自ら地獄へ身を投げた少年は、何も切り捨てることなく全てを吸収した。
それは、無理矢理地獄に送られ、生き抜くために特化したり、それだけの為に開花した力ではない。
いかなる状況をも勝ち抜くための知識、あらゆる敵を知り尽くした経験。
勇者や英雄が、何年もの月日を積み重ねて得る経験という力を、少年は一年で手に入れた。
だが、それでも足りなかった
どんなに修行をしても少年は腕力、魔力といった基礎能力が上がらないのだ。
基本的に、それは無くてもあらゆる敵に対応できる経験という力を得ている。
けれど、それだけでは自分が生き残る事ができるだけだった。
師は少年に魔導刻印を刻み込んだ。
魔導刻印とは肉体の筋、神経、精神体、魔導回路を無理矢理増設、書き換えを行う魔導技術であり、
肉体強度、魔力などの基礎的な能力の上昇や、ある程度の魔法効果を常に作用させる事のできる術である。
普通、この魔導刻印を使うのは、魔導師が失敗してはいけない儀式の為に、一時的なブースターとして使用するものである。
己の血を混ぜた塗料を使い掌などに刻印を描き、一時的に魔導回路を増設するのだ。
それだけでも手は燃えているかの様な痛みを味わう。
本来無い回路を作った上に、そこにエネルギーが流れているからだ。
少年の場合、それではダメだった。
塗料では洗えば落ちてしまう。
そんな半端な物ではいけなかったのだ。
特殊な術を使い、少年は身体、精神、魂に直接刻印を刻み込んだ。
神経や精神体そのものに直接刻み込まれる魔導刻印は、刻み込む際激痛を伴う。
神経や精神体に異物を刺し込まれ、身体全てを食い荒らされる様な激痛。
いや、それは正しくない、『様な』ではなく、実際魔導刻印は身体を、精神を魂を侵食するのだから。
更に、基本的に魔導刻印は自分の血肉を刻印というプログラムに書き換えている為、自分に侵食されるという矛盾した激痛を、刻印が馴染むまで受け続ける事になる。
高度なもの、複雑なもの、広範囲に描かなければいけないのならばそれだけ痛みが増す。
そして、身体を、精神を直接書き換える訳だから刻んだ者には刻む場所に応じて何かが消費されると言う。
誰もそれを証明できてはいないが、それは将来発揮される他の才能だと言う。
いうなれば、本来水を通す管に火を通すようにするような、そんな術なのだ。
そんな手術を、師は少年の望み通り全身に施した。
手術中は例えるなら、赤く熱されたボルトを全身にゆっくりを捻じ込んでいくような、体に細いレーザーで少しずつ絵を描かれる様な、そんな痛み。
特に、少年は実戦レベルの魔法が一切使えない、魔法を使う為の機能がほとんど無かった。
その為敵の魔法の発動前に察知する事も、集まる精霊を見る事出来ない。
故にこの際、師は少年の眼球にも魔術刻印を施した。
それは頭を切り開かれ、マグマを流し込まれるような感覚だったという。
発狂して死に至るほどの激痛を受け、更に馴染むまで侵食されるような痛みと感覚に耐えねばならない。
普通の人なら迷わず死を選ぶ痛みを受け続ける事1ヶ月。
残留する痛みを受けつつも刻印を体に馴染ませるのに2ヶ月。
更に刻印を発動させ、自分の一部にする為に3ヶ月。
そして、刻印を得た身体で実戦経験を得る為半年、また地獄へを身を投げる。
普通の魔導士として見える視界、感覚を。
ちょっとした力自慢程度の腕力、ちょっとだけ早い足、少しだけ多い体力。
一般的な魔導士の魔力と魔法制御力、精神力。
戦士なら、魔導士なら当たり前の頑丈さ。
普通の人間なら鍛えれば得られる耐性。
こうして、少年はやっと並の魔法戦士と同等の身体を手に入れる事が出来た。
あったかもしれない別の未来を棄てて。
もとより自分の血肉を刻印としている限り人の限界を超える事は無い。
等価交換だと言われている。
別の才能を代価に、痛みを触媒にして行われる魔術儀式。
だが、他の者なら低級の魔王になれそうなくらいの刻印を施されて、少年はやっと並になれたのだ。
人は言うだろう。
こんな事をする位なら悪魔と契約した方が、人間を捨てた方がいいと。
でも少年はそれだけは絶対にできなかったのだ―――
無銘の華
第2話 変えられたもの、変えられないもの
パサッ
浴室で身体を洗っていたユウイチの後ろで布、正確にはタオルが落ちた音がする。
と同時に気配を確認できた。
気を許している相手の家の中であり、相手はその気を許している相手で、更にこんな事をするには無駄に高度に気配を消していたので今まで気付けなかったが、今は解る。
「なんだ、本気で覗きに来たんですか?」
苦笑、いや自嘲気味な笑みを浮かべながら振り返れば、そこには呆然としたアキコが立っていた。
一見全裸にタオルを巻いただけの格好。
でも実はその下は水着の様な下着を着けていたりする。
まあ悪戯用であろうが、残念ながらユウイチにはバレてしまっている。
何せ同じ事をやってきた人が過去にいるから解ってしまうのだ。
最も、この状況では悪戯どころではあるまい。
落ちたのは体を洗う為のハンドタオルの方だ。
「ユウイチさん……その身体……」
やっとの事で声を絞り出すアキコ。
半分振り返っているため、アキコからはユウイチのほぼ全身が見える。
そう、全身に刻み込まれた魔導刻印が。
魔法を使う者なら誰しも一度は知らない筈はない技術、魔導刻印。
その場しのぎの塗料による物だとしても、どれほどの苦痛を伴うか、魔導師の大半は知っているし、アキコも実際使った事がある為知っている。
それを体に、精神に直接刻み込まれればどれほどの苦痛か、想像するだけでも恐ろしい。
更にそれを全身に刻み込むなど、拷問以外の何物でもなかろう。
それに、これだけの刻印で、一体どれ程の別の可能性を棄てたか知れない。
なお、刻印は顔と目にも施されているのだが、顔と目など常に露出する部位の刻印は外見上は見えなくなっている。
身体の刻印が見えるのは、隠す為に更に特殊な処理が必要だったからである。
「醜いでしょう?
