夢の集まる場所で
第11話 心の欠片は全て
今日も少女はこの場所に来ていた。
昨日在り得ないと思っていた事が起き、強制排除された屋敷。
この場所に住まうあの少女に排除され、本当に来る資格は失われたに等しい。
それでも、何とかしたいと思うのだ。
例え現実、彼の周りにいる人から警告を受けようとも、何かを。
その為に今一度ここに来た。
だが―――
「これは……どう言う事……」
何度となく在り得ない筈の事が起きたこの場所で、今度こそ本当に少女にとって信じられない光景があった。
今日は確かにいつもと違った。
ここへ来る為の目印が何故か見つからなかったから、周りの3人を目標点にして力技で来たのだ。
目印を見つけられなかった理由。
それが目の前にあった。
「屋敷が……崩れて……」
在り得ないほど鮮明かつ整理され、そして下手な砦よりも強固な造りをしていた筈の屋敷。
それが今少女の目の前で崩壊しているのだ。
「何故……まさか!
柱が?!」
少女は目の前に光景があまりに信じられなかった為、気付くのに時間が掛かった。
目の前で崩れようとしている屋敷は、振動によって破壊されているのだ。
それは昨日行ったあの中央に聳え立つ黒き柱。
あの夜の森の中での記憶の震えによって。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
そして、地の底から響く、実際に地を揺らす声。
それは如何なる声と言えばいいだろうか。
一番近いのは慟哭だろう。
だがどこか違う。
何に悲しみ、何に怒り、何に憎しみを向けているのか。
それが、解らなかった。
今まで少女が聞いた慟哭と比べ、あまりに強く、あまりに深く、あまりに純粋であるが故に。
「これは自分の無力に対する叫びだ」
「え?!」
声がした。
昨日のあの少女もそうだが、ここには自分以外の者が居る事なんて無い筈なのに。
声が聞こえたのだ。
少しくぐもった低い声が。
「あ、貴方は! それに……」
目を向けてみれば、そこに居たのは全長10mは軽く越えるだろう、漆黒のドラゴンだった。
澄んだ蒼い瞳をした、2足で立つスマートなタイプのダークドラゴンがそこに居た。
そんな者が何故こんな所に居るのかも不思議だが、それと同様に不可解なものをもう1つ発見する。
そのドラゴンの足元に小さな女の子がいるのだ。
黒に近い紫色の髪の10歳程度の少女である。
ドラゴンが半歩でも動けば踏み潰されてしまう様な位置に、彼女は極自然に立っていた。
「ああ、この娘は気にするでない。
どの道話し掛けても無駄だぞ」
「え?」
ドラゴンの言葉にもう一度女の子を見る。
改めて見ると少女は気付いた。
その女の子はただ、ドラゴンの足元に立ちドラゴンを見上げているだで、それ以外、少女が来た事にも何の反応も示さない事を。
そして感じる違和感。
それはその女の子がそこに在ってそこに無い様な。
そう、幻を見ているような感じがするのだ。
「物事には順序がある故、今は置いておくがよい」
だが、ドラゴンはそれよりも大切な事があると、女の子の存在を後回しとする。
少女も大事な事を思い出し、その女の子についての追求はしない。
ドラゴンがここに居る事も今はいい。
少女は直ぐに正しい順序で疑問をぶつける事にした。
「どうしてここが崩壊しているのですか!?」
それは在り得ない事にして、在ってはならない事だ。
ここが崩れるという事はつまりは―――
「崩壊しているのではない。
今我が友はここを再構築しているのだ」
「……再構築?」
少女はその言葉の意味が解らなかった。
その単語を知らなかった訳ではない。
ただ、今この場に当てはまらない単語である為に認識できなかったのだ。
「そうだ。
よく見てみるがよい。
崩れてはいるが、それだけではなかろう?」
「……あ!」
少女はドラゴンの言う様に今崩壊している屋敷を再度観察する。
暫く見ていると気付いた。
屋敷がただ崩れているのではない事に。
崩れた部分がまた屋敷に取込まれている事に。
「先に答えておくが。
先ほど我が友は、過去の最大のトラウマを直撃する事故があってな。
それで心に大きなダメージを負い、今尚その振動が収まらぬ。
だが、我が友はそれを利用して、崩れてしまうここを再構築してより強くしているのだ」
「え……」
少女が次にしようと思いついた質問を先に答えるドラゴン。
だが、それは新たな疑問を生む答えだった。
何せこの場所は普通崩れたらそれまでの場所なのだ。
その為、『再構築』などできよう筈がないのだ。
そうだ、常人ではまずできない。
一度壊れた『心』を直すなど、できはしないのだ。
稀にできる意思力の強い人がいるが、それには長い時間を要する筈。
壊れる端から再構築していくなど在り無いのだ。
「できぬと思うか?
主も知っている筈だ、我が友の強さを」
「それは……」
少女が知っているこの場所。
この心の空間の主。
少女が想う彼の強さ。
だがそれは『底が知れない程の強さ』という認識でしかない。
底が見えない故に、これほどまでの常識外れだとも想像できなかった。
「半信半疑か。
だが、見たのであろう?
昨日、ここの地下に潜る時に。
他者では情報の集合としか認識できぬ、最適化された知識の塊を」
「っ!!
まさか、アレは全部こうしで最適化していったものだというの!」
「そうだ」
「じゃあ一体……」
昨日見たあの場所。
心の下地となっている情報の塊。
それは原型を留めない程に噛み砕かれ、消化され、最適な形で利用できる情報として取り込まれた記憶。
アレほど最適化するのに、一体幾度の再構築をしてきたのだろうか。
一度でも復帰すれば奇跡と言える心の崩壊を、一体何度乗り越えてきたのだろうか。
「聞いた話でしかないがな。
修行期間はほぼ常にだったそうだ」
「常に?!
