」

 

 エルシオールから返って来るのは叱責。

 だが、それはタクトが予想していたものとは違うものだった。

 

「……なに?」

 

「少し頭を冷やす必要がある様ね。

 情報整理もかねて、そろそろ皆にも情報を開示してください。

 私もそれを聞きましょう」

 

 タクトが聞き返す言葉は無視し、そう告げるエルシオール。

 その最後の言葉は、今まで掛けていた2人だけの間での会話の解除をもって告げる。

 その音により、ヴァニラが起きるのが解る。

 そして、同時にエルシオールは一旦姿を消す。

 

「タクトさん、起きていらしたのですか」

 

「すまない、起こしてしまったかい」

 

「いえ、私の方が眠ってしまって。

 それより、身体は大丈夫ですか?」

 

 治療はヴァニラの主導で行われた筈だ。

 ヴァニラのナノマシン医療がなければ、こうして上半身を自力で起こす事ももう無かっただろうから。

 だが、そのヴァニラ本人も事後の経過というのは把握しきれるものでは無い。

 こうして問診を行いながらも、計器から体温、脈などの情報を取得する。

 本来ならもっとちゃんとした精密検査も改めて必要になるだろう。

 

「ああ、少し痛むが、どうやらそれだけらしい。

 ありがとう、治してくれて」

 

「いえ。

 それより、皆さんがお待ちです。

 大丈夫ですか?」

 

 これはエルシオールに言われるまでもなく、解っていた事だ。

 ああも秘密を公開したのだから、説明は義務。

 ナノマシン治療により、傷らしい傷はほぼ塞がっているが、体力の消費が激しい上、暫くは安静が必要な状態にある。

 だが、喋る程度には問題はない。

 ならば、これ以上待たす理由もないだろう。

 

「ああ。

 皆を集めてきてくれ。

 ただし、聞く覚悟のある者だけをね」

 

「……解りました」

 

 聞く覚悟。

 説明はタクトの義務だが、聞く側は自己責任になる。

 どの様な場合もそうだが、特に今回、タクトが話す事がどれ程危険な情報かは、公としたあの光景で大体予想はつく筈。

 ならば選んでもらわねばならない。

 エンジェル隊のメンバーにも、シヴァ皇子にも、自由というものがある。

 尤も、エンジェル隊もシヴァ皇子も、来ないなどとはタクトは欠片も思っていなかった。

 

 

 

 

 

 それから10分後、エルシオールの医務室に覚悟ある者が集まった。

 エンジェル隊全員、シヴァ、ヘレス、ルフト、レスター。

 ブリッジメンバーからはココとアルモ、整備班からは班長のクレータが代表としてここへ来ている。

 ブリッジメンバーと整備班は全員が希望していたが、ブリッジも格納庫も空にする訳にはいかないので、代表者のみの参加となった。

 更にケーラと、宇宙クジラの代行も兼ねてクロミエ。

 計14名が、ベッドに上半身を起こしているタクトを取り囲む様にしている。

 時間が掛かることが予想された為、椅子と水も用意されている。

 

「一応、最初に言っておきますが、聞かない方が幸せですよ?

 この世界には知らない方が良い事なんていくらでもあり、これもその一つです」

 

 集まった者達に、タクトはまずそう告げた。

 しかし、集まった者達の目をみれば、誰一人揺らいでいる者などなく、更に言葉を重ねても無駄と解る。

 ならば、タクトはそれ以上は言わない。

 そして、始まる。

 

「さて……何から話しましょうか」

 

 タクトがすべき秘密だった事の開示。

 知り、関わってしまった者達が先へ進む為の道を示さねばならない。

 だが、どんな順序で話そうか。

 開示すべき情報があまりに多すぎて、皆が集まるまで整理をしてみたが、やはり最初だけは決まらなかった。

 

「でしたら、まず名を。

 貴方の真の御名前をお教え願いたい」

 

 そんなタクトに言葉を掛けたのはシヴァだ。

 それも、敬語を用いての願い。

 今までシヴァはタクトとは皇子と軍人として接してきたが、先の戦いの中で聞いてしまった。

 今や自分1人である筈の姓を。

 ならば、対等かそれ以上の相手として接するのが適当として、シヴァは言葉を選んだ。

 

「真の名前、ですか……それは実に難しい。

 私にとって真の名、一つ確かな名前というのはただ『タクト』のみ。

 母より授かったその名だけが、私が持つ真の名です。

 姓は、後から与えられ、書き換わってきました。

 ご存知の方も多いでしょうが、『マイヤーズ』にとって私は養子でしかない。

 その前にあった『トランスバール』もまた、私にとっては後からとって付けられた姓であり―――同時に自ら破棄した姓でもあります」

 

「……」

 

 『トランスバール』とは、皇国の名であり、皇国が主の姓。

 皇族にのみ許された姓だ。

 それを自ら破棄した、という言葉はどれ程重いか、この場には想像すらできぬ者の方が多いだろう。

 だからこそ、皆次の言葉を待った。

 

「生まれとして、『血』としては、確かに私は『トランスバール』を名乗れる。

 私は―――私の父はトーラリオ・トランスバール。

 DNA鑑定上も、間違いないという事になっています」

 

 トーラリオ・トランスバール。

 先の皇王ジェラールの2人いる内の長兄で、凡そ30年前頃に皇国全域で起きていた内乱の鎮圧にあたり、数多の功績を残した人だ。

 ジェラールの兄であり、当時の皇王の長男であった為、当然そのまま皇王を継ぐものと考えられていた。

 内乱鎮圧も力だけでなく、話し合いでの解決も多く、民衆からの人気も高かった。

 だが、今から25年程前にある内乱鎮圧の際に戦死し、それはまさに夢となり果てた。

 

 トーラリオは内乱鎮圧で忙しかったのもあるが、独身で子供が居たという記録はない。

 現在でも、トーラリオの血筋は無いものとされている。

 それは公とされている事だけではなく、シヴァが皇族の身内として知る限りでもそうだ。

 だが、それは偽りだったという事になる。

 

「ただ、私の年齢からお分かりかと思いますが、私が生まれた時には既にトーラリオ・トランスバールは亡くなっておられる。

 その為、私は父を知らず、後から他人にお前はそうだと言われて知っただけで、今まで一度とてそれを自覚した事はありません。

 終ぞ、母はその事を語ってくれなかった、父の名を言葉にする事すら」

 

「……」

 

 最後のタクトの悲しげな告白に、ルフトの眉が跳ねる。

 今は何も言わないが、しかし何かを強く思って止まない。

 

「シヴァ皇子、私は大凡貴方と同じと言っていいでしょう。

 皇族が民間人に戯れに残した子、それが私です。

 正確には、母は民間人ではなく軍人ですが、皇族でも貴族でもない、庶民の出でした」

 

「貴方は、私の従兄弟という事ですね?

 貴方の母は?」

 

「……」

 

 シヴァは複雑な思いでタクトを『従兄弟』と言った。

 既に告げられている姓の破棄から、最早そう呼べないのだろうと思いと、それでもまだ血の連なる者が生き残っていたという思いがある。

 そして、その口ぶりからシヴァは知らぬ母の存在をタクトは知っている様だったからこそ、母について聞こうと思った。

 しかし、タクトはただ首を横に振った。

 

「こんな話、本来なら貴方の前ではしたくなかった。

 が、貴方が最後の皇族であるのだから、遅かれ早かれ知っていただかなくてはならない。

 私の母は軍人だった。

 優秀な軍人であったが故に、私の存在は仇となりました。

 私は、幼少期は祖母に育てられました」

 

 タクトは一度そこで言葉を区切り、ヘレスの方を見た。

 

「お辛いのでしたら、その辺りの語りは私が代わりますが?」

 

「いや、いい。

 私は、母が戦災孤児として拾ったヘレスと共に祖母の下で幼少期を過ごしました。

 その中、母は軍で働き続けました。

 いや、働かざるを得なかった。

 私の存在が、ジェラール・トランスバールに知れたからです」

 

 重い、とても重い言葉が部屋に響いた。

 タクトとヘレスの関係が解った事などどうでもよくなるほどの沈痛な言葉。

 ヘレスが代わろうか、などと言ったのが当然に思える程、タクトはこの語りで自らを苦しめている。

 だが、それでも話しを止める訳にはいかない。

 

「ジェラール・トランスバールによって、私は有能な軍人である母を『駒』にできる人質として利用されました。

 かなり汚い仕事も多かった様です。

 それは、祖母が亡くなり、私とヘレスがヴァリア・トランスバール様に保護していただくまで続きました」

 

 タクトは、さらっと『汚い仕事も多かった』とだけ言ったが、その言葉を吐いた時の表情と言葉の重さは、その場の全員が息を飲むほど。

 心の読めるミントが、その心情を読み切れず、しかしあまりの強烈な負の感情を感じ、気が遠のいたくらいだ。

 しかし、誰もが覚悟を決めてここに来ている。

 誰一人、聞くことを止めない。

 

 更に出てきた名、ヴァリア・トランスバール。

 ジェラールの兄にして、トーラリオの弟で、先々代皇王の遺した3兄弟の次男である者だ。

 そして、エオニアの父でもある。

 

