夢の集まる場所で
第17話 その名は
あの日、少年は両親を亡くした。
少年の目の前で。
何もできなかった少年を生かそうとして。
その日から少年は嘗ての笑顔を失った。
いや、失ったのは笑顔だけではない。
最早、嘗ての少年は両親と共に死んでしまったのだ。
残ったのは、嘗ては
一見してショックで心を閉ざしただけの様に見える少年。
しかし、そんな少年を本当に理解している者がいた。
少年の友である男の子。
だから、彼は少年が遠くに引き取られる時に言った。
「おい! 次に会うときは決着をつけるぞ」
子供ながらに互いをライバルとし、切磋琢磨してきた。
だからこそ、彼は少年に同情するでもなく、一見心を閉ざしてしまったかの様な彼を罵倒するでもなく。
ただ、宣戦を言い渡した。
2度と会えないかもしれない少年に、再会の約束として。
「解った」
少年は応えた。
ただ一言。
両親の葬儀の中でも一言すら言葉を口にしなかった少年が。
この時初めて口を開き、応えたのだ。
ただ1人、少年を本当に理解していた彼の言葉に。
アレから幾つの季節を巡っただろうか
その時の流れは、2人を変化させた。
片や、知る人ぞ知る、輝ける強き人―――
「見事……」
低い声が響いた。
地の底から響く様な低く深い声。
だが、その声が今、静かな想いを伝えていた。
静かでしかしそれでいて強い想いを。
「よもやこの様な力があろうとは」
言葉を発しているのは巨大な人影。
いや、人に似た形をしている全く異質の存在。
絶大なる闇の具現。
だが、今その闇の具現たる巨大な身体に光があった。
闇を打ち砕く4つの光。
全てを薙ぎ払う闇の右腕を裂く魔人。
全てを焼き尽くす闇の左腕を穿つ鬼人。
そして、全てを闇の下に堕とす頭部を光の剣で貫く人の女性。
最後に、全ての闇の源たる負の心臓を砕く1人の人間の青年。
「この世界では、己の力こそ全ての筈だったのだがな。
故に、我が世界は全てが力となる世界」
周囲を見れば、この場所は通常の世界とは違うものだった。
結界と同じ様でいながら、全く違うもの。
ここは小さくとも確かな『世界』だった。
そして、この世界だからこそ見える輝きが在った。
「よもや、この世界で我の知らぬ力が存在しようとは」
「……」
青年は何も言わない。
何も想わない。
嘗てあった憎しみすら、今ここには無い。
ただ在るのは―――
「なかなか、楽しかった―――」
最後にそう言い残し、砂の様になって崩れ消えていく巨大な闇の影。
その最後の姿は、何故か満足そうに見えた。
「……」
青年は口を開かない。
想いを宿す視線も無い。
確か、言いたいことが沢山あった筈なのに。
ぶつけたい想いが山ほどあった筈なのに。
消え行くその影に、何もできずにいた。
けれど、青年に悔いは無く。
最早全てここで闇と共に払われる。
仕事は終わった。
しかし、それでも青年はこの世界に存在し続ける。
後にも多くの事件を解決し、表立って言われる事はないが、彼は確かに光か輝く『勇者』であった。
片や、誰も知る事のない影の中にある儚き人に―――
「お前が、お前が全ての元凶だったのか!?」
青年、後に英雄としえて祭り上げられる1人の青年が叫ぶ。
この戦争の裏、悪意の政治も、悪魔の研究も、悪夢の侵略も、その全ての中心に居た1人の男に向かって。
「そう思いたいならそう思えばいい。
確かに、私は全ての悪を束ねる事ができ、この国の裏全てを動かす事ができた。
そして、事実人々を苦しめていたのは私だ。
故に、私が死ねばこの国は大きく変わる」
男は認める。
直接的にでも数千人、二次的な被害なら数十万にも昇るだろうここ数年での国内での死者の数。
その全てが自分によるものだと。
自分を倒せばこの戦争は終わるのだと。
青年の剣を腹に受け、死に瀕する中でありながらハッキリと、そしていっそ美しいまでの闇色を放ちながら。
しかし、その言葉には続きがある。
「だが忘れるな。
今回はたまたま私が中心という位置に居ることができた、だから私なのだ。
私である必要などどこにもなかった」
「なにっ!?」
「お前はこの後、英雄としてあの姫君との婚礼も可能となるだろう。
だが、そもそもこの国の発端は英雄によるもの、王族は英雄の末裔だ。
その英雄の血を引いていた王、そして英雄の仲間の子孫である筈の貴族たちがこの国を運営し、この戦争に至った。
お前達の子孫も、世代を重ねれば同じ事を繰り返す。
いや、世代を繰り返す必要はないな、お前の代でも十分堕落し得る」
男が語るのはこの国の歴史。
歴史書の中にも刻まれている正しい歴史だ。
そして、政治にも利用されてきた真実。
この国の、今回の戦争を起こし、人々を苦しめていた者達を操っていた重役達は殆ど、英雄の末裔だった。
真っ直ぐな志と、清き心を持って精霊の加護を得たという英雄達の血を引きながらの悪行。
勿論、精霊にはとうに見放されていたが、それでも、世代を重ねる人間が、その志を継ぎ続ける事ができなかったという証明がここにある。
「そんな事は俺達がさせない!」
しかし、青年は叫ぶ。
男に顔を突きつけ、闇に見入られかねない男の瞳を真っ直ぐに見ながら。
「どうやってだ?」
「お前が居るからだ!」
「なに?」
「そうだ、幸いにもお前が居る。
お前という最高の反面教師が居る。
お前の事は歴史に語り継がれる。
この国の歴史に、永遠に書き残してやろう。
この国で何が起き、どうしてこうなったのか。
そして、それらの結末がなんであるか、その事実を書き残し、俺達は伝えてゆく」
「歴史など、後にいくらでも改竄される。
当事者がいなくなれだ、誰も修正できないのだから。
いや、当事者もまた改竄する。
自分達の都合の良い様に」
男が言う言葉は事実だ。
そうして、改竄された歴史書を用い、この国はここまで堕落してきたのだから。
歴史書は真実とは限らない事は、青年達こそよくしる事実。
「ああ、そうだ。
どんな方法でも抜け道が存在する以上、絶対はない。
だが、考える、これから俺達は、それをさせない方法を考案してみせよう。
それに、最悪それが叶わなかった時の備えは既にある。
俺達は精霊の加護を受け、それに俺達の仲間にハーフエルフが居る。
彼等は嘘をつかづ、俺達より遥かに長く生きる事ができる、彼等なら正しい歴史を遺せるだろう」
「なるほど、異種族を利用するか。
それも方法の一つだな。
ハーフエルフの方は殺してしまえばいいが、精霊はそうもいかない。
数百年はそれで保てるだろう。
その間に、せいぜい平和を保ち続ける方法を必死に考えるがいい」
「言われなくとも、俺達は何時でも命掛けだ!
この世界は、そんなに優しく無い事は知っているからな」
最後に、少しだけ悲しげな顔をして、青年は男の腹から剣を引き抜いた。
男の腹から血が流れ、床が紅く染まる。
今まで散々不可思議な術で逃げおおせてきた男だが、人間である限りはもう助かるまい。
「そうか……
では、あがき続けるその姿、地獄からずっと見ていてやろう!」
そう言って、男は黒い炎を自らに放ち、笑いながら自らを燃やす。
骨すらも殆ど残らぬまま、確かに死んだ証だけを遺し、男はこの世界から姿を消す。
だが、その在り方だけはこの国の歴史に永遠に記され続けるだろう。
それが男の道の一つ。
影ものこさず、しかし影響だけは残し続ける名も無き彼のやり方。
闇を全て晒し、打ち倒されるべき闇として、『悪』を示し続ける存在。
そんな交差してはいけない2つの道に別たれた2人。
もう、2度と交わる事は無いとされた想い。
それが、今―――
ズダァァァァンッ!!!
戦いの終わりを告げる音が響いた。
それは森の中に留まらず、島中にまで。
そして、森の外れにその音を聞く人影が2つあった。
「ああ……これで……」
少女は涙を流した。
それは過去を知るが故に悲しげに。
だが同時に、それでも1人の少女として幸いだとして。
「くっ、こんな……なんたることだ……!」
対し、青年は純粋に口惜しげだ。
己の事ではないが、彼等2人を知るが故に。
「俺は一時消える。
嬢はどうする?」
望み、焦がれ、見届けたいと願った戦いは終わり。
今この場では何もできない事を知っている。
故に、少女もそう思うならと声をかけた。
だが、
「私は行きます。
こうなったからこそ、私にできる事がある筈ですから」
少女は力強くそう言って森の中に目を向ける。
戦う力など無い筈の少女が、それでもこの森の中を目指すと言うのだ。
「そうか。
なら、がんばれ」
「ええ、またねスギナミ君」
「また今度、コトリ嬢」
青年、スギナミは一度微笑んで、次の瞬間にはいなくなっていた。
今この場でない戦いの為にここから去ったのだ。
そして、それを見送った少女、コトリは森へと入る。
今この場において何かを成す為に。
時を僅かに遡り、2人の男が決着をつける少し前。
森の中央の黒き桜に直接アクセスして作業を進めていたサクラが気付く。
この後事態の急転に繋がる状況の変化に。
「あれ? これって……」
この森の魔法システムである中央の桜の大樹。
その末端となる数多の桜の木々。
その末端システムが起動し、中央システムへのバイパスが開放されてしまっているのだ。
侵食された黒い桜ではなく、まだ4割残っている正常な桜の方がである。
「まさか抜けてくるなんて……
流石というべきかな」
何重にもプロテクトを張り巡らせ保護してあるシステムに介入している勇者チームと侵入者チーム。
だが、今ここで管理者たるサクラが直接操作をしている限り外で何をされても問題は無い。
「うん、大丈夫だよね。
早く終わらせよう」
そう思い、彼女達を無視して作業を続けてしまった。
この状況が悪化に繋がるとしたら、それは魔王クラスの瘴気がこの場に発生する事くらいだ。
だから、サクラは理論的にありえないとし、作業を続けてしまった。
端末を起動し、回線を開放した彼女達への対応を何一つする事無く。
そう、本来なら在り得はしないのだ。
この島にいる人の人数はミズコシの屋敷にいる者達を合わせても20人程度。
村の人口にすら程遠い人数で、魔王の放つ瘴気を生み出すなど。
本来ならば―――
だが、それは―――
同時刻、森にいるアキコ達は森の桜が持つ機能の解読を完了させていた。
そして、同時に、そこに流れ始めたものに。
「これは……まさか!」
アキコ達が開いたのは中央への通路だ。
その前の玄関といえる機構も開けていないし、中央区画の封印にも触れていない。
それなのに、その両方が開放され、今開いたこの通路を通って何かが流れた。
「そんな筈はありません!
だって、これに流れるのはもっと……
それに、これはどこから」
それに、今ここに流れるものは何だというのだろう。
端末は起動したといっても、その効果範囲はまだ島の中。
いや、この森の中でしかない筈だ。
それなのに、これは。
「ユウイチ……」
マイがユウイチと勇者が戦う方を見る。
そして、同時に気付いた、周囲の異変に。
「な……」
黒い桜が舞っていた。
周囲一体全てに。
確かに、そう確かに数秒前までは、ここは境界線だった筈なのに。
同じ頃、セリカ達も異常を気付いた。
「……」
「まさか! そんな!?」
セリカとアヤカは森の中央に出現した気配に驚愕の声を上げる。
それは、在り得ないもので、在ってはならない筈のもの。
2度とこの世に姿を現さない様にした筈のものだ。
「データ称号……97%一致しました。
3%程の差異がありますが、あれは……」
セリオの分析でも証明されるソレは、突如出現した。
召喚ではない。
どちらかというと、『発生』に近い形でそこに出てきたのだ。
「ここのシステムは『夢』の回収の筈。
それが何故……
まさか―――」
ソレが出現したのは森の中央。
この森の魔法システムがある場所であり、システムが収束する場所で。
つまりは、収集したものが一時的に溜まる場所。
システム本体であり、今は黒く堕ちた桜の巨樹。
「私達のせいって事?」
アヤカは呟く。
なぜなら、ソレが出現できる理由となるのは自分達しかいないのだから。
「冗談でしょ……」
サクラは在り得ないものを見るように呟いた。
いや、実際理論上は在りえなかったのだから、それも仕方の無い事かもしれない。
「サクラ! 森の侵食率が80%を越えたわよ!」
「サクラさん、この空間にまで余波が!
このままでは通常空間に戻れなくなってしまいます!」
背後で聞こえる悲鳴に近い2人の報告。
ここまでくればもう大丈夫だと思っていた状況からの反転。
最終手段を発動させても間に合うかという状況にまで陥った。
「くっ!
お兄ちゃん!」
呆けていたのも僅かな時間。
すぐに、今できる最善の手段をとるために兄に呼びかけた。
「利用された挙句に邪魔をされ……
そして具現しやがったか」
忌々しく思いながら森の中央を睨むジュンイチ。
サクラからの呼びかけがあったのは、ちょうど見ていた私闘の最後の一撃の所だった。
そして、今、かの2人の戦いは終わりを告げた。
それと同時だった。
オオオオオオオオオオオオオオオッ!!!
森に獣の咆哮の様なものが響いた。
破滅を告げる、絶望の産声として。
ズダァァァァンッ!!!
