海上封鎖

海上封鎖とは、海上交通の自由を制限するもの。
公海上の交通路を封鎖するものから、港湾などを封鎖するものまで、さまざまである。

機雷によるものから、潜水艦攻撃、と言う攻撃的なものから、臨検などによる制限と言うものがある。

海上封鎖は、そもそも、海洋の航行の自由を制限するもので、艦船により、敵国船舶の自由航行を阻止するものである。
海上封鎖、その原点とも言えるものは、強力な艦隊を配置して、通せんぼをするわけです。
すなわち、制限線を設けて、相手船舶を打ち払い、あるいは撃沈するのである。
第一次、第二次世界大戦の、ドイツ海軍による、対英海上封鎖。潜水艦や、仮装巡洋艦による商船の攻撃。
第二次世界大戦の、アメリカ軍による、対日海上封鎖。港湾への機雷敷設、潜水艦や航空機による、商船の攻撃。
この結果、一方の海上貿易の自由が失われることになり、また、一方の海洋の派遣が握られることになる。

60年代のキューバ危機や、最近のイエメン沖でも、米軍は、海上封鎖をやっている。
この時は、臨検で、いきなり攻撃と言うことはなかったが。
いずれにせよ、艦隊を配置して、通航を阻止するもの。




港湾封鎖
敵艦艇を港湾に封じ込め、非戦力化するもの。
また、商船の、最終荷揚げ地たる港湾を封鎖すれば、船舶輸送の意味を失わせることができる。

港湾の封鎖では、港の入口を、物理的に塞ぐ方法もある。
岩石で水路を埋めたり、古い船を沈めて、水深を浅くしてしまえば船は通れなくなる。
が、この作業をやりに行くのは、かなり危険でもある。
港には、陸上砲台が待ち構えていて、こういった作業を易々とやらせてはくれない。
また、終戦後、その港を利用する為には、復旧作業が必要となる。
米西戦争でアメリカが実施したのが最初とされる。
日露戦争の旅順閉塞が有名。
Pict_1276c.

対して、艦艇を沖合に待機させて睨みを利かせれば、このようなリスクはない。
もちろん、封鎖されている艦隊に対して、圧倒的に強力な艦隊を、港外に並べることが肝心で、戦っても勝ち目がない、だから出て行けないと言うことである。
もちろん、一かばちかで出てくれば、中には脱走できる場合もある。
これは、いくさは水物で、やってみなければわからないと言うことである。
が、脱走を強行するかどうかは、その結果の価値によるであろう。

個別の事例は未確認だが、
湾内に5隻なら、封鎖3隻でも可能である、もちろん逃げられてしまう場合もある。
が、封鎖が10〜15隻なら、まず出てこないであろう。
尚、この例では、1隻の戦力は、同一のものとする。

ツーロン封鎖
1805年にピエール・ヴィルヌーヴの仏艦隊が、英艦隊にツーロンに封じ込められたというもの。
封鎖にあたったのは、ホレイショ・ネルソン提督。
3月には、仏艦隊が、英国の封鎖を破りツーロンを出港、スペイン艦隊と合流し、英国攻撃を目指した。

同様の海上封鎖として、
日露戦争でウラジオストク封鎖もしていたが、それほどの艦艇を割けなかったので、霧のなかに逃げられている。

参考
海上封鎖
通商破壊
船団護衛




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新規作成日:2003年5月12日/最終更新日:2003年5月12日