そんな……それで自分を保っていたというの?」
「ああ、今我が友がここに在るからな」
常に心の崩壊を起こす程の慟哭。
自分の無力への慟哭だとドラゴンは言った。
それを発しているのはあの中央の柱。
あの雪が降り積もる夜の森での出来事だ。
つまりはそれがとてつもないトラウマとなり、彼を強くする原動力となっているという事だ。
ああ、それは理解し、また納得もできる。
過去のトラウマを乗り越える為に強くなるのはありえる話だ。
だが、常に心が崩壊し続けるというのは一体どう言うことだろうか。
どんな刺激にもいずれは慣れる。
人はそう言う風にできている筈だ。
トラウマも乗り越えてしまえばいい事だ。
たった一つの記憶が、こんな何度も心を崩壊させる様な事は本来在りえない。
心が崩れる様な危険な記憶、乗り越えられないなら封印してしまっている筈だ。
「忘れぬのだ。
全てを忘れず全てを力とする。
幸せな記憶を基盤とし、辛い記憶を全て受け入れ己が力とする意志力。
それこそ我が友の強さだ」
ドラゴンは誇らしげに言う。
友と呼ぶ者の、彼の強さを。
ドラゴン、その中でも誇り高きダークドラゴンが友と呼び、誇る人間。
「……そうなんだ。
本当に強いんだね、彼は」
知っていた。
だが再認識した。
彼の強さを。
ドラゴンにも認められている彼の心を。
「我が友は強い。
過去の思い出さえあれば、本当に孤独にすら打ち勝ってしまうだろう。
我等は友であるが、我が友は我に依存しない。
ただ、我の居場所を用意してくれているだけだ。
そして、それもまた我等が真に友と呼び合う証でもあるがな」
この場所において、ドラゴンは一切の束縛は無い。
ここは心の中故に、心の何処かで彼がドラゴンに利用しているならば、ドラゴンはこの場所に取り込まれる。
そして、依存している部分があればそれは彼を拘束する物として具現する。
だが、これだけ近くにありながら再構成される屋敷は、一切ドラゴンを取り込む事も拘束する事もしない。
昨日まで何かが欠けていると少女が思っていた場所こそ、ドラゴンの居場所であり、ドラゴンとの関係を示していた。
この屋敷の庭、正面玄関へと至る道のど真ん中に位置する場所。
それは自分を守らせている番犬の様にとれるかもしれないが、そうでないという証拠がある。
それは、昨日までの様に自由に外へ出れる境遇だ。
故に少女は忘れていたのだ。
本来、この場所を自由に出入りできる者は、自分という例外中の例外を除いて存在する筈はないと思っていたから。
利害でもなく、依存するでもなく、純粋に支え合う真実友と呼べるもの。
それがこのドラゴンと彼の関係だった。
その全てを語った訳ではないのだろうが、ドラゴンは本当に嬉しそうだった。
本来こんな事は人に言う事ではない筈だが。
こんな場所に踏み込んできた少女が相手だからか、ドラゴンは少し饒舌になっていた。
「我が友は強い故、実は我が今日ここに帰ってきた意味はあまりない。
我がここに居るのはちょっとした補助と、時間を少しだけ短縮する為に過ぎん。
今は敵地故、時間に余裕がないからな」
よく見ればドラゴンはただ立っているだけではなく、崩れている建物の破片を掴み屋敷の近くに集めていた。
その尾をもって、素早く、且つ丁寧に。
彼が再構築し易いように、欠片を忘れて時間をロスしない様に。
彼の為にする事はそれだけでいい。
それだけで彼はまた少し強くなる。
ドラゴンは嬉しそうだった。
表情は読めないが、少女に解る気がした。
その心が読めた訳ではないが理解できた。
彼が苦しんでいる事はドラゴンも辛い。
だが、それでも、また一つ強くなった彼と先へ進めることが嬉しいのだ。
信じる彼と共に行くドラゴンは、彼の世界がまた一つ広くなるのが幸せなのだ。
「私は……居る意味がないんだね……
彼には貴方も、それにあの子もいるし……」
少女は俯く。
ドラゴンの親友を持ち、ドラゴンが認める強さを持つ彼。
そして、心の一番大事な部分を守るあの少女が居れば、精神面においては本当に無敵なのだろう。
ならば、これ以上の心の支えなど必要あるまい。
「あの子だと?
それは栗色の髪の少女の事か?
そうか、一番奥に行けば出てくるからな」
「……はい」
何故ドラゴンは少女が一番奥まで行った事を知っているのか。
それは少し考えれば心当たりがある。
昨日感じた視線、あれは昨日たまたまここに帰ってきていたドラゴンのものだったのだろう。
だが、そこで疑問が生まれた。
昨日少女がここに入っているのを見たのなら、何故ドラゴンは少女を放って置いたのだろうか?
一番奥にはあの少女がいるとしても、彼の心を勝手に覗いたと言うのに、何故……
「誤解している様だが、あの娘は我とは違う。
アレはここに住んでいる訳ではない」
「……え?」
消沈していた少女はドラゴンの言葉を理解するのに時間が掛かった。
いや、言葉を情報として処理してもその意味を理解できない。
何故なら、確かにあの少女が心に一番奥に居るのを見たのだから。
「この娘と同じだ。
姿形はあるだろうがここには居らぬ」
ドラゴンは足元に立つ女の子を見て言う。
少し悲しげに。
だが、言葉にして伝える事に躊躇は無かった。
「ここに居ないって……」
確かに目の前に居る女のおは存在が希薄だ。
少女に対して何の反応も無く、ただドラゴンを見上げるだけ。
そう、ただそれだけの、ただそれだけの―――
「え? ……じゃあ、まさか……」
アレだけハッキリとした侵入拒絶の意志と力を見せられたのだ、少女は思い込んでいた。
おそらく肉体はないだろうが、魂が守護霊としてそこに住んでいるのだろう。
それはつまり、本当に心の中に彼女がいて、彼は常に2人で1人なのだと。
「確かに存在はしている。
ほんの一欠けら……いや残香に過ぎぬがな。
この娘は全体の一分程はあるから一欠けらと言えるかもしれぬが、奥のあの娘は本来姿も成せない程希薄だ。
あの記憶と繋がっておるから姿が見えたに過ぎん。
我が友本人ですらそこに残香がある事すら気付かず、我が友に何の影響を与える事もできぬ。
この娘が高精度で転生できれば、後に惹き合い融合する事ができるだろうが、あの娘はそれすらできぬ。
惹き合う事はあるかもしれぬが、本当に残香でしかないくらい希薄なのだ。
残っていられるのは我が友が、あの娘を正確に覚えているからであろうな」
「そう……なんですか……」
おそらく一番奥のあの場所は、あの少女の死に関するものであるだろう。
それなのにここに住んでいない、欠片ですらない希薄な存在であるという事には驚いた。
だが、それが解った所で少女にあまり関係がなかった。
どちらにせよ、これほど彼を理解しているドラゴンを友とし、更にはそのドラゴンすら必要のない強さを彼は持っているのだから。
「それともう一つ。
お主は間違っておるぞ」
そこで、ドラゴンは少女の方を向いた。
今まで作業がある故、首だけで少女を見ていたドラゴンが。
それでもまだ作業がある為、半分だけであるが、体をも動かして少女と向き合う。
「間違い?」
自分の行動が間違えだらけだと思っている少女は、心当たりがありすぎて、どれの事か判断がつかなかった。
ただ、そう聞き返しドラゴンを見上げる事しかできない。
だが、ドラゴンは力強く答えるのだ。
「確かにお主は我が友に『必要』、はないかもしれん。
だが、それならば我とて同じ事。
しかし、お主が居る『意味』、が無い訳はなかろう」
「私に……意味が……?
