三国志の軍船
水軍
「楼船」や「闘艦」、「艨衝」や「走舸」など、細分化すれば十種類前後の軍船が存在していたようだ。船の形は今日でも使われている「ジャンク」であると思われる。「ジャンク」とは船底が平べったい、竜骨を備えていない船で、波の穏やかな河川や湖に向いた船である。(明の鄭和のように外洋航海を行った例もあるが、やはり外洋の荒波には向いていないというべきであろう)竜骨がないというのは、船体の強度に欠けるという事であり、衝角戦法などは取らず射撃・斬り込み戦が主体であったと思われる。
軍船
- 艦 かん
楼船 ろうせん
周囲に板を立て並べて、矢石を防ぐように作られた大型船。その形が監獄に似ていることから、この名前がつけられた。
また、多層の船体を持つことから楼船とも呼ばれた。
長さ20m前後、艪の数は片舷20前後。
戦国時代から建造されはじめ、秦、漢時代になると次第に大型化してゆき、三国時代には外洋へ出るための大型海洋船にまでなった。
孫権が東南アジアに使者を使わせたときの船は、7枚の帆を張り600人から700人の乗員を乗せていた。
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- 露橈 ろとう
船の側面に櫂が長く突き出した手漕ぎ船。
漕ぎ手は板で保護され、櫂のみが出ていたのでこう呼ばれた。
長さ15m前後、艪の数は片舷8前後。
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- 艨衝 もうしょう
頑丈な船首を持つ細長い快速船。
猛スピードで突入し敵船を破壊する。現代の魚雷に似た働きをした。
長さ10m前後、艪の数は片舷5前後。
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- 先登 せんとう
先陣をきる小型の軍船。
多くの水兵が乗り組み、すばやく敵船団に突入し敵の陣形を乱し、機先を制する働きをした。
そのために、敵船に乗り移るための梯子や投げ縄を搭載していた。
長さ7m前後、艪の数は片舷2-3前後。
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- 斥候 せっこう
積載量五百斛(約10トン)程度の屋形船。高い櫓が立てられ、敵の数や陣形などを窺うのに使用された。
戦闘時には戦局を見て、味方に正確な状況と指示を伝える役を担った。
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- 艇 てい
積載量二百斛(約4トン)以下の小型の船。
2人ほどで操り巡視艇の役目をした。赤壁の戦で黄蓋が使った走舸がこれにあたる。
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- 赤馬 せきば
馬のように速く進む小舟。
決して赤兎馬のことではない。船体が赤く塗られていたために赤馬と呼ばれた。
長さ7m前後、艪の数は片舷2-3前後。
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陣形
前方に斥候を配置し、敵情を探る。
先頭に艨衝、その側面に先登を配置し、先鋒とする。
楼船を主力に、露橈が周りを固める。
赤馬は後方に控えている。
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凡例
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戦法
- 斥候により敵情偵察
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- 艨衝や先登の突撃による敵部隊の攪乱
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- 艨衝の突撃による敵部隊の艦撃破
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- 先登の突撃による乗り移り白兵戦
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- 露橈の到着による乗り移り白兵戦
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- 赤馬による、敗走船の追撃
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白村江の戦い
明の軍船
艦隊陣形
中国古代の艦載兵器
新規作成日:2002年2月12日/最終更新日:2007年2月11日