昭和16年11月南千島択捉島単冠湾に密かに集結するため北海道厚岸沖を航行中の翔鶴
多くの成書などを読むと日本海軍は米国との戦いに勝算は無いと考える将官たちが多かった。
しかし多くの建艦予算を使っていることもあり、また陸軍に対する面子のため、それが大きな声になることは無かった。
勝算が少ないことを熟知していた山本五十六連合艦隊司令長官は従来の海軍の戦略であった、戦艦の巨砲による
艦隊決戦による決着を排し、人類の海戦史上
類を見ない大規模空母機動部隊による一撃をもって戦いの主導権を握ろうとした。単冠湾に集結した決戦用主力空母の
搭乗員をはじめとする下士官、兵、下級士官の双肩には全く新しい形の戦いを遂行、成功するという
戦争全般を指揮する指揮官たちの責務、緊張とは別の
日本の歴史上最も重い責任感と緊張があったことだろう。
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