あるんですか?」
肉体面において彼を助ける力は少女には無い。
だからこうして心の中を荒らしてでも、何か精神面で助けられる事は無いかと探っていたのだ。
だが、それも必要ないと解った今、少女には自分の意味を考えられなかった。
「お主はこんな所に来たが故に忘れてしまっている様だな。
思い出すがよい、お主の特技を。
それは、こんな所に来て覗き見をする事ではなかった筈だ」
ドラゴンは否定する、少女のこの異能を。
ドラゴンは知っている、少女の強さを。
故に今は力強く問う。
少女の存在を。
「私の特技……
私の……」
少女は考える、己という存在を。
少女は思い出す、己の特技を。
そうだ、今日だって皆言ってくれていたのだ。
言葉にして直接。
それなのに何故今まで忘れていたのだろうか。
そして、少女は理解した、己のやるべき事を。
「思い出したか。
では、帰るがよい」
「はい」
考え俯いていた少女が再び顔を上げた時、もうそこに迷いは無かった。
先ほどま消沈していたのが嘘の様に、活力と意思の篭った瞳でドラゴンを見上げる。
そして、直ぐに踵を返す。
自分にできる事、やるべき事をする為に。
「ここ以外でまた会おうぞ。
コトリよ」
「はい、シグルドさん」
最後に一度だけ振り向き、少女は思い出したドラゴンの名前を呼んだ。
朝。
日が昇ると島に歌声が響いた。
ただ1人の少女が詠う、愛しい人への詩が。
歌は風に乗る様に島の広がり包んでいた。
「ヨリコさん、もう大丈夫なんですか?」
台所に飲み物を取りに来たジュンイチはヨリコを発見した。
そして、思わず駆け寄っていく。
それは抱きつかん程の勢いで、それでいて壊れ物を扱う様な挙動だった。
「あ、はい。
ご心配をおかけしました」
ヨリコの方はもう大丈夫だと、いつも通りの姿を見せる。
「しかしサクラさんはまだお休み中です」
「それは仕方ない事です……」
申し訳なさそうに言うヨリコに対し、ジュンイチは目を伏せた。
元はといえば、自分の不甲斐なさが招いた結果なのだから。
昨晩、胸を刺し貫かれたサクラと、動けなくなったままのネムを抱えて撤退したジュンイチ。
サクラが瀕死だった為、当然ジュンイチはヨリコを呼び開けてもらった。
慌てていたのもあり、恐らくあの男にゲートを感知されてしまっただろうが、そんな事に構っている暇はない。
バタンッ!
玄関の扉を蹴り開けて中に入る。
自身の足にも傷があるがそんなものは忘れ去っていた。
「ヨリコさんサクラが重症です、直ぐにちりょ……っ!!」
ジュンイチはいつも通り迎えてくれるだろうヨリコに、治療の準備を頼もうとした。
だが、その言葉も最後まで発せられる事は無かった。
ジュンイチが玄関で見たものは、
「おかえり……なさいま、せ」
玄関前で力なく座り込んでいる、深紅に染まったメイド服を纏ったヨリコだった。
ヨリコが歩いてきたのだろう道と、座り込んでいる場所には血が滴り、小さな池となっていた。
そんな状態でなお、なんとか笑顔で迎え様と努めているヨリコ。
「ヨリコさん……これは……
まさか!!」
ジュンイチは自分の抱えているサクラを見た。
胸に小さな穴のあいた服は紅く染まり、顔も血の気が薄く、服の穴は背にもあり、確かに胸を貫いた跡がある。
だが、もう出血していないのだ。
確かに抱きかかえてきたジュンイチの腕はサクラの血で染まっている。
それなのに、今走ってきた道にはほとんどサクラの血が落ちていない。
いや、むしろジュンイチの血の方が多いだろう。
サクラの血が既に流されきったという訳では無い。
傷が塞がっているのだ。
綺麗にとはいかなくても、死に至る事が無い様に。
ただ、
「起きろネム! ヨリコさんが!」
サクラの命が失われる事が無い事がわかったが、問題が解決した訳ではなかった。
ジュンイチは即座にネムを起こしにかかる。
「あの、状況がよく……それに目が……ごめんなさい、兄さん……」
余程当たり方が悪かったのかネムの目は今だ回復していなかった。
これでは治療ができない。
例え医療魔法が使えても、傷が見れなければ治療はできないのだから。
「ジュンイ、チさん、これを、サクラさ、んに」
慌てるジュンイチに呼びかけるヨリコ。
その手には小さなビンが一つ握られていた。
「それは?」
「エリクサー、の失敗作、です。
ですが、サクラさんのサイズでしたら十分な……」
エリクサー、それは死者をも呼び起こすと言われる伝説の霊薬である。
どうやら祖母が作ったものらしい。
失敗作とはいえ使える物を作れるのは、高位な錬金術士で魔導師であった証である。
そして、失敗作とはいえエリクサーを名乗れるならば、それなりの効果があるという事だ。
「そんなのがあるならヨリコさんが自分で!」
ジュンイチは当然の使い方を提案する。
ヨリコはサクラに使えと言いたいらしいが、既に見た所サクラは命の心配はない。
だが、ヨリコはどう見ても瀕死だ。
ならばヨリコが使うべきだと思うのは当然の事。
「私の体は、少し特殊、です。
それに、サクラさんなら、私を、治せます……から」
「解った」
これ以上問答する余裕は無い。
いや、もう馬鹿みたいに長く時間を使いすぎた。
他に何かあるのかもしれないが、全ての事情を知る訳ではないジュンイチは指示通りにする。
受け取ったビンの蓋を開け、それをサクラに飲ませる。
「……うっ! げほっ! げほっ!」
効果は直ぐにでた。
ビンの蓋を開けた瞬間に解った事だが、これはそう言う失敗もしているのか、変に気付け効果が高そうだ。
何せ、一瞬飲ませるのを躊躇うくらいの酷い刺激臭がしたのだから。
