少年は、師より多くを学び、1人でも戦えるまでに成る事ができた。
師は少年に戦い以外の事も沢山教えてくれた。
また、そのほぼ全てが戦闘にも繋がるとも教えてくれた。
少年が師から教わった事の中でも特に気に入り、可能な限り実施している事がある。
「私達戦を生業の様にしている者に限らず、生きとし生ける者は全て身体が資本よ。
例え小説家だろうと、シナリオを考えるのにも。書くのにも身体は必要なのだから」
「はい、
話しているのは、蒼く美しいウェイブロングの髪、金色の瞳の10代と言われても何ら疑問を持たない優しげな感じの年齢不詳の美女。
その女性の話を真面目に聞き、素直に頷くブラウンの髪の整った顔立ちの少年。
「何をするにも健康は絶対条件。
よってこの世界には絶対に最も近しい規則があるわ」
「絶対に最も近い?」
師は『絶対』という言葉を使わない。
絶対に在り得ないとか、そういう言い方を嫌う人だ。
絶対なんてそう滅多と在るモノじゃない、というのが口癖の様なものでもあった。
その師がそんな表現をするのだ、どれだけ凄い事かと気持が高ぶる少年。
が、
「それは、あまりに有名な言葉だけどとてもとても大切な事。
それは―――食えるときに食う、寝れる時に寝る、よ」
大真面目に言う師。
まあ、確かに生きるうえでの鉄則ではあるのだが。
「はい、
だが、少年は無垢な瞳で頷く。
栄養をとり休むという事は戦闘をする、体を動かす上で常識と言えるほど大切な事だ。
だから少年は師の言葉をそのまま覚えるのだった。
ついでに、
「ところで
師がつい先程山で取れたものだけで調理した、鍋を食べながら尋ねる少年。
その鍋はろくな調味料もないのに、一流のレストランで食べるものより美味しく感じられた。
「ん〜そうね〜、やっぱ食は重要よ。
栄養の摂取だけではなく、美味しいものを食べる事で心も癒されるわ。
じゃあ、貴方も料理を覚えましょうか」
「はい、
「包丁を持つ限り妥協は許さないわよ」
「はい、
こうして少年は暇を見て料理ができる時は師に調理法を伝授されるのであった。
「食材は斬る角度でも味が変わるのよ!
剣で人の皮一枚を剥ぐ様に、繊細に動かしなさい!」
「はい、
「火の通し方が甘いわ!
何度も消し炭になりかけた貴方なら火がいかなるものか解ってる筈よ!」
「はい、
師は一流のコックの技術を、楽しく、それでいて効率的に技術を伝授した。
厳しい修行であったが、その修行は少年も師も結構楽しんでたりした。
無銘の華
第4.5話 閑話、幕間、準備の時間
街に平穏が戻った次の日。
街はクラタ家当主の復帰に、お祭り騒ぎになっていた。
公には当主の復帰で、クゼが退いたという事になっている。
少なくともまだクゼは容疑者という立場なのだ。
まあ、理由はともかく、待ち望んだ当主の復帰に街の活気は一気に戻った。
そんな中、
「あ〜……眠い」
先の事件を裏で解決した英雄、ユウイチ アイザワは、
現在軟禁中のミナセ家2階、自室のベットの上で目を覚まし、だるそうに呟いていた。
かなり眠そうである。
「まだ9時か……寝よう」
時間を確認したユウイチは、そのまままた布団を被りベットに潜ろうとする。
なお、昨日はクラタ家でちょっとしたパーティー(名目上当主の復帰祝い)があったが、ユウイチは食うものだけ食って早々に退散し、12時にはベットに入っている。
(ユウイチ、待て)
ユウイチの内部から話しかけてくるシグルド。
2度寝に入ろうとするユウイチを窘めるのかと思いきや、
(寝るなら朝食を摂ってからにすべきであろう)
などとのたまった。
こんなにのんびりできる事など、滅多な事ではないから、できる時休んでおきたいのだ。
「それもそだな」
ふらふらとベットから降り、靴を履いて1階に下りるユウイチ。
因みに服装はマントとジャケットとフードを外しただけの格好。
黒の上下と、上着だけである。
寝相はいいユウイチであるが、寝癖はできる。
でも気にもしないでキッチンへと向かう。
(あ〜、しかしあれ系の夢を見るのも久しぶりだ)
起きた直後でキッチンに向かっている為、今日見た夢について思い出す。
ユウイチは毎日の様の夢を見る。
主に過去の夢だ。
中でも修行時代の夢は多いのだが、今日の様な楽しかった事を夢で見る事は稀だった。
どれくらい稀かというと、修行時代の楽しい事があった数くらい稀だった。
(でも結局あんまり上達しなかったんだよな〜)
ユウイチは料理の才能もなかったらしく、努力したものの料理の腕は並止まりだった。
とりあえず料理はできる、と人に言える程度だ。
ただ、味を何かで誤魔化したり、毒などを盛る料理は異常に上手かったりするが。
(主の師と別行動になってから、あまり良い物を口にしとらんな)
年間の9割を野宿で過ごすユウイチ達。
現地調達で食事を摂っているのだが、それでは流石に味に限界がある。
(
