愛と喝采の日々 1
先ほどまでの華やかなステージが嘘のように無愛想な埃っぽい部屋には、これまた無愛想な会議用テーブルと折り
畳み椅子がバラバラと置いてある。ちゃちなスチール製のドアはどこも開け放しでガヤガヤととしたざわめきを伝えてい
た。
「ビール、ビール」
部屋に入ってくるなり冷蔵庫を開けて冷えた缶ビールを取り出すと、シードは一気に煽って「うめぇ〜」と満足そうに声
を上げた。
「シード、スタッフにちゃんと声をかけたのか」
一人くつろぎ始めたシードにマネージャーのクルガンが声をかけると「やったやった」とお気楽な答えが返ってきた。し
ょうがないなとマイクロトフを見ると頷いているので一通り挨拶くらいはしてきたらしい。
「カミュー達もすぐ戻ってくると思う」
マイクロトフが言うか言わないかのうちにカミューの「お疲れさまでした」とスタッフを労う声が近づいてきた。
最初に入ってきたのはシュウ。相変わらず何事もなかったかのように涼しい顔をしている。続いてステージの疲れも
見せない華やかな笑顔で現れたのは人気ロックバンド『デュナン』のリーダー、カミューだった。
「お疲れ。…クラウスは?」
クルガンがタオルを渡しながらカミューに尋ねた。いつもならひょこひょことカミューの後ろを付いて歩いているクラウ
スの姿が見えない。
「あれ、さっきまで一緒にいたんだけど」
「どうせまた誰かに捕まっているんだろう」
興味なさそうに口を挟んだシュウにカミューは苦笑した。
「気付いてたんなら、引っ張ってきてくれればいいのに」
「どうして俺が」
だって気になってるんだろう、とその場の全員が思ったがシュウは知らん顔だった。
「スタッフルームの入り口でファンがたむろしていが掴まってたら、まずいな」
さすがにデュナンの楽屋までは入ってこないが、色々なつてを頼って(または強引に)スタッフルームに入り込むファン
は多い。クラウスが彼女たちに捕まっているとしたら、ちょっとやそっとで戻ってこられるはずがない。
探しに行こうとしたクルガンを押しとどめてシュウが立ち上がった。
「本当に手の掛かるヤツだな」
面倒くさそうに言い残して部屋を出ていった。
「ったく素直じゃねぇよな」
「まあ、素直なシュウというのも少し恐い気がするが」
マイクロトフの感想にカミューが吹き出した。
「取り合えずこれでクラウスは安心か」
やれやれというように呟いたクルガンにシードが「お疲れ」と缶ビールを手渡した。
廊下に出たシュウは向こうから歩いてくる物体に呆れて立ち止まった。両手一杯に紙袋やらラッピングされた箱や花
束を抱えている。ちょっとつついたらバラバラと崩れそうなくらい山になっていて、よく前が見えるものだと少しばかり感
心していた。
「何やってるんだ、クラウス」
「ダメ、話しかけないで。崩れちゃう」
ヨロヨロと歩くクラウスはまっすぐ前を見据えたままだ。
「花束を渡されたというより隙間に押し込まれたって感じだな」
クラウスは意地悪、と言いたげにチラリとシュウを見上げたが何も言わなかった。
「人気が出て良かったじゃないか」
「……」
「お前のファンからのプレゼントなんだろう」
「ううん」
「自分の物でもないのにご苦労なことだ」
「だって…あっ」
わざと話しかけるシュウに返事をしようと顔を動かした途端、山が崩れてプレゼントの数々は床に散乱してしまった。
「もうすぐだったのに…」
「人から頼まれたものをそんな風に扱って」
「だってシュウが。話しかけないでって言ったのに」
言い訳しながらクラウスがオロオロと拾い上げるが、どうやっても半分くらいしか持てない。一つ拾う側からポロポロと
転げ落ちていってしまうのだ。
「どうやって持ってたんだ、こんなに」
「分かんない。シュウ、それ、この上に乗っけて」
腕組みをしたまま見ていたシュウはクラウスの言葉にようやく動くと、無造作にクラウスの腕に積み重ねるが、それで
もやっぱり全部持つというのはムリだった。
「何だ、その目は。俺に持てとでもいうのか」
「あの、シュウの分もあるんだけど、ダメ?」
その時、外の騒ぎに気付いたのかカミューが顔を出した。
「あ〜、散らかしちゃって」
「ごめんなさい」
クスクスと笑いながら言うカミューにクラウスが赤くなりながら謝った。
「いいんだよ。手伝うから…ってシュウ。見てないで少しくらい持ってあげればいいのに」
