東京水産大学の船舶
東京水産大学の船舶
- 快鷹丸 137.6t 明治34年4月 〜 明治40年9月
水産護習所における初代の練習船である。
明治30年に公布された「遠洋漁業奨励法」により、快鷹丸は遠洋漁業を発達させるための漁船の改良と乗組員の技術の向上を図るることを目的として明治34年に建造された。
明治の初め頃わが近海は外国船に荒され放題であったが、これに対抗する船がなかった。
そこで当時としては最も優れた漁船として竣工したのが本船である。
初めのころは房総から伊豆沿岸にかけ各種の漁業実習調査を行った。
後にはオホーツク海、小笠原、朝鮮近海まで出航した。
船の構造は各種の漁撈に適し、かつ実習に便利なように国内外の漁船の長所を採用し、速カを迅速にするため船体の下部を尖鋭にし、あわせて動揺の軽減を図る方法を講じた模範的な船であった。
捕鯨、ラッコ・オットセイ漁業、フカ漁業、マグロ漁業、カツオ漁業、タラ漁業、サバ漁業、ブリ漁業、イカ漁業など各種の漁業を行っていた。
明治40年9月、韓国迎日湾で台風に遭遇し、人事の限りを尽くすも及ぱず、波に呑まれて船体は破壊し、教官1名、学生3名を失った。
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- 隼丸 28t 明治40年12月 〜 大正14年
隼丸は、大正12年の関束大震災の際には隅田川相生橋に停泊中であったため、昼夜を別なく人命救助や物資の補給に活躍した。
- 雲鷹丸 444.3t 明治42年2月 〜 昭和4年8月
日本で初めて建造されたアメリカ式鋼船捕鯨船で、レシプロ式補助機関を備えたバーク型帆船である。
東京水産大学の前身である農商務省水産講習所の2代目練習船として、1909(明治
42)年大阪鉄工所桜島造船所で進水した。
建造当時は、ラッコ、オットセイを目的としたわが国の海獣猟業は急速に発展していた。
それと共に他の遠洋漁業を発展させる必要があったので、ラッコ、オットセイについで鯨を対象とした漁業が行われることとなった。
そのため、雲鷹丸建造にあたっては、捕鯨実習ができ、しかもその他の遠洋漁業の実習(サケ、マス、カニなどをとる流し網、タラ釣り、サバ巾着網、オツタートロール、マ
クロ延縄漁業など)も行える要望があった。
明治42年5月30日に処女航海として品川沖を出帆して捕鯨実習のため金華山沖に向かった。
雲鷹丸の数々の功績の中でも特に有名なのがカムチヤッカ漁業開拓と、カニ工船事業である。
カニ工船事業は雲鷹丸がカムチヤッカ西海岸沖でタラバガニを原料として船内で缶詰の製造を可能にしたことが始まりである。
後に大量生産が可能となりカニ工船漁業の確立となった。
また、漁業基本調査としての海洋観測を行って海洋漁業場の基礎を作り、我が国の母船式漁業と遠洋漁業の基盤を確立した。
捕鯨実習中に手負いのマツコウクジラにボートを引き込まれ、学生2名の命が奪われる事件もあった。
雲鷹丸は20年の永きにわたり、33次に及ぶ航海を重ね、600名あまりの人材を育成したが、昭和4年、漁撈科31回生の練習航海を最後に、同年8月に白鷹丸にバトンタッチをした。
その後、大学構内に展示された。
そして、1998年には登録有形文化財に登録された。
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- 天鴎丸 161t 大正7年12月 〜 大正13年
- 青同鳥丸 62.8t 大正10年6月 〜 昭和31年8月
「同鳥」は漢字が変換されてこないので、偏とつくりを二文字で表記しているが、本来は一文字である。
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- 蒼鷹丸 202.4t 大正14年1月 〜 昭和4年
- 俊鶻丸 531.7t 昭和3年 〜 昭和26年
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- 白鷹丸 1327.8t 昭和4年8月 〜 昭和19年2月
昭和4年画期的な練習船として進水、北に南に活躍していたが、昭和18年徴用され翌年、兵員物資を満載して硫黄島まで輸送の大任を果した。
帰路についた同年3月20日午前1時ごろ、鳥島北東10海里の沖合で左舷ブリッジ直下に魚雷をうけ、90人も命が奪われ、太平洋戦争の大きな犠牲となった。
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- 神鷹丸(1) 236t 昭和12年2月 〜 昭和38年
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- はやぶさ丸 140.9t 昭和22年8月 〜 昭和42年4月
はやぶさ丸は「第五福竜丸事件」あるいは「ピキニ水爆被災事件」で有名な第五福竜丸を改装グロした実習船であり、改装後10年間は水大生を乗せた。
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- 海鷹丸(1) 754.8t 昭和24年2月 〜 昭和30年6月
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- 海鷹丸(2) 1452.9t 昭和30年8月 〜 昭和48年6月
本船は我が国初めての船尾トロール方式を採用。
そのため船尾に捕鯨母船型スリツプウエイと、それにまたがる高いフレームワークのトロール船橋、さらにその後面に深海採泥用鳥居型クレーンを設けたのが外観上の特徴である。
昭和31年9月には海上保安庁所属「宗谷」の髄伴船として南極航海に出動した。
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- 神鷹丸(2) 302.1t 昭和38年4月 〜 昭和59年10月
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- 青鷹丸(1) 216.8t 昭和41年3月 〜 昭和62年10月
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- ひよどり 17.9t 昭和43年5月 〜 平成3年3月
七号艇(白鷹丸の通船として使用された)の代船として建造された。
実習艇として、毎年館山湾で臨海実習の遠泳の支援艇や漁業実習などに使用されている。
また、東京湾内の調査・研究にも利用されている。
- 海鷹丸(3) 1828.7t 昭和48年2月 〜 平成12年6月
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- 神鷹丸(3) 649t 昭和59年2月 〜
200浬時代に入り、新海洋法のもとで近代漁業船として新技術導入、安全性・省エネ化・自動化・居住性の改善など細部にわたる充分な検討のうえで建造された。
シンガポール、ペナンなどへも寄港する長期航海もおこなわれた。
現在では日本周辺から太平洋、インド洋の赤道海域までを主な実習教育、調査研究の海域とし、乗船実習、海技教科の実習、トロール、イカ釣り、マグロ延縄漁業等の実習を行っている。
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- 青鷹丸(2) 167t 昭和62年7月 〜
初代青鷹丸の代船として昭和62年に進水、竣工した。
海技士になるための免許講習を含む乗船漁業実習、海洋・気象学等の海洋観測実習を行っている。
東京湾、相模灘、黒潮流域等目本近海を行動海域としている。
品川キヤンパス内のポンドに繋留されている。
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- 海鷹丸(4) 1886t 平成12年6月 〜
最先端の科学調査機器を搭載した練習船である。
その機能として、揺れを防ぐアンチローリングタンクやフインスタビライザを搭載している他、トロールウインチや、超音探索機のネットソナーや曳航式スキャニングソナーなどの優れた漁労設備もある。こ六:r責
太平洋、インド洋、南氷洋等々で乗船実習教育及ぴ調査研究を実施するとともに水産専攻科学生には遠洋航海をとおして高度な海技教育を行っている。
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- ひよどり(2) 19 平成3年3月 〜
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東京水産大学
東京水産大学の船舶
新規作成日:2005年11月13日/最終更新日:2005年11月13日