入院中の心の動きT<15.01.31まで>
このページでは、女性の看護師さんを看護婦さん。男性の看護師さんを看護師さんと表現します

手術を決めるまで(14年11月22日まで)
手術しか治す方法がない以上、手術をするかしないかではなく、いつするかが焦点だった。
どうせ、しなければならないのなら、都南病院でY先生にと言う気持ちだった。
15年2月の閉院は、前から知っていたので、都南で最後にと言う気持ちもあった。
Y先生から説明を受けても不安なし、先生・病院を信頼するということはそういうことか。

入院まで(14.11.22〜15.01.09)
病気・手術の心配はほとんどしていなかったように記憶している。
ただ始めての病棟で、どうなんだろう。同室の人は?看護婦さんは?助手さんは?等々
1ヶ月間の生活環境について考えていた。
まあ、知っている看護婦さんが外来に何人かいるだけでも安心だ・・・・・
とは思いながらも、入院の数日前にはインターネットで頚椎椎間板ヘルニア・前方固定法を検索

手術まで(15.01.10〜01.13)
最初に担当してくれたIさんの顔に見覚えが・・・・それだけで、心の奥でホッとしている。
(後でわかったことだが、3年前の声帯手術のときに病棟にいた看護婦さんだった)
入院患者も減っていて病棟もちょっと寂しい
どこかでこんな簡単に手術を決めて良かったのかなと、ちょっぴりうしろ向きになる。
手術前日、病室に来る看護婦さんみんな私が髪の毛を切っていないでビックリ。
先生のOKが出ているといっても信用されず。先生の所にTELで確認したみたい。
病室担当の看護婦のTさんが『明日は、勉強のために手術室に入ります』と、言ってくれる。

手術室で(15.01.14)
高温多湿のあの部屋はやっぱり独特の雰囲気。3回目の全身麻酔の手術だが今回は今までと違う。
知っている顔が二人もいる・・・・・はず・・・・・・手術室に入ったとたん、メガネをはずしてぼやけた目で探す。
一人は昨日の病棟の看護婦さん、もう一人は仕事でご縁のあった手術室の看護婦のHさん。
二人ともすぐに『がんばって!』と、やさしい笑顔で、声をかけてくれる。
単純なもので、知ってる顔が『がんばって!』と言ってくれるだけでものすごく心が休まる。

手術後(15.01.14〜01.16)
意識がしっかりしてきてよく観察すると、胸からあご・背中から後頭部は装具で固定されている。
頭の両側には5kgの砂袋が2個づつ積まれて頭を動かさないようにされていた。
身体のどこにも痛みはない。が、間違えだった・・・・・
上向きで拘束されているので、腰から痛みが出はじめる。
痛くて2時間おきにナースコールをして少し向きを変えてもらう。(看護婦さんは二人で頭と身体を動かしてくれる)
テレビを見ることも出来ないのでラジオがお友達!昼も夜も寝たり起きたり2.3時間しか眠れないのはつらい。
翌朝(15日)から食事が出るが、朝・昼は助手さん看護師さんに食べさせてもらう。夜と16日朝は、寝たまま自分で食べる。
寝たままでは、ぜんぜん食欲がわかないし、トイレのこと(大)を考えると余計に食べる気にならず、3分の1くらいで嫌になる。
おしっこは、管が出ているので安心。身体は毎日拭いてもらえる。
15日午後、私の1週間前に頚椎の手術をしたTさん(女性)が2日間だから頑張ってと声をかけに来てくれた。ありがとう!
16日の回診で喉のドレンを抜いてもらい。先生・看護婦さんの手を借りベットに座る。
次に歩行器につかまりながら、やっとで立ち上がる。歩行器を使い歩行許可。おしっこの管も抜ける。
あごに痛みが、装具があたってあごの皮が・・・・ハンドタオルを入れることで解消。
起きて食事をする。料理を見ながら食事をすると言うことは、本当に食欲がわく。
16日昼食から退院の2月14日朝食まで毎食完食!

新聞報道を聞いて(15.01.17〜01.22)
大変なことがおきたなぁ〜・・・・これがまず最初に感じたこと。
新聞記事を取り寄せ、インタネットで調べてもらったものを手に入れ情報収集。
しかしこの話は4月以降のこと、2月までの予定は変化なしと思っていた。
先生も看護婦さんも大変だなぁ〜と他人事!
2月の終わりまでには、Y先生の勤務先も決まるだろうから、
その病院に通院するしかないと覚悟を決める。(通院しやすい近くでありますようにと祈る)
が、なんで、予定していた通院先がなくなるのか腑に落ちない。
赤羽に通院予定だった患者同士の話は、通院先の話題が多くなる。
時間が経つにしたがって、だんだん怒りが、通院予定先をが何で変えなければいけないのか?
ただ、職員の方々(先生・看護婦さんも含)が、何事もなかったかのように患者と接しているのに驚く。
医療の場には、私事を持ち込まないということなのだろうが、自分にはできそうもないことであり、本当に尊敬してしまう。
私のほうから話を振ると、仕事を探さなければと言う答えが返ってくる。
去年の暮れには、『これは、赤羽に持ってて!』等と明るい会話が聞こえていた病院内が、
なんとなくぎこちなく、戸惑っているのが感じられる状態だった。