「私はそこで初めて私は父がトーラリオ・トランスバールである事を知りました。

 母も同時にヴァリア様の指揮下に入り、今度は真っ当な軍務に、偽名で影から参加する事になりました。

 母は光の下でこそ軍務に就く事を望み、その後の生涯を戦場で過ごしました。

 結局、ジェラールに使われていた頃と変わらず私が母に会える時間は無いに等しかった。

 しかし、その代わり、私とヘレスはエオニア・トランスバールという兄を得て、シェリー・ブリストルという姉と呼べる存在も得ました。

 その当時は、実に幸せな時間だった」

 

 今現在、争っている相手と、幾万、幾億という人の住む星を穿った怨敵と、嘗て過ごした幸いだった時間。

 言葉の上では、なんとも安らかな事だが、タクトの表情と心の内は、先ほどとは違った方向で重かった。

 

「しかしその後は、ご存知の通りヴァリア様は内乱平定後の和平会談の中暗殺された。

 警備を担当していた母共々、ジェラールの手によって。

 母に至っては過去も全て抹消され、存在していなかった事にされました」

 

 当時のヴァリア・トランスバールの暗殺は公式見解では和平に反発した反乱軍によるものとされている。

 だが、大分強引な情報操作がされている事が見て取れる為、裏があると言うのは公然の秘密だった。

 そして、裏があるとすればその後皇位を継いだジェラールこそ最も怪しいのも誰もが考える事だ。

 しかし、何一つ確証が残されていない上、だからといってどうなるものでもないのだ、民衆にとっては。

 だから、その事は既に忘れ去られた事と言っていい。

 

 それともう1つ、人一人の存在を抹消する。

 タクトは随分とさらっとその言葉を口にした。

 本当にそんな事が可能なのかと疑いたくなるが、相手は皇国のトップだ。

 その人に関わる全ての情報を消し去る事は可能だろう。

 唯一つ、人々の記憶を除いては―――

 

「そうそう、私の母については調べないでください。

 過去も全て抹消された事でやっと、母は皇族の柵から解放されたのですから」

 

 しかし、その記憶を最も持っている筈のタクト本人は、むしろその処置を良かった事とすらしている。

 死して尚、後の世に影響を及ぼす人というのは存在する。

 だからこそ、その情報すべてを消してしまえば、そうなる事もなくなると、タクトは安心できるのだ。

 最早、母が利用される事はないのだと。

 

「そして、それを知った私は、皇位を継いだジェラールの前で宣言しました。

 皇位など要らない、と。

 当時、私は15歳でした。

 主だった貴族も参加した場での、正式な宣誓です。

 故に私は皇族の血は引いていても、既に皇族ではありません」

 

 既に皇族ではない。

 その言葉を話す時だけは、タクトは落ち着いていた。

 本当に心から皇族に未練がないのだ。

 そして、それで全てが捨て去れる―――筈だった。

 

「その後、私はジェラールによってマイヤーズ家の子として扱われる事になりました。

 公式には実子として、飼い殺しにする算段だったのでしょう」

 

「情報が欠けています。

 言ってくださっていいのですよ。

 私を人質にとれられて、そうせざるを得なかったと」

 

 タクトの告白にヘレスが付け加える。

 ヘレスは表面上は冷静だ。

 しかし、それはあくまで表面だけで、心の内は読めない。

 タクトも、シヴァも、ヘレスが何を思ってそう付け加えたのかが解らなかった。

 だが、それもまた事実である事には変わりない。

 

「……私の暗殺、という事にならなかったのは、それまでジェラールがしてきた事があまりに暴力的であった為、ジェラール派の内部にも不信が募っていたからです。

 そしてそれは、皇王の座を脅かす存在としてエオニアが残っている状況では、エオニアの方に人が流れかねない。

 ともあれ、私は一応生かされ、その後軍学校に、軍に入る事を選び、ヘレスの監視は解かれました。

 軍と言う最も扱い易い檻に自ら入ったのですから。

 ルフト先生の下で学び、卒業した後は辺境警備に回され、何が起きるでもない日々を過ごしておりました。

 このエルシオールと再会する日まで」

 

 最後に、タクトは天井を見上げる。

 正確にはこのエルシオールを見ているのだ。

 今は姿を現さず、話しだけ聞いているのだろうエルシオールを。

 

「……これで私の身の上話は終わりです」

 

「……少し休憩しましょう」

 

 タクトの言葉が終わり、沈黙が訪れるなか、ケーラがそう言い出す。

 このエルシオールの医師が、重傷者であったタクトを配慮してという形をもった提案。

 勿論、聞く側としても、息の詰まるこの時間に間を置きたいというのがある。

 

「では1時間でいいかな?」

 

「そうですね」

 

「では、一時解散とする」

 

 ルフトの言葉によって、皆部屋から退出する。

 ほとんど喋る者もなく。

 その中、普通ならこの部屋に残る者も立ち上がった。

 

「ヴァニラ、コーヒーの豆切らしちゃったわ。

 運ぶの手伝ってくれる?」

 

「はい」

 

 ケーラがヴァニラをつれて部屋から出る。

 そうして、最後に残ったのはルフトだった。

 ルフトも立ち上がり、部屋から去ろうとしている。

 だが、他の者が部屋を出たところで、一度扉は閉まり、そこで部屋にはタクトとルフトだけ状態となった。

 

「これは、年寄りの独り言じゃがな」

 

 そこで、ルフトは言葉を紡ぐ。

 扉の方を向いたまま、つまりタクトに背を向けたままの状態で、あくまで独り言として。

 

「わしはトーラリオ殿下の指揮の下、オペラ・ハイラル率いるシルフィード部隊をもって内乱鎮圧の任に就いていた。

 長く険しい戦いでな、その中でトーラリオ殿下は、オペラといつしか恋仲になっておった。

 わしには打ち明けてもらっておってな、戦いが終わったら盛大に式を挙げる予定だと言っておられた。

 トーラリオ殿下にしろ、オペラにしろ民衆からの人気は高く、その2人の結婚となれば、民にも明るい話題となるだろう、とな。

 2人には身分の違いこそあれ、オペラの活躍を考えれば、それも可能じゃったし、何より2人の愛は本物じゃった」

 

 当時、シルフィード部隊を指揮したトーラリオは、指揮官である自分よりもオペラが隊長を務めたシルフィード部隊を、その隊長のオペラこそ前面に出して活動していた。

 指揮官の役割も大きいが、現場の者達を褒めてやって欲しいと、そう言う風に。

 それもトーラリオの人気が高い理由の一つなのだが、ルフトが語れば、それが1人の女性の為で、ひいては自分の恋愛の為だったというのは確かに納得できる面がある。

 

「もし……もし2人の間に子が残されていたのなら、断じて戯れに作られた子ではないぞ。

 そして、もしトーラリオ殿下の死後、オペラがトーラリオ殿下の名を口にできないとしたら、それは災いにしかならないからじゃ。

 わしの知るオペラならそうする」

 

 最後、独り言にしては握った拳がきしんでいた。

 例えDNA鑑定で証明はされていても、認めてしまってはまた別の意味を持つ事もある。

 例え子に誤解を与えようとも、それでも更なる不幸が招かれるよりはと、そいう考え方もあるだろう。

 

「……」

 

 ルフトの言葉に、タクトは何も応えない。

 

「……」

 

 ルフトも、タクトに反応を求めない。

 言葉が終わると、ルフトは何も無かったかの様に部屋を出た。

 

「……」

 

 そして1人残されるタクト。

 俯くその顔に、どんな表情を浮かべているか、それを知る者は誰もいない。

 

 

 

 

 

 医務室を出たルフト。

 その扉の向かいで、1人の人物が待っていた。

 

「フォルテ、1人かね?」

 

「ええ、皆はそれぞれ落ち着ける場所に。

 かなり重い話でしたからね」

 

 待っていたのはフォルテ。

 他の者は1人ももう残っておらず、部屋を出る時ルフトの意図は察し、部屋を出た者も多い筈だが、それ以降は自分の気持ちを整理するだけで精一杯なのだろう。

 『トランスバール』という名を聞いたときから、ある程度覚悟はできていた。

 しかし、いざ本人の口から語られれば、想像では補えない現実の痛みは防ぎようがない。

 

「まあ、それが普通の反応じゃろうて。

 ところでフォルテ、お主の穴倉をちと借りたいが、いいかの?」

 

「はい、私もお付き合いいたします」

 

「助かる」

 

 こんな時に射撃訓練、と思うのが普通だろう。

 フォルテくらい普段から銃を撃つ事に時間を費やし、それこそ精神統一の手段の一つと言えるなら別だが、ルフトは違う。

 老兵とはいえ、十分前線でも戦える、むしろ前線でこそ真価を発揮する本物の将軍ではあるが、それでも今の気持ちは射撃訓練では収まるまい。

 ならば何故行くのか―――

 

 

 

 

 

 射撃訓練所に到着し、ルフトが選んだ銃は実弾の銃。

 突撃銃と言われる物で、それを両手で構え、ターゲットは同時複数、かつ動きのあるものを選択する。

 

 ズダダダダダンッ!

 

 使い方としては、移動しながら弾をばら撒くという使い方をする事の多いこのタイプの銃で、ルフトは出てくるターゲットの急所部分を確実に打ち抜く。

 老いて尚衰えぬその腕前は見事と言うしかない。

 ただ―――本来なら、こうした訓練は黙々とやるものだろう。

 しかし、今回のルフトは違う。

 

「何故じゃ! ―――オペラ、何故ワシを頼らなかった!!」

 

 ズダダダダダンッ! 