才能もないのに力を求めた奴の姿ですよ」
体に直接刻む魔導刻印は、刻む時の苦痛と他の才能との交換であるが故、力に固執する者でもなければ入れることは無い。
一生もの、後遺症がある傷の治療の為に入れることもあるが、それはそんなに大きなものにならない。
その為大きな刻印を持つ者は、差別の対象にすらなっている。
刻印は自分で自分を書き換える行為であり、つまりは体を改造するという事だ。
体中を弄繰り回してまで力を欲する者。
危険な輩として見られてしまう。
見られ方は刺青と似た様な感じであるが、その度合いは桁違いである。
「そこまでするほど……貴方は……」
ユウイチほどの刻印ともなれば、最早自分を別の物に変えてしまったと言えるほどだ。
本来あるべきユウイチという人を否定して、戦う力を求めたとも言えるのだ。
そこまでユウイチを追い込むほどの事件。
その事件に立ち会いながら何も出来なかった自分。
「アキコさん、あの時の事で自分を責めないでください。
あの時の事は例え今の俺達の力を持ってしても彼女を救えないし、事前に阻止できた事件でもなかったのですから。
忘れなければ、それだけでいい事ですよ」
意外にも一番気にしているだろうユウイチからそんな台詞が出る。
アキコは心底驚いたようにユウイチを見る。
確かに、あの時天に吼え血の涙を流していた少年の瞳とは違う。
悲しみが、あの絶望が消えたわけではない。
そう、忘れていないのだから消える事は無い。
でも悲しみや絶望に支配されている訳じゃない。
今のユウイチの目は前を見つめていた。
「そうですね」
ユウイチが刻印を入れ、力を求めたのも繰り返さない為だ。
確かにあの事件がきっかけではあるが、あの事件のせいでこうなった訳ではない。
「さて、すっかり忘れていましたがお背中お流しします」
落としたタオルを拾い上げ笑顔に戻るアキコ。
「じゃあお願いしちゃおうかな。
あ、でも前はいいですからね?」
ユウイチも冗談っぽく笑う。
「あら残念」
頬に手をあてて、いかにも残念そうな顔をするアキコ。
勿論冗談であるが、冗談であるが故に、ユウイチはそれならお願いしちゃおうかという悪戯心が生まれるのだった。
まあ、流石にそんな事はしなかったが、和気藹々と2人で風呂の時間を楽しむのだった。
翌朝
「さて、じゃいっちょ始めますか〜」
気軽に、これから庭の手入れでもするかの様なノリで、出かける準備をするユウイチ。
が、その準備も下ごしらえも周到なもの。
それでも、本人の気持ちは手の込んだ悪戯をする、という感じなので気軽なのもあるのだが。
「何か手伝える事はありますか?」
アキコも一見一緒に悪戯をしたいという風な感じで、しかし至極真面目に尋ねる。
この街の今後に大きく影響のでる盛大な悪戯だ、黙って見ている事は出来ない。
「ああ、そう言えばアキコさんって、クラタ家に出入りしてますか?」
「ええ、してますよ。
私、ちょっとした医学と治療魔法の心得がありますから、看護師見習いと言った感じでたまに仕事をしています」
魔法の中でも、回復魔法系列は発動させるのには、医学の知識が必要になる。
その為、回復魔法の使い手と言うのは、同時に医者でなくてはならない。
つまり回復魔法を習得するには、医学の知識と魔法の知識両方が必要であり、中位以上の回復魔法は非常に習得が困難で、中位以上の回復魔法の使い手は少ない。
アキコが使えるのは中位までの回復魔法で、看護師程度の知識と、致命傷手前までの傷の回復ができる。
よって、中位クラスまでの回復魔法の使い手であって、希少なので大きな街でも重宝される存在になる。
因みにアキコは格闘戦、昨日は使わなかったが魔法戦、回復魔法と万能タイプだ。
アキコのこの街での仕事は、街の警備から看護師までを担っている。
それをほとんど完璧と言えるくらいにこなしている為、アキコは街の人達からは慕われている。
昨日ユウイチと遭遇したのは街周辺の警備中の事だった。
尚、その仕事と言うのは、クラタ家に雇われている形で行っているので、給料はクラタ家から出ている。
「そりゃあ丁度いい。
実はですね―――と、言う事を」
「あらあらユウイチさんも酷い人ですね」
ユウイチが作戦内容を悪戯っ子の顔で説明する。
それを楽しげに聞くアキコ。
「嫌いになります?」
作戦内容は結構酷いものだ。
特に過去ユウイチと関わる者にとっては。
尤も、ユウイチにとっては、それが常用手段で、これこそが自分なのだ。
過去の自分ではなく、今の。
「いえ、全く揺るぎませんよ」
それでもアキコは笑顔で答える。
一瞬も迷うこと無く。
「ところで、サユリさんとマイさんは貴方だと気づいてしまうかもしれませんよ?」
一拍置いて、問うアキコ。
瞳さえ見れば自分も見抜けたのだ、自分より高位の魔導士であるサユリと、特殊な能力の所持者であるマイもまた、ユウイチだと見抜いてしまうかもしれない。
「それは大丈夫ですよ。
俺、よく知り合いに言われるんですよ、出来損ないの手品師、もしくは悪質詐欺師ってね」
悪役を演じ続けてきた為、こう言う時最早反射で浮かぶ邪な笑み。
それと同時にユウイチの身体に刻まれた刻印が作動する。
クラタ家
この街の領主の屋敷、その中の執務室から出る二人の女性。
いや、女性というより少女と言った方が適切だろう。
一人は栗色の長い髪に緑のリボン、オレンジ色の瞳をした美少女。
この屋敷の持ち主、つまり本来の領主の娘であるサユリ クラタ嬢。
お嬢様ではあるが高位の魔導士でもあり、白を基調としたローブっぽい服(あくまで『っぽい』だが)を着用している。
魔導士としては若干豪華、お嬢様としては質素な服装である。
最も執務室での仕事でドレスなど邪魔なだけであるが。
もう一人は黒く長い髪を、蒼いリボンで纏めた緑の瞳の美少女。
サユリ クラタの無二の親友にしてサユリ専属護衛、マイ カワスミ。
東国の剣、太刀を佩いたスピードタイプの女剣士であり、篭手部以外に金属製の防具をつけていない。
服装は黒のシャツとパンツにジャケット、金属製のガードがついたグローブと太刀。
女性らしい飾りといえば蒼のリボンだけという、完全機能優先の服装である。
因みに二人は今年18歳になる。