この場合、それが良い方向に働くが。
「う……」
薄っすらと目を開けるサクラ。
見ればもう傷口は完全に消え、血の気も戻ってきている。
失った血までこの速度で回復するとは、本当に十分に効果のある失敗作だった様だ。
だが、それでも本来なら安静にさせたおくべきだ、重症であった事には変わりないのだから。
しかし、そんな事を言っていられる状況でもない。
「サクラ! しっかりしろ! ヨリコさんが!」
適度な激しさでサクラの肩を揺さぶる。
こうしている間にもヨリコは座り込む、から、倒れるまでに悪化している。
もう猶予がない。
「……あ、うん! 解った」
即座に動き出すサクラ。
そしてジュンイチもサクラと共に魔方陣を描く。
ヨリコの流した血を使って。
そして、サクラの瞳が紅く染まる。
「
詠唱もなく発現したのは、人間が単独で使える最高位の回復魔法の名前。
だが、サクラがその持てる力を使って少し変えた回復―――いや、復元魔法だ。
パァァァッ!
魔方陣が光、ヨリコが流した血が消える。
いやヨリコの中に戻っていく。
そして、胸の傷は塞がってヨリコの顔にも血の気が戻っていく。
血は完全とは行かないが、僅か数分でヨリコの傷は完全に塞がった。
その後、サクラは大きな回復魔法を使った影響で倒れる様に眠りについた。
ネムも自分で目を治療して眠りにつき、ヨリコも栄養剤系の魔法薬を飲んでほぼ完全回復した。
そして一夜が明け、今に至る。
「ヨリコさん……貴方は……」
落ち着いた今やっと聞ける事があった。
それはサクラに在る筈の傷がヨリコにあった事だ。
そうなる理由は一つ思い当たる。
「はい、私はサクラさんと『依り代』の契約を交わしています」
依り代の契約。
それはこの場合においては、契約者であるサクラが受けた傷を、『依り代』であるヨリコが肩代わりをするという物だ。
そう言う魔法がかけられていたから、昨晩サクラの傷はヨリコに移り、サクラではなくヨリコが瀕死だったのだ。
「それは……」
恐る恐る続けて尋ねるジュンイチ。
聞きたくない真実を突きつけられるのが怖くて。
依り代の魔法とは本来は親子や兄弟といった限りなく近しい血縁者としか契約でず、双子でやっと実用性のある物にできるくらいに厳しい条件がある。
無理に他者と契約しても傷を転移できず、無駄に力だけを失う結果となるだろう。
昨晩のサクラとヨリコを見る限り、よほど相性の良い双子でできるくらいの精度で傷が移っていたと推察される。
もし、この精度を得たいのならば邪法になるが、最初からそう言う目的として構成された生物を作るしかない。
つまりは―――
「違いますよ。
確かにそう言う風にもなれる構成が少し入っていた様ですが、8割は偶然なんですこの精度は。
私には元々素材というものがありましたから、その素材が何故かサクラさんと相性が良かったのです。
そして、私はサクラさんとよく話し合って自らの意思でこの契約を結びました。
ここでは私とサクラさんは2人暮しです。
ですが、私にサクラさんの傷を癒す事はできません。
それ故の手段なのです。
ですから、おばあ様は関係ありませんよ、安心してくださいジュンイチさん」
後に細かい条件を聞いた所、発動条件はある一定以上レベルの傷を受ける事となっていた。
サクラがここに帰ってくるのに支障がでるほどの傷を負った時のみという条件という事らしい。
更に、即死であれば移る暇もないので、サクラが即死すると依り代の魔法は発動しない。
故に、普通に生活していれば発動する事も無い、そんな契約だ。
「……そうですか」
理由には納得する。
だが、そうだとしてもこの術自体感情的に嫌いだ。
それに、事前に準備が成されていた事は確かで、それはつまり強制は無かったとしても、祖母が半ばそうさせたも同然なのだから。
面倒くさがりの癖に変な所でおせっかいな人だとは思っていたが、これはやりすぎだと感じるジュンイチ。
しかし、それ以上に本来なら予備の予備、本当に保険の保険であったろう依り代を発動させてしまった事。
それは自分の不甲斐なさが原因だと、ジュンイチは己の未熟を悔やんでいた。
「傷……痕はちゃんと消えそうですか?」
命は確かに助かり最悪の事態は避けられた。
それは確かに祖母のお陰で、『おせっかい』ではなかったのだ。
ただ、サクラが受け、ヨリコが肩代わりした傷には少々困った事があった。
サクラを貫いた小太刀はちゃんと考えて蹴り飛ばし抜かせた訳だが、それでも刺し口が広がってしまっていた。
それと依り代による傷の移行という特殊な回復、ヨリコの場合は特殊な傷の受け方をした。
更に、回復薬という自己治癒強化による回復と咄嗟の大回復魔法による回復。
とにかく命を繋ぎとめる事に全力を注いだ。
それはまあ当たり前なのだが、それ以外に目が行かなかった。
刺し口は丁度右胸の心臓の端を掠めた形で入っていた。
後2、3mmずれていたら心臓を傷つけていただろうその傷。
サクラは完全に貫いた為に右胸と背の2箇所。
ヨリコはサクラには無い胸の脂肪部分があった為だろうか、刺し口のみの一箇所。
特に両者にある広がってしまっていた刺し口。
それが痕になってしまっていた。
そう、女性にとって大切な部分である胸に。
大きな痕が残してしまったのだ。
「大丈夫ですよ」
ヨリコはそう言って微笑む。
肯定も否定もせず、ただただ。
それはもう、痕が残ってしまうという肯定でしかない。
おそらくヨリコはそれは解っていてもなお、そう答える事を選んでいるのだろう。
何が大丈夫なのか。
それも敢えて告げず、ただ微笑む。