 

 火薬式の銃の連射の音が響く中にルフトの叫び声が混じる。

 

「当然じゃ! トーラリオ殿下の息子を連れ、ワシの下にくれば、それこそクーデターとして扱われ、ジェラールにタクトを殺す理由を与えてしまう!

 当時のワシでも、トーラリオ殿下の息子が居るとなれば、兵を集め、ジェラールに勝つ事は可能だった。

 じゃが、戦いは避けられん! 多くの血が流れる! そんな事、オペラが、トーラリオ殿下が望む筈もない!!」

 

 ズダダダダダンッ! 

 

 敢えてここで、フォルテが居る場所で叫ぶ。

 本来なら、部下には聞かせられない言葉、見えられない姿。

 

「オペラの判断は正しい! トーラリオ様の名をタクトの前で出さなかった事も、タクトをジェラールから護る為、皇族の血による戦いを避ける為。

 それに、トーラリオ様が居られない以上、認めてしまえばタクトに全ての責任が科せられるやもしれん。

 そんな事、誰も望まん!」

 

 ズダダダダダダダダダダダダンンッ! 

 

 しかし、それでも誰かに言いたい、叫びたい。

 そうしなければ潰れかねない程の想いがルフトにはあった。

 轟音を言い訳とし、その心の内をぶちまける。

 

「ヴァリア様の保護を受けた後とて同じ事。

 ヴァリア様は軍事に関して殆ど手を出されておられなかった、ヴァリア様の力添えがあっても、ジェラール派が戦争を放棄する程の戦力は得られない!

 そうじゃ、ワシでは当時のオペラとタクトを救えない!!」

 

 自らの疑問―――いや、願いとすら言えた事に対して、自ら答えをここに言葉にして出す。

 自ら納得する為に、それでよかったのだと思う為に。

 自らの力の程度を再認識する為に。

 

 ズダダダダダダダダダダダダンンッ! 

 

 全てのターゲットを潰し終え、ルフトは銃を下げた。

 そして、一度目を閉じる。

 

「独り言ですが、私はオペラ少佐やタクトが羨ましい。

 こんなに想ってくれる上官がいるなど、どれ程幸せだろうか」

 

 フォルテは、何も聞いていない。

 だからこれはルフトの言葉とは何も関係の無い、唯の独り言。

 例え誰も聞かず、答えも返ってこなくとも構わない、自分独りの為言葉。

 

「―――今は違うぞ」

 

 その中、ルフトは目を開け、真っ直ぐに前を見る。

 既に全ての激情を流し終え、落ち着いた瞳で。

 

「フォルテ、いい事を教えておこう。

 先の戦いでワシ以上の地位を持っておった方々が亡くなり、ワシは臨時ではあるがトランスバール皇国軍全てを指揮する事になる」

 

「……これはおめでとうございます、と言うべきでしょうか」

 

 ただ静かに事実を告げるルフトに、フォルテは即座の反応ができなかった。

 内容が内容だけに。

 准将でしかないルフトより上、つまり全ての将官と元帥が悉くエオニアの手によって抹殺された事は、今後の戦局に大きく影響が出るだろう。

 だが正直な所、無能と切って捨ててかまわない様な危機感に欠ける首脳陣が仕切るより、ルフトが全軍を掌握した方がいいとも思える。

 ただそれは一兵でしかないフォルテの私的な感想であり、あまり口にすべき事でもない。

 

「この戦い、勝ち、そして終わらせるぞ」

 

「はっ! 必ずやお力になります。

 私個人としても、この戦いを終わらせる為ならば、全てを出し切るつもりです」

 

 先の戦いの中、翼が折れた時にタクトから問われ、思い出したフォルテが戦う理由。

 戦いを終わらせる為に戦う、そんな力が欲しいという矛盾を受け入れる覚悟。

 それがフォルテの力となる。

 

「うむ。

 勝たねばならない。

 タクトの話はまだ途中じゃが、この戦いはもしや―――」

 

 落ち着いた心で今の戦況を、過去から今へと至った経緯を考える。

 そこでふと、ルフトはある突拍子も無いと言える考えに至った。

 まだ口には出せない、この戦いの理由そのもの。

 もしそれが正しければ、タクトこそそれに気付かなければならない事になる。

 この状況の中で、だからこそ。

 

 やはり、とルフトは思う。

 この戦い、タクトが鍵となる。

 勝利も、その先も、全ての道を開く鍵はタクトそのものだ。

 

 

 

 

 

 同時刻、シヴァの私室。

 

「何度か思ってきたことであったが、私はお前の事も何も知らなかったのだな」

 

「残念ながら、答えられない事も多くありましたので」

 

 シヴァは、先のタクトの事もあるが、それと同時にヘレスの事も重要だった。

 タクトとの関係は疑った事はあったし、ヘレスについて過去を調べた事もある。

 ただ、ヘレスについて調べても、出てくるのは月の巫女であった事があるくらいで、後はもっともらしい経歴が並ぶだけ。

 それを疑う理由は幾らでもあるが、だからといってそれ以上の情報は出てこないのだ。

 

 疑う理由、例えば護衛を兼任する侍女とはいえ、士官学校を主席、次席で卒業するミルフィーユやランファ、歴戦の軍人であるフォルテとも見劣りしない武力が最大のものだった。

 しかし、それも先の話で大体の予想がついた。

 

「そうだったな。

 ブリストル家は代々優秀な軍人を輩出する名門だった」

 

「はい。

 私も、タクト様も、そしてエオニア様も今は亡きブリストル家の方々に戦い方を学びました。

 蛇足ではありますが、私がタクト様のお母様に拾われたのは、拾わなければ私を殺さなければならなかったからだそうです。

 15歳以降の経歴はほぼ正しいものですが、それ以前と、出生については抹消済みでございます」

 

 エオニアは皇族として、護身の為、兵を指揮する為に戦い方を学ぶのは当然だが、その中でシェリー・ブリストルの家系、ブリストル家は皇族に戦を指南する事もある程の名門であった。

 そして、エオニアはブリスト家に学び、そこでシェリーとは年が近い事もあってか親密な仲になったのは自然の流れであろう。

 それについては、公開され、ある程度の人ならば調べれば推察できる事。

 しかし、実際のにはそこにタクトとヘレスが加わっていた。

 

「私にとってシェリー様は姉でございました」

 

「そうか……」

 

 ほぼ常に微笑みを浮かべるヘレスであるが、この時だけは本物の笑みだろう。

 シヴァもあまり見た事がない、ヘレスの本当の顔の一つだ。

 深い過去に関わる記憶、今にとっては辛いものであると考えられるのに、ヘレスは笑顔だった。

 

「つまり、敵の妹にございます」

 

「そうなるな」

 

 そして、元のいつもの微笑みの顔に戻って、告げる。

 普通なら、そんな事実が知れれば内通の危険性から拘束されてもおかしくは無い。

 それを今まで黙ったいた事も考えれば、疑われても仕方の無い事だ。

 

「それでも、私はシヴァ皇子に忠誠を誓っております」

 

「ああ、私もお前を信頼している。

 例え、どんな過去があろうと」

 

「光栄の極みでございます」

 

 しかし、まるで約束事の様に交わされる会話。

 シヴァにしても、ヘレスにしても、そんな過去は関係無いと言える程、既に信頼が完成している。

 シヴァはヘレスについて知らないが、全てを任せられるとそう心から思っているのだ。

 だから、これの会話は必要ではあっても、その後になんら影響を及ぼさない会話。

 いや、より絆は深まったのかもしれない。

 

「私は少し調べ物をしてくる」

 

「畏まりました。

 後ほどお茶をお持ちいたします」

 

「ああ、頼む」

 

 シヴァは、タクトの話を聞いて、知ってしまったからこそやるべき事がある。

 この1時間は本当に貴重な時間だ。

 タクトの話をただ聞くだけになるか、それともシヴァから何かを提示できるかが変わる、今後の2人の関係をも変えかねない貴重な1時間。

 シヴァは、タクトの話しを聞いて重い空気に苛まれる時間はなく、そこから踏み出す為にこの1時間を使う。

 

 

 シヴァが部屋の奥に消えるのを見送るヘレス。

 そして、もうここからではシヴァに声が届かない、そんな距離と遮蔽物が挟まれたところで、ヘレスは口を開いた。 

 

「私などになんの御用でしょうか? エルシオール様」

 

 ヘレスの後ろに、いつの間にか出現していたエルシオール。

 それを、振り向く事も無く気付き、振り向きながら問いかけるヘレス。

 まるで、ここに来る事を知っていたかの様に。

 

「よく気付きましたね」

 

「何か言いたそうに視線を向けられ続ければ気付きますよ」

 

「私、立体映像でしかないのですけど?」

 

 実際、ここに映像としての姿はあれど、視線というのであれば、部屋にあるカメラがそれだ。

 それのカメラが見る角度を光を屈折させて視線の位置にしていはいるが、やはり機械の動作の一つでしかない。

 

「意志がそこにあれば、何も違いはございません」

 

「そうですか?

 それは後ほど検証しましょう。

 それよりも、貴方に聞きたいことがあります」

 

「シヴァ皇子の事ですね?」

 

 やはり知っていたとしか考えられない。

 エルシオールはそう感じられてならない。

 いや、事実知っているのだ。

 エルシオールの問いは、このヘレスの反応だけで答えを得たに近い。

 だから、問いは更なる問いへと変化する。

 

「何故タクトは知らないのですか?」

 

「私は、ただ女のカンでそうだと判断しただけです。

 シャトヤーン様から直接伺った訳でも、データでそれを知った訳でもございません」

 

「それでも、確信しているのでしょう?

