二つの月と星達の戦記

最終話 二つの月

 

 

 

 

 

 トランスバール本星、その衛星軌道上。

 ただ静かに居座り、星に住む者全てに恐怖を与え続けていた物言わぬ機械の軍隊。

 それが今、僅か1隻の戦闘母艦と、5機の戦闘機によって破壊されて行く。

 白き月を知るものならば当然知っている部隊、エンジェル隊とその母艦、エルシオールの手によって。

 

 ここには嘗て、彼女等をしても逃げるしかなかった大軍が駐在していた。

 しかし、帰って来た彼女達にとっては『油断できない数』でしかなく、トランスバール本星の遥か上空で爆砕という信号を送る。

 地上に居る者達に、帰還と、勝利を告げる信号弾だ。

 

「2番機、4番機はその敵を倒したら補給に戻れ。

 1番機、2時方向の敵集団を、3番機はそのまま直進。

 5番機は1番機の修理及び援護を」

 

 主に敵を落とすのはエンジェル隊だが、母艦とそれに搭乗する司令官あってこその戦闘だ。

 なにより、敵の爆砕という信号弾と同時にブリッジでは通信を使った一斉放送が行われている。

 

「トランスバールの民よ、我々は帰って来た!」

 

 この戦いが始まるまで、最後の皇族シヴァの名の知名度は極めて低かった。

 しかし、既に本星の人々も、皇族の相次ぐ死亡の報せは受けており、同時に残った皇族が誰かも知っている。

 トランスバール皇国が、『皇国』としての最後の希望。

 そして、トランスバールに住む人民全ての最大の光、天の使者が戻ってきた。

 望遠鏡など使わなくとも解る爆発の連続、それが星を宇宙から見下ろし、恐怖を振りまいていた無人艦だと知るのは容易い。

 そして、最後の一機もエンジェル隊によって払われ、この宙域の安全は確保された。

 

「我、シヴァ・トランスバールの名において、ここにトランスバールの解放を宣言する!!」

 

 敵は駆逐された。

 シヴァの宣言により、地上は歓声につつまれていた。

 それが、宇宙に居ながらにして聞こえてきそうなくらい、地上は輝いている。

 星が光を取り戻したかの様に。

 

「司令、皇子、地上の生き残った軍施設との通信が繋がりました」

 

「よし、繋いでくれ」

 

 だが、戦いはまだ終わりではない。

 むしろこれからが本番だ。

 それに備え、先ずは地上との連携を行う事になる。

 

 最初に行うのは被害状況の確認だ。

 これは予想していた通り、皇族や軍将校が居た場所以外に目立った被害は無い。

 一般市民にとっては宇宙との交通が遮断された以外は被害は無かったといっていい。

 エオニアに占拠されていたという状況を除けば、基本的に市民の生活に大した支障は出ていなかった様だ。

 それもその筈、エオニア軍最大の問題である人材不足は、本来なら星一つの占拠すら不可能なレベルの深刻さだ。

 いや、星一つどころか、街一つすら占拠しきれなかっただろう。

 曲がりなりにも『占拠』という状況を作り出せているのは無数の無人艦の存在あってこそだ。

 エオニア軍がトランスバール本星にした事といえば、皇族、軍将校の殺害の他は、主要軍施設の破壊くらいである。

 後は殺さなかった軍人と政治家を降伏させただけで、統治は任せていたのだ。

 

 その為、戦力と言う意味では地上は全く無力だが、物資という面では十分に余力がある。

 少なくとも、後1回の戦いをするには。

 

 その後、シヴァ皇子、タクトと地上との会議は通信で2時間程行われ、この宙域が最後の決戦の地となり、その時の対処などを話し合った。

 今回の会議では主に状況の説明をし合うだけで、地上との連携についてはまた次の席で話し合う事となり、一度打ち切る。

 それよりももっと重要な話をしなければならない相手が今も待っているのだから。

 

 

 

 

 

 無人艦隊の排除はトランスバール本星の衛星軌道全域で行われた戦闘。

 地上との通信も移動しながらだった。

 何処への移動かと言えば、白き月までの移動だ。

 白き月は光に包まれたまま、ただトランスバール本星の衛星軌道上に存在するだけだ。

 シヴァとエンジェル隊を乗せたエルシオールが逃げ出したその日からずっと。

 その光は、タクトが知る限り世界を隔てるものであり、接触はおろか、通信の為の電波、光も通さない。

 淡い緑の光に包まれてはいても、その姿形は見て取れるので光は通している様で、しかしレーザーは届かず、ただ姿が見えるという不可思議な結界。

 白き月がそこに在り続けることは、多少なりとも地上の人々の希望をつなぐものではあったが、一切の連絡が取れない状況というのは逆に不安の種にもなっていた。

 ただ1人、エルシオールのみ、特殊な事情により行き来が可能なだけの状態となっている。

 

「ではエルシオール、シャトヤーンに俺達の到着を伝え、シールドを解除してもらってくれ」

 

「了解しました」

 

 今の白き月は外からのコンタクトが一切不可能な状態にある。

 そして、中からも外の様子は一切解らない。

 見えている白き月の姿はほぼ虚像といえるもので、互いの姿が見えている様で見えていないのだ。

 その為、いまだ白き月はエルシオールの帰還を知らない。

 だから先ずは白き月に、中にいるシャトヤーンに帰還と、安全が確保された事を伝えなくてはならない。

 因みに、この光の解除に伴い、エルシオールは白き月の全方位を、人間サイズ以下、小石程までの近づく物体全てを監視する予定になっている。

 このタイミングでの侵入を狙った輩というのが居ないとは限らないからだ。

 

 そうして、タクトがエルシオールに連絡を頼んで1分程で彼女は再びブリッジに姿を見せる。

 

「報せてきたわ。

 でも、シールドの解除権限は譲渡しているそうよ」

 

「ああ、それもあったな、そういえば」

 

 エルシオールはただタクトに向けてだけそう告げた。

 他の者には一切解らない会話だ。

 このシールドは『世界』である。

 とタクトが語ったのはフォルテにだけだ。

 フォルテからある程度のメンバーまではその話が展開されているが、ブリッジメンバー全員とまではいかない。

 それもあって、会話の内容を正しく推察できた者はいない。

 後にシャトヤーンから語られる事になるが、この『世界』を展開するには、白き月の最高責任者の権限がなくてはならない。

 しかし、エルシオールという唯一つの例外を除き、外部との連絡が取れなくなる為、解除の基準として外部に居る者に権限を譲渡する場合がある。

 むしろ、シールドを展開する理由を考えれば、外部に残る者に譲渡するのが普通になる。

 とはいえ、このシールドは、試験運用以外での展開は今回が初めてなので、これが最初の例になる。

 

「……で、それを聞いてきただけって事は、そう言う事か?」

 

「ええ、そう言うこと。

 権限は今その譲渡された者のみが持っていて、シャトヤーンは解除権限を持っていないそうよ」

 

 しかし、エルシオールという唯一つの例外を持つタクトが、その例外を駆使して連絡したのに解除がされない。

 普通に考えれば、シャトヤーン本人が行うのが正式なのだから、そうすべきだ。

 それがされないという事は、本来解除するべきシャトヤーンがその権限を放棄しているという事。

 つまりは、その譲渡された対象以外に、白き月を解放する術は無く、シャトヤーンは全ての命運をその者に託した事になる。

 

「シヴァ皇子、シャトヤーンから何か受け取っていますね?」

 

 その託した対象。

 そんな人はこの場に1人しかいない。

 少なくともタクトにはシヴァしか思いつかない。

 この戦争の裏、過去、その全ての真実を大体とはいえ知る者として、それ以外の適任は考えられない。

 

「ああ、アレの事か。

 解った、少し準備が必要になる。

 ヘレス、手伝ってくれ」

 

「承知しました」

 

 シヴァも直ぐに思い出した様で、ヘレスを連れて自室へと戻る。

 タクトも譲渡された場合の解除について、細かいやり方は知らない。

 と言うより、シャトヤーンが指定した条件の実行も含まれる為、その度に変わるらしい。

 だから、タクトは手伝いを申し出る事もなく、ただブリッジで待つだけとする。

 

「話は半分も見えませんが。

 シヴァ皇子を誘拐されていたら、私達に勝利はありえなかったという事ですね」

 

「そうなるな。

 最後の皇族と言う時点でそうなってしまうが、反攻の手段すら奪われる訳だ。

 シヴァ皇子を護れない程度なら、いっそ降伏しろという事なんだろうさ」

 

 シャトヤーンが何処まで考えてそうしたかはまだ定かではない。

 だが、タクトがまだ話していない―――というよりタクトが事実を確認できていない事も理由に含まれる筈。

 ともあれ、シヴァという存在はこの戦争、そしてその後においても鍵となり、道となる。

 それだけは確かだ。

 

 それ以上の事はシャトヤーンから直接聞けばいい。

 タクトはそう静かに考えていた。

 

 もう、程なく会う事ができる。

 本来なら、それだけで平静を保つのも難しいだろうと、タクトは自身をそう分析する。

 それでも、こんなに心が冷めたままなのは何故だろうか。

 解っている。

 今会った所で、決して笑って話せる事はないからだ―――

 

 

 

 

 

 シヴァ皇子が部屋に戻って数分後。

 突如エルシオールが光り輝き始める。

 だがそれはエルシオールの機能ではない。

 エルシオールの内部で行われている事によるものだ。

 そして、その光は白き月の光に降り注ぎ、白き月が護りとして展開している光が解け始める。

 時間にしては数十秒程度だろう。

 虚像を覆っていた光は消え、そこに本当の白き月が現れる。

 自ら作り出した世界に篭っていた月が、今この場に姿を現したのだ。

 

「白き月のメインゲートが開いています。

 ガイドビーコンを受信」

 

「通信が入りました。

 白き月、シャトヤーン様からです」

 

「開け」

 

「はい」

 

 白き月がこの場に現れて直ぐ、門が開き、道が示される。

 そして同時に通信も送られる。

 それに、白き月の巫女達は歓喜の声を上げた。

 

『エルシオールの皆様、長い旅路お疲れ様でした。

 よく無事に帰ってきてくれました』

 

「シャトヤーン様……」

 

 通信ウインドウに現れる白き月の聖母、シャトヤーン。

 慈悲に満ちた笑みで迎えてくれる。

 ただそれだけで、巫女達は溜まっていた疲労が解ける様だった。

 やっと帰ってこれたのだ。

 その安心感もあって、涙を流す者すらいる。

 

『この旅で幾つかの秘密を知ってしまった方々。

 私からもお話すべきことがあります。

 どうか、白き月へお越しください』

 

 そこで通信は終わった。

 この通信は部屋に居るシヴァ皇子にも届いている筈だが、個人的な話をする事はなかった。

 いや、幾つかの秘密を既に公開しているのだ、そうなれば尚更通信では話せないのだろう。

 

「よし。

 白き月、メインドックへ入港せよ」

 

 白き月はロストテクノロジーを扱う場として、ロストテクノロジーによる最高最大レベルのセキュリティを敷かれた場所だ。

 だが、ロストテクノロジーの研究等をする為にも内部に人が住み、生活している。

 一応白き月は内部にプラントを持ち、完全に外部から隔離されようとも半永久的に生活を維持できる。

 だがそれができる人数は限られる上、どちらにしろ発見されたロストテクノロジーの搬入は必要だ。

 その為、当然宇宙港は存在し、大型の輸送船も入ることができる。

 

 しかしその中で、最も奥にある、メンテナンスから開発まで行うメインドッグへ入港する事が許されるのは、白き月の巫女であるアルモやココもエルシオール以外では知らない。

 そのエルシオールすら、数回しか利用した履歴はなく、定期メンテナンスは別の場所で行われていたくらいだ。

 ただ、今回の利用には驚きはない。

 なにせ、エルシオールがここで改修される事はもう解っている事なのだから。

 それも、白き月の秘密に関わる程、重要なパーツの追加なのだから、更なる秘密のドッグがあるかもしれないくらいに思っていた。

 

「シャトヤーンの方は既に準備を終えているわ。

 直ぐに改修は開始できるけど、その前に話を聞くでしょう?」

 

「ああ、聞かねばならないだろう。

 エンジェル隊とアルモ、ココ、クレータは、聞く覚悟があるなら来てくれ」

 

「勿論行きますよ」

 

「ええ、当然ですね」

 

 エンジェル隊とアルモとココは既に覚悟は決まっている。

 後で確認する事になるが、技術者を代表するクレータもだ。

 そして、当然シヴァ皇子とヘレスも。

 

「白き月到着後、当代のシャトヤーンと謁見する」

 

 特に準備する事はない。

 やるとすれば、入港後は待機の命令を下す事くらいだろう。

 そして、覚悟をもって、白き月へ降りる。

 それだけだ。

 

 

 

 

 

 

 周囲に敵も居ない為、通常のプロセスを経て白き月メインゲートから入り、メインドッグへと入港したエルシオール。

 エルシオールも長い戦いで傷を負っている為、直ぐにでも整備を始めたい所ではあるが、整備班はまだ待機となる。

 ここでの整備は、エルシオールと紋章機を本来の姿へとする改装を含む為、先ず必要になるのは情報。

 とりあえず図面を見てもらい、更に指揮を執るクレータが戻るのを待つ。

 エルシオールと紋章機を本来の姿に戻す、その覚悟をもったクレータが帰るのを。

 

 そして、それ以上に、本来の姿に戻った紋章機とエルシオールの担い手が覚悟を決める事を待つ必要があった。

 

 

 

 

 

 エルシオールから降りたタクト、レスター、シヴァ、ヘレス、エンジェル隊の5名とアルモとココ、クレータ。

 計12名は無言のまま白き月の奥へと進む。

 ロストテクノロジーのセキュリティーに護られた、白き月の中でも最高の護りを敷かれている場所へと向かう。

 それは『謁見の間』。

 巫女達も、エンジェル隊も滅多な事では入れなかった特別な場所。

 それもその筈、『謁見の間』という名になっており、実際代々のシャトヤーンに謁見する為の場所になっているが、実際には白き月のコントロールルームでもある場所だ。

 見た目にはエルシオールの謁見の間を広くしただけの空間だが、その実、白き月の中心であり、白き月の全てはこの場所にあると言っても過言では無い。

 他の場所でもある程度の操作はでき、通常なら輸送船を中に入れる為のゲートの開閉などは管制室で行う。

 だが、今現在白き月はシャトヤーン以外の人員は居ない為、シャトヤーンがここで全てを操作しており、ここを離れられない。

 その為、会いに行く必要がある。

 過去と未来を得る為に。

 

 荘厳な扉がタクト達の到着に伴い、開かれる。

 今ここに居るメンバーの殆どは一度は訪れた事のある場所、白き月の謁見の間。

 そこで待っているのは、ただの呼び名ではなく、真実『聖母』としてそこに在る女性、シャトヤーン。

 

「ようこそいらっしゃいました」

 

 皆を迎えるシャトヤーンは、普段通りの穏やかな笑みを見せる。

 ただ、居る場所が少し普段とは違う。

 白き月の謁見の間は、そう呼ばれるだけの見た目で、奥の数段上がったところに玉座を模したコントロールセンターがある。

 白き月の管理者としてだけでも、十分過ぎる重役だ。

 上座に居るのは当然であり、ある程度『威厳』というものも必要になる為、聖母とて数段上の玉座の前に立っているのが常だ。

 しかし、今シャトヤーンは玉座の前ではなく、謁見する者が居る高さにまで下り、部屋の中央で待っていた。

 

 それは今回来るメンバーの中に皇族が居るのだから、ある意味当然の事かもしれない。

 しかし、それだけが理由では無い事がタクト達にはなんとなく感じられていた。

 

「シャトヤーン様、ただいま戻りました」

 

「おかえりなさいませ、シヴァ様。

 エンジェル隊のみなさん、ご苦労様でした」

 

「いえ、我々は職務を果たしたに過ぎません」

 

 エンジェル隊を代表し、フォルテがシャトヤーンの言葉に応える。

 そう言う場では厳格な軍人であるフォルテだが、今は少し笑みを浮かべながらの答え。

 フォルテがシャトヤーンに心を許している事が窺える。

 

「アルモ、ココ、クレータ、そしてヘレス、更には軍人の方々もよくぞここまで戻ってきてくれました。

 感謝の言葉もありません」

 

「シャトヤーン様……」

 

 アルモ、ココは、本来ならこうして直にシャトヤーンに謁見し、言葉を貰う機会など無かった者だ。

 クレータは、紋章機に関わる上で、多少の機会はあったが、それでも技術的な話を聞くだけ。

 ただ一言の言葉を聞くだけで、3人は緊張が解けてしまう。

 

 しかし、その言葉の中にヘレスの名があった事にも気付く。

 既に真実を得ている為、シャトヤーンとヘレスは旧知であるのは知られているのだからある意味当然。

 ただ、今までずっとシヴァ皇子付きの侍女としてこうして謁見の間にも来た事がありながら、シャトヤーンがヘレスの名を呼んだ事は無かった。

 少なくとも、シヴァにはそんな記憶はない。

 今思えば、それは少し不可思議な事だ。

 

 ともあれ、そうしてシャトヤーンは着た者達に対して一通り言葉をかけた。

 タクトとレスターは軍人で括れば、全員だ。

 だが、やはりあるだろうと、シヴァもレスター達も続く言葉を待った。

 

「そしてタクト―――

 10年と265日、15時間24分14秒ぶりですね」

 

「ああ、そうだな」

 

 タクト以外の誰もが聞いた事のない再会の言葉。

 そんな表現の仕方をシャトヤーンがしているところを誰も知らない。

 だが、それに対するタクトの返答は実に素っ気無かった。

 大凡無表情に近い2人から、互いにどんな心情なのかを知るのは極めて難しい。

 少しだけ沈黙が続いた。

 誰も言葉を発さない、シャトヤーンがタクトを、タクトがシャトヤーンを見ているだけの時間。

 ただ、それも本当に僅かなものだった。

 

「では皆様、ここへいらっしゃったという事は、知りに来たのですね?