因みにきっちり残り6つもある、というか7つというのは特に気になるものであって、謎の数は共に過ごした年月の数ほどある。
まあ、それは今は置いておいておこう。
「あら、おはようございます。
今日はゆっくりでしたね」
キッチンに到着するとアキコが出迎えてくれる。
胸当てを外し、巫女服の上にエプロンをつけるという格好だ。
「あ〜おはようございます。
今日も綺麗ですね、アキコさん」
寝ぐせ付きで、寝ぼけてるとしか思えない口調で言うユウイチ。
「……あ、朝ごはん食べます?」
平然としている様で、ちょっと思考が止まるアキコ。
寝ぼけてるし、でも寝ぼけてるって事は本音? という思考が巡っていたりする。
寝ぼけているようで、そんなアキコの反応をユウイチが楽しんでいる事には気付いていない。
まあ、本音なのだが。
「はい〜」
眠そうにそう応えてテーブルに突っ伏す。
昨日までの演技っぷりと、戦いっぷりからはちょっと想像できないダラけたユウイチ。
休む時にはきっちり休むユウイチだが、ここまでできるのはこの家だからだ。
巫女服にエプロンを着け、コーヒーを煎れパンを焼くアキコ。
「絵になるな〜」
ぼうっと眺めながら口に出すユウイチ。
戦闘を半生業とする為、耳が普通より良いアキコにも微妙に聞こえるように。
「……」
また一瞬アキコの動きが止まる。
致命傷には程遠いが、ちくちくとダメージが行っている様だ。
アキコはこれまで、天賦の才と常識を逸する努力によって得た力で、人か恐れられる事が多く、こういう何気ない言葉をm本人の前で言って貰えるのは、あまり経験がなかったりする。
半分は天然だが、そう言うのもある程度考え、理解しているうえでやっているユウイチは、結構性質が悪いだろう。
「はい、簡単な物ですけど」
そう言ってトーストとスクランブルエッグ、サラダ、コーヒー、ジャム各種を用意するアキコ。
確かに簡単そうに思えるがパンは自家製。
勿論ジャムも自家製で、基本のイチゴ、マーマレードから謎なのまで10種がテーブルに出される。
「いただきま〜す」
コーヒーで喉を潤し、タマゴから手をつけるユウイチ。
アキコはユウイチの正面に座り、ユウイチの食事を眺める。
「あ〜アキコさん、パンまだあります?」
と、ユウイチはトーストを取ったところでそう尋ねる。
テーブルにある料理の量は朝食としては十分なものだと思われるが。
「はい、切ればまだ8枚くらいは」
キッチンには、まだ今日焼きあがった食パンが残っている。
2斤焼いたので、ユウイチが今持っている分を除いてもまだ十分にある。
「すみませんけど全部貰えます?」
「ええ、いいですよ」
食パン二斤など到底一人で食べきれるとは思えないが、アキコは特に詮索する事なく、台所に移動し、食パンを同じ厚さにスライスし、今あるものと同様にトーストにする。
その間にユウイチは、テーブルに乗っているジャムを1個1個品定めする。
名前が書いていないため、匂いと、少しとって舐めて味で判別していくしかない。
が、最後の1個、黄色いジャムだけ、甘くなく、不思議な味がするだけで材料が解らなかった。
毒を見分ける為に、食材の味なら全てと言っていいほど覚えたユウイチが見分けられないのだ。
「はい、どうぞ」
そこへアキコが、8枚のトーストを皿に積んで戻ってくる。
「あ、アキコさん、このジャムは何ですか?
これだけ材料が解らないんですけど」
と、謎なジャムをさして尋ねるとアキコはニッコリと微笑み、
「秘密です」
何処か楽しげにそう言った。
「いや、秘密って……食材ですよね?」
食材ではない毒物のほぼ全て、食材になりえない物の味も大抵覚えているユウイチだ。
アキコが毒などを食卓に置くわけは無いが、解らないとなると、何になるのかと気になって聞いてみる。
が、
「……秘密です」
なんとも言えない間を置いて、再度そう言うアキコ。
その間がわざとなのかどうかは、ユウイチにはちょっと判別ができなかった。
「そうですか……」
これ以上追求すべきか、かなり迷うユウイチ。
どうするか悩みに悩んでいると、
「私は受け専門になる気はないですから」
そう言って微笑むアキコ。
かなり素敵な笑みだ。
(く、返されたか)
(主は年上の女性にはよく負けるな)
(と言うか女性には等しく、何処かで負けるな)
まあ、意地なってまで完勝したいとも思わないので、まいっかと、その件は締めくくってしまう。
「栄養はバッチリですよ」
ユウイチが諦めたのを見抜いたのか、そう付け加えるアキコ。
今は普通の笑みだ、嘘である事はないだろう。
「そうですか。
じゃ、これもまぜてっと」
ユウイチは7つのジャムを選び、追加されたトーストに塗り、それらを全て重ねる。
7つの味、8段のトーストのできあがりとなった。
それをどうするのかと思えば、ユウイチはおもむろにそのトーストを持ち上げ、テーブルの横に出したかと思うと、
「ほい」
と、いいながら手を離す。
いや、正確には手を一気に引っ込める。
バッ!
