<箕輪の殿様>


天文二年四月十二日
「近々、来訪願いたし」
という旨の手紙が、上野の箕輪城から小県の海野屋敷へ届いたのは、その日の夕刻のことであった。
現代ゲンダイ夕方ユウガタ6ジカンから7ジカンにかけての時間ジカンではあるが、そこはムカシのことなので様相ヨウソウはだいぶチガう。
ゆっくりと夕日を飲み込みながら川面カワモを茜色に滲ませる千曲川チクマガワ浅瀬アサセには、ちらほらとホタルトモシビウスい、館のほど近くを貫く北国街道を歩む旅人の姿はすでにまばらで、民家ミンカでは就寝シュウシン支度シタクさえオコナわれている。

 

箕輪城の長野氏は、代々上野以西の豪族たちを統帥し、管領家にいったん事あらばこれらを率いて戦陣に赴く家柄で、言ってみれば海野氏直属の上司である。                                                今の当主は長野信濃守業正と言い、勇将として誉れ高く、「信濃守と事を構えてはならぬ」と周辺では恐れられ、まず上野管領家の宿将としての名は譲り難い。それほどの人物ではあったが、何故か海野の老当主だけは「箕輪の殿様」「箕輪の御大将」と親しんで呼び、離散集合常なる土地にあって、「箕輪の殿様は、海野家が真に頼ることの出来る数少ない御方じゃ」と、むしろ「管領家に属する」ことより「業正に仕える」ことを頼りにする節があった。

「ふむ…。もう陽も落ちておる故、明朝出立することに致す」
海野の当主・海野棟綱は書簡をまるめると使者に宿部屋を与え、ひとまず自室へ戻った。
屋敷の奥にある、さして広くもない質素な一間が、それである。
(…戦か? じゃが…)
脇息に体を預け、棟綱は片目をつぶって苦い顔で黙念した。
(…箕輪の殿様が、この時期の戦に賛同するとは到底思えぬ…)
一年前の管領家騒動の折には、海野家は碓井峠の警戒を申しつかり、峠に築かれた本陣におよそ半月ほど在した。海野に限らず、北信の豪族ほぼ全てにそれぞれ軍役が与えられたわけだが、その時の出費は彼らにとって決して安くない。
「明日明後日にも困る」ことはないが、正直なところ、今年一年は自領の統治に専念したいのだ。
百歩譲って出兵沙汰であったとしても、主家内紛などと発展性のない戦に出るのは、
「儂らのような田舎豪族には、百害あって一利なし」というものだ。
無論、業正から「戦支度をせよ」と言われれば、「有り難き幸せ」と承諾せなばなるまい。
「なんとも…倹しいもんじゃわ」
老当主は、ひときわ深い溜息を吐いた。

 

翌朝、陽が昇った頃、海野棟綱は若干の供回りを連れ、海野屋敷を後にした。
折りから山薫る碓井峠を馬に揺られて越え、ほぼ一本道を上野へと抜け、碓井川を北に折れると、その日の夜には箕輪へたどり着く。
榛名山を背に碓井川を手前にし、山裾の台地に築かれた箕輪の城は、海野小太郎などに言わせると、
「まず俺がこの城を頂いたところで、いったい何人の兵で詰めれば良いかさえ見当つかぬ」
となる。
高台の上の本丸、二の丸から、なだらかな斜面に沿って幾つもの曲輪が巧みに配られた箕輪城に、無駄な個所は一つたりとてない。城割り全体はごく平均的な広さで、特に見栄えのする建物もないが、地形を最大限に活かした合理的な造りは、生涯を管領家の守りに捧げた質実剛健の戦将・長野業正の代名詞と言っても過言でない。
「業正がある限り、上野への手出しはつとめて控えよ」
とは、これから二十年も後に、騎虎の勢いを駆る武田晴信の言葉として知られる。
業正が七十一歳の生涯を終えるその瞬間まで、西上野に武田菱が翻えらなかったことを考えれば、この城とこの城の主と兵たちの力が推し量れよう。

 
到着した翌日は、このところ続いた春めかしい晴天の日がすっかり影を潜め、かわりに、朝から鉛色を帯びた雲が上空に立ち込め、午後になるとぽつり、ぽつりと時雨が降り出した。
「海野棟綱、参りましてございます」
棟綱が、本丸の書院ノ間で長野業正に目通りしたのは、まだ雨が振り出す直前、正午前のことである。
八畳の小広い書院には、床の間に業正の鎧一式と槍が掛けてあるだけで、生活と戦に関係ない調度は一切ない。
脇息と小机の置かれた上座には、すでに人払いを済ませた城主・長野業正が佇まいを正しており、静かに出迎えてくれた。
 
