バレンタイン狂詩曲 1


「ねぇねぇ、俺にチョコどれくらいきてる?」
 シードの言葉にクラウスは首を傾げた。
「チョコレートはもうウンザリって言ってませんでした? 本当はチョコ、好きなんですか?」
「分かってねぇなぁ、お前は」
 大袈裟に肩を竦めて首を振ったシードに、事務所の女の子もクスクスと笑っている。
「好きとか嫌いとかの問題じゃないの。貰うって事が大事なんだよ。チョコは人気のバロメータよ」
「そうなんですか?」
「当たり前っしょ。去年はカミューに負けちゃったから、今年こそはトップの座を狙ってンだけど」
「それは無理だと思うなぁ。残念でした」
「お、言ってくれるじゃん。カミューさん」
「じゃなくて」
 カミューはチラッとマイクロトフを見上げて笑った。
「今年はマイクでしょ」
「そっか、そうだよな。やっぱり人類の敵を捕まえた功績は大きいか」
 突然、話の矛先を向けられてマイクは赤くなっている。
 ネクロードの事件が記憶に新しい。と言うより、連続殺人事件というあまりにも衝撃的な事件だったから
未だにニュースの話題に上ることも多く、何かと移ろいやすい世間でもさすがに簡単に忘れられないようだ
った。事実、マイクロトフの名前はデュナンのファン以外にもすっかり浸透している。
「女の子の理想だよね。凶悪犯の魔の手から自分を守ってくれる彼氏なんて」
「そ、そんなことはないぞ。結局誰がなんて言ったってカミューが一番人気があるに決まってるんだし」
 ムキになっているマイクにカミューは苦笑している。
「けど、旦那さん候補はマイクが一番だろ?」
 シードが言っているのは最近女の子達の間で流行っている遊びのことだ。「もしデュナンの中で選ぶなら」
恋人にするなら誰、上司にするなら誰、と友達同士で言い合っているらしいのだ。そして、恋人はカミューが
ダントツで、結婚相手ではマイクが一番人気らしい。ちなみにクラウスは当然ながら「兄弟にしたい人」ナン
バーワンである。
「でも、3人ともほとんど差はありませんよ」
 ヨシノさんはシードに頼まれてチョコレートの数を記録していたらしい。紙を覗き込んだシードはニンマリと
満足そうな笑みを浮かべた。
「結構いい線行ってるかな」
「良かったですね」
「なーに他人事みたいに言ってンだよ。お前、最下位争いしてるんだぞ、クラウス」
「だって最下位に決まってるじゃないですか。シュウよりたくさん貰えるわけないし」
「あのなぁ」
 シードは今度は本当の溜息をついたみたいだった。
「謙虚っていうか欲がないっていうか、それがお前の良いところではあるんだけどさ、それも行きすぎると問
題だぞ。やる気がないとは言わないけど、もっと自分の個性をバンと前に出すとか、そうしないとこの世界じ
ゃ残っていけないぞ」
 意外に真面目なシードだったが、すぐにニヤリと悪戯っ子のような笑みを見せた。
「いいか。お前がその気になればシュウなんて簡単に蹴落とせる。俺が言うんだから間違いない。あいつは
興味ないって顔をしてるが、お前に負けたら内心悔しいに決まってるんだ。1個でも多くチョコを貰ってあの
エベレストより高いプライドを叩き折ってやれ」
 どこまで本気で言っているのか分からないが、一瞬でも固くなった雰囲気はすぐに緩んでしまった。
「あ〜あ、シュウのファンには聞かせられない言葉だね」
「うむ、シュウのファンはコアな人が多いからな」
 カミューとマイクロトフも苦笑している。
「シード、気を付けた方がいいよ。デュナンの熱烈な信者みたいな人はシュウのファンが多いんだから」
「カミューのファンはカミューの信者だもんな」
「まあね」
「チェッ、ここにも自信満々のお方が一人いるよ」
「私のプライドは富士山程度だけどね」
 3人が笑いあっていると、打ち合わせを終えて出てきたクルガンが持っていた書類でパサッとシードの頭
を叩いた。