「そうですか……」
一度体に付いた傷は、余程いい腕の治療術士でも完全には消せない。
見た目上は消えている様に見えても、残ってしまうものだ。
表面だけならまだ何とかなったかもしれないが、あの傷は貫通している傷だ。
本当に完全に消すのならば、内部から弄る必要があり、それにはリスクが大きい。
心臓を掠める位置という事を考えれば、再び命を失うくらいの大きなリスクになるのだ。
「ジュンイチさん、私達は大丈夫ですから」
沈んでいるジュンイチに再度微笑むヨリコ。
今度は私達と、サクラも含めての言葉。
直接聞いた訳ではない。
それでもサクラと一番長く居るヨリコがそう言うならば、実際そうなのであろう。
ジュンイチは離れていた時間が長い上に少年であるが故、乙女心を理解できる筈もなく、その言葉を信用する以外には無い。
「……ヨリコさん、確か1人だけ使っている情報屋がいるんですよね?」
暫く俯いていたジュンイチであったが、意を決した様に顔を上げる。
そして、先へと進む為の道を探そうとする。
「はい、呼ぶのですね」
「ええ」
「解りました、直ぐに呼びますね。
直ぐに着ますよ」
ヨリコはジュンイチが何かを決めたのを喜び直ぐに行動に移る。
「……」
ヨリコを見送ったジュンイチは1人倉庫に向かった。
探す物があった。
決めた道を進む為に必要なものが。
その為に倉庫に向かう。
昨日まで使っていた盾を置いて。
かすかに聞こえてくる歌声に耳を傾ける事もなく。
昼前、ミズコシ邸
勇者達4人はアヤカの部屋に集まり全員で水晶を覗いていた。
セリオとリンクした水晶の中に映る映像を。
「やはり……存在はしていたのだな」
「ええ、一瞬ですが」
映し出されていたのは昨晩あの男が撤退する瞬間。
あの闇のドラゴンが出現した瞬間である。
昨晩は幻影であったと判断したドラゴンであるが、今日改めてセリオに残る記録を見た結果、一瞬だけ実体があった事が明らかとなった。
ヒロユキが何度も調べ直してやっと解った事だ。
「足跡も無かったのに」
「時間の問題でしょうか。
余りに短時間だった故に、周囲に影響を与えなかったと考えられます」
昨晩あの場で調べた限りでは何も解らなかったのだ。
そして、正確にあった事実だけを記録するセリオの記憶を、何度も何度も調べてやっと解ったくらいだ。
それくらい巧妙に隠され、且つ瞬間的でしかなかったが、変わらぬ事実としてある実体の存在。
「兎も角、問題は実体があった事だ」
「そうね」
実体があった。
最初から彼らにドラゴンがついている事は解っている。
だがそれは移動用だったのか、直ぐに飛び去ってしまったのだ。
それが突如目の前に出現した。
召喚されたのだ。
初日少し見ただけではあるが、あのドラゴンは苦戦はすれど倒せると思える程度の力しか感じられなかった。
だがしかし、現われたドラゴンは嘗て倒した魔王と同等かそれ以上の力を感じた。
2体のドラゴンが同一存在であるか、という問題は置いておいたとしても、あれ程のドラゴンが実在したのだ。
「今まで使わなかったのは、何かしら使用に制限があるからだと思うけど」
今までの戦いを見る限り、あの男達が余裕をもって手を抜いていたと言う事は無いだろう。
ならば、あんな強力な物を使わないのには何かしら理由がある筈だ。
制御しきれないとか他に何か使用にあたってリスクを負うとか。
考えられる事は幾つかあるが、どれも推測の域はでない。
「奥の手として存在する事は事実ですね」
「ああ」
ヒロユキは思い出していた。
嘗ての魔王との戦いを。
「なんとかしないとな……」
そしてそう呟いて考える。
何とかする方法を。
4人で集まっていながら、深く、1人で。
島には朝から歌が響いていた。
優しい歌声が。
ヒロユキも聞きたいと願った歌声だ。
だが、この歌がヒロユキに届く事は無かった。
少女は夢を見ていた。
歌いながら。
ある少年と竜の夢を、夢として見ていた。
それは、そう、
少年は演じていた。
だが、その演じていた役は、全て少年がなったかもしれない姿である。
全く経験した事のない過去を持った役は演じる事は出来ない。
設定されるキャラクターは、常に少年のもう一つの可能性。
例えば巡り合った師が違えばどうなったいたか、などだ。
その為、少年の演技は少年の映し鏡で、少年自身でもあり、完璧だった。
だが、それ故に出てしまうのだ。
一つの事件中で1人くらいは。
設定したキャラクターの、暗い過去の先の更に先にある少年の本当の心を見てしまう存在が。
少年と師はそれすら利用し、人の心の醜さを見せ付けてきた。
時には少年の心を垣間見た者に、死よりも残酷な仕打ちをしてまでも。
そう例えば、その者に自分を殺させるという、心に永遠に消えぬ傷を刻みこんでまでも。
いつもそれ以上先を見る前に利用し、全てを台無しにしない様にしながら、最高の舞台にしてきた。
ただ一つ、師と別行動を取り、始めての大きな事件の渦中にあったこの時を除いては。
「演じるのか? 悪を」
師と別行動をとり、訪れたある街で出会った同い年の少年。
彼は一度剣を交えた以外は会話も行動もしなかったと言うに、少年の心を見抜いた。
「……」
「お前ほどの腕を持っていながら何故わざわざ演じる?」
互いに本気で戦ってすらいないのに、彼は少年の在り方から強さの秘密まで大半を読み取っていた。
今まで、この何年も誰にも気付かれなかったことをたった一度剣を交えただけで。
だが、それは当然だったのかもしれない。
「そう言うお前こそ何故道化を演じるのだ?」
2人はとてもよく似ていた。