突如として物凄い勢いで床から黒い何かが生え、トーストを全て飲み込んでしまう。
そして、またすぐに引っ込んでしまう。
床に穴が開いたわけではない、床に何かのゲートが発生しただけの様だ。
(うむ、実際食しても黄色いジャムの材料は解らぬが、他のジャムもトーストもいい味だ)
アキコとユウイチに念話が届く。
これは昨日全員が聞いている声、シグルドのものだ。
どうやら先程のはシグルドの口だったらしい。
「おそまつさまです」
ゲートを開いた瞬間から理解したアキコは、驚く事なく対応する。
「シグルドは俺の中にいるかぎりほとんどエネルギー消費しないし、俺が食っていれば大丈夫なんですけどね、
昨日みたいに直接動いたりすると、食わないと間に合わないんですよ」
若干アキコの反応が淡白だった事を残念がりながらも、説明するユウイチ。
シグルドはドラゴンの中でもかなり歳をとった高位のドラゴンであり、本来なら、食事は基本的に必要としない。
tだ、ユウイチと契約した時に能力の大半を封印した為それも失われ、ユウイチは魔力の供給がほとんど出来ない為に、直接物を食べる事が必要になっているのだ。
なお、それまで食事と言うものをほとんどしなかったシグルドは、味覚が鈍感だったのだが、今は人間並みまで鍛えられている。
ユウイチ達と旅をするようになった際に、ユウイチと師によって。味覚が矯正されたのだ。
「そうでしたか。
ではお昼はちゃんと用意しますね」
(かたじけない)
因みに、先程の食事方法は、シグルドが出れるほどの空間が無い事が多いことから編み出したモノである。
今では応用して攻撃、ユウイチのフェイクマジックに使われているが、元は食事の手段だったりしたのだ。
「美味しいですね」
のんびり食べながら、感想を漏らすユウイチ。
なんとなく幸せな感じだ。
(うむ、いい嫁になれるぞ)
まだ味わっているらしいシグルドも再度感想を送る。
師と別れてから、まともな料理が食べらなかったせいもあるが、かなり気に入った様だ。
「あら、そうですか?」
美人でも、その強さ故、父親に嫁の貰い手を心配された事すらあるアキコだ。
軽く流している様に見せているが、実はかなり嬉しかったりする。
「そりゃもう、アキコさんを生涯の伴侶にできる奴は幸せ者でしょうね」
ほのぼのとした空気の中、少々間延びした口調でシグルドに続けるユウイチ。
だが、言った後、次にアキコが、どんな言葉を続けるかが予測してしかるべきだった事に気付く。
こういう話の流れはアキコとは作ってはいけなかった事を思い出す。
でも、もう遅かった。
「では、ユウイチさん、貰っていただけませんか?」
そう言って微笑むアキコ。
冗談だ。
そう空気上はただの冗談の筈だ。
今の雰囲気も、会話の流れ上もそれは本気の言葉でありえない筈なのだ。
でもユウイチには解る、解ってしまうからユウイチには、それをただの冗談で流す事はできない。
「はははは、ご冗談を。
俺とアキコさんじゃ勿体無さすぎますよ。
それに、俺は重罪人ですよ? 指名手配されたり賞金掛けられるヘマはしてませんが。
俺には貴方を幸せにできる訳が無いし、そんな資格はないですよ」
口調、顔、空気、いずれも元のまま。
あくまで他愛無い会話を続けている、様にしか見えない。
でも違う。
中身が違う。
空気が変わっていないのに、ユウイチとアキコだけ切り離されたかのように違う。
本来場に居るものの状態で空気は変わる。
空気によって居る者の状態にも影響する。
だというのに空気が変化しないまま、完全に隔離去れたかの様に2人だけ変わってしまった。
「あら、それは私は旅にお邪魔という遠まわしなお断りでしょうか?」
笑顔だ、笑顔なのだ。
外見上は本当になにも変わらない。
「いやいや、ジャマとかじゃないですよ。
でもですね〜俺としてはこっち側に来て欲しくないだけです。
俺は好きな人には幸せになって貰いたいですからね。
でも幸せなんて人それぞれですから、自分の考えてる幸せを押し付けたりはしませんよ」
少し長い台詞の後、ユウイチはコーヒーを取り、会話が途切れた。
長い沈黙が訪れた。
ほのぼのとした空気の中。
本来ならのんびりした気持でいられる筈なのに、2人だけは少し重さを感じていた。
「ユウイチさん、私は……」
沈黙を破り、アキコが口を開く。
だが、丁度その時。
コンコンコン
玄関からノッカーの音がする。
同時に、見知った気配が、玄関に立っている事に気付く二人。
「は〜い」
空気に適応したアキコが席を立ち、玄関に向かう。
ユウイチも少し遅れて空気に馴染むと玄関に向かった。
アキコが玄関のドアを開けると、
「すまぬな、邪魔だとは思うたのだが」
見知らぬ紅い中華武道着を着た、ちょっと長身、黒髪に細い金色の目をした青年が立っていた。
「おはようございます」
「ユウイチ〜」
その後ろにはミシオ アマノと、妖狐マコト。
マコトはユウイチを確認すると、ユウイチの胸へと飛び込んでいく。
「いらっしゃい、森のみなさん」
「モミジさん、マコト、ミシオ。
珍しいですね、3人とも町にくるなんて」
出迎えた二人は解る。
見知らぬ青年が誰であるか。
隠しているようだが、あまりに強大故隠しきれぬその気配が、彼が森の妖狐モミジであると告げている。
「ユウイチばかりに森を往復させる訳にもいくまい。
そうせざるえない状況ではなくなったのだしな」
マコト同様人に変化したモミジ。
因みにマコトの出ていた耳と尻尾は隠されていて、今はただの巫女服の少女になっている。
「いや、俺は森が好きだからいいんですけど」
「立ち話もなんですから、どうぞお入りください」
間に入って来訪した3人を中に案内するアキコ。
もう既に完全にいつものアキコだった。
3人をリビングに案内し、テーブルに着く面々。
ユウイチとアキコ、そしてモミジとミシオという形で座る。
「すまなかったな、なんとなく近づいた時に邪魔だというのは解ったのだが」
「いえ、話は終わってましたよ」
中の雰囲気を察していたのだろう、モミジは再度謝罪した。
モミジは止めていたのだが、マコトがノッカーを叩いてしまったのだ。
ユウイチもアキコも気にしてないが、結構絶妙なタイミングになってしまった。
なお、そのマコトはと言うと、テーブルに着くと同時にユウイチの膝の上を占領してしまっていた。
人型のまま膝でごろごろしている。
