真実の在処 2 
          
           
          
           
          
           
          
          
          
            
              
                
                「レオナさん、こんなに氷室に入りきりません」 
                
                「じゃあ、その盥に水と氷を入れて、それで瓶ごと冷やすんだよ」 
                
                「あ、なるほど。わかりました」 
                
                 手伝いの女の子に指示を出しながらレオナは大忙しだった。 
                
                 どんな経緯でそんなことになったのかは知らないが、気がついたら城中の誰も彼もが庭掃除をしていたのだ。 
                
                『あら、そんな行事予定入っていたかしら』 
                
                 カレンダーを確認したが、そんなお達しが出るほど上の方は暇じゃないはずだ。様子を見に行かせた子がソワソ
                 
                ワと「私たちも行かなくていいんでしょうか」と言いだしたくらいだから相当大勢の人間が参加しているに違いない。 
                
                「だってカミュー様まで軍手はめて草を毟ってらっしゃるんですよ」 
                
                 それは見たい、とレオナも思ったが、今はそんな場合ではない。なんたってピーカンのお天気に肉体労働とくれ
                 
                ば、ビールが売れるっ。間違いなく売れるっ! 
                
                 私も商売人だねぇ、などと自分に感心しながらこっそりシュウに感謝していた。 
                
                 なんたって暑くなることを見越してビールを仕入れることを勧めてくれたのはシュウだったし、そのために氷室も
                 
                大きくしてくれたのだ。 
                
                「そろそろ頃合いかね」 
                
                 ちょうどお昼になろうという時刻。 
                
                 レオナはワゴンに冷たいレモネードが入った大瓶とグラスを乗せると「ちょっと偵察に行って来るよ」と声を掛けて
                 
                店を出た。 
                
                 さすがにボランティアと思われる人たちにいきなりビールを売りつけるのは良くないと思ったのだ。冷たい飲み物
                 
                を見たらかなりの確率で酒をもってこいという連中が出るに決まっている。そうしたらビールを売るつもりだった。 
                
                「アイヤー」 
                
                「あら」 
                
                 いきなり出会ったのはハイヨーだった。見るとハイヨーは冷やし中華を盛った小皿を幾つもワゴンに乗せていた。 
                
                「…上にもっとたくさん料理の準備がしてあるんだろ」 
                
                「アイヤー、レオナさん。鋭いヨー」 
                
                「まあ、こっちも同じこと考えてたわけだし」 
                
                 二人して吹き出してしまった。さすが同じ穴の狢というか商売人だ。 
                
                 
                
                 
                