「冗談じゃない」
もっともカミューは最初っからシュウなど当てにしていなかったのだろう。落ちているものを手早く拾い集めるとさっさと
楽屋に入っていった。
「マイク、これ取って。こっちのも。この花束もそうかな」
「な、どうしたんだ。これ」
「ファンの女の子から。だよね、クラウス」
「はい」
カミューは自分では動けないクラウスを手伝ってテーブルにプレゼントの山を移していた。
「す、すまん。二人に運ばせてしまったんだな」
「ほとんどクラウスだけどね。ほら、早く自分の分は取って。クラウスが潰れちゃうだろ」
カミューに押しつけられて、だがマイクロトフは少し困ったような顔をした。
「申し訳ない気がするな、こんなにもらってしまって。しかもこれなんか名前が書いてないから礼状を書けないし」
そばでシードが吹き出した。
「礼状っ?そんなもん出してるのか」
「シード」
クルガンの声が冷静に割って入った。
「笑っているが、ファンレターの返事くらい書いているんだろうな」
「そういうのは敏腕マネージャーさんが何とかしてよ。俺は公式サイトにちゃんとコメント出してるしさ」
「それは違うぞ、シード」
反論はマイクロトフから返ってきた。
「ファンには直筆で返事を出してこそ意味があるんだ」
「そんなことしてっと面倒くさくなって、受け取るのが嫌になるじゃん」
「う…」
「大体、いちいち自分で書いてたら腱鞘炎になっちまう」
「しかし、一生懸命書いてくれているのを見るとだな」
「苦労性だな、お前。俺だったら便箋にキスマーク付けたヤツをバババッて送っちゃうな」
「そ、そうか。俺にはできんが」
「シード、それで良いからちゃんと出せ。ファンは大事にしろ」
クルガンに釘を差されてシードが肩をすくめた。
その横で相変わらずプレゼントの仕分けを続けているクラウスを気のなさそうな顔でシュウが見ていた。
「ぐずぐずしているからそんな物を頼まれるんだ。声を掛けられたからといって一々立ち止まって応えることはないと言
っているだろう」
「でも、せっかく待っててくれてるのに可哀想だから」
「単にパシリにされているだけだと気付け」
「…だってシュウがあんまり素っ気ないから。こっちのは全部シュウになんだよ」
テーブルの上にできた小山一つ分のプレゼントを押し出されてシュウは心底うんざりした顔をした。
「邪魔になるだけだというのに……大体、何なんだ。この熊は」
ひょいと取り上げて放り投げる仕草をするとクラウスが慌てて手を伸ばした。
「あ、だめっ。それは私の」
「ほう、お前がもらったのか」
「そう、だから返して」
クラウスが伸び上がってシュウの手から取り返そうとするが歴然とした身長差に阻まれて届かない。シュウは面白そう
にぬいぐるみをクルクルと振り回していた。
「これにつられて立ち止まったんだろう。相変わらずお子様だな、こんな物が嬉しいとは」
「だって可愛いもの。ねえ、シュウ、返して、壊れちゃう」
ふん、と鼻を鳴らすとシュウはポンと熊を放り投げた。クラウスが慌ててキャッチに走る。
「まーた、じゃれてるよ。可愛くって仕方ないのな」
「本当に。可愛いいからって苛めてばかりいるとそのうちクラウスが離れていっちゃいますよねぇ」
シードとカミューが囁いていると「何か言ったか」とジロリとシュウが睨むが、慣れている二人は「別に〜」とうそぶいて
いる。
「クラウス、はしゃいでいるのはいいが、そろそろ薬の時間だろう。顔色もあまり良くないし、疲れてるんじゃないのか」
クルガンの一声にクラウスの顔から笑顔が消えた。
「今、飲みます」
「でも、おなか空いてるでしょう。何か食べてからの方がいいんじゃないのかな」
「これから飲みに行くんだし、そこで適当に食べればいいじゃん」
カミューとシードが口添えしてくれたがクルガンが首を振った。
「食べたら一人でホテルに帰すのか。そんな危ないことが出来るか」
確かに、とクラウス以外の全員が思った。
本人は大丈夫だと言い張るが、繁華街をクラウス一人で歩かせるなど心配で出来る事ではなかった。人を疑うことを
知らない素直な性格だから、どこの誰に連れていかれてしまうか解らないのだ。因縁を付けられるんじゃないかとか、
質の悪いナンパに引っかかったりしないだろうかと考え出すときりがない。
例えタクシーで帰らせたとしてもホテルの中だって安心とは言えないから困るのだ。ファンやマスコミが様々な手段を