「それもそこまで甘えん坊に育てた覚えは無いのだがね」
「別に構いませんよこれくらい」
自分の膝でごろごろするマコトの頭を撫でるユウイチ。
マコトはそれだけでもうかなり幸せそうだ。
一応父親であるモミジは、そんな娘に対してどこでそう育ったのやらと考えるだけで、ユウイチが異性である事は一切気にしていない様だ。
が、モミジの隣に座るミシオはかなり複雑な顔をしている。
マコトがユウイチに懐くのは当然の事だと思っている彼女。
が、先日まで自分にベッタリだったマコトが、もうユウイチしか見えていない様にすら見え、彼女としてはいささか面白くなかった。
「なんだミシオ、妹を取られた姉みたいな顔して」
そんなミシオを見たユウイチは、ニヤニヤと悪童の様な顔をしながら問う。
こういう時のユウイチは実に生き生きとしている。
「いえ、そんな……」
ユウイチの言葉を否定しようとするが、言葉が続かない。
それどころか、ああ、そう言う感じだ、なんて納得してしまう自分がいた。
だが、
「いやいやユウイチよ、この場合は妹に男を取られた姉であろう」
となりのモミジが、ユウイチ同様の笑みを浮かべながら言う。
なお、モミジの外見年齢は20後半なのだが、この顔だと10代にすら見える。
しかもユウイチ同様に、輝いて見えるくらい生き生きしていたりする。
「おお、成る程。
そうだったのかミシオ」
わざとだ、わざとオーバーリアクションを取るユウイチ。
普通に見れば冗談で悪戯な顔だと解るのだが。
「モミジ様!」
立ち上がって叫ぶミシオ。
顔を真っ赤にしながら。
人とこういう話をした経験が無いため対処法が解らず、ただ視線を集めるだけになる。
まあ、家の中だったから視線も限られているが、それでもミシオが耳まで赤くするには十分だった。
羞恥から俯き、もう動く事もできないくらいオーバーヒートするミシオ。
「はいミシオさん、お水」
今まで事態を生暖かく見守っていたアキコだが、そう言って水の入ったグラスを渡す。
「……どうも」
とりあえず座り、水を飲んで頭を冷却するミシオ。
復帰までには今しばらくかかりそうだ。
と言う訳で、話を進める事となる。
「まあ、それは後ほど若い者同士で話し合ってもらうとしてだ」
冗談、とも言わず、まあ実際に本気なのだろうが、自分で話をややこしくしておいて本題に入ろうとするモミジ。
「頭くらいならいつでも撫でてやるぞ。
で、ただ雑談をしに来た訳ではないのですね」
ユウイチもスパっと切り替わってしまう。
最も、今2人の心の中では互いにサムズアップをして笑っていたりする。
7年前より友と呼び合うのは、実はこういう嗜好の一致も大きかったりする。
(後々しっぺ返しが来る事を経験上知っている上でやっとるのう、お主等は)
((それもまた良し))
シグルドの楽しんでいるものの、半分呆れた言葉にも即答で返す2人だった。
いたずらにどんないたずらで返されるかも楽しむのだとか。
まあ、それはもう置いておいて、
「お主と語り合うというより、お主の話を聞きたいのだ。
ユウイチがこの7年で見てきた世界というものをの」
楽しげな雰囲気を壊す事なく、少しだけシリアスになるモミジ。
ユウイチの見てきたものは、あまり笑って話せる事ではないだろう。
それを承知の上で、この空気の中、少しだけ微笑みながら尋ねる。
「あんまり楽しい話じゃないですし、とても1日じゃ話きれませんよ」
ユウイチも少し苦笑しながら答える。
ユウイチが経験した事は、とてもじゃないが他種族に話せる事ではないだろう。
人同士が醜く争う姿が大半であり、時に他種族すら巻き込んで行われた、残虐非道の数々を露わにすることになるのだから。
だがそれだけでは無い。
ちょっと他種族にも自慢できるような人間も居た、人の未来に希望が持てる様な人にも出会った。
でもそれが黒い部分に比べ、あまりに小さい為ユウイチは苦笑する。
「ではアレをやるか」
「アレですか。
じゃあ、ミシオ、アキコさんちょっと置いていきますが」
アレという代名詞だけで分かり合う2人。
2人は手を繋ぎ、目を閉じる。
そして精神を同調させ、ユウイチ側からモミジへと言葉で話すより、何倍も高速で見てきた事が転送される。
若干の編集をするものの、この7年間の出来事を汚い部分も隠さずモミジに伝える。
情報の転送が完了するのに約1分。
7年間の出来事を転送するにはあまりに速すぎるが、それは受け取り側であるモミジが有能だからである。
「そうか、非常に有意義な7年であったな、ユウイチ」
「ええ」
2人は柔らかく微笑む。
辛い事が圧倒的に多かった7年であったが、それでも本当にこの7年は自分にとって大きかったと思う。
いろいろな場所に行って、いろいろな事を学び、いろいろな人と出会って、いろいろな別れをした。
「旅はいいな。
儂もここの森に腰を落ち着かせるまでは旅をしておったが、やはり旅はよかった。
1箇所に留まっていては、井の中の蛙になってしまうしのう」
「はい」
アキコの入れた茶を飲み、少し間を開ける。
ユウイチがどんな旅をしてきたかアキコとミシオは解らない。
でも、2人の様子を見ていればそれでいい様な気がしてきた。
2人は本当にいい顔をしているから。
「儂もまた旅をしたいがな、そうもいかん。
そんな儂の代わりに、やはりマコトにも旅をして欲しいと思っておる。
世界を見て回る事はいいことだ、儂が間接的にも見れるしな」
そう言って娘、マコトを見るモミジ。
だが、マコトにはちょっとまだ一人旅は無理そうに見える。
だから、モミジは次ぎにこう言った。
「さて、そろそろ年寄りは御暇しよう。
ではなユウイチ。
この町に居るうちに、もう1度くらいは森に足を運んでくれ」
「ええ、必ず」
マコトとミシオを置いて森へ帰っていくモミジ。
ユウイチは、自然な笑みでそれを見送る。
昨日までから見て、ユウイチの変化は実に劇的。
人格が分裂しているのではないかと思われるくらいの変化だ。
でも、捻くれてダークを演じるユウイチも、朝ぐーたらしていたユウイチも、こうして友と笑うユウイチもユウイチだ。
どれもユウイチである事を解ってた上で、アキコはできれば今のユウイチが長く在れればと想うのだった。
それから、残された4人は実にのんびりとした時間を過ごしていた。
アキコの淹れた東国の茶、緑茶を静かに楽しむ3人。
