夢の集まる場所で
第9話 思い出とは
「……私は何をしているんだろう?」
少女は屋敷の玄関前に立っていた。
今日も来てしまったこの場所に、今更ながら立ち入る決意が鈍っている。
自分の無力さ、愚かさを突きつけられた為に。
「それでも……私は……」
泣きそうになる顔、弱音を吐き出す口を引き締めて。
それでも尚震える手であっても、少女は扉に手をかけた。
ここまで来てしまったらもう別の道を行くことはできない。
ならば、この道を進み続けて光を見出そう。
「……私には、貴方を好きだなんて言う資格はないよね」
玄関をくぐる時、少女は儚い笑みを浮かべ悲しげに呟いた。
少女はまず屋敷を歩き回った。
彼女が探しているのは地下への階段。
ここで一番深い場所へと続く道だ。
彼女が今必要としている情報は外にあるものではなく、底にあるもの。
「本当に私は最低の女だ」
この屋敷の全ての部屋を見れば根底にあるものも見える筈。
ここに来る事自体が反則なのだ。
最初はこの屋敷の庭と地上の部屋だけでなんとかする筈だった。
そうやって行くつもりだった。
でも、もうそれでは足りないのだ。
「……庭が少し気になるけど……今はいいや」
一度窓から庭を見る少女。
庭、正確には正門から屋敷の玄関へと続く道。
そこには何も無い空間がある。
道なのだから当然かもしれないが、そう言う意味ではない。
普通の屋敷なら噴水とかがありそうなくらいの円形の空き地。
何かある筈なのだ。
それが今は無い。
玄関前にある筈のものが今ぽっかり抜け落ちている。
そう言う空間があるのだ。
「表でも今無いもの……か……」
部屋を調べれば解るかもしれないが、今は忘れて再び地下への道を探す少女。
が、その時。
ギロッ
その少女の背後の窓に、突如映る大きな瞳。
黒い鱗に覆われた眼孔に光る蒼い瞳が出現した。
「え?」
だが、視線に気付いた少女が振り向いた時にはその姿は無く、庭にも何も変化が無かった。
「まさかね。
ここに私以外いる筈ないし」
その後、少女はその事を特に気にする事無く屋敷を進む。
少女は気付かなかった。
庭のあの何も無い空間にある巨大な足跡を。
それが今新しくなった事を。
程無く少女が見つけた階段は昨日入った部屋の奥にあった。
「ここから……直接繋がっているのね」
地下へと続く階段は螺旋階段になっており、この屋敷の中央にある柱を中心としていた。
東国の家屋ならば大黒柱と言えるだろう大きな柱。
屋敷全体を支えている黒く巨大な柱だ。
どうやら、この屋敷の下地、根本の全てがこの階段の下にあるらしい。
「私のこの力……こんな事に使って、あの人ならなんて言うかな?」
この階段へと至る道には凄まじい程、厳重なロックが掛かっていた。
だが、少女にそんな鍵は意味は無く、ほとんど素通りできてしまう。
何の為のロックか、その意味は解る。
それでも、少女は進む。
「なんだろう? この壁……いえ、屋敷の土台……」
螺旋階段の周りにある壁、すなわちこの屋敷の土台になる部分は黒い何か。
部屋にはならない情報の集合体というのは解る。
だが、少女の力をしても何かが解らない。
いや、正確には全く理解できないのだ。
まるで難解な記号を見ている様な感じだった。
そして、地下にたどり着いた。
そこは円形の空間。
中央の柱を包むようにしてある1つの部屋と、更にその部屋を囲む幾つかの部屋。
「柱を包む上にその部屋と柱を包む部屋……」
少女はまず周りの部屋を開いてみる。
周りの部屋はここまでロックがあるせいか一切鍵はなく開く。
その中は―――
両親の仕事について歩く幼き少年
親子3人でした普通の食事
幼馴染との極普通に遊んだ時間
姉と呼べる人の笑顔
森の動物達と戯れながら眠った昼
親友と呼べる人達とのピクニック
悪戯して怒られる姿
「……普通だね……普通の思い出だよね。
でも……」
そこにあったのはあまりに普通の思い出。
普通の人なら誰でも経験するだろう時間。
ある程度恵まれ、幸せな環境だったのかもしれないが、普通でしかない出来事。
「それが……こんな奥に……」
ここは厳重なロックが掛かった場所を通った地下だ。
そんな場所にしまいこんでいる。
厳重に、そして大切に。
極ありふれた幸せが悪い訳ではない。
そう言った普通である事は、ある意味最高の幸せなのだから。
でもここまで厳重に、しかも意味がある筈の場所にあるものなのだろうか。
「これで最後だけど……」
最後の扉の先に見たものは、色あせ最早ハッキリと見えなくなってしまっている古い思い出。
3人の幼い少年の夢と誓い。
最早誓いの内容もよく聞き取れない。
だが、確かにここにある記憶。
「アサクラ君もこれくらいの時の約束を今守ってるものね……」
幼い頃の口約束など忘れてしまうか、ただの思い出にしてしまうのが多いだろう。
だが、少女はちゃんと覚えていて実行している実例を知っている。
だから、多分この時の誓いを彼は守っているのだと思える。
それ故にちゃんと内容を聞き取れないのは残念だったが、仕方ない。
それよりも、
「根本。
正に全ての根元」
中央の部屋に目を移す。
恐らくそこにある筈なのだ。
少女の求めている情報が。
彼を知る上で理解する上で必要不可欠な根本となる何かが。
少女は本来なら断片的な情報から、ある程度の推測を持って知る事しかできない情報を、直接見ようとしている。
そこは血の海だった。
そこに動くものは無く、血の匂いを乗せた風だけが通り過ぎる。
幼き少年はその中心にいた。
冷たくなった母に抱きしめられ、バラバラになった父親を目の前にして。
それは突然だった。
月も隠れたある曇った日の夜道。
街へと、故郷へと戻る道での事だ。
ここは盗賊も出る事は稀で、それでも一応つけている護衛と共に馬車に揺られて朝には街に着く筈だった。
そこに現われたこんな場所にいる筈のない魔物、合成獣キメラ。
護衛は時間稼ぎにもならず、少年は父に抱えられて母と共に逃げた。
だがすぐに追いつかれ、父は少年を母に預けて時間稼ぎをしようとする。
母は少年を抱きかかえて走る。
少年は見た。
キメラに立ち向かった父がその爪と牙でバラバラにされるのを。
そして、直ぐにこちらに目を向けたのを。
母は背後で父の死んだのを悟ったか、少年をより強く抱きしめて走る。
しかし、魔獣は直ぐに追いついてきて、その爪を母に振り下ろした。
背骨から肉、肺に至るまで、全て爪が母の背を引き裂く。
最後に少年の名を呼んで絶命した母。
少年は動く事も、声を上げる事もできなかった。
魔獣は母を殺した後、少年に目を向けたが何もせずに去っていった。
何故少年は殺さなかったのか解らないが、後には少年だけが残された。
血の海で、冷たくなっていく母に抱かれたままの少年だけが。
母の肩から見える先にはバラバラになった父が見える。
翌日の朝発見された時まで少年は動く事は無く。
両親の葬式が終るまで声を出す事すら無かった。
周りは言う。
ショックで心を閉ざしてしまったのだと。
突然の事で混乱しているのだと。
まだ両親の死を受け入れられない、理解できていないのだと。
だが違う。
少年は誰よりも受け入れていたのだ。
両親の死を。
そして、何よりも理解していた―――
自分の無力を。
故に親戚に引き取られた時、少年は決意した。
強くなる事を。
「こんな……」
見終わった後、少女は膝を突いた。
この世界において、両親を魔物に殺されるというのは多い訳でもないが、無い事ではない。
実は少女も幼い時に両親を亡くしており、ある家の養女となった。
だが、こんな目の前で殺されて一晩冷たくなった母親に抱かれるなど、一体どの様な気持ちだっただろうか。
実際両親の死というのを知っているだけにそれが想像を絶する悲しみだという事が解る。
「これを糧に彼は……」
幼年期において、その後の人生を変える事件と言うのは大事件である必要はない。
ただ、友達同士の約束や、一冊の本、一枚の絵画、一曲の歌でだって大きく人生を変えてしまう。
だというのに、これほどの大事件。
一体彼にどれ程の影響を与えたのだろうか?