森に音が響いた。
戦いの終わりを告げる音が。
そして、その音は同時に―――
「……」
「……」
交わっている筈の2人の視線は行き違い。
互いの背に居る黒い影を見ていた。
そして、互いの一撃は、その影に向けられている。
そう、互いの背後から不意打ちをしている相手にだ。
「じゃ、ま、だぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「じゃ、ま、だぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
相手が何者であるかなど関係無い。
決闘を汚す愚か者への処罰なぞ、極刑をもって然るべきものだ。
よって、2人は相手がなんであるか、究明する気など一片もない全力を持って乱入者を滅殺する。
そう、先の音が告げたのは決闘の終結にして。
決着が消失した音であった。
「がはっ……はぁはぁはぁ……」
「ぐっ……」
『何か』を倒し終え、再び対峙する2人。
だが、既に両者満身創痍、瀕死の重体。
仕切り直しは不可能と言っていい。
最後の一手として放たれた一撃は空しい結果となった。
なんたる無念か。
全力をもって乱入者を消し去ったところで、一片も晴れる事はない。
奇跡的な巡り合わせで実現したせっかくの決着のチャンス。
それが、無へと消えたのだ。
「ぐ……」
「く……」
2人は睨み合う。
この想い、どうすれば良いのだろうか。
たとえ次の一撃で確実に死ぬことになり、相打ち、両者死亡という結果以外無くとも、それでも決着をつけるのか。
「……」
「……」
だが、暫く睨み合った2人は、歩き、近づき。
そして、
「……」
「……」
すれ違った。
両者は歩き進む。
己が仲間の下へと。
しかし、
「おい」
この闇のなか、互いの姿は既に見えない。
そんな距離まで離れた所で、呼びかけた。
「預ける」
「ああ」
ただそう言葉を交わし、今度こそ2人は立ち止まる事も、振り向く事もなくその場を去った。
決闘を中断され、アキコ達の下へと戻るユウイチ。
だが、その体は死に体と言っていい。
しかし、全身に刻まれた魔導刻印がユウイチを死なせはしない。
ギリギリ死なない身体で、精神力だけで稼動させる。
『状況』
『既に森の8割が侵食された模様です。
しかし、それに伴い瘴気は中央に集中。
懸念していた事態になりました』
既に解っている事。
その確認を念話でアキコにとる。
本来なら、こうなった時の為に中央付近に居たはずのユウイチである。
だが、
『原因は俺だな』
『……はい』
『そうか』
静かに問い。
アキコの肯定の返事を待ち、答えを貰った後も静かだった。
そう、静かに思い出す。
先の戦いを。
戦った事に後悔は無い。
しかし―――
『もう、具現してしまっているな』
『はい』
『そうか……それは好都合だ』
ユウイチはそう言って、一度森の中央を睨む。
そう、具現してしまったなら作戦を変え、むしろ有効に利用しよう。
だが、それにも準備が必要だ。
『封印結界の準備をしておいてくれ』
『了解』
念話を終え、ユウイチはアキコ達の下へと急ぐ。
結果として起こしてしまったこの事態を解決する為に。
闇の染まった森の中を走るのだ。
『やはり、俺のせいか』
『はい、残念ながら』
ヒロユキはセリカ達の下へと移動しながら回復魔法を自らにかけていた。
そして、自分自身が起こしたこの状況の確認をとる。
『ならば、責任をとろう。
封印結界の準備』
『了解』
最悪の事態に備え、いくつか用意してきた対策。
そのひとつを実行に移す。
この身、この魂が起こしたという事態であるならば、己の全てを持って対処する。
もうその資格は無いかもしれないが、必要なら勇者としてでも。
動いていた。
3つのチームはそれぞれに。
在り得ないと思っていたもの。
止められた筈のもの。
起こしてしまったもの。
そして、出現してしまった倒すべきものへの対処として。
3つのチームは各々最善の行動に出る。
だが、考え付いた方法は同じで。
やり方もほぼ同じであり。
場所もこの場所でしかない。
ならば―――
「いけない!」
森を走るコトリは叫んだ。
なんとか標的を絞り込み読み取った3人の意思を聞いて。
「ここまできて、これじゃあ」
コトリは己が出しうる全力を持って走る。
闇に染まった森の中を。
魔曲を使える以外、一般人とさして変わらぬコトリにとっては窒息しそうな場所であるのに。
それでも、ペース配分すら考えず、ただ全力で向かう。
「駄目だよ、バラバラのままじゃ!」
目的は同じ。
敵では無い筈の者達。
それが、何故。
運命の悪戯と呼ぶにはあまりに残酷で。
あまりに不幸だ。
だが、それを変えられるとしたら、もうこの時をおいて他に無い。
ユウイチはアキコ達と合流し、封印結界の準備を始めていた。
やり方としては、この森自体が外から『夢』なるものを収集しようとしている機能を反転。
内側からエネルギーを吸い出す。
そして、そのエネルギーを再び木々を介さず、直接中央に向けて放ち、衝突、相殺させるという攻撃性を持った結界を構築している。
尤もこの場合、同じエネルギー同士をぶつける事になるため、一歩誤れば増幅させてしまう危険もある。
しかし、その手段を選んだのはユウイチ。
そして、それをサポートするのは実経験を十分に積んだ一流魔導師3人。
相殺消滅までとはいかなくとも、増幅させるような間違いは起こさない。
他の一流クラスの結界が邪魔をしなければの話であるが。
「よし、ではかかるぞ」
前準備を終え、結界設置にかかろうとする。
その時だ。
「ダメです! ユウイチさん」
名を呼ばれる。
親から貰い、嘗ては多くの友にも呼ばれた筈の本当の名を。
もう、拠点と呼べる結界内で、アキコ達にしか呼ばれる事の無い筈の名を。
「コトリ……」
その名を呼ぶ少女の名を呟くユウイチ。
この闇の具現と化した森の中。
常人では呼吸すら困難なこの場所を駆け抜け、訪れた少女。
そして、わざわざ名を呼んでまでユウイチの行動を止めるその真意。
ユウイチには解っている。
だが、それに対する答えはもう出ている。
故に、ユウイチは少し悲しげに少女の名を呼ぶのだ。
しかし、
「あの時の応えを否定しにまいりました」
少女は言う。
あの夜、現実として出された答えは間違いであったと。
違う回答が存在すると。
あの夜、その回答の為にユウイチがどんな目にあったかも承知の上で。
なお、少女は言うのだ。
「……」
「……」
「……」
ユウイチの背後に立つアキコ達は、殺意を隠そうともしていない。
ユウイチの制止が無くなれば、即座に目の前の女を斬って捨てるつもりだ。
いや、もうユウイチの目に触れる事の無い様、肉片すら残さず消滅させる気である。
「だが、現実俺達とアイツ等はバラバラだ。
それをどうすると?」
ユウイチは問う。
迷い無く告げた少女に。
現実を打ち砕きて進む方法を。
いや、その答えもユウイチは解っている。
だが、それには本人の強い意志が必要不可欠だ。
だから、問う。
少女が見つけ、今辿り着こうとしている応えを。
「私を信じてくださいますか?」
ユウイチの問いに、少女、コトリは問いで返した。
両手を差し伸べて。
相手を抱きとんとする様に。
それは待つ行為だ。
自らここに来ながら、相手を待つという答えを出した。
だが、それも然り。
何故なら、ユウイチ自身の意思こそ無ければ始まらないのだから。
ここから始めるのだと。
「信じよう」
ユウイチはコトリの手をとる。
それが自然であるかの様に。
それを自然とする為に。
『アサクラ君、フジタさん』
声が響いた。
心に直接。
歌を媒介とした声が。
『コトリ!』
『コトリ!』
その歌の発信源に同周波数の念を送り、リンクを確立するヒロユキとジュンイチ。
こんな状況の中、魔曲が使用できる以外は一般人でしかない彼女と。
先日、完全に敵対したと言ってよい彼女とだ。
しかし、今は無理でもいつか話をしたいと思っていたのは両者同様の事。
そして、こんな状況下、彼女からこんな方法で接触してくるからには意味があると知っている。
『結界構築について提案があります。
まず、こちらには、内部相殺消滅誘導型封印結界の準備があります』
そう言葉で伝え、協力を要請するコトリ。
その結界の用意というのが誰のものであるか。
そんなのは言わなくてもヒロユキとジュンイチには解っている。
時間が無い故、言葉にして伝えず、協力してくれると信じてただ要点だけを伝える。
『いや待て、内部反転型は拙い。
今このなかで渦巻いているものの性質上、増幅はすれど消滅はしない』
協力はともかく、使用する結界の種類に異議を唱えるジュンイチ。
この島の管理者故に持ちえる情報をもって。
そして、その情報を流しながらの異議だ。
この情報が他の者達に見られる事も承知の上で。
コトリはジュンイチが流してきた情報を理解する魔法の理解能力は無い。
故に、それはそのままユウイチとヒロユキに流す事になる。
『だからこそ、反転式をこうしている』
ユウイチが己の展開しようとしている結界の構築式を流す。
ユウイチ達が独自に開発した結界だというのにだ。
魔導師にとっては秘伝とし、子孫にのみ遺す様にしてもいいくらいの高等魔導技術であり、彼等が得てきた技術の集大成だ。
『それならばこちらの結界、転移消滅式を加えれば、力を殺ぐくらいはできるだろ』
更にヒロユキサイドの結界の構築式も流れる。
こちらに至っては嘗て勇者として動いていた頃、魔王に使ったものの改良版である。
『何時の間にそんなに準備を……
それなら、今あるその2つ式を変換し、こちらの結界を基盤に乗せて、消滅は無理でも確実に抑える方法を提案する』
3人は話し合う。
そこにはコトリが仲介として在るが。
それでも、確かに3人は承知の上で、先ほどまで殺しあっていたはずの相手と協力しようとしていた。
『よし、では、この式で行こう』
『その式で問題はない』
『では、そちらの変換を頼む』
『いいだろう』
『承知した』
現実時間にして僅か数秒で話はまとまった。
そう、協力という体勢をもって事態に臨むことが決定したのだ。
そして、3つのチームは動いた。
即座に。
最適なる対処法をもって。
だが、動いたのは3つのチームだけではなかった。
この闇の中、通常の念は乱れてしまう故の歌による通信。
それを傍受したものがいる。
そして、それは動く。
闇に形を与え、この森の中、まだ希望を持った者に絶望を与える為に。
「ほぅ……」
それは現れた。
闇しかないこの場において生えるかの様な形で。
「へぇ……」
それは姿を持ち、現れた。
勇者達にもっとも絶望を与えやすいだろうという選別の下に。
「はぁ……」
その姿を見るヒロユキ達の反応。
それはほぼ同一のもの。
「私はなんとも」
ただ1人、直接戦った事のないセリカだけはノーコメントとしている。
ヒロユキ、アヤカ、セリオの反応は『怒り』であり、同時に『呆れ』というものであった。
ザッ
姿を持ったソレは、大剣を構えてヒロユキ達を取り囲む。
己の身長と同等の大きさを持つ大剣を。
「そうか、確かに俺達にとって悪夢だな」
既に闇に支配された森に力技で転移の門を開き移動したジュンイチ。
だが、その先は既にソレ等によって囲まれていた。
「ふぅ……かったるい」
ジュンイチは一言そう言って、前に出る。
大剣を構えるソレ等が居るのをまるで無いかの様に。
「……はぁぁぁ」
大きな溜め息を吐くユウイチ。
出現した、ソレ等を見て。
「……勝率からでしょうか」
「確かに、相対的に見て一番でしょうからね」
「馬鹿?」
対し、アキコ達はいつも通りの顔だった。
表面上は。
『まだ本体の方も意思を持って間もないから、というところでしょうか?』
歌い続け、3人とのリンクを維持をしているコトリは、歌に込めた念として感想をユウイチに伝える。
ソレ等に完全に包囲されているという状況でありながら、コトリすら慌てる様子は無い。
それはユウイチ達と共にいるというのもあるだろう。
しかし、たとえコトリ単独だったとしても、きっと慌てふためく事もないし、恐れる事もないと断言できる。
ヒュンッ!
風を斬る音が響く。
そして、その一瞬後、出現したソレの眉間に小刀が刺さっていた。
まるで、初めからそこに在った様に。
バシュッ!