過去も背負っているものも違う、今の在り方もまるで正反対だと言うのに。
そう、それは鏡に映った姿かの様に全て同じ様でいて、全てが正反対の存在。
そんな関係だった。
「俺は……地だよ」
「なら俺もこれが地だ」
少年に初めて協力者が出来た。
協力者などというのを認めたのは、師がいなかったからかもしれない。
だが、確かに少年はその彼を信頼し、彼も少年を信用していた。
「お前、本気でこんな事を続ける気か?」
「仕方あるまい。
歴史上に在る悪では、人の歴史は繰り返されているのだから。
それ以上の悪を刻み込まなければならない」
目の前の惨劇に顔を背けるのを必死で耐える彼。
おそらくは、今すぐにでも逃げ出したい筈だと、そう思っていた。
「だがこれでは……」
「だから最初についてくるなと言ったろ。
お前の様な、間抜けの皮を被った善人には耐えられる所業ではない」
警告は最初と、そしてここへ来る前に何度もした。
少年はその警告を無視して、今彼がこうしている事が許せなかった。
「俺はお前の事を言ってるんだよ。
お前だって根はくそ甘ったるい奴のくせに。
お前の事だ、殺した人間の名前を記憶に刻んでるんじゃねぇか?」
だが、返ってきた言葉は予想とは全く違っていた。
彼は真っ直ぐな視線で少年の目を見て、悲しげに言うのだ。
「誰がそんな女々しい事を。
お前こそ、道化を演じ続けてお前自身は救われているのか?」
「……」
「……」
鏡故に何度か衝突もした。
同属嫌悪というものを感じた事だってあった。
本気で剣を交え、互いに殺そうとした事だってある。
だが、それでも。
いや、それ故に2人は1歩前に踏み出すことが出来たのだ。
「おい」
「なんだ?」
「こっちは任せろよ」
「……ああ、任せた」
そして、そこには少年を少しだけ変えた女性もいた。
「貴方は器用に涙を隠すのですね」
金色の長い髪を2本の三つ編みにしたその少女に言われた時、少年は本気で自分の演技の質が落ちていると考えた。
それくらい唐突に、ユウイチの事を見抜いた少女がいたのだ。
男とはまた違う色の鏡。
だが、それだけでは説明出来ない程彼女は少年の心に入り込んできた。
それは運命の出会いと称せるくらいに。
「俺はもう大切な者は持たないと決めた。
護るべき大切なものなど」
あの悲劇以後の少年の想い。
友にすら言わなかった言葉。
それを吐き出させた初めての女性でもあった。
「失うのが怖いのですね?」
「お前なら知っているだろ」
その少女は知っている。
少年の様な大きな規模でなくても、大切な人を失う悲しみと苦しみを。
それを背負って生きてきた少女は、少年と同じ考え方を持っていた筈だったのだ。
「ええ、知っています。
そして、私にとってもう貴方は大切な人です。
例え貴方にとって私がそうでなかったとしても」
「何故俺なのだ! 奴だって相当の漢だぞ。
こんな幾千年呪われても償い切れぬ闇を行く俺を選ぶなどどうかしている!」
少女は彼と先に出会っていた。
少年と鏡写しの様な彼に。
それなのに、何故彼の方ではなく少年を選んだのか。
少年には全く理解できなかった。
「そうですね。
合理的じゃないですよね。
私らしくない。
でも、人間は感情で生きる生き物ですよ? それは貴方も知っている筈です」
「……」
「私はそれなりに強いつもりです。
もし、私が邪魔だというのでしたら、どうか貴方の手で殺してください」
もし、師と共に旅をしていた頃ならば、そう言われるまでもなく殺していただろうか。
少年は今までの経験上の判断で、この少女を殺す事を確かに考えた。
「お前は……卑怯な女だ」
だが、できなかった。
今まで何人もの女を殺してきた少年が、この少女だけは殺せなかった。
できれば、こんな深く関わる事は避けたかった。
こんな事になる前に。
「逃げるという卑怯な手を使われるくらいなら、同じく卑怯にもなりますよ」
「そうか……俺はまだ逃げていたのか」
そしてもう1人。
その少女と共鳴したかの様に少年を理解し、求めた少女もいた。
「君の行く末を見てみたいのよ」
「死してなお幾千の時を呪われつづけても足りぬ道をか? 悪趣味な」
少年は、この少女に至っては本気で異界にでも迷い込んだかと思ってしまう程だった。
この少女を含め、ここではもう何人もの人が少年の心を理解してしまったからだ。
「悪が何人の人を幸せにできるかよ。
あ、ダメよ、私は勝手に付いて行くからね。
もし、邪魔だったら、力尽くでやってね。
私は貴方に殺されない様にずっと付きまとうつもりだけど」
師と竜の友以外に心を交わす事が無かった少年に、半ば無理やり入り込んできた男と少女達。
この街での出会い全てを糧とし、全てを捨てていなかった少年であるが、今までの道で忘れかけていた何かを思い出させた。
「そうか……それならいいかもな」
師に言われ、別行動として訪れた街で、少年は確かに何かを掴んだ。
それが、その次に訪れる街。
少年が自らの意思で訪れた故郷での行動を少しだけ変える事になった。
少女は夢を見る。
少年と竜の夢を。
そして微笑み、その思いを歌にのせる。
嫌な事、悪い事ばかりじゃなかったよね
少年だった者は届けられた歌で、今は安らかに眠っている事だろう。
少女はただ、その人が安らかである事を願い歌いつづける。
そして、また夢を見た。
今度は少年だった人を今想っている人達の夢だ。
そこは教会だった。
青い髪を三つ編みにした巫女装束姿の少女は1人、祈りを捧げていた。
目の前で眠る栗色の髪の少女に。
「アユさん……本当にただ眠っている様ですね」
