日本海軍航空母艦
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龍驤
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翔鶴型1
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隼鷹型
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飛龍
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瑞鳳
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艦名 | 竣工 | 概略要目 (指定無きは竣工時) | 最終状況 | 参加作戦 |
鳳翔 | 大正11年12月27日 | 基準排水量 7470ton 飛行甲板長 168m 飛行甲板幅 22.7m 軸馬力 3万馬力 速力 25節 搭載機数 21機 |
昭和22年 5月 1日 終戦後復員船として活躍 その後日立造船にて解体 |
ハワイ作戦(支援) ミッドウェー作戦 |
龍驤 | 昭和 8年 4月 1日 | 昭和12年改装後 基準排水量 10600ton 飛行甲板長 157m 飛行甲板幅 23m 軸馬力 6.5万馬力 速力 28節 搭載機数 33機 |
昭和17年 8月24日 第二次ソロモン海戦にて 米軍機の攻撃で沈没 |
ダバオ飛行場爆撃 レガスピー攻略作戦 ダバオ攻略作戦 アナンバス攻略作戦 バンカ・パレンバン攻略作戦 アンダマン・ビルマ攻略作戦 インド洋機動作戦 アリューシャン攻略作戦 第二次ソロモン海戦(沈) |
赤城 | 昭和 2年 3月25日 | 昭和13年改装後 基準排水量 36500ton 飛行甲板長 250m 飛行甲板幅 30m 軸馬力 13.3万馬力 速力 31.2節 搭載機数 90機 |
昭和17年 6月 6日 ミッドウェー海戦で 米軍機の爆弾2発を受け 搭載爆弾等が誘爆 駆逐艦の魚雷で処分 |
ハワイ攻撃作戦 ラバウル攻撃 ガビエン攻撃 ポートダーウィン攻撃 ジャワ島チラチャップ攻撃 コロンボ英海軍攻撃 ミッドウェー作戦(沈) |
加賀 | 昭和 3年 3月31日 | 昭和10年改装後 基準排水量 38200ton 飛行甲板長 249m 飛行甲板幅 30m 軸馬力 12.7万馬力 速力 28.3節 搭載機数 90機 |
昭和17年 6月 5日 ミッドウェー海戦で 米軍機の爆弾3発を受け 搭載爆弾等が誘爆更に ガソリン庫に引火大爆発沈没 |
ハワイ攻撃作戦 ラバウル攻撃 ガビエン攻撃 ポートダーウィン攻撃 ジャワ島チラチャップ攻撃 ミッドウェー作戦(沈) |
蒼龍 | 昭和12年12月29日 | 基準排水量 15900ton 飛行甲板長 217m 飛行甲板幅 26m 軸馬力 15.2万馬力 速力 34.5節 搭載機数 63機 |
昭和17年 6月 5日 ミッドウェー海戦で 米軍機の爆弾3発を受け弾薬庫誘爆沈没 |
ハワイ攻撃 ウェーキ攻略作戦 アンボン攻撃 ポートダーウィン攻撃 ジャワ島チラチャップ攻撃 クリスマス島攻撃 コロンボ英海軍攻撃 ミッドウェー作戦(沈) |
飛龍 | 昭和14年 7月 5日 | 基準排水量 17300ton 飛行甲板長 217m 飛行甲板幅 27m 軸馬力 15.2万馬力 速力 34.3節 搭載機数 73機 |
昭和17年 6月 6日 ミッドウェー海戦で 米軍機の爆弾4発被弾 駆逐艦の魚雷で処分 |
ハワイ攻撃 ウェーキ攻略作戦 アンボン攻撃 ポートダーウィン攻撃 ジャワ島チラチャップ攻撃 クリスマス島攻撃 コロンボ英海軍攻撃 ミッドウェー作戦(沈) |
翔鶴 | 昭和16年 8月 8日 | 基準排水量 25600ton 飛行甲板長 242m 飛行甲板幅 29m 軸馬力 16万馬力 速力 34節 搭載機数 84機 |
昭和19年 6月19日 マリアナ沖海戦にて 米潜水艦の魚雷4発被弾 ガソリンタンクに引火大火災を起こし沈没 |
ハワイ攻撃 ラバウル攻略作戦 ラエ、サラモア攻略作戦 セイロン島攻撃作戦 ポートモレスビー攻略作戦(支援) 珊瑚海海戦 第二次ソロモン海戦 南太平洋海戦 マリアナ沖海戦(沈) |
瑞鶴 | 昭和16年 9月25日 | 翔鶴に順ずる | 昭和19年10月25日 比島沖海戦において 米軍機の攻撃を受け 魚雷、爆弾各7発被弾沈没 |
ハワイ攻撃 ラバウル攻略作戦 ラエ、サラモア攻略作戦 セイロン島攻撃作戦 ポートモレスビー攻略作戦(支援) 珊瑚海海戦 第二次ソロモン海戦 南太平洋海戦 マリアナ沖海戦 比島沖海戦(沈) |
大鳳 | 昭和19年 3月 7日 | 基準排水量 29300ton 飛行甲板長 258m 飛行甲板幅 30m 軸馬力 16万馬力 速力 33.3節 搭載機数 75機 |