「シード、テンション上がりすぎだ。はしゃいでいるのが社長室まで聞こえたぞ。まったく、鬼の居ぬ間じゃな
いが、シュウがいないからって羽を伸ばすな」
「シュウがいたって言いたいことは言ってるけどね、俺は。大体なんで来ないわけ? あいつ」
 一方的に注意されたせいか、一気に不機嫌になったシードにクルガンは苦笑している。
「今日は全員揃う必要はないからな。お前達だって自主的に集まってきただけだろう」
「そりゃそうだよ。だって俺ら、初めてなんだよ? やっと出られるのに」
 それはそうなのだが、とこれにはクルガンも歯切れが悪い。
「俺が特別ミーハーって訳じゃないよな。この業界にいたら誰だってある意味一つの目標だろ? ここまで
結構かかったし。なのに一人でクールぶっちゃって」
 カミューが宥めるようにシードの肩をポンポンと叩いている。
「クラウスは何か聞いていないのか?」
「えっ? 私ですか?」
 マイクロトフに真顔で問われてクラウスは飛び上がるくらい驚いていた。
「シュウ、クラウスには色々話しているだろう?」
「へえ、そうなんだ」
 カミューにニッコリと微笑まれたが「そうなんですか?」とクラウスの方が聞きたかった。
「シュウから聞いたことをみんなに伝えようとすると『クラウスには言ってあるから』って言われることが多い
し」
 同じリズムセクションだからかマイクロトフはシュウと話す機会が多い。しかも意外や気が合うらしい。そ
のマイクが言うのだから本当なのだろう。
『知らなかった……』
 多分、一緒に帰ることが多いからそういうことになるのだろうが、それでも少し特別扱いされているようで
嬉しい。が、みんなの注目を集めている中ではそんな感慨に浸ってはいられない。
「別に何も聞いてませんけど。でも、もしかしたら」
 実家に帰るようなことを言っていたのだ。大学の後期試験中は仕事もなくて(それはもちろんクルガンの
配慮なのだが)ずっと会えないから寂しいと思っていたのに、試験が終わるのと入れ替わるように帰郷する
と聞かされて、物凄く残念に思ったのだ。
「ご実家に帰られるって。予定ではもう帰ってきているはずなんですけど……」
 だからクラウスも今日会えるのではないかと楽しみにしていた。
「まだ向こうにいる可能性もあるって事か。どちらにしても今日は基本的にオフだから問題はないんだが」
「これからはシュウの予定はクラウスに確認するといいかもね」
 カミューに言われて思わず顔が赤くなるクラウスである。が、シードの気持ちはまだ収まっていないらし
い。
「だから、何でサッサと帰ってこないんだよ。あっちに女でもいるんじゃねぇの? あれで結構遊んでるし」
「シード」
 カミューはクラウスの気持ちを知っているからシードを睨んでいるが、シードはクラウスに好きな人がいる
ことは知っていても相手がシュウだとは知らない。もちろんアップルの存在も知らない。だからシードに悪気
はないのだ。
『別に平気だもの。シュウがもてることは知ってるし。今まで付き合った人くらい、いるのが当然だし』
 自分に言い聞かせながら悲しくなってきた。少なくともアップルはただの女友達ではない。婚約者なのだ。
ホウアン先生はシュウの気持ちはアップルにはないと言ってくれたけど、それでもずっと婚約者だったのだ
から何の感情もないはずはない。
『やっぱりこのままじゃ嫌だ。この気持ちをシュウに伝えられないかな……』
 その時、事務所の電話が鳴った。
「来たっ!」
 シードだけではない。カミューもマイクも、クルガンさえ緊張した顔つきで電話を取ったヨシノを見つめてい
る。
「もしもし」
 クラウスはテレビに目を向けた。ヨシノから受話器を受け取ったシードの声がテレビから聞こえてくる。何
とも奇妙な光景だった。
《と言うわけで、来週の月曜日バレンタインデーなんですが》
 サングラスの司会者が喋っている。
『そうか、バレンタインデーなんだ』
 だったら告白してもおかしくない……かな……?
