入院中の心の動きU<15.02.01〜>

このページでは、女性の看護師さんを看護婦さん。男性の看護師さんを看護師さんと表現します

転院して(15.02.01〜02.14)
2月1日 最初のお風呂。助手さんに介助してもらい入浴。やっぱり気持ちいいねぇ〜
看護婦さん方は、介助するとき、都南でどうやっていたか必ず聞いてくれる。ありがたい
カップコーヒーの自販機がないので。目覚めのホットココアと朝食時のカフェオレが飲めない。缶じゃちょっとね!
自分の気持ちの問題なんだろうが、自分のペースがつかめない。
気持ちの上でまだ、お客さん状態なんだ。
都南で婦長さんと話をしたときに、転院で治療の途中で来ようが、最初からの患者だろうが、
看護する上でなにも変わりないから心配しないで大丈夫と言われたんだが・・・・
枕が替わったせいか熟睡できない。と、言っても、枕は使ってないのでマットが変わったせいだろう。
2日 D病院転院後初外出、病院の前の本屋さんへ行く。もちろん同行者あり。
見舞いに来てくれる方に転院の説明をしなくてはならない。そのたびに思い出し怒り!
T先生は、毎日回診に来てくれる。

6日 午後、Y先生の診察で、13日CT撮影をし午後の診察で経過がよければ14日退院とのこと。
CTしだいで、早ければ、装具をミネルバから、小さいものに変えられるかも。
7日 次男たちとお茶をしにケーキやさんへ外出。
8日 長男やNETの友達と今日もケーキやさんへ!
都南だと待合室でコーヒーだったんだけどなぁ
毎日、変化のない病院生活を送る。変化のないのは、順調な証拠と言い聞かすが、毎日が長い!
13日 朝一番でCT撮影。昼にY先生の外来が急に休みなったと聞く。どうするんだ!
すぐに、T先生にCTを見ていただき、予定通り、14日退院と決まるが、装具は、Y先生の判断になるので20日の外来で!
背中のシップは、毎晩貼りに来てくれて、毎日午前中にはがして、蒸しタオルで拭いてくれる。
シップを貼る前に蒸しタオルで拭いてくれる看護婦さんもいる。
おかげで痛みは、だいぶ楽になる。
坂口厚生労働大臣からはまだ返事は届かない。
14日 いよいよ退院。転院前から心配していた入院費も安くすみ一安心。
お世話になったT先生、看護婦さんとリハビリの先生にご挨拶をして、D病院をあとに!

退院して(15.02.14〜02.24)
14日 転院はタクシーだったが、退院は、歩きたくて、電車で帰ることにした。
電車の中で女房と話をし、都南病院を訪ねることにした。
Y先生の外来がある日なので、うまくいけば装具を変えてもらえるのでは、との淡い期待もあった。
淡い期待は、もろくも去った。CTを見ていないからわからないよ!当然と言えば当然の言葉。やはり20日D病院でとなった。
院長先生と会い退院の報告。顔見知りの看護婦さん助手さんから『退院したの?おめでとう』の言葉をいただく。
転院前に看護婦さんにお願いの手紙を書いておいたのだ、
本来なら、都南病院で退院を迎えるはずだったのだから、退院後に会ったら退院おめでとうの言葉を下さいと・・・・・
抗議の活動は、都南病院周辺では、まだ静かに見える。
病院を出たところで、手術室のH看護婦さんに会う。術後お話をする機会がなかったので、お礼を言う。
本当にあの笑顔は、忘れることはないだろうと・・・・・・
家に戻り、すぐにNETでこの問題を検索するが、ほとんどない。なぜなんだ!
自分で動くかとも考えたが、装具での拘束がきつくて、キーボードすら扱いづらい。
病院と違って家の中で動くのは、不自由だし・・・・・

15日から少しづつ外を歩くが、交通事故ですかと聞かれてばかりで説明が大変。
どこで手術したの?の質問に、都南と答えると、あの病院はもうなくなるんでしょうと閉鎖の話になるので今度はその説明!
ビックリしたのは、移転がなくなったのだから、都南は今まで通りと思っている人が意外と多いこと。
報道をもっときちんとしてくれよ!都南病院関係者が騒がないのもいけないんだよ。
期限の15日を過ぎても坂口大臣からは返事来ず!

20日 1週間ぶりにD病院へ!Y先生の診察。T先生も一緒にいてくれる。
CTを見て、装具は、フィラデルフィアと決まる。今日変わると思っていたら、装具屋さんが来るのが
月曜日なので、 24日に採寸をして1週間後に・・・・「え〜っ、あと10日もこの装具!」と言ったら。
T先生が看護婦さんに『装具屋さんに、何種類か持ってきてもらえるかなぁ』看護婦さんは『大丈夫だと思いますよ』
「やったぁ〜、月曜日で少し楽になるぞう〜」外来のあと、病棟とリハビリに顔を出してから帰る。
24日 期待を胸にD病院に向かう。外来の前に病室のOくんの所へ、彼も装具が出来る日だそうだ。
外来に戻り診察、ミネルバとやっとお別れ。フィラデルフィアへ。胸当て背当てがなくなりとても楽になる。
T先生も顔を出してくれる。薬をお願いする。
病室でOくんを待つ。彼も装具が出来たので木曜日に退院とのこと。おめでとう!