18歳で専属護衛などと言う職業に就くのは、親友という関係、だからなどと言う理由ではない。
専属と言う部分は多少関係するだろうが、それでは護衛は成り立たない。
つまりマイは十分にプロといえるレベルの実力を持っているのだ、間違いなく一流の。
これはユウイチやアキコ、サユリにも言える事だ。
アキコは19歳、サユリとマイは18歳、ユウイチが17歳にして何故一流と呼ばれる程の強さを持つか。
それは、アキコ、サユリ、マイに関しては産まれ持った才能と言うのが、まず言える事だ。
次に身体、これは17,8となればもう完成していると言えるだろう。
そして本来良くない事だが、魔物や盗賊などと実戦を経験できる機会があると言う環境。
それに付け加えユウイチを含む4人は正統な武術・魔導を修得している事。
盗賊なんかの武術はたいがい我流であり、歴史の中で磨かれた正統な武術を身につけている事は大きい。
当然歳を取った、経験を積んできた熟年のプロは強し、ユウイチ達より強い者は人間は数多くいるだろう。
だがアキコ、マイ、サユリはそれを才能と血反吐を吐くほどの努力で、ユウイチは地獄で足掻き、それらと対等に渡り合えるほど能力を身につけた。
何より、ユウイチ達には戦う理由がある。
それが、彼等がこの歳で強者と成れた最大の要因であろう。
「ふぅ……お茶にしようかマイ」
「……」
サユリの提案に無表情で頷くだけのマイ。
微笑んでいるサユリに対し、無表情無愛想のマイ。
別にマイは不機嫌と言うわけではなく、単に感情を表に出せないだけなのだ。
昔は普通に感情表現をしていたのだが、ある事件をきっかけに、サユリにもほとんど笑みを見せなくなってしまっていた。
「これはこれはサユリお嬢様」
そこに現れた中肉中背、顔はそれなりに良いだけのキザったらしい青年。
成り上がり貴族の子息にして、この街の実権を握っているクゼである。
性格は、2人を見る見下したような歪んだ笑みだけで十分だろう。
ついでに本来の領主であるサユリの父が倒れたのをいい事に、サユリを婚約までさせた者だ。
なお、先ほどサユリが執務室から出てきた様に、仕事をしているのはサユリである。
クゼは実権を握っているのに仕事はしない。
だからサユリがしているのに自分の都合の悪い事に関しては文句を言う、そんな奴である。
因みにマイは護衛の傍ら、サユリの仕事を手伝ったりもしている。
この街が若干寂れながらも、大きな影響が出ていないのはこの2人の努力による物だ。
「あらクゼさん、お久しぶりです」
「3日ほど顔を見せなかっただけで、大げさですよサユリさん」
本来のサユリなら考えられない嫌味を、笑顔でサラっと言う。
一応にも領主であるのに無断で3日間も街を空けるなど考えられまい。
一方のクゼは流しているのかそれとも気づいていないのか、表情を一切崩さない。
「そろそろどうですか? 本国の方に戻りまして式の日取りを……」
式、この場合結婚式の事である。
そんな話題を振りながらサユリに必要以上に近づこうとするクゼ。
そこへ、
ヒュンッ!
クゼの前を何かが風を斬る音と共に通り過ぎる。
正確に言うならば、風を斬る音を鳴らさせた何かで、素人ではぎりぎり見えない速度で通り過ぎる。
「ちぃっ!カワスミ! キサマまだ解らんのか!
俺はここの領主にしてサユリの婚約者だぞ!」
見下した笑顔から一気に怒りの表情に変わるクゼ。
「婚約者いえど、変に近づき過ぎ」
双方の合意があるなら兎も角、もとよりクゼ家の方が一方的に決めた婚約。
そんなものが有る訳も無くセクハラ、いやクゼのそれは強姦になりかねない。
マイはこうして親友を毎回護ってきた。
「それ以前に、キサマは領主に刃を向けるなどと言う行為が、どういう事か解っているのか!!」
既に我が物にした筈の良質の果実を目の前にしながら、何度も邪魔をされ既に怒りも頂点のクゼ。
だが、マイは領主の仕事を手伝える程頭がいい、常に上手くやってのけている。
「刃? 刃なんて向けてない」
「はっ!何を言っている。
今俺の前でそのカタナとか言う東国の剣を抜いただろうが!」
一応素人ではないクゼには目の前を何かが通り過ぎたのは見えている。
今まで一度も見えなかったのだが、毎度毎度やられて目が慣れたのか今回はそれだけは見えていた。
「今の手を振っただけ」
「なっ……」
だが、それ単にマイがmわざわざ見える様に動かした手だけだった。
最初と最後だけ剣の柄に手を添えただけで、抜刀はしていないのだ。
「ダメだよ、マイ。
マイの動きは素人さんには見えないんだから、からかったりしちゃ」
稀に天然で言う事はあるが、今回は意図的な嫌味だ。
仮にも子供の頃から同じ道場にいた者同士としての。
「くっ!
サユリさん、こんな乱暴な女など放ってお茶でもどうですか?」
平静を装うとしながらサユリの気を引こうとする。
無理矢理婚約をしておいても、まだサユリの心を向かせようとしている様だ。
既に絶望的なまでに嫌われているというのに。
「ごめんなさい、まだ仕事が残っているもので」
休もうとはしていたのだが、わざわざ余計に疲れることをしたくは無い。
マイに目配りしながらも、そう言ってやんわり断ろうとする。
「根を詰めすぎではありませんか?
少しは休まないと身体に毒ですよ」
「いえ、こう見えてもサユリは丈夫ですから」
誰のせいで仕事が山の様にあるのかと殴り飛ばしたい所を抑え、笑顔のままその場を去る2人。
追って来ないのを確認しつつ2人は屋敷を出る。
仕事続きで滅入ってた気分に更に上乗せされて嫌な気分を晴らす為に、2人、いや3人の想い出の遊び場へ足を運んだ。
一方、サユリ達を見送ったクゼは己が雇った傭兵を召集していた。
集まった人数は9人。
「キサマ等、何時まで手間取っているのだ?
それとも何の為に雇われているか忘れたか?」
目的、表向きには最近出没する盗賊団の討伐の為の傭兵。
だが、実際はサユリ専属の護衛であるマイを亡き者にする為に雇われているのは、最早公然の秘密。
傭兵、と言えば聞こえは多少良いかもしれないが、実際はゴロツキに毛が生えた程度の集団で、傭兵の中でも質は最低と言ってよい。
ハッキリ言ってこの程度の連中10人集まろうと免許皆伝にして異端能力者たるマイに敵う筈が無い。
「しかしダンナ、話が違いすぎますぜ?