《来て、くれるかな?》
「いいとも〜!」
 全員で大合唱した。もちろん、クラウスも。



 バレンタインデー。
 日本では女の子から告白しても良い日、ということでチョコレートを贈ることになっているらしいが、外国で
は男女を問わず愛を告白する日だ。それに従って言えば、クラウスが告白したって全然おかしくないのだ。
仕事とはいえ、その日に一緒にいられるのも神様のお導きかもしれない。しかも、全く可能性がないような
気がしていたのに、少しはクラウスの存在を認めてくれているらしいと分かったのだ。
 それでもはっきり告白するには勇気がいる。両思いでもない限りいきなり「好きです」等と言ってうまくいく
はずがない。何より男同士なのだ。いくらクラウスが恋愛方面に疎いと言っても、ここで玉砕したいほどバカ
ではない。
 だから少しで良いから気付いて欲しいのだ。シュウの崇拝者なんて掃いて捨てるほどいて、でも身近にも
そういう人間がいるということを知って欲しい。そうして少しずつクラウスの気持ちに気付いてもらえたら…。
 シュウが甘い物を食べているところなんて見たことがなかったからチョコレートを贈るなんて考えてもいな
かったけれど、貰うことに意味があるのだとシードは言っていた。
 だとしたら、プレゼントしても良いんじゃないだろうか。
 チョコレートと一緒に「尊敬してます」と言うのなら、そんなにおかしくはないような気がする。
 そう考えて足を踏み入れたデパートの食料品売り場だったが、思わず立ち竦んでいた。
「凄い」
 デパートなら普通の男の人だって買い物に行くのだから大丈夫だろうと思ってきたのだが、それは甘い考
えだった、
 フロアの半分以上を占めていると思われるチョコレート売り場は、バレンタイン前の土曜日とあって女の
子がひしめき合っている。これではショーウィンドウに近づきたくても近づけない。せっかくデュナンのクラウ
スと分からないようにサングラスをかけ(これは基本だ)マフラーを巻いて口元を隠し(本当は花粉症用のマ
スクにしたかったのだが、あまりにも怪しすぎたので止めた)前髪の分け目を変えてみて(これで大分印象
が変わったような気がする)普段は滅多に着ないダッフルコートに鞄の斜めがけという姿に変装したのだか
ら怖じ気づいている場合ではないのだが、どうにも気後れしてしまう。何よりもクラウスは男だから、女の子
を掻き分けていく事に躊躇いがあった。
『女の子に触れないで買う方法ってないのかな』
 この状態では無理に決まっているが、男のクラウスに押しのけられたりしたら女の子達だって不愉快だろ
う。けれど、諦めて帰るわけにはいかない。
『どうしよう』
 遠巻きに眺めていると突然声を掛けられた。
「ご試食は如何ですか?」
 売り子さんがニッコリ微笑んで爪楊枝に刺したチョコレートを差し出している。
「ど、どうも」
 もぞもぞと答えて受け取るか受け取らないかのうちに、前後左右から手が伸びてきてあっと言う間にお盆
に乗ったチョコレートはなくなっていた。そして当然の事ながらクラウスの回りは女の子でいっぱいになって
いた。
『まるで戦争だ』
 チョコレートをゲットする、それのみに女の子達は集中しているようだった。しかもモタモタしていると女の
子達のエネルギーに跳ね飛ばされてしまいそうな勢いなのだ。クラウスも遠慮している場合ではなかった。
 それに周りを囲まれたお陰でようやくショーケースを覗き込む女の子達の流れの中に入ることができたの
だ。このチャンスを逃してはいけない。
 が、ケースの中を見て思わず固まってしまった。
『た、高い!』
 どうして2個や3個のチョコレートが1000円もするのだろう。
 隣の店に移動してみたが、やはり似たような金額だ。さっきの店が特別に高いのではなく、これが一般的
な価格らしかった。
『バレンタインのチョコレートってこんなに高かったんだ』
 今まで義理で貰っていたチョコもみんなこんな金額だったのだと思うと何だかとても申し訳なかった。