昭和19年 6月19日 マリアナ沖海戦にて 敵潜水艦の魚雷一本を 受け航空機ガソリンが漏れ 引火大爆発を起こし沈没 |
マリアナ沖海戦(沈) |
雲龍 | 昭和19年 8月 6日 | 基準排水量 17480ton 飛行甲板長 217m 飛行甲板幅 27m 軸馬力 15.2万馬力 速力 34節 搭載機数 53機 |
昭和19年12月19日 輸送業務中宮古島沖にて 敵潜水艦の雷撃を受け沈没 |
竣工後運用されず |
天城 | 昭和19年 8月10日 | 雲龍に順ずる | 昭和20年 7月24日 瀬戸内海で米軍機の空襲を受け 転覆戦後解体 |
竣工後運用されず |
葛城 | 昭和19年10月15日 | 雲龍に順ずる | 昭和20年 7月24日 瀬戸内海で米軍機の空襲を受けるも 航行可能状態で終戦 引揚船として活躍後解体 |
竣工後運用されず |
艦名 | 竣工 | 概略要目 (指定無きは竣工時) | 最終状況 | 参加作戦 |
隼鷹 | 建造中の客船橿原丸を 途中空母に変更 昭和17年 5月 3日 |
基準排水量 24140ton 飛行甲板長 210m 飛行甲板幅 22m 軸馬力 5.6万馬力 速力 25.5節 搭載機数 58機 |
昭和21年 夏 佐世保にて解体 終戦時は破損状態のまま佐世保に係留 |
アリューシャン作戦 ガダルカナル島攻撃 南太平洋海戦 ウエワク攻略作戦 マリアナ沖海戦 |
飛鷹 | 建造中の客船出雲丸を 途中空母に変更 昭和17年 7月31日 |
隼鷹に順ずる | 昭和19年10月23日 マリアナ沖海戦で 米軍機の爆弾、魚雷各一発被弾 沈没 |
マリアナ沖海戦(沈) |
瑞鳳 | 給油艦高崎を改装 昭和15年12月27日 |
基準排水量 11200ton 飛行甲板長 180m 飛行甲板幅 23m 軸馬力 5.2万馬力 速力 28節 搭載機数 30機 |
昭和19年10月25日 比島沖海戦においてエンガノ岬沖で 米攻撃機により被弾沈没 |
ミッドウェー海戦 アリューシャン攻略作戦 南太平洋海戦 マリアナ沖海戦 比島沖海戦(沈) |
祥鳳 | 潜水母艦剣崎を改装 昭和16年12月22日 |
瑞鳳に順ずる | 昭和17年 5月 7日 珊瑚海海戦にて 米軍機の雷爆撃で沈没 |
珊瑚海海戦(沈) |
龍鳳 | 潜水母艦大鯨を改装 昭和17年11月30日 |
基準排水量 13360ton 飛行甲板長 185m 飛行甲板幅 23m 軸馬力 5.2万馬力 速力 26.5節 搭載機数 31機 |
終戦時まで係留され砲台となる | マリアナ沖海戦 |
千歳 | 水上機母艦千歳を改装 昭和18年 8月 1日 |
基準排水量 11190ton 飛行甲板長 180m 飛行甲板幅 23m 軸馬力 5.7万馬力 速力 29節 搭載機数 30機 |
昭和19年10月25日 比島沖海戦において 米軍機の攻撃により沈没 |
マリアナ沖海戦 比島沖海戦(沈) |
千代田 | 水上機母艦千代田を改装 昭和18年12月21日 |
千歳に順ずる | 昭和19年10月25日 比島沖海戦において 米軍機の攻撃により沈没 |
マリアナ沖海戦 比島沖海戦(沈) |
信濃 | 大和型戦艦より空母に改装 昭和19年11月19日 |
基準排水量 62000ton 飛行甲板長 256m 飛行甲板幅 40m 軸馬力 15万馬力 速力 27節 搭載機数 47機 |
昭和19年11月29日 残工事のため呉回航中 潮岬沖にて米潜水艦の雷撃で沈没 |
運用無し |
大鷹 | 春日丸を改装 昭和16年 8月31日 |
基準排水量 17800ton 飛行甲板長 162m 飛行甲板幅 23m 軸馬力 2.5万馬力 速力 21節 搭載機数 27機 |
昭和19年 8月18日 ルソン島西岸で 米潜水艦の雷撃を受け沈没 |
多くの輸送業務 |
雲鷹 | 八幡丸を改装 昭和17年 5月31日 |
概ね大鷹に順ずる | 昭和19年 9月11日 東沙島周辺で 米潜水艦の雷撃を受け沈没 |
多くの輸送業務 |
沖鷹 | 新田丸を改装 昭和17年11月25日 |
概ね大鷹に順ずる | 昭和18年12月 3日 八丈島周辺で 米潜水艦の雷撃を受け沈没 |
多くの輸送業務 |
神鷹 | 独商船シャルンホルストを改装 昭和18年12月15日 |
基準排水量 17500ton 飛行甲板長 180m 飛行甲板幅 24m 軸馬力 2.6万馬力 速力 21節 搭載機数 33機 |
昭和19年11月17日 済州島周辺で 米潜水艦の雷撃を受け沈没 |
多くの輸送業務 |
海鷹 | あるぜんちな丸を改装 昭和18年11月23日 |
基準排水量 13600ton 飛行甲板長 160m 飛行甲板幅 23m 軸馬力 5.2万馬力 速力 23節 搭載機数 24機 |
昭和20年 7月24日 別府湾にて触雷座礁 |
多くの輸送業務 |