回診のときに毎日、のどと左腰の消毒。
17日に介助を受けての下半身シャワーの許可が出る。洗える幸せを心からあじわう。
上半身は看護婦さんの介助を受けて、装具をはずして蒸しタオルで拭いてもらう。
寝て装具を緩め、電気カミソリでひげを剃る。
装具の下につけるシャツを女房に探してもらう。
介護用のシャツがベストということになったが、高い(1枚2320円)!
病院も近く毎日家族が来院できるので、洗いがえを1枚とし2枚購入する
20日から筋力を落とさないためのリハビリが始まる。

病棟閉鎖(転院)の話を聞いた日(15.01.23)
『病棟を1月末で閉鎖することになったので、転院をお願いします。』回診の時のY先生の言葉を要約するとこんな感じだったと思う。
実は、余りに突然のことで、ボーとしてしまいよく覚えていない。
「で、どこに?」と言う質問にY先生は『紹介できるのは、D病院かY病院かな』だったと思う。
何とか近所と考えた私は、「かかりつけの先生にも相談してみます」と言うのが精一杯だった。
かかりつけの先生との電話では、大森や高輪の病院の名前が候補として出る。
病棟では患者同士で情報交換も始まる。
この間に、家に電話、女房と話するが、どうして良いかわからないもの同士だから、話が前に進まない。
出きるだけ近所と余分な入院費のかからない病院を探せればと難しい結論になる。
院長先生とも話をさせていただき近所のT病院も候補となる。
いろいろな方と話をするうちにだんだん頭の中が整理できてきた。
@Y先生に手術をお願いした(Y先生を信じてすべて任せた)以上、最後(完治)までY先生と縁を切りたくない。
A家族への負担(時間・肉体・金銭的)増を最小限とする。
B退院後の通院が楽なこと。
この3点を最優先で検討した結果。D病院に転院することを婦長さんにお願いした。
決めた理由は、Y先生の診察が月2回あること。
電車の乗換えが同一ホームで1回ですみ、駅から近い。
女房との話は、自宅から近い病院を最優先に考えていたが、途中からY先生最優先に変わった。
それは、頚椎という身体の中心の骨をいじるということは、腕の骨をちょっと骨折したというのとは違い
整形外科ならどこでも大丈夫という訳にはいかないであろう。
であれば、Y先生がここという病院を選ぶことが自分にとってベストと結論が出た。
すべてを考えた上で、都南病院を決めたのに術後になんでこんなことを、考えなくてはならないんだろう。
D病院をお願いしたにもかかわらず、本当にいいのかなぁ〜と考えてしまう。
お願いした後も、病棟で患者同士の情報交換は続く。

転院が決まってから(15.01.24〜01.30)
24日 D病院から受け入れOKの連絡が届く。一安心
でも、D病院とはどんな病院なの?K婦長さんから、入院案内を送ってもらうからとの言葉をいただく。
自宅に連絡をし、長男にインターネットで検索をしてD病院の情報を集めてプリントアウトするように頼む。
テレビ局の取材が入りインタビューを受ける。急に転院を余儀なくされる患者の気持ちや、
退院後の通院先がなくなった話などをする。

赤羽では署名運動が始まったようだが、都南の方は、静かなもの。これも腑に落ちない。
なぜ、職員の方々が騒がないのか?近隣の住民・患者が騒がないのか?みんな、もっとアピールしようよ!
職員の皆さんが、胸に廃院反対の黄色のプレートをつけたのはいつだっただろう。
やっと意思表示をしてくれたという感じがした。
病院にいるとなにもできない。署名の用紙をいただき、知り合いにお願いすることしかできない自分が悔しい。
なんで、私がこんなことで悩まされるんだよ!誰のせいなんだよ!
この病院にいる人に責任は何もないんだよ。本当に腹が立つ。
静かに粛々と仕事をしている看護婦さんたちを見ていると、頭が下がる思い。
自分の病気を理解し、自分を任せられる先生・病院を選んで、手術を受けた患者が、
なんで入院中にもう一度、自分を任せられる病院探しをしなければいけないのか、どうしても理解できない。
厚生労働省!社会保険庁!おまえら説明に来いよ!
転院先が決まり精神的に落ち着いてくるほどに腹が立ってきた。

25日 抜糸 午後から担当の看護婦Kさんがベッド上で洗髪をしてくれる。めちゃめちゃうれしい!気持ちいい!
先生には、髪の毛を切るように言われたのを切りたくないと頑張った手前、つらいとは言えないよねぇ〜〜
Kさんは、前日、どうやれば首に負担をかけずに洗髪できるか研究していてくれたそうだ。感謝感謝!
長男が来院、頼んでいたD病院の資料を持ってきてくれた。廊下で歩行中の写真を撮りNETにUPしてもらう。
転院先が決まってから看護婦さん方は、転院先の看護体制を考えてくれていて、
都南で出きることを、何とかしようと頑張ってくれていた。
転院先で、困らないようにという気持ちが、ひしひしと伝わってくる。本当にありがとう!

