10人のガムラン隊を背後に従え、目の前の大きな白い幕に向かい、数え切れないほどたくさんの人形を次々と操り、ストーリーを語り、摩訶不思議な世界を紡ぎだしてゆく。加清明子さん。インドネシアの伝統芸能「ワヤン」を日本で演じる「クルタクルティ」の代表。ワヤン一座の中では、「ダラン」という、話を語るストーリーテラーであり、ガムラン音楽をコントロールするコンダクターでもあります。その小さな身体からは想像できないほど、ダイナミックで深い表現力で「ワヤン」というスローな世界を創りあげる彼女に、お話を伺います。


「ワヤンは、インドネシア、とくにジャワの人々の生活に根ざしたもので、厄払いや魔よけの意味とともに、ジャワの哲学や暮らしの中でこうした方がいい、ということを伝えているんです。」


―(練習見学を終えて)おつかれさまでした。ライブで観るとやはり迫力が違いますね。ストーリー展開も興味深いし、人形もキレイだし、ガムランもスゴイ。みなさん、どれくらい経験を積まれているんですか。

それぞれですね。いちばん長い人は、30年くらい。短い人はほんの数年です。ガムランというのは、とてもうまくできていて、レベルの高い人もほとんど初心者の人もいっしょにできるような音楽構造になっているんです。もともとは音楽ってコミュニケーションの道具ですよね。コミュニケーションの相手が人間だったり神様だったり自然だったりするわけで。ガムランでは、あそこであいつがあんなことしたから、わたしはこうしようとか。そういうことで広がっていく音楽なんです。しっかりした決まり事の中で自由を楽しむ、ベテランの人もヘタな人もいっしょにできる。


―加清さんは、人形を操りながら、ガムランの音楽全体も見てるいるんですよね。

そうですね。

―後ろの目を使って。

そうそう、感じてるんです。

―すごい。現地では「カリスマ・ダラン※1」みたいな人がいるんですか。
※1ダラン:人形を操り、ストーリーを語る人。ワヤン上演の一切をリードする。

もちろん、もちろん。

―あの人がやるからって、人がいっぱい来たりとか?

そうです。いま、1、2を争う人たちは、そうですねぇ、武道館とは言いませんけど、そのぐらいガーッと人を集めちゃいますね。もう、ダランははるか遠くに小さく見えるくらい。ほとんど見えないけど、それでいいんですね。みんな、話を聞きに来る。音と話を。見えなくても。

―ストーリーを口承するっていうことが大切なんですか。

ダランの仕事は、話を伝えるんじゃなくて、招かれた場所でワヤン上演をすること。上演自体に意味があるんです。徹夜で上演※1するなんて辛いですよね、でもそれが一種の業のようなもので、魔よけや厄よけ、無病息災を祈る、という意味になります。一晩限りの物語なんですよ。同じ演目でも語る内容が変わっていく。ダランがその時その場の空気を敏感に感じとって、物語に反映させているんです。話の中にはジャワ※2の哲学とか、そうですね、まあ人間の暮らしていく上でこうした方がいいんじゃないということを込めたりします。時代時代によってダランの役割も変わっていて、政治に利用され、たくさんのダランが殺された時代もあったと聞いています。いまはあまり政治的な話はきかないですけれども。
※1徹夜で上演:インドネシアで上演されるワヤンの多くは、夜の9時頃から翌朝の4時頃まで続く。※2ジャワ島:インドネシアの中心をなす島 

―政治に利用されるほど、観客の気持ちを動かしてしまうものなんですね。

ワヤンっていうとジャワではみんなすごい楽しみにしてたんです。昔はとくに。娯楽があんまりないところだから。村に来れば、みんなワーッと集まってくる。そういうことろで、そういう…                

―知らず知らずに聞かされて…

そうかぁ。って思っちゃう。

―ワヤンを上演するというときは、お祭りみたいなカンジになってるんですか。

そうですね。ワヤンが呼ばれた家の周りには屋台が出ます。子供たちは屋台で遊んだり、大人もコーヒー飲みにいったりゴハン食べたりしながら、行ったり来たりしながら、見てる。

―外でやるんですか。

家のつくりが日本と違って、軒先があって、半分、外みたいな。そういうところでやります。閉めきった室内で、というのは、あまりないですね。



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ワヤンの摩訶不思議な世界が、ちょっと見えてきました。次は加清さんがワヤンをはじめたきっかけとからこれまでのことを伺います。