HPを開く日(15.02.25)
25日 転院のときに撮った写真を持って都南病院へ!あと4日しかない外来は、閑散としている。
診察室から出てくる患者は、ほとんどが、紹介状の封筒を持っている。
内科の待合室に入院中の知り合いの顔が、患者のTさんだ、違う病院への転院だったので、転院先の話をする。
Tさんも来月からD病院でY先生の診察を受けるそうだ。
いっしょに写真を撮った看護婦さんを探すが、休みの人が多い。
助手さんを見つけ写真を渡す。K婦長さん発見!K婦長さんに写真を託す。
これで病院とお別れかなと話したところ、28日に、もう一度来ればと・・・・・
28日のテレビの放送予定が、院内に張ってあった。
フライデー3月7日号の記事を読む。
カメラを片手に院内外の写真を撮っている人もいる。

東京北社会保険病院の看板の立った写真を見る。一般の会社だったら、建てないように手配するだろう。
いくら契約をしていてもみっともなくて・・・・・
この移転中止を決めた人は、慌てて、あとの手配を考えられなかったのだろうか。
それとも、よほどの、アホか。
または、自分たちのやったことの間違いに気付いて、時期は、ずれても、予定の形に戻すのか?
この事実を見ただけでも、いかに無計画かわかるだろう。
計画中止を水面下で考えていたように新聞等で、報道されてはいるが・・・・

このような、誰が考えてもつじつまの合わないことが、国の名の元に行われる、日本とは、どんな国なんだろう!
国と言うなのもとなら、世の中の常識は無視という、政治家や公務員がいることすら、日本の恥である。
大人なんだから、失敗は失敗として認めようよ!
関係したみんなで、善後策を考えてよ!
新聞等で見られる、職員の目・北区住民の目だけでなく、
都南の患者の目を広く伝えたいと考えるようになった。

午後から、急いでこのホームページを作り始めた。

HPを開いて(15.02.25.26.27)
25日 まず、思いつくことを書き始める。
気持ちを文字にするのは、本当に大変だ。
また、このHPを作ることが、都南病院関係者に迷惑をかけては?と、心配する。
26日 どうやって表現したら、一番理解していただけるかを考える。
一定の形になった段階で、友人にチェックをしてもらう。
ここで、院長先生に連絡をとり、HPを見ていただく!
ご意見を聞くことが出来ればと考え、掲示板を設置する。
心の動きを書き始める。
夜、友人たちにメールを入れ、このHPの宣伝をする。 27日 カウンターが伸び始める。
夕方、28日のTV朝日の放送時間をHP上にも入れる。
心の動きを思い出しながら書いていると、苦しかったこと、楽しかったこと、うれしかったことなど良い思いでと
疑問に思うこと、腹の立つことなど嫌な思い出とが交錯する。
冷静に考えて書く方がむずかしい。なにせ、考えたり思い出したりすると、腹が立つんだから・・・・・

都南病院外来最後の日(15.02.28)
11時前に子供とともに都南病院を訪ねる。子供はここで生まれ、何度も入院したことがある。
まず最初に会ったのは、またも患者のTさん、最後の最後までお世話になっちゃたよと笑っている。
病院内では、淡々と片付け作業をやっている。
子供がお世話になったI婦長や7年前にお世話になったT主任にご挨拶できた。
患者が出入りできる最後の日を名残惜しんでいるのは、私たち親子だけでなく、
ご夫婦で見えてる方など、何人か見える。待合室でTさんにコーヒーをご馳走になる。
病棟の看護婦さんと待合室であえた。『ご迷惑かけてすみませんでした!』転院のことを、
私とTさんに言ってくれているんだけれど、よけいにつらくなる。
こんな若い看護婦さんにまで頭を下げさせるとは・・・・・
誰がこんなにしちゃたんだ!
今から日テレのニュースに都南が出ると教えてもらい、待合室で見る。
何人かの職員の人も見に来る。
もっと早く取り上げてほしかったな!
今夕は、テレビ朝日のほかに日テレにも出ることになったそうだ。時間を詳しく聞く。
とうとう11時30分。外来の受付が終わる時間だ。待合室から玄関を出る。さびしい!
振りかえって見る!もう、この玄関を入ることも、自販機のカップコーヒーを飲むこともない!
Tさんと別れ。別棟のリハビリ室へ行きご挨拶。本当にお世話になりました。
これからのリハビリの方法を習う。ちゃんと許可が出たら自分でやります。ありがとう!