だが、それよりも更に重要な事があるのに少女は気付いた。
「え? でも、じゃあこんな事件がこの柱の外側の部屋って事は……」
少女は何とか立ち上がり、この部屋の更に奥にある柱へと移動した。
この記憶が根本の一つでしかないなら、一体柱とはなんであるのか?
「これって……」
柱を目の前にして始めて気付く。
その柱は柱としての役目であっても『部屋』である事を。
黒く見えるのはそこは闇に覆われているからである事が。
「これは……夜の森? 雪が積もってる……」
部屋としての境界は無く、その空間は外から見る限り森で地面は雪で覆われていた。
闇は夜の闇である様だ。
「両親の事よりも大きな何か……」
少女はその空間に踏み入ろうとする。
少女は根本を知る為に、この中を見る為にここへ来たのだから。
少女が彼を彼とする主軸になっている記憶の空間、その境界に今手を入れようとした。
その瞬間。
「これ以上ユウイチ君の心に踏み入らないで!」
他者などいる筈の無いこの場所に声が響いた。
それは女の子の声。
そして、得体の知れない力が少女の体を吹き飛ばす。
「なっ!?」
少女は屋敷の壁や床、屋根を一切無視し、透過させられて吹き飛ばされる。
飛ばされる先は少女が本来居る場所。
いや、飛ばされるというよりも、元居た場所をへと吸い出される、逆流させられるという感じだった。
そう、少女がこの場所に居られる力を無効化して強制排除される。
「そんな!」
理論上ありえないと思っていた出来事に戸惑う少女。
だが、考えている暇すらなく飛ばされ戻される。
「貴方は―――」
最後に見たのは、赤いカチューシャを着けた栗色の髪の少女だった。
「兎も角、無事で何よりだ」
「本当に」
あの戦いから一夜明けた昼前。
ヒロユキ達はアヤカが横になっているベッドの周りに集まっていた。
「結局、負けちゃったけどね」
ラピード使用の影響で動けないアヤカは、それでも少し笑みを浮かべていた。
決着に不満は無い様だ。
因みに、昨日回収された時は、あの男のマントの下は何も着ておらず、元々着ていた物はあの火球の雨で焼失したらしい。
それで今は予備の全く同じ服を着ている。
「いいじゃねぇか。
負けても、まだお前は生きてる。
なら、次勝てばいい」
「ええ、もちろんよ」
今はあの男の方が強い。
そう、『今は』だ。
いつか越えるべき目標が出来た。
アヤカはそれがどこか嬉しかった。
「体の方は思ったより酷く無いです。
2日もあれば全快すると思います」
先ほどまでアヤカを治療していたセリカが話を切り替える。
今回は敗北の上にラピードの後遺症などという問題があった為、それを聞いて本当に安堵するヒロユキ達。
敗北という結果はあっても、何も失わずに済んだのだから。
寧ろ敗北した事で勝利だけでは得られない経験を積めたのだ。
それは大きな糧になるだろう。
「でも2日って、普通にラピードをつかった時と同じじゃないか?」
「そう言えば、そうよね。
無茶したからもっと酷い筈なんだけど」
今のアヤカは全身地獄の筋肉痛といった感じの状態だ。
そう、酷くはあるが筋肉痛でしかない。
多少は動けるし、普通に寝ていれば治るのだ。
アヤカの最後の記憶なら、あのまま死ぬ確率が高かったと言うのに。
「何かしらの魔法薬を使われた形跡があります。
それも、かなり良質の」
「魔法薬を? 誰が? って1人しかいないが」
魔法薬の種類まで特定できなかったが、かなり良質の高度な魔法薬を使い応急処置をされていた事が解っている。
そして、ヒロユキが自分で突っ込んだ様に、そんな事ができるのは1人しかいない。
この場合、セリオは除かれるが故に。
「あの男はアヤカさんを持ち帰るつもりだった様なので、その為かと思われます」
セリオが見たのも、マントに包まれたアヤカを抱いて歩き出そうとする所からだった為、服を剥かれた理由も知らない。
とりあえず、調べた所何かされた形跡は無かった。
尤も、そこまでの時間は無かった筈なので、大丈夫だろうとは思っていた。
まあ、見られた事は諦めて貰うしかないだろうが。
あのまま持ち帰られてしまっていた事を考えれば僥倖だろう。
「そりゃあ……無事でよかったな」
「まったくです」
「そうね……やっぱり美しい事は罪?」
アヤカは負けた割にはいつも通り元気だ。
その点はセリオも本当に安堵していた。
「さて、次はこのマントだが……」
「私が包まれたっていうマント?」
「ああ」
「これ、ダークドラゴンの翼で出来ています」
ドラゴンの肉体は全て良い薬や高位の武具の材料になる。
その鱗を使った盾や鎧は並の攻撃魔法など受け付けないし、その牙や爪で作った武器は使いこなせば鋼をも両断できる。
故に戦闘を生業とするタイプの冒険者なら、喉から手が出るほど欲しいものだ。
だが、ドラゴンは弱いものでも並レベルのパーティーでは傷一つ付けられないし、材料として手に入れても加工には金が掛かる。
ついでに加工できる職人など、人間では過去の伝説的鍛治師でも片手で数えるほどしか存在しない。
武具の製作に関しては最も神に近しいと言われるドワーフならなんとかなるだろうが、人間に協力してくれるかは解らない。
尤も、素材でもレアで効果の高いアイテムなので、買い手に困る事だけはまずないだろう。
因みに竜燐の盾一つでもちょっとした城が家具メイド付きで買えるくらいの値段になる。
「随分高価なものに包まれてたのね〜」
何故か妙に嬉しそうにのたまうアヤカ。
値段だけなら、王族が使うウェディングドレスにも匹敵する外套を纏っていたからだろうか。
「お前、仮にもお嬢様だろうが。
それも世界で有数の」
実家に戻ればドレスと2,3装飾品を加えただけで、それと等価値になる物を持っている奴の言う台詞かと溜息をつくヒロユキ。
そして、金銭感覚が庶民的になっていくアヤカをちょっと心配してみたりする。
まあ、ヒロユキとしてはそっちの方が良い事ではあるのだが。
「兎も角、調べる事はできませんが、ダークドラゴンを従えている上に、ダークドラゴンの翼を使ったマントを持っている。
操っている上に生きたまま翼を剥いで己の装備としていると考えていいと思います」
翼の無い人間には想像することしかできないが、生きたまま翼を剥がれるとはどの様な感覚だろうか。
飛べる事が普通である翼を持つ者が、それを奪われる。