 エルシオール様から、タクトがどの程度の情報を開示したかは聞いております」

 

 間も無く、本題に移行する。

 そう、これが本題だ。

 本来タクト達はその話をしに来た。

 だが、何も無く始まってしまっていいのかと、疑問に思わざるを得ない。

 しかし、始まってしまった以上は仕方がない。

 

「基本的にタクトから開示された情報でほぼ全てになります。

 現状我々が知る真実というものは。

 後は、推測できる部分はありますが、推測でしか無い為、話さない事。

 それと、私だけが知る過去がいくつかある程度でしょう。

 私に何か聞きたい事がありますか?」

 

 皇族としての情報、エルシオールの真実、白き月の真実。

 それらはタクトから公開され、この戦争の裏側というのが見えてきた。

 シャトヤーンも、それらの情報を持つ者の1人であり、タクトとほぼ同じ情報を持っているだろう。

 だから、共有する部分は省く場合、後は『シャトヤーン』としての情報と、当代のシャトヤーンだから知る情報くらいだ。

 真実を話して貰うつもりでここに来た者は、一度考え直さなければならない。

 タクトから聞いた真実の中で、尚謎とされる部分、シャトヤーンだから知っている部分とは何かを。

 

「ではシャトヤーン様、私から」

 

 その中、先名乗り出たのはシヴァだった。

 意を決して紡ぐ問いは、他の誰でもない、シヴァだけに許された問い。

 

「お聞かせ願いたいのは―――私の出生です」

 

 タクトの話を聞いた際にシヴァがその場で公開した秘密であり、謎の一つ。

 シヴァの出生には幾つかの疑問がある。

 先ず第一に、母親の事。

 公式には庶民の女性とされ、極秘事項扱いとなっている。

 第二に、シャトヤーンが施したという性別の偽造。

 女性であるシヴァが、皇子として育てられていた事、その理由。

 

 それともう一つある。

 シヴァが白き月で育てられていた理由だ。

 シヴァが持っている情報では、シヴァの母親は白き月の巫女と思われ、出産自体が白き月だったから、そのまま白き月で育てられたとされている。

 しかし、重要視されていないとはいえ、仮にも皇族が白き月で育てられるという特別扱いを受けている。

 親から放逐されているという悪い面と、白き月という、本来皇族ですら易々とは入れない場所で暮らせるという良い面の2面での特別がある。

 なぜそうしたのか。

 跡継ぎとして重要視していなかったとしても、育てるだけなら何処でも出来た筈なのだ。

 ジェラールの子であるならば、ジェラールにその責任がある。

 ジェラールの子であるならば―――

 

「……そうですね、それは話さなければならないでしょう」

 

 シャトヤーンから笑みが消え、シャトヤーンは一度目を伏せた。

 シャトヤーンが口を閉ざし、目を伏せてから暫く時間が流れる。

 異様に長く思える時間だった。

 それだけ、シャトヤーンの決意の重さが解る空気だった。

 

「先ず、訂正しなければならない。

 シヴァ皇子は、前皇ジェラール・トランスバールの子ではありません。

 しかし、先々代皇王フィエトナ・トランスバール様から連なる正統な後継者です」

 

「私の父はジェラールではない……」

 

 シャトヤーンから告げられる真実は、今まで衝撃的な真実を聞いてきたこの場のメンバーでも言葉を失う程のものだった。

 既に皇族は裏で後継者争いで血を血で洗う争いがあるのが当然くらいの認識でいたが、ここへ来て、最後の皇族であるシヴァの父親とされていた人すら変わるとなると大きい。

 場合によって戦後の統治にも影響を及ぼすだろう。

 

 それに、シャトヤーンはあくまで父親の名は告げなかった。

 あくまで、先々代、つまりはトーラリオ、ヴァリア、ジェラールの3名の父親、その人から連なる血筋であるとだけしか。

 真実を知る為のこの場で名を告げないという事は、この場ですら口にできない更なる禁忌という事になる。

 シヴァの年齢から考え、真っ当な手段で産まれたのであれば、トーラリオはありえない筈で、計算上ヴァリアも無いと考えられる。

 その上でジェラールが否定されたとなると、更に闇が深くなるだろう。

 場合によっては3名の男児のみとされている先々代フィエトナにまだ子が居たことすら想像してしまう。

 そして、もしかしたら、シヴァが普通ではない手段で生まれてきた子とすら……

 

「では私の母は? 母親は一体……

 私は、何故産まれて来たのですか?!」

 

 この段階になって突如父親すら知っていたものと違う事を知り、若干取り乱しているシヴァ。

 本来最後の皇として見せてはいけない姿だろうが、しかし、誰が咎められようか。

 それに、その問いはタクトにとっては自分とも重なるものだった。

 自分がどうして生まれたか、当たり前に両親を持つ者ならそんな疑問は抱かないだろうが、持たざる者にとってはとても重要な事だ。

 だからこそ、タクトも含めて誰もシヴァに言葉をかけることはできない。

 この問いは、少なくとも両親か、両親を良く知る人の言葉でなければ意味を成さないだろう。

 

 その上で、口を開くのはシャトヤーンだ。

 

「……貴方の母は愚かな女でした」

 

 しかし、シャトヤーンの口からでた言葉は、誰もが耳を疑った。

 

「その女は、こんな事になる事など微塵も考えず、ただ『産みたい』という願いだけをもって貴方を出産しました。

 誰にも知られずに子を産む事など不可能な立場に居ながら、先というものを全く考えなかったのです」

 

 シャトヤーンの知る真実の告白が始まる。

 しかし、違和感は強まるばかりだ。

 『その女』などという言い方、シャトヤーンなら決してしない筈。

 よほどその人に憎しみを持っているのか、そうでなければ―――

 

「自分の事だけならまだしも、父親たる人にまで影響する―――いえ、父親である人にこそ大きな枷となってしまう、今はそう言う状況だと知っていた筈だったのに。

 挙句、ジェラールには全て先手を取られました」

 

 シャトヤーンに浮かぶ表情は悲壮。

 その告白は、懺悔にも似ていた。

 

「ジェラールは自分の子であると宣言する事で、貴方をこの地に縛りました。

 皇族としてしまえば、その行動はどうあっても監視がつきます。

 子を逃がす事すらできなくなったその女ができた事と言えば、性別を偽り、最悪の利用を避けた事。

 そして、母親と名乗らぬ事で、厄災を暫し遅らせる事だけでした。

 どちらにしろ、ある程度の年齢で不可能になる事で、時間稼ぎにもならない。

 信頼できる友人がやってきた事で、なんとかギリギリまで維持が可能な事でした」

 

 そこでシャトヤーンが目を向けたのはヘレスだった。

 性別を偽り続ける事も、母親を秘密にし続ける事も、実際傍で育てる人の協力無しには不可能な事だ。

 その協力は、現政権のトップたるジェラールに逆らう事であり、そんな事を頼める者など並の関係では出来ない事だ。

 それがヘレス。

 その女の大切な友人の1人。

 

「ジェラールが亡くなり、そのほかの皇族も全て亡くなった今だからこそ真実を告げる事ができます。

 貴方は、決して望まれぬ子ではなかった。

 たとえ母親と名乗る事ができなくとも、貴方への愛を無くした事はなかった。

 たとえ、貴方にそれを伝える手段がなくても……」

 

 シャトヤーンの言動から、誰もが『まさか』とは考えていた。

 しかし、最早それは明言となる。

 

「まさか……シャトヤーン様が私の……」

 

「シヴァ、ごめんなさい、今まで何もできなくて、全てを貴方に背負わせて。

 そう、私が貴方の母親です。

 母親を名乗る権利などとうに失っているでしょうが、私にとって、貴方は愛しい娘です」

 

「は、母上!」

 

「シヴァ!」

 

 シヴァは白き月で育った。

 故に、シャトヤーンは何度となくシヴァと会っている。

 だが、抱きしめた事はなかった。

 仮にも皇族として公言されてしまった存在だ。

 本来なら会う事も難しく、触れる事などもっての他となるだろう。

 それは如何にシャトヤーンであっても変わらない。

 

 それが、今やっと叶う。

 シヴァが、母を求める事で、やっと。

 

「母上の愛情、確かに受け取っておりました。

 ずっと、ずっと、シャトヤーン様を母親の様だと思ってきた、それは正しかった、それだけの事だったんだ」

 

「シヴァ、ありがとう、こんな愚かな女を母と呼んでくれて」

 

 母と娘の再会。

 そう呼ぶにはずっと傍に居た。

 だが、居た筈なのに見えない壁があった。

 ジェラールの呪縛による壁だ。

 それは今やなく、2人は本来の母と娘に戻る事ができた。

 

 きっと、ずっとそうしていたいだろう2人だったが、程なく母と娘の抱擁は終わる。

 2人とも立場のある人間、情に流されそうしていたが、本来人前では許されない事だ。

 故に、エンジェル隊もアルモ、ココ、クレータ、そしてタクト、レスターは、それぞれ涙を流し正常な視界ではないか、目を伏せて何も見ていない。

 下らない事で、面倒な事かもしれないが、それは重要な事でもあった。

 人の上に立つとはそう言うことなのだ。

 

「皆の者、手間を掛けさせたな」

 

「ごめんなさい、皆さん。

 月の聖母と慕ってくれた存在が、この様な愚かな女で」

 

 シヴァはもう、皇子としての顔に戻っている。

 シャトヤーンも涙を拭き、皆の前に立つ。

 2人だけの時間は終わったが、今はこうして2人は並んで立つことができる。

 それだけで、2人にとっては十分な事だった。

 それに、皆にとっても。

 

「いえ、シャトヤーン様は我々が憧れる聖母です。

 私は、貴方様の下に居ることができて幸せです」

 

 アルモやココ、そしてクレータは、今少し納得してしまったのだ。

 シャトヤーンは代々若い内に世代交代となる。

 代々のシャトヤーンは公にされている情報が確かならば母親となっている者はいなかった。

 ならばなぜ、『月の聖母』と呼ばれているのだろうか。

 確かに、聖母と呼べるだけの包容力のある女性ばかりだったが、『聖女』でも良かった筈だ。

 そんな疑問は、今のシャトヤーンの姿で消え去る。

 少なくとも、当代のシャトヤーンは確かに月の『聖母』と呼べる存在だった。

 

「ありがとう、アルモ。

 では、話の続きをしましょう。

 シヴァの出生を語った以上、後私に語れるのはエルシオールと紋章機の事。

 タクトが居ない間に行った処理と、その解除の事をお話します」

 

 本題中の本題。

 この戦争に勝つ為の光が今語られる。

 タクトは、公言した真実よりエルシオールや紋章機と関わらなくなって10年あまりが経過している。

 その間にあった事は、正に『今』へと繋がる道だ。

 

「タクトから、エルシオールと紋章機は私達によって白き月で発見された事を聞きましたね。

 そして、エルシオールと紋章機は私、タクト、エオニアによってテストされていたと。

 私はその後を話しましょう。

 まず、タクトが皇位継承権を破棄する前に、それらのテストは一通り終わっていました。

 その結果を元に、今の紋章機の製造がスタートし、完成しています。

 唯一つ終わっていなかったテストがあるのですが、どちらにしろ生産が間に合わなかった物で、『今』には影響しません。

 エルシオールについては、テストが終わった後、エルシオール様を再度封印する事で儀礼艦として運用する事が決まりました。

 本当の目的で使うその日まで。

 テストの終了と封印は今から10年と263日前の事です」

 

 大凡11年前という事になる。

 そして、シャトヤーンがタクトに最後に会ったという日と2日しか違いがない。

 同時に、その日数を計算すると出てくるのは、エオニアの父であるヴァリア・トランスバールが暗殺された日が出てくる。

 それは、テスト終了及びエルシオール封印の一日後であり、シャトヤーンがタクトと会った最後の日の一日前だ。

 

「現在使用されている紋章機の製造が完了したのは皆様もご存知の通り、公としている時で間違いありません。

 テスト終了時点で既に設計の大半は終わっていた為、今日に間に合わせる事が出来ました」

 

 普通、兵器の開発は10年でも足りるかどうかわからないものだ。

 クレータは知っている。

 既に設計が終わっていたとしても、その日から本当に10年近くかけて、やっと組み上がったのだ。

 部品の一つ一つから作らねばならないので、それは大仕事だった。

 何せロストテクノロジーの塊であり、部品全てがロストテクノロジーと言っていい。

 一度失われた技術の集大成だ。

 その技術は白き月にあったとはいえ、製造は技術の解明と平行作業だった。

 設計図面に不備は無くとも、それを実現させるのは想像を絶する苦難の連続だったのだ。

 しかし、それゆえにクレータは紋章機に誇りを持っている。

 ある意味で搭乗者たるエンジェル隊以上に、紋章機を最強と信じて疑っていない。

 

「シャトヤーン様、一ついいでしょうか?

 今の紋章機は1から製造した様ですが、前の紋章機はどうなったのですか?」

 

 そこで一つフォルテが問う。

 クレータ達の苦労がどれ程のものだったかを知っている訳ではない。

 だが、普通に考えてもそれがとんでもない労力を必要とする事は解る事だ。

 ならば、わざわざ作り直さなくとも、元あるものを利用すれば良かった筈。

 当然クロノ・クエイク以前の物、つまりはかなり年代を経た物となるが、何せ技術は進歩どころか衰退したのだから、それでも最強である筈だ。

 

「前の紋章機は在るには在ります。

 しかし、クロノ・クエイクの衝撃を止める為、1機が自身を消滅させる程のエネルギーを放出して白き月を護ったのは聞いていますね?