あの女の強さはちょっとした剣士どころじゃねぇし、寝るときまでお嬢の傍に居るんじゃ不意打ちもろくにできねぇ」
傭兵の1人が抗議の声を上げる。
実はこいつ等よりもっとましな傭兵、殺し屋が居たのだが、悉くマイと、実はサユリの連携によって再起不能にされている。
つまり、今残っているのは臆病か、もしくは幸運で生き残ってる雑魚だけなのだ。
1人の抗議の声に残りの傭兵も声を上げて抗議に賛同する。
集団である事を傘に言いたいことを言い散らかす醜い姿だ。
「ええ、黙らんか!」
クゼはその声を制そうするも静まる気配は無い。
人徳も無く、立場と金以外に威光になるものの無いクゼには、10人弱の集団すら抑える力は無かった。
そんな中、ただ1人抗議するでも無く、クゼの後ろに控えている者の姿が在った。
この醜い場にあって紅一点にして、ひっそりとされど美しく咲く華の様な存在。
癖のあるブラウンのロング、小川の様な澄んだ水色の瞳の美少女。
クゼの専属護衛、カオリ ミサカ。
着飾ればさぞ美しいのだろう―――いや、着飾る必要など無く、素材からして美しく、マイ同様に機能だけを重視した服装を着ていても、美少女と称して問題はない。
護衛と言うが、装備の類は見当たらず、両肩、両膝、両肘のガードと篭手くらいで、武器らしい物も持っていない。
ただし、立っているだけで隙が見えない事からも、実力の高さが解るし、篭手の傷の付き方から、素手による格闘家である事が推察される。
マイ、サユリより1つ下、丁度ユウイチと同じ歳にして、一流の格闘技術の修得者である。
実の所、先程のマイ、サユリとクゼのやり取りの場にも居たのだが、数歩下がって気配を消し見ていただけだった。
マイの攻撃は当たらないと解っていたから何もしないし、何も言わない。
契約に従い動くだけで余計な事は極力しない、冷たい機械の様な女だと周りからは思われている。
この少女をマイにぶつければ正面からでもかなりいい勝負になるだろうし、クゼの命令ならカオリは戦うしかない。
だが、それは下手をすれば最強の手駒であるカオリを失う事になる。
何かと―――いや、当たり前に敵が多いクゼにとって、彼女のガードが無くなるのはあまりに危険な事だ。
本国に戻っても、これほどの護衛、なかなか居ない。
実力と信用、誠実さ、そして何より、クゼにとって裏切らない確証がある護衛は。
「ええい!ではあの女を倒した者には約束の3倍の賞金を出す、それでいいな!」
結局クゼは金でしか傭兵を黙らせる事が出来なかった様だ。
実力差がハッキリしているというのに、金に踊らされる傭兵も傭兵であろうが。
つまりは同レベルという事なのだろう。
「……」
こんな奴に雇われているのか、そう思うと溜息の一つも吐きたくなるカオリ。
が、それも今更かと、また黙って周囲の警戒だけに意識を戻すのだった。
と、そこへ近づいてくる気配が1つ。
それも酷く禍々しい気配をした者が。
「何か来るわよ」
幾ら気に食わなかろうと、カオリはクゼを護らなければならない。
余談だが、これが本日初めての開口であった。
「む」
カオリに言われて初めて近づいてくる気配に気づくクゼとゴロツキ一同。
素人に毛が生えた程度の奴等には、解らない位には隠している禍々しい気配。
いや、それともその程度にしか隠せないのか、そんな予感すらある気配が近づいてくる。
「失礼する」
クラタ家のメイドに案内されて現れたその者は、使い込まれているだろうマントを羽織り、フードを深く被り顔を隠していた。
それと、背丈ほどの大きさの布に包まれた十字架の形をした物を、クロスしている部分に鎖を巻き、引きずっている。
声で男だろうという事と、恐らくそう歳は食っていない事が解る。
だが、何だろうか? この目の前に立っているだけで受ける威圧は。
一応は隠しているのだろう、メイドもゴロツキも気づいていない。
それでも目の前にするとカオリには嫌と言うほど解ってしまう。
まるで闇でも纏っている様な禍々しい気配。
今すぐ殲滅しなければならないという衝動に駆られる。
いや、恐らく間合いに入ったら攻撃せずにいられまい。
女の直感、武道家のカン、生命としての危機回避本能、それら全てが目の前の者が敵だと言っていた。
「何用だ?」
クゼはその気配に気づいていないだろう。
何時もの様に見るからにも怪しいその男を見下したような目で見る。
「この街の御当主が人を必要としていると、小耳に挟みまして。
参上した次第です」
辛うじて見える口元は嫌な笑みを浮かべている。
その声もカオリの癇にさわった。
もうほとんど全力でこの男を倒す―――いや殺したい衝動を抑えていた。
「ほぉ」
見下した目が品定めをする様な目に変わるクゼ。
カオリは目の前の男が危険である事を解っていないクゼにも腹が立ってきていた。
殺気を抑えきれないほどに。
「あっ! てめぇ昨日の!」
そこで、ゴロツキの一人が声を上げる。
ズカズカと男の前に歩み出るゴロツキ。
そいつは昨日ユウイチによって、雪の柔らかさに感謝する羽目になった男だ。
最も、その雪の冷たさに危うく凍死するところだったりしたのだが。
一応生きて、しかも戻ってきていたらしい。
「昨日はよくも!」
手入れされていない剣を抜き男に切りかかるゴロツキ。
かじった程度の剣術と無駄な力によって振るわれる剣。
それでも、ある程度実戦を知っている為、相手が素人なら避けられないし、受けきれないだろう。
だが、
「ああ、昨日のゴロツキか」
男は今の今までずっと思い出そうとしていたらしく、思い出せたのを嬉しそうに言いながら、ゴロツキの顔を鷲掴みにしていた。
振り下ろされた剣をまるですり抜けたかの様に避けて。
「昨日は昼飯は逃がしたけど、他のを美味しく頂けましたからね。
お礼に殺さないであげますよ」
ゴウッ!
