真実の在処−ありか−
「子供達、集合〜!」
兵舎の池の前でビクトールの大声が響いた。皆が何事かと見守る中、子供達がワラワラと集まってくる。なんだ
かんだいって熊のビクトールは子供達の人気者だ。
「いいかぁ、今日はこれから草取りだ」
えぇ〜、と不満そうな声が上がったが、ビクトールは気にしない。
「ぶーすか言ってねぇで、始めっ!」
号令とともに子供たちがキャアキャアとはしゃぎながら雑草をむしり始めた。ちょっと大きな子達は鎌で草を刈り、
小さい子達は刈った草を集めている。そこへ大人達も加わって、総掛かりで庭の手入れの様相を呈してきた。
このところ良い天気が続いたせいで雑草が勢いよく生い茂っている。生命力に溢れて、と言えば聞こえがいい
が、城内の至る所が草ぼうぼうでは見苦しいし暑苦しい。そのうち蚊だって湧いて出るだろうし、そうなったら衛生
的にもよろしくない。
そう気がついて何とかしたいと思っていた人間は多かったのだが、皆手を出しかねていたのだ。ここが自分たち
の生まれ育った町や村ならとっくに誰かが音頭をとって庭に手を入れていたに違いない。だが例え掃除といえど城
内のことに自分たちが勝手に手を出していいのだろうかという遠慮があった。
『そのうちきっと上の方の誰かが誰かに命令してやらせるだろう』
つまり、悲しいかな同盟軍の寄せ集めは兵士だけではなかったということだ。
だから指示を出されたことにホッとした者もいたらしく、自然に多くの人が手伝い始めたのだ。もっとも先頭に立っ
ているのがビクトールだというのは誰もが意外に思っていたけれど。
ビクトール自身は別に城の見栄えをよくしようとか、衛生的な生活を、とか考えて子供達に号令を掛けたわけで
はなかった。
事情はもっと簡単だ。昨日の夜、ビクトールはこけたのだ。子供達が作った草の罠に引っ掛かって。全く情けない
ことに涙が出そうなくらい痛かった。ビクトールがもんどり打って倒れ込んだのを見てフリックが爆笑したのにもちょ
っと傷ついていた。
だから朝も早いというのにシュウを捕まえて、一体この城の有様は何なんだと詰め寄ったのだった。
レストランのテラスで、朝も早いというのにシュウとクラウスは向かい合って食事をとっているところだった。
『おいおい、何だってこんな朝っぱらから一緒なんだよ』
俺だってフリックと別行動だぞ、などと思いつつ、クラウスの細い項に目がいってしまう野次馬根性がちょっと悲し
い。もちろん情事の痕跡などはどこにもなく、あくびをかみ殺そうとして口元を押さえたクラウスの指先がインクで汚
れているのを見て心の中で謝った。
『徹夜で仕事だったのか』
多少仮眠は取っただろうが、夜を徹して仕事をしてたのに妙な勘ぐりをされたと知ったら、シュウはともかくクラウ
スはとても傷つくだろう。
が、クラウスはビクトールの視線に気付くとあくびを見咎められたと思ったのか「失礼しました」と心持ち赤くなって
頭を下げた。
「お前さんも大変だな。どうせ寝る暇もなく扱き使われてたんだろ」
「いえ」
「そんなつまらないことを言いにわざわざ来たのか」
割って入ったシュウの声が幾分棘を含んでいるのは、二人でいるところを邪魔されたからなのか、仕事に口出し
されたのが気に入らなかったのか。どちらにしても肝心の用件の妨げになっては困るとビクトールは慌てて庭の有
様について話し始めた。
が、シュウの反応は冷たかった。
「つまり戦略や兵の鍛錬、情報収集、兵糧の確保に軍費の捻出・各都市との調整等々山積みになっているどの問
題よりも草むしりの方が大事だと言うのか?それを俺にしろと?」
「そうは言ってねぇよ。けどボランティアの連中もいるんだし、ちょっと頼めばいいじゃないか」
シュウはこれ見よがしに大きな溜息をついた。
「全く子供じゃあるまいし、そんなことを一々俺が指示しないと出来ないのか」
そう言われてしまうと反論のしようがないが、ここは踏ん張りどころだ。
「けど最終的にはあんたのところに話が上がって許可がいるようになるんだろう?あんたが大変ならトニーとか得
意そうなヤツをあんたの代行にしたらいいじゃないか」
そう言えば、と横でクラウスが口を開いた。