 その際、白き月は無事でしたが、他の機体は余波を受け、大破しました。

 とはいえ、中枢部は無事なので、修理は可能だったのですが、結論として旧型の紋章機は使用しない事が決まりました。

 複座から単座への作り変える必要もあった為、設計から見直す事になったのです。

 それに、その製造を通し技術力を取り戻すという目的もありました」

 

 クレータ達が苦労した事は無駄ではない。

 今尚数多のロストテクノロジーの解明に追われる白き月の中で、紋章機に関する技術はほぼ取り戻し終えているのだ。

 この戦いの先に真の敵がいるともなれば、紋章機はただ使えるだけで、謎の塊などという状態ではとても勝利という未来は見通せないだろう。

 だからそれはいいとして、わざわざ複座へと変えた理由を、やはりシャトヤーンは語ろうとしない。

 

「複座から単座への変更理由はやはりまだ教えていただけないのですか?」

 

「ええ、残念ながら。

 一応パーツは残っていますので、そのパーツを使いたいという事でしたら可能です。

 いえ、正確にはクロノストリングエンジンさえあれば、1年程度で復元が可能でしょう」

 

「クロノストリングエンジンなんて、いくらでもありそうですが?」

 

 フォルテの問いは、エルシオールも答えられないといっていた問題により、納得できる回答ではなかった。

 しかし、それはフォルテが抱いていたもう一つの疑問に繋がる。

 白き月のとんでもないシールドに、黒き月が使った星をも砕く砲。

 それがあったとしても、どうしたって戦いとは数だ。

 現在のエンジェル隊5名が皇国中から集めたトップクラスなのはいいとしても、戦力としては数があまりに少なすぎる。

 製造が難しいのであれば、旧型の複座にも頼るべきではないのか。

 複座ならばある程度H.A.L.Oシステムへの適正が低くてもなんとなるだろうし、元よりその為のシステムを積んでいる筈なのだ。

 

「違うのです。

 皆さんがクロノストリングエンジンと呼んでいるものは、白き月に残っていた技術で作ったあくまでエネルギーを得るだけの機能限定の量産品。

 本物のクロノストリングエンジン、クロノ・クエイク以前の技術で作られた物は、現在この白き月と紋章機、エルシオールに使用されているものしかありません。

 もし量産のクロノストリングエンジンを使用しても、紋章機は50%の出力すら発揮できないでしょう」

 

「やはり、あのクロノストリングエンジンは特別製でしたか。

 常々他の物とは違うとは思っていましたが……」

 

 技術者として触れてきたクレータはうすうすながら気付いていた。

 全く同じ様に作っている様でいて、紋章機の物と、量産品では大きな違いがあると。

 量産品なのだから、ある程度コストを落とす為に機能を削っている部分もあるが、それはそんなレベルで済まされる話ではなかった。

 

「そうです。

 そして、白き月の総力を持ってしても、同じクロノストリングエンジンはもう作れません。

 クロノ・クエイクのおりに失った1機分の紋章機用クロノストリングエンジンを作るのには、三百年の時間を要しました。

 機材も、資材も何もかもが足りないのです。

 元々紋章機のクロノストリングエンジンは、クロノ・クエイク以前の技術において、最高傑作でした」

 

「それ程に……」

 

 特別だ特別だと思ってきた紋章機だが、シャトヤーンの口から出る言葉には想像すら追いつかず、ただ言葉が漏れるだけだった。

 当然自分達が壊す様な事は考えもしていないが、しかし、もう自機を大破などさせられないと思ってしまう。

 

「後1機、まだテストの最終段階の終わってない機体があります。

 既にパイロット候補も決まっているのですが、この戦いには間に合いませんでした。

 残念ですが、現状の戦力だけで、黒き月との最終決戦を勝ち抜いてください」

 

「はっ! 問題ありません。

 必ずや勝利してご覧にいれます!」

 

 現状の戦力では戦えない訳ではない。

 少なくとも黒き月を相手にするだけなら、相手の戦闘機乗りも5名だ。

 クロノバスターキャノンに対抗する手段さえあれば五分。

 これで勝てない、戦力に不安があるなどと言える筈がない。

 むしろ、不謹慎かもしれないが、彼等との戦いに今の自分達以外の者には入ってきてほしくは無いという気持ちもある。

 彼等との決着は自分達の手で付けたい。

 

「恐らく、黒き月は次の戦いでその技術の全てを出してくるでしょう。

 ですが、こちらも今度は全力です。

 エルシオールにも紋章機にも、普段は必要ない力として様々な封印が施されています。

 特にエルシオールは、白き月で管理できる戦艦として運用する為、儀礼艦という事にして、武装の殆どが外されています。

 儀礼艦としてでも運用し、エルシオールのクルーに技術を身につけてもらう必要がありました」

 

 戦艦ともなると、その運用には訓練が欠かせない。

 大勢で一つの船を動かすのだから、単純な操作方法から連携方法まで全てを知る必要がある。

 1人乗りの戦闘機ですら、乗りこなすのに必要な日数はかなりのものを要すのだから、大勢で動かす戦艦を動かせる様になるには、年単位の時間が必要になる。

 それを、儀礼艦として運用する中で身につけてもらう。

 ロストテクノロジーの塊で、白き月の巫女でしか動かせない様な船が、儀礼艦として使われてきたのはそう言う理由があった。

 

「今こそ解放の時。

 エルシオールは全ての武装―――白き月側の主砲にして白き月の剣、クロノブレイクキャノンを搭載。

 紋章機は、補助システムを解放し、エンジェル隊のH.A.L.Oシステムとのリンクを強化します。

 既に作業の準備は完了し、作業手順についても情報を展開しています」

 

「承知いたしました。

 では総員、作業に移れ!

 エンジェル隊もシステムの解放された紋章機と再調整に入れ」

 

「黒き月が到着するまでに、頼んだぞ皆の者!」

 

「了解!」

 

 シャトヤーンからの許しとタクトの命、シヴァからの激励を受け、皆は最終決戦に向けて動き始める。

 礼の後、謁見の間を退出する面々。

 だが、その最後にシャトヤーンが口を開く。

 

「タクト……少しお話がしたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

「……ああ、そうだな。

 皆は作業を。

 レスター、指揮を頼む」

 

「ああ、解った」

 

 最後の最後、ギリギリでタクトを呼び止めたシャトヤーン。

 タクトは呼び止められるまで、なんら変わった様子は無く、部屋を出る気でいた。

 そして、あまり乗り気には見えないタクト。

 2人がそのままシャトヤーンの私室へと移動するのが、謁見の間の扉が閉まるまでの間に確認できた。

 

 

 

 

 

 2人を残し、エルシオールへと戻る他の者達。

 クレータ、アルモ、ココは先に走って戻っていった。

 技術者達には1秒でも惜しい時間だ。

 エンジェル隊やレスターにとっても貴重な時間ではあるが、それ以上に考えたい事があった。

 

 話の流れで誰もが忘れてしまっていた、2人の関係というものを。

 最後の最後でやっと2人はそれらしい行為に出たが、少し不安もある。

 2人の様子から、単純に再会を喜ぶ風ではないからだ。

 それに、再会を喜ぶには大きな問題もある。

 

「タクトかエオニアじゃないのか? 父親は」

 

 口を開いたのはフォルテだ。

 だが、皆同じ事を考えていた。

 

「そうだな、普通に考えればそうなる。

 シヴァ皇子の年齢と、シャトヤーン様の境遇を考えればそれしかないだろう。

 ここへきて、他の皇族が出てくるってのも考えにくいのもあるしな」

 

 レスターの考えも、ほぼ全員で共通するもの。

 しかし、その2択こそ問題だった。

 

「片や皇位継承権を破棄した男で、公には存在しない皇族。

 片や敵となり、星すら殺した大罪人だ。

 どちらが父親にしても、今後公表できるとは考えにくい」

 

「あの場でシャトヤーン様が口にしなかったんだ、そう言う事だろう」

 

 今後の問題として特に大きいのはそれだ。

 当面は既に公表されている通り、ジェラールの子とするしかないだろう。

 だが、それよりも先に問題となる事がある。

 

「タクトは、どんな気持ちだろうな?

 それにシヴァ皇子も。

 どちらにしろ、こんな話はシヴァ皇子の前ではできないが……あ?」

 

 そう、タクトとシヴァの心情が問題だ。

 エンジェル隊にとっても無視できない事。

 だから、2人共いないこんな場でその話を口にした。

 今はシヴァもいない―――

 

「あれ? シヴァ皇子?」

 

 フォルテは、シヴァ皇子が傍に居ないからこそ、そんな話題を口に出した。

 シヴァ皇子が傍に居ない事を確認してからちゃんと言葉にした。

 だが、その事を考えるの頭が一杯だった。

 衝撃的な話を幾つも聞いた後という事もある。

 だからか、シヴァ皇子が自分達と一緒にエルシオールに戻る道に居ない事に今更ながら気付いたのだ。

 

「ああ、シヴァ皇子ならヘレスさんと一緒にどこかへ行ったぞ」

 

「そうなんですか? 全然気付かなかったです」

 

「レスターさんは何時でも冷静ですわね」

 

 それはフォルテだけでなくエンジェル隊全員が共通した事。

 その中で、レスターだけは違った。

 シヴァ皇子が自分達とは違う道を行き、ヘレスが後に続いた所をちゃんと確認している。

 ヘレスが、こちらは任せて欲しいと、そう目で告げていた事も、それに承知したのもレスターだ。

 

「そうでもないさ」

 

 レスターはタクトの傍にずっと居た人物でもある。

 だが、当然ながら今回の事で初めて知った驚愕すべき事実も多い。

 それなのに、エンジェル隊からすれば何時でもそんな気配はなく、冷静で居続けて見える。

 けど、やはりそれは表面上だけで、レスターも十分に驚いているのだ。

 ただ―――

 

「俺は、ヤツがどうあれ、ついて行くと決めているんだ」

 

 タクトがどんな生まれで、どんな人生を歩んできたのか、それに興味がない訳ではない。

 けれど、たとえどんな過去があろうと、タクトについて行くと決めた事には変りは無い。

 ただ、それだけの覚悟。

 

「そうですか。

 ちょっと妬けますわ」

 

 ミントがそんな言葉を返すが、その言葉は誰しも少なからず思ったことだ。

 そして同時に思う。

 いつか自分達もレスターの様に思える日がくるだろうかと。

 ただし、その道は一つではない。

 

「あいつを補佐し、御輿に乗せて担ぐのは俺の仕事だ。

 これは誰にも譲らん。

 だが俺としては、限りなく隣に近い位置に立って支えてくれる人が居ればとよく思うよ。

 俺ではそれは勤まらんからな」

 

 隣に近い、とは前から引っ張るのでもいいし、後ろから背を支えてやるのでもいい、という事だ。

 どんな形にせよ、タクトと同じ高さに居て支える事。

 レスターは己が定めた役割がある為、それはできない。

 それも出来ている様に見えるかもしれないが、実際はそうではないのだ。

 レスターの位置も必要で、タクトは大いに助かっているのだが、それだけではどうしても足りない。

 特にこの先、更なる戦いが続くとなれば尚更だ。

 

 その役目は、本来ならシャトヤーンなのだろうとは思っている。

 もしくはヘレスがなっていたかもしれない。

 だが、今後どの道を進もうとも、タクトの傍にシャトヤーン、もしくはヘレスが居る事はないだろう。

 シャトヤーンは白き月から、ヘレスはシヴァから離れられない。

 会う事は可能になったとしても、遠く離れている時間の方が圧倒的に長くなる。

 

「それは私達に期待しているのですか?」

 

「一応な」

 

 では、エンジェル隊はどうか。

 タクトの役割上、そうなってくれる可能性は極めて高いと考えられる。

 しかし、現状ではあくまで仲間の範囲を出ていない様に思える。

 尤も、レスターの見解でしかないので、実際の所は解らない。

 そう言うのはアルモかココにでも聞いた方が正確だろうとレスターは考えている。

 

「そうですか。

 でも、ご期待に沿える形になるかは流石に保証できませんわ」

 

「それは仕方ない。

 戦いの先は見えても、そう言うのは俺はタクトよりも心得がないんでね」

 

 何せ、結局好意に気付く事なく、自分の気持ちを明かす事もなく、その人と死別する羽目になった経験を持っているのだ。

 きっと自分は生涯独身だろう、などとレスターは考える。

 それでも、タクトと行く限りは充実した日々になる事は間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、タクトはシャトヤーンの私室を訪れていた。

 白き月の聖母の私室だ。

 シャトヤーン付きの侍女を除けば、シヴァすら入った事のない場所であり、当然男にとっては禁断中の禁断の領域だ。

 そんな場所に、タクトはさも当然の様に招かれ、なんら遠慮する事無く入室する。

 そこは、タクトにとっては、嘗て一度だけ訪れた事のある場所だった。

 

「……」

 

「……」

 

 タクトとシャトヤーンが部屋で2人っきりになってからどれくらいの時間が経過しただろうか。

 長い時間が過ぎたかもしれないし、まだ数秒かもしれない。

 タクトにとっては、時間の感覚など無くなるほど、辛い時間だった。

 この沈黙というのは―――

 

 だが、その沈黙は破らねばならない。

 自分から。

 そうだ、自分から言葉にせずにどうする。

 そう意を決したところだった。

 

「タクト、ごめんなさい」

 

 タクトにとっては思わぬ言葉が届いた。

 シャトヤーンから、何故か謝罪の言葉が来たのだ。

 

「何を謝る?」

 

 タクトは記憶する限り、シャトヤーンに謝罪されるべき事など何一つない。

 むしろ謝るべきは自分なのだ。

 許してもらえるとは思えない罪を自分は犯している。

 

「許されるとは思っておりません。

 でも、貴方にはお話しておきたかった。

 貴方に黙って子を産んだ事を」

 

 シャトヤーンが子を産んだ事など、誰が責められる事だろうか。

 少なくとも、タクトにはそんな権利はない。

 

「別に俺に断る必要などないだろう?」

 

 そうだ、タクトへの気遣いなど不要な筈だ。

 相手がエオニアであるならば―――

 

「貴方に責任を押し付ける事はいたしません。

 認めて欲しいとも今更言えません。

 ですが、せめて、貴方の子である事は知っておいて欲しかった……」

 

 涙を流しながら訴えるシャトヤーン。

 泣かせたくなどないのに。

 

 と、そこでもう一度タクトはシャトヤーンの言葉を思い返す。

 今、全く予想していなかった言葉が混じっていた。

 聞き間違いかと思うほどに。

 

「貴方の子って……

 は? まさかっ! シヴァの父親はエオニアじゃないのか?!」

 

「貴方との子です。

 どうしてエオニアと?!」

 

 タクトはココへ来てやっと感情らしい感情を表に出す。

 驚きという形で。

 シャトヤーンもタクトの言葉に思わず涙も止まる程驚いている。

 

「いや、エオニア以外には居ないと勝手に思っていた」

 

 そこでやっと、タクトはエルシオールへ確認した時、どうとでも取れる問い方をして、そう言う回答を貰ったのだと思い出した。

 思い込みとは、さも恐ろしいものだ。

 

「どうしてっ! あんな事、貴方と以外していないのに……

 タクトは私をそんな尻軽な女だと思っていたの?」

 

「尻軽って、何処でそんな言葉を覚えた!?

 それに、したのと言っても、あの日一回だけじゃないか!」  

 

「『一晩』でしょうけど、5回です。

 後で知ったのですが、ああ言うのは普通ではないらしいですね」

 

「いや、あの時は俺も初めてだったからな……

 ちょっと待ってくれ、それは後で正式に謝罪しよう。

 うん、ちょっと落ち着かせてくれ」

 

「あ、ごめんなさい……私、シヴァがエオニアとの子供だと思われているなんて考えもしなくて。

 私は、貴方の子を勝手に産んで、貴方が怒っているのだとばかり……」

 

 それが原因、つまりは互いの勘違いからだった。

 シャトヤーンがタクトの返答に対して悲しげにしていたのは、タクトが子を産んだ事を良しとしていないと判断した為だ。

 確かに、素っ気無いとも言えるタクトの返答は、怒りの表れだととれなくもない。

 そう思いこんでいるシャトヤーンにはなんとも酷い事をしたものだ。

 

 しかし、タクトにとっても衝撃的だった。

 

「そうか……俺の子だったのか……」

 

 自分が子供を遺す事は無いと、そう考えてきた。

 だがシャトヤーンとそう言う関係だった時にはまだ確立していなかった考えだ。

 それがそうなる行為だと知識では知っていても、結果については考えが追いついていなかった。

 若気の至りというやつだろうが、結果はあまりに重大だ。

 

「ごめんなさい」

 

「いや、サラ、お前は何も悪くない。

 そうだ―――

 後先考えず産んだだと? 原因を作った俺がその時居なかったんだ、誰にも相談できなかっただけだろう?