                「お昼だヨー」 
                
                「ご苦労様。一休みしちゃどうだい?」 
                
                 その声に人々は歓声を上げた。 
                
                 雑草はあらかた取り払われ、伸びすぎた芝も綺麗に刈られている。木々は美しく剪定され、ゴミ一つ落ちていな
                 
                い池。まさに見違えるようになった庭。 
                
                 見事に共同作業を成し遂げた達成感と連帯感で盛り上がっていた人々の気持ちがこれで一気に弾けた。アッと
                 
                言う間にレオナとハイヨーは周りをワッと取り囲まれて身動きも出来ないくらいだ。 
                
                「おい、レオナ。酒を持ってこいよ」 
                
                 人垣を整理してくれていたビクトールから待ちかねた言葉を言われたが、一つ気がかりなことがあった。 
                
                「だけどいいのかねぇ。シュウの旦那に断らなくて」 
                
                 これはある意味本心だ。と言ってもシュウが怖いのではなくて、酒場以外の場所で酒を売ってトラブルが起こるの
                 
                を避けたかったのだ。もし何かあったらこちらも面倒だし、ただでさえ忙しいシュウの手も患わすことになる。だから
                 
                ビクトールを巻き込みたいと実は最初から思っていた。ビクトールなら自分が責任を持つといったら必ずトラブルを
                 
                防ぐように動いてくれるはずだ。それに何だかんだ言ってシュウもビクトールを信頼している。 
                
                「大丈夫だって。シュウには俺からも口添えしてやるから」 
                
                 ビクトールのお墨付きを貰ってレオナはニッコリと微笑んだ。 
                
                「一体何の騒ぎだ」 
                
                 その声と共に人垣が左右にサッと開いて道が出来た。レオナは海を二つに分けたというどこかの国の聖者の話
                 
                を思い出したが、その道の向こうにいたのは聖者どころか同盟軍の鬼軍師だった。 
                
                 シュウの姿を見ると大抵の人間は緊張する。この場にいる大人達だって例外じゃない。だから答えたのは数少な
                 
                い例外の一人であるビクトールだった。 
                
                「このさっぱりと綺麗になった庭を見りゃわかるだろう。草刈りだよ。もっともここまで大事になるとは俺も思わなか
                 
                ったんだけどな」 
                
                「だからさ、お酒でも出してみんなを労ってやろうかと思ったんだけど。どうだろうね、旦那」 
                
                 ビクトール一人に責任を押しつける気は毛頭なかったレオナが後を続けた。そもそもレオナはシュウを怖いと思
                 
                っていないのだ。 
                
                 そうとは知らない周りの人間はレオナのストレートな言葉に慌てたようだったが、意外やシュウは「ふむ」と頷い
                 
                た。 
                
                「確かに大分働かせてしまったみたいだな。ハイヨー、料理の準備は出来ているんだな」 
                
                「も、もちろんヨー」 
                
                「では皆の慰労も兼ねてこのままガーデンパーティを開こう」 
                
                 思いがけないシュウの言葉にざわめいた。 
                
                「準備は任せる。それから料理とソフトドリンクは軍から助成金を出すから半額で提供すること」 
                
                「おい、酒はダメなのか」 
                
                「飲むのはかまわん。ただし、定価だ。ちゃんと払えよ」 
                
                 周りから一斉に歓喜の声が上がった。 
                
                 
                
                 
                
                「珍しいじゃねぇか、あんたがこんなことを言うなんて」 
                
                 ワイワイと周りが準備を始めた中でビクトールが言うとシュウは苦虫を噛み潰したような顔をした。 
                
                「このまま思い思いに羽目を外されては困るからな。浮かれた気分は一気にまとめて発散させるた方が騒ぎになら
                 
                ずに済む」 
                
                 なるほど、そういう思惑があったのかとレオナが感心していると、何故か横でクラウスが笑いたそうな顔をしてい
                 
                る。やはり気付いたビクトールが「何だよ」と突っつくと少し迷ってから教えてくれた。 
                
                「あまりにも外が楽しそうなんで、全然会議にならなかったんです」 
                
                 朝のお返しが出来たとビクトールが豪快な笑い声をあげる中、チラリとレオナを見たシュウの目は「しっかり儲け
                 
                ろよ」と言っているようだった。何だかよく分からないが「了解」とレオナは目で答えた。 
                
                 
                
                 
                