 タクトに教えてあげた方が良いのではなくて?」

 

「これはシャトヤーン様から直接聞くべき事と判断しておりますので」

 

「そうですか。

 私は現状を理解しきれておりませんので、私からの情報提供はできません。

 ただ、タクトから聞かれたら答えますよ?」

 

「それはお任せします。

 ただ、タクト様は多分、それを直接聞きませんし、多分間違って解釈しますわ」

 

「そう? まあその時はその時です。

 どのみち、シャトヤーンとは直ぐに会う事になりますからね」

 

「ええ」

 

「では、また後で」

 

「はい」

 

 そう言って姿を消すエルシオール。

 また、1時間後には会う事になる。

 ヘレスは何事も無かったかの様にシヴァのお茶の準備に移った。

 

 

 

 

 

 それから少し後、医務室。

 休憩時間も半ばとなった頃、既にケーラとヴァニラは戻ってきており、ヴァニラに淹れて貰ったコーヒーがタクトの手にある。

 だが、コーヒーカップに口が付けられる事はなく、既に冷めてしまっている。

 

「……」

 

 ヴァニラからコーヒーを受け取る時だけ顔を見せたタクトだが、その後はずっと俯いたままだった。

 ヴァニラもケーラも、流石に声を掛ける事ができず、重い空気の中じっと耐えるしかなかった。

 こう言うときは1人にしておくべきかもしれないが、こう言うときだからこそ1人はしておけないというのもあるのだ。

 だから、ここにいるのは2人の仕事でもある。

 

 しかし、2人が重いと感じられていた空気は直ぐに和らいだ。

 

「……そうか」

 

 突然、タクトがそんな声を漏らし、顔を上げる。

 少し悲しげに、しかし先ほどまでの思いつめる様な雰囲気ではなく、複雑な心境でありながら明るさを取り戻していた。

 重いと思われていた空気は、2人の勘違いであったかの様に、既にタクトはその空気を持っていない。

 

 そして、ようやくコーヒーを口にして、一気に飲み干す。

 まるで、喉の渇きを今更自覚したかの様に。

 

「ちょっとクジラルームに行ってきます」

 

 安静が必要である事は自覚しているので、主治医に移動を申請する。

 許可が必要とは解っているが、これは行く必要があるとして、申告といっていい。

 もし何らかの理由で却下されても、エルシオールの支援を受けてでも行くつもりだった。

 

「私も付き添います」

 

「ああ、悪いね」

 

 実際のところ、まだ手足に痺れが残って居る為、近くとは言えクジラルームへの移動は独力では困難だ。

 ヴァニラに支えられながら、タクトは医務室からクジラルームへと移動した。

 

 

 

 

 

 クジラルームに来たタクトは、クロミエとヴァニラと共に宇宙クジラと会う。

 タクトの顔は、情報開示の際に見せていた暗さはなく、しかしどこか悲しげだった。

 

「宇宙クジラ、前にこの艦を『期待』という想いが包んでいると言っていたな?

 それは向こう側から2つ、大きな期待と、それに添えられる程度の大きさのもの。

 そして、あちら側から1つ、恐らくは悲しみとともにあるのではないか?」

 

 前に宇宙クジラに言われた時は、その意味を理解できなかった。

 しかし今、タクトは黒き月が去って行った方向を指し2つと、同時に本星が―――白き月がある方向を指し1つだと確認する。

 その『期待』の意味が解ったのだ。

 

「そうです。

 そして、今も大きくなっていると」

 

 クロミエに翻訳された宇宙クジラの回答。

 だが、なんとなく宇宙クジラの鳴声だけで正しかったと解った。

 

「そうか。

 ありがとう」

 

 ただそれだけを確かめ、タクトは満足していた。

 同時に、消えてしまいそうな儚い笑みを見せる。

 だが、それでも暗さは感じられない。

 これは、何かの前兆なのだと、ヴァニラとクロミエは感じていた。

 

 その後、その場から離れるタクトとヴァニラ。

 クロミエの姿が見えなくなったところで一度立ち止まる。

 

「ヴァニラ、先に戻っておいてくれないか。

 俺も直ぐに戻るよ」

 

「……解りました」

 

「すまないね」

 

 そこでヴァニラとも別れ、1人になる。

 ヴァニラは何かを察し、付き添いが必要であるにも拘らずその場を離れた。

 タクトはヴァニラがクジラルームを出た事を確認し、虚空に呼びかける。

 

「エルシオール」

 

「はい、何でしょうか?」

 

 呼ばれ、直ぐにその姿をタクトの目の前に現すエルシオール。

 当代のシャトヤーンとも良く似た、幻想的なその姿を。

 

「1つ聞きたい。

 先の戦いの中、シヴァ皇子のパーソナルデータを取ったな?」

 

「ええ、取りました」

 

「なら、解っている筈だな。

 ―――シヴァ皇子はジェラールの子ではないんじゃないか?」

 

 タクトは、確信を持ってそうエルシオールに問う。

 公式の発表とは異なる事を、ここに言葉にして。

 しかしタクトは、公式の発表を真に受ける事が如何に危険かを身をもって知っている。

 だからといって、全てを疑っては何の行動もできなくなるが、この問いには確信があった。

 

 何故なら、そうでなければエオニアの行動が説明できないのだ。

 子供というなら他にも皇族に子供は居た。

 シヴァよりも幼く、罪も何もないだろと言える子だ。

 しかし、その中でエオニアはシヴァだけを殺さず、勧誘までしている。

 ならば、その意味は―――

 

「はい、データを参照しましたが、シヴァ皇子がジェラール皇王の子であるという確証を得られませんでした」

 

「そして、お前のよく知る2人の子であると確信できたのはないか?」

 

「はい、その言葉の通りです」

 

「そうか」

 

 エルシオールの言葉を聞いて、タクトは一度空を見上げる。

 映像でしかない空だが、それでも嘗ての記憶を思い起こすには十分だ。

 

「ありがとう、エルシオール。

 もう覚悟はできたよ」

 

「そうですか」

 

 タクトの言葉に、エルシオールの反応は淡白だった。

 それを当然としているからか、それとも別の意味があるか。

 この時タクトはあまり深く考えなかった。

 どちらにしろ行動で示さなければ意味は無い。

 ただ、エルシオールは言葉を残した。

 

「ヘレスには全てお見通しね」

 

 その言葉は、タクトもそうだろうと相槌を打つところだが―――違う。

 言葉の内容は兎も角、それが意味するところでは、タクトとエルシールでは違うだとなんとなく気付いた。

 そして、その言葉と同時に、大きな溜息を吐いていたのが姿を消す前に見えた気がした。

 

「本当に、心を読める力が欲しいよ。

 あれば、こんなに回り道をする事もなかった」

 

 苦笑しつつ、タクトはその場から歩き出した。

 まだ痺れが残っている為、歩くのにも苦労するが、それでも進むと決めた。

 

 プシュッ!

 

「お話は終わりましたか?」

 

 クジラルームを出ると、そこにはヴァニラの姿があった。

 自分は聞いてはいけない話をするのだと察し、離れたヴァニラだが、今のタクトは1人にし続ける事はできないと、ここで待っていたのだ。

 

「ああ、待っていてくれたのかい? ありがとう、ヴァニラ」

 

「いえ」

 

 またヴァニラに支えてもらいながら歩くタクト。

 ああ、必要なのだ、支えが。

 今こうして歩く事にも、これから決めた道を進むのにも。

 

「ヴァニラ、俺は少し司令官らしくない事をすることにしたよ」

 

「司令官らしくないこと、ですか?」

 

「ああ、『楽観』さ」

 

「楽観?」

 

「そう、楽観。

 人が、人の心が、10年も変わらないという、とんでもない楽観さ」

 

 人の心、これほど変わりやすいものもないと、タクトは考えている。

 ちょっとした出来事、時の流れ、環境の変化で、性格が反転するくらいに激変する事は珍しくない。

 その中で、あの出来事の後、会えなくなってから5年、更に過酷な環境にも5年は晒された事になる人。

 その人が、自分の知る頃と変わっていないと信じるなど本来できる筈もない。

 しかし、タクトが歩き、進む理由はそれが前提だ。

 そして、それを前提とできるだけの信がタクトの中にはある。

 

「まあ、とりあえずまた皆が集まったら話の続きだな。

 その前に、ヴァニラ、コーヒーをまた淹れて貰えるかな?」

 

「はい、医務室に戻ったら直ぐに」

 

 今の自分は自分らしくないだろうか。

 それとも自分らしさを取り戻したのだろうか。

 その判断はタクト自身に下す事はできなかった。

 しかし、ヴァニラから見るタクトは、元以上に強い何かを感じられていた。

 

 

 

 

 

 1時間後。

 再び医務室に集まる者達。

 

「では、話の続きをしましょうか」

 

 皆が見たのは、1時間前とは別人とすら思えるタクトの姿だった。

 1時間前はアレほど重い話をして、本人も暗く落ち込んでいたのに、それが嘘の様に晴れている。

 

「私の生い立ちの話しは終わりました。

 次はエルシオールにまつわる話になります」

 