楽しげな声でそう言うと、つかんでいたゴロツキが突然黒い炎に包まれる。
魔法ならあるはずの、予備動作が見られなかったのにだ。
ただ、男が引きずっていた布にくるまれた十字架が、布の上から見て、少し光っているのが見える。
酷く、禍々しい黒い光だ。
「ギャァァァァァ!!」
叫びのた打ち回り、炎が消えるまで床を転がるゴロツキ。
そして表面が黒焦げになって動かなくなる。
それでも辛うじて息はある様だ。
「予想以上に脆いですね、危うく嘘を言うところでしたよ」
黒焦げになったゴロツキを見て飄々と言う男。
クゼや他のゴロツキはそんな様子をただ見ている事しかできなかった。
唯一動けたが動かなかっただけのカオリは、男を隙を見て倒す事を心に決めた。
「ああ、大事な傭兵でしたね、申し訳ない。
代わりにと言ってはなんですが私を雇っていただけませんか?」
自分で一人使い物にならなくしておいて、しゃあしゃあと申し出る男。
普通ならそんな者を雇ったりしないだろうが、
「いいだろう」
その利用価値しか見ていないクゼは簡単に雇う事を決めてしまう。
邪な笑みを浮かべ、勝利を確信した様に。
男を利用して得られるモノは妄想でしかなく、それが破滅に繋がる事をまだ気づかない。
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弟を失った少女と、ただ1人を除いて誰にも理解されなかった少女。
そんな二人が出会った少年。
弱くて、努力家で、悪戯好きで、優しくて、少しだけ大人びた少年。
弟弟子で、弟の様り、友達で、理解者で、恋人―――家族とも呼べた間柄。
たかだか10歳そこそこの子供のママゴト。
でもそれは確かに幸せな時間だった。
一緒に稽古をしては傷だらけになって
一緒に遊んでは泥まみれになり
一緒に悪戯をしかけては怒られる
夏に出会いて一緒に泳ぎ、秋になりては山を歩き、冬になりては雪と戯れる。
約束した。
困った時は助け合うことを。
誓った。
3人で強くなることを。
願った。
この時が永遠であることを―――
「マイィィィィィィ!!」
屋敷に木霊するサユリの絶叫。
目の前でまるでスローモーションの様な動きで、例えるなら木の葉の様に飛ばされ、落ちる親友。
黒い炎に焼かれながら………
地面に落ちた、いや叩きつけられたマイからは炎が消える。
その代わりに体のいたるところから煙を上げ、肉の焼ける匂いが部屋に充満する。
「呆気無いですね、どんな強者も所詮は人の身ですか」
事の元凶たるマントとフードの男、今はフードが外れて顔が見える。
その顔は実につまらな気にマイを見下ろしていた。
僅かにあの少年の面影を残した顔で。
こうなった流れは、シンプルにして実に短時間での事だった。
マントとフードの男はクゼから、マイを倒す依頼を正式に受け契約を交わした。
そしてその数十分後、マイとサユリがいる所で、男はサユリに殺気を放ったのだ。
元々カオリが直感で危険だと断定する様な気配を纏っているのだ。
魔導師であるサユリ、特殊な魔導の持ち主であるマイには、更に鮮明に危険という警告が鳴る。
そこへ親友にして護衛対象であるサユリに殺気を向けられれば、マイは頭より先に身体が反応する。
ただ、それだけの事だ。
そして一言、
「自己紹介が遅れました。
私はユウイチ アイザワと申します」
風を切って向かってくるマイに、後ろにいるサユリに告げる自分の名。
そして一瞬、ほんの一瞬動きが鈍ったマイ。
そこでマイが切っていた風が男のフードを払った。
フードの下から現れたのはあの少年の面影を残した素顔。
更に、一瞬遅れて気付く、この男の魔力特性がユウイチの物と一致する事に。
魔力特性とは、その人の持つ魔力の色や流れ方などを総合した物で、指紋の様な物だ。
魔導刻印で身体を弄ろうと、それだけは変えられないとされている。
どれ一つとっても全く同じ物は一卵性の双子でもそうそう無く、強弱はしても形自体は基本的に変わる事は無く、コピーも不可能とされている。
それが読み取れる高位の魔導士には、確実に個人を識別する手段になる。
そう、サユリにもマイにも解ってしまったのだ、目の前の男があの少年である事を。
例え、その魔力が闇に染まっていたとしても―――
ゴッ!
鈍い音と共にユウイチの拳がマイの腹に突き刺る。
えびの様にマイの身体は折れ曲がり、顔は苦悶に歪む。
既に眼前まで迫っていたマイが、一瞬動きを止めた、その隙のカウンターだ。
「ガ………
ユウ……イチ……?」
苦悶に歪みながらも、ユウイチに顔を向けるマイ。
今の事態が信じられないという風に、ユウイチの名を呼ぶ。
弱々しく、ユウイチにしか聞こえない程度だが。
「いけませんね、人にいきなり斬りつけるなんて」
悪戯を窘める様にそう言うと、
ゴウッ!
マイに腹に突き刺さっている手から黒い炎が発せられ、あっという間にマイは黒い炎で包まれる。
見れば、男が引きずっている十字架らしきものが、また黒い光を放っていた。
布にくるまれている為、良く見なければ解らないが、それでも確実に、男が攻撃する時に光を放っている。
「キャァァァァァァァァッ!!」
甲高い悲鳴。
着火した場所は腹にめり込んでいる拳だ。
恐らくは身体の中から燃やされているのだろう。
「少し、五月蝿いですよ」
ドゴッ!