使ってデュナンに近づこうとしている。だから要注意なのに本人にその辺の危機感がどこまであるのか、全く心許なか
った。
裕福な良家のお坊ちゃまだというのは形式的に出してもらった履歴書で解っていたが、クラウスの人の良さは育ちが
良くて世間ずれしていないというレベルを超えていた。
少しずつ話を聞いていって分かったのは、早くに亡くなった母親に生き写しということもあって父親が溺愛して育てた
ために超のつく箱入り息子になったらしい、ということだった。学校もエスカレーター式だったので気心の知れた周りの
友達が「クラウスはこうだから」とフォローし続けてきた結果、無菌状態のままで来たらしかった。
それがいきなり音楽業界などに入ったのだから、意識が追いつかないのは仕方ないのかもしれない。だが困るのは、
自分が人気グループの一員でなかなかの美少年であるという自覚が全くないことだった。このバンドのメンバーが揃い
も揃って美貌の持ち主であったから自分はおまけだと思っている節があって、いくら注意してもキョトンとした顔をしてい
る。
クルガンは正直頭を抱えそうになっていた。
「それなら一緒の席にいればいいじゃないか。あの店のボックス席ならゆったりしてるから横になることくらいできるし。
それならクラウスだって楽だろう」
マイクロトフの言葉にクラウスは僅かに嬉しそうな顔をしたがクルガンに一蹴された。
「それはダメだと言っただろう。まだ未成年なんだし、酒が出る席はダメだ」
「今時、そんなこと言ってるヤツいないぜ。高校生だって酒飲んでるじゃん」
「マスコミの餌食になりたいのか。大体、飲んで一番騒ぐのはお前だろう。その側で横になっていられるわけがない。お
前らに合わせていたらクラウスがもたん」
「飯食うくらい一緒でいいいじゃん。飯食ったら誰かにホテルの部屋まで送らせれば」
「そういうわけにはいかん」
「じゃあ、どうすんのさ」
「一番簡単な方法だ。お前達は先に行け。俺はクラウスを部屋まで送ってから、合流する」
「えー、クルガンが送るんだったらさあ…」
いささか不満そうにシードに声を漏らした。シードとしてはクルガンがクラウスを優先するのはちょっと面白くない。それ
ならシュウが送ればいいのに、と思ったのだが口には出さなかった。シュウがこれ以上はないくらい不機嫌な顔をして
いたからだ。
「大丈夫、一人で帰れます。ホテルでルームサービス取って薬飲んで寝ますから」
「でもそれでは」
マイクロトフが言いかけた言葉をシュウが遮った。
「そうしろ。子供じゃないんだし、それくらい一人で出来るだろう」
「……うん」
「でも一人で帰らせるわけにはいかないからね。クルガン、お願いしていいよね」
沈んだ雰囲気を払拭しようとカミューが努めて明るい声を出した。
「もちろんだ」
クルガンが答えると、シードが拗ねたような顔をした。
ホテルに着いてからクラウスに聞き返されて、クルガンは苦笑した。
「私と一緒に食事をするのは嫌なのか」
「でも、シードが」
「あの馬鹿のことは気にしなくていい。何にする?」
ルームサービスのメニューを差し出されてクラウスは考え込むように見ている。
「…フルーツの盛り合わせ」
「それから?」
何が?と言いたそうなクラウスに溜息をつきたくなる。いかに過保護な父親でもここまで面倒はみていないだろう。
「それはデザート。何かちゃんとした物を食べなさい。食欲がないのなら、シチューとか」
だがメニューにあるのはタンシチューだけで、クラウスは顔をしかめて首を振った。
「…ミックスサンドイッチでいいです」
まあ、フルーツだけよりはマシだろう。そう思ってフロントに電話をした。
「ミックスサンドと海老グラタン、フルーツの盛り合わせを頼む。ああ、あとミルクティーもだ」
電話を切るとクラウスが怪訝そうな顔をしていた。
「グラタンだけでいいの?」
「それはこっちのセリフだ。もうちょっと食べてくれると良いんだがな。それより、まだ時間があるから先にシャワーを浴
びてきなさい」
はい、と素直に返事をしてバスルームに消えていったクラウスを見て、本当に父親になった気分だった。
『ただし小学生のな』
頭を振るとシードに連絡を入れるために携帯電話を取り上げた。


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