 それでも、そんな事も気にならなくなる程、皆は息を呑む。

 タクトの生い立ちの話も重要なものだったが、こちらも重要だ。

 そして、タクトとは切っても切れない関係である事は明白だ。

 

「この話も、私の生い立ちに関わります。

 話は私がヴァリア様の庇護下に入り、数年した頃に遡ります。

 さて、ミルフィーユ君、歴史の問題だ。

 ヴァリア・トランスバール様の遺された功績で最も大きいものはなんだろうか?」

 

「え? ええっと……白き月との交流を深め、連携を取る事でロストテクノロジーの発掘、普及を進めたことです」

 

 突然話を振られ、一瞬あせったミルフィーユだったが、士官学校をトップで卒業する知識を持っているのだ、それくらいは簡単に答えられる。

 ミルフィーユの言う通り、エオニアの父、ヴァリア・トランスバールの最もたる功績は白き月とロストテクノロジーに関する事だ。

 エンジェル隊が白き月で行っていた任務、ロストテクノロジーの捜索は、ヴァリア・トランスバールが創設した組織の後継とも言えるものだった。

 ヴァリアの功績の最たる、というのも、実際ヴァリアの功績の9割はそれだった。

 当時酷い内乱状態であるが故に、その内乱鎮圧は長男のトーラリオが、内乱の理由にもなりえるロストテクノロジーの管理、平和利用等、戦後を考えた活動は次兄のヴァリアが行っていた。

 トーラリオの死後は、トーラリオの仕事の一部を引き継いだが、基本的に前線に出る事はなかった。

 そして、その兄達の裏で内政の安定に努めていたのがジェラールだった。

 

 一般的な解釈として、トーラリオも、ヴァリアも、その仕事の危険性故に命を落としたとされている。

 が、実際にはジェラールの暗躍あってこそのものだ。

 そのジェラールも、一番目立たぬ仕事であるが故、兄達の輝かしい功績の前に、闇に囁かれる黒い衝動に呑まれ、そんな凶行に走ったのかもしれない。

 

 と、そんな話は今は置いておこう。

 つまり、ヴァリアは殆ど時間を白き月と共に過ごしたという事だ。

 

「そう、ヴァリア様は白き月と交流を主な仕事とし、年間どころか月間で数えられる程頻繁に白き月を訪れた。

 時には、息子達を連れて」

 

「っ!」

 

 このメンバーの中には覚えている者も居るだろう。

 白き月と交流を深めるヴァリア・トランスバールと当時の―――今から見れば先代のシャトヤーンとが会談する中に、幼き日のエオニアの姿があった事を。

 エオニアが追放された最近では、そう言った画像が使われる事が無い為、忘れられているが、エオニアはロストテクノロジーに精通する歴とした過去がある。

 

「その息子達という括りの中には私とヘレス、更にはシェリー・ブリストルも含まれた。

 公に出来ぬ存在だけに、報道のカメラが回る事もある場では結構大変だったのだが、ヴァリア様は手を尽くしてくださった。

 私をエオニアと同じ様に息子として扱ってくださった。

 それでも、実はなんどかカメラに顔を取られた事があったりしましたけどね」

 

 因みに、何か問題が起きた時の為にタクトはヘレスと共にブリストル家の縁の者という事にしてあった。

 が、カメラに映った事はあっても、報道はヴァリアとシャトヤーンを映すのに忙しかった為、基本的にエオニアすら相手にされる事は無いに等しかった。

 それくらい、2人の会談が重要視されていたという意味でもあるが、ともあれタクト達にとっては動きやすい状況にあったと言える。

 

「そしてその時、当代のシャトヤーン。

 当時はまだ『シャトヤーン』を継ぐ為の修行中だった少女に出会い、私達―――私、エオニア、ヘレス、シェリーの5人は友人となりました」

 

「シャトヤーン様と!?」

 

 驚きの声が上がる。

 今までも十分驚愕に声を上げたい事の連発であったが、今声を上げたのはシヴァ皇子だ。

 アルモとココも声が出掛かっていた様にも見える。

 皇族の話は、一般人には遠すぎるし、シヴァにとっては近すぎる話。

 しかし、シャトヤーン、特に当代のシャトヤーンはシヴァやアルモ、ココにとっては馴染みのある人物であると同時に過去に謎がある人だ。

 紋章機、エルシオールが深く関わる話なのだから、白き月もシャトヤーンも当然関わると思っていたが、その始点はあまりに意外なものだった。

 だからか、そんな声があがった。

 

「ええ。

 当時はまだ『シャトヤーン』を継ぐ為に知識を詰め込む作業をしていたらしくてね、殆ど人形の様な状態だった。

 そんなシャトヤーンを連れ出して、よく白き月の内部を遊び場にしてましたよ」

 

「……」

 

 昔を思い出しながら、笑みを浮かべるタクトだが、シヴァやアルモ達にとってはにわかに信じがたい話だ。

 今までの話は、ただ聞く事しかできなかったが、今のシャトヤーンを知っているだけに、想像できそうで、できないという感じだ。

 

「証拠になるか解りませんが、1つ当代のシャトヤーンについて絶対に公開はされていない情報を明かしましょう。

 まあ、あまり広めるのも良くないのですが……シャトヤーンは、左肩から胸に掛けて大きな傷跡があるのはご存知ですか?」

 

 シャトヤーンはほぼ常にドレスの様にひらひらとしたドレスの様な服を着ており、その衣装における肌の露出は顔と手くらいで、首も殆ど見えない。

 『シャトヤーン』としての正装の様なものなのか、代々のシャトヤーンも使っていた装束であるが、その服の下の事を知る者など普通は考えられない。

 

「……確かに。

 私も見た事がある」

 

「あ、それは私も。

 たまたまでしたけど」

 

「私はカルテの一部を」

 

「あっれ、やっぱりそうだったんですか……」

 

 タクトの証言、それを知っている者はこの中でも僅かに3名。

 シヴァと、ミルフィーユとヴァニラだけだ。

 心当たりがあるという風なのもアルモ、1名のみだ。

 白き月の関係者は他にも居るが、全く知らない。

 それくらい、隠されてきた事。

 尤も、女性が自身の体の傷を隠すなど当然の事だが、しかし今の技術で消せない傷跡でもない。

 ならば何故残っているのかが不可解だ。

 

「あの傷は私とエオニアがつけたものです」

 

「なっ!」

 

 別の意味の驚きの声が上がるが、タクトは話を続ける。

 

「これは出会ってから大分後の話ですが、私とエオニアが一度大喧嘩をした事がありまして。

 その時、割って入ったシャトヤーンを巻き込んでしまい、大きな傷を付ける事になりました。

 幸いその時はナノマシン医療技師が居ましたので、大事には至りませんでしたが、当時のナノマシン医療では傷跡が残る程の重傷でした。

 それでもある程度時間さえ掛ければ完全に傷跡は消せる筈だったのですけど」

 

 そんな話をするタクトは、先ほどとは別の意味で沈痛な顔をする。

 女性を傷つけた話など、恥ずべき話なので当然だが、その心境もまた複雑だという事は見て取れる。

 

「そう言えば、傷について私が聞いたときシャトヤーン様は言われた。

 『この傷を残す事で、争いを止める事もできます』と」

 

「ええ、そうです。

 それから私とエオニアはもう一切シャトヤーンには頭が上がらなくなりましたよ」

 

 当時を思い出して苦笑するしかないタクト。

 女性を傷つけたという汚点と共に、最初は人形の様だったその女性がそこまで心を理解し、利用する様な事までしたのだから。

 勿論、あの時のタクトとエオニアを見て、2人が争う事、2人が傷つけ合う様な事はあってほしくないという想いからであろうが。

 これだけならば、タクトにとってはただの思い出話だ。

 しかし、証言したシヴァの言葉は続いた。

 

「だが、その言葉はこう続く。

 『しかし、次の争いは私の命を差し出したところで止められはしないでしょう』と。

 確か2年ほど前に聞いた話だ」

 

 シヴァはこの言葉を聞いた当時は意味が解らなかった。

 しかし、タクトの話を聞けばその意味は明白だ。

 そして、タクトにとってもこの言葉の意味は大きい。

 

「そうか、やはりシャトヤーンは解っていたのか」

 

 次の争いというのが、今こうしてエオニアが黒き月を率いて起こしている戦争に他ならない。

 そして、その相手は皇国ではなくタクトだと、シャトヤーンはそう言っているのだ。

 こうなる事を、エオニアが黒き月を率いて戻ってくる事を、少なくとも2年前には気づいていた事になる。

 

 なればこそ、タクトは歩む事を止めてはならない。

 

「話の続きをしましょう。

 私達とシャトヤーンは友人となり、白き月を遊び場にしました。

 そんなある日、白き月の奥で、開かないとされていた扉が開いたのです。

 そして、私達は見つけた―――この艦、エルシオールを。

 エルシオール」

 

「はい」

 

 タクトに呼ばれ、タクトの隣に姿を現すエルシオール。

 ここに居るメンバーでは、ブリッジメンバーとヴァニラくらいしか直接見た事はない。

 だが、シャトヤーンに似た女性の立体映像として伝えられ、既に驚きの声は上がらない。

 

「自己紹介くらいは頼んでいいかな?」

 

「ええ、いいですよ。

 私はエルシオール。

 白き月の剣、強襲用母艦エルシオールにして、この船の統合オペレーションシステム、エルシオールです」

 