 ジェラールに利用されたのも、俺の血のせいだ。

 悪いのは全て俺だ」

 

 シャトヤーンが『シャトヤーン』を継ぐ前の『サラ』という呼び名を知るものは少ない。

 既にシャトヤーンとなっている為、シャトヤーンとしか呼ばないつもりだったタクトだが、咄嗟の時には出てしまう。

 今もまた、動揺が続いている証でもある。

 

「私には産まないという選択肢もあったのです。

 それでも―――」

 

「お前にそんな選択ができるものか。

 俺があの時、あんな後先考えない行為に出なければ、こんな事にはならなかったんだ。

 やっぱり俺が悪いのさ」

 

 あの時、そう―――全てのテストを終え、一緒に居る理由が失われそうになった日。

 2人が愛を確かめ合った日。

 その次の日だった。

 エオニアの父、ヴァリア・トランスバールの死と、タクトの母、オペラ・ハイラルの死の報せを聞いたのは。

 同時に、オペラ・ハイラルという存在がこの世から完全に抹消された日でもある。

 

 その報せを受け、タクトはジェラールの前に立ち、皇位継承権の永久破棄を宣言した。

 その行為が、どんな結果を招くか考えもせずに、激情のままに。

 

 その後、タクトはシャトヤーンに連絡すらできなくなり、シャトヤーンは子についての全てを1人で決める事となった。

 性別を偽造したのは、シヴァが皇族の血を引くと同時にシャトヤーンの血を引く為、女性であるなら次期シャトヤーンにもなれる存在である為だ。

 

「そうだ。

 俺が愚かだった。

 あの行為によってジェラールがどんな行為に出るか考えもしなかった。

 結果として、ヘレスを人質とされ、お前にも、エオニアにも枷を付ける事となった。

 その挙句に、皇族としての重荷は全て我が子に背負わせるとはな……

 最早悲劇を通り越して喜劇だな」

 

 自虐的に笑うタクト。

 エオニアの子だとしても罪の意識があったと言うのに、我が子ともなればもう笑うしかなかった。

 それはもう、発狂しかねない程の重責だ。

 

「タクト……」

 

 シャトヤーンはそんなタクトに掛ける言葉が見つからない。

 同時に、やはり産んでしまった自分の責任を感じる。

 だが、タクトの笑いはやがて止まる。

 

「いや、大丈夫だ。

 もううんざりしてるんだ、過去を嘆くのは。

 ああ、これが悲劇を通り越した喜劇ならば―――それに相応しいハッピーエンドにしてやればいい」

 

 エオニアの事に気付いて、既に殆ど吹っ切れていたタクトだったが、ここへ来て完全に覚悟が固まる。

 自分のやるべき事、目指すべき道が今確定した。

 最早その目に迷いはなく、過去という枷をも力に変えている様だった。

 

「だからシャトヤーン。

 未来の為の話をしよう」

 

「はい、タクト」

 

 シャトヤーンはそんなタクトを見て、やっと笑う事ができた。

 自分も過去の選択に苦しむ事はもうしない。

 選択によって苦しい現実が訪れたのなら、それを良い方向へ変える事を考えればいい。

 そう言う考え方は、タクト達と出会ってから学んでいたのだから。

 

「先ず、残念ながら俺は今後共シヴァの父は名乗れない。

 例え、俺達しかいない場だとしても」

 

「ええ、それは解っています。

 ですから、先ほどの場では貴方の事は言わなかった。

 でも、あの子にも父である事を伝えてはいけませんか?」

 

 タクトは公には存在しない皇族だ。

 しかも皇位継承権を破棄している。

 ただ、その宣言内ではタクトとの子孫も全て継承権を持たないかは触れていない。

 普通に考えて、その子孫も継承権を失うだろうが、ジェラールが己の子としての発表だったとは言え継承権が認められている。

 その為、シヴァの継承権に問題はないのだが、ここで父親の話をしてしまうと混乱するだけだ。

 もし公表するにしても、何年にもわたる下準備が必要になるだろう。

 

 が、それはあくまで公にする時の話。

 秘密を知るものは少ない方が良いとは言え、本人にも黙っておくべきかはシャトヤーンには判断がつかない。

 

「ああ、シヴァは今後、俺に様々な命を下さねばならない。

 最終的には、かの大敵と決戦の最前線に立つ命令も、俺はシヴァ女皇から受ける形となるだろう。

 俺は現在そう言う立場だ。

 なら、いっそ他人の方がやりやすいだろう?」

 

「タクト……」

 

「それに、こんな男が父親だなんて、シヴァにとっては不幸以外の何ものでもないだろう。

 俺のせいで重荷を背負わせたんだ。

 俺の名など、ストレスになるだけだ」

 

「……タクト、一つだけ聞かせて」

 

 既に過去を振り返らない発言をしたタクトだが、だからこそ事実を踏まえた上での最善の手段として淡々と言葉を紡ぐ。

 そんなタクトに、シャトヤーンは問う。

 誰でもない、自分が問わなければならない事として。

 

「なんだい?」

 

「あの子を、シヴァを、自分の子だと知った上でどう思っていますか?」

 

 男に黙って産んだ子だ。

 場合によっては認知を拒絶されるかもしれない事だ。

 そして、現状タクトはシヴァについて何も自分から見た言葉を口にしていない。

 シャトヤーンは多くは望まない。

 例え、認知すらされなくとも、タクトとの子であるシヴァが居ればそれでいいつもりだった。

 

「おお、そうだったな。

 すまない、まだ俺は頭が混乱していた様だ。

 最初に言うべきはそれだったよな。

 うん、でははっきり言おう」

 

「……」

 

 シャトヤーンは覚悟してその言葉を待った。

 

「―――愛している。

 当然だ。

 お前との子を愛せない訳がない。

 その上、あんな良い娘だぞ。

 その点においては、俺の子だというのは信じられんが……あの聡明さはどっちかといえばエオニアの子と言われた方が納得がいく。

 外見はお前の子供の頃に良く似ているから美人になるのは最早確定だし、非の打ち所のない女皇となるだろう。

 いや、どちらも俺に似てなくて本当に良かったよ」

 

「愛してくれる? 本当ですか?」

 

「疑うかい?」

 

「いえ……でも、目元は貴方に似たと思いますよ。

 それと、思考の早さと意志の強さは貴方譲りです」

 

「そうか? ははは、まあ内面的なものは、お前とヘレスの教育のお陰だろうさ。

 よく、あんな良い娘を産み、育ててくれた。

 ありがとう、シャトヤーン、我が最愛の人よ」

 

「タクト」

 

 2人は抱きしめあう。

 先の事を考えるが故に、こんな事すら忘れていた。

 大凡11年ぶりに再会する2人が、ずっと触れ合わずにいたなんて、今考えれば信じられない事だ。

 それだけ、空いた11年あまりの時間が2人に大きな壁を作ってしまっていたという事だったのだろう。

 だが、それも今完全に取り払われた。

 

「……っ?!」

 

 ただ、その時、タクトはシャトヤーンを抱きしめる事で気付いてしまった。

 そして、気付いたからこそ、強く抱きしめ、その状態で話を続ける。

 

「シャトヤーン、俺はあの娘を愛している。

 俺は父親を名乗る権利は無いし、その名乗りは不幸しか呼ばない。

 だがそれでも父として、あの子にできる限りをしたい。

 俺にできるのは、軍人として戦う事で、平和を勝ち取ることだけだ。

 しかし、それだけだからこそ、あの子が幸せになれる未来を勝ち取ろう。

 今俺が持てる全てを使って―――

 だからこそ、あの子には俺の名を告げないでくれ。

 頼む」

 

 全て―――職権の乱用、そしてマイヤーズの姓を食いつぶす事すら含む、悪事ではないかもいれないが綺麗事だけではない全ての手段。

 だからこそ、シヴァとの関係は他人の方が尚良くなる。

 関係ない人間という事になっていればこそできる裏工作もあるのだ。

 

「はい、解りました」

 

「お前にも必ず―――」

 

「私は、あの子が居るだけで幸せです。

 でも、貴方もちゃんと帰ってきてくださいね」

 

「努力はするさ」

 

 耳元で囁き合う2人。

 自己犠牲で死にかねないタクトの発言だが、タクトの努力は並のものではない。

 そう言った以上は、死んで終わりという事はないとシャトヤーンは信じている。

 それに、約束は必ず守る人でもあるのだ。

 

「もう少しこうしていたいけど、すまないシャトヤーン、あまり時間を稼いでこれなかったんだ」

 

「ええ、解っています。

 改めて、今後の話をしましょう」

 

 5分にも満たない時間だった。

 11年あまりの時間を清算するにはあまりに短いと思われる時間。

 だが、それでも2人にとっては十分だった。

 それに、本当の意味で再会を果たすなら、まだ足りぬ者が居る。

 

「私から報せなければならないのはエオニアの事。

 エオニアはシヴァの出生に気付いています。

 5年と168日前、白き月を訪れた際にシヴァに会い、そこで一目で気付かれました」

 

「追放される少し前か……」

 

 エオニアの追放の裏には何かあるとは思っていたが、シヴァの事を知ってしまったのも理由の一つだったのだろう。

 そうなれば、この戦争の根本原因にタクトの愚行があった事になり、責任を感じずには居られない。

 だが、もうそんな事でいちいち暗くなっていても先へは進めない。

 

「それにしても一目でか……流石というかなんというか。

 身に覚えがある自分が気付かなかったのが馬鹿みたいだな」

 

 エオニアがどういう判断基準で断定したかは定かではない。

 ただ、今考えればシヴァの誕生日から逆算すればタクトには解る事だったのだ。

 一般的に言われる10月10日からはやや早産なのだが、なればこそ自分以外には考えられないと。

 

「エオニアの子と誤解されたのだけはまだ納得しておりません」

 

「いや、俺はお前を捨てた男として罵られるべき立場だよ。

 自分の子を産んでくれているなどと想像もできなかった。

 それに願望でもあっただろう。

 お前を任せられるなんてエオニア以外には考えられなかったしな」

 

「……そうですか」

 

 複雑そうな表情を見せるシャトヤーン。

 ともあれ、その話は今は置いておこう。

 

「やはりエオニアは全て知った上でこうなったって事か。

 となると、喜劇の前に、一つの悲劇に幕を降ろさねばならない。

 解っているな、シャトヤーン。

 俺は―――俺達はお前との約束、一つだけ破るぞ」

 

「ええ、解っています。

 覚悟は出来ている、といえば嘘になりますが」

 

 シャトヤーンは傷が疼くのを感じた。

 タクトとエオニアが大喧嘩をした時、剣まで抜いてしまった2人を止める為、間に割り込んだ時に付いた傷。

 2人がもうケンカはしないと約束してくれた時の傷だ。

 その約束は、こんな形で破られる。

 もう、避け得ない事。

 それは、エオニアがシヴァを見つけてしまったあの日から決まっていたのかもしれない。

 

「俺も、可能な限りは悲劇では終わらせるつもりはない。

 俺は俺らしく、最後まで足掻くつもりだ。

 ただ、最悪の事態というのは想定しておかなければならない。

 これでも俺、司令官なんて立場になったしな。

 それで、少し手伝って欲しいことがある」

 

「はい、何でも言ってください。

 私にできる事なら」

 

 そこから少しの間、2人だけの作戦会議が開かれた。

 極短い時間で終わるこの会議は、しかし最後の戦いにおける重要な役割を果たす事となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それか数十分後、タクトの姿は白き月、メインドックにあった。

 

「レスター悪いな」

 

「いや。

 ……もういいのか?」

 

「随分時間を食ってしまったな」

 

 シャトヤーンとどんなやりとりをしてきたか、レスターには解らない。

 しかし、それにしても早すぎるだろうと思える。

 時間が無いのは解っているが、そこまで切羽詰っている訳でもないのだ。

 それなのに、自分達の事を優先しないタクトとシャトヤーンは、間違いなく『王』たる種族だろう。

 きっとレスターが御輿を担がなくとも、タクトは人の上に立ち続ける。

 

「とりあえず、今立てている作業手順だ。

 最終決戦に備え、長旅だったエルシオールのメンテナンスも同時に行う事になった。

 エルシオールは最終決戦まで完全に動けなくなるがな」

 

「ああ、それでいい。

 最終決戦に問題起こして動けなかったでは話にならんからな」

 

 レスターにできる事といえば、作業の効率化を図り、もう一度2人で会える時間を作る努力をする事くらいだ。

 それでも、タクトなら空いた時間は作戦を練る時間に使いかねないが、それならそれでもいい。

 時間を作るのは戦いが終わった後にもできる事だ。

 

「黒き月の到着予想時間は?」

 

「ほぼ変わらずだ。

 ついさっき黒き月を追っているルフト総司令官から通信があったが、現時点より63時間後にこの宙域に現れるだろう。

 多少は先回りして時間稼ぎをしてくださっているそうだが、殆ど効果がないらしい」

 

 アレだけの強行軍をしても時間の猶予は3日もない。

 戦闘によるロスは殆ど無かったが、それでも襲撃される可能性を考えた周囲警戒の時間等がある。

 対し黒き月はエルシオールが通ったルートより更に完璧な最短距離を、ほぼ妨害もなく進んできた事になる。

 63時間の内、40時間程はローム星系でトランスバール皇国軍が稼いだ時間で、残りの約1日の差がエルシオールと黒き月の速度の差で得られたものだ。

 移動要塞と高機動戦艦で、たった1日しか差が無いのは、黒き月も多少無理をした移動をしていると考えられる。

 それを常用はできないだろうが、最終決戦に向けた非常用なら、宇宙空間という事と、ほぼ直進するだけの航路ならばあの巨体でも速度を得ることは可能だった。

 例えば、無人艦隊を使い捨てのエンジンとして自分を押させる、など。

 実際その方法も使われているとの情報があり、エオニアとしても、こちらに時間を与えすぎる気はない様だ。 

 

「まあ、ルフト総司令には無理をしてもらうより、戦力を残して最終決戦に到着してもらう方が重要だからな」

 

「ああ、歯がゆいだろうが、ルフト総司令なら無茶はすまい」

 

 これもまた予定通り。

 実際50時間を稼げればなんとかなったので、それを10時間以上上回ったのは上出来と言える。

 最低限として立てていた計画にも大分余裕ができる。

 最も、最低限としていた計画だったからこそ、入れておきたい事は山ほどあって、その選別がまた大変なのだが。

 

「で、アレがクロノブレイクキャノンか」

 

「ああ、そうだ」

 

 今タクト達が居るのはエルシオールの中ではなく、メインドッグ。

 目の前にはエルシオールと、エルシオールから出された紋章機が並んでいる。

 そしてもう一つ、エルシオールの全長と大差ないくらいの長さの巨大な筒が今、エルシオールの前方に移動してくる。

 それこそ、白き月の剣たるエルシオールを『剣』たらしめる物、クロノブレイクキャノン、その本体だ。

 

「それに、アレが噂の0番機ってやつかい?」

 

 タクトとレスターがクロノブレイクキャノンを眺めているところへ、エンジェル隊もやってくる。

 現在紋章機はシステム解放前の最終チェックと整備を行っており、彼女達の出番にはもう少し時間が掛かる。

 そこで彼女達が見ているのはエルシオールと一緒に並んでいる紋章機の後方。

 このメインドックに始めからあった戦闘機だ。

 紋章機は全機シルエットからして違うので、それが紋章機だと言えるのは両肩の紋章からしかない。

 そして、違う外見の中でも決定的に違うのはコックピット。

 現在のエンジェル隊が使っている紋章機とは違う、前後に2席の操縦席がある複座コックピットだ。

 

「ああそうだ。

 今は武装の殆どを外しているがな。

 今唯一ついている武装は……ああ、アレは『破滅を齎す一矢フェイタルアロー』計画の試作機か。

 そう言えば、9割は完成しているのだったな」

 

 そこでまたエンジェル隊はおろか、クレータすら知らない単語がタクトの口から出てくる。

 それは0番機の下部中央に装備されている、1番機のハイパーキャノンに良く似た長身の砲の事を言っている事しか解らない。

 それは先ほどの話でもシャトヤーンが『今に影響は無い』として話さなかった部分。

 それに、今のエンジェル隊は0番機にばかり目が行っているが、このメインドックにエルシオールが入る前から存在していて紋章機はもう一機ある。

 

「それに6番機もロールアウトしていたか。

 アレも調整中みたいだな」

 

「つまり、あと1人、そのフェイタルアローってのを装備した仲間が増えるって事でいいかい?」

 

「ああ、そうなるな。

 パイロット候補は、まあ今見ても仕方ない。

 この戦いが終わったら、合流する事になるだろう」

 

 この戦いには参加できない新たな仲間。

 エンジェル隊はそちらの方が気になる様だが、タクトは別の事を考えていた。

 

(6番機本体はパイロットと合わせて最終調整だろうが、フェイタルアローはどうやってテストしたんだ?)