再生するとは言え引き剥がされる。
一体どれ程の痛みだろうか。
一体どれ程の屈辱だろうか。
「まあ、強制的に従えているなら、それくらいしている事も考えていたがな。
そういえば、その割にはアイツ等の装備に竜関係の物は他に見当たらなかったな」
「そう言えばそうよね」
戦っているから解るが、あの男とそれに従う女性達の装備は確かに良い物だ。
だが、特殊な物ではなかった。
どれも良い職人の手によるものであっても、材料は何処ででも手に入るもので出来ている。
このマントも一見しただけで一流の加工を施されているのだから、素材を持て余していると言う事は無い筈なのだ。
まだ隠しているだけかもしれない。
むしろ隠していると仮定しておいた方がよいであろう、とは考えている。
「まあ、それは今はいい。
そのマントもとりあえず置いておこう。
次だが……」
「はい、これですね」
ヒロユキが目を向けるとセリオは一枚の紙を差し出す。
そこには昨日あの男に体に浮かんでいた紋様。
魔導刻印と呼ばれる物が正確に描かれていた。
尤も、それも見えた部分だけという条件であるが。
「強さの秘密って程ではないが、結構重要そうな情報だな」
「はい」
今ある情報だけでその刻印の効果を読み取ろうとするヒロユキとセリカ。
アヤカとセリオも一緒に考えはするが、2人がいれば必要ないだろう。
アヤカもセリオもちょっとした魔導師としての知識もあるが、2人にはとても敵わない。
「全身に魔導刻印てのはまた凄まじいけど……」
「ああ、高精度であるが魔導刻印の域を越えてないな。
もっとよく調べてみなきゃならんが」
「それは私がやっておきます」
「ああ、頼むよお嬢」
とりあえず、この場ではあの男の秘密という程の情報は見当たらず、これも時間をかける事に決める。
魔導刻印は魔導師のオリジナルである事が多く、また今回は一部分だけなので調べるにも時間が掛かりそうだ。
「ま、今はこんな所か。
とりあえずアヤカは安静にしているように。
セリオ、見張っておいてくれ」
「解ってるわよ」
「解りました」
「ヒロユキさんもですよ」
「へいへい」
今ある報告を終えた4人は、今夜も調査には向かう予定でいるので休む事にする。
ここはアヤカの部屋である為アヤカとセリオは残り、ヒロユキとセリカは部屋を出る。
「はぁ……」
2人が部屋を出た後、アヤカは一度溜息を吐いた。
先ほどの話し合いが殆ど目覚めて直ぐだった為少し疲れたのだろう。
「何か持ってきますか?」
「いえ、いいわ」
筋肉痛で痛い体を横にするアヤカ。
昨晩は死ぬかもしれないと思っていたのに今はただの筋肉痛だ。
それが、何処かおかしかった。
「……セリオ、昨日貴方が見たものを見せて」
「……はい」
昨日、あの男と決着を付けたアヤカは、あの男に対する認識が変わっていた。
どう変わったかと聞かれると返答に困るのだが、何か誤解している気がするのだ。
アヤカはセリオの中に記憶されている昨晩の戦闘の映像を見ていた。
人間同士でいうならテレパスで記憶を受信するのと同じ方法だ。
自分が気を失ってから1分か2分の時間を挟んで、セリオが到着してから回収しここまで戻ってくる映像をみる。
「セリオ、今のもう一度」
その中で、アヤカはあの男が刻印を晒した時。
あの男が刻印を見られた事に対して、不可解な感情を見せた時の映像を何度も繰り返してみていた。
「何か、解りましたか?」
「……いえ……まだ。
でも一つ言える事があるわ」
一度記憶の転送を止め、向き合う二人。
そして、アヤカはセリオの腕に触れる。
そこは、昨晩あの男の大剣を受けた場所だ。
今は人間で言う所の痣になっている。
「何で、貴方は無事なの?」
「え?」
「だって、あの男の大剣を受けたんでしょう?」
「……はい」
それはセリオも不思議に思っていた事だ。
初日の戦闘でセリオは男の大剣の一撃で腕と脚を持っていかれた。
簡単にとまでは言わないだろうが一度腕を切り落とされているのだ、あの大剣の一撃で。
それが、痣で済んでいる。
「私が与えたダメージで力が入らなかった。
切り落とされるまでいかなかった理由は解るわ。
でも……」
「はい。
何故、あの時大剣を振るったのか」
解らなかった。
その前にもセリオと会話をしている所がある。
あれほどオートマータの破壊に拘っていた男が。
ただ純粋に憎み、破壊しようとしている者が会話などするだろうか。
そして、あの刻印を見られた時の顔。
アレは―――
「貴方は……」
昨日拳を交えた男を顔を思い出すアヤカ。
あれほど激しく求め合ったのに、まだあの男の事を全く理解できていない自分。
それが酷く悔しくて。
それに、悲しかった。
アヤカの部屋を出た2人はそれぞれ私室に向かっていた。
ヒロユキは直ぐ休むつもりで、セリカは刻印を解読する予定だ。
「ではヒロユキさん、ちゃんと休んでくださいね」
「解ってるって」
手前にあるセリカ用の部屋の前で別れてその1部屋先の自室へと戻る。
1部屋先とはいっても、大きな屋敷の1部屋なので、小さな1軒家の横幅くらいの距離がある。
「お?」
そんな距離がある為か、セリカと居る時は見えなかったのだが、廊下の先からコトリがこっちに歩いてくるのを自室前でみつけた。
だがコトリはどうも落ち込んでいる様だ。
外見上変化が無い様に努めているが、元気が無いのが解る。
「よう、どうした?」
まだ数えるほどしか会話をしていないが、それでも少し気になったヒロユキは声をかけた。
昨日も昨日で何処か疲れている様子だったし。
この島の異常が絡んでいるのかもしれないとも少し考える。
「あ、フジタさん。
こんにちは」
明るい声で挨拶をするものの、やはり何処か元気がなかった。
そう、例えるなら夢に破れたとか、恋に破れたとかそんな感じの落ち込み具合だろう。
表に出さない様に精一杯頑張っているが隠し切れていない。
(ふむ、これは聞く様な事ではないか。
なら)
少し考えたヒロユキはコトリの特技を思い出す。
それは特技にして、彼女が好きでやっている事だろうもの。
「いきなりで悪いが歌を聞かせてくれないか?」
「はい?」
ヒロユキのいきなりの要求にコトリは戸惑う。
流石にいきなりすぎたかとヒロユキは反省しつつも続けた。
「いや、〜遠くからは聞いてたんだが。
ほら、歩きながら歌ってるだろ?