ユウイチの外見をしていた闇が消えていく。
人の姿をとり、能力をコピーしていたのだろう、それ故に人と同じ死の概念に囚われ、消える。
「こんなアッサリ……侮辱にも程があります」
「消す」
投擲一発でアッサリ倒れた、ユウイチの偽者のつもりであるソレ等に、滅殺の意思を燃やすアキコ達。
その意思はユウイチの傍に居る者なら当然といるだろう。
アキコの投擲ひとつで倒れるあまりに脆弱な存在。
そんなものがユウイチの姿をしているのだ。
彼女達にとって、侮辱以外のなにものでもない。
確かに、ユウイチはこの森において最も勝利をおさめ。
確かに、勇者達の心を乱し。
確かに、管理者達の悪夢であった。
が、その強さの由縁を知らずに、ただ殻だけをコピーして何の意味があろうか。
ヒロユキとジュンイチとリンクしているコトリに、アッサリ倒されるユウイチの偽者もどきの情報が流れてくる。
同時に、己があれだけ苦戦した奴の偽者が弱すぎる事に憤るヒロユキ達の感情も。
「まあ、好都合っちゃ好都合だがな。
しかし、邪魔には変わらない。
俺が囮になろう」
敵は弱い。
アキコ達ならば何人同時にかかってこられようとも負ける事は無い。
しかし、相手はこの闇の中で無限に出てくると考えていい。
現に、今倒した筈のユウイチの偽者もどきがまた出現してきている。
倒すのは簡単だが、これでは作業に支障をきたす。
『囮って、中央に向かうって事ですか?』
『ああ』
無限であろう敵の出現も限界数がある筈である。
その証拠に、一度偽者もどきを倒してから次の出現までに少し時間がかかっている。
ならば、ユウイチがこの場からはなれ中央区画に向かえば、その迎撃として幾らかはユウイチに回る事になる。
どれほど軽減できるかは不明だが、効果はある筈だ。
『もし、無視されたら?』
『その時は、俺が全てを終わらせるだけだ』
コトリとユウイチは歌に乗せた念話として話している。
同時にこの会話の内容はヒロユキとジュンイチにも流れている。
いや、正確には流しているのだ。
敵に傍受させる為に。
「コトリを頼む」
「了解しました」
そして、ユウイチは単身森の中央へと進む。
闇に染まり、今目覚め形を持ったばかりのアレがいる中央へ。
もう一つの鍵としている大長剣を持って。
森のある場所で結界設置をしているヒロユキ達。
設置作業はセリカのみで、残り3人はその護衛としていた。
だが、ここへきて、3人も護衛がいらない事に気付いた。
「……敵の数が減ったな」
雑魚とはいえ、作業中のセリカに近づけないよう戦う為、3人の護衛が必要であった。
だが、敵の出現数の減少により、あと1人くらいなら作業に回る事が可能そうである。
「じゃあ、ヒロユキよろしく」
「これくらいなら、私とアヤカさんだけで十分です」
「ああ、任せた」
護衛をアヤカとセリオに任せ、ヒロユキも結界構築の作業に入る。
これで事前作業が少なかったヒロユキ側の結界の完成速度もほぼ他の個所と同じになる。
結界完成まであと一歩の所まできていた。
その頃、森の中央に向かったユウイチは囮としての役割を確かに全うしていた。
ユウイチが立つ周囲には、闇で構築された人形が囲んでいる。
だが、その姿はユウイチの外見をしていなかった。
それどころか、どれ一つとして同じ形をしておらず。
また、どれもどこかで見た形をしていた。
「ほぅ……なかなか
ユウイチは笑う。
形を持ってユウイチを囲むその闇達を見て。
『ドウシテ、タスケテクレナカッタノ?』
リボンを着けた幼女の姿をした闇はユウイチに問う。
まるで、己がかの少女であるかの様に。
『ドウシテ、ワタシヲコロシタノ?』『ドウシテ、キテクレナカッタノ?』『ドウシテ、ワタシヲミステタノ?』『ドウシテ……』
無数の影達が問う。
ユウイチの過去に。
ユウイチの行いに。
「どうして?
そんなもの、決まっている」
笑いながらユウイチは大長剣を構える。
そして、
ザシュッ!
目の前に立つ少女を真っ二つにして応えるのだ。
「俺が弱かったからさ。
あの時も。
今も!」
ブンッ
剣を振るう。
ユウイチが過去殺してきた少女達の姿をしたソレ等に。
剣を振るう事で過去の問いへの応えとする。
共同作業開始から約5分が経過した。
森での作業は終え、屋敷でシステムの最終チェックに入っていたジュンイチ達。
森での作業は敵の減少によって直ぐにすみ、他の個所が終るまでチェックをする余裕ができていた。
「よし、完璧。
そっちはどうだ!」
念をコトリに送り、確認を取る。
既に森を乗っ取られているに等しい状況なので、ここの管理者でありながら、コトリがいなければ通信もできない。
そう言う意味でも、この共同作業にコトリは不可欠な存在だった。
(確認……全個所の設置完了)
今は機械的に返答を返してくるコトリ。
だが、それでいい。
今は他の2チームとの作業なのだから。
「よし、起動するぞ。
サクラ!」
「いっくよー!」
キィィィンッ!
本拠点である、この屋敷のコントロールルームの中央の制御魔法円陣の中央に立つサクラ。
今張ろうとしている結界は、この森の基礎魔法システムそのものの中に構築している。
故に、内部から破られる事は在り得ない。
そんなことをすれば、具現したものは消滅せざるを得ないからだ。
だが、既に9割オーバーが侵食され、制御から離れているこの森。
その基盤に手を出す事は管理者であるサクラでも力技を必要とする。
「バックアップ開始」
それを補佐するのは、ジュンイチ。
元より、サクラの為の演算補助と魔力供給を担う者。
2人の力を持って、やっとシステムの起動までもっていける。
(両陣営の結界システム正常起動を確認)
そこへあの男のチームと勇者のチームの結界構築と魔力をプラスする。
内外複合封印結界。
永続とはいかないが、魔王級の存在でも最低10日は封じられる程の強力な結界となる。
カッ!
ここの魔方陣が一際強い光を放つ。
そして、今この森の中央を中心として膨れ上がる球形結界と、島全体を覆う大きさから収束する球形結界が動いている筈だ。
この2つが重なった時、結界は完成する。
故に、その前に、
「ヨリコさん! コトリの下へ!」
「了解!」
ヨリコに呼びかけながらジュンイチは玄関に走る。
この別位相空間にある屋敷と、通常空間を繋ぐ出入口へと。
これは内部から構築した結界である。
そうすると、構築した者はどうなるか。
結界タイプによるが、この結界は封印結界。
完成したら、もう内部からの脱出は不可能になってしまう。
だからその前に、全員で脱出する必要がある。
「座標固定しました!」
「よし」
バンッ!
扉を開くとそこは闇が荒れ狂う森の中。
結界を構築した場所の一つ。
あの男達のチームが居る場所であり、今コトリが居る場所である。
「コトリ!」
「アサクラ君」
そこには、コトリと、彼女を護る様に立つ3人の女性がいた。
あの男の連れていた3人だ。
「早く! 時間が無い」
「ええ。
皆さんも、こんな所では死ねないでしょう」
ジュンイチの言葉でコトリが門を潜り、そこからコトリが3人を招く。
「……」
「……」
「……」
3人は、何も言う事なく、門を潜った。
ジュンイチを警戒しながら。
いや、コトリにも警戒を向けている感じがある。
バタンッ!
扉を閉め、通常空間と一時隔離する。
だが、今はそんな事はいい。
今は全員が無事に此処を脱出する事が先決。
「コトリ、勇者達の座標を」
「はい」
最後まで勇者とリンクしていたコトリから、今勇者達のいる正確な座標を受け取る。
それをヨリコに転送し、その場所と繋げる。
「座標固定しました!」
「よし」
バンッ!
再び扉を開けばそこはまた別の場所。
そして、勇者達が目の前に居る。
「脱出します、早く!」
「おう」
コトリの言葉に4人は速やかに門の内側へと入っていく。
全員が入るのを確認し、ジュンイチは扉を閉めた。
バタンッ!
再び空間を隔離し、通常の空間から切り離される。
これでコトリと勇者のチームとあの男のチームの女性陣の回収が終った。
後は、
「アサクラ君、彼の所へ!」
「ああ、解ってる」
最後、囮となって中央に向かったあの男。
囮となり、囮が成功したあの男の所だ。
つまりは、周囲に敵を抱えている可能性が高い。
それどころか、中央近くにいるとなると、ここの扉でいけるかも怪しい。
「ダメです、ジュンイチさん。
その座標へは跳べません!」
案の定、ヨリコから返って来たのは座標固定不能という事実。
よって、回収不可能。
あの男を待っていたら、全員が結界内に取り残されてしまうのだ。
だから回収不可能として、あの男を見捨て、退却するのが普通だろう。
「ジュンイチ君」
ジュンイチを見るコトリ。
ああ、2日前なら迷う事なくそうしただろう。
だが、もう違う。
「ヨリコさん、俺の魔力を使っていい! 無理やりでも捻じ込んでください!」
「了解! 行きますよ!」
ギギギギッ!
体の力が抜けていくのと同時に、扉がイヤな音を立てる。
空間を無理やり接続しようとしている為だ。
「強制固定完了! 短時間で済ませてください!」
「ああ!」
バンッ!
ブワンッ!
扉を開けると、そこは闇の嵐が吹き荒れていた。
呪いそのモノである黒い風が渦巻き、とても人が生きていられる場所ではない。
「くっ!」
何とか目をあけ、扉の先を見るが、そこに人は見当たらない。
闇が濃すぎて、あの男を見つけられない。
それどころか、そこにまだ生きているなどとは考えられなかった。
通常の人間ならば、であるが。
それでもあの男が生きているだろうが、これでは声も届かず、見つける事も出来ない。
(どうする!)
ジュンイチは迷った。
生きているかも解らない。
一番近くに繋げた筈なのに、何処に居るかも解らない。
こんな闇の中では探しに出る事は不可能。
そして、時間は無い。
全員の安全の為に、ここは―――
バッ!
ジュンイチが考えているその横を、細い腕が通り過ぎる。
コトリの腕だ。
コトリは門の片手を掛けて、ギリギリ門から身を乗り出し、闇の中へと手を伸ばした。
ジュッ!
この闇は呪いそのものだ。
人が触れれば精神を介して肉体にまで即座に影響を及ぼす程の。
故に、そんな中に手を突っ込んだコトリの腕は腐食していく。
だが、それでもコトリは手を伸ばす。
「っ! ……ゥイチさん!」
そして、何かを掴んだ。
が、引き上げるには力が足りない。
ジュンイチは手伝おうと思考する。
だが、先の魔力吸引により力が思うように入らない。
バッ!
その横を更に腕が通り過ぎた。
この腕は。
「貴方なら振りほどけない訳無いでしょ!」
勇者の一員、アヤカ クルスガワ。
闇の中にいるあの男に叱咤を飛ばし、コトリの腕の更に先にいるあの男を掴み、引き上げる。
闇が2人を蝕むが、2人とも気にもとめていない。
が、それでも引き上げられていない。
闇があの男を捕らえているのだ。
しかし、その時だ。
「失せろ」
声が響いた。
ただ深く、静かに。
ブワンッ!
ただそれだけだというのに、男を取り囲んでいた闇が消える。
見れば女性の形をした影もあった様だが、それすらただ一言の言葉で崩れて無くなる。
そして、闇の戒めを解いた男は、2人の手で門の内側へと入った。
「まったく、無茶するお嬢さん達だ」
そう苦笑しながら。
自分が闇の中から生還した事など、なんでもない様に。
実際どう言う訳か男は呪いによるダメージをほとんど負っていない様だ。
この呪いの海で、一体どう言う意思力なのだろうか。
バタンッ!
それを横目で見ながらジュンイチは扉を閉めた。
目の端に一瞬だけ、勇者も苦笑しているのが見えた。
それは、兎も角、
「ヨリコさん!」
「離脱します!」
森にいた全員が揃い、この屋敷で脱出する事に成功した。
闇に満ちてしまった森の中から。
森からヨシノ邸で脱出し、位相空間に移動する。
通常空間では今ごろ結界が完成している筈である。
「結界構築による空間の乱れにより、通常空間への脱出は30分後になります」
この屋敷のメイドにして、ヨシノの使い魔、ヨリコが報告を上げる。
ヒロユキとユウイチにも聞こえる様に。
そのヒロユキとユウイチはというと、それぞれアヤカとコトリの治療を行っていた。
「表面だけね」
「ええ、なんとか」
どうやら、ヒロユキがアヤカが動くと同時に保護魔法をかけたらしい。
それでアヤカの傷は肉体面に出てしまった火傷の様なものだけ。
今、セリカの回復魔法で治療され、跡形もなく消えるだろう。
問題は、コトリの方だ。
ほぼ一般人でしかないコトリが何の準備もなしに、呪いの海たる闇に手を突っ込んだ代償は大きい。
闇に手を伸ばした右腕、あの白く美しかった指先から肩にかけて、見るも無残な姿となっている。
腐食か燃焼に近い形の呪詛侵食を受け、辛うじて原型を留めているに過ぎない。
更に、顔の右側も闇に触れ、焼け爛れた様になってしまっている。
普通の乙女なら自殺しかねない程、女性として致命的な外傷を負ってしまっている。
それもそれは肉体だけでなく、精神から呪いによってなったものである。
こんなになってまでもユウイチを引き上げようとした意思力は賞賛に値する。
だが、この傷は通常の方法では治癒できず、傷痕としても残ってしまう。
通常の方法では、であるが。
マイに警戒させる影でコトリの治療を執り行う。
まず、闇に触れている部分を露出させ、状態を調べるがかなり悪い。
このまま放置すれば腕から腐り落ちて死に至る。
あまり時間をかけるのも拙い。
「かなり痛いぞ」
先にそう宣言し、液体の薬を取り出す。
アキコとサユリに押さえさせ、患部に浴びせる様に振りかけていく。
ジュゥゥッ!
「ぅっ、ああぁぁぁっ!」
焼ける様な音とともに振りかけた薬が患部に触れた瞬間蒸発する。
それがどう言う痛いみになるのか体感したもの以外解らないが、コトリはあまりの苦痛に叫ぶ。
本来美声である筈のコトリの声が、痛々しい悲鳴となって屋敷に響いた。
そんな行為を薬瓶にして8本分繰り返し、更に腕から肩にかけては白い布を巻き、それに薬を浸透させた。
それが終る頃には、コトリはもう声すら上げず、ただサユリとアキコに支えられて立っているだけだった。
辛うじて気を失ってはいない様だ。
いや、この場合気絶できなかったのは不幸だろう。
「コトリ、コトリ、飲めるか?」
「ぅ……あ……」
更にユウイチは別の薬瓶を取り出して、コトリに飲ませる。
ギリギリ意識があり、ユウイチの声が聞こえたコトリはそれを飲み干す事に成功した。
その後、顔にも薬品を染み込ませた布を当て、サユリに残りの治療を任せる。
「さて」
アヤカとコトリの治療の為、暗黙の了解としてあった、この場の休戦協定はここで無効となる。
ユウイチがヒロユキとジュンイチ達の方に向き直ると、2人も視線をユウイチに向ける。
今まで、コトリの方に向けられていた視線をだ。
因みに、ジュンイチは、コトリの治療をユウイチ達がやる事に対して、睨むに近い視線であった。
更には、コトリに悲鳴まで上げさせる様な治療をしたのだ、殺意すら飛んで来ていた。
尤も、自分達でも十分な治療ができるか解らないとちゃんと理性的に理解している。
だから、止めきれない感情をただ睨むだけで済ましているとも言える。
ヒロユキの方はというと、同じ様な視線であった。
だが、視線でいうならアヤカの視線の方が強かろう。
それも、アキコ達へ向けた視線だ。
「ちょっといいかしら?」
そして、アヤカは一段落したのを理由にその視線を言葉にする。
疑念と殺意さえ篭った言葉だ。
「何か?」
自分達への用件であると自覚しているアキコが、代表としてその言葉を受ける。
その問いも理解している上で。
「さっき、なんでアンタ達は手伝わなかったの?