 キバはクラウスを溺愛して育ててきたけれど、金銭感覚だけは一般常識的な感覚を持たせるように教育
していた。小遣いも必要以上に与えることはなかったから(それでも普通の子供に比べれば多かったのか
もしれないが)クラウスもその範囲の中でやり繰りしてきたのだ。そんなに遊び回る方ではないから困ること
もなかったけれど、何故か義理チョコだけはたくさん貰っていたのでホワイトデーはかなりの出費だった。け
れど、この金額では女の子側も痛手だっただろう。
『私になんてくれなくても良いのに』
 くれるとしても義理なんだから、もっと普通に売っている板チョコで良いのだ。その分、本命の人にちゃん
としてあげたほうがいい。
『手作り、とか』
 もっともこれは少し微妙かもしれない。
 クラウスも自分で作ることを考えないではなかったのだが、実は事務所から手作りのチョコレートには手
を出すなとお達しが出ているのだ。心を込めて作ってくれるファンの女の子には可哀想だが、ネクロードの
こともあったから純粋なファン以外から送られてくることも考えて、何が入っているか分からない手作りの物
に事務所はとても神経質になっている。メッセージカードや手紙はちゃんとクラウス達の手元にも来るが、メ
ーカー品でも一度開封した形跡がある物は全部廃棄の方に選別されていた。そこまでされているのだか
ら、手作りは止めた方がいいと思ったのだ。
『恋人同士になれたら作ってあげたいな』
 すっかり乙女思考になっているクラウスである。
 そんな事を思っているうちに目指すお店に着いていた。今まで色々と貰っていたお陰でクラウスにも好き
なチョコレートのメーカーがあったのだ。タキさんも美味しいと言っていたし、キバが秘書室の女性秘書達か
ら貰ってくるチョコレートもこのメーカーの物だったから品質的にも確かなはずだ。
『あ……』
 リサーチしているつもりはなかったが、ミクミクさん達がくれたチョコレートを発見してしまった。どこでどう
調べたのか、14日はクラウスに会えないと分かっていたらしく前もって手渡しされたのだ。
 あまり大きな箱ではなかったから安心していたのだが、3000円もするチョコレートだった。
『友達なんだから気を使わなくて良いのに。それにしてもミクミクさん、本命の人にはいくらくらいのチョコレ
ートを贈ってるんだろう』
 今まで義理チョコというのは友達(もしくは仕事上の付き合い)でチョコを貰えない可哀想な男の子のため
にあるのだと思っていた。けれど、今回初めて好きな人にチョコレートを贈ろうと思って、もう一つの必要性
に気が付いた。
 それは「カモフラージュ」である。
 チョコレート1個でも好きな人にプレゼントするというのはとても照れくさい。それが周りの人にまで知られ
てしまったら尚更恥ずかしい。だから本命の人が誰だか分からないように義理チョコをばらまくのだ。もちろ
ん本命チョコはグレードアップさせることで差別化する。
 周囲だけでなく自分の気持ちまで誤魔化しているような気がするが、そうでもしないととても勇気が出な
い。
 自分が配ることになって初めてその技に気が付いた。だからこそ、ミクミクさんの本命金額が気になるの
だが……。
『人と比べてもしょうがないか』
 クラウスはさり気なく渡したいのだ。シュウにもさり気なく受け取って欲しい。それならあまり大袈裟でない
方がいいし、気持ちを伝えたいのだから値段や大きさは関係ないだろう。
 散々悩んで比較的薄いスクエアな箱のチョコレートに決めた。中身は食べたことがあって美味しいのを知
っているし、嵩張らないからジャケットのポケットにもサッと入るだろう。
『みんなにはこっちのでいいや』
 あっさり決まったのは当然カモフラージュ用だからだ。きっとシードには「お前、何勘違いしてるの?」とバ
カにされると思うけど、でもシュウに変に思われるよりはずっといい。

 綺麗にラッピングされたチョコレートを手にして、一大事業を成し遂げたような気がするクラウスであった。