それ聞いてて、じっくり聞いてみたくなってな」
少し取り繕いながら再度頼んでみる。
それは今落ち込んでいる彼女に対して酷な要求な気もするが、彼女は歌っている方が元気が出るだろうと判断したのだ。
(まあ、本当に聞きたいってのもあるけど)
彼女の歌は実際に綺麗で心地よいものだった。
それを聞けば精神的にかなり癒される。
「え? ええ、いいですよ。
私なんかの歌でよければ」
「頼む」
「では……」
少し戸惑うコトリであったが、ヒロユキが本当にそれを望んでいる事が伝わったのか、この場で歌を披露してくれる。
それは静かで優しい歌だった。
気持ちの問題以上に心に染み渡る歌。
彼女、コトリ シラカワの歌が声楽の魔曲である事は初見で解っていた。
魔曲とは、名前から呪いの様なものを連想する人もいるかもしれないが事実は異なる。
本来は音楽に魔力を乗せて想いを伝える手法・技術の事なのだ。
魔曲は、歌の技術と魔法力の両方を融合できる魔曲の才能があって初めて力となる。
魔法力が0でなければ、歌の技術が向上すると無意識に微弱な魔曲を使っているケースが稀にある。
元より音を通して何かを伝える為にある音楽、それが魔力で音に想いがより乗りやすくなるのが魔曲だ。
魔曲が使えると言っても、歌で想いを伝える、あくまでおまけ程度の触媒効果しか普通はない。
だが、ここで重要なのは歌手の心が伝わってくるという所。
コトリの様に澄んだ心をした者が心から相手を想って歌えば、その歌の持つ癒しの効果は飛躍的に上がる。
相手を想う。
つまり、よく知る特定の人に向けて歌うと、その魔曲の効果は本当に魔法的なものになるのだ。
あくまで歌、音でしかない以上、物理的な効果は基本的に無い。
だが、精神的な作用、例えば『強化』等の作用は場合によっては強く発揮される。
その一例として、過去に1000人程度の軍中隊で軍事に利用された事があったりする。
戦いを謳う歌を、勝つ事を望む魔曲の使い手が歌えば、部隊の戦闘力は爆発的に上がったと記録されている。
また、人を憎む魔曲使いが、他の要因と重なって国を一つ狂化したという伝説もある。
話が逸れたが、コトリが心から歌う歌を聞き、ヒロユキは連戦の疲れを癒した。
コトリが歌う歌は心に、魂に響き渡り癒すのだ。
コトリには魔曲を使っての効果など考えにない。
尤も、そんな事を考えて歌う歌、魔曲に心が、想いが乗る事はないだろう。
コトリは純粋に歌っているのだ。
ただ、彼の為に。
歌が終り、その余韻も堪能する。
「悪いな、いきなり無理言って」
「いえ」
そして、コトリ自身も歌う事で少し元気が出たのだろう。
歌い終わった後、少しだけだが明るくなっていた。
この場合どこか少し吹っ切れたのだろう。
「また聞かせてくれ」
「私のでよければ」
そう言って昨日と同様に外へと向かうコトリ。
注意しようかと考えたが結局見送るだけだにした。
なんとなく大丈夫だと思えたから。
そして、自室に入ってベッドに潜る。
心も癒された後は肉体を回復させる。
もう一度あの歌を聞く為にも。
同時刻、ヨシノ邸。
昨日森の上空に張った風の結界内部からの火球狙撃により、事実上勝利を収めたジュンイチ達。
アレから作業は進み、朝日が上る直前まで作業をしていたジュンイチとサクラは昼に起床し、ネムも含めて居間に集まっていた。
「昨日も結局最後には逃げられちまったし同じ手は通用しないから、今日も形を変えていく。
今日はネム、お前も出すから装備の準備をしとけよ。
サクラは昨日のデータ使って最適化しといてくれ」
「はい」
「は〜い」
若干まだ眠いジュンイチだったが、食事をしながら2人に指示を出す。
完全に指揮官になってしまった事をかったるく思いながらも、しっかりと仕事だけはこなす。
尤も、こうやって戦闘指揮をとる為にジュンイチはここに来た。
いや、こう言う事態に備えていたのだからある意味当然の事であり、初めから解っていた事だ。
サクラはそれを承知していたからそれを受け入れている。
だが、ネムは今の兄に戸惑っていた。
「そう言えば、兄さんの装備はアレだけでいいんですか?