 

 その疑問は、シャトヤーンに問えば確実な情報が入るだろう。

 直ぐ傍に居て、時間が全く無い訳でもないのだから聞けばいい。

 だが、その前に考えるくらいはしておく。

 

(そういえば、ヘレスは戦闘機の操縦ができる様になったと言っていたな。

 それに、狙撃銃の腕―――そう言う事か)

 

 大凡の見当をつけ、後でシャトヤーンに確認する事にする。

 今はどの道使えない武装だ。

 

「そうだ。

 エンジェル隊は紋章機との再調整にはまだ時間があるから、シミュレーターに入ってくれ。

 出力150%状態、光翼展開状態の紋章機の操縦感覚に慣れていて欲しい。

 今の君達なら補助も合わせてそれくらいはいける筈だ」

 

「了解、じゃあちょっと行ってくるよ」

 

 それから、今は暇をしているエンジェル隊に指示を出す。

 休んでもらってもいいのだが、どうせ休むなら適切な時間が他にある。

 これから最終決戦まで、多少の余裕ができたからこそ、時間は有効に使いたい。

 エルシオールのシミュレーターはこの整備中でも特に問題なく使える。

 

「さて、後は……」

 

 基本的にこの場においてタクトとレスターはやる事がない。

 技術者でもない2人では、このレベルの作業となると、作業現場の指揮も務まらない。

 

「タクト、お前は少し休んだ方がいいんじゃないか?」

 

「そうもいかない。

 休むとしたら、もっと後だよ」

 

 タクトは黒き月との戦いで負った傷がまだ完治していない。

 此処へ辿り着く前のシェリーとの決戦で出撃できたくらいには回復しているが、疲労も溜まっている状態だ。

 疲労に関しては、レスターはタクト以上だったりするのだが、傷がない分は幾分かマシといったところだ。

 

「……」

 

 ふと、ここで作業工程と、エオニアの進行速度を考える。

 エオニアが、このまま何もせず60時間オーバーを整備だけに使わせるだろうか。

 

「マイヤーズ様、無人哨戒機の配置は完了致しました」

 

 と、そこへシャトヤーンがやって来る。

 コントロールルームでの作業を追え、その連絡と、メインドッグの作業の手伝いに来たのだ。

 

「シャトヤーン様、わざわざご連絡ありがとうございます」

 

 タクトにしても、シャトヤーンにしても、既にエンジェル隊やブリッジメンバーと言った主要な者達の前では呼び捨てで名を呼び合っている。

 しかしここは公の場、タクトもシャトヤーンの名に『様』を付け、シャトヤーンもタクトを軍司令官として扱う。

 ここはあくまで2人にとって職場だ。

 

「シャトヤーン様、申し訳ありませんが、予定を少し変更し、先にエルシオールのメインコックピットでの下準備をしていただけますか?」

 

「ええ、構いませんよ」

 

「レスター、ここを少し頼む」

 

「ああ、解った」

 

 タクトはシャトヤーンと共にエルシオールへと入り、ブリッジに上がる。

 尚、作業の為シャトヤーンはツールボックスを持っているのだが、白き月の聖母としてのドレス姿のままでそれを持つ姿はあまりにも不釣合いだ。

 というか、ドレス姿のままで作業をするらしい。

 

 ブリッジではブリッジ要員が作業をしていたが、軽く挨拶をして、そこからメインコックピットへと降りる。

 黒き月との戦いで明かされたエルシオールの秘密の場所。

 因みに、まだ改装は済んでいないので、1人分の入り口しかなく、今回はシャトヤーンから1人ずつ降りる事となる。

 あの時使ったあんな降り方は、非常時しかすべきではないだろう。

 

 タクトが降りると、先に降りたシャトヤーンは既に作業を始めていた。

 

「ところでタクト、この順序変更に何か意味が?」

 

「ああ、保険だよ。

 エオニア軍の配置を全て把握している訳じゃないから、実際タイミングは予測しきれないんだが」

 

「そうですか」

 

 シャトヤーンは細かい追求はしない。

 例え意味は無いと言われても文句は言わなかっただろう。

 本当に意味が無く変更をする訳はないし、言わないのならそれなりの意味があるという事だと考えている。

 暫く、シャトヤーンがメインブリッジで作業しているだけの時間が過ぎる。

 実際のところ、タクトが付いてくる意味はさしてない。

 シャトヤーンのドレスが、実は内部に多数の工具にもなる装備がある『作業服』だった事が今判明したくらいだ。

 ヴァニラが一度ナノマシンで服を偽装した事があるが、このドレス自体がそれ以上のロストテクノロジーの結晶だった。

 

 作業は進むが、技術者では無いタクトでは手伝いようの無い領域の作業で、どうなるかは知っていても、今何をしているかは解らない。

 例えシャトヤーンがタクトの頼んだものと全く関係無い物を取り付けていても全く解らないだろう。

 と、そこへエルシオールが姿を見せる。

 本来なら空気を読んで出てこないだろうエルシオールなのだが、そう言う訳にもいかなかった。

 

「2人とも、何かの細工かしら?」

 

「ええ、少し」

 

「エルシオール様には申し訳ありませんが、ちょっと弄らせていただきますね」

 

 シャトヤーンが弄っているのは、船としてのエルシオールにとって、かなり重要な部分だ。

 それをエルシオールの許可なく行っているのは、本来は良くは無い事だ。

 

「別にいいですけど。

 ところで、エオニアがいないから、結局使えないままだけど、エルシオールの武装も全て装着するのよね?」

 

「しますよ、特にあのシステムはクロノブレイクキャノンと連動している部分がありますから」

 

「そう」

 

「今回はどの道使えないですけど、使えたとしても使いませんけどね」

 

「そうね。

 じゃあ、私はクロノブレイクキャノンのシステムチェックでもしてるわね」

 

「はい、お願いします」

 

 再び姿を消すエルシオール。

 何か思うところがありそうだったが、今は2人も何も言わない。

 

「終わりましたよ、タクト」

 

「ご苦労様」

 

 シャトヤーンの作業もものの数分で終わる。

 メインコックピットは外観的な変化は何もないが、ここで必要な作業はこれで終わりだ。 

 

 

 

 

 

 その後、エルシオールから出たタクトとシャトヤーン。

 シャトヤーンは紋章機の作業に入り、タクトは全体の作業指揮に戻る。

 シャトヤーンによってソフトウェアに掛かっていた封印を解除し、クレータ達はハードウェアをそれに合わせて調整する。

 

「マイヤーズ司令、これより紋章機の封印を解除します。

 封印解除作業と同時に行うオーバーホールにより紋章機が使用できなくなります。

 作業時間は30時間を要す予定なのですが、開始して問題ないでしょうか?」

 

「ああ、構わない、やってくれ」

 

「了解しました」

 

 封印解除作業だけなら、シャトヤーンが直接触れる事さえできればそう時間は掛からない。

 ただ、此処までの戦いで蓄積したダメージを回復させる為、オーバーホールも同時に行う事になっている。

 封印解放により、今までより一層負荷の掛かる状態で最終決戦に臨む為、念には念を入れた処置だ。

 幸い時間は若干余裕があるくらい稼いだので、問題にはならない。

 

「レスター、エルシオールの方は?」

 

「こっちもクロノブレイクキャノン搭載と同時の整備を開始するところだ。

 40時間程度は出撃不能になるぞ、いいのか?」

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 エルシオールの方はオーバーホールしようとしたら60時間では足りないので、今回は行わない。

 最終決戦でもエルシオールの仕事は一つである為、問題ないとしている。

 この戦いが終わったら本格的にオーバーホールするつもりだ。

 

 それはいいとして、これで今から30時間はエルシオールも1番から5番の紋章機も出撃不能となる。

 周囲の敵は一掃し、エオニアも後60時間は到着に掛かるので、問題ないと思われるが―――

 

「さて、そろそろ地上との会談の時間か。

 シヴァ皇子はどこに?」

 

「ん? そう言えばずっと姿が見えないな」

 

 レスターもあの謁見の間を出た後以来、シヴァとヘレスを見てない。

 とは言え、その時から見ていないとタクトに今告げるのはやや迷うところだった。

 

「私ならここにおりますよ。

 申し訳ない、ご連絡をしていませんでしたが、少々自室で資料を作成しておりました」

 

 丁度その時、シヴァとヘレスがタクト達の前に現れる。

 どうやら今メインドッグへ戻ってきたところらしい。

 

「そうでございましたか」

 

「会談の準備は整っております。

 場所は白き月の通信室でよろしかったですか?」

 

 ヘレスの手には纏められた資料があり、更には場所の準備も終えていた様だ。

 タクトは会談についての指示を出していなかったので、エルシオールの設備を使う事を考えていたのだが、シヴァ達にそんな指示は必要なかった。

 

「流石皇子、私の方が準備不足でした」

 

「いえ、これくらは当然ですよ。

 それに、白き月の事でしたら私達の方が把握しておりますから」

 

 なにせシャトヤーンの娘であり、ここで暮らしてきたのだ。

 シヴァにとって、白き月の全てがテリトリーだ。

 

「そうでございました」

 

 これが、タクトがシヴァを自分の娘だと知って初めての2人の会話。

 タクトは今までと態度を一切変えない。

 変える訳にはいかない。

 絶対に表に出す事はありえない。

 それが、今後とも続く、2人の関係だ。

 

「では、行きましょう」

 

「はい。

 レスター、すまないがまた頼むよ」

 

「ああ、解っている」

 

 そうして、タクトはシヴァとヘレスと共に地上との本格的な会談を行う。

 本来ならシャトヤーンが参加すべきなのだが、今シャトヤーンは手が離せず、手が空いている時間では遅過ぎる。

 その為、白き月の技術者代行としてヘレスが参加する事となった。

 会談の内容は主に決戦時の防衛について。

 当然の事ながら、戦闘となれば地上への落下物が多数発生する事が考えられる。

 その殆どが大気圏突入の大気摩擦で燃え尽きるだろうが、燃え尽きない物も中には出てくるだろう。

 手が空いていれば紋章機、エルシオールの方で破砕し、燃え尽きる大きさにするが、最終決戦でそんな暇はまず無いと考えていい。

 そこで、白き月から移動式のエネルギーシールド発生装置をある限り放出し、防衛する事となる。

 白き月の護りが薄くなるが、敵は白き月への直接攻撃はまずして来ない筈で、仮に攻撃をしてくるとすれば紋章機とエルシオールで全力で防衛する事となる。

 元より移動式のシールドが無くとも、あの『世界』展開による護り程ではないがエネルギーシールドを発生させられるので、生半可な攻撃では傷を受ける事もないだろう。

 移動式のシールドはその更なる補強の為のものでしかないのだ。

 

 地上においては、残っている軍施設から、落下物に対するミサイル攻撃などに備える事になっている。

 尚、その為の人員以外は全てシェルターに退避する事になっている。

 トランスバール本星全域でだ。

 落下物は最悪星の裏側まで流れる可能性もある為、万が一に備えての処置だ。

 地上でできる事はそれだけになる。

 地上から衛星軌道まで届く様な攻撃システムも存在したが、エオニア軍の攻撃により事実上全使い物にならない状態だ。

 

 因みに、最終決戦時、シヴァは白き月で指揮を執っているという事になっている。

 勿論実際に指揮を執るのはタクトだが、ローム星系での迎撃戦でもそうだった様に名目上であれ必要な事だ。

 

 その他、今のうちにできる細かい内容も含め、会談は4時間に及んだ。

 

 

 

 

 

 一方、紋章機のシステムの解放とオーバーホールを平行して行うメインドッグ。

 

「シャトヤーン様、この部品は何でしょうか?」

 

 オーバーホールの為、紋章機は部品の殆どを外し、再度組み上げる作業を行う。

 そんな中、紋章機の中枢付近に追加される部品があった。

 その部品の用途が明記されていない為、クレータはそれをシャトヤーンに問い合わせる。

 その部品が紋章機のH.A.L.Oシステムに絡むもので、どこかに繋ぐ部品というところは解るのだが、クレータの知らない部品だった。

 

「H.A.L.Oシステムの部品です。

 それを装備する事で、紋章機を単座とした本当の意味が成せるのですが、黒き月との決戦には使いません。

 しかし、オーバーホールをするので、この際に組み込む事にしました、それを組み込むのはオーバーホールに近い解体が必要になりますので。

 一応テストは終わっていますが、彼女達との調整は別途必要になります。

 今回はそれもできませんけど、他の機能に影響は与えませんからこの機会に組み込む事にします」

 

「はい、シャトヤーン様の判断でしたら信頼しております。

 それにしても、単座化した本当の意味、ですか」

 

「ええ。

 ごめんなさい、貴方にもまだお話していない部分というのはあるのです」

 

「いえ、クロノブレイクキャノンも平時なら必要ないもの。

 そういう部分が隠されるのは当然の事です」

 

 紋章機の整備を担当するものが、この段階で尚用途が解らない部品。

 それはそれくらい重要な部品であり、使用されるのは大きな戦いがある時という事だ。

 今現状でも単体最強の紋章機が更なる力を必要とする時。

 それはまだだが、しかし確実にやってくる。

 紋章機に関わる者として、クレータはその事を複雑に感じていた。

 

 そして、部品の追加はエルシオールにも同時に行われていた。

 クロノブレイクキャノンと連動すると思われる装置が、あのブリッジ前の廊下の奥深くにある謎のスペースに設置される。

 その位置は、エルシオールのメインコックピットの真後ろである事に気付かぬ者はいない。

 

 

 

 

 

 エルシオールが白き月に到着し、20時間経過した頃。

 エルシオールと紋章機の整備、改修もまだ折り返したばかりと言う頃だった。

 突如白き月内に警報音が響き渡った。

 

「どうした?」

 

 メインドッグで作業進行状況を確認していたタクトは直ぐにエルシオールのブリッジへと繋ぐ。

 白き月の管制室にも人は戻っているが、外の情報ならエルシオールに入っている筈だ。

 

『マイヤーズ司令、敵です。

 無人艦隊が白き月へ向けて近づいてきています』

 

「エオニア軍本隊じゃないな。

 何処から現れた?」

 

『無人哨戒機からの情報から推測すると、トランスバール本星周辺から集結したものと思われます。

 数は大凡―――100、大部隊です!』

 

「そうか」

 

 ある意味で当然の話だった。

 ここトランスバール本星にも駐在していた部隊が多数残っていたのだ。

 黒き月のエオニア軍本隊が大部隊であっても、全宙域に向けた無人艦隊を全て集めたものではない。

 中には駐在させる必要のある部隊もあっただろう。

 その中で、トランスバール本星に近い位置に居る部隊が集結し、ここへ向かってきた。

 エオニア軍本体が到着する前に、ある程度消耗させるという作戦という事になるだろう。

 

「到達までは?」

 

『後3時間程になります』

 

 白き月が数頼みで広域に展開していた無人哨戒機あってこその時間。

 だが、この状況では短すぎる時間だ。

 

「マイヤーズ司令、紋章機は後10時間、エルシオールは20時間は出撃不可能です」

 

「解ってるよ」

 

 丁度居合わせたクレータに、戦力を出せない事を断言される。

 オーバーホールの許可を出したのはタクトなのだから、もしこの場合責任を問われるとすればタクトとなる。

 

「どうするんだい? 引き篭るかい?」

 

 更に、紋章機の調整をしていたエンジェル隊も集まる。

 引き篭もるとは白き月のあの力を使って、最低紋章機の整備が終わるまで篭城するという事だ。

 一見してそれで十分に事が足りるように思える。

 しかし―――

 

「そんな事をすれば包囲が完成し、シールドを解除できなくなるよ」

 

 その手は使えない。

 そもそも外部の状況も解らなくなるのだから、その手段は基本的に防衛には使えないのだ。

 ならば何の為の力か、という疑問が出るが、エルシオールも何も答えてくれないだろう。

 

「とは言っても、白き月の防衛能力だって高くないだろう」

 

 白き月は本来黒き月同様に移動要塞であった筈だ。

 しかし、現在は武装の殆どは外され、これだけの数の敵相手では自身すら護り切る事はできないだろう。

 公には隠してきた武器というのは存在するのだが、それだけでこの数はどうしようもない。

 

 一見手詰まりだ。

 だが、フォルテも解って言っている。

 戦力ならあるのだ。

 タクトがそれを口にするのをエンジェル隊は待っていた。

 

「0番機の整備は完璧ですよ」

 

 しかし、それを告げたのはエンジェル隊が想定していなかった人物。

 だが、考えてみれば当然それを告げるべき人物でもあった。

 待っていた台詞を口にしたのは、シャトヤーンだった。

 

 そう、0番機があるし、更には6番機も存在する。

 エンジェル隊は、その2機を使うつもりでいた。

 0番機をタクトと誰かで使い、6番機も使えばいい、タクトもそのつもりだったのだろうと。

 実際、タクトはそのつもりだった。

 0番機の本来の乗組員を忘れていた訳ではないのだが、それでもシャトヤーンが自らそれを言い出すとは思ってもみなかった。

 

「その意味、解っているのか? シャトヤーン」

 

 ここは他の整備員も居る公の場だ。

 しかし敢えてタクトはシャトヤーンを呼び捨てで呼ぶ。

 それくらい重要な確認だった。

 

「10年と263日、22時間31分43秒ぶりですね」

 

 シャトヤーンのこの様な数え方には由来がある。

 元々シャトヤーンは次期シャトヤーンとして膨大なデータを入力され、記憶するだけの人形の様な時期があった。

 タクト達が出会った頃はまるで人形の様に心を表に出す事はなく、全てを数値化して表現していた。

 ヴァニラも全員の摂取カロリーを計算していたりする事があるが、本来は数値化する様な事のない感情すら数値化するくらいだった。

 その後、この世には数値では現せない物が沢山あると理解し、基本的にその数値化して表現する事はなくなったが、時間だけは絶対に近しい軸として秒単位の正確な時間を刻み続けている。

 ただ、それを口に出すのもタクトやエオニアの前くらいで、特にシャトヤーンとなってからは表に出す事はなかった。

 

 それを、タクトとの再会と、この場でシャトヤーンは使った。

 

「いいんだな?」

 

「私は貴方の片翼。

 貴方が飛ぶのであれば、いつでも、どこへでも」

 