ユウイチの膝の上をごろごろするだけのマコト。
一応、ここにいるメンバーの平均年齢は17なのだが、まあそれは置いておこう。
暫くまったりとした時間が流れた。
言葉も音も無い静かな時間。
平和な時間。
何も無い、ただそれだけなのに幸せを感じていた。
が、
く〜
そんな時間は一つの物音で崩れた。
何処からか聞こえてきたお腹の収縮音。
「…」
「…」
「…」
3人はそのもの音で動き出す。
その中ユウイチはミシオをじっと見る。
何か物言いたげに。
「わ、私じゃありません!」
その視線に気付いたミシオは顔を真っ赤にして否定する。
「もうお昼だしな」
今度は遠くを見ながら呟くユウイチ。
「本当に違うんです!」
世俗から離れ、いつも機能重視の衣服を身につけているとはいえ、ミシオも16歳の乙女。
空腹でお腹を鳴らしたなんて疑い、放っておける訳がない。
しかも相手はユウイチだ。
「ユウイチさん、あんまり悪戯が過ぎるとご飯抜きにしますよ?」
助け舟を出したのはアキコ。
あらあらと微笑ましげに見ながらも、流石に可哀想になってきた様だ。
「む、それは困ります。
でもマコト、ちゃんと名乗り出ろよ」
一変して弱った顔になったユウイチはそう言って、いまだ膝にいるマコトを見る。
まあ、音の発生源がわからぬほどユウイチは甘い人生を送っていない。
「あう〜」
マコトも一応乙女だ。
恥ずかしそうに顔を伏せてしまう。
ユウイチがミシオに疑いを向けたことでち、ょっとどうしようか迷っていたのだが、タイムオーバーとなってしまった。
「ユウイチさん、私の事嫌いですか?」
またからかわれた事に気付いたミシオは、ちょっと泣きそうだった。
昔は会話自体はほとんど発生しなかった為、ユウイチの被害にあったことが極めて少ないのだ。
そして、また、
「いんや、好きだからだよ。
よく言うだろ、好きな子ほどイジメたくなるんだよ、俺は」
(ユウイチは好きな者でなければイジメないしな)
ユウイチは面と向かってはっきりと述べる。
そう、ミシオの目を見ながらだ。
「な……」
ミシオは言葉を失う。
今のははっきりと目を見ながら言われ、嘘や冗談では無いと思えるし、シグルドの言葉付きだ。
信憑性は一層増す。
まあ、そんな思考を繰り返し今の言葉の意味を何度も巡らせてしまうミシオ。
「あ、アキコさん俺もお腹空いちゃいました」
だが、ユウイチは一気にオーバーヒートしてしまうところだったミシオを余所に、何事も無かったかのように日常の会話をする。
「はい、じゃあちょっと待っていてくださいね」
アキコはそんな2人を微笑んで見ながら台所に向かう。
「……あ、私も手伝います」
若干の間を置き、ミシオも逃げるように台所に消える。
ユウイチはそれをまた楽しげに見送るのだった。
それから他愛も無い話をしながら昼食を取り、ミシオとマコトはミナセ家を後にする。
玄関先でもまた少しからかわれ、ミシオは本日何度目かの赤面を果たして逃げるように森まで走った。
でも嫌では決して無い、むしろ楽しかったし嬉しかった。
苛められるのが嬉しいとかいう訳ではないが、そう、ああいう雰囲気がとても幸せだと、ミシオは感じていた。
「よかったの?」
帰り道、マコトが問う。
今日はユウイチと話をする為に、モミジと共にわざわざ町まで行った筈だ。
なのに、今日
「いいんですよ。
7年待っていて、話したい事、話さなければならない事が沢山あった気がしていました。
でも、いいんです。
私とユウイチさんはこれで」
そう言って微笑むミシオ。
まだ全ては解らないけど、今心の中にあるモノが何か解ったよう気がした。
それはとても辛いようでいて、とても幸せな事。
それが解ったから、もうミシオはユウイチと言葉で語らう必要がなくなったのだ。
「そう、もう決めましたから」
そう言ってミシオは立ち止まってマコトと向かい合う。
ちょうど立っているのはあの場所。
ユウイチと出会った場所であり、ユウイチと時間を過ごした場所であり、そして、マコトと出会った場所である。
「ミシオ……」
親友の雰囲気の変化に、マコトも気持を改める。
ミシオが今から言わんとすることは予想できる。
そもそもそれは前々から思っていた事だ。
だが、今まではその必要がなかった故に2人だけでその話をする事もなかった。
しかし、もう事情が変わってしまったのだ。
「マコト、契約しましょう」
ユウイチとシグルドを見た事も、決意できた理由の一つ。
あんな風にいられるなら躊躇う理由は無い。
そして交わす理由が出来た以上、それは必然。
「うん」
この日、この時、2人は新たな一歩を踏み出した。
その頃、ミナセ家には次ぎの客が訪れていた。
「こんにちわ、アキコさん」
「あらカオリさん」
かつてクゼに使われていた時の様な、仮面の如き無表情ではなく、自然な明るい顔を見せるカオリ。
ここ数年は、妹のシオリの前でしか見せなかった顔だ。
いや、妹の前ですら少しぎこちなかったのだが、今は完全に解消されていた。
「1度王都に戻ろうと思うので、ちょっと寄ってみたんですけど」
玄関先での立ち話。
出迎えたアキコの後ろ、影に隠れるようにしているユウイチをちらっとだけ見るカオリ。
ユウイチとカオリに過去はないに等しい。
実はちょっとだけあるのだが、他のメンバーに比べればどうでもいい事に近い。
「やはり妹さんの所へ?」
「ええ、一応私の実家は王都ですし」
元々カオリは王都住まいだったのだが、シオリの身体が弱いため空気のいいこの町に引っ越したのだ。
それでまたシオリの体調が悪化した為、王都の病院にシオリが入院し、元の家に戻ったという形になる。
因みに昨日はクラタ家の客間に泊まっていた。
「そうですか」
「はい、それでは……」
名目上、いろいろとお世話になった事のあるアキコへの挨拶。
ユウイチと話す事は無い為、そのまま立ち去ろうとするカオリ。
でもそれは嘘だ。
ユウイチには言っておかなければならない事が1つある。
だが、どう切り出していいか、それより蒸し返していい事でも無い様な気もする。
少し迷いながらもカオリは、結局そのままユウイチに背を向ける。
が、
(王都に行くのであれば我が送ろう)
突然シグルドがそんな事を言い出す。
ユウイチも少しだけそれには驚いた。
シグルドはよほどの急ぎの様でなければ、既にバレていても他人を乗せる事は滅多にしない。