更に、燃えているマイを回し蹴りげ思いっきり蹴り飛ばす。
まるで木の葉の様に舞い上がるマイ。
「マイィィィィィィ!!」
何が起こったのか、まだ整理がつかない。
嫌な男がいると思ったら、そいつが殺気を放ってきて、マイが斬りかかって、そしたらその男は7年待っていた少年が、あの少年の筈なのにマイを……
混乱した上、常に明るく振舞うサユリの顔が見る見る青ざめて行く。
本来なら回復魔法も使えるサユリは、すぐに駆け寄って治療を施さなければならない筈だ。
でも、サユリは倒れるマイを見るだけで動けないでいる。
「サユリさん! 一体何が!?」
そこへ、悲鳴を聞きつけたのかアキコが飛び込んでくる。
「マイさん?!」
そしてマイの姿を見て驚くも、すぐに駆け寄って診察を始める。
「いけない……」
難しい顔をしつつ即座にマイを中心に魔法陣を描き、符を数枚配置していく。
「全ての命の源よ……」
凄まじい手際で治療魔法に取り掛かる。
クゼも思わず傍観してしまうくらいに。
だが、ユウイチが状況に興味を失なった様にフードを被り、下がってくるとすぐに我に返る。
「まったく、いきなり人に斬りかかるなんて野蛮極まりないですね。
サユリさん、これを機に護衛も代えてはいかがですか? それでは私共はこれで」
勝利者の余裕か、アキコが来たからか、
念願のマイ打倒を達成したのに、サユリにはそんな言葉を掛けるだけでその場から立ち去るクゼ。
「サユリさん、私だけでは足りません手伝ってください。
サユリさん!」
背ではマイの治療に苦戦しているだろうアキコの声が聞こえる。
それを聞いてか、クゼの顔は邪な笑みに歪む。
どうやらサユリはまだ自失しているらしい。
下らない戦いを終えたユウイチは何言うでもなくクゼの後に続く。
カオリはそんな2人の後ろについて歩く。
何かに耐えるように俯きながら。
その後、勝ち誇ったクゼはクラタ家の執務室のイスに腰掛けていた。
あたかもクラタ家を完全に手中に収めた記念と言わんばかりに。
「これでやっと障害はなくなったな。
まあ、もとより時間稼ぎにしかなっていなかったのだがな」
散々苦渋を舐めさせられた相手が倒されてよほど嬉しいらしく、口ではそう言っていても口元が緩んでいる。
そんな雇い主を見てまた暗く俯くカオリ。
と、そこで控えていたユウイチとカオリは、この屋敷に近づいてくる気配を感じる。
「おや? 獲物が近づいていますね」
先にその事で口を開いたのはユウイチの方だった。
「獲物? 盗賊か?」
ユウイチの性格を大体把握したつもりのクゼはそう確かめる。
本来、盗賊が近づいているのだったらもう少し緊張感を持つべきなのだが、クゼは勝利の余韻もあって余裕そうだ。
「ええ。
少々遊んできてよろしいですかな?」
「構わん。
遊ぶなら徹底的にやれ」
既に放置しておく理由の無くなった盗賊である、飛んで火に入るなんとやら、とでも思っているのだろう。
「ではその様に」
笑みを浮かべ一人屋敷の外に出るユウイチ。
真正面から来る盗賊を迎える為に。
屋敷の裏手に出たユウイチ。
そこに現れる数人の盗賊達。
「見かけねぇ奴だな」
ユウイチを見た盗賊の一人がそんな事を呟く。
そう言えるという事は、こちらの戦力は全て把握していたという事なのだろう。
「………」
ユウイチは何も応えずただ立っているだけだ。
「ま、不確定要素がこんな所にいてくれるのはありがてぇけど、よっ!」
台詞が終わると同時に、2本のナイフがユウイチに向かって投げられる。
が、ユウイチはそれを避けようともしない。
そのまま進めば一本は心臓に突き刺さると言うのに。
キィンッ!
だが、当たると思ったその時。
マントまで到達したナイフは金属音と共に弾かれる。
「っ!! ………」
それを見た盗賊達は一瞬だけ驚いた様子を見せたが、次の瞬間には無表情になっていた。
正確には無表情とは少し違う、それは相手の一挙一動を見抜こうとする顔だ。
が、
ザシュッ!
「ぐわぁぁぁっ!」
突然盗賊の一人の足が何かによって少し抉られる。
倒れて悶絶する盗賊の一人。
この時も、また、引きずっている十字架は、怪しく輝いていた。
「ちっ!」
残った盗賊はじりじりと距離を開けてながら様子を伺う。
とても盗賊の雑魚達とは思えない行動。
プロの戦士の様に冷静さと判断。
そんな盗賊達にユウイチは内心驚きつつ喜んでいた。
ここまで使えるとは思ってもみなかったのだから。
それか暫く、睨みあいを続けるユウイチと盗賊。
そこで、
パリィンッ!
屋敷の方から窓ガラスの割れる音が聞こえる。
それと同時に、
「よし、俺達は撤退だ!」
そう言い残し、盗賊達は一斉に森の中へと消えていく。
見れば先程足に傷を負った盗賊の姿も無い。
「いい陽動だ」
残されたユウイチはフードの下で笑みを浮かべながら振り返る。
今大騒ぎになっているだろう屋敷の方へと。
屋敷に戻ったユウイチが目にしたのは床にうずくまり、中には動かなくなっているモノもいるクゼの傭兵達だった。
屋敷の中は戦いの痕跡で傷つき、まともに動ける者は居なかった。
助けを求める傭兵達を無視し、執務室へ足を運ぶユウイチ。
事の結果を確認する為に。
だが、執務室に入ったユウイチは、思わず舌打ちをしたくなってしまった。
「戻ったか。
それにしても随分と撃ち漏らしがあったが?」
部屋には数人の倒れた盗賊、不機嫌なクゼ。
そして憮然と立つカオリがいた。
「随分と狡猾な盗賊でしたので、1人では屋敷全体カバーしきれませんよ。
どうも各所に陽動をかけていた様ですね。
因みに貴方の傭兵達は全滅の様ですよ、そこのお嬢さんを除いて」
個々の強さもそれなりであり、引き際をわきまえていた。
更には数も多い。
今までマイ達がどれ程苦労していたかが伺える。
だが、クゼは無傷だ。
つまりカオリは完璧にボディーガードとしての任務をこなしたという事になる。
かなりの腕前を見ていたが、そこまでとは正直予想外だった。
いや、この場合敵の引き際の良さも禍したのだが。
数刻後、事態の整理に動く事になるクゼ。
何せ、いつも職務をこなしている2人は自ら潰したのだ。
当然の事であし、屋敷自体の事なのでほうっておく事も出来ない。
調査の結果、多少の金目の物を持ち出された他はクゼの傭兵達が全員倒れるというぐらいの被害に留まっていた。
ついでに屋敷の修繕費は、面倒ごとになるのが嫌らしく、文句をいいつつもクゼがポケットマネーから出していた。
つまり、実質的に被害はクゼだけが受けた事になったのだ。
まあ、クゼにとってははした金程度であったそうだが。
後始末中、クゼから離れたユウイチは街の病院に来ていた。
その中の一室、マイ カワスミの運び込まれた病室まで来ていた。
「失礼する」
ノックと挨拶の後部屋に入るユウイチ。
キィィンッ!