 尚も重ねて問うタクトに、シャトヤーンは無邪気な少女の様な笑みでそう答える。

 それを当然と信じて疑わない、そんな答え。

 

「クレータ班長、1〜5番機の作業を一時中断。

 0番機の装備変更を行ってくれ。

 アサルトっていう名前になっているやつで。

 パーツは奥から引っ張り出さないといけないだろうが」

 

「0番機の情報を開放します」

 

「了解しました」

 

「ああ、ミルフィー、君のハイパーキャノンを借りるよ、アレは一基しかないんだ」

 

「え、あ、はい」

 

 意を決したタクトは指示を飛ばす。

 ただし、0番機についてだけ、6番機については触れなかった。 

 

「タクト、6番機は使わないのかい?」

 

「いや、いい。

 それより君達は見ていてくれ」

 

「……解った」

 

 戦力は多い方が良い。

 使い慣れない機体であれ、3時間もあればある程度は使える自信がエンジェル隊にはあった。

 しかし、それ以上に絶対たる自信をもってタクトはエンジェル隊に命じる。

 ただ『見る』事を。

 その意味は、今更考えるまでもない。

 

 

 

 

 

 敵到達まで3時間という時間の中、地上への連絡を含め、全ては順調に進んでいた。

 因みに地上へは『白き月の秘密兵器の一つが出る』と説明している。

 実際秘密兵器と言えるものなので嘘はないが、タクトとシャトヤーンがパイロットだという事は今後とも公開されないだろう。

 作業は順調だが、その中で最も大変だったのはパーツの装備だった。

 0番機は現状試作のフェイタルアローを装備するだけのほぼ素体状態なので、装着しなければならないパーツの数はかなりの数に昇る。

 必要なのは武器だけはないからだ。

 現在メインドッグで整備班総出で作業が行われているところだ。

 

 そんな中、タクトとシャトヤーンはメインドッグにはいない。

 2人が居るのはメインドッグ近くにある一室。

 『更衣室』と札がある部屋だった。

 

「ここもそのままか」

 

「ええ、メインドッグ自体ほとんど使用していませんでしたから」

 

 更衣室と札が下げられ、実際更衣室として使われていた『一室』にタクトとシャトヤーンは居た。

 2人とも手に着替えるパイロットスーツを持って。

 

「衝立もそのままか」

 

「はい、掃除はしてありますけど」

 

「いや、俺は別にいいんだけど」

 

 ここは更衣室なのに、男用か女用かを示す表示は無い。

 因みに、女性の方が遥かに多い白き月では、トイレ等の設備は男性用より女性用の方が圧倒的に多く配置されている。

 だが、男が居る事には変わりないので、当然男性用も存在し、間違えようのない表示もされている。

 それなのに、ここはあくまで『更衣室』でしかない。

 嘗てここを使っていたのがタクトとシャトヤーンだけという事もあっての事情だった。

 秘密裏に行われていたので、他の更衣室を使う訳にはいかないが、更衣室にできる余った部屋が他に無かったのだった。

 更に、この部屋は2つに完全に分離してしまえるほど広くもない。

 

「では着替えますけど……覗かないでくださいね?」

 

「ああ……」

 

 尚、シャトヤーンが使うのは部屋の入り口から見て前後で仕切られた奥側だ。

 嘗てはこんなやり取りが何度も繰り返された。

 日常の一部として。

 

 だが、シャトヤーンがそう言う冗談を口にできる様になったのはどれくらい経ってからだっただろうか。

 最初はそれこそ、衝立もいらないくらい、自分とタクトが異性であるという理解すら薄かったくらいだ。

 その頃は、エオニアからタクトが注意を受けていたのを不思議そうにシャトヤーンが首を傾げていたくらいだった。

 

 タクトはそんな事を思い出しながら自分の着るパイロットスーツを広げる。

 嘗ての試験運用の際に使ったデータ採取を目的としたパイロットスーツだ。

 勿論、紋章機がテスト用でしかなかった事から、さまざまな衝撃からも身を護ってくれる物だ。

 その割にボディーラインが完全に解るくらい薄いもので、ロストテクノロジーの無駄使いだと常々考えてきた。

 男のタクトからしても、若干着るのが躊躇われたくらいなのだから。

 

 余談だが、このパイロットスーツ、というかテストスーツなのだが、ヘルメットが存在しない。

 データ採取はヘアバンドの様な物が使用されており、最初から存在しなかった。

 理由は、シャトヤーンがヘルメットを被るのは無理がある髪の量だからで、最初からそれを考慮して作られなかったのだ。

 髪を切ってしまう、などというのが議論すらされなかったのは、女性ばかりの白き月ならではだっただろうか。

 安全面では、衝撃を緩和する力場を発生させる装置をスーツ側に付けるという無駄レベルのロストテクノロジーの上乗せがされている。

 

「それにしても……なんでぴったりのサイズがあるんだ?」

 

 袖を通してから気付いたが、このパイロットスーツは当時のものではなく、完全な新品だった。

 なにせ、最後でも15歳という成長期のタクトが着ていた物が今ぴったりな訳がないのだから。

 多少伸縮もするものだったので、着る事は可能だったろうが、そうではなく、サイズは完全に今のタクトの体格に一致している。

 

「作り直しました。

 私のも新調しております」

 

「……そうか」

 

 新調するには数日掛かる物だった筈だが、などと考えながら敢えて詳細は聞かないタクト。

 因みに、エルシオールが目覚めた後、白き月と交信する際に彼女が残していったデータからタクトの現在の体格情報を知ったので作り直しておいたのだ。

 こう言う事態も在り得ると、そう考えて。

 いや―――こう言う事態、2人で再び飛ぶ事を心のどこかで願っていたのだろう。

 

「ところでタクト、少しお聞きしたかったのですが」

 

「何だ?」

 

 この更衣室は、ただ衝立が1枚隔てるだけの一室。

 着替えながらも会話する事ができ、当時もそうしてきた。

 明るい話題も悲しい話題も全て、たかが衝立1枚とはいえ、壁があることで出来た会話もあった。

 

 が、今回の話題はそのどちらでもなかった。

 

「エルシオール様から、タクトがヴァニラさんと、それとミントさんとも一緒に紋章機に乗ったと聞いております」

 

「ああ……緊急事態だったからな」

 

「なかなか興味深い2人乗りの仕方をされたとか」

 

「……緊急事態だったからな」

 

 隣からはシャトヤーンが着替える音が響いている。

 あくまで着替えながらの会話。

 ただ、タクトは今隔てている衝立の方すら見る気にはなれなかった。

 

 正直戸惑っていた。

 嘗ての2人には経験のない会話のパターンであり、シャトヤーンからそんな感情を向けられるとは思ってもみなかった。

 

「楽しかったですか?」

 

 口調はいつもと全く同じで、だたの興味として聞いている様でもある。

 しかし、それだけでは無いと、タクトの人生経験が訴えている。

 下手を打ては大惨事となると。

 

 だが、その問いの答えは至極シンプルで済む。

 

「そうだな、楽しかったかと聞かれれば楽しかった」

 

「そうですか」

 

「だが、お前と飛ぶ事と比べればなんでもないことだ」

 

「そうですか」

 

 タクトの回答と追加の一言。

 そのどちらに対しても、シャトヤーンは同じ反応を返すだけだった。

 同じ口調で、淡々と。

 やがてシャトヤーン側での着替えの音が止む。

 シャトヤーンは女性であるのと、髪が長い事でいつも着替えには時間が掛かる。

 特に長い髪は邪魔にならない様、纏めなければならないのが一仕事らしい。

 

「お待たせしました」

 

「ああ」

 

 奥側から出てきたシャトヤーン。

 ボディラインが見て取れるパイロットスーツに身を包み、髪結った姿は普段の姿からは印象がまるで違う。

 

「相変らず……いや、よりいっそう綺麗になったな、シャトヤーン」

 

「ありがとう、タクト。

 タクトも随分とたくましくなりました」

 

「だといいけどな」

 

 2人は少し微笑みながら見詰め合う。

 離れていた11年あまりの時間で変わった姿を見て、だが、決して変わっていないものを確かめる様に。

 

「では行きましょう。

 見せるのでしょう?」

 

「ああ、見せるとも。

 俺達2人が何であるか」

 

「はい」

 

 タクトはシャトヤーンの手をとって部屋を出る。

 あの頃と同じ様に。

 2人で楽しく飛びに出かける。

 

 

 

 

 

 一方その頃、メインドック0番機前。

 丁度今しがた0番機の装備が全て取り付け終わったところだ。

 装備は完了したのだが、完了できた事についてのクレータの感想は一言だった。

 

「本当に積めちゃった……」

 

 驚きという感情と共にそう呟いたのは、短時間での作業を言っているのではない。

 目の前にある今の0番機を見て、そして何を積んだかを知っているから言える事だった。

 

「嘗て私達は、0番機のデータだけで私達の5機分の紋章機用のシステムデータを作成した事を驚いた事があった。

 で、それができた理由がこれかい」

 

 フォルテ達エンジェル隊は、もう驚きを通り越して呆れるしかなかった。

 アサルトモードと名の付いた0番機の装備は、一言で言えば『全部積んだ』である。

 4番機のコンセプトである火力というものを機体の上面部に火器を満載する事で満たし、フライヤーも2機だけとはいえ火力として加わっている。

 その武装の下には電子戦用のムーブがあり、電子戦も可能としている。

 機体の上面後部にはエネルギーシールド発生装置が、更に下部の後部にはナノマシン散布ユニットまで装着している為、5番機としての運用も可能だろう。

 その上、機体下部には2基1対のドリルアームが装備され、格闘戦もでき、それらを積んだ重量をカバーして余りある高出力スラスターを装備し、2番機並の機動性を確保されている。

 その全てが奇跡的なバランスで搭載され、最後に機体の下部中央に抱える用に1番機のハイパーキャノンが装備されてる。

 ごてごてとくっつけているだけの様でいて、どのパーツも他の機能を阻害しない配置となっており、安定した運用ができるだろう。

 

 しかし、こんな大量の装備を着けてしまったらそれだけでエネルギーを食われるし、高性能スラスターが付いているから理論上は高速で動けても、やはり質量と、それに伴う慣性を誤魔化しきれない。

 2番機を軽自動車と例えるなら4番機はワゴンで、今の0番機はトラックと言えるくらいの差がある。

 少なくとも今のエンジェル隊ではこんな装備の0番機は動かすのがやっとで、とても戦闘はできない。

 それに、これだけの装備を活かす技量もない。

 とても1人で扱いきれるものではない。

 

 因みに、これだけの武装はただ一つを除いて倉庫に眠っていたパーツであり、エンジェル隊も見たことのないパーツが幾つもあった。

 その中で、倉庫からではない出所の武装であるハイパーキャノン。

 1番機のスペック上では『中距離ビーム砲』となっている武装だ。

 

「ところでタクトさん、私の使っているハイパーキャノンが1基しかないって言ってましたね」

 

「そうだな」

 

 『ハイパーキャノン』という名称はあくまでミルフィーユがつけた必殺技としての名であり、武装の名ではない。

 武装の名前ならば『中距離ビーム砲』が正しい。

 が、実際のところハイパーキャノンの威力からそれがただの『中距離ビーム砲』ではない事は明らかだ。

 完全に紋章機専用装備だという事は確かなのだが、ミルフィーユ達はその程度にしか考えてこなかった。

 

「でも、あの武装名前らしい名前がないんですよね。

 型番に『MCBC01』って書いてあるだけで」

 

 型番は型番であり、型番とは別に名称が存在する事が多く、他の兵装は全て型番と名称が別々に存在している。

 それなのに、ハイパーキャノンだけ、型番のみで、名称の欄は空欄だったのだ。

 だが、今その名をミルフィーユは口にして、思いついた事があった。

 

「『MCBC』……『マイクロ・クロノ・ブレイク・キャノン』……」

 

「あ……」

 

 少し前、フォルテはタクトから聞いていた。

 クロノブレイクキャノンの量産計画があったが、それは試作の一基を作っただけで終わったのだと。

 そして、1番機は現行の紋章機のプロトタイプとして、最大出力を求めて組み上げられている。

 紋章機のクロノストリングエンジンの出力をそのまま攻撃力に変換できる兵器を搭載して―――

 

「そう、いくら改良しても出力が想定通りに上がらず、コストを抑えきれない、コスト以上に製作に掛かる時間の問題で破棄となった計画の産物。

 それが1番機に搭載される『中距離ビーム砲』、ハイパーキャノンの正体だ」

 

 と、そこへパイロットスーツに着替えたタクトとシャトヤーンが戻ってくる。

 白のパイロットスーツに身を包んだ2人は、エルシオール司令官でも、白き月の聖母ともまた違う、独特の雰囲気を持っていた。

 

「タクトにシャトヤーン様も……

 なんと表現していいか迷いますが、良くお似合いです」

 

「ありがとう、フォルテ」

 

 シャトヤーンは少しこの姿で人前に出ることを恥ずかしがっている。

 この姿を見せた事があるのは、嘗てのテストの観測班とエオニアといった極一部の人間だけだった。

 あれから11年近くたって居ることもあり、自分の立場も変わっているのだから当然といえば当然だろう。

 だが、同時に自信にも満ちている。

 0番機のパイロットとしての絶対の自信だ。

 

「更に付け加えると、フェイタルアローは、MCBC計画を更に簡素化し、破壊のみを追及した武装開発だ。

 因みに、MCBC計画で得た技術は全ての紋章機の兵装に応用され、最大出力向上に貢献している。

 ハイパーキャノンほどの瞬間最大出力は得られなくとも、総合攻撃力では引けを取らない」

 

「そうかい。

 まあ、私は弾をばら撒く方が性に合うしね、別にハイパーキャノンが欲しい訳じゃない」

 

「フォルテらしいな。

 実際、理論上の最大出力なんてあんまり使い道もないから……あとはミルフィーの使い方次第だ」

 

「はい」

 

 それはつまり、だだ強力なエネルギー砲撃武器でも、ただ撃つだけ能ではないと断言している。

 実際、何度か薙ぎ払う様な使い方もしているが、タクトは更なる使い方も暗示している様に見える。

 

「さて……」

 

 話が一段落したところで、タクトは0番機を見上げる。

 武装を完了し、嘗ての姿を取り戻したタクトの愛機。

 

「じゃあ、私達はここで見させてもらうよ」

 

「ああ。

 そうだ、エルシオール、ついでだからデータの採取もしておいてくれ」

 

「了解しました。

 ……2人共、気をつけて」

 

 タクトの呼びかけに応え、タクト達の前に姿を見せるエルシオール。

 一瞬、何かを言いたそうにしていたが、一度目を瞑り、ただ2人を送り出す。  

 

「解ってるよ」

 

「はい」

 

 タクトとシャトヤーンは0番機に乗り込む。

 嘗て、日常としてそうしてきた様に、今回も変わらず。

 

 

 

 

 

 0番機コックピット。

 タクトは操縦の為に複座の前の席へ、シャトヤーンはH.A.L.Oシステムを担当する為後ろの席に座る。

 更にH.A.L.Oシステムの起動と共にタクト席にもツインリンクが起動し、0番機はその力を発揮し始めた。

 クロノ・クエイク以前の形にして、現状最高のH.A.L.O出力を発揮できる姿だ。

 補助システムが起動するまでも無く、白い光の翼が展開し、機体が輝きを放つ。

 

『タクト、敵との配置だ。

 作戦は要るか?』

 

 エルシオールのブリッジからレスターがいつも通りの敵情報を送ってきてくれる。

 敵は白き月に向けて扇状に展開し、時間と共に包囲を完成させるだろう。

 だが、それまでは後30分は掛かる距離だ。

 

「この程度なら必要ないよ。

 ちょっと行って片付けてくる」

 

『そうか。

 武運を祈る』

 

「ああ」

 

 そこで通信は切れが、エルシオールは観測に全力を出している筈だ。

 その『目』には既に慣れて居るが、今日はエンジェル隊や、エルシオールクルーも見守っている。

 ここは人前なのだ。

 

「緊張しているか? サラ」

 

「いえ、ここほど落ち着く場所は他にありません」

 

「そうか。

 俺もだ」

 

 だが、2人にとっては関係ない。

 見せる意味も当然あるが、そんな事は考えながら飛ぶ事はない。

 

「じゃあ、行くか」

 

「はい」

 

「エルシオール」

 

『了解、メインゲートオープン。

 0番機、Gカタパルトへ』

 

 エルシオールによる白き月設備の操作で、0番機はメインドックからメインゲート内の射出ラインへと移動される。

 そこに備え付けられている人口重力発生装置を利用したカタパルトにより0番機は射出される。

 今の時代ではこれが始めての実戦使用だ。

 

「0番機、タクト」

「シャトヤーン」

「「出ます!」」

 