それにユウイチと別行動を取らない様にしているのだ、正確にはユウイチを1人にしない為だが。
「え? ……でも貴方ってダークドラゴンだし……目立つし、下手すると……」
ドラゴンに乗れるなんて貴重な体験だし、結構王都まで距離があるから、ありがたいのだが、なにぶんダークドラゴンである。
飛んでいる所など10km先からでも見えてしまうし、ダークドラゴン故に偏見から問答無用の攻撃も受けかねない。
「その点は大丈夫、シグルドのステルス魔法は完璧だからな。
長距離の移動で、安全に降りられる場所があるなら問題無い。
それに、行き先が王都なら大丈夫だ、あそこにはいろいろと知り合いが多いしな。
最近外に出れなかったんだ、散歩に付き合ってやってくれ」
今まで黙っていたユウイチも玄関先まで出てきて話に混ざる。
「そう? じゃあありがたく乗せてもらうわ」
と言う訳で町の外れ、森の前まで来る二人。
そこまで無言で歩き、特に何か言うでもなくシグルドを出すユウイチ。
「さて、いこうか」
「ええ、お願い」
身を屈め、カオリが乗るのを待つシグルド。
カオリはシグルドの身体に手をかけてるが、そこで一度振り返る。
「貴方に謝ろうかと思ったわ。
でも、そんな必要は無いわよね。
貴方にはちゃんと家族がいるんですもの」
少し微笑むカオリ。
あの時、病院でいってしまった言葉。
相手がユウイチで、あのユウイチであった事を知った後、カオリは後悔していた。
思い出らしい思い出はないが、ユウイチの両親の事は知っていたし、あの頃のユウイチの顔にも覚えがあった。
だが、今は違う。
ユウイチにはちゃんといろいろな人が傍にいる。
その中には家族と呼べる人もいる。
だから大丈夫。
「ああ」
ユウイチも軽く微笑んで簡単に答える。
それを確認して、カオリはシグルドに飛び乗った。
「あ、でもやっぱりシオリはあげないからね」
飛び立ち際にそう言い捨てるカオリ。
実に楽しげに。
「俺はお前の方がいいぞ」
負けじとそんなことを送るユウイチ。
勿論お互いに冗談だが、それは半分だけ。
それを互いに自覚しつつもそれ以上は何も言わなかった。
そして、ユウイチは上空に上がる前に、ちゃんとシグルドのステルスが機能しているかを見てから、その場を立ち去った。
王都に到着し、目立たない所で着地し、カオリを降ろすシグルド。
「ありがとう、おかげでゆっくりシオリと話せるわ」
予定ではその日中に着くのがやっとだったのだが、十数分で到着してしまった。
まだ昼を少し回ったところ。
面会時間は十分にある。
「いや、よい、我はあまり外に出れぬのでな、利用させてもらっただけだ」
シグルドの言った事は嘘ではないが、それだけではなかった。
カオリが何か言いたげにしていたのに気付き、それが何であるか察した為、なんとか言って欲しかったのだ。
シグルドはユウイチの脆い部分を知っている。
そしてそれが一言の言葉で簡単に解消される事も。
「ありがとう。
あ……えっと、なんでもないわ、じゃあユウイチにもよろしく」
移動中にとある事をある程度決意していて、その為には街に戻らなければならないのだが、シグルドに迎えに来てもらうのは流石に気が引ける。
が、
「我は今日は暇でな、散歩を楽しむ。あちら側にも行ってみるつもり故、夕方またここを通る。
乗りたければ日が沈む時に来られよ」
それも予想範囲内だったのか、そう申し出るシグルド。
また嘘ではないが、全てでもない気遣いだ。
最もちょっとした見返りを計算していたりもするのだが。
「ありがとう、本当に」
もう一度礼を言って微笑むカオリ。
そして思う、やっぱりユウイチ達はいいな、と。
その後、病院でシオリとゆっくり家族の時間を過ごすカオリ。
なお、クゼのお蔭で優遇されていたシオリだが、彼が失脚してもユウイチの根回しのお蔭で同等の待遇が続いている。
暫くは喋って、笑いあって楽しい時間を過ごす二人。
やがて会話が途切れ、言葉の無い静かな、でも暖かい時間が訪れる。
そこでカオリはなんとなく窓の外を見ていた。
ちょうど、この方角が街のある方だと思い出す。
「お姉ちゃん」
そんな姉を見ていたシオリは呼びかけた。
「何?」
姉は何時もの様に振り返る。
だが、今までは目が違うと思う。
そう、はっきりとは言えないのだが。
「お姉ちゃん、好きな人とかできましたか?」
「なっ!? 何を言い出すの、いきなり!」
歳相応の乙女らしく、妹の問いに過剰に反応する姉。
その慌てふためき様は、居ると言っている様なものなのだが、それでも制御できなかったカオリ。
「やっぱりそうなんですね。
お姉ちゃんの目はそんな感じだと思いました」
どこでそんな知識を身につけたのか。
実は友達の兄とその恋人
とにかく、シオリには解る。
何年も一緒にいた姉の事だ。
姉の目が何処か遠くを見ている、心が半分ここに無い事くらい見抜ける。
「……シオリ」
見抜かれた姉は、どう答えていいか迷った。
ここに来るまでに決意はしてきたのだが、やはり妹が大切だ。
妹を1人にする事はできない。
だが、シオリはそんな姉の考えを読んだかの様に言った、
「いいんですよお姉ちゃん。
私の事は心配しないでください。
今までずっと私がお姉ちゃんを縛ってきてたんですから、行きたい場所が出来たなら言ってください。
好きな人が出来たなら追いかけてください。
私はお姉ちゃんの事が好き、凛として何かに立ち向かっているお姉ちゃんが好きですから」
解っていた、両親が不在で、姉が親代わりをする。
それはほとんど年齢の変わらぬ姉が、少女として生活できないという事だ。
自分がそうしている。
弱い自分が。
シオリはそれが嫌だった。
シオリは姉が好きだったから、姉には幸せになって欲しかった。
でもそれを妨げているのは他でもない自分なのだ。
「シオリ……」
姉は妹が好きだった。
ずっと護っていきたい、妹の幸せこそが自分の幸せだと思ってきた。
だからずっと平気だった。
でも、今は他にやりたい事ができてしまった。
どちらかしか選べないのだ。
「大丈夫。
お父さん達から手紙が来ました。
来週には帰って来るそうです。
それに、研究になるからって数年はこっちでの仕事になるそうですよ。
だから大丈夫」
そう言って笑うシオリ。
「お姉ちゃん。
私は籠の中の鳥って好きじゃないです。
お姉ちゃんも嫌いですよね?