そいつはアンタ達の仲間でしょう」
ユウイチが闇に捕らわれてたというのに、アキコ達は動く素振りすら見せなかった。
コトリがユウイチを掴んだ後もだ。
そして、その事に関してユウイチも何も彼女達に言わない。
それはどう言う事か。
返答次第では、仮初とはいえ休戦しているこの場で決着を求めるだろう。
「助けを求められませんでしたから」
返って来たのは至極シンプルな解答だった。
アキコは静かに応えた。
当たり前の事の様に。
いや、彼女達にとっては当たり前の事であるが故に。
「だから助けないの?」
「ええ。
そもそも、この人があの程度の闇に飲まれる訳ないじゃないですか」
絶対の自信だった。
事実として、ユウイチはあの闇の中にあってほぼ無傷だ。
いったいどれほどの意思力なのか、それとも何かの神秘か。
実のところはその両方をもって、ギリギリ耐えていたのだ。
呪いは詰る所、精神力の勝負だ。
それ故、ユウイチには滅多なことでは呪いはかからない。
そして、アキコ達も知らない事であるが、ユウイチは胸ポケットの品以外にもこの手の闇に対する防御を持っている。
それに、あの時ユウイチを捕らえていたのはユウイチの過去を再現しようとした偽者。
アレ程度ならば、ユウイチの個人の精神力だけでも、なんらダメージを受ける事なく数日耐え抜く事が可能だ。
だから、もしもの時はそれをカバーとして、闇の中に潜むつもりであった。
「じゃあ、なんでコトリを止めなかったの?」
ユウイチが助けを求めず、闇に潜むという作戦をとると解っているならば、コトリの行動は邪魔であった筈。
それなのに、3人は何もしなかった。
ただ、コトリを見守るだけで。
アヤカの問いにアキコは一度目を閉じ、答えた。
「それは、コトリさんだからです」
静かで、穏やかな言葉。
それは、コトリが闇に飲まれるのを良しとした訳ではない。
ユウイチは、自力であの闇を抜け出す事が可能だった。
しかし、己だけでは森から脱出は不可能で、脱出するならばジュンイチ達の手を借りなければならない。
だが、ユウイチは己の意思だけで皆が集まる場所には上がれないのだ。
自らがしてきた事はそう言う事であるが故に。
それを破れるとしたら、ユウイチを信じ、ヒロユキを信じ、ジュンイチを信じ。
また、ユウイチから信じられ、ヒロユキから信じられ、ジュンイチから信じられている人物。
同時に、それはユウイチがアキコ達へ出している暗黙の了解を破る事ができる者。
ユウイチをこの場、全てが集うこの場所に引き込むことができる者。
つまり、それはコトリであり、コトリしかいない。
もし、ユウイチを引き込むならば、それはコトリの手以外であってはならなかったのだ。
だから、コトリだから、あの行動が許された。
そして、同時に、コトリは責任として、アレをしなくてはならなかった。
ユウイチに、嘗ての応えを否定する為に。
「そう……
悪かったわ、貴方達の事に口出したりして。
ああ、どうぞ本題に入って」
アキコの答えの真意を察しアヤカは下がる。
ヒロユキに後を任せて。
アキコの答えの意味、その全てを解ったのはおそらくアヤカだけ。
だが、他の者達も解っている。
全てとは言えないが、その在り方を。
「ああ、では、本題に入ろうか」
アヤカが下がり、ヒロユキは一歩前に出る。
同様にジュンイチも一歩前に出て、ユウイチもその状態である。
そうして、各チームの代表としてユウイチ、ヒロユキ、ジュンイチが丁度3角形に立つ事になる。
そんな3人に各チームの女性達の視線が行き。
そして、コトリの視線も3人に向けられている。
眠ってしまえば良いのに、見届けるまで眠る訳にはいかないと、サユリに抱き起こされながら3人を見つめる。
「さて、どうする?
結界は完成し、後10日は猶予があろう。
ならば、緊急事態と言う事で結んだ休戦ももう必要なくなった訳だ」
「ああ」
「そうだな」
ユウイチの言葉に静かに同意する2人。
それは今この場において、先日までの戦いに対する制約がなくなったことを意味する。
「では、どうする?
通常空間への復帰まで後20分はある。
俺達を屠るには十分な時間だな」
切り抜ける自信はある。
そう言いたいのか、敢えて誘う様な言葉を口にするユウイチ。
背にコトリの視線が何かを訴えているが、それでも。
いや、コトリの言いたい事が解っているからこそ、やっておかなければならない。
何故なら、こう在るユウイチに対して、2人の意思が示されなければならないのだから。
「いや、そんな事はいい」
誘うユウイチに対し、ヒロユキはそっけなく答える。
そして、同意を確かめる様にしてジュンイチに目を向ける。
「ああ、争う理由は無い」
ジュンイチも同様に言葉にする。
戦う意思が無い事を。
先日、あれだけの殺意を向けながら、今はないと言うのだ。
「ほぅ、まあそれも良いだろう。
お互い疲れているしな。
ならば、その先はどうする? 俺達は俺達の目的を果たすだけだが」
仮にここでコトリが望む様な結果にならなくとも、ユウイチは戦い、勝利するだろう。
その為にこの島に来て、今まで戦い続けてきたのだから。
そして、本来のユウイチであるならば、それが正しい姿である。
だが、
「俺達とて、同じだ。
だから、ここで協力を願いたい」
ジュンイチは申し出た。
先日まで殺しあった相手に、協力を。
理由すら話さず、退かなければ攻撃をしてきたというのに。
それは調子がいいとも取れるが、今のジュンイチを見ればそんな気はしない。
それに、相応の事情であったと、調査結果などからユウイチもヒロユキも承知の上である。
もし説明して、ユウイチとヒロユキがこの最悪の事態を想定してしまったら。
悪夢を想い描いてしまったら。
それが、トリガーとなり同じ事が起きえたのだから。
「では、お前達は勇者達と頑張ってくれたまえ」
ジュンイチが求める協力者は勇者は勿論、ユウイチ達も含めている事は理解している。
だが、それでもまず拒絶の意思を示しておく。
背にコトリの泣きそうな視線が刺さる。
(解っているさ、コトリ。
少し落ち着けよ)
今コトリはテレパスすら使えない状態だ。
言葉にも出来ぬから、ただユウイチはそう背で語った。
「俺は貴方達にも協力を願いたい」
「俺達にも?
戦力的に勇者と組むだけで十分だと思うが?
そこにいるのは真実、『勇者』なのだからな」
「そうであったとしてもだ。
俺は勇者は勿論、貴方達の力を借りたい」
ユウイチの問いにも食い下がってくるジュンイチ。
強く意思を持って。
状況とか、そう言うのを抜きにしてもそう在りたいと願う想いが解る。
「それは何故だ?
俺という存在はお前達の見解で間違いないぞ」
ユウイチは悪である。
ヒロユキとジュンイチがそう判断した通りに事実として、悪行を重ねており。
事実として、闇の道を進む者である。
それは、どんな真実が隠されていようと変わらぬ事。
だから、ヒロユキとジュンイチのカンは正常である。
例え、そう仕向ける様なものがユウイチにあったとしても。
「いいよ、もう仮面を被らなくても。
勇者さん達ももうほとんど気づいてるし、私達も調べたから、知ってる」
そこへ、今まで代表たるジュンイチの一歩後ろにいたサクラが告げた。
その内容は全ての視線を集めた。
在り得ざる内容であったが故に。
「ほう、俺を知っているだと?」
サクラの台詞に、バカバカしいとばかりに笑みを浮かべるユウイチ。
ユウイチの本性をカンで読み取ったというのならまだしも、調べて知っているなどというのは在り得ない。
知られる筈がないのだ。
ユウイチの張った情報操作は完璧と言える程であり、自信があった。
それこそ身内が口を滑らせない限り知られる事は無いだろう。
だが、
「ええ。
私が使っている情報屋はスギナミだもの。
それを元に調べた。
もう、殆ど抹消されてしまっていた情報だけど」
「……ほぅ」
ユウイチの顔は、スギナミという名前が出た時点で笑みから余裕が消える。
ユウイチの、アキコ達と出会う以前の経歴も含め、ユウイチの在り方を知る者は、ユウイチの師とシグルドを除けば彼だけなのだ。
師が最も信用し、作戦行動中唯一使っていた情報屋、スギナミ。
彼には情報の抹消もいくつか頼んでいる。
もし、ユウイチのしてきたことを、本当に情報として流せるのは彼以外は無い。
残っている情報だけでは、絶対導き出せない様にしてきたのだから。
「一番最近のは、先のエルシア皇国の革命戦争。
その時の貴方の呼び名、ダークドラゴンを従えた仮面のダークナイト・ルーク。
それと彼専属の仮面の女暗殺者もついてたよね」
サクラの発言により、ユウイチから笑みが消え、アキコが殺気を放つ。
そして、その言葉には勇者達も反応した。
「ちょっと待て!
あの戦争時のダークナイト・ルークと言えば、皇国側に雇われて幾度となく英雄達の苦しめたっていう大悪党じゃないか!」
「確か、最後は死亡し、遺体も確認されてた筈だけど」
冒険者で、戦いで旅の資金を得ていたヒロユキ達。
当然各地での内乱、戦争の情報は仕入れている。
場合によってはその場に赴く事もある。
だが、その情報によれば、先にサクラが述べた名はその戦争での最大最凶の敵の名である。
ダークドラゴンを駆り、死霊の兵団と、謎の暗殺者を用い数多の革命の戦士達を葬った悪。
あの国の歴史上に置いて、最大級の悪とされる者である筈だ。
ユウイチが悪である事は事実であるとは思っていたヒロユキ達であるが、そのあまりの大きさに驚愕は隠せない。
だが、サクラは続ける。
それこそ、本当に知りうる筈の無い情報を。
「うん、確かにそうであり、事実。
でも、真実は違った。
だって、英雄側にいた魔導師サイと剣士マユ、それから拳士と弓士の女性。
英雄達を影で支え、実は英雄達よりも大きな戦果を上げている2人の存在。
かのダークナイトは、その4人と連携していた。
戦争を大きく見せる為、悲劇を大きく見せる為、被害を最小限に留める為に」
かの戦争のおり、確かにユウイチ達は連携をとっていた。
だが、殆ど事前に話し合った基盤を元にしたアドリブであり、連絡も最小限で。
その連絡も2人が最初から組んでいたと疑っていない限りはバレる筈の無い方法だ。
それを証拠に、かの戦争では両軍を渡る情報屋が数人いたが、誰も気づく事すらなかったのだから。
「魔導師と……剣士……」
ヒロユキはユウイチの背にいるサユリとマイを見る。
その外見的特徴は、情報にあるものと全く違う。
だが、もしそれが事実ならば、それも当然の事である。
変装も何もなしに、そんな大きな戦争で名を残す訳にはいかないのだから。
「死んだ人の人数、彼が殺した人の人数は、実は英雄が殺した帝国の兵士の数より少ない。
いかにも大虐殺をしましたっていう状況を造り、情報を流して演じていたけれど。
ダークナイトと戦闘をして死んだのは直接ダークナイトと切り結んだ一部の人だけ。
そして、最後に自らの死を演じて、全てをハッピーエンドで終らせた人。
それが、貴方」
サクラはユウイチを見る。
少し悲しそうな目で。
同様にして全員の視線がユウイチに集まった。
今の話を確かめる様に。
「……とんだ妄想癖もあったものだな。
こんな孤島に住んで現実を直視できなくなったか?」
まだ、ユウイチは鉄壁の演技を通していた。
サクラを見る目に迷いは無く、己が真実『悪』だと告げていた。
だからこそ、サクラは続ける。
「その前は東トルビナの内乱、リヒテル共和国の革命、ロジーナの内戦、ビスタ帝国の解放戦争……」
延々と反乱、戦争の名を並べるサクラ。
全て、話に聞く限りはハッピーエンドに終わっている紛争の名を。
多くを失い悲劇を生みながら、幸いの終演となった物語の舞台を。
そして、それは同時にユウイチの罪状である。
正確に、一つも欠く事なく読み上げられる地名は全て、ユウイチが悪行をなした場所だ。
「カノレリア王国の内戦、ステリジネイア帝国の革命戦争、レジーナの反乱……」
止まる事無く国の名を挙げていくサクラ。
そして、アキコ達の知らないユウイチの過去にまで到達した。
アキコ、マイ、サユリは武器を手に取る。
構えなくとも、次の瞬間には放てる様に。
「そして、ルーベラント革命」
サクラがそこで一旦言葉を止める。
止めたのには理由がある。
そこで、ユウイチにとっての罪状は終わりだからだ。
後一つ、挙げるものがあるが、そこではユウイチに罪はない。
それに、これだけは、スギナミすら詳細を知らなかった事であった。
独力のみで調べ上げ、辿り着いた一つの真実。
だから、一度区切った。
「……待て」
そこで、ユウイチは始めてサクラの言葉を止め様とした。
知る筈が無い、知られる筈の無い情報。
いや、これだけは、誰にも知って欲しくないものだったから。
サクラがそれを知っている事を察し、止めようとする。
だが、止まらない。
「最後の一つ。
これは他のとは違う。
これは貴方がはじめて表舞台にたった戦争。
そして、最初にして最後、貴方が英雄側―――いえ、貴方自身が英雄であった戦争」
全員が次の言葉を待った。
サクラ同様に知っているジュンイチと、本人たるユウイチと反則を持って知るコトリを除く全員が。
そう、アキコ達すらも。
「待てっ!!」
ユウイチは最大級の念を重ねた静止の言葉。
一般人ならそれだけで心臓の動きすら止まりそうな呪いに近しい叫び。
同時に大長剣も抜剣し構えるが、物理介入で止めるには至らない。
痛みからではなく、純粋にもう動かせるだけの身体ではないからだ。
そして、続いてしまう。
サクラによる、ユウイチの過去の告白が。
「貴方は、今から4年前のあの日、かのローランドにおいて英雄になる筈だった人」
サクラが口にした事件の名に言葉を待っていた全員が驚愕する。
アキコ達ですら、武器を取り落としそうになるほどに。
「ローランドって! あの『ローランドの悲劇』のローランドか!!」
ヒロユキは驚きのあまり悲鳴のように声を上げる。
サクラの口にした事件の名前はあまりに有名で、あまりに酷い事件の名前だったから。
「そう。
ローランド帝国で起きた革命戦争の際、劣勢になった帝国が最後に古代遺産のオートマータを使った。
開放軍を全滅させ、帝国も古代遺産のオーバーロードによって壊滅。
最後には誰も残らなかったという、あの事件。
当時、シグルドという竜と共に現れた2人の人物。
ファブニールを名乗る少年と、ブリュンヒルデを名乗る魔導師の女性。
彼等の活躍で、奇跡的な快進撃で進んだ革命。
後一歩で英雄となった筈の少年達。
けど、最後にその3人を残し、全てが滅び、死に絶えた悲しい戦争」
誰もが言葉を失う。
かの悲劇の話を知らぬ人はいない。
伝わる話では、誰も、何も残る事の無かった戦争である。
ただの慰めか、後に天使が舞い降り魂を天に運んだという話があるが、そんなことは関係あるまい。
戦争の虚しさを知るにはこれ以上ない実例であろう。
ただ、それでもその事件以後多くの戦争が勃発しているのは、人間の深き業故であろうか。
「当時、ファブニールを名乗っていた貴方は、最後までオートマータと戦った。
最後まで、英雄として。
けど、何も残らなかった。
悪側の暴走によって、敵も見方も全てが消えてなくなった」
ブンッ!