 エルシオールはここに名を告げる。

 その役割と共に、その象徴である名を。

 

「白き月の剣?」

 

「強襲用母艦?」

 

 今まで儀礼艦として使ってきたエルシオール。

 そう思っていたが故にあまりに似つかわしくないと思える単語に反応してしまう。

 

「皆さんは白き月の製造目的について考えてことはありますか?」

 

 しかし、タクトの次の言葉は問いだった。

 それも、即答できる筈ものない問い。

 持論すら持たぬ、考えた事などない、全く新しい問いだ。

 

「白き月の製造目的?」

 

 白き月、それはクロノ・クエイクによって失われた叡智を齎した存在。

 トランスバールの国民にとって、それ以上の存在理由は必要なかった。

 だが、そもそもエルシオールはクロノ・クエイクを耐え凌ぎ、トランスバールに辿り着いた存在。

 つまりは、クロノ・クエイク以前の存在であり、その叡智が当たり前だった頃に作られた物。

 ならば当然作られた目的が存在する。

 でなければ、いくら技術が失われる前とはいえ、これ程の建造物がそう易々と作れる筈がない。

 

「そう、製造目的。

 失われた叡智を齎した存在として、あたかも平和の象徴の様に扱われている白き月ですが、実際は何故作られたのか。

 双子の黒き月と共に、作らざるを得なかった理由が存在します」

 

「双子の?」

 

 誰もが耳を疑う。

 先の戦いで敵対した巨大建造物の名前が『黒き月』だというのは既に聞いた。

 そして、よく見れば白き月と似たような形状をしている事も気付いている。

 大きさも、白き月とほぼ同じなのだ。

 関連性が無いなどとは思わない。

 しかし、やはり平和の象徴に等しい白き月と、星を破壊した黒き月が『双子』などと言われ、それが受け入れられる筈もない。

 

「エルシオール、ここら辺の説明は?」

 

「情報公開の条件は以前と変わりません。

 少なくとも、最終試験が終わるまでは」

 

「そうか。

 では私からの説明を続けましょう」

 

 タクトとエルシオールは、本人達にしか解らないやり取りをして、また話を続ける。

 気になるには気になるが、今はそれに対して問う余裕は誰にも無い。

 

「敵が居たのです。

 とはいえ、私もデータでしか知らないので、居たらしい、というべきでしょうが、今は省きます。

 敵が存在していたのです。

 クロノ・クエイク以前の、我々人間の文明には。

 人間とは別の種族、別の知的生命体。

 我々と同等以上の技術力を持って侵略してきた者達。

 白き月と黒き月はそれに対抗する為に作られました」

 

「敵……」

 

 誰もがその言葉を飲み込めずにいた。

 それもそうだろう。

 いきなりそんな事を言われても、信じられるだけの情報、経験を誰も持っていないのだ。

 

「信じられないでしょうし、今は考えても仕方の無い事なので、敵の詳細については今は置いておきます。

 ともあれ、その外敵に対して白き月と黒き月は、対抗する為の手段の一つとして作られました。

 ただ、白き月と黒き月はそれそのものが対抗手段ではなく、対抗する為の技術開発の為に作られたのです。

 別々のアプローチで兵器を作り上げ、それらを競い合わせて最終的に1つの完成形へと導く巨大な実験施設として」

 

「別々のアプローチ……実験施設……

 その別々のアプローチというのは、白き月ではH.A.L.Oシステムが根幹になるのか?」

 

 信じがたい話ではあるが、タクトの話を信じなければ話は進まない。

 白き月で過ごした時間の長いシヴァだが、それでもタクトの言葉を受け入れ、考える。

 ただ聞くだけでは意味は無く、聞く側も考えなければならない。

 

「そうです。

 そして、黒き月では機械制御のシステムを根幹としています。

 人間が出しうる最大力を目指した白き月と、絶対に限りなく近い安定した力を目指した黒き月。

 その実験は最終段階まで進んだそうです」

 

「そこでクロノ・クエイクか」

 

「そうなります。

 その後、白き月はトランスバールへ流れ着きましたが、黒き月はエオニアが発見するまで宇宙を漂っていたのでしょう。

 その間、何を考え、何をしてきたかは定かではありません。

 ですが、こうしてエオニアがトランスバールに黒き月を持ち帰り、戦争を仕掛けた。

 その意味は解ります」

 

「この話をエオニアも知っているのなら、エオニアは今戦争をもその最終試験の場とするつもりか?!」

 

 多数の人間の命をも犠牲にして何の実験かと、シヴァは憤る。

 これは実験ではない、実際の戦争なのだ。

 そんな事を理由に殺された人々を思えば、叫ばずにはいられない。

 

「その通りでしょう。

 だからこそ、我々は勝たねばなりません。

 エオニアに―――いえ、黒き月が勝利するという結果を残してはいけないのです」

 

 この戦い、数多の人の命を犠牲にしたエオニアが勝利する事は許されない。

 星まで破壊した者が勝者となるなど間違っている。

 それが勝たねばならない理由だろう。

 だが、それだけではなかった。

 いや、それだけではなくなったのだ。

 

「黒き月が勝っていけない理由があるんだね?

 実験の結果黒き月の技術が優秀だと解れば、その後の技術開発は黒き月の無人機を主体としたものになる。

 それは、ある意味で兵士が死ななくて済むという道だろう?」

 

 シヴァの次に意見を述べたのはフォルテだった。

 これはフォルテ個人の考えでもあるが、実際に戦う兵士の代表としての言葉でもあるだろう。

 機械が全てやってくれるなら、それはそれで正しいのではないかと。

 勿論フォルテもそれが良いと言っている訳ではないが、間違ってはいないと考えている。

 結局人間の技術進歩は機械による自動化をしてきた歴史でもあるのだから。

 

「ああ、それだけなら問題はありません。

 だが、1つ間違っているのは、勝者側の技術は主体となるが、技術自体は統合されるという事です。

 つまり、H.A.L.Oシステムも改良されて無人艦の技術に取り込まれる」

 

「H.A.L.Oを? でもあれは不安定の代名詞みたいなものだろう?

 人を選ぶわ、テンション次第で出力を上下するわで」

 

「しかし、H.A.L.Oシステムによる最大力は、素晴らしいという賛辞をも通り越し、脅威とすら言えるものだ。

 現在のエンジェル隊ですら、無人艦など軽く5倍以上の戦力を相手にできるだろう? 大型とはいえ戦闘機でしかないのに」

 

「確かにそうだが……

 いや、タクト、今『現在のエンジェル隊ですら』と言ったね?

 それはつまり、今の私達の紋章機は、その性能をフルに使えていないって事かい?」

 

 フォルテは、貶されたと怒って言っている訳ではない。

 実際、操縦技術を見るならばタクトの方が上だと言う事もあるし、あの白い翼が生えた状態の出力は過去のどんなテンションの時と比較しても軽く凌駕するものだ。

 だから、最低限あの状態を乗りこなせなければならないとは考えている。

 

「ああ、言っては悪いけどね。

 エルシオール、そのデータの開示くらいは頼めるかい?」

 

「ええ、それくらはいいでしょう」

 

 まだタクト以外にはエルシオールが話すかどうかの境界線が見えない。

 しかし、エルシオールが納得した後、全員の前にグラフが表示される。

 5つの折れ線グラフだ。

 そのグラフを見て、エンジェル隊のH.A.L.Oシステムの出力値であると解るのは、エンジェル隊とクレータくらいだが、解説もちゃんと記載されている。

 ただ、解らないのは、エンジェル隊全員の出力値は上下しつつも最近になる程高い数値を出しているが、グラフとしては妙に下方に線があるのだ。

 それもその筈、グラフの縦軸になっているH.A.L.Oシステムの出力値の基準がおかしいのだ。

 

「なんですの? このグラフ。

 最大値が2000%を越えてますわよ?」

 

 出力値が%で表されるのも初めて見たが、それならば普通は100%が最大となる筈だ。

 なのにグラフの縦軸は2000%を越える高さを持っており、エンジェル隊の出力平均は30%程度で、最大でも先の戦いの時だろう86%だった。

 普通に考えれば100%より上はいらない筈で、これではグラフが見づらいだけと言える。

 しかし―――

 

「それで正しい表示です。

 現在では%表示の出力測定は行っていない様ですが、数値にすると解り辛い為にこうしました。

 そして、この場合使われている100%の基準というのは、H.A.L.Oシステムを開発した当初、開発技術者が最大値と考えていた数値です。

 全く役に立たない数値と言う訳ではありませんが、実際にはそんな基準など軽く超えてしまったのです。

 そのグラフの最大値、2148%というのは、観測上の最大値です」

 

「2、2148%!