『0番機射出!』

 

 音の無い重力による斥力に押され、0番機が白き月より飛び出す。

 無限に広がる宇宙へ。

 それを阻む敵の壁の前へと。

 

「さあ、飛ぶぞシャトヤーン!」

 

「はい、飛びましょう、タクト」

 

 タクトはフルスロットルで宇宙を切り、シャトヤーンはそれを具現する為、ここに願う。

 2人の意志は一つの方向へと向く。

 一切の誤差なく、限りなく一つへ。

 

 

 

 

 

 白き月を襲撃する為に集結した無人艦隊。

 そのAIが白き月から高エネルギー体が飛び出したのを確認した。

 エネルギー弾としてはあまりにエネルギーが高すぎ、大型の戦闘機にしても質量が大きすぎる物体。

 それはエネルギー弾の様に早く、しかし鳥の様に自在にこの宇宙を舞い、近づいてくる。

 それが何であるか、AI達は断定できない。

 できないまま接近を許してしまう。

 いや、AIをして『いつの間にか』という間に既にそれは艦隊の中央を飛び去っていた。

 後には、無人艦の大爆発が響くだけだった。

 

 

 

 

 

 白き月から観測するエンジェル隊は、それを見ていた。

 4番機を軽く越える質量を持った0番機が、2番機よりも早く飛び、無人艦隊の中央を通り過ぎる中、ドリルアームで敵を切り裂いていった。

 更に、その切り裂いた傷に正確に2基のフライヤーがビームを撃ち込み、接触した全ての無人艦が轟沈する。

 戦闘開始から僅か30秒で、6隻の無人艦を撃破した。

 

「……」

 

 それを見るエンジェル隊の顔に驚きの表情はない。

 驚きのあまり放心している訳でもない。

 ただ目を見開き、それを見ている。

 それらの動きの全てを見逃さぬ様に。

 

 

 

 

 

 無人艦隊を中央から接近し、そのまま撃破しつつ通りすぎた0番機はその質量からはとても考えられない驚異的な急旋回で再び無人艦隊を目の前に見据えていた。

 本来、あまりに無茶な挙動をすれば、それはGとなってパイロットを襲うが、紋章機内部にはそれこそそよ風が吹いた程度の出来事。

 搭乗した初期ならいざしらず、調整を完璧に終え、H.A.L.Oを高出力で安定して出せる今ならその分パイロットの護りも完璧だ。

 それも計算に入れた動きをタクトは0番機にさせる。

 そういった出力に対する挙動の加減も、0番機なら自分の手足同然にできる事だ。

 

「……」

 

 コックピット内で、タクトは何も言葉を発しない。

 シャトヤーンとのコミュニケーションはない。

 そして、今は司令官ですらない彼が、0番機を敵と認識し、包囲しようとする無人艦隊を見て考える事は―――

 

(右側の方が楽しそうだな)

 

 戦略的に有利だとか、退路の確保など考えない。

 ただ楽しく飛べるかどうかという判断基準で、見つけたならそこへ飛ぶ。

 シャトヤーンの了解はとらない、何をするかも話し合わない。

 そもそも飛ぶことを考えるだけで、落とすべきターゲットの選定もしない。

 そんな必要など一切ない。

 

 再び無人艦隊の中へと突入する0番機。

 尚、0番機においてタクトは操縦を担当し、武装の使用はドリルアームとレーザーバルカンのみ行う。

 シャトヤーンはH.A.L.O出力と共に火気管制を担当しており、その他全ての武器を操っている。

 フライヤーの操作はナノマシン操作と同じ操作方法であり、ミントとほぼ変わらぬ操作が可能になっている。

 

 先ほどは肩慣らし程度で、タクトはドリルアーム、シャトヤーンはフライヤーのみを使ったが今度は違う。

 タクトは翼を持つからこその動きをここに見せつけ、シャトヤーンは全ての武器を解放する。

 対し、無人艦隊はあまりに素早く変幻自在の動きをする0番機を止めようと、その身をも武器とする。

 無人だからできる行動だ。

 しかし、所詮は戦艦の動きであり、翼を持つ紋章機を捕らえられる筈もない。

 

 重すぎる筈の機体も、H.A.L.Oシステムによる大出力に頼る事なく、繊細な操作で機体を我が物として動かし、慣性を味方とする。

 その上で通常の戦闘機ではありえない上下の素早い動きに加え、翼を持つ事でできる旋回力で機体は正に変幻自在の動きをここに見せつける。

 そんな動きをする中、タクトはドリルアームで敵を切り裂き、レーザーバルカンで砲門を炎上させる。

 シャトヤーンは宙返りの間にミサイルポットで全方位にミサイルを放出し、その上で全弾命中させるという照準補正を行いながらの砲撃。

 更に飛ぶのに邪魔な位置に敵がいれば、ビーム砲で敵に穴を開け、それを道とする。

 勿論高威力のビーム砲となればそれ相応の反動が付くが、その反動すらタクトは飛ぶ事に利用し、宙返りなどをする為の力へと利用してしまう。

 0番機本体には影響の出ないフライヤーも休んではいない。

 2基だけとはいえ、ビームを重ねて威力を増しつ移動し、敵を切り裂いたかと思えば、全くの非同期で動かし、別々の方向からのミサイルを撃ち落したりと、それこそ手足の如く操作している。

 1人で操縦していたらとてもできない高度な機体制御と、高精度かつ高効率の攻撃の数々。

 操縦と火気管制が分かれているからできる大立ち回りだ。

 だが同時に、同じ人間でなければできないだろうと思われる高度な連携あってこその事だ。

 

 勿論、最初から上手くできた訳ではない、機体を自爆まがいな事で中破させた事は何度もある。

 一緒には飛べないと諦めかけた事は何度もあった。

 それら全てを乗り越え今があり、最早タクトとシャトヤーンは2人で一つの鳥となっている。

 

 そう、鳥だ。

 紋章機は現在光の翼を持つだけでなく、強い輝きを放ち、光の鳥の姿をしている。

 この暗き宇宙を舞う一羽の鳥だ。

 

 0番機が無人艦隊の中を縦横無尽に飛び回り、既に陣など崩壊していた。

 しかし、無人艦のAIは無能ではない。

 もはや0番機がなんなのかなど、『敵』の一言に確定させ動く。

 そして、捉える事も難しいなら、それを必要としない攻撃をすれば良いのだ。

 つまりは、飽和攻撃。

 

 現状でも弾幕を展開し、避けようの無い攻撃というのはしている。

 しかし、多少の攻撃では紋章機を覆っている光だけで弾かれ、意味を成さない。

 尤も、タクトはそれでも避けられる攻撃は避け、避け得ない攻撃なら、最も痛くない攻撃を選び、当てても問題の無い場所に効率的な角度で当てさせる。

 エネルギーシールド等に頼らなくとも、攻撃を受けても大丈夫な場所というのは存在する。

 装甲とはその為に存在しているのだ。

 回避とダメージコントロール、更にナノマシンによる自己修復で一見0番機は一切の攻撃が届いていない様に見えるだろう。

 だからこそ、無人艦隊は最大攻撃力をここに集結させる。

 

 味方艦への被害を考えず、0番機のいる場所へ全艦からミサイルが発射される。

 いかな速度を持ってしても避けきれず、完全に全方位である為ダメージコントロールもしようがない攻撃。

 だが、その時、ミサイルの動きが止まる。

 EMCによる電子妨害を散布したナノマシンで増幅しての効果。

 目標を見失ったミサイルが乱れ、僅かな穴ができる。

 そこを0番機が潜り抜け、抜ける最後にわざと翼をミサイルに掠らせる。

 密集していたミサイル群だ、その一つが爆発する事で全てが誘爆し、大爆発が起きる。

 0番機は後部にシールドを展開し、その爆発をも推進力にして更なるスピードで無人艦の中を飛ぶ。

 

 再びミサイルによる飽和攻撃を実行する無人艦隊だが、既に大分数を減らしている為、きっちりと飽和状態には至らない。

 タクトはドリルアームを射出し、敵艦の1隻に撃ち付けると、そのままその敵艦を引っ張って盾とする。

 大型の戦闘機でしかない0番機で、その何倍もの大きさと質量を持つ無人艦を引っ張ってしまえる。

 高いH.A.L.O出力の紋章機だからできる荒業だ。

 しかし、ただ強引に引っ張っただけでは無く、敵艦を支点とし、ワイヤーを利用した動きで敵を翻弄し、敵のミサイルを敵を落とすのに利用してしまう。

 

 そんな交戦を続け、敵を引っ掻き回すタクトとシャトヤーン。

 そうして、ある時、敵艦対の中から飛び出し、離れた位置で停止した。

 戦闘開始から今に至るまで止まる事なく、減速もなく飛び続け、今やっとホバリングの為だけに翼を動かす。

 敵の中から飛び出すのは苦しくなったからではない。

 常に楽しい飛行をできる方向に飛ぶという短絡的な飛行をしてきたが、それでもタクトは全体を見失っていた訳ではなかった。

 より楽しい事ができるから外にでたのだ。

 

「うん、良い位置だ」

 

「ええ」

 

 それがこの戦闘で初めて交わした会話。

 そして、これが戦闘中最後の会話でもある。

 

「いくぞ!」

 

「これが、『私達』です!」

 

 ズダァァァァァァァァンンンッ!!!

 

 2人が一気にテンションを、H.A.L.O出力を高める。

 一瞬に凝縮された数多の想い。

 この暗き宇宙全てを光で覆わん程に膨張する光の翼。

 その中、光の一矢が放たれる。

 ハイパーキャノンだ。

 

「おおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 いや、それは最早一矢ではない――― 一振り。

 光の一閃が、横薙ぎの一閃へ、一羽の鳥が発した閃光は、光の剣と姿を変える。

 その一閃が丁度殆ど同じ高さで並んでいた残りの無人艦隊全てをこの一撃で薙ぎ払う。

 白き月の剣たるクロノブレイクキャノン。

 失敗に終わったとはいえ、『マイクロ』とはいえ、その名を冠するその武装は、その面目を立てるのだった。

 

 

 

 

 

 白き月が放った光の鳥が、たった1羽で無人艦隊を消し去る。

 この戦争が始まった当初、紋章機5機でも10隻を相手にするのがやっとだったのに、たった1機でその10倍の数を、最後は剣の一振りで消滅させた。

 ほんの1ヶ月前なら信じられない光景だろう。

 

「私は知っていました」

 

 しかし、その姿を見て、クレータは呟いた。

 傍には観測しているエルシオールがその姿をわざわざ見せたままだ。

 だが、エルシオールが何か反応を返す事は期待していない。

 これはクレータが行いたかった告白だ。

 

「私は技術者として、紋章機は本来あれくらいの動きが可能だと知っていました。

 けど、それは理論値でしかないとも思っていました。

 実現はできない、その必要もない、と」

 

 紋章機につけられた1000%リミッターの存在にも気付いていたのと同様、1000%出力にも機体は耐え得る事をクレータは知っている。

 整備を担当する身として、そうできる様に整備してきたのだ。

 もし100%が限界だと設定したならば、無駄極まりない事が多かったが、それでも最高の状態を維持させた。

 使い切られる事はない思いつつも、その技術への思いからクレータは手を抜かなかった。

 

「そうね、私もここまでになるとは当時思っていなかったわ。

 実際に出力に耐え切れず壊れた何度か事もあった。

 想定していない出力が出たことは喜ばしかったのだけど、技術者としてはショックだったわ。

 でも当然よね、このシステムには人の心が絡んでいるのですもの、簡単に予見できるものではないわ」

 

 クレータの心に何かを共感してか、タクト達くらいとしか会話をしなかったエルシオールが応える。

 だが、クレータに驚きはない、何故か親しみも似た思いがある。

 

「はい。

 だからこそ、私はこの仕事を誇りに思います」

 

「そう、良かったわ」

 

 クレータの言葉に笑みを見せるエルシオール。

 優しく、そして嬉しそうな笑み。

 その笑みのまま、エルシオールは告げる。

 

「仕事が一つできたわ。

 貴方達の仕事。

 あの子達、ついに1200%の出力を出してきた。

 リミッターは一応効いて1000%に押さえ込んだけど、リミッターが壊れてしまったわ。

 新しいリミッターを作ってもらうわね。

 このリミッターは、あの子達の安全の為にも必要だから」

 

「はい、喜んで」

 

 無邪気な笑顔にも近い、楽しそうな笑みを見せるクレータ。

 クレータ達は、基本的にロストテクノロジーを、嘗ての人々が生み出した技術を再度見つけ、使う事を仕事としている。

 その為、新しい物を作る事はあまりない。

 だからこそ嬉しい。

 今まで紋章機に掛かっていたのは古の技術で掛けたものだが、それではダメだとなると、クレータは新しい物を作り出さなければならない。

 挑戦を楽しめない技術者はいないのだ。

 

 

 

 

 

 一瞬の光の剣が消えてゆく。

 全ての敵と共に。

 この宇宙に、再び静寂が訪れた。

 

「ふぅ……楽しかったか? シャトヤーン」

 

「ええ、勿論。

 貴方は?」

 

「当然だ。

 最高だったよ」

 

 2人の飛翔は終わった。

 これで2人とも満足できた。

 11年近くのブランクを埋める飛翔は最高のできとなったのだ。

 しかし―――

 

「そう……よか、った……」

 

 シャトヤーンの声が消え、ドサっという音が響いた。

 同時にH.A.L.O出力も止まり、タクトの分だけとなる。

 機体を覆っていた輝きも、翼も消えてしまう。

 タクトは後ろを振り向くまでもなく、何が起きたかは解っていた。

 

「サラ……」

 

 嘗ての名で愛する人を呼ぶタクト。

 シャトヤーンとなった今ではもう失った名でもある。

 もうあの頃には戻れないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、タクトだけで0番機を白き月まで戻し、タクトはシャトヤーンを抱き抱えて0番機を降りる。

 そこには既に主要なメンバーが全員揃って待っていた。

 

「タクト、一体どうしたんだ!?

 シャトヤーン様は?!」

 

 H.A.L.O出力が突然途絶えたのは白き月側でも観測できている。

 それによってシャトヤーンに何かあったのだと推測するのは容易だ。

 そして、タクトに抱きかかえられて出てくるシャトヤーンの姿はそれを現実のものとして知らしめる。

 

「ヴァニラ、過去のテストデータから薬の用意を、力の異常放出だ。

 俺は部屋まで運んでくる」

 

「はい、解りました」

 

 タクトは先ずヴァニラに指示を出す。

 ここまで戻ってくる間は、問題ないとだけ伝えていた。

 それも嘘ではないのだが、治療は必要だ。

 タクトは、それ以上の説明をする雰囲気ではなかったが、そこへエルシオールが姿を現す。

 

「タクト、貴方気付いていたのでしょう?」

 

 出撃前、エルシオールはこうなる事が解っていた。

 それを伝えようとして、止めている。

 そして、タクトもそれは解っていたのだ。

 

「ああ、解っていた。

 シャトヤーンは出産の影響で、もう紋章機のパイロットができる体じゃない」

 

 シヴァを身篭った当時、シャトヤーンの年齢は16と、子供を産むにはギリギリの若さと言えるだろう。

 当時のシャトヤーンは妊娠を隠しており、白き月での激務をこなした上で、無理な出産を強行した為、体力の衰え方は激しく、それを取り戻す事もできなかった。

 その為、体重は当時より軽くなってしまっている。

 妊娠と出産を悟られないようにする為に、見た目上は変わっていないが、逆にそういう誤魔化し方をする為に犠牲にした分もあっただろう。

 それをタクトはシャトヤーンを抱きしめた時に解ってしまった。

 これも、自分の行為の結果なのだと、受け入れた。

 

「なら何故……」

 

 今のシャトヤーンではタクトとの全力飛翔には耐えられない。

 それが解っていて、タクトは飛翔を加減しなかった。

 戦略的に動けば、ある程度出力を抑えても勝てない相手ではなかったのに、それをしなかったのだ。

 何故なら―――

 

「嘗て捨てた片翼が、飛ぼうと言ってきたのだ。

 俺はそれを叶えるだけだ」

 

 そう答え、タクトはシャトヤーンを抱いてシャトヤーンの私室へと運ぶ。

 誰もその背中に声を掛ける事はできなかった。

 エンジェル隊も、整備班もとても掛ける言葉が見つからない。

 

「……」

 

 それはシヴァも同様だった。

 いや、それ以上に、シヴァには言葉にする事ができない想いで一杯だった。

 そんなシヴァに、ヘレスはただ傍に控えている。

 

 

 

 

 

 シャトヤーンを運び、シャトヤーンの私室に着いたタクト。

 扉のセキュリティーは最初からタクトの侵入を拒んではいない。

 タクトはシャトヤーンをベッドに寝かせ、一度その顔を撫でる。

 