まだ、何かを続けようとするサクラに向けてユウイチは大長剣を振るった。
その眼前で止め、脅しとする。
「止めろ」
純粋なる殺意を持っての脅迫。
例え、サクラが依り代を持っていようと、即死では意味をなさない。
それ以上続けたら、殺してでも止めるという意思をここに示す。
「だから、貴方は悪として戦い、正義となる人に勝利させるという道を選んだ」
それでもサクラは止めなかった。
悲しい目をしてユウイチを見上げながら。
あの日、シグルドの背で滅びた街を見下ろしながら誓ったユウイチの姿を見るように。
「っ!」
脅しを無視し、言葉を続けるサクラにユウイチは最終手段を決行する筈だった。
だが、動かない。
見上げてくるサクラの視線にユウイチは動けなくなっていた。
動けないのは、トラウマにかかるところもある。
しかし、それでも、この目の前の少女が訴えるのは―――
「そうでしょう?
嘗て、呪われた財宝を護る竜の名を名乗り、英雄であった人。
―――ユウイチ アイザワ」
そして、最後にサクラは告げた。
その者の名を。
誰も知らず、誰も求めず、誰からも忘れられた筈の名を。
グワンッ!
その瞬間、空間が揺らいだ。
この場全てが何かに支配される。
見れば、アキコ、サユリ、マイが何かの力を発動させようとしていた。
全てを、この場にある全てを消し去る為に。
肉片どころか、魂の一欠けらすら残さぬ滅びを呼ぼうとしていた。
例え、ユウイチの指示、許可が無くとも、消し去るつもりである。
「……」
しかし、それは僅か一瞬。
ユウイチはサクラに向けていた剣を納め、アキコ達を見る。
そして、首を振り、中止を命じるのだ。
「……」
「……」
「……」
ただそれだけで、アキコ達は、力の発動を止める。
ユウイチの目を見て。
全ての力が抜けていく様であった。
「……」
そしてユウイチは元の立ち位置へと戻り再びヒロユキ達の方へと向き直る。
一瞬だけ、ヒロユキに目を向ける。
その行為は何気なく。
本人も意識しなかったくらいに。
見た一瞬のヒロユキは、複雑そうな顔をしていた。
しかし、すぐに視線をサクラへと戻した。
そう、少し話がずれたが、此処からが本題であるが故に。
「それで? 例えそれが事実だとして。
一体どうしたというのだ?
俺が大量虐殺犯であり、重罪人である事に変わりはない」
ユウイチはまだ悪であることを続ける。
それは演技であっても、己の在り方であるが故に。
だが、ユウイチに向けられる視線に敵意は無く。
更に、それは『同情』などというものでもなかった。
「なるほど、敢えて悪につき内部から破壊するか……それも手か」
最初にそう言ったのはヒロユキ。
感情ではユウイチのやり方を完全に肯定する事はできない。
だが、理性ではそれもまたやり方の一つだと認める。
長く戦ってきた故に、その有効性を理解できる。
勇者として、光の側で戦ってきたからこそ、救えなかった人数の膨大さを知っているのだ。
「例え、言う様に被害を最小限にしていたとしても、その被害は国単位だ。
俺が殺してきた数は万の単位を軽く越えるぞ。
二次的な殺人に至れば100万は下らない」
悪故に、その殺し全てを楽しんできたかの様に言うユウイチ。
しかし、どんなに精巧な演技であろうとも、種の割れている手品がつまらない様に、その演技もまた意味を成さない。
真実として、ユウイチは殺す事を一度とて楽しんだ事は無いのだから。
例えそれが、本当に悪人と呼べるものが相手であろうとも。
「英雄であろうと人を殺します。
その中には敵に脅されたりして仕方なく戦っている人もいるでしょう。
それならば、私達も同じ人殺し。
その罪に大差は無い筈です」
次いで述べるはセリカ。
元より感情よりも理性で判断する事を優先させる魔導師。
ユウイチが間違っているとは言うわけはない。
「いや、差はある。
お前達の場合は仕方ない場合であろう。
だが、俺は違う。
ただ静かに暮らしたいだけの、善良な市民を殺した数こそ、俺の殺人の大半を占めている」
向けられる視線に心を軋ませながら。
それでも尚、己の在り方と貫くユウイチ。
「そうですね、それが良い事とはいえないかもしれない。
でもそれが最善を尽くし、最も多くの人を救えるのであれば。
それはきっと誇れる事でしょう」
セリオはもとより機械。
効率を考えるならユウイチは正しいと言える。
感情がそれを反対していても、理性はそれが最良だと断言する。
元より全てを救えないのであれば、結果救えた数が多い方が正しいと言っても良いのではないかと。
「非道な魔導実験で人を生贄に捧げた事もある」
ただ事実を述べる。
己のしてきた罪状を。
許されない筈の行いを。
「それは、貴方が始めた事ではない。
既にそこに在ってしまったことであり、それをより多くの人に否定させる為に動いた。
それならば、貴方のした事は間違った事にはならない」
魔導に携わる者として、それがどんなに許されない事かも知りながらジュンイチは答える。
そう、悲劇を悲劇とせず、ただ隠してしまったら人は学ぶ事無く、同じ事を繰り返してしまう。
だから、悲劇を公にして、許されない事を許されない事として認識させるのが重要なのだ。
それをしてきたユウイチは間違いと言える筈はない。
「俺は重罪人だぞ」
もう、飾る言葉は無い。
だが、それでもと、ユウイチは己の悪を主張する。
軋む心を押さえながら。
この視線の中、ただ、ただ貫きつづける。
「人の法で貴方が悪というのは事実。
でも、私は、私の心をもって、貴方を認めるわ」
アヤカは告げた。
その在り方を認めると。
ユウイチという存在を許すと。
悪であり、誰にも理解される事の無い筈のユウイチを。
アヤカはここに理解すべきものとして、在る事を認めた。
そう、ユウイチに向けられていたのは同情などという感情などではなかった。
あるのは、ただ、理解と許容の心。
「俺は―――『悪』だ」
心が軋む。
悪であることを演じつづけた心が。
悪として、戦いつづけた心が。
誰にも理解されるべきではない、この在り方が。
「ユウイチさん」
名が呼ばれる。
その背から。
か細く、消えてしまいそうな声であるが、確かに名を呼ばれた。
「ユウイチさん、私は貴方を理解したい」
何時の間に立ち上がったのか、コトリはユウイチの直ぐ後ろに立っていた。
今にも倒れてしまいそうであるが。
ユウイチの背に。
「俺は―――」
ユウイチは俯く。
まるで、心を挫かれたかの様に、力が抜けて行く様にも見える。
「ユウイチさん」
「ユウイチさん」
「ユウイチ」
その背に声が聞こえた。
共に戦ってきた女性達の声が。
既に大部分を理解する女性達の声が。
そうだ、前例が無い訳ではないのだ。
だからこそ、ユウイチは―――
「ふ……ははははははははははっ!」
ユウイチは笑った。
高く、大きく。
本当に愉快に、心から楽しそうに。
「全く、馬鹿な連中だとは思っていたが、ここまでとはな」
そして、悪役の台詞と共に見せたただ純粋な笑顔。
しかし、次の瞬間には、悪としての凶悪な笑みに変わる。
だが、悪に戻ってもその目に迷いは無く、曇りも無い。
ただ純粋に、今まで悪としてい進んできた者が此処に居る。
前例はあるのだ、アキコ達の様にユウイチを理解しようとする人が出てくるのは、いや、出てくる方が正常なのだ。
ユウイチと敵対する者達は、そう言う人物の集合でなければならないのだから。
だが、ここまで大勢に一度に理解される事はなかった、ここまで一般的に『馬鹿』と呼ばれる者が揃っている事はなかったのだ。
それはどう表現するのが正しいだろうか、ユウイチも判断に迷っていた。
それと共に、ユウイチは続けた。
「ああ、お前たちが馬鹿なのはよくわかった。
では、協力しようではないか。
目的は同じなのだからな」
変わらない。
ユウイチは変わらない。
今まで悪として進んできたユウイチは、ユウイチのままである。
その在り方は変わる筈はない。
何故なら、ユウイチは間違ったと思っていないのだから。
この在り方を。
この道を。
悪として、進む道を貫く事は、決して曲らない。
理解される程の道なのだから、変える訳もない。
元より自らが望んで行く道だ。
ただ、先の軋みを持って、悪たるユウイチは、勇者と孤島の魔導師と手を取る事を認めた。
「ああ。
目的は同じなんだ。
貸し借りは無し、てのも良い感じだな」
皆は笑う。
この場に在る事を幸いとして、笑みを浮かべた。
アキコ達も、セリカ達も、サクラ達も。
そして、ユウイチもヒロユキもジュンイチも。
これから、大変だというのに、今はただ純粋に幸いを感じていた。
「あ〜……ここの管理者としては、それなりの報酬を用意するつもりだが?」
「ああ、ではそれは受け取ろう」
「貰えるもんは貰っておく」
ただこれだけで、友情や信頼が出来たわけではない。
たかだか数分のやりとりでそんな物は出来上がらない。
けれど、下地は成った。
最悪の出会いは今清算され、彼等は今始まろうとしていた。
「さて、では協力の為にまず提案する。
指揮を俺に任せろ」
まず始めとして、ユウイチはそう提案した。
いや、宣言としても良い。
自分以外に指揮能力は無いと言っている。
「ああ、認める」
「おう、頼んだ」
ある意味無茶苦茶とも言える提案をアッサリ承諾するヒロユキとジュンイチ。
2人とも元より人に指示を出すタイプでないが故というのもあるだろう。
だが同時に2人共ユウイチほど指揮を執るに相応しい人材は無いと認めている。
「ふむ、少々拍子抜けだが、まあいい。
では次に確かめる事がある。
ジュンイチ アサクラよ、ここのシステムは『夢』を集めているな?」
調査と、先の結界構築時のデータで知れたこと。
この島の森の桜はその花びらを世界中に飛ばし、それを仲介して人々が見る夢を収集している。
その夢が持つエネルギーを蓄積させるのが中央の魔法システム本体、桜の大樹であった。
「ああ。
蛇足だが、俺はその夢の中でも実経験の再現である夢が転送され、夢として見ていた。
それにより、擬似経験を重ねてきた。
中でも、戦闘に関する経験が優先されていた為、それなりに戦えた訳だ」
まだネムすら知らなかった強さの正体を明かす。
因みにであるが、ジュンイチが他人の夢を見た際、最終的にその夢に出てくる人物や地名はフィルターがかかる。
人の夢をのぞき見る時点で言えたものではないが、最低限のプライバシーを考えてである。
ただ、ジュンイチと親しい人などで、その情報により悲劇をさけられる様な情報の場合はその限りではない。
また、この侵食事故が起きてからはそのフィルターは機能していなかった。
「そうか。
では、ヒロユキ。
アレはお前の知る魔王だな?」
「ああ、そうだ。
間違いなく、俺の悪夢から情報を抽出したものだ」
ヒロユキの答え。
つまりは、今回の敵は、偽者でコピーとは言え魔王であると言う事である。
「で、俺達、特に俺の思念をもって起動したと言う事だな」
「そうなる。
ああ、この場合、俺のも混じってるな。
お前たちの戦いを見ていたときの思念だ。
そして、俺がそれを望んでしまったが故に、その思念は簡単に取り込まれてしまった」
ユウイチとヒロユキの決闘の際に出た思念は基本的に純粋なものだ。
だが、純粋であるが故に、そこに少し色が混じれば全てその色と同じとなってしまう。
それに、その時2人から抽出されたのは2人の過去を、他者から受け取った思念をも放出するものだった。
それが利用された。
この夢を集める森の中で。
闇が形を成す為の呼び水とされてしまったのだ。
「ならば、俺達が勝てぬ道理はない。
では、勝つ為の作戦会議と行こう」
ユウイチは宣言した。
勝てぬ筈は無いと。
勝って当たり前であると。
相手は仮にも魔王だというのにだ。
その根拠の全てを理解できる者は居ない。
だがそれでも、それは真実であると確信しない者は居なかった。