祈りを終えた少女は、永久の眠りについた栗色の髪の少女の頭を撫でた。
白い服を着て棺の中に横たわる少女は、本当に今にも起き出してきそうなくらいだった。
でも、そんな事はありえない。
それは少女がこの世界で2番目に良く知っている事だ。
「10日過ぎてしまいましたが、貴方の誕生日がありましたね」
悲しく微笑みながら少女は懐から包みを取り出し、開く。
その中から出てきたのはカチューシャだった。
極普通の素朴な、可愛らしい赤のカチューシャだ。
「急に買い物を手伝って欲しいって言われて、何を買うのかと思ったらこれだったんです。
街まで出て、まず髪飾りを買うことを決めたんですけど、何時間迷ったと思います? 彼。
8時間ですよ? 8時間。
ふふふ……私を連れまわして8時間も、私以外の女の子のプレゼントを選んだんです。
極悪人ですよね?」
少女はそう言って楽しそうに微笑む。
ただ、瞳だけは悲しみに満ちていた。
「良く似合いますよ、アユさん。
彼が頑張って溜めていたお金で、全力で選んだものですもの、ある意味当然ですよね」
少女は栗色の髪の少女の髪を梳き、カチューシャを着ける。
いつもなら白いリボンが結われている髪に、初めて着けられた赤いカチューシャ。
だが、初めてだというのに、それは何故か自然にそこにあるかの様に思えた。
そう、いつも着けているお気に入りのカチューシャの様に。
「本当は、10日前、彼が何時もの場所で渡す予定だったそうです。
前日に貴方の誕生日を知って、何か約束もしたそうですが、それでは彼が納得できなくて、用意したプレゼント。
でも、それは叶わなくなってしまいました。
ですから、私が代行で悪いですけど」
少女は一度言葉を区切り、カチューシャを着けた少女に微笑み、言葉を紡ぐ。
「お誕生日おめでとう、アユさん」
本来なら、初めに両親に、そして次に彼に祝ってもらえる筈だった。
「そのカチューシャは持っていてください。
貴方の為の物ですから」
そう言ってもう一度微笑み、少女は棺から離れる。
そして、それと同時に教会の扉が開き人が入ってくる。
入ってきたのは栗色の長い髪に、緑色のリボンを着けた少女と、黒く長い髪を青いリボンで結った少女。
それから30くらいの男と神父の合計4人。
「準備が整いました」
「お別れは、済んだかな?」
神父と男が少女に尋ねると、少女はただ黙って頷く。
「そうか」
男はただ一度そう言うと、一度顔を伏せる。
後から入ってきた2人の少女も、一度横たわる栗色の髪の少女を見て顔を伏せた。
「では……」
神父の言葉を合図とし、この場にいる者は栗色の髪の少女の眠る棺の周囲に立つ。
そして、唱えるのは安らかなる眠りを祈る詩。
「神よ、どうかこの者の魂を清め、安息の眠りを」
神父の最後の言葉で少女の眠る棺は蒼い炎を発し燃え上がる。
静かに、ただ静かに。
少女達は清めの炎に焼かれ、還って逝く栗色の髪の少女の姿を、ずっと見つめ続けていた。
目を逸らす事無く。
そして、全てが土に還り、栗色の髪の少女の魂が逝った事を見届けた後、少女は空を見上げて言う。
「サユリさん、明日から私も貴方の道場に通ってもいいかしら?」
その問いに緑のリボンの少女も空を見上げたまま答えた。
「ええ、勿論構いません。
ですが、私達は明日から少し鍛錬のメニューを練り直そうと思っています」
「もっと増やすの」
黒い髪の少女も一緒になって答えた。
2人の少女と同様に空を見上げながら。
「それは丁度いいですね。
私も、少し強くなろうと思っていますので」
「あら、それは奇遇ですね」
「一緒」
それから少女達は空から視線を地上に戻し歩き出す。
ただ、己の過去よりも先に行く為に。
少女達は歩きつづけながらもその場で強くなる事を望んだ。
この場所を護る為に。
彼が帰って来るべき場所を護る為に。
少女達は信じ、待っているのだ。
彼が、帰るべき場所に帰って来る事を。
今も、この場所で―――
夢を見た歌を歌う少女は、過去を悲しむ。
だが、思うのだ。
悲しいけど、居るんだね、待っている人が。
本当に信じてくれている人が。
私も、その中の1人になりたいな―――
少女は歌う。
想う彼の為に。
彼を想いて詩を歌う。
ただ、自分にできる精一杯の気持ちを込めて。
夕刻よりも少し前。
ヨシノ邸では1人の来客を迎えていた。
「やあ、アサクラ兄妹、元気そうでなによりだ」
この秘密の孤島の迷いの森の、更に異空間にあるヨシノ邸に玄関から入ってくる男。
「よう」
「スギナミ君! どうしてここに!?」
それを今だに目覚めぬこの屋敷の主人に代わり、出迎えるジュンイチとネム。
来客スギナミに対しての出迎えは兄妹で対照的だった。
スギナミとアサクラ兄妹は学友であり、特にジュンイチとスギナミは悪友だった。
卒業後会わなくなったはずの彼が、突然こんな場所に現われたのだ。
この異界とも言える場所に。
一般人である筈のスギナミが。
「なんだ、やはりアサクラ兄は驚かんか。
非常に残念だ」
笑いながら残念そうなジェスチャーをするスギナミ。
どうやらジュンイチが驚かない事を解りきっていた様子だ。
「いや、十分驚いてるぞ。
お前がサクラと関わっていた事を」
そう言う割には驚いている風には見えない。
だが、ジュンイチは実際驚いていた。
ヨリコから情報屋の名前を聞いた時、運命を感じるほどに。
故に、驚き以上に冷静になれたのだ。
「兄さん、何でここにスギナミ君がいるんですか?!」
まだ理解不能状態で混乱しているネム。
まあ、普通の反応と言えるだろう。
「ネム、スギナミが情報屋をやってるって話くらいは聞いた事があるだろ?