長野業正は一説に1491年生まれと言うから、天文二年(1532年)の時点で、数え四十二歳である。
生誕年については他にも幾つか説はあるが、ここでは1491年説を採る。
※今後もこのように、物語中に筆者の独断で定める個所があると思うが、この物語における人物の生没年には余り意味がなく、著者が「年表」や「資料」を書いているわけでないことを、ご承知願いたい。
業正が家督を継いだのは亨録四年(1530年)と言うから、随分と晩年に当主になったものだが、父・憲正存命の頃から幾多の戦陣に身を起き、勇名は既に揺るぎない。
顔貌はと言うと、広く秀でた額に、三日月型の細い眉と「眠っているように」目尻にかけてやや垂れた細い眼、形良い鼻梁の下と顎とに薄い鬚をたくわえており、四十二歳にしてはまだ髪も黒々とし、顔の皺も目立たない。
しかも、五尺五寸に満たない小柄さは、立ち上がれば白髪の老当主・海野棟綱を見上げる格好にさえなり、「この信濃守の面相に今一つ凄味があれば、攻めずとも奪れる城があったろうに」と自ら苦笑するように、歴戦の戦将という重々しさは、少なくとも外面からは隔離されている。
しかし実際には、自ら槍を取っても相当な力量を示し、見事な筋肉と薄い脂肪とで鎧われた体躯には、幾つもの傷跡が刻まれている。
いつも短めに言葉を発し、そのいずれも冷厳でも酷薄でも威圧する風でないのに、業正の「眠っているような」細い目には、十五も年の違う棟綱をして「容易に身動きするのが憚られる」と言わしめる程、穏やかな眼から波のように迫る”何か”があった。
それも、有象無象を飲み込む大波や岩肌を削る荒波ではない。
引いては返し、寄せては戻り、ゆっくりと砂浜を浸す夕凪の細波のような、激しくはないが決して止むことのない、静かな強さと言えば良いものか…。

「…まず。顔を上げられよ」
敷居越しにいったん平伏を解いた棟綱は、膝をついたまま二〜三歩前へ出た。
「近くへ」
「はっ」
更に促された棟綱は、しずしずと三歩ほど前へ進み出た。
が、業正はじっと目を向けたまま、
「…もそっと。大声でしたくない話ゆえ」
と再び促し、かくして両者は三尺に満たない距離に近寄った。
「さほどに…大事でござりますか?」
年長の棟綱の問いに答える変わりに、表情はそのまま、業正は突然に話を切り出した。
「海野殿は、亡き憲房様に憲政様、憲寛様以外の男児がいることを御存知か?」
「…はて…とんと初耳でござる」
「では、今初めて知ったものとして、話を続けよう。このことは御当家でも、儂を含めて数人しか知らぬ。今の憲政様の耳にさえ、達しておらぬやも知れぬ…」
このことは、以前に書いた通りである。先々代の管領・上杉憲房には、二人の男子がいた。
長男で養子の憲寛、次子で実子の憲政がそれで、先年の平井合戦によって憲寛が上総へ追放されたのは、周知の事実である。
「…第一の問題は、今一人のお子が憲房様の血を引いておらるること。あまつさえ兄弟順は、憲政様より上になるとか」
唐突に主家の内々事を聞かされた棟綱は、年甲斐もなく顔を強張らせ、黙って耳を傾けた。
「尤も、於三の方…いや、仲昌院様の御子ではない。憲房様が若い頃、信濃の女に産ませた隠し子だ」
「信濃の…?」
「うむ。結局、正室の仲昌院様を慮った先々代様は、その御子を正嫡にせず隠し通した。ここまでは、儂が亡き父から聞いた話である」
棟綱の顔に、緊張とも不安ともつかぬ色が微かに走った。
(…いったい、殿殿は何を言うつもりじゃ…? まさかに、その話を聞かせるだけで呼びつけたとは思えぬ…)
それを知ってか知らずか、業正は構わず話を続けた。
「…そして次なる問題は、前の管領…憲寛様の一派うち数名が、その御子を神輿に乗せようとしておる、そのことよ」
(これは…とんでもない話を聞かされわえ…)
おののくのも無理はない。業正の言うことが事実なら、それは管領家の更なる火種である。管領家内部で内紛が起これば、ひいては関東全域が火薬庫と化す可能性もある。
「放逐された憲寛様に従わず、信濃や上野に潜んでいる者がおるのは分かっておる」
「信濃の女に産ませて隠したと申されたが…その御子は、今も信濃に?」
「…信州であるのは確かだが、詳しくは不明だ。ただ言えるのは、上野から離れた所におっては、神輿を担ぐにも何かと不便がござろう」
「はて…」
そこまで大人しく聞いていたものの、棟綱は己の郡内で”それらしき”噂を耳にしたことがない。近隣の諸郡からも、そうした怪しげな話は聞こえてこない。
「いや…少なくとも我が領内では、聞き及ばぬ話にござる。お疑いならば、存分にお探し召されると良い」
珍しく厳然と胸を張って、棟綱は断言した。
業正は疑って言ったわけではないが、海野家としては「痛くもない腹を探られる」ことは、面目に関わる。戦国の世だけに「疑ってかかるのは当たり前」というのは、単なる偏見に過ぎない。むしろ「信じるときは心底信じる」という器量をこそ、この時代の武士達は大事にした。
政略や外交の駆け引きが主眼となる戦国末期には、圧倒的大勢力との間に心伴わない信用と信頼が安売りされたが、まだこの頃は「味方は信じる。疑わしきは敵」という一種爽快なケジメがあったのだ。
だから、「探してくれ」という言葉を真に受けた業正が、ほいほいと小県の探索に乗り出せば、この老当主はその信念に沿って即刻腹を切り、永劫、海野家は管領家と絶縁することになる。
 