20分後、ヨシノ邸は通常空間に出ることとなった。
森が既に結界となった為、位相空間にい続ける事はできなくなった。
その為、ミズコシの屋敷がある場所とは反対側に出たのだ。
会議は小休止となり、それぞれ通常空間に戻ったからこそできる作業に入った。
ジュンイチ達は屋敷のシステムのチェックなどで忙しい。
勇者達はミズコシの屋敷に戻り、現状報告と避難勧告をしに行った。
丁度明日の朝に来る定期船で脱出してもらう予定である。
ユウイチは1人、拠点に戻っている。
拠点に置いてある武装を持ってくる為に。
大した量は無いとのことで、アキコ達は屋敷に残っている。
そしてコトリは1人、浜辺で空を見上げていた。
闇を封じた結界を背にして。
この島での出来事としては悪い結果になってしまったけど。
それでも、彼等にとっては良い結末を迎えられそうである。
「よかった……」
心から、そう想い。
言葉にして口に出した。
いろいろ回り道をしてしまったけど。
これで、やっと始められる。
その時、風が吹いた。
島のシステムの調整をしているのか、風まで調整されたこの島で、危うく帽子が飛んでしまうほどの風が。
コトリは習慣の様なもので、帽子とスカートだけに気を取られてしまった。
今は、それよりももっと押さえるものがあるのに。
そう、治療の特性故に緩くまきつけられた腕の包帯。
それが、風によって解けてしまう。
「あっ!」
気づいた時には半分が解けてしまっていた。
コトリは慌てて巻き直そうとする。
あの時、コトリならば魔曲をもって呪いの海を退ける事ができた。
ユウイチが居る場所くらいまでならば。
しかし、それには時間が掛かるし、何よりそんな出力を出すとなると歌いながら動く事は出来ない。
つまり、自分の手でユウイチを引き上げる事は出来ない。
それによって如何なる影響がでるか、そんな事を考えていた訳ではない。
そう、あの時は、ただ純粋にユウイチを助けたかった。
誰よりも早く、あの呪いの海の中から。
だから、これは解っていた事で、自ら進んでやった事、そして己の責任として受けた傷。
されど、1人の少女としてはあまりに大きな傷だ。
あの場では直ぐに治療が始まって、治療の激痛でそれどころではなかったが、やはり絶対に人に見られたくない程酷いものだ。
もはや見る影もないただ肩から繋がっている錆びた鉄の用な―――
「あ、あれ?」
半分も巻き直したところで、コトリは気付いた。
月明かりだけの暗がりであった事も理由にはいるが、すぐには気付かなかった。
布が取れたそこに、白い肌がある事に。
「……うそ……もう治ってる?」
今度は月の光で照らし、よく見てみる。
だが、やはりそこには見慣れた自分の腕があった。
コトリの知る限り、呪いによって肉体まで変化する程精神体を犯された場合、その治療は困難である。
例え蝕む呪いを解いたとしても、精神の傷は通常の方法では回復できない。
そして、精神が回復しなければ、肉体もその影響を受けてしまう。
精神は即ち意思であるから、意思力次第では精神体も自力で回復可能であるし、外的な魔法や魔法薬でも治療可能だ。
しかし、自力の回復でも、外部からの治療でも、元の状態に寸分違わず戻る事ではない。
機能的には問題は起きなくても、外見的に美しさは戻らない事が多いとされる。
しかもこの場合、整形しても精神体の影響で元に戻ってしまう事が多いらしい。
完全に元に戻す方法が無い訳ではない無いらしい。
その方法まではコトリは細かく知らない。
ただ、莫大な資金が必要であると言う事以外は。
「どうやって……」
そんなもの、先ほど浴びた薬品と、最後に飲んだ薬のお陰だ。
それは解っている。
だがしかし、コトリは普通なら切り落とした方がましとも言える程深い呪いを受けた筈だ。
それなのに、ものの数十分で完治してしまっている。
一体、彼はどんな神秘を用いたのだろうか。
この時はまだ知らない。
ユウイチが、自力で出ることが可能だったのにもかかわらず、それをせず、少女に重大な傷を追わせた責任。
それを償う為、自分が持つ最高位の秘薬を全て使い切った事を。
ただ1秒でも早く、確実に、絶対に残る事の無い様に。
何も惜しみ無く。
「あら、外れてしまったのですか?」
そん時、声が聞こえた。
コトリは、腕の気を取られて接近に気付かなかった。
振り向けばアキコ達、ユウイチ側の3人の女性がそこに居た。
「もう大丈夫そうですね」
まだ呆然としているコトリの腕をとり、サユリがチェックしていく。
丁寧に、隅々まで。
「身体、問題ない?」
傷を直接受けた場所以外もマイがペタペタ触りながらチェックする。
いかに同性とはいえ恥ずかしいと思うくらいに念入りに。
「大丈夫そうですが、もう少し巻いておいて下さい。
絶対に跡など残らない様に」
そして、アキコが優しく布を巻きなおしてくれる。
丁寧に、きつくならない様に、でも確実に覆える様に。
「あ、あの……」
アキコ達の自分への対応の変化に戸惑うコトリ。
今までコトリがユウイチにしてきた事を考えれば至極当然の対応。
それが、一変していた。
何故、彼女達にとって怨敵とも言える自分に、こんなに優しくしてくれるのだろうか。
「あの、私は彼に……」
度重なる心への侵入。
そして偽善による彼への傷害。
戦闘の邪魔をしただけに留まらず、彼の心を抉り、肉体的にも傷を負う原因を作った。
今日、それを多少償えたかもしれないが、それでも余りある罪の数々。
彼女達はそれを憎んでいた筈だ。
「コトリさん、貴方は間違っていました。
ですが、貴方は正しいわ」
アキコはコトリを真っ直ぐ見ながら告ぐ。
過去の間違いは確かに憎むべき事である。
だが、その在り方は正しく、誇れるものであると。
何度も回り道をして、失敗を重ねたが、今日この日、その正しさは実を結んだ。
「でも、私……」
大した事はしていない筈だ。
捩れてしまった糸を少しほぐしただけ。
解いたの彼等自身だ。
だから、まだ彼女達に正しいと言われるほどの事はしていない。
そう、コトリは想っていた。
だが、アキコはコトリを抱き締めて告げた。
「ありがとう、コトリさん」
あの時、アキコ達はユウイチを引き上げる訳にはいかなかった。
ユウイチの作戦として、引き上げる事を拒否されたのもある。
だが同時に、あの場はユウイチにとって敵陣でしかなかったのだから。
逃げ場の無い場所に、ユウイチを引き込む事はできない。
だから、何もできなかった。
本当は一刻も早く闇から引き上げたかった。
あんな影の偽者達に呪われる様な場所に居させたくなかった。
例え、ユウイチなら大丈夫だとしても。
「私は……
私は、罪を償ってもいいのでしょうか」
アキコに抱き締められ、サユリとマイに見守られるなか、問う。
これからも間違うかもしれない。
けれど、その間違いも全て、正しいものにしていきたい。
「ええ、私達も共に償いましょう。
全ての間違いに対して」
アキコは微笑み、応える。
そして、同時にここに宣言とした。
「でも、もしまた間違ったら、今度は許しませんからね?
だから、もし私達が間違っていたら、貴方は私達を許さないでください」
それは宣言にして、願い。
2度と間違わない誓いと、互いに間違いを正す為の願い。
だから、コトリは応える。
「はい」
ただ、一言。
それら全てを受け入れる応えを。
悪として進む彼と、共にある為に。
悪として進みながら、それでも正しいと信じる彼の為に。
過去の間違いも含め、全てここから始める為。
誓いを、応えとする。
更に数時間後。
最終決戦の為の作戦会議は進み、終了した。
それから決戦の準備を始める勇者と管理者と、そして戦う者達。
そんな中、ユウイチは1人屋敷の外で夜空を見上げていた。
己のすべき事は既に済ませ、出来た個人の時間。
それを、ただ1人、月を見上げる時間とした。
そこへ、
「何か用か?」
近づいてくる気配に、先に問いかけるユウイチ。
他の者は準備を進めていて、ここには来ないと思っていた。
だが、確かにここ、ユウイチを目的として近づく人物がいた。
「1人なんだ」
現れたのはアヤカ クルスガワとセリオだった。
ユウイチの周りに誰も居ない事を確認してそう呟くアヤカ。
少し意外そうに。
「我が仲間とする彼女らは優秀な魔導師だ。
管理者やお前の姉と共にいろいろ準備に忙しい」
現在サクラを始めとする魔導師達は決戦の際、『敵』を完全に葬り去る方法について話し合っていた。
方法自体は決まっているが、それをより確実にする為の情報交換と、必要となる術式の構築だ。
敵は強大であるが、それを討ち滅ぼし、且つ一欠けらも逃がさない為の最終決戦魔法の準備を進めている。
他の者にもそれぞれ準備がある筈だ。
ヒロユキ、ジュンイチにも準備として課題がある。
アヤカとセリオにもそれはあった筈であり、今暇な者はいないと知っている筈だ。
「ん〜、でも1人くらいは付いてるんじゃないかと思ったんだけど」
姉を含め、魔導師であるサユリ、アキコは特に忙しい事は知っている。
そして、今回のケース上、マイもその中に加わっている。
よって、ユウイチ側の女性達に個人的な理由で席を外せる者はいない。
それを解っていて尚、アヤカはそう発言している。
そして、後ろのセリオもそう思っているのだろう。
「まさかあの程度のやり取りで俺が女を求めるとでも? それもこんな時に。
それは俺への侮辱であるが、同時にアイツ等に対する侮辱でもあるな」
さも当然の様に言い切るユウイチ。
ユウイチは当然彼女達を求めない。
そして、同時に彼女達もユウイチがこれくらいで求めてくるとは思っていない。
「信頼し合ってるの?」
「当然」
ユウイチの答えは短かった。
でも、その顔が、目がどんな言葉よりも物語っている様だった。
言葉など無粋になるくらい信頼している事を。
本当に当然の事だ。
でなければ、ユウイチの道を共にできる訳がないのだから。
「そうなんだ」
それが解ったアヤカはちょっと胸が痛い気がした。
それを理解しきっていなかった事と、それと同時に嬉しくも思っている。
ユウイチにそんな人達がちゃんと居る事が。
「で、用件はなんだ?
そんな事を聞きに来た訳ではあるまい。
ソレを壊した仕返しかなにかか?」
視線でセリオを指すユウイチ。
悪役の笑みと共に。
既に、協力関係だというのに、それでもユウイチは己が悪であることを止めていなかった。
「いえ、ちょっと聞きたい事があるのよ」
先日までならともかく、もうユウイチの挑発にはのらない。
そもそも、ただの冗談でしかないのだから。
半ば癖でやっているユウイチの挑発を軽く躱して本題へと移る。
それは、彼女にとって、確かめなければいけないこと。
「貴方は、オートマータを憎んでいるのですか?」
だが、問うたのはセリオだった。
本人の問題として。
先程の話を聞けば誰でも思い至る事。
いや、考えるまでも無いだろう。
そんな過去をもって、オートマータに何の感情も持たないなど、それは人の心ではない。
「そうだな…………
俺はあの当時は幸せだった。
分不相応な程に。
最初はガキの癖に、自分で言うのもなんだが常勝無敗なほど強かったから、気味悪がられた、周りにな。
中には最初から気にすることなく、俺と接してくれたのもいたけどな。
まあ、とにかく半年も戦ったんだ、それも今考えると恥ずかしくなる程に英雄的にだ。
最後の頃には皆仲間と呼べる様になったし、街には家族と呼べた人達も居た。
当時はガキだったけど、愛した女も居たんだ」
夜空を見上げながら今まで誰にも語らなかった事を語るユウイチ。
そう、アキコ達にすら話した事のない過去の話。
懐かしむ様に、そして自らを戒めるように、ユウイチは語った。
「それなのに、最後の最後でオートマータの軍団に全て踏み躙られた。
数は10万だったかな、解放軍が1500に対してだぞ?