「トニーから申請が出ていましたよね。シュウ殿が一言の元に却下されましたが」
「そうなのか?何だってそんなことすんだよ」
「ほう、城内の庭が全て畑になってもいいのか、お前は」
「へ?」
クラウスが苦笑した。
「トニーは草を刈ってそこに畑を作りたいと言ってきたんです。でも私も窓から見える風景が全て畑というのはちょ
っと…」
どこか長閑な風情のある副軍師殿である。
「そもそも何故お前がそんなことを気にする」
「いや、なんか、子供らがこう、草と草を結んで罠を作ってるだろう?」
「ああ、王国軍をやっつけると言って作ってましたね」
「やっつける?怒らせるの間違いじゃないのか?大体クラウス、お前知ってたんなら何でやめさせねぇんだよ」
「そんなこと子供に言ったって聞きませんよ」
「けど危ないだろうがっ。あんなもんでも引っ掛かったら痛…」
「ほう、どうやら引っ掛かったらしいな」
シュウがニヤリと笑い、クラウスの気の毒そうな視線を浴びて、ビクトールは自分がやるしかないと決意したのだ
った。
ビクトールは号令を掛けるだけでなく、自ら黙々と働いていた。元々こういった肉体労働は嫌いじゃない。切った
張ったの世界に生きているが、本来仕事というのはこういう風に汗を流すことを言うのだと思う。それに、この地は
ビクトールの故郷だ。うち捨てられ荒れ果てたままになっていたノースウィンドをやっと生き返らせたのに、また元
の荒れた地にするのではあまりにも切ない。
ビクトールは石ころの一つ一つ、雑草の一本一本を愛おしむように丁寧に取り除いていた。
「あん?」
いきなり手元が日陰になったのは誰かが前に立ったからだ。スラリと伸びた足から順に視線をあげると思った通
りフリックの目とぶつかった。
『もったいねぇ』
兵士の演習に出ていたはずのフリックはトレードマークのマントを外したラフな姿で立っている。けれどそうすると
案外スレンダーな体の線が露わになってしまうのだ。何も他のヤツに見せなくても、とビクトールはかなり真剣に思
っていた。
「お前、マントどうした?」
「マント?だって草むしりにあんな物、邪魔だろ。で、俺は何をやればいい?」
「は?別にお前までやらなくたって良いんだよ」
「そういうわけにいくか。みんながやってるのに」
「みんなって…」
自分が声を掛けたのは子供達だった。それを大人が手伝い始めたところまでは分かっていた。だが、見るといつ
の間にか一〇八星の仲間から兵士まで一丸となって庭の手入れをしているのだ。
「なに今頃驚いてるんだよ」
「いや、時々ワカバが次はどうしましょうって聞きに来たから、まあ少しは一緒にやってくれているのかな、とは思っ
てたんだが」
草むしりだけでは人手が余ったとみえて庭木の剪定や池を攫っている連中までいて、何だか凄いことになってい
た。
屈み込んでビクトールを手伝い始めたフリックは面白そうに話している。
「空中庭園の方もやってるらしいぜ。ナルシー達が薔薇の手入れとか言って葉っぱについた虫をブチブチ殺してる
らしい。あいつら、ある意味凄いな」
凄いなって、と呟いたビクトールの視線の向こうでは草の山にボルガンが火を吹きかけようとして大人達に慌てて
止められていた。横でピリカが芋を持って立っていたから焼き芋をしようとしてたのかもしれない。
「大体演習はどうしたんだよ。いいのか?兵隊にこんな事やらせて」
「まあ、シュウに知れたらいい顔はしないだろうな。けど、今日の演習責任者がマイクロトフだったからさ」
フリックは苦笑している。マイクロトフが「民間人の皆さんだけにやらせるのは申し訳ない。我々も手伝うぞー」と
か何とか言っているのが目に見えるようだ。
ビクトールはフリックと一緒に作業を続けながら何だか嬉しくてたまらなかった。
もうここは悲劇の村なんかじゃない。大勢の人に愛されている新たな町に生まれ変わった。それが実感できた
し、何よりもフリックとこうしているのが楽しい。戦闘の緊張感や高揚感が二人の間を支えていると思っていたが、
二人して爺になってこんな風にしてるのも楽しいかもしれない。
そんな未来も見えてくる気がしていた。
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