「タクト……」

 

「気が付いたか、シャトヤーン」

 

 うっすら目を開けるシャトヤーンは、やはり苦しげだった。

 無理をして全力で飛んだ為、暫くは動けない筈だ。

 戦闘機としてのGではなく、H.A.L.Oを高出力を発揮する為の疲労だ。

 肉体的にも、精神的にもダメージを受け、容易には回復できない。

 それは経験上タクトもシャトヤーンも知っている事。

 大凡一週間はまともに動く事はできないだろう。

 

「ごめんなさい、タクト」

 

「あまり喋るなシャトヤーン。

 今は休んでいろ」

 

「私、醜い嫉妬など見せてしまいましたが、もう貴方の片翼たる資格はないのです。

 だから、貴方は―――」

 

 そう言葉を続けるシャトヤーンの口をタクトは塞いだ。

 

「馬鹿いうな。

 俺の片翼はお前以外には居ない、俺とお前で一対だ。

 それは何があっても変わらない」

 

「タクト……」

 

 涙を流すシャトヤーン。

 それはタクトの気持ちが嬉しいからか、それともタクトを縛ってしまう悲しみか。

 鳥の翼は、一対揃って始めて機能する。

 片翼だけの鳥は、もう半分が残っていたとしても飛ぶ事はできず、翼は無いのと変わらない。

 

「けど、緊急事態に他の翼を借りてしまうのは大目に見てくれよ」

 

 苦笑しながらそんな事を言い出すタクト。

 タクトも立場上、もう他の誰とも紋章機に乗らないとは断言できない。

 悲しいが、これもタクトの行く道なのだ。

 けれど、誰かを片翼にするとは言わない。

 片翼の鳥が飛ぶもう一つの方法、それは両翼をそのまま借りてしまう事だ。

 

「もう……仕方ありませんね……

 特別ですよ?」

 

「ああ」

 

 やっと笑顔を見せてくれるシャトヤーン。

 そんなシャトヤーンに更にタクトは付け加える。

 

「またいつか飛ぼう。

 敵の居る空ではなく、平和な空を、のんびりとさ」

 

「ええ、いつか、きっと……」

 

 それは小さな小さな約束。

 しかし、実現できるかは限りなく難しい約束だった。

 そんな約束をして、2人は再びこの部屋で別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから40時間後。

 紋章機のオーバーホール及び封印の解除、エルシオールの整備とクロノブレイクキャノンを含む全武装の搭載が終わった。

 紋章機とエンジェル隊の調整、エルシオールとクルーの調整、更にシステムのチェックと、各員の休息もとる事ができ、大凡万全の体制を整える事ができた。

 黒き月が到着するまで後3時間。

 白き月では最後の準備に取り掛かっているところだった。

 

「そういえばタクト、もう最後の準備に掛かってるが、クロノブレイクキャノンはどうやって撃つんだい?」

 

 そんな中、丁度ブリッジにエンジェル隊とタクトが集まった際、フォルテが確認の為に問う。

 クロノブレイクキャノンは既に装備され、作戦会議では撃てる体勢にしておく事が決まっている。

 だが、肝心のエルシオールはまだエオニアに権限を握られて真の力を発揮できない。

 それは必要ないというのも会議の中で話しているが、エルシオールの力なしに、どうやってクロノブレイクキャノンを撃つのか。

 タクトの権限だけでも『発射』は可能というのも解っているが、そのエネルギーは何処から出るのか。

 当初はシャトヤーンが乗り込むものと思っていたのだが、シャトヤーンは先の戦闘で現在でも立つ事すらままならない状態。

 その原因がH.A.L.Oシステムへの過剰出力である為、ただ乗り込んでH.A.L.O出力をしてもらう為だけという事もできない。

 更に、シヴァも白き月での指揮が決定されている。

 それらは全てシャトヤーンが倒れた後にも確認された事項だ。

 

「ああ、心配ない。

 エルシオールに搭載されているクロノストリングエンジンからエネルギーを供給する。

 H.A.L.Oシステムを使った時の用な短時間でのチャージは出来ないが、今からチャージを開始すれば十分に間に合う。

 問題は、エネルギーチャージ状態を維持しなければならない為、エルシオールの戦闘力はあまり期待できないってことだ。

 ダメージも可能な限り避けなければならないしね。

 っていうのをそう言えば言ってなかったか、すまない俺の手落ちだ」

 

 最後の作戦会議では、戦力はあくまでエンジェル隊で、エルシオールはクロノブレイクキャノン発射に備えて戦闘にはほとんど参加しない、という話はしていた。

 必要な情報は一応渡しているのだが、話しておいた方が良い事が抜けていたのも確かだった。

 

「いや、別にそれを知っていなかったからってどうなった訳でもないだろう。

 元々エルシオールにはクロノブレイクキャノンの発射に備えてもらう為に敵を近づけないつもりだったんだから。

 戦闘は私達に任せておいてくれよ」

 

「ああ、任せる。

 そして、見ているからね」

 

 タクトは既に見せた。

 アレがタクトの今の全てだった。

 そして、2度は使えない全てであり、受け継がれるべきもの。

 

「ええ、見ていてくださいね、私達を」

 

「5人全員分、見逃すんじゃないわよ」

 

「がんばりますわ」

 

「不謹慎な事だけど、私は次の戦闘が待ちきれない気分だよ」

 

「成長、ご覧に入れます」

 

 それに対し、エンジェル隊は応える、それぞれの形で。

 とは言え、先のタクト達の飛翔を見ただけで、全てを吸収できた訳ではない。

 次の戦闘で、実際に飛ぶ事で、一つずつ身につける事になる。

 その過程を見ていて欲しいと彼女達は言っている。

 タクトの力を自分達のものとしている姿を、継承が行われている事を、コックピットではなく、ブリッジの司令官の席で。

 

「期待してるよ、君達がエンジェル隊だ」

 

「はい」

 

 明るい笑みを見せるエンジェル隊。

 皇国の希望は、今でも十分に輝いているが、これから更に磨かれていくのだろう。

 

 

 

 

 

 その後、更に2,3確認と調整を済ませ、ブリッジでの話し合いは解散となる。

 エンジェル隊はこれから小休止し、最後の戦いに備える事になる。

 タクトにも休息が必要だった。

 先に休息をとっていたレスターと交代し、ブリッジを出て自室へと戻ろうとするタクト。

 だが、結局自室に入る事はなかった。

 

「ヘレス……」

 

 その自室の前に人が待っていたのだ。

 エルシオールで数年ぶりの再会を果たしながら、しかし、ずっと距離を置いていた相手。

 

「タクト様、今お時間よろしいでしょうか?」

 

「君の誘いだ、断る訳がない」

 

「直ぐに済みます。

 決戦に備えて貴方の休息時間を奪う訳にはまいりません。

 ですが、少し場所を変えてよろしいでしょうか?」

 

「ああ、何処へ行こうか」

 

 タクトは何処でもよかった。

 ヘレスが望むのならと。

 そう言う態度のタクトを誘い、ヘレスは直ぐ近くの展望公園へと移動する。

 最後の準備に忙しい今なら、誰も居ない場所へ。

 

 

 

 

 

 2人きりの公園で、中央の大きな木の下に座る。

 と言っても、ヘレスは並んで座らない。

 お茶を用意してタクトに出すが、あくまで傍に控える様な位置に居るだけだった。

 

「君には、何を言われても受け入れるつもりだ」

 

 シャトヤーンの時は相手が先に言葉を発し、そこから誤解が加速した。

 だから、今度は先にタクトが言葉を出す。

 とは言え、タクトにできる事は受け入れる事であり、待つことしかない。

 

「タクト様は、私が何かタクト様を責めると思っておいでの様ですが、それこそが誤解です。

 本当に、最後までタクト様は女心を理解していただけなかった。

 いえ、この場合、私の方がおかしいのでしょうね」

 

 ヘレスのそんな言葉を聞いて、タクトは考えるがやはり答えが出ない。

 ヘレスが何を言いたいのか、何も解らなかった。

 そうして、やはりヘレスの言葉を待つしかない。

 

「タクト様、でははっきりと申し上げておきますが、私はタクト様の事が好きです。

 あなたの事以外考えられない程、愛して止みません」

 

「……は?」

 

「タクト様、女にここまで言わせてその反応はいかがなものかと思います」

 

「いや、ヘレス、お前……」

 

「どうせタクト様のことですから、孤児となった原因、閉鎖的な家庭環境で育った幼少期、自由の無い成長期、更に人質にされたあの時の事を気にしているのでしょう。

 けれど私は、十分幸せな幼少期を過ごし、更には普通なら体験できない貴族級の教育を受けられた事は喜びですし、そして人質になれるくらい貴方の大切な物として認識された事はむしろ幸せでした」

 

 タクトが何か言い切る前にヘレスは言葉を続ける。

 エルシオールに乗ってから、何度呆気にとられる事態があったかは解らない。

 だが、そのどれと比較できない驚きがタクトの思考を止めていた。

 

「タクト様は少し過去に悲観的過ぎたのでは無いかと思います。

 むしろタクト様は私を罵倒してもよろしいでしょうに。

 貴方に私を事など、罪の意識を抱く必要なんて欠片もありません」

 

 本当に、次々と止まる事なく彼女の事実を告白するヘレス。

 今は時間が無い、タクトの時間を奪わないと言ったのは彼女だが、しかし果たしてそれだけの理由でこうなのか。

 それとも―――

 

「私、タクト様が思っているほど貞淑な女ではございません。

 わがままで自己中心的な悪女です。

 シャトヤーン様と離れざる得なかったタクト様の心の傷を埋めるというのを言い訳に、私という存在を打ち込もうとしたのですから。

 シャトヤーン様と貴方が結ばれたと知って、貴方の1番は諦めていましたのに、チャンスを得てしまったから、それを利用してしまう。

 ええ、とんでもない悪女ですわね。

 どんな形であれ、貴方の傍にいられればそれでいいと思っていた筈でしたのに、結局はそれも失った」

 

 あの日―――

 タクトが罪としているタクトがヘレスに手を出してしまった日。

 自分が人質とされた事で、タクトが意識的にヘレスに対して遠慮をしているのが見えていたのを、なんとか取り払えないかと考えていた。

 元々妹程度にしか思われていなかったので、シェリーに習い侍女としてでも傍に居ようとしたが、それが更にタクトから距離を置く事となってしまった。

 それで、自分を女だと意識してくれればそれでいいし、少しはタクトの行き場の無い感情の捌け口にできればと、タクトをそう誘導した。

 しかし、あろう事かタクトは翌朝、ヘレスに母親から残された遺産の全て譲渡し、自分の前から姿を消した。

 そんなつもりなどなかったのに、タクトに更なる重荷を背負わせてしまった。

 タクトのその時の心理状態は、当時のヘレスの思っている以上に深刻だったのだ。

 

「私は今後もシヴァ様の傍に居ますわ。

 もう、私にできる事などそれくらいですし、シャトヤーン様も常には傍には居られません。

 それに、私個人としても、貴方の子であるシヴァ様がどこへ行くのかを見てみたいのです。

 この命に代えてもシヴァ様はお守りしますから、その点はご安心ください」

 

 ヘレスはやはり知っていた。

 シヴァがタクトの子である事は、シャトヤーンだけが知っていた事。

 シヴァを護って貰っていても、シャトヤーンは直接ヘレスにシヴァの父親については語っていない。

 ただ、エオニアも気付いていたのだから、ある意味当然だったのかもしれない。

 そして、ヘレスは知っていたからこそシヴァの傍に居る。

 

「そうそう、タクト様がやろうとしているあの方への反抗ですが、シェリー様は今も一途で頑固な方です。

 片方だけ救えるという事はありませんので、その点はご注意ください。

 シェリー様はあの方をそれくらい想っておりますから」

 

 本当にただのついでの様に言葉を続けるが、これもまた重要な話。

 嘗て、タクト、エオニア、シャトヤーンという3人の若者の傍に居たシェリーとヘレス。

 結果こそシャトヤーンはタクトと結ばれたが、それ以前はシャトヤーンを中心とした大きな三角関係にあった。

 エオニアもシャトヤーンが好きだったのだ。

 そして、シェリーはエオニアを、ヘレスはタクトを、そんなヘレスとシェリーはあくまでそれぞれが想う人の傍に控えるだけの身として、影ながら互いを応援していたものだった。

 だからこそヘレスはシェリーの事を理解しており、その行動も予想できる。 

 シェリーはエオニアの傍を離れる事はありえないと断言できる。

 

「私の話は以上です。

 お時間をとらせてしまい申し訳在りません。

 では」

 

 時間にしてどれくらいだっただろうか。

 本当に言いたい事だけ立て続けに言い放ち、ヘレスは足早にその場を去ろうとする。

 タクトに何も言わせないまま、それで話を終わらせようとする。

 いや、タクトの言葉を聞きたくないのだ。

 だから、タクトが何かを言っても、聞かずにその場を去るつもりでいた。

 

「ヘレス!」

 

 やはりタクトはヘレスを呼び止める。

 しかし、タクトの行動まではヘレスは予想していなかった。

 

「ヘレス!」

 

「……っ!」

 

 タクトは、立ち去ろうとするヘレスを後ろから抱きしめた。

 言っても聞かない事はタクトも解っているのだ。

 だから、確実に話を聞いてもらう為に行動する。

 だが、少し前の―――シャトヤーンとのわだかまりが残っていた状態の、まだ重荷に潰されかけていたタクトならできない行動でもあった。

 

「あの時お前を抱いたのは、例えお前の誘導があったとしても俺の意志だ。

 そして、お前でなければあんな事にはならなかった。

 俺にとって、傍に居るのが当然で、しかし当然としてはいけないくらい尽くしてくれた女が、その魅力を余す所無く発揮したんだ、抑える気なんて無かった。

 それに、あの時は、お前を自由にする為……その為にお前が俺の傍からいなくなることを考えていたんだ、誘いなど、俺にとっての言い訳だった。

 俺は、それを恥じていた。

 惚れた女を普通に抱く事もできない、なんとも無様な男だ」

 

 タクトにとって、ヘレスは妹の様な存在と言えるが、実際にはそれ以上に思い続けてきた。

 幼少期は祖母とヘレスと3人だけの生活だったのだから、ある意味でそうなったもの必然かもしれないが、タクトにとってヘレスはいて当然くらいの存在だった。

 しかし、タクトはヘレスと対等であるつもりだったのに、突然ヘレスはあたかもタクトの侍女の様な態度をとり始める。

 それはシェリーと出会ってから加速し、ついにはタクトを護衛する為の力まで身につけ、ずっとタクトをサポートしてくれていた。

 何故、そんな1歩下がった位置に居るのか、当時は悩んだりもしたものだ。

 ならばと、自由になれるように画策もしたが、どれも上手くはいかず、同時にヘレスが離れる事を考えると恐ろしくもあった。

 そんな時だ、ヘレスが突然同じ位置に立った瞬間があった。

 それがあの日だった。

 

「愛している、ヘレス。

 たとえ翼としてはシャトヤーンを選び、シャトヤーンと結ばれたとしても、俺にとってはお前も必要だった。

 俺の傍に居たのは常にお前なのだから。

 お前が悪女? それならば俺はどれくらいの悪人だ?

 お前を手放す事だけを考えていたなら、簡単にできていたんだ。

 それはできなかった、したくなかった。

 お前を失うなど考えられず、結局はあんな事をしでかしてやっと自分から離れる、いや逃げる事を選んだ。

 まったく最低の男だ、俺は、この期に及んでも、やはりお前を手放したくは無いと思っている」

 

「……タクト様」

 

 2人の間に誤解はあった。

 しかし、それは大きな誤解ではなかった。

 ただ、ねじれすぎていただけの事で、その誤解すら、実際には大した問題ではなかった。

 

「お前の気持ち、俺は信じてしまうぞ。

 俺はこれから大切な過去を失うかもしれない戦いにでるんだ、これ以上は受け入れられない」

 

「……はい」

 

 タクトからヘレスの顔は見えない。

 ヘレスからもタクトの顔は見えない。

 互いに今どんな表情をしているのか解らないが、それでも2人とも都合がよかった。

 

「シヴァは頼む。

 だが、お前もこれ以上は傷つくな。

 もしお前を失う様な事があれば、俺はクロノブレイクキャノンすら撃ちかねない。

 シヴァの未来と共に、お前の未来も必ず作る。

 それまで、生き残れ」

 

「はい、タクト様」

 

 これがタクトがヘレスにする最初にして最後の命令。

 本来上下関係などヘレスが勝手に作った物。

 だから、そうでなくなる時はきっと―――

 

 

 

 

 

 

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