他にも沢山倉庫にありましたが」
ジュンイチは初日にサクラから渡された盾以外を使っていない。
昨日の様な直接戦闘をしない時も着けて行くのに、他の装備は一切持っていかないのだ。
軽くてジャケットの内側にでも仕込んでおけるアイテムとかも数多くあるというのに。
「ああ。
俺はアレでいいんだ」
ジュンイチは迷う事無く答えた。
まるで、それが初めから決められた運命だとでも言うように。
揺ぎ無い瞳で答えた。
「んじゃ、俺は暫く監視してるからお前達は休むように」
「はい」
「は〜い」
ジュンイチとネムがここへ来て4日目。
こんな生活に慣れていく自分がネムは嫌いだった。
「さって、監視でもすっかね〜
ま、あのダメージじゃ、不意打ちも打って来れないだろうがな」
監視モニターの前に座るジュンイチ。
昨日侵入者のあの男に与えたダメージは大きい筈。
ただ、回復には相当の時間が掛かるが、初日の戦闘結果と2日目普通に攻めてきていた事を考えれば、今夜もまた全員で攻めてくるだろう。
「死んでてもおかしくはないんだがな……」
昨日の攻撃は特に侵入者側に集中。
更に言えばあの男を重点的に攻撃した。
結局初弾以外は直撃どころか掠りもしなかったが、余波でのダメージは追加できている筈。
初弾でのダメージを考えれば死んでいると考えるのが普通だが、今回の相手は普通ではない。
「死んでいても……か。
俺もズレたな……」
1人無感動に呟くジュンイチ。
昨晩は死ぬと解っている攻撃を、殺すつもりで撃った。
まだ相手は死んでいないだろうが、自分はもうあの故郷の街には戻れないのではないかと思える。
その為に今まで準備をしてきたし、こう言う事態もある程度覚悟していた。
だが、ここまで自分が変われるものなのかと戸惑う部分もある。
「ネムは……帰した方がいいかな」
ネムに直接そんな事をさせる気はないが、これからどんな状況になるか解らない。
兄として、ネムには故郷で普通に暮らして欲しいと思う。
自分がこうなってしまっている以上、それは切なる願いだった。
「未熟なのは百も承知なんだがね……
……あ〜独り言が多い」
疲れているのか、独り言が多い事を自分でツッコミ苦笑する。
精神的に疲れているのは確かだ。
だが、まだ持つ。
「どんな結果であれ、この事件が終るまでは……」
自分に言い聞かせる様に敢えてまた口に出す。
そこに、歌声が聞こえてきた。
監視モニターからだ。
「魔曲? ああ、コトリか……
場所は……ミズコシの屋敷か。
勇者にでも歌ってやってるのかね……」
集音機能を上げてコトリの歌を拾うジュンイチ。
自分ではない者に歌っている歌だが、それでもコトリの歌は心地よかった。
暫くは、半ば監視も忘れるくらいに聴き入る。
(……でもどこか元気がないな)
付き合いの質と長さから、歌声からそんな事を察する。
難しいが機会があれば声を掛けようかと思い、再度コトリの歌に耳を傾ける。
「あ〜、癒される……」
思わず口に出す。
かったるいが、まだまだ頑張れると思える。
歌が終ると、ちょっと気合を入れて監視モニターに向かうジュンイチ。
例え見るだけの作業でも、コトリの歌を聴いた後なら気合が入った。
だが、監視モニターを見ていたジュンイチは気付かなかった。
部屋の外に居た気配を。
コトリの歌で少し元気になったジュンイチを見て静かに立ち去った気配を。
そして、それと一緒に鳴った筈の鈴の音もジュンイチは聞き逃していた。
勇者ヒロユキに歌を披露したコトリは森まで来ていた。
何時もの散歩とは違い、ただ、外に出たかっただけだった。
散歩でもなく目的がある訳でもなく歩いた先が森だったというだけの話だ。
「ふぅ……」
1歩だけ森に入って木を背にしてしゃがみこむ。
先ほど勇者のリクエストに応えて歌ったから少しは気分が楽になったが、それでもまだコトリは落ち込んでいた。
勇者は気を使ってくれた様だが、1曲や二2歌ったくらいで晴れる問題ではないのだ、今のコトリが悩んでいる事は。
「私はどうしたら……」
1人になってまた考えてしまう。
行き詰まってしまった自分の状況を。
犯してしまった過ち。
そして、罪を重ねても何も得られなかった事を。
「私に何が出来るだろう……」
コトリは勇者や彼の周りに居る女性の様に武を修めていない。
護身術は所詮護身術であり、それを習得する過程で武術の才能が無い事も知っている。
魔法に関しても高レベルなものは修められないと解っている。
ならば完全な後衛しかあり得ないのだが、そこに立つ事すら今のままでは出来ない。
いろいろな物に恵まれてきた自分ではあるが、今の状況をどうする事もできない。
そう、コトリは嘆いていた。
だが、そこへ突然声がする。
「歌えばいいんじゃないか?」
「きゃぁっ!?」
ある特殊能力の派生であるが、人の接近を感知する事なら自信があったコトリは、予想外の事態に思わず飛び上がって構えてしまう。
声のした位置からして5mと離れていない。
そして男性の声、こんな距離まで感知する事無く、接近を許したのは実に5年ぶりの事だった。
「その反応、割と傷つくぞ……」
だが、目を向けてみればそこに居るのはジュンイチ アサクラだった。
両腕に2つに割った盾の様な物を装備しているという違いはあれど、コトリの良く知るいつものジュンイチだ。
戦闘スタイルの彼であるが、コトリが完全にファイティングスタイルをとって警戒した為か、今は落ち込んで微妙に情けない顔をしている。
「ご、ごめん。
でもアサクラ君、どうやってるか知らないけど、その状態で近づかないでよ。
ビックリしちゃったじゃない」
今日もジュンイチは昨日と同様コトリに隠し事をしている。
故にコトリは頼りの感知能力を封じられ、接近に気付けなかったのだ。
それはコトリにとって音も気配も絶って近づかれるのと同じなのだ。
「仕方ないだろう、昼間とはいえ敵はいるんだし。
それに、ここは森だ。
一応言っておくけど、この先に進むのはご遠慮願うよ」
「うん、解ってるよ」
コトリは森に来たがこの桜の森に入る気は無い。
因みに一応コトリも迷いの森の効果を無視して進む事が可能である。
少々やり方が特殊になるが、奥に向けて進む事だけは可能だった。
「ところで、さっきのは何ですか?」
ここまで会話して、やっとコトリはジュンイチが最初にかけてきた言葉を思い出した。
意味が解らない訳ではない。
何せ、コトリの中の『歌』という存在を確立させたのはジュンイチ アサクラだ。