流石に業正は、それを察することの出来ぬ漢ではないから、「眠っているかのような」眼を閉じると、素直に少し頭を下げた。
「貴殿を疑ったのではない。ただ現実に、上野と信濃とに別れて潜んだ者同士が事を謀るなら、つなぎのつけ易い場所へ御子を移すであろう…そう思うたのだ」
業正は眼を開くと、再び棟綱を静かに見た。
「…あと三年は、上野国内の戦をしてはならぬと思うておる。今はひたすら憲政様の治世を安定させ、兵を養うのが肝要。だが、このまま放っておけば、近いうちに再び上野は乱れる」
「…まさに…」
棟綱も、しわがれた重々しい声色で同意した。
「此度、貴殿を呼んだのはそのことよ…。信州におる御子の所在を、周囲に悟られぬよう、突き止めて欲しいのだ。難しい話ゆえ、強いて頼むとは言えぬ…が、何とかしてのけては貰えまいか?」
(主家の騒動沙汰とは、厄介な話じゃ…これならまだ、戦のほうが”簡単”だったわえ)
首を垂れた姿勢で思案を巡らせた棟綱は、しばし沈黙の間を置いて、こう聞いた。
「…もし儂がこの話を受けない場合、如何なさるおつもりか?」
「ふむ…」
そう聞かれると、長野業正はこの話が始まってから初めて体を動かし、ゆっくり腕を組んだ。

「…海野殿が断ったらと…ふむ…」

抑揚なく一人ごちて黙考する業正を、棟綱はじっと見守った。

(箕輪の御大将が口封じに儂を手打ちにすることも考えられる…じゃが…)

勿論、手打ちにされても仕方なかったが、棟綱にとっては危惧以上に、こういう時に業正がどのような対処をするのかを知りたく、純粋に好奇心の方が勝っていた。そのために命を落とす危険があることは、ほとんど頭になかった。

(…知りたいわえ。殿様の御器量のほどを…。それで儂が亡うなっても、倅の小太郎が答えを見出すはずじゃ)

そうして双方無言のまま、時間にして二分か三分か程度の沈黙が流れると、業正は腕組みを解いて、変わらぬ抑揚のない低い声を投げかけた。

「…困った…どうするかは、考えておらなんだよ」
聞きようによっては「断れるはずがない」という高圧的な反語にも取れるが、この時の業正は真に後先を考えていなかった様で、それは表情や雰囲気から容易に読み取れた。
だが、長野業正ともあろう歴戦の戦将が示した無邪気さを、棟綱は好意的に受け入れられた。
決して侮ったわけではなく、例えるなら「子に接するような」そういう感じである。
「いや…いやいや。よろしゅうござる、よろしゅうござる。この重大事を打ち明けて頂いた信義に応えねば、海野の名折れ。この老人も、まだ弁えてござる」
棟綱は、膝頭で少し退さると平伏した。
「しかと受け賜ってござる。まず詳しく、談合致しましょう」
白一色に染まった老当主の頭を、「眠っているような」細い目がじっと見詰めた。
「…かたじけない」
そう言って深々と頭を下げた業正を見ることは出来なかったが、言葉の響きに詰まった温かみだけは、老当主の心にしっかりと伝わっていた。

つづく