そんで、サクラの使ってる情報屋がスギナミだった、それだけだ」
「それだけって……」
兄の変に落ち着いた態度に、混乱から困惑に変わるネム。
ただ、騒ぐ事はなくなった故に場が次の展開へと変動する。
「早速で悪いが仕事を頼みたい。
報酬は弾むつもりだ」
再会を喜ぶ訳でもなく、サクラに関わった経緯を聞くでもなく、即座に仕事、そして金の話をするジュンイチ。
金はあるつもりだった。
ここにある遺産を少し売っただけでも大金になる事だろう。
そう、ここに来る為に使った船は捨て値で売っても100年は遊んで暮らせるくらいの金になるのだから。
「ほう、何時になくセッカチだな、アサクラ」
不敵な笑みを浮かべるスギナミ。
何を考えているかは読めない。
それは何時もの事だとジュンイチは話を続けようとした。
「調べて欲しい事がある、実はこの島に……」
「今この島にいるダークドラゴンを使って侵入してきた男の素性を調べろ、か?」
ジュンイチが言う前にスギナミはその内容を言い当ててしまう。
それも最初から解っていた事だという風に。
ジュンイチもさしてそれに対しても驚きはしない。
何せ相手はサクラとも関わりを持った情報屋なのだから。
「話が早い。
危険な分の金は払う。
だから奴等の……」
「お断りだ」
またしてもジュンイチの言わんとする事を遮ったスギナミの言葉。
だが、それは拒絶の言葉だった。
「お前でも出来ないと?」
「断ると言っている」
それに対して、一瞬眉を吊り上げて改めて問うジュンイチ。
だが、スギナミは無表情でそう答えるだけだった。
そして数秒。
「ふぅ……お前は本当に俺の知るあのジュンイチ アサクラか?」
大きく溜息をつくスギナミ。
黙っているジュンイチに対し、何故ちゃんとした反応を示さないのかと。
「……っ! お前、俺達の情報を奴等に売ったな!」
スギナミのその言葉で改めて何かを考えたジュンイチは突然スギナミの胸倉を掴む。
そして、問いただすのは裏切りの証言。
ジュンイチは察したのだ。
「断る」という言葉からスギナミがあの男達の事を知っていると。
そして、ならば何故断るかを考えるかと言えば。
ジュンイチの出した結論は、スギナミが『敵』であると言う事だ。
「ほう、中途半端に鋭さが残っている様だな」
そんなジュンイチにただ僅かに笑みを浮かべるスギナミ。
「キサマ!」
否定しない事を肯定ととり、殴らんと拳を上げるジュンイチ。
だが、その手は妹によって止められる。
「に、兄さん、止めてください!」
事態をまだ飲み込めていないが、兄が嘗て友だった人を殴ろうとしている。
故に原因を考える前にネムは兄を止めた。
止めなければ後で兄が後悔すると思ったから。
「アサクラよ、俺は俺の仕事をしたに過ぎない」
スギナミの次の言葉はもう、情報を売り渡した事を明言したに近い言葉だった。
同時に、嘗ての悪友と呼び合った仲であるジュンイチと敵対する者の側にいる事の明言だ。
「お前は、情報の力を知っている。
だから、お前は相手を見定めて仕事をする、そう思っていた」
ジュンイチの知るスギナミなら、ジュンイチが知る限りのあの男に情報を渡すなど在り得なかった。
故に、サクラが使う情報屋がスギナミであると知った時は歓喜する程だった。
それなのに、
「ああ、あの者達の事なら良く知っているつもりだ。
故に売った」
スギナミは言う。
嘗てジュンイチが知っていた頃と同じ様な笑みを浮かべながら。
「何故だ……」
解らなかった。
悪友であるが、コトリと同等に信頼していた男が何故、裏切ったのか。
「まだ解らない様だな。
普段のお前ならとっくに気付いている筈なのにな。
少し頭を冷やせ、アサクラ。
でなければ、次は死ぬぞ」
スギナミは最後、無表情でそう言うと、風の様に去っていった。
ただ、違う意味で呆然とする兄妹を残して。
「くそっ!」
ジュンイチは一度壁を殴りつけて歩き出す。
向かう先は先ほどまでいた倉庫だ。
「兄さん……」
ネムはそんな兄を止める言葉が思いつかず再びただ立ち尽くすだけだった。
島に歌が響いていた。
ある1人の人に向けられて、しかしだからこそ島の誰にも聞こえる歌。
けれど、その歌が届かぬ者が居る。
音として聞こえていながら、伝わらぬ想い。
黒き森は、一層その色を深めている。
後書き
この物語の各話の冒頭には夢が入っています。
各人物(主に主人公ユウイチ)の過去の夢であり、今までの経緯です。
ある程度過去の話は必要でしょうが、この物語はそれがいささか多いでしょうかね〜
今回なんて半分以上占めてると思いますし。
どうでしょう。
まあ、『ユウイチ』を使う上ではどうしてもそうなってしまうと思います。
空白の期間を利用している訳ですから。
尤も、私のは本気で名前だけですけどね、皆。
管理人の感想
T-SAKAさんから11話を頂きました。
今回はインターミッション的な話ですね。
メインは過去回想というか。
今回はコトリが話を動かしていますね。
『無銘の華』の補完部分や、ユウイチの前歴がちょっと出てます。
まぁ一番気になったのはピエロの男と2人の少女でしょうか。
三つ編みの少女は『彼女』でしょうし、そうするともう1人は三つ編みの少女と関係のある『彼女』でしょうかね。
ややこしいけど。(笑
そしてジュンイチとスギナミが再会しました。
予想通りの展開ですが、その後はいささか穏やかじゃないですね。
なにやら友情に亀裂が。
スギナミの言から、ジュンイチは何か昔と違うようですがさて。
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