27日 最後の消毒。入浴許可が出る。看護婦さん看護師さん助手さんに髪の毛・首・背中を介助してもらい入浴
入浴後は、ドライヤーもかけてもらい髪の毛を結ぶまでやっていただく。(30日まで毎日)
27日からリハビリで杖を使った歩行の練習を始める。手と足が合わない。
別に歩けないわけではなく、転んではいけないから杖を使う。
坂口力厚生労働大臣宛に手紙(質問状)を書く(28日投函)
返事が来るかどうかはわからないが、返信用の封筒を入れることで少しは期待を込める。
数多くの手紙が来るだろうが、最低限見たという返信が届くであろう。常識がある人なら。
常識ある政党から出た常識ある政治家であると信じて。
返事がこないようでは、政治家の常識を持った政治家ということかな。

28日 階段歩行の練習開始。いやぁ〜むずかしい!階段は、手すりにつかまった方が楽だ。
院長回診、いろいろ気を使ってくれる。
総婦長からは、D病院の婦長さんは、知り合いだから連絡しておきますとの言葉をいただく。ありがとう!
29日 転院準備のため初外出(一人での外出は禁止)・病室は私一人になる

30日 担当のK看護婦さんが転院先D病院に持っていく看護用の書類を休日返上で作りに来てくれた。
私のためにと思うとうれしい反面、申し訳ない。悪いのは誰なんだ?
回診のときY先生が、D病院のT整形外科部長は、やさしい先生だよと・・・・ちょっとホッとする。
夕方から病棟にいる患者は、私一人になった。
夜になり、背中に痛みが走る。装具による肩こりが原因みたいでシップを背中に張ってもらい楽になる。
一人でいるといろんなことを考える。
・新しい病院に対する期待と不安
・3月以降の通院先が決まらない不安
・転院後のことを考えてくれている看護婦さんに対する感謝!
・この問題を起こした姿の見えない巨大なものに対する怒り!
昭和42年12月に始めてこの病院にかかり即入院してから35年余、今回が7回目の入院、
女房の言葉を借りれば『お父さんの大好きな都南病院』の最後の入院患者になちゃたんだなぁ〜
VIP以上だよね、私一人に、病棟には、看護婦さんが二人、1Fには当直の先生・看護婦さん・事務の方・・・
と、自己満足させているが、本心は、予定通りの移転閉鎖ならいいけれど、廃院閉鎖じゃ喜べないよ。

自分自身がこのことを伝えるぞと誓う。

転院の日(15.01.31)
すがすがしい朝と言いたいけれど、寂しい朝!
看護婦さんは、いつもと同じように接してくれるが、患者は、私一人。
手の空いている看護婦さんは病棟の片付けをしている。
転院予定の10時が近づく。看護婦さんにお願いをして写真を撮影。
知り合いのタクシーを手配してあるので、10分前に玄関へ
担当のKさんがいっしょに降りてくれる。車が来るまで話をするが、やはり転院後のことを心配してくれる。

看護婦さんは、やはりプロ!私をちゃんと退院させたかったという気持ちをいっぱい感じた。
自分のことより患者なんだよね。
このプロとしての意識を、お上は計算して決めたような気がしてならない。
普通の会社だったら、ストライキでしょう。医療に携わる人間は、自分より患者を考えストはできないことを知ってるんだよね。
と言うことは、今回の問題を起こした、厚生労働大臣以下厚生労働省、社会保険庁のメンバーは、 医療に携わる資格なしだよね。
だって、現患者のことも、待っている北区の患者のことも考えていないもの。
このままじゃ、日本の医療制度は、医療のプロじゃない人たちによってめちゃくちゃにされちゃうよ。

タクシーで転院先D病院へ!

受付をして外来へ、Y先生が言っていたようにT先生はやさしそう。
尿検査・血液検査・レントゲンを撮って、2階の病棟へ。
4人部屋で、ベッドは窓際、反対側のベッドは、若いO君・・・・よかった!
担当看護婦のEさんとオリエンテーション。まっ、なんとかなりそう!
システムと言っていいのかな、当たり前なんだけれど都南と違う所があり戸惑う。
お風呂は、週3回(火・木・土)だそうだ。都南は、患者が少ないから毎日入れたが、週3回は標準だろう。
女房とシャツの洗濯の話になる。家から都南は片道15分D病院は片道40分かかるので毎日は来れない。
結局、都南の時のように毎日洗濯は無理なので風呂の時の着替えは不可能、
もう1枚シャツを買うか、1日おきで来院したときにその場で着替えるかのどちらかとなり、
あと2週間なので介護用の高いシャツを買うのはやめようということになった。
風呂の週3回は普通だから許せる、しかし着替えが週3.4回は遠くなったせいだ。許せない!
午後、リハビリも始まる。
緊張のうちに、転院初日が終わる。






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