                 ビールは売れた。文字通り飛ぶように売れた。屋台に並ぶ人だけでなくワゴンでまわるとそれもアッと言う間にな
                 
                くなってしまう。他の食べ物や飲み物が安いからついビールもその調子で買ってしまうのかもしれない。とにかく一
                 
                月分ほどの売上げを今日一日で稼いでしまいそうな勢いだ。 
                
                『さっすが旦那だね』 
                
                 ビールを仕入れろと言った先見性もさることながら、庭掃除なんて突発的なこともちゃんと儲けに結びつけてしま
                 
                うのだ。しかも酒だけは定価なんていうのは、レオナに配慮してくれたとしか思えない。 
                
                『そう思うのは自惚れかねぇ』 
                
                 もちろん、レオナだけが特別でないことは分かっている。みんなは怖がっているけど商売上のことでは色々と便
                 
                宜を図ってくれる事が多くて案外商売人の味方である。店舗を構えている者なら多かれ少なかれそれは感じてい
                 
                るはずだ。 
                
                 多分、本当に交易が好きだったのだろう。 
                
                 レオナはラダトでのシュウを知っている(噂だけだけど)。最近若い交易商がラダトに住み着いたらしいと風の噂
                 
                に聞いてからいくらも立たないうちにシュウの名前は広まっていた。元々交易の盛んだったラダトの町だが、すっか
                 
                りその若い交易商が経済の中心にいるらしいと聞いて大したもんだと驚いたのを覚えている。しかもかなりの二枚
                 
                目で、若い女の子が騒ぐのは当然だったが年寄りにも「親切で優しい」と随分慕われていたらしい。 
                
                 今のシュウとは大違いだ。まあ、半分は猫を被っていたとしても残りの半分は本当のことというわけだから、泣く
                 
                子も黙る鬼軍師像はシュウが意識的に作っているとも考えられる。 
                
                『そりゃ、そうだよねぇ。自分の采配一つで大勢の人の生き死にが決まるんだから、いい人なんてやってられないよ
                 
                ね』 
                
                 あたしだったらまっぴらご免だと思ってしまう。 
                
                 シュウが商売の話をしているときに楽しそうなのは、少しでも素の自分に戻れるからかもしれない。だからかレオ
                 
                ナは意外とシュウの笑顔をたくさん見ていた。 
                
                 その笑顔にほだされたというわけではない。けれどシュウの視線や言葉の端々に何か意味を見つけようとしてし
                 
                まうのはどうしてだろう。 
                
                 屋台を売り子に任せたままぼんやり考えていたレオナは、向こうから来る当の人物に気付いてサッと頭を切り換
                 
                えた。 
                
                「旦那、飲んでかない。奢るよ」 
                
                「じゃあ、一杯だけ貰おうか」 
                
                 そう言ってシュウは共犯者の笑みを見せた。 
                
                「まさか今更マージンをよこせなんて言わないよね」 
                
                「そんなに狭量な男だと思うか」 
                
                「狭量だとは思わないけど、算盤勘定はしっかりしてるから念のため」 
                
                 二人でクスクスと笑ってから、シュウの後ろに立っているクラウスに「飲む?それともワインにする?」と声を掛け
                 
                た。 
                
                「いいよね、旦那。クラウスにもあげて」 
                
                「ああ、今日はもう仕事にならないからな。好きにしていいぞ」 
                
                「それじゃ、ビールを」 
                
                 本当はワインの方がいいくせにシュウとレオナの話題がビールに終始しているので気を使ったのだろう。 
                
                『若いのに気配りの出来る子だねぇ。でもそんなに気ばっかり使ってるとそのうちハゲて…』 
                
                 おっと、それを言ったら洒落にならない。 
                
                「だけど、よくお酒を出すのを許可してくれたわよね」 
                
                「レオナに儲けを不意にされたと後々まで言われては適わないからな」 
                
                「あら、失礼ね」 
                
                 思いがけず話が弾んで笑っているとコトンとテーブルにグラスを置く音がして「ごちそうさま」と声がした。 
                
                「何だ、クラウス。まだいたのか」 
                
                 クラウスが一瞬息を飲んだ気配がした。 
                
                「この書類がまだ…」 
                
                「それなら俺がやっておく。もう行っていいぞ」 
                
                 シュウが書類を取り上げるとクラウスは何とも言い難い表情をしたが「ではお言葉に甘えて」と言うとレオナにも
                 
                綺麗な礼をして、先ほどキバとリドリーが連れ立っていった方向に歩いていった。 
                
                 どうやらシュウのお守りの次は父親のお守りをするつもりらしい。本当に律儀な好青年だ。それに引き替え…。 
                
                「ちょっと、旦那っ」 
                
                 レオナの剣幕にシュウは片眉を上げた。 
                
                「何だってあんな言い方をするのよ」 
                
                「休みをやると言っただけだが」 
                
                「そんな風には全然聞こえなかったけど?」 
                
                「ああ、レオナはクラウス贔屓だったな」 
                
                「そりゃそうよ。あんな良い子。大体、あの子がいないと一番困るのは旦那でしょう。なのに、わざとあの子のこと揺
                 
                さぶって喜んでるんだから」 
                
                「人聞きの悪いことを」 
                
                 そう言いながらグラスを置いて立ち去る素振りを見せたシュウにレオナは突っかかった。 
                
                「待ちなさいってば」 
                
                「仕事があると言っただろう」 
                
                 シュウはヒラヒラと書類をかざして見せた。 
                
                「もしかして本当に仕事を代わってあげようと思ったの?」 
                
                「当たり前だ」 
                
                「本当に今日、あの子を楽しませてやろうと思ったのね?」 
                
                「くどいぞ」 
                
                「だって。だったらどうして素直にそう言ってやらないのよ。あの子傷ついてるわよ?」 
                
                 シュウは肩を竦めると何も言わずに立ち去った。 
                
                 
                
                 
                
                『全く難儀な相手だねぇ』 
                
                 本当なら恋敵と言っていい青年の微妙に陰った表情を思い出して溜息をついた。もっともどうしたってクラウスを
                 
                嫌いになんかなれないから、恋敵になりようもなかったのだけど。 
                
                 シュウとクラウスがそういう仲だということは、かなり早い段階から気付いていた。そして二人を見ていて感じるの
                 
                は、どうもあまり「幸せ一杯」というような恋愛ではなさそうだということだ。 
                
                 案外楽しそうなときもあるのだが、妙に緊張をはらんでいることが多い。お互いにプライドが高すぎて、そこがぶ
                 
                つかってしまうのかもしれないとレオナは睨んでいる。結果、師弟という間柄もあってクラウスがシュウに振り回され
                 
                ているようだが、さっきのような小細工を労するあたり、シュウの想いの方がより深いのかもしれない。もっともそん
                 
                なことを気付かせるようなシュウではないだろうが。 
                
                『クラウスに旦那を見返すような真似は、できないだろうねぇ』 
                
                 それに今、もう一つ気付いてしまった。 
                
                 
                
                 旦那があたしに優しいのは、多分あたしが第三者だからだ。あの人はもっと踏み込んだ間柄になると厄介な相手
                 
                なのだ、きっと。 
                
                 
                
                 最初からお呼びでなかったというのは少し切ないが、そんな駆け引きをするような恋は性に合わない。それに、こ
                 
                うもいろんな事が見えてしまうようでは我を忘れるような恋など出来ないだろう。 
                
                「あたしがもう少し若かったら」 
                
                 容色のことを言っているのではない。 
                
                 もっと分別のきかない若い娘だったら、自分の気持ちに素直になって好きな人の胸に飛び込むなんて無茶だって
                 
                出来るのに。 
                
                『ちょっとニナが羨ましいかも』 
                
                 いや、あたしだってまだ十分若いはずなんだけど、と苦笑した。 
                
                「惚れた相手が悪かったってことだね」 
                
                 ふぅっと形の良い唇から細い煙を吐き出すとレオナはキセルをポンと叩いて灰を落とした。 
                
                「せめてビクトールあたりに…あれもダメか」 
                
                 何だか妙におかしくなってしまった。 
                
                 ま、いいか。取り合えず戦争中はみんなの良き相談相手でいよう。 
                
                 そう結論づけたレオナであった。 
                
                 
                
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