私を籠にしないでください。
私はお姉ちゃんに飛んで欲しい」
籠から放たれ飛んでいった鳥は、2度と戻る事は無いだろう。
シオリはなんとなく察していた、この表現はかなり的を得ていると。
「シオリ……ごめんね」
カオリはシオリを抱きしめる。
自分はなんていい妹を持ったのだろうと、自分はなんていい妹を捨てようとしているのかと。
「謝らないでください。
謝るのは私なんですから」
「シオリ……」
強く強く抱きしめる。
今の自分の顔を、妹に見せたくない所為もあるだろう。
シオリの肩もカオリの肩も少しだけ濡れる。
夕日が射す病室の中、2人は無言で抱きしめ合っていた。
面会時間が終わる。
それは同時にシグルドが来る時間でもあり、カオリは行かなければならない。
「お姉ちゃん。
お姉ちゃんが戻ってくる時には、私も負けないくらい幸せになってみせますよ」
姉が病室を出るところで、最後にそう宣言するシオリ。
自信があるような笑みで。
「ええ、楽しみにしてるわ」
昨日までなら、そんな事を言われたら断固阻止しそうだったが、もう違う。
仮にそれが男の事だとしても、シオリなら大丈夫だと信じられるから。
別れの言葉は言わずカオリは病室を出る。
そして王都を出てシグルドに乗る。
戻るのだ、まだアイツがいる街に。
時間は戻り、カオリがシグルドに乗って王都に向かった後。
ユウイチは2人を見送った後、真直ぐミナセ家には戻らず、森を少し歩いていた。
妖狐の領域までは行かずに、昔遊んだ場所を歩いて回ってみた。
そこへ、知っている気配が近づいてくる。
ユウイチにはその人がここに来るとは思えなかったのだが、気にすることなく歩き続けていると、どうもこちらに向かってきている様だった。
そして、
「おお、本当に居るとはな」
軽い驚きの声が聞こえ、振り向けばクラタ家当主がいた。
2年間も病魔に苦しみ、一昨日退魔が済んだばかりで、まだ安静にしていないといけない筈なのだが。
鍛え方が違ったのか、既に7年前の記憶より少し痩せたか、というくらいで済むほどに回復している。
「御当主も散歩ですか?」
7年前は門下生として、娘の友達として顔を合わせた事がある人だ。
どうも自分に用がある様子ではあったが、一応そう尋ねてみる。
「ああ、そんなところだ」
半分は本当だが、先の台詞にあるようにユウイチを探していたのだ。
少し話をしたくて。
因みにユウイチの居場所がわかったのは、アキコの予想によるものだ。
ユウイチの癖は7年前に見切られ、いまだその癖は変わっていない様だ。
「私としては仕事に戻りたかったのだがね。
部屋に行ったら娘とマイ君に追い出されてしまったよ。
まだ寝てろだの、引継ぎも無しに仕事は渡せないだのとね。
いやぁ、2年も見ないうちに一段といろいろと成長してしまったよ娘も」
はっはっはと笑い、嬉しそうなのだが、どこか寂しそうな当主。
「2人がいれば当主も隠居可能ですね」
実の所サユリとマイの政治的能力はほぼ全ての面で当主に追いつき、越えようとしていた。
まあ、2人で、という条件がつくが、それでもこの年齢でである。
普通の親なら畏怖すらしてしまう程だろう。
「そうだな。
しかし明日からはまた職務に戻らせてもらうよ。
まだまだ若いあの2人をこの街に縛り付ける訳にはいかんしな」
少し遠い目をする当主。
2年も自分の不甲斐無さで自由を奪ってしまった。
2人はまだ子供で、まだいろいろな事をすべきであったのに。
「ユウイチ君。私はね、娘に普通の幸せを押し付ける気は無いよ。
ただ、あの子が正しいと思ったことを、幸せだと感じる事を追い求めて欲しい、それだけだ」
ユウイチを真直ぐ見ながらそう述べる当主。
それは何を言いたいのか、実に解り易い。
だが、いやそれ故ユウイチは問う。
「例え極悪人に付いて行こうとしてもですか?」
「極悪人か。
それならば『悪』の定義から決めなければならないね」
ユウイチの問いに即座にそう返す。
暫く半分睨み合うかの様に、無言で互いを見ていたが。
「……そうですね、明確な正義が無い様に、明確な悪もまた存在しません」
「その通りだ」
負けを認めるユウイチ。
だが、負けを認めたからと言っても、ユウイチの信条に揺らぎは無い。
最も、それは当主とて解っていること。
ただ、それを言い訳に『逃げる』事だけはさせなかった。
「……ところで当主、奥様のご様態はいかがですか?」
少し強引だったが話題を変えるユウイチ。
まあ、実際気になっていることだし、今の話題にそれ以上先は無い。
当主の妻、サユリの母は当主の看病の折に倒れていたのだ。
病魔の近くに居すぎたという事もあるだろうが、過労と心労によるものだ。
「ああ、今朝見舞ったら元気だったよ。
医者の見立てでは10日で回復すると言っているが、まあ明日だな」
心労と病魔がなくなった事で、元々ただの貴族婦人ではないサユリの母も、回復は早かった様だ。
当主の言うように明日回復するなら、明日は奥方の快気祝いも合わさって町は祭り騒ぎだろう。
ただの領主でない当主にピッタリのご婦人でなのだ、サユリの母は。