 さっきの戦いの時ですら85%程度だぞ! それ以外ではタクトと2人乗りした時のヴァニラですら81%だ。

 まさかそんな出力が―――」

 

 在り得ない、そう言いそうになった。

 今まで紋章機に乗ってきた者の1人として、フォルテはそう言いそうなった。

 しかし違う。

 既に見ている。

 エルシオールが、星をも穿つ砲を止めるのを。

 いかに戦闘機と戦艦の差があるとは言え、それはH.A.L.Oシステムが齎したものに他ならない。

 

「エルシオール、俺とシヴァ皇子がツインドライブした時の出力値は?」

 

「不安定でしたが、平均して300%というところです」

 

「300……

 いや、その前に―――」

 

「こうなってしまったからには、私もここに居る者達には開示しておこう。

 今まで黙っていて悪かったが、私は皇子として育てられた女だ。

 H.A.L.Oシステムとの適合は元々高かったのだ。

 そなた達、エンジェル隊にも負けぬくらいにな」

 

 もう何度目だろうか、驚きで情報整理が追いつかない。

 そんな状態に陥る。

 しかし、もう何度も経験しているが故に回復も早い。

 

「シヴァ様が皇女であられたとは、今まで何度と無く非礼があったことと存じますが……」

 

「それについてはよい。

 隠していたのは私の方だ。

 隠したのはシャトヤーン様の判断だったらしいのだがな。

 詳しくは私も知らぬ。

 今はそれよりも、タクトの話を聞こう」

 

「はっ!」

 

 シヴァ皇子についての混乱は直ぐに収まった。

 シヴァが男か女かなど、この中では大して問題にしている者はいないのだ、混乱の原因は『何故偽ったのか』でしかない。

 それもシヴァの方からシャトヤーンしか知らない事を明かされては、それ以上何かを言う様なこともない。

 

「では話の続きを」

 

「はい。

 あの戦いで紋章機はシステムのバックアップを受け、大体H.A.L.Oシステムの出力は約5割の増幅がなされ、あの状態に至っています」

 

「つまり、130%弱の出力だったってことね。

 普段の4倍強。

 そりゃ強く感じる筈だわ」

 

 尚、出力が4倍というのはあくまでH.A.L.Oシステムの出力換算であって、機体性能がそのまま4倍になった訳ではない。

 とはいえ、感覚としてはそれに近い強さを発揮している。

 そんな比べ物にならない出力になったのに、操縦が自在に行えたのは、操縦補助もしているH.A.L.Oシステムの恩恵によるものだ。

 

「因みにその2148%は、嘗てのクロノ・クエイク発生のおり、白き月を護った時の出力です。

 測定器の測定限界数値でしかなく、実際にはそれ以上だったでしょう。

 なにせ、機体ごと消滅してしまう程の、暴走としかいえないものでしたから」

 

「―――!」

 

 クロノ・クエイク。

 文明が衰退する程の宇宙規模大災害。

 それを防ぎ、白き月を護ったとすれば、いったいどれ程の力を必要としたのだろうか。

 クロノ・クエイクの威力を知らない為、想像も難しいが、納得してしまうには十分な言葉だった。

 それに、機体ごと消滅してしまう、などという事態が起こった事にも驚きを隠せない。

 どんな戦闘機にしたところで、エンジンが暴走して爆発すれば、機体など木っ端微塵に吹き飛ぶだろう。

 しかし、クロノストリングエンジンが暴走するほどの出力など聞いた事もなく、H.A.L.Oシステムがどれ程恐ろしいものか、認識を改めずにはいられない。

 

 その驚き故、タクトとヘレス以外は見逃してしまう。

 その話をするエルシオールが悲しげな顔をしている事を。

 

「……そうか、だから、だからなんですね?

 紋章機のH.A.L.Oシステムとクロノストリングエンジンにはハードウェアでリミッターが掛かっているのは。

 1000%のリミッター、意味不明でしたが、そう言う訳だったんですか」

 

 その中でも皆の驚きとは別の事を考えていたクレータ。

 紋章機に関わってきて、謎の数値やデータは沢山あるが、整備している時にも見える謎があった。

 その1つが出力リミッター。

 普通1000%を上限とするなど、意味があるのか疑わしく、誤記としか思えないだろう。

 しかし、それは誤記の類ではなく、本当に1000%での出力停止を設定されているのだ。

 暴走し、自己消滅にまで至る様な事が起きない為の暫定的なリミッターだ。

 

「あのリミッターに気付いたのね。

 優秀な技術者だわ。

 正しく測定ができなかったから、どの値でリミッターを掛ければいいか定かではないのだけど、1000%以下なら正常稼動が確認されています」

 

「ともあれ、今のエンジェル隊の出力が100%にも至っていなかったのは、とりあえず気にしなくていい。

 嘗ての乗り手も、何年も掛けてそうなったらしいし、条件もいろいろと異なる。

 君達にはこれから越えてもらえば良いし、その為の訓練もこれからはできる。

 で、こんなデータを見せたのには別の理由があります。

 そう、現状の戦力ですら100%の出力を出していない紋章機。

 しかし、そんな紋章機を動かすのに必要なH.A.L.Oシステム適合者は彼女達が皇国中から集めた最高の適合者です。

 それについての問題は、今更私から言うべき事でもないでしょう」

 

 H.A.L.Oシステムの最大の欠点、それは動作が不安定だとか、運用が難しいというのもあるがそれ以上の問題がある。

 適合者の問題だ。

 タクトの言うとおり、皇国中からかき集めてやっと5人の適合者が揃ったくらい、H.A.L.Oシステムに適合する者は稀だ。

 ただ動かすだけならば問題なく、そう言う基準を持って集められていない整備班のメンバーもほぼ全員が動かす事ができる。

 だが、戦闘機として運用するには、やはり皇国中から集めてやっと5人であった。

 それは、ここに居る者なら当然としている事実。

 しかし―――

 

「H.A.L.Oシステムを運用するだけで精一杯の今ならいざ知らず。

 H.A.L.Oシステムを製作した時代では、当然あったのです。

 その欠点を補う為のプロジェクトが。

 そして、考案されたのが多重搭乗方式と、完全合一方式。

 多重搭乗方式は、ツインドライブシステムとして、2重での実用が行われ、嘗ての紋章機はその方式で運用されていました。

 この方式は、1人のある一定レベル適合者と別の人間1人をH.A.L.Oシステムに同時にアクセスさせ、高い出力を確保するものです。

 この方式の利点は、一方が適合者であれば、もう一方は適合レベルが極めて低い者でも機能する点です。

 勿論適合レベルが高い事に越した事はありませんが、非適合者が適合者の出力を増幅する形を取れる為、数の少ない適合者の数を埋める事ができます。

 特に、戦闘機を運用するならば、複座とし、H.A.L.Oシステム適合者と、操縦者を分けて運用すれば効率的です」

 

 タクトの説明と共に、エルシオールが幾つかの資料を提示する。

 H.A.L.Oシステムについての資料である為、クレータくらいしか理解しきれる者はいないが、説得力としては有効だった。

 それに、複座での運用については、誰しも考える事。

 今のエンジェル隊は戦闘機のパイロットしても十分やっていける為問題にならないが、H.A.L.Oシステム適合者が必ずパイロットになれるかと言えばそうでは無い筈。

 とは言え、H.A.L.Oシステムの適合者となれる基準が今尚解明しきれていない為、断言する事もできないのだが。

 

「これは、先の戦いで使ったシステムだな?

 私と、貴方で」

 

「はい。

 エルシオールは本来2名での運用を想定して作られています。

 クロノ・クエイク以前の紋章機と同じ様に。

 そして、私もツインドライブシステムについては使用経験があります」

 

 タクトはそこで一度言葉を区切った。

 そうして、その過去を思い出すように一度目を閉じる。

 

「エルシオールを発見した私、エオニア、シャトヤーンは、そこでエルシオールに権限を付与された。

 書き換え不可能な、エルシオールに命令を下せる権限を。

 その為、その後のH.A.L.Oシステム、紋章機の研究やエルシオールの実動テストなどは、私達3人が行う必要がありました。

 そして、その中で、私はパイロットの才能があったらしく、紋章機のテストを担当しました。

 複座の紋章機、0番機を用い、H.A.L.Oシステムをシャトヤーンが担当して」

 

 タクトは口にしないが、当時タクトの年齢は10歳、シャトヤーン11歳の頃。

 今のエンジェル隊と比べても尚若い2人が戦闘機パイロットとしてテストを行うは無茶とも思われたが、紋章機の性能がそれを可能とした。

 そして、母より受け継いだ血もまた紋章機のテストに大いに役立つ事となった。

 

「その時のデータです。

 ざっと見ていただいても解る通り、後期では500%近い値を出しています。

 瞬間最大では更に跳ね上がりますが、このデータには記載しておりません」

 

「複座と単座の違いがあるとしても、ここまで……」

 

 差があるとは解っていたが、エンジェル隊のメンバーは愕然としてしまう。

 自信喪失にも繋がりかねないが、これとそれとは別物のデータだ。

 

「これこそツインドライブシステムの効力です。

 シャトヤーン1人では最大でも200%程度の出力しか記録していません。

 複座にする事で倍を越える性能の発揮が可能なシステムとして期待されていました」

 

「ただ、大きな欠点がある為、複座での使用は考えておりません」

 

「大きな欠点?」

 

「欠点については、今お話はできませんが、解決不能な欠点です」

 

 ここまで話しておいて、と思わざる得ないほどやや強引な話の切り方をするエルシオール。

 『今は』という理由も気になるところで、皆少し怪訝に思ってしまう。

 

「因みに、私とシヴァ皇子でドライブを行った時、出力を上げられたのは、目的が1つに絞られ、極短時間だった事が理由です。

 尤も、ツインドライブ用のシステムは現在エルシオールには搭載されていない為、本式のツインドライブではなかったのですが、皇子の意志が強かった為、何とかなりました。

 皇子、あの時は悪しき誘導をしたことをお詫び申し上げます」

 