ユウイチが部屋に入ると同時に、音と魔法が発動した。
見れば、マイの横たわるベットの脇に立っていたサユリが、杖を振りかざしていた。
そして、
「結っ!」
極短い発動言語と共にを床に向ける。
それに伴い部屋全体に、魔術文字と魔法陣が広がってゆく。
何らかの結界でこの部屋を包んだ様だ。
「流石、早いですね」
その結界精製の早さに純粋な賛美を送るユウイチ。
実際、今の速度ではほとんど逃げようが無い。
これが捕縛用の結界だったら、ユウイチでもちょっと逃げられた自信はなかった。
まあ実際外に情報が漏れないようにする結界なので、別に逃げようと思えば今からでも逃げられる。
だが、結界はともかく状況はそうはいかない。
今この病室のユウイチの目の前には、横たえているが刀がいつでも抜ける位置にあるマイ、すぐにでも魔法を発動できる状態にあるサユリ。
そしてそのサユリの半歩斜め前に薙刀を持ったアキコがいる。
3人がユウイチを殺す気であるなら、前に進もうと後ろに下がろうと、切り抜けるのは困難だ。
実際、先程した事を考えれば、問答無用で殺されても可笑しくは無いだろう。
「これで大丈夫、他人に知られる事はありませんよ、ユウイチ君。
あ、もう君なんて歳でも無いですね、ユウイチさんって改めますね」
だが、サユリは微笑んだ。
そう、あの平和で幸せだった7年前の頃の様に、ユウイチに。
事情を知るアキコならいざしらず、先程悲鳴を上げて自失していた筈のサユリがである。
「………アキコさんから聞きました?」
まだ若干警戒はするものの、クゼの前とは違い、昨日アキコに見せていた表情、気配になるユウイチ。
同時に纏っていた闇の気配も消えてしまう。
まるでそんなもの始めから無かったかの様に綺麗サッパリと。
いや、実際そんなものは始めから無かったのだ。
「いえ」
ユウイチの質問をやんわりと否定するサユリ。
「あの時のユウイチの目、悪戯する時の目だった」
サユリの返答に伴い、マイが理由を答える。
あの時、つまりフードが外れて顔が見えたとき、ユウイチがユウイチであると確信した時の事だろう。
「………俺ってそんなに解り易いか?」
目を見ただけ。
たったそれだけでだ。
確かに7年前なら互いの考えてる事など9割方察しがついたし、癖もほとんど見抜いていた。
が、それは7年も前の話だ。
7年経った今でもそれが通用してしまうとなると、ユウイチは自分は本当に7年間何も変わらなかったのでは無いかと、心配にすらなる。
それとも、これが7年前に気付いた絆の力なのだろうか。
ユウイチはそう言う力は強力だと知っているが、自分に対してこれ程強く働いているのは、久しくなかった事であり、戸惑いすら覚えてしまう。
「ええ、とっても」
「はい、すごく」
「ユウイチだから」
はっきりキッパリ即答する3人。
説明の手間とか、裏で操作する必要がなくなったのだから良い事はいいのだが、自分の今後を憂いてしまう。
今後も、自分の道を全うできるのかと。
「それに全然痛く無かったし」
「あんなモノで人は燃えませんし、焦げたのは服だけですからね」
あの時、ユウイチがマイに攻撃する際、ユウイチは直前で拳を一回止めていた。
カオリからは死角になっていて解らなかっただろうが、マイはほとんどただ持ち上げられたにすぎない。
ただ、
「けど麻痺はまだ解けない」
「はい、もう少しですけど。
随分と高度な麻痺の呪いですね」
ユウイチがマイに与えたダメージらしいダメージはm最初の一撃の時に叩き込んだ麻痺の呪いのみだ。
投げた時も、錯乱している様に見せていたサユリにより、衝撃を緩和してもらっている為ほぼダメージは無い。
「一応、クゼとマイを倒すと言う契約を結びましたからね」
ユウイチとクゼの間に結ばれた契約に、ユウイチは違反していない。
一応にもマイはこうして倒されているのだから。
それは屁理屈でもなく、あの時、本当にマイは動けず、クゼでもトドメを刺せたくらいであった。
後数分もすればもう万全までに回復してしまうが、そんなことは関係ない。
「しかし、流石にサユリさんにはアレは見破られましたか」
「いえ、それはユウイチさんだと解っていたから、と言うのが大きいですよ。
あの紛い物は良くできていますから」
ユウイチが放った黒い炎、実は外見だけ、見せ掛けだけのもの過ぎない。
そもそも魔導士としての才能が無いユウイチは、実戦レベルの攻撃魔法は一切使えない。
いかに補助機関を用いても、人を燃やせるほどの炎は出せないのだ。
先のあの黒い炎はただ外見そう見えるだけの幻影に近いものだ。
焦げて見えるのはユウイチの別に細工したからに過ぎず、炎で燃えた訳ではない。
なお、クゼと契約を結ぶ前に倒されたチンピラにも同じ事をしたので、実は麻痺しているだけ。
本人は気付いていない為、明日目が覚めれば『介抱が良かった』という事にされるだろう。
因みに、麻痺を与えたのは、強力なマジックアイテムで、マイも回避、防御できなかったのは、0距離で撃たれたからだ。
「まあ、二人を欺くには役不足だったかな」
いくら演技がなっていようと、マイを一切傷つける事ができず、あんな紛い物の魔法を使ったのだ、二人に見抜かれてしまうのは仕方の無い事だろう。
けれど、
「そもそもユウイチさんは、絶対に約束を破ったりしませんから」
若干自嘲気味な苦笑を浮かべていたユウイチに微笑むサユリ。
一切作っていない自然な笑みで。
「どんなに遅れても、絶対に間に合わせる」
無表情ではあるものの一切疑いの無い瞳を向けるマイ。
あの時から変わる事の無い2人。
「………やっぱり変わってないのか、2人共」
2人の心が変わらぬ事に喜びまた懐かしむも、少し悲しげなユウイチ。
アキコの時もそうであったが、2人を見るとあまりに自分が変わった事が浮き彫りになって感じる。
それを後悔している訳ではないが、何故か少しだけ悲しかった。
「でも、今回は相談無しでしたからね、少しびっくりしてしまいましたよ。
だから」
どこか悪戯した子供を咎める様な笑みを浮かべながら、静かにユウイチに歩み寄るサユリ。
そして、
「サユリさん?」
ほぼあらゆる事に対して冷静に対処できるよう訓練してきたユウイチであったが、サユリが近づいてくる事に対し金縛りかの様に動けなくなってしまう。
この金縛りは自分の内側から出る物であり、回避も防御もできない。
「少し怒っちゃいました」
サユリはそう言って、ユウイチを抱きしめた。
「サユリさん……」
ユウイチもサユリを抱き返す。
この街に留まらないと決めているのだから、そうすべきでは無いと、そう頭では言っているが感情がそうさせる。
本来、そういった感情こそ制御しなければならないのに、この町に来てからユウイチは自分がおかしいと考えている。
でも、今は、今だけはそれでいいのだと、ユウイチの中で誰かが告げた。
それにこれはユウイチが突然居なくなった事、連絡の一つもよこさなかった事に対し何も言わない代わりだ。
7年間離れていた事に対する全ての代償。
ユウイチはそれを拒むことなどできる筈はなかった。
別れた折には自分より背が低かった筈のユウイチ。
今やユウイチが少し底が厚めのブーツを履いている事もあり、サユリの顔はユウイチの胸に来てしまう。
それがまたサユリにどれだけの時間離れていたのかを実感させ、背に回す腕に力が入ってしまう。
体温を、鼓動を、魔力の波動を全てを肌で感じ、今ここに居るのがあの少年である事を実感したい。
そして夢では無い事を、幻で無い事を確かめたい。
暫くそうやって抱き合う2人。
そんな二人を少し複雑な気持で見つめるアキコ。
と、
「………ユウイチ」
もう我慢の限界と言う感じで―――と言っても、その表情の変化はユウイチやサユリでしか解らないものだが、ユウイチを睨む様に見つめるマイ。
「ああ、解ってるって」
この状態、サユリから離れてくれなければユウイチは動けない。
それから少しして、落ち着いたサユリは自分から離れ、マイへの元へ促がされてからユウイチはベットに横たわるマイと同様の抱擁に浸った。
それからマイも落ち着いた後、話し合いに戻る。
先ずは確認からだ。
「ところで、何でその十字架、引き摺っているのですか?