「相変わらず頼もしい限りです」
「そこらへんは任せてくれたまえ」
そこらへんが何処を指すのかは謎だが、ちょっと自慢げな当主。
そんな姿を見てユウイチは、やはりこの町ほどいろんな意味でおもしろい町はないと思うのだった。
「さて、私はそろそろ戻るとしよう。
またな、ユウイチ君」
「はい」
簡単にそう言ってその場を去る当主。
だが軽い様で非常に重い言葉だった。
当主は気付いている。
次ぎユウイチに会うのはずっと先になる事を。
その頃、クラタ邸の執務室ではサユリとマイが仕事に励んでいた。
「マイ、そっちは終わった?」
「もう少し」
後始末と当主への執務引継ぎの準備を進める2人。
まだやりかけの仕事が結構あった為、引継ぎの作業がなかなか終わらない。
やりかけの仕事くらいは終わらせておきたいのだが、そうもいかない。
「でもお父さんにあっさり見破られちゃうなんてね。
そう言えばマイは大丈夫」
「大丈夫」
内容はともかく話す相手はマイの母親の事である。
この街の外れに住むマイのただ1人の肉親。
幼い頃、特異な能力故に迫害を受けていたマイをただ1人で護った人だ。
昔はクラタ家で秘書みたいな事をしていたが現在隠居中だ。
「じゃあ、後はもう引き継ぎの仕事だけだね」
「今日中に終わらせる」
「がんばろう」
そして2人はまた仕事を進めていく。
2人が決意した事の準備の為に。
その日、少女達は準備を終える。
皆ある決意の元に。
同じ過ちを犯さない為、2度と失わない為に、ただそう願うが故に、後悔をしない為に。
根底に在るものは違えど、経緯が異なれど、少女達の決した意は同じだった。
それは今まで築き上げた物を全てと言っていいくらい捨て去る行為だ。
だが迷いは無い。
今の平和を捨て、少女達は未来を求めた
同日深夜 王都クゼ邸
軟禁状態にあるクゼの下に、1人の男が現れる。
いや、それを男、そもそも人と扱ってよいかも解らない。
黒いローブにフードを被ったクゼの雇っていた魔導師だ。
だが、クゼには古代遺産である指輪の能力で、幻術の類が無効になる為に解る。
この魔導師に肉体という物が無い事が。
それでも有能だった為使っていたの訳だが。
それよりも、一応国の騎士が警備していた筈なのだが、どうやって入ってきたのかが解らない。
「何の用だ? もうお前に払える金はないぞ」
判決はまだ下っていないが、家宅捜査で燃やした筈の書類なども出てきた為、最早家名の剥奪は免れられない。
財産も全て没収され、悪ければそのまま極刑もあり得る。
そんな自分に最早言い寄る価値は無い事は、十分に自覚していた。
「1つ聞きたい。
野望はまだ捨てていないか?」
雇われていた時とは違う、高圧的な言葉で問う魔導師。
「当たり前だ。
そう簡単に捨てられるなら野望ではない」
はっきりと答えるクゼ。
この期に及んでもクゼの目はまだ諦めていなかった。
「そうか。
では力が欲しいか?」
「それはどんな力だ?」
魔導師の問いに問い返すクゼ。
クゼも交渉の基本は忘れていない。
「世界を征服出来る力だ」
馬鹿馬鹿しいと言えるような事を、さらりと述べる魔導師。
その声は自信に満ち溢れている。
「その言葉に嘘偽りが無いという証拠は?」
「今のお前に嘘を言う必要が何処にある?」
クゼの問いに当然かの様に言う魔導師。
クゼはその答えに苦笑しながら言う。
「確かに。
ではよこせ、その力と言うのを」
クゼはいつもの調子を崩さずに、その言葉を発した。
「よかろう」
そして、契約は交わされた―――
数時間後
「で、何があったって?」
クゼ邸の前で、コウヘイは実に不愉快そうに問う。
深夜に呼び出された挙句に胸糞悪いものを見せられたのだ、当然と言えば当然。
「見た通りだよ。
見えてない分は、せいぜいクゼが行方不明になったくらい?」
それに答えるシュンは目の前の惨劇を指す。
クゼ邸に配備していた騎士が、バラバラになって転がっているのを。
「あきらかに人間の手で行われたものじゃないな」
人間をバラバラにするのは実に簡単だが、その方法が人間でありえない。
まるで引きちぎられた様でありながら、血が一滴も落ちていないのだ。
やろうと思えば人でも出来なくは無い殺し方だが、メリットが無い。
それに、残っている匂いが人間のそれではないのだ。
「それと気になる物が押収した書類にあってね」
そう言ってシュンはコウヘイに一枚の紙を見せる。
それは何かの設計図である様だが―――
「あーめんどくせ〜〜。
俺は面子集めてユウイチの所に行くから、そっちは頼む」
「ああ、頼んだよ、そっちも」
2人はまるで日常会話をしている様だが、その目に宿る殺気はそれだけで人を殺せてしまいそうなものだった。
何に対しての殺気だろうか?
行方不明になっているクゼだろうか?
その設計図を書いたものにだろうか?
それともこれから始まる事柄全てに対してだろうか?
日の出と同時に廻る筈の無かった歯車が廻りだす。
在ってはならない歯車が噛み、在ってはならない回転を起す。
狂った歯車はキシキシと嫌な音を立てる。
それはまるでまるで、平和を嘲笑うかの様に―――