それでも俺達は戦ったよ。
最後の最後まで。
最後は師匠が遠隔操作していた帝国の基地をオーバーロードで消し飛ばして終わり。
けど、遅かった。
その時、既に立っていたのは俺だけ。
まわりは見渡す限り動かなくなった人形と人だったものの平原。
防衛線は突破されていて、街にも人形が溢れかえり、動いていたのは我が友だけ」
2人に背と向ける様に夜空を見上げるユウイチ。
涙を流している訳ではない。
ただそれでも、ユウイチは2人に背を向け、月を見上げる。
「全部失ったと言ってよかったよ。
オートマータのせいで。
ああ、俺は人形を憎んでいる。
この世に在る全ての人形を破壊したいと思ってる」
2人に背を向けるユウイチは何時の間にか大長剣の柄を握っていた。
そして、次の瞬間にはセリオに斬りかかるのではないかとも思える構えをとっている。
だが、それは起こらない。
「では、私を破壊しますか?」
セリオは、問うた。
きっと、解りきった答えを。
彼に言葉にしてもらい確かめる、ただそれだけの為。
「いや。
俺が壊したいのは『人形』だ。
心無くただ命令を遂行するだけの人形。
俺が壊したいのはそう言う存在だ。
だから、お前は例外として認めよう」
そう言いながらユウイチは大長剣から手を離した。
そして武器も持たず、構えもせず、背を向けつづける事をその証とする。
「そう、ありがとう」
礼を述べるのはアヤカ。
ただ、セリオの友人として。
セリオを『人形』ではないと認めてくれた事を。
ただ純粋に喜びとする。
「ああ、それと、これは返しておくわね。
大事なものなのでしょう?」
取り出すのはあの日、アヤカを包んでいたユウイチのマント。
ユウイチの友であるシグルドの翼をもって作られた大切なマントだ。
「ああ。
これは我が友が俺の為に作ってくれたもの。
預かってくれていた事に礼を述べよう」
やはり悪役の様な笑みを浮かべながらユウイチは受け取る。
「ねえ、どうしてこれで私を……
あ、いえ、なんでもないわ」
アヤカは聞きたかった問いを止め、ユウイチに背を向けた。
「じゃあね、ベストを尽くしましょう」
そして、そういい残して去っていく。
セリオと共に。
「ああ、そうしよう」
そして、ユウイチはその場に残り、2人を見送る。
大切な、手放す筈の無い友のマントを持って。
それから暫く後、ユウイチは少し浜辺を歩いていた。
ただ1人で。
元々1人で月夜を過ごそうとしていたのだ。
だから、人とすれ違う事も無い筈の場所へと移動する。
そして、夜の砂浜で月を見上げる。
今宵は半月。
半分に欠けてしまった月だが、それでも美しい。
ユウイチの背後には結界でなんとか抑えている今にも爆発しそうな闇。
そんな状況下であろうと月は変わらず美しく天に在る。
サク サク サク……
そこに聞こえてくる足音と近づいてくる人の気配。
(やれやれ……千客万来だな)
せっかく月を見て、先ほど少々軋んだ心を癒していると言うのに、こんな時に限って人が来る。
いや、べつに彼女達であれば嫌だという訳ではないし、彼女達と話していても癒える。
だが、それでも1人になりたい気分であったのだ。
あの日の軋みは、自分と友だけが持つものであるが故に。
「ユウイチさん」
振り返ればそこには、赤い長く美しい髪を翻した、青いリボンの付いたベレー帽を被った少女、コトリがいた。
白を基調としたドレス風の服装は、この月の光の下では女神と言っても差し支えない美しさだ。
ただ、今はその片腕は白い布で覆われてしまっている。
しかし、そんな事は関係無く、やはり彼女は美しいと、ユウイチは思えた。
「こんばんわっす」
尤も、女神と呼ぶには少々挨拶が気さく過ぎるが。
そう、いつもの調子でユウイチの傍まで歩み寄るコトリ。
「ああ」
なんとなく―――いや確信的に彼女が来ると思っていたユウイチは、そう簡単に返事を返す。
そして2人はそれが当たり前かの様に並んで月を見上げる。
「綺麗なお月様だね」
「そうだな」
ロマンチックに浸るには無理のある状況であるが。
それでも2人は月を見る。
言葉も思考すら無い穏やかな時間が流れた。
暫くして、ふいにユウイチは口を開く。
「お前と初めて出会った夜も、再会した夜もそうだったな。
尤も、月が美しくない日など無いがな。
例え雲に隠れていても、月は常に美しい」
何気なく、他愛の無い昔話をする様な言葉。
あの日、再会の約束をした少女の話を。
「あ、思い出したんだ」
それを聞いたコトリは嬉しそうに微笑む。
少しだけ忘れていた事へ棘が混じっているが。
それでも、ちゃんと覚えていてくれた事は幸いだった。
少し心配だったのだ。
何せ、あの出会いの直後なのだから、ユウイチがあの大悲劇に立つのは。
ユウイチならばそんな心配も無いのだが、普通なら一緒に記憶は封印されてしまうところだったろう。
そうでなかったとしても、埋もれてしまうくらいの小さな出会いだった。
「忘れていた訳ではないさ。
ただ、あの日の少女とお前が同1人物だという証拠がなかった。
そもそも情報が魔曲能力者で名前がコトリだけだ。
髪の色、瞳の色は成長過程や魔導習得でも変わる可能性があるからあまり参考にならん。
あの頃のお前の魔曲のレベルも大したモンじゃなかったし、残る名前も珍しい名前という訳ではない」
かわいらしく拗ねているコトリに、苦笑しながら言い訳を並べるユウイチ。
本当に言い訳でしかなく、そんなの相手の怒りを煽る可能性がるのも承知の上で。
「それでも名前を聞けば思い出さない?」
ごくごく簡単な、それも子供の頃とは言え再会の約束までしたのだ。
再会して名乗りまで上げたのに気づいて貰えなかった事は、一夢見る少女としては許せない事だ。
もう暫くは拗ねてやろうと思っていたコトリ。
だが、
「一応、そうだろうという事で話をしていたぞ?
でなければ名前を名乗る様な事はしない。
まあ、違ったら記憶を消すか、最悪殺すつもりであったがな。
大体、あれから何年経った? 人が変化するには十分過ぎる時間が経過している。
それも女としては最も飛躍的に成長を遂げる時期を飛ばしてだ」
(そう、お前はあまりに美しく、いい女になりすぎた)
ユウイチは言葉を発すると同時に思考する。
それをコトリは言葉を耳で聞きながら心も同時に読んでしまう。
「……ッ!」
その言葉、心の声が意味する事を、少し遅れて理解したコトリの顔は真っ赤に染まっていく。
心の声の内容は、口に出しての言葉だったのなら、言い訳だと言って平静を保つ事もできたろうが。
しかし、普通嘘など吐きようのない心の声である。
その言いは少女にとって嬉しくも恥ずかしい。
で、そうなると当然隣にいるユウイチが、そんな解りやすい変化に気づかない訳は無い。
(そうかテレパス能力か。
ふむ……これは使い方次第で面白い反応が見られそうだ。
心とは嘘偽りが無いからな? なあコトリ)
などと、わざと読ませるための思考をする。
「あの〜、そんな怖い事を考えないでくださいよ」
本来思考を制御するのは極めて難しい。
心に嘘を吐くなんて言葉はあるが、思考上でそれを行うのは不可能に近い。
相手が並のテレパス能力者なら魔法で防ぐなり魔法で加工した擬似思考を読ませる事もできる。
だが、コトリのテレパスは違う。
心の中でも最下層まで降りて行って、心の在り方まで見る事ができるこの能力を前に読めない思考などない。
そして、単に思考を読み取るだけでなく、思考内で使われている言葉の意味する所まで読めてしまう。
故に今のユウイチの思考を読んだ事で、今後どれ程ユウイチが自分を弄ぼうとしているかが解ってしまうのだ。
それがどれ程恐ろしいかも。
それもアキコ達からはユウイチはいじめっ子だ、という情報を得ているとなると尚更だ。
まあ、恐ろしいといっても端から見れば微笑ましげか、苦笑ものでしかないのだろうが。
「思考を禁じられるとは、それほど酷い事はないぞ」
(ふむ、イジメ甲斐がありそうだな)
表面の言葉、表情なども使い二重、三重のやり取り。
言葉の裏に隠された意図を見抜く事に長けたユウイチは、心のやり取りまでするという新鮮な感覚を楽しんでいた。
「そう言う事をするのは好きな娘だけにしてくださいよ」
何か反撃しなくてはと言った台詞。
だが、すぐに今の台詞を後悔した。
なにせ、この言い方だと、許可を出しているに等しいのだから。
「ほ〜、好きな娘ならいいのだな?」
(と言うか俺は好きでも無い奴とこんな会話はせんぞ)
「はう……」
思考上ですら、明言はしていないものの。
つまりそう言う事だと、また顔を真っ赤に染める事になるコトリ。
他愛ない会話をして笑う2人。
決戦が控えている事など微塵も感じさせないくらい自然に。
それはささやかなれど、幸いであった。
しかし、どこか儚げでもあった。
暫く笑い合った2人だが、やがて会話は途切れ静寂が訪れる。
静かな静かな月夜。
また月を見る2人。
そして―――
「ユウイチさん、貴方は幸せですか?」
風で流れてしまいそうな程何気なく。
それでいて、確かな想いをもって問う。
その答えを知っていても。
そでも、今此処で聞かねばならないと紡いだ言葉。
「ああ、恐ろしい程に」
ユウイチはその問いに笑みを浮かべて応える。
今のこの生活自体もそうであるが。
それに友がいて、アキコ達がいて、あの馬鹿なピエロもいる。
そして、今日この場でユウイチを理解する人がいた。
これを幸いと言わずなんと言おう。
だから、ユウイチはもう何も要らないくらい幸せだと思っている。
「そうですか……」
コトリは一度瞳を閉じた。
解っていた応えを聞き。
ここにくる時―――いや、再会したその時から心に決めていた事を改めて想う。
「この戦いが終わったら、貴方はやはりまた旅に出るのですね?」
コトリは、先ほどと変わらぬ自然な風でありながら、全く違う雰囲気へと変わってゆく。
それは緊張感を纏った独特な雰囲気。
それは、コトリにとって幸いである事を、ユウイチにとっても幸いとする為の行動。
例え、今のここにある、コトリの、儚くとも確かに幸いな時を崩す事になろうとも。
「当然だ」
戦いの旅はユウイチにとっては最早存在意義と断言するほどの事。
今のユウイチには旅を中断する、などという選択は頭を過ぎりもしない。
それくらいの事コトリなら理解している筈だ。
それでもそんな質問をするという事はそれに続きがあるという事。
そして、ユウイチはその続きの内容は容易に想像できる。
「なら、貴方と同じ道に、私を連れて行ってください」
表情こそ柔らかい微笑みを浮かべるくらいに明るいが、その瞳に映る意思の強さは確固たるもの。
それは、年相応の少女の様でいて、まったく別次元の強さを秘めていた。
ユウイチと共にある事は、ここで犯した罪を償う為に必要な事。
されど、それは元より望み、また更に強く想うこと。
そして、幸いだと言う彼の明日を、更なる幸いの時で満たす為の応え。
この言葉までは予測は容易だった。
そこまでユウイチは愚鈍ではない。
いや人の心情に関してはテレパスを持つコトリすら出し抜く自信があった。
「……ふぅ」
真剣なコトリには悪いとは思ったが、思わず軽く溜息を付いてしまう。
そう、予測はできていた、がしかし、この変化へ至る理由が理解出来ないのだ。
悪を演じつづけているユウイチに、こんな風に己の下に来たがる者の気持ちが。
先の暴露があった上に相手はテレパス能力者であっても、自分は人に嫌われ憎まれることを己に課しているのだから。
「で、俺は何人目だ?」
故にこんな問いをしてしまう。
それはあまりな言葉だと自覚しているし、コトリという存在を侮辱する台詞だ。
そして、コトリもユウイチの言わんとする事は例え心を読まなくても解る。
つまり、自分の所に来たのは、ヒロユキやジュンイチにふられたから来たのだろうと。
「酷い! 私をそんな女だと思ってるんですか!」
至極当然、コトリは泣きそうな声で叫ぶ。
ある程度、断る為という理由の下いろいろ言われるかも、とは考えていた。
しかし、その内容のなかで、まさかそんな風に思われていたなどと。
後数秒も時間があれば、爆発寸前の感情が一気に降下し泣き出してしまっていただろう。
それくらいショックな台詞だった。
だが、
「いや、微塵も思っていない」
次の瞬間の即答。
ユウイチは心から本当にそんな事は思っていない。
思う筈が無いのだ、そんな事。
心が読めるコトリにはそれがハッキリと理解できた。
それで心は落ち着いたが、それならば先の台詞が出てくるのか、すぐには解らなかった。
だから、まだコトリは困惑していた。
そこへ、ユウイチは言葉を続ける。
弁解と、それに対する答えを貰う為に。
「単純に、俺を選ぶ理由が解らん」
苦笑ですらなく、純粋に困った顔をするユウイチ。
滅多に弱ったところを見せないユウイチが、本当に困っていた。
本当に解らないから。
幾人もの人の心を意のままとする演技ができるユウイチが。
少女の心一つが解らない。
「他にろくな男が居ないのならともかく、今この島には大凡最高位の漢が2人もいる。
断言しよう。
あの2人こその男の中の男と呼べる人種だ。
人間性、心意気、あらゆる面での強さなら『世界』のお墨付き、波乱でありながら幸福な時を過ごせるだろう勇者ヒロユキ フジタ。
あらゆる面で勇者に決して引けをとらず、確実に世間でいう普通の幸せを与えてくれるだろうジュンイチ アサクラ。
両者とも外見の美しさとなると極上とは言えないが、それでも十分上級の部類だろう。
そう、あの2人を選ばない理由など無い筈だ」
何ら贔屓も飾りもない、純粋にして正当な評価。
世界を巡り歩いたユウイチだからこその断言。
2人とも違った方向での最高位。
2人と共に在れば、未来の幸せなど決定事項だと言っていいのだ。
そんな2人がいながら自分を選ぶなど、一体どういう事か。
過去があるのと、他にちょうどいい男が居なかったアキコ達に比べれば、在り得ない選択の筈だ。
いや、そもそも選択肢にすらならない筈である。
少なくともユウイチにはそうとしか思えない。
「そうだね」
ユウイチのその言いには素直に頷くコトリ。
ただ静かに。
微笑ながら。
「それに引き換え俺はどうだ?