元より声が綺麗で、技術も持っていたが、そんな事よりも歌を本当に好きだと言える様にさせてくれたのは彼なのだから。
「ん? 何って言われてもな。
言葉通りの意味だぞ。
コトリにできる事、そりゃ第一に歌だろ?」
「でも……」
確かにコトリの特技は歌だ。
これは本当に自慢できる技能だった。
だが、今彼女が求めているものとは違うのだ。
「んじゃ、とりあえず何か歌ってくれ」
「え?」
突然話題を切り替えた上での要求。
ジュンイチの性格を把握しているつもりのコトリではあるが、それでもちょっと予想外だった。
「さっきミズコシの屋敷で歌ってたろ。
おそらく勇者に。
それが激しく羨ましい。
だから今お前の歌が聞きたい」
今は隠し事をされているが、それでもジュンイチのだけは解る。
彼は本当にコトリの歌を望んでいるのだと。
だから、
「しょうがないなぁ。
1曲だけですよ」
コトリは歌う。
この一時は悩んでいる事も忘れて歌うのだ。
ただ、彼の為に。
ただ、歌うことに全身全霊を傾けるコトリと、コトリの歌に聴き入るジュンイチは気付かなかった。
その少し奥の気配に。
「私は……与える事はできないもの……」
金色の尻尾を揺らして消えた小さな影。
終ぞ、2人は気付く事は無かった。
昼過ぎ。
ユウイチ達は全員拠点で体を休めていた。
と言うよりも全員外に出る事ができなかった。
ユウイチは腕から肩にかけて炭化させられたのを再生させ、それが馴染むのを待つ為。
女性達は回復魔法で消耗した事がそれぞれの理由である。
だが、それだけではなかった。
「由々しき事態です」
「緊急事態ですよ〜」
「非常事態」
ユウイチを囲んで座るアキコ達は皆難しい顔をしていた。
知らない人から見れば全然大変そうでない様な顔をしていると思われるだろうが、全然困ってなさそうでありながら、本当に困っていたりするのだ、今は珍しく。
「まあ、困った事ではあるが」
対し、アキコ達に囲まれて座るユウイチは大して困っていない。
アキコ達が深刻そうにしているのをむしろ怪訝そうに見ている。
「手段は3つですね」
「ミズコシの屋敷を襲撃するか」
「管理者の本拠地を襲撃する」
彼女達にしては、かなり過激な事を言い出す。
因みに、3つある最後の手段が取れなかった場合、本気でそうするつもりだ。
「大げさな」
そんなアキコ達に溜息交じりで呟くユウイチ。
だが。
「大げさじゃありません!」
「そです!」
「ユウイチは黙ってて!」
即座に3方から否定されてしまう。
それも普段なら考えられない程強く。
そんなアキコ達にユウイチは1人もう1度溜息を吐いた。
「今の格好でよく言えるものです」
そして、そんなユウイチに対して今度はアキコが溜息を吐く。
「ん?」
何か問題かと言いたげなユウイチ。
ユウイチの姿は下半身は問題ない。
が、上半身は腕まで包帯で巻かれ、その上にマイ用のマントを羽織っているだけだった。
半裸、とも言えなくもない格好だ。
「なんでまた今回も予備を1着しか持ってこなかったんですか?」
「ユウイチ、迂闊」
何故服を着ていないかと言えば、そう、単純に服が無いのだ。
ユウイチ用の服がだ。
ここへ来る時ユウイチは予備を1着だけ持ってきた。
まず初日の戦闘。
対勇者ヒロユキ戦においてデスペラートを受けた影響で焦げてしまった。
それでまず1着がロストした。
そして昨日、あの火球の雨によりシャツとジャケットは大破。
もう原型も留めていないのだ。
よって、今ユウイチは上半身に着る物がないのだ。
「ジャケットとマントはとりあえず夜の内にシグルドに頼んだよ」
普通の皮ジャンの様に見えて、下手な鎧よりも頑丈にできた魔導特殊加工を施されたジャケットを燃やされた事。
そして、シグルドの翼で作られたマントを失った事は、ユウイチにとっても驚愕に値する事態だ。
観客がいるならばわざと攻撃を受けて衣服がなくなることも想定したが、今回はそうではない。
まさか、ジャケットまで燃やされるくらいの攻撃を直撃される様な事態を、あまり考えていなかったのだ。
そう言う事態が起きても、シグルドを介して届けてもらえるので良いのだから、あまり大量に持ち込むことはそもそも考えない。
「何故頼んだ物にシャツが入っていないのですか? まあ、シグルドさんがちゃんと付けてくれると思いますが。
それでもどうせ1着ずつでしょう。
それでは足りません」
「兎も角、友情通信を開いてください」
「大人しく開く」
ユウイチに詰め寄る3人。
尚、『友情通信』とはユウイチとシグルドが行っている特殊な通信手段の事である。
その時に他の者がユウイチかシグルドに直接接触する事でその通信を利用する事ができるのだ。
余談だが、『友情通信』と言うネーミングは何故か女性陣が話し合う事もなく、総員一致で決めてしまった名前である。
ユウイチとシグルドがその理由を尋ねても、何時も秘密だと言われてしまうのだ。
2人の友情の度合いが羨ましいからとかいう、ちょっとした皮肉という可能性が高いというのが部外者の予想だ。
「へいへい」
兎も角、ユウイチはシグルドとリンクする。
リンクは相手が戦闘中など忙しくなければ一瞬で済む。
そして、この通信手段は傍受される事が無い。
シグルドは半分しか戻らず、他者も介入するので念話に近くなるのだが、それでも全く別ものである。
『何かあったのか?』
直ぐに返ってくるシグルドの声。
そのユウイチとシグルドの会話にアキコ達が介入する。
『シグルドさん、近くにカオリさんかミシオさんはいますか?』
『ああ、おるぞ』
シグルドの返答から数秒の間が空き雑音がする。
それはシグルド側でもリンクへの介入がなされるという事だ。
このリンクがなされる時に起きるのが『雑音』というのも、実は女性陣の精神にある影響を与えているのをユウイチは知らない。
『はいは〜い、どうしたの?』
『何か問題でも起きましたか?』
聞こえてくるカオリとミシオの声。
念話とは違い直ぐ近からの肉声の様に聞こえる。
いや、正確には直ぐ傍に自然に在るという錯覚を覚えるのだ。
それがこの通信の最大の特徴だ。
常に一つという感じの、ユウイチとシグルドが2人で行っている『友情通信』のフィールドだ。
『はい、緊急事態が発生しました』
『落ち着いて聞いてください。
今ユウイチさんは上半身包帯のみという、マニアックな魅力爆発の格好をしているのです』
『これも包帯プレイ?』
妙な言い方で現状を説明するサユリと、更に変な事を口走るマイ。
通信を仲介するユウイチはまた溜息を吐いた。
『は? どう言う事?