昨日は背負ってましたよね?」
やっと疑問を問えるタイミングを得たアキコは、そう言って引き摺られている十字架を指す。
「なんに見えます? これ」
それを質問で返す。
何か悪戯小僧的な笑みを浮かべながら。
「え? それは大剣じゃ・・・」
昨日、それは背負われ大剣として使われていた。
尤も、使われた時も布に包まったままであった為、刃がある事は確認していないから剣か定かではない。
だが、それは今は重要ではないのだ。
「何に見えます?」
もう一度同じ質問を繰り返す。
アキコの答えは、昨日使われた所を見たから、言える答えだからだ。
「ああ、なるほど。
詐欺師ですね、ユウイチさん」
それでやっとユウイチの意図が解る。
マントにフードという格好であり、武器らしき物が見えず、先の場では魔法らしきものを使ったのだ。
クゼ達はユウイチの事を体術か魔導系がメインだと思っているだろう。
魔導師だと言う先入観がある場合、鎖で引き摺られた十字架は何に見えるか。
少し変わった魔法の補助道具として見られる可能性が高いだろう。
実際、聖職者は十字架を触媒にして魔法を遣うことが多く、ユウイチもロザリオ型のマジックアイテムを持っている。
ユウイチが先の場で見せたのは闇属性の魔法と見られるが、ここで十字架が布に包まれていると言うのが深読みを誘うポイントだ。
「それほどでも、ありますとも」
子供の頃から変わらない、変な自信をもって、胸を張る雄一。
実はアキコも解っていない事が幾つかあるのだが、ユウイチは説明する気は無い。
詐欺の手口は、味方にも知られない方がいい場合があるからだ。
「私としては、先程まで闇を纏っていたトリックが知りたいのですが」
と、そこでサユリも同様に疑問に思っていた事を尋ねる。
自分でもそれなりに高い能力があると自負しているサユリであるが、さっきまでユウイチが闇を纏っている様な気配を出していた方法が解らない。
原理的に言えば、こうすれば可能、というのはいくつか浮かぶが、どれも現実的ではない。
よっぽど高度な魔法なのかもしれないが、それならば、ユウイチに使える筈はない。
基本的に魔導師としてサユリに全く敵わないユウイチが、サユリが理解できない魔法を使う事なんて無い筈なのだ。
基本的に、なので無くは無い、考えられるのは―――
「古代遺産レベルのアイテムか、うでなければ魔導刻印くらいしか、ちょっと考えれないんですけど」
「っ! ………」
ちょっとした謎解きをしている感じのサユリ。
だが、そのサユリの何気ない一言に、一瞬身体が強張ってしまうアキコ。
ユウイチは慣れているのか平然としている。
「でも魔導刻印なら、全身に施さないといけませんよね。
全身に描くのって大変ですよね〜、1人じゃできませんし」
「……」
続けるサユリ。
その言葉に昨日見たユウイチの身体の事を思い出しアキコは俯く。
ユウイチは、然としている様だが、実際はどう答えるべきか迷っていた。
「………2人共どうした?」
一歩引いた位置で会話を聞いていたマイは気づく。
ユウイチとアキコの様子が微妙におかしい事に。
「………ユウイチさん」
マイの言葉に気付いたサユリは、ユウイチの正面に移動した。
そして、ユウイチが対応するようり早くユウイチの服に手をかけ、開く。
「あっ、サユリさん!?」
流石にサユリの手を止めるも既に遅く、ユウイチの肌が晒されてしまう。
「……」
ある程度予想していた、だからそうしたのだが、サユリは絶句して動けなくなってしまう。
ユウイチに刻まれている刻印を見て。
そして俯きながら服を元に戻すサユリ。
「数ある中途半端な機能の一つで、属性を纏えるんですよ。
はっきり言って戦闘にはほっとんど役に立ちませんよ、少なくとも人間相手じゃ。
でもハッタリには使えますから、さっきみたいね」
闇を纏えば、その禍々しい気配から恐れられ、無用な戦闘を避けてりもできる。
逆に、敵意を全て己に向ける事も可能と言う訳だ。
「それが『出来損ないの手品師』の正体ですか?」
「ええ、そうなります。
直接戦闘には使えなくともまあ、使い方次第ですよ」
アキコの問いにまるで、子供が玩具を公開するような感じのユウイチ。
「……ユウイチさん、今回の悪戯の内容私達にも教えてくださいな」
「私達も手伝う」
少し強引ではあったが、話を最後の重要な物へと移行するサユリとマイ。
最初から冗談のつもりなどなかったが、ユウイチの7年間のほんの一部を垣間見て、これ以上は、感傷に浸っている時間も惜しくなったのだ。
「そうだな。
実は1つ失敗して、少し困ってたんですよ」
「あら、ユウイチさんなら、たかが1回何かが上手くいかなかった程度では、困らないじゃないんですか?」
「まあね」
先に述べたとおりユウイチは、昔から悪戯は病的に上手かった。
何が上手いかと言えば軍指揮官顔負けの情報処理、戦略配置及び柔軟な発想。
それに付け加えて例え何処かで失敗しても、それを修正する作戦を、幾つも用意する事であろう。
一度悪戯をする前段階でバレ、計画書が保護者に没収された時、その計画書は一冊の本に成る程の量だったとか。
それを見たサユリの父は、本気でユウイチを士官学校に通わせる事を検討した程である。
直接戦う事はできなくとも、後方で指揮をとらせれば、才能を発揮できるのではないか、と。
事実として、その判断はある意味で正しかったのだが、それが実現する事はなかった。
「じゃ、より確実にするために手伝ってもらいますね」
「ええ」
「やる」
作戦は、とても悪戯ではすまされない、この町の命運を左右する大事件となる。
でも、今この瞬間だけはあの無邪気でいれた7年前の様に。