持つ力は偽り。
進む道は闇。
行いは全て悪。
その理由は全てを救う事への諦め。
ついでに外見は最悪。
あの2人と比べて俺を選ぶ理由など何処にも無い」
外見の最悪は魔導刻印の事を言っている。
ユウイチはそれを入れた事を後悔した事は無いが、自分の醜さだと思っている。
力への執念の具現であるそれを、こうしなければ誰も救えない自分の弱さを。
そしてヒロユキやジュンイチの様に強欲なまでに諦めず、全てを救おうとする心が無い。
そんな人として当たり前な感情が無いと、ユウイチは自分でそう思っている。
「そうだね。
普通なら貴方を選ぶなんて在り得ないんでしょうね」
先のユウイチの言葉で心が乱れていたコトリだが、ユウイチの説明を聞けば聞くほど落ち着いてゆく。
そして解った。
先の言葉が発さられた意味。
ユウイチがユウイチで在るという由縁。
更に、自分が何故これほどにユウイチという人に惹かれるのか、その理由の一欠けら。
だから言える。
先よりも確かに。
今此処に言葉にできる。
「でも私は1人の女として貴方と共に在りたい」
告げる。
まるで今のユウイチの説明、言葉を聞いていなかったかの様に。
迷いなど無く、打算の様な思考も無く、ただ純粋に想いを告げる。
「……種ならあの2人は最高だと思うぞ?
戦士として、魔導師として、そして人間として」
そんなコトリに畏怖すら感じるユウイチ。
先のサクラの言葉の様に、自分の精神の鎧を砕いてしまいそうなほどの、研ぎ澄まされた言葉だった。
茶を濁す言葉を言うのは、半ば反射の自衛行為と言えるだろう。
長年、演技中に見抜きそうになった者にそうしてきた様に。
「ん〜、子供は欲しいですけど。
今はまだ少女として。
そう、私は『夢見る少女』として貴方の傍にいたいの」
ユウイチのそんな言葉にも動じる事の無いコトリ。
『夢見る少女』などという表現、場合によっては悪い表現だ。
現実味がない、現実を見ていないとも言えるのだから。
しかし、ユウイチについて行けるのならば、それは夢以上の価値がある。
そして、同時にその心の中で、ユウイチとの子でも最高の子になるとも考える。
それもまた理由の一つ。
ついて行きたいと想う理由が一つ明らかになったと。
更に気持ちを確かにする。
「それならば尚更だろうが。
俺の周りを見てないのか?」
「アキコさん達は、少なくとも私は好きですし。
なんとか仲良くできればと思います」
「ふむ、では悲劇のヒロインと陶酔する趣味か」
「ありませんよ、そんなの」
「実はマゾ?」
「清らかな乙女になんてことを言うんですか」
「ふむ……悪趣味だったのか」
「私の趣味がまともなのは、ジュンイチ君かスギナミ君にでも確かめてみてください」
「変人」
「割と酷いですね。
でも、変人で結構ですよ」
「頑固者」
「よく言われます」
暫し続く憎まれ口と斬り返しの応酬が続く。
尤も、子供の口ゲンカにすらならない、どちらかと言うと犬も食わない方の言葉の応酬だ。
舌戦であるならば、ユウイチが最も得意とするところだ。
例え相手がテレパス能力者であろうとも、それを逆手にとって言い負かす事が可能である。
ユウイチが男で、コトリは女。
どうしたって女には口で勝てないと言われるが、ユウイチの場合は、それでも勝てる自信がある。
しかし、
「はぁ……
もういい」
先に折れたのはユウイチだった。
いや、この場合は認めたのだ、コトリを、コトリの意思を。
そして改めてこういう時の女ほど厄介な相手はいないと確認してしまうのだった。
心の中で苦笑しながら。
「やった」
ユウイチの嘆息とともに吐き出した敗北宣言を、声に出して喜ぶコトリ。
その様子はいつもの明るいコトリのままの様でいながら、違う。
ここにいるのはコトリであり、また普段のコトリではありえない。
普段と変わらぬ様子をみせながらも、この場に秘めている想いの応えはまだでていないのだから。
だからコトリは言う。
更に続けて。
ユウイチに想いを告げるのだ。
「私はね、貴方程純粋な人は居ないと思いますよ」
先にユウイチは自分が人を救おうとする心が欠如し諦め、強欲でないなどと思っていたが、そうではない。
ユウイチほど純粋で強欲で、心優しい人間をコトリは今まで見たことが無い。
自ら悪を行い、勇者よりも確実に多くの人を救い且つ後の教訓を植え付けているのに。
自分の今の弱さを認め、今の自分を最大限に活かし、人を救っているのに。
それでも尚その度執拗なまでに、全てからあらゆる事を学び取り、次はもっと被害を少なくしようと努める。
事実、ユウイチが参加した戦争の被害は、その規模からの割合は確実に減ってきているのだ。
被害を減らしながら悲劇性を演出する。
被害0も夢じゃないと思えるほど確実な成長。
これを強欲でないなどと、心が無いなどと誰が言えるだろうか。
ユウイチほど人を、いや全ての生命を愛している者、純粋に優しい者は居ないのではないだろうか。
それの答えを見届ける為にも、コトリはユウイチと共に在りたいと想う。
「人を見る目がないな。
そんな事は在り得ない」
そんなコトリの言葉の意味もほとんど解っていながら、雰囲気が読めない訳でもないのに、またそんな憎まれ口を叩くユウイチ。
これこそが自分であると示す様に。
「在りますって」
やはり表に素の感情を出してもらえない事を、少しだけ困った様に、少しだけ拗ねる。
そして、告げて、受け止めてもらえるのだから、どうでもいい事だと思いながら。
ほんの少しだけ、場に雰囲気が出ない事を思う。
コトリもまた、夢みる少女であるが故に。
だがしかし、ユウイチは悪役であるが、愚鈍でも朴念仁でもない。
だから、ユウイチは、コトリに気付かれないくらい一瞬苦笑して言う。
「まあそれはさて置き」
「置かないで欲しいです」
「置き」
まだ前の雰囲気のままの様にふるまい、話を切り替える。
コトリは少し拗ねている為か、気付かなかった。
既に、ユウイチに演技が無い事を。
「まあ心を読んでしまっているのだから解ると思うが……
うむ、これも男の甲斐性だな」
「……え?」
そう、気づいた時には、もうそこには悪役のユウイチはおらず。
ただ1人の男であるユウイチがいた。
そして、発するはただ一言。
「コトリ、お前を愛している」
それはあまりに単純にして確かな告白。
これ以上ないくらいシンプルにして正式に使えば最強の一言。
ユウイチが告げたのはそのただの一言。
「……ッ!」
テレパス能力者であり、ある程度知っていた。
多少は、自分に好意をもってくれている事を。
が、いざ言葉にして受けてみれば、その衝撃はどう表現したらよいだろうか。
コトリは嘗て、何度か男性に告白された経験がある。
その時の相手の気持ちも読み、真剣であると思いながらも全て断ってきた。
その経験と比べてみるが―――いや、比較にもならない。
コトリ側の好意の問題もあるだろうが、その言葉の深さはどうか。
まるで大海に飲まれていく様な錯覚すらある。
コトリの特殊能力だからこそ解る、言葉で表現しようのない深きユウイチの想い。
それに囚われ、コトリは行動不能に陥っていた。
だが、ユウイチは更に続ける。
「故に俺はお前に幸せになって欲しい。
だからこそ俺にはついてきて欲しくない。
……だがまあ、ついて来るのはお前の自由だ」
アキコ達にも課せられている絶対条件。
解りきったこの危険な道。
最低限自分の身は自分で護れる約束。
「うん」
その条件も知っていた。
その言葉を聴いたとき、コトリは先の硬直など無かったかのようにハッキリと応えた。
それでもいい。
いや、むしろ『護って貰う』など甘えはしたくない。
故に、それはむしろ望む所なのだ。
ユウイチについていくならば、血反吐を吐きながら地を這いずってでもついて行く覚悟が必要なのだ。
「……と、言いたい所だが」
が、またも、心を読むコトリが気付く事無く、ユウイチの言動が変化し、動きがあった。
ガシッ!
突然ユウイチはコトリを捕まえる。
それは抱擁のようでいて全く異なる拘束。
心を読み、相手の行動を知り、敵にの攻撃を回避できるコトリが、その予想外の行動に動く事すらできずに、捕まる。
いくら間合いの内側で、相手がユウイチだったとは言え、今まで旅をしてきて身に付けた護身術は並じゃない。
予想外の行動には身体が反応して避ける筈なのにそれすら出来きなかった。
もしこれがアキコ達なら逃れる事も可能だが―――
「ヒロユキかジュンイチになら安心して預けられたものを。
よりによって俺を選ぶとは馬鹿な女だ」
上辺だけの悪役面。
それはコトリの実力ではいくら心を読んだとしても避けきれない危険がある事の実証。
「お前の能力は余りに危険だ。
使い方次第でお前は女神にも魔女にもなれる。
それが知れた以上、お前を絶対信頼できる者以外に渡す気は無い。
お前は俺が使おう」
それは事実という名の言い訳だ。
特殊能力があろうと身体能力ではアキコ達に遠く及ばず。
単独ではユウイチ達の行く道を歩くには、あまりに危険すぎるコトリを連れる為の。
「今後、俺から離れたければ、あの勇者達の下に逃げる以外の道は無いと思え」
コトリの事を愛しているからこそ、ジュンイチやヒロユキの様な男と結ばれて普通の幸せを手にして欲しかった。
だが、手の届く範囲で自分が確実に護りたいと想うのもまた本心。
理性を説得できる言い訳もあるおかげか。
ユウイチは自ら少女に手を伸ばした。
「私は小鳥。
ただ囀る事しかできない弱い存在です。
貴方と言う籠の中に居ないと生きる事は難しい事は知っています。
例え自由に羽ばたく事を代価にしなければならないとしても……」
コトリは自分が間違っていた事に気付く。
『護って貰う』事が甘えなのではない。
それを当たり前だと思う事が甘えなのだ。
コトリの戦闘力ではユウイチ達の足を引っ張る事は当然。
だが、コトリの持つ強さはもとより戦闘をする為のものではない。
そして、それをユウイチは最大限に生かし、ユウイチのやる事の助けになる。
「でもね、私は空を自由に羽ばたく小鳥から籠の小鳥になる事を選ぶの。
私は籠に入れられたのではなく、籠を選んで入ったんですよ。
それに、『籠』はそれ単体では飾り程度の意味しかない。
私は貴方と言う『籠』に入り、貴方の
コトリは囀り、音を奏でる者。
コトリのやるべき事はユウイチが表立って動く事ではないように、戦う事ではないのだ。
「ほう、なかなか言うな」
「それはもう、貴方についていく女ですから」
強気に答えるコトリ。
それが傲慢ではなく事実であり、更なる先の目標。
故に一切の迷いも無く答えるのだ。
今の自分もこの目標に迷いなど在る筈は無いのだから。
「そうだな」
久しく見ぬ本当の自然な微笑みを見せるユウイチ。
今度こそ真にコトリはユウイチに認められた。
それが解り、ただそれだけで幸福感を感じるコトリ。
だが、そんなものは些細な物だ。
それを思い知るのはほんの一瞬先の事。
既に息が掛かるほどの距離。
そして二転三転したが、夢みる少女では想像できないこの雰囲気。
ユウイチは結構経験を積んでいるし、愚鈍ではないのだ。
そこでコトリが心の中でのみでも求めればそれは成る。
そう、優しい月の光の下、くっついてはいてもまだ2つだった影は完全に1つとなる。
背後の闇は霞み、全てが2人を祝福するように静かな時間が流れるのだった。
後書き
さてさて、先の決闘の幕と、最終決戦前夜って感じです。
あの二人の決着はつきませんね〜、はい。
つかないまま、この事件の根源へと向かいます。
若干、何しにこの舞台に立ったのか彼方に飛んでいきそうな感じでしたが。
次で最終決戦です。
では、次回もよろしくどうぞ〜
管理人の感想
T-SAKAさんから17話を頂きました。
メインはどう見ても後半部分ですよねぇ。
ユウイチとコトリの場面は見てて照れました。(笑
お前ら付き合う前からラブラブしすぎ、どっか他でやってくれーと何度思ったことか。(爆
まぁともかく、メインのヒロインであろうコトリの恋愛も決着ですな。
あくまでも始めの一歩ですけど。
アヤカも何か怪しかったですが、まず先に踏み込んだのは彼女だったと。
SSの内容としては前後しますが、人の傷口を衆目の中抉ったサクラは最低だと思ったのは私だけでしょうか?
あそこまで言う必要はあったのかなぁと思いますし。
なんか幼児性故の残虐さを感じてしまいましたよ。
わざわざユウイチの過去を全て言わなくても協力出来そうでしたしね。
その後に出たユウイチの言葉もなんか潔くなかった気もしますが。(爆
彼には表面的にでも弱弱しいところを見せてもらいたくなかっただけに、ちょっと残念。
さて、いよいよ次回から最終決戦。
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