そっちのメンバーなら重症を負って治ってない、って意味じゃないわよね?
じゃあ……』
『あっ! まさか服が無くなったんですか!?』
『え?! そうなの!?』
少し遅れてアキコ達が何を言いたいのかを気付いたミシオ。
そして、カオリも絶叫に近い声を上げる。
『はい。
このままでは今日1日こんな魅惑的な格好をし続ける事は勿論。
こんな誘惑的な姿を大勢に晒すか……継ぎ接ぎだらけの服とも呼べない服を着ることになります』
まるで絶望の底にあるかの様な声で現状を伝えるアキコ。
残る2人も無言であるが雰囲気だけが、絶望的な状況という感じである。
更に、
『そんなっ!』
『はっ、はやまってはいけません!!』
何故かカオリとミシオも相当慌てている。
かなり高度に感情を隠せるカオリも、いつもは見た目よりもずっと歳を召された人の様に冷静なミシオまで、かなり取り乱している様子。
何時もの事、という程回数があった訳ではないが、実はこう言う時の彼女達はいつもこうなのだ。
あくまで演技中でない時と可能である時という条件が付くが。
本人達ではなく、ユウイチが衣食住の3点において何か不足する様な事が起きる、もしくは起こりそうになると、彼女達は必死で回避しようとする。
例えば食事などは一番解り易く、携帯用の保存食だけで済ませる様な事は彼女達が決して許さないのだ。
ここへ来てからだってちゃんとした料理をしている。
彼女達はどうもユウイチの衣食住を文化的に保つ事を使命の様に思っているらしい。
尤も、ユウイチはそれに対して不思議に思うだけあり、そうだろうと思っているのは本人達を除くメンバーの残りとシグルドである。
因みに衣食住の『住』は、宿屋選びとか野宿でもその環境とかである。
余談だが、シグルド曰く、彼女達が参入してからのユウイチの生活は、28倍は人間らしくなった、との事。
『30分……いえ、10分で何とか用意するわ!』
『待っていて下さい』
『はい、お願いします』
そこでリンクはシグルド側で切断される。
おそらく街へ行くのにシグルドに乗っていく気だろう。
「別に戦闘に間に合えばいいんだが……」
確かに体に刻まれた刻印を隠す為に服は必要だ。
だが、それも包帯を巻けばいいし、防御力もジャケットとマントがあれば十分。
女性達がそこまで急ぐ理由がユウイチは本当に理解できなかった。
「いいから、待っていて下さい。
本当なら今こうしているのだってあってはならない事なんですから」
ユウイチの今の姿を見て溜息を吐くアキコ。
相当今のユウイチの姿が問題と思っているらしい。
「まあ、見苦しいだ……」
「「「違います(違う)」」」
ユウイチの言葉が言い終わる前に同時に否定する3人。
ユウイチは自分の刻印を見られるの嫌い、更にその姿を醜いと思っている。
その為このやりとりも彼女達からすれば飽きるほど行われた事、故に反応も早いのだ。
「まあいい。
どうせ外には出れんし。
俺は寝る」
この先の問答は、彼女達を不満にさせるだけだと経験しているユウイチは、それ以上は続けずにそう宣言する。
昨晩は治療を行った3人がその場でダウンし、ユウイチが見張りをしていたのでユウイチは寝ていない。
「はい、どうぞ」
対してアキコ達はもう殆ど全快だ。
因みに食事は起きて直ぐに済ませている。
「あ、ユウイチさん。
こちらへ」
「ん?」
何を思いついたか、アキコは横になろうとするユウイチを自分の元へと手招きする。
そして、座って膝に誘う。
膝枕で寝ろと言う事らしい。
「……んじゃ頼む」
少し自分が寝ている間のアキコの消耗を考えたユウイチだったが、大人しくそれを受ける事にする。
それはアキコが望んだ事であるが故に。
彼らはその生活上、こういったスキンシップを取る機会があまりに少ないのだ。
ユウイチは平気であり、彼女達も平気な顔はしている。
が、彼女達のそれは我慢しているだけだ。
だから、戦闘に影響が出ない限り、ユウイチはそう言う誘いを大人しく受けることにしている。
元より嫌な訳は無く、彼女達の心が少しでもこれで満たされるならと思うのだ。
「ごゆっくり、お休みください」
「ああ……」
アキコの膝枕で横になり、眠りにつこうとするユウイチ。
サユリとマイはその傍らで眠りにつくユウイチを見つめている。
実は内心膝枕をしているアキコがちょっと羨ましかったりもするが、特に不満を顔に出す様な事はない。
こう言った事は、彼女達の中で大体ローテーションを組んでやっていて、たまたま今回がアキコの番だったのだ。
だから、サユリもマイも文句など言わない。
ただ、傍らで一緒にユウイチの眠りを見守る。
ユウイチが眠りに落ちる直前。
外から歌が聞こえてきた。
それは、ここに着てからは聞き慣れた歌声。
「コトリか……いい歌だな……」
少し遠い、森の東部外周付近から聞こえてくる美しい歌声。
それを聞いたユウイチは少し微笑み、そして安らかに眠りについた。
本当に、久しく忘れていたと思うほど心地よく。
何もかも忘れられそうな程優しい夢の世界への誘いだった。
自分の膝で眠るユウイチ。
それは始めてみるのではないかと言うくらい、安らかな寝顔だった。
8年前と比べ寝顔も何処か変わってしまった彼が、まるで8年前の―――それもあの事件の直前くらいの、一番明るかった時のものに戻ったかの様な錯覚すら覚えた。
それくらい、今のユウイチは何もかも忘れられたかの様に安らかな寝顔をしていた。
だが、それは違う。
「本当に、眠っている時くらい忘れてしまってもいいのではないですか?」
まるで母親の様に優しくユウイチの頭を撫でるアキコ。
だが、その声は悲しげだった。
「肉体自体に記憶された習慣ですね」
「私達が守っていようが変わらない……
少し、悲しい」
直ぐ傍で見守るサユリとマイも少し悲しげに俯く。
何故なら、どんなに安らかに眠っていても、どんなに全てを忘れ眠っている様に見えても、ユウイチは武装を手放していないからだ。
右手には小太刀を、左手には大剣が繋がる鎖を握って離さない。
それは、結局ユウイチは如何なる時でも、そう、それは夢の世界にあっても戦う事を忘れない、止めないという事だ。
アキコ達が見守っていようといまいと関係無く、常に、どんな時でも武装を何処かしらに持ち、隙を作らない。
なら、一体彼が本当に心が休まる時と言うのがあるのだろうか。
信頼してくれている、それは確かである彼女達がいても心穏やかに夢見る事すらない彼に。