「いや、あの時はそうしなければ多くの命が失われ、エオニアの勝利で終わるところだった。

 それは良いのです。

 しかし、システムを搭載していなかったとは?」

 

 先の戦いで、シヴァをメインとし、タクトと2人でこのエルシオールを動かし、敵の主砲クロノバスターキャノンを止めた。

 アレほどの出力を出せたのは、その時限りの激情と、タクトとの補助あってこそのものだ。

 だが、その力のツインドライブでありながら、ツインドライブの本来の方式から外れるものだった。

 

「はい、本来この様な形での封印解除は想定していなかった為、システム本体は白き月です」

 

「では、どうやって?」

 

「通常のH.A.L.Oシステムは詰まれていますので、シヴァ皇子はそれに。

 私の方は、残っていたプラグだけを使い、かなり無理やりながら、システムと直接接続しました。

 完全合一方式の技術を使った接続で、シヴァ皇子の入っているH.A.L.Oシステムにアクセスし、ツインドライブとしました」

 

「……」

 

 その言葉を聞いて、ヴァニラの視線が強まる。

 そして、周囲の視線も。

 何せ、シヴァは既に全快しているのに、タクトがこうしてまだベッドの上に居るのは、その完全合一方式が原因である事は明白だからだ。

 

「順序から言えば、完全合一方式の方が先に考案されたそうです。

 H.A.L.Oシステムにアクセスする際、どうも肉体そのものが邪魔をしている部分があるらしく、この方式が考え出されました。

 搭乗者からシステムにアクセスするのではなく、システムそのものが搭乗者と一体化する、そんな方式です」

 

「一体……化?」

 

「そう、『一体化』です。

 先ほどの戦いで私が行ったのは、その中途半端な形で、ただの『接続』です。

 『接続』によるH.A.L.Oシステムの実験は過去に行われ、リスクに見合わないとして破棄されたものです。

 その後で考え出されたのが多重搭載方式と、一体化による完全合一方式。

 一体化とは文字通り人間の体は機械に取り込まれる―――分離を考えない、人間というパーツとして使う事を言います。

 そんな方法を使えば、ほぼ誰でもH.A.L.Oシステムを100%前後の出力で稼動させる事ができるのです」

 

「人間をパーツとして扱うなんて、そんなの許せません!」

 

「ええ、当然ですね。

 しかし、もし僅か数名の人間の命で皇国中の人間の命を護れるならどうでしょうか?

 トップとしては、それを決断しなければならない事もある」

 

「……」

 

 現在、この皇国の責任者はシヴァだ。

 既に戦争に勝つ為に、兵士を死地に送り出す覚悟をしているのだ。

 それに比べれば遥かに少ない数の人間を利用して、その数百、数千倍もの兵士の命を助けられるならばと、計算して考える事も必要になる。

 例え、非人道的な方法でも、それは知らされなければ、その後には平和な世界が残るだけだ。

 取捨選択。

 人の上に立つ者に、必ず訪れる決断の時。

 

 そして、エオニアは既にそれを選んでいるのだ。

 

「ただし、これは黒き月側に属する技術です」

 

 しかし、その決断をするにはまだ早い。

 他の方法というのものが存在する限り。

 

「つまり、勝てばいいんだろう?

 白き月が。

 そうすれば、そんなふざけた技術を使わずに済む」

 

「勝たなければならない理由が1つ増えただけですわね」

 

 そう、こんな長い話も、要は勝てば言いだけの話となる。

 人が戦う理由などそれぞれで、どれを最重要とするかは自由だ。

 その中で、候補が1つ増えたに過ぎず、やる事は変わらない。

 

「そうです。

 では、最後に勝つ為の話をしましょう」

 

 心に圧し掛かる様な重い話は終わり、いつもの調子に限りなく近いタクトがそう告げた。

 

「あの羽が生えるのは使えないのかい?

 アレがあれば、黒き月も落とせそうだけど」

 

「いや、エンブレムフレームは使えない。

 私、エオニア、シャトヤーンの3人が権限を持っている事は既に言いましたが、その権限は後に3つに分割されました。

 共通するのは、こうしてエルシオールを起こす権限です。

 シャトヤーン固有の権限はH.A.L.Oシステムの解放、つまりは先の戦いで羽の生えた状態など、紋章機の本来の力を出す為の権限を持っています。

 しかし、遠隔地に居る為、承認は仮のものしか出せず、敵対する権限所持者であるエオニアがここに居る限り、仮の権限は破棄されます。

 そして、エオニアが持っている固有権限はエルシオールの解放権限。

 メインブリッジをはじめとする、エルシオールのH.A.L.Oシステムを使った機能の解放権限を持っています。

 先の戦いでは、本来私の持っている権限を、シャトヤーンの遠隔権限とあわせる事で半ば無理矢理解放した状態で、今はエオニア本人により再封印されています。

 エオニアの前でも、解放前の状態でエルシオールが使用可能なのは、エルシオールは権限所持者の私が死ぬ様な直接的行動が取れない事を利用したものです」

 

 ただ事実のみを告げるタクト。

 これだけ聞くと、状況は大凡好転できると思えない。

 何せ、相手側は主砲を破壊したとは言え、その他には被害らしい被害を受けていない。

 対し、エルシオールも元に戻っただけだが、皇国軍という全体では被害は甚大だったのだ。

 だが、それでも場の雰囲気は落ち込む事はない。

 

「タクトさんは? タクトさんは何の権限を持っているんですか?」

 

「私が持つ権限は―――エルシオールが、『白き月の剣』たらんとする、エルシオールの最強兵装の使用権限です」

 

「エルシオールを『白き月の剣』たらしめる兵装?」

 

「簡単に言うと、黒き月の主砲、クロノバスターキャノンの白き月バージョン。

 『クロノブレイクキャノン』という、クロノバスターキャノンにも匹敵する砲です」

 

「そんなものが……」

 

「ええ、黒き月の撃破にも必要なものです。

 それがあるのは白き月。

 装備の為にも、使用する為にも白き月へ向かう必要があります」

 

 星をも破壊する兵器が白き月にもある。

 それは本来受け入れがたい事だが、現に必要とされている以上、それに異を唱える者はない。

 それに、これでやるべき事は決まったのだ。

 

「よし、ではエルシオールは整備が終了次第白き月へ。

 我々はここで敵を可能な限り食い止めよう」

 

「私もエルシオールに同行する。

 よいな?」

 

「はっ!」

 

 こうして、エルシオールは白き月へと向かう事となった。

 勝利の為に。

 過去からの真実を得る為―――そして、未来を得る為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数時間後、黒き月。

 玉座の様な黒き月の一室。

 そこでエオニアは1人、宇宙を眺めていた。

 と、そこへノアが部屋に現れる。

 

「お兄様、エルシオールがファーゴを出たわ。

 向かう先は白き月の方向ね」

 

「だろうな。

 これで舞台が整う」

 

「私達も向かわないとね」

 

「ああ。

 だが、その前に……シェリー」

 

 エオニアが通信を開き、今は出撃中のシェリーを呼び出す。

 

『はい、お呼びでしょうか?』

 

 返事は直ぐに返ってくる。

 まるで通信が来るのが解っていたかの様に。

 

「最後の確認と、適当にエサをばらまいておいてくれ」

 

『承知しました』

 

 それで通信は終わり。

 一体何を言っているのか、他者にはまるでわからない会話だ。

 

「シェリーに何をさせるの?」

 

「ちょっとした野暮用さ。

 ノアはとりあえず気にしないでいい。

 私達は最後の舞台の準備を進めようじゃないか」

 

「そうね」

 

 エオニアの言葉に、ノアは特に疑う事なく従い、また姿を消した。

 黒き月にある兵器生産工場へと向かった筈だ。

 

「そう、それでいい」

 

 それを見送って、エオニアは1人笑みを浮かべる。

 

「紋章機とエルシオール。

 翼の形こそ天使のそれだが、姿はどちらかといえば飛竜に近い。

 竜といえば『力』の象徴だ。

 正義でも悪でもない『力』。

 正義も悪も使い手次第、そしてその時代次第となろう」

 

 それは誰に向けられた言葉か。

 その言葉はエオニアしかいないこの部屋に響き、消えてゆく。

 ただ、エオニアは心から笑みを浮かべ、無限に広がる宇宙に目を向けていた。

 

 

 

 

 

To Be Continued......

 

 

 

 

 

 後書き

 

 という訳で9話でした。

 長ったらしい説明にお付き合いいただきありがとうございます〜。

 ホント、もうちょっとなんとかならないのかと思いつつ、どうする事もできませんでした。

 これで大体の秘密が解放された訳ですが、それでも結構秘密はまだ残っていますね。

 2章に向けての布石も沢山打ってますし。

 読者の事を考えない性悪作者ですみません。

 

 ともあれ、物語も終盤となりました。

 多分後2話とエピローグで終わります。

 1章は。

 

 では、次回もよろしくどうぞ〜。








管理人のコメント


 ネタ晴らしの第1回目ってところでしょうか。

 2回目は白き月で、シャトヤーンからやってくれるでしょう。

 原作と違ってジェラールの子ではないシヴァという存在もいるわけですし。

 しかしなんというか、タクトが終始敬語というのは違和感ありますねぇ。



 作中でエオニアが引いたトリガーは……ヤマトに出る波動砲のあれでしょうか?


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