夕方、拠所ない用事がありON TIMEではテレビを見ることが出来なかったが、ビデオで見る。
日テレ、テレ朝のニュースと順にうまく1本に入っていた。
そのあと、衆議院厚生労働委員会をNET上のビデオライブラリーで見る。
どちらを見ても腹が立つ。
テレビの方は、労働問題そして医療の問題として取り上げてくれているが、何せ、時間がない
社会保険庁の説明はなんだ!自分たちに非があるかわかっているから、ちゃんとした説明が出来ない。
長官にいたっては、『決まったことですから!』ふざけるんじゃないよ。
決まっていたから、移転計画が進んでいたのでしょう。
本当に正しいことをやっているのなら、ちゃんと目の前で説明しろ!
大のおとなが、説明のつかないことをやるんじゃない。
自信がないから、足早に逃げるんだろ!
国会の方も同じ!質問をはぐらかす坂口厚生労働大臣。
質問とは論点とは違う答えしか出来ない
一国の大臣が、あんな答えで逃げるしかないとなると、腹立つと同時に哀れになってきた。
胸を張って説明出来ないことは、やっちゃダメ!と、子供の頃に教わらなかったかな。
大臣の座右の銘『先憂後楽』とは、違うことをやっていませんか。
憂いが起きちゃいましたよ。それともなければ、我々の憂いは、天下の憂いとは考えてないのかな。
少なくとも、このテレビ・ビデオのおかげで、HP作成をペースアップしようと考えた!

3月になって(15.03.01〜)
1日 早く一定の形までと必死にコンピューターに向かった。
2日 カウンターが100アクセスを突破している。
思っていた以上の方が見に来てくださっているんだなと・・・・
皆さんがもっと関心を持ってくださればと思い。検索サイトの登録を始める。

3日 やっとその日のことを書けるところまできました。
まさか、このようなHPを作るとは思わなかったので、思い出し出しの状態だった。
ただ、このおかげで頭を整理することがだいぶ出来ました。
しかし、どう考えてもおかしい!最初にも書いてあるようにまだ不安は解消されていないし。
4月以降の通院先も決まっていない状態。
長いものに巻かれろだったり、お上のやることには逆らうなと言う事は、昔の話!
それは、常識のある人が上に立っている時代の話で、今のように上に立ちたいだけ人(名誉欲の大きい人)が、
多い時代では、ちゃんと声をあげないと大変なことになってしまうと思う。
学歴の時代で、世間や一般常識を知らないまま社会に出て、高い地位につく。
その地位を守るためなら、犠牲者が出ても気にならない。
そのような人が多すぎると思いませんか?
私は、これからも声を出しつづけます。
明日からもこのHPを更新し続けます。
今日、このHPをきっかけに取材の申し入れがありました。
また1歩進めるかも。

4日5日 誤字や表現の方法を見直す。(慌てて作ったので、ちゃんとチェック出来ていない)
応援や励ましのメールをいただく。感謝!
6日 D病院で診察。患者仲間のTさんと会う。

12日 TBS『噂の東京マガジン』の取材、久々に都南病院へ行く。
使われない建物とはこんなにも寂しいものなのだろうか。
取材に来たのは、笑福亭笑瓶師匠、ロビーで話しをするが、放送されるのかはわからない。
こちらが話したいことをしゃべるのではなく、笑瓶師匠から聞かれた事に答えるのみ。 放送予定は、3月23日の13時から
院長先生にお願いしてあった「都南病院最後の退院患者」の証明書をいただく。
13日 D病院でCT撮影・診察、順調との事。
帰ると、社会保険庁からの手紙。開封すると大臣への手紙の返事。
内容は、話しにならないピンとずれ!
14日 社会保険庁担当者へ電話、会議中との事で折返しの電話をお願いする。
30分ほどで電話をいただく。返事の内容については改めて文書を送るので対応をお願いし、
今回いただいた返事についてのNET上で担当者名を伏せて公開する旨を伝える。
なぜ公職とか高い地位にいる人は、質問に答えないで、都合の良いことやごまかしのみ話するのだろうか?
これでは会話ではなく、一歩的な通告だ。
16日から、アクセス数が増える。

18日 社会保険庁担当者と坂口厚生労働大臣宛に手紙を書く(19日発送)
担当者へは、きちんとした答えがもらえるよう質問を3点にまとめた。
大臣の目に必ずふれる方法はないだろうか!
考えた結果、読んだ旨の署名したものの返送をお願いしたが、はたして帰って来るかどうか?・・・・・・
NETで検索をかけると、議員さん方もこのことを取り上げてはいるが、
統一地方選を視野において、住民不在の政党争いの手段に使われ始めている。
いつになったら、本当の住民を考えた政治が出来るようになるのか・・・・・
数人の議員さん(国・都・府・県)にメールでこのHPの事を案内したが、
現職議員で返事を下さった方はゼロ!元職の方のみでした。






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