一体どうすれば安らぎを与える事ができるのだろうか。
「でも、少なくとも今はいつもよりも安らかなんですね。
私達には出来なかった事をこの歌がしている」
「ええ、少し悔しいですけど」
「ユウイチ……」
ユウイチが少しでも安らげるのは嬉しい。
だが、それを与えたのは自分達ではなかった。
勿論、ユウイチがこうして安らげるのは彼女達が居るという前提があるからでもある。
彼女達も十分にユウイチの心を癒している。
だが、それでは補えていない部分を目の当たりにしたのだ。
それが悔しいのだ。
やがて歌は終わる。
だが、ユウイチが安らかに眠っているのは変わらない。
アキコ達はただ静かにユウイチを見守っていた。
十数分後、この拠点の近くにある砂浜に人が1人近づいてくるのを察知する。
すると、アキコはゆっくりと、ユウイチを起こさない様に膝枕をサユリと代わって立ち上がる。
「……彼女とは、一応面識がありますから」
近づいてきている気配が誰であるかが解ったアキコは、そう言って拠点を出る。
向かう先はその気配の元。
そして、その場所は毎晩ユウイチとその者とが逢っている場所である。
ジュンイチに1曲歌った後、コトリは無意識に島の北側の砂浜に、夜ユウイチと会った場所まで来ていた。
「はぁ……」
昨晩は彼が待っているのを知りながら顔を出さなかったというのに、今ここに居る。
やはり逢いたいという気持ちがそうさせたのだろうか。
自分にはそんな資格は無いと思いながらも。
「本当に、私は何をしてるんだろう……」
結局今日何かを考えようとして辿り着いたのがここ。
ふりだしに戻っている。
いや、位置は元に戻っても重ねた罪は消えていない。
一歩も進まずただ堕ちただけなのだ。
と、そこに近づいてくる気配があった。
その気配にすぐに振り向くコトリ。
そうである事を恐れながらも、期待したのだ、彼、ユウイチが現われるのを。
だが、
「残念ながら彼は今休養中です」
現われたのは巫女服姿にグローブとブーツ、更に薙刀を携えた鋭い瞳の美女、アキコ。
彼女が何故ここに現われたかは解らないが、一切隙無く歩き、彼女の間合いの一歩外までコトリに近づいてくる。
「別に残念というか……今はとても逢えませんから。
私は」
それでも自分がユウイチでなくて落胆している事を自覚しながらも、アキコに弁解する。
その行為も無駄だという事に言ってから気付く。
自分の気持ちなどアキコは解っているのだから。
例え自分の様な特殊能力が無くとも、今の自分は解りやすい事も自覚していた。
「そのまま2度と逢わないに越した事は無いのですが……
そうですね、今の貴方には不要なものでしょうが一応忠告しておきます」
最初に会った時、今のコトリ、その両方の気持ちを解った上でアキコはそう言い、一度言葉を切る。
そして、薙刀を構え、刃をコトリに向ける。
間合いの一歩外で、一歩踏み込めば両断できる。
そう言う体勢をとり、続ける。
「あの人を裏切ったら、例えあの人が許そうとも、私が、私達が貴方を許しません」
静かな声で告げられたそれは脅しではない。
本気の警告である。
今は殺気を放たぬとも、その時には絶対に放たれるだろうと解る宣告。
そのプレッシャーはそれだけで人を圧死させそうな程重いものだった。
だが、
「裏切るだなんて……私はまだ
そして、それはこの先も変わないと思います」
コトリは酷く儚い笑みを浮かべながら答える。
まるで失恋した乙女の如く心が無い笑みで。
「そうですね。
今の貴方には不要な警告だったでしょう」
そんなコトリの反応を見ても、変わらぬ無表情のアキコ。
ただ、言い終わると薙刀を収め、コトリに背を向ける。
そして、その場から立ち去ろうとする。
もう何も言えない、動く事すらないだろうコトリに背を向けて。
そのまま黙って立ち去るかと思われたアキコ。
だが、数歩歩いた所で一度立ち止まり、そして、
「ああ、そうだ。
これは私の個人的な依頼なのですが……1曲歌ってもらえませんか?」
振り向く事無くそう頼むアキコ。
振り向いていないので表情は確認できない。
だが、声だけは普段通りの声の様に聞こえる。
いや、普段通りという風に見せているだけの声だ。
「……え?」
それは本日3度目の依頼だ。
だが、今度こそ予想外の相手からの依頼で、コトリはその言葉を理解するのに少し時間を要した。
「できれば静かな歌がいいですね。
そう、彼は今眠っていますから。
彼は貴方の歌が好きだそうです。
だから、私は貴方に歌って欲しい、それだけです」
そう言い終わると今度こそ立ち止まる事も、振り向く事もなく去っていくアキコ。
後には戸惑うコトリを残して。
アキコが完全に見えなくなった後、コトリは歌い始めた。
少し戸惑ったが、彼が歌を望むなら歌える。
コトリは日が傾き始めた砂浜で1人、歌を歌う。
ただ、彼の為に。
そう、ただただ、想う彼の為に。
後書き
ギャグ分が不足しています。
突然ですが私はギャグとシリアスは大体4:6ないし3:7くらいの割合にすべきだと考えています。
半々だと多いかとは思いつつ、無くてはならないものだと考えています。
だというのにこの話におけるギャグ分は余りに少ないです。
はい、自覚してます。
今回少し多めに取れましたが……焼け石に水ですね……
しょうがないから外伝で補完するか……いや、するかも、いや、できればいいなぁ……とか
はい、そう思ってます。
ともかくギャグ分補充は本編が全部書き終わってからになると思われます。
それまでダークすら混じると思われますが最後までよろしくどうぞお願いします。
管理人の感想
T-SAKAさんから9話を頂きました。
8話に比べて短いですが、それでも長いので楽しんでいただけるかと思います。
前回と打って変わって戦闘なしの話。
メインはコトリ嬢の動きでしょうかねぇ。
全ての陣営に顔が利きますから、これからも重要そうな役どころ。
ジュンイチ君は最初からすれば人が変わったかのように……。
思考形態は相変わらずみたいですが、行動が段々変化してますね。
このままどうなっていくのか。
妹2人もなにやら複雑そうですし。
最後は女の戦いって感じのアキコさん。
尽くすなぁ彼女、ユウイチ君が羨ましいですよ。(笑
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