白鳥農場お米便り(6)

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2011年8月1日

 今年の梅雨は大変短く暑い夏が続いており収穫するまでは安心できない状況です。特に放射能物質含有の有無が問題視され徹底した検査が望まれています。風評被害は実にやっかいで一部の事態が全県さらには隣接県まで広がっていきます。
 
 その問題は宮城県にも及んでおり、原発に近い産地の作物は安全検査は行われていますが、県を挙げて周到な実行が求められます。しかし、検査できる精密機械は全国的に少なく(20台くらい)一台あたり20検体が限度と言われています。他の農畜産物もある中で収穫後の一時期に大量の測定に必要になりますが、作業の難航は必至だと思います。そこで当農場では国県関係の調査と平行しながら、収穫ごとにコンタミネーションモニター(放射線測定器)ですべて簡易検査をおこないながらお米をお届けしようと一台50万円程度の機械を発注しました。

 収穫までは約一ヶ月半となってまいりましたが、皆様にはより安心していただけるよう努力してまいりたいと思っています。
2011年6月1日

 先日までかかった田植え状況については四月の育苗において一部低温のため病気がちの苗で心配しましたが、それもなんとか回復して田植えを始めるとが出来ました。

 田植えも地域全体では震災もあり一週間程度遅れたように思われますが、私の所は平年並みに9日から始まり途中、田植機の故障により新車に取り替えるという思いがけない出費もありましたが、期間中天候に恵まれ作業も順調に進み予想よりだいぶ早く22日に終えることが出来ました。

 これからは転作大豆の作業にはいるわけですが29・30日の台風と合わせた大雨の影響で、だいぶ田んぼはぬかってしまい遅れてしまうと思います。栽培面積も昨年より15%増えていますが6月中までは捲種終えればと思っています。
2011年5月15日
 
 若葉繁れる5月になり朝四時頃起きると小鳥たちがさえずり空気が一段と美味しく感じるころになりました。大地震から二ヶ月がすぎ余震もだいぶ少なくなってきました。そんな中、被災地と比べて農作業が順調に行えることを幸せに思います。

 当地の田植えは平年より一週間ほど遅れて今がピークになっております。土・日になると田んぼは作業する人でにぎやかになりますが、平日は専業農家だけでゆったりとしています。我が家の田植えは平年並みに九日から始まりました。今月中に終えられたばと思っています。

2011年4月1日
 
 東北大震災が起きてから約20日が過ぎましたが、太平洋沿岸の地域の被災された皆様の窮状を報道などを通して知るたびに心痛む想いであり、一日も早い復旧を祈るばかりです。内陸においても被害がありますが津波の影響がないことが救いとなっております。

 このような中、多くの皆様から「電話が通じないので心配していました」「家族ご無事で安心いたしました」など心温まる見舞いやら激励をいただき本当にありがたく、そのような言葉をいただくたびに熱い物がこみ上げ感謝にたえません。

 電力供給を始めとしたライフラインの復旧はだいぶ良くなってきており、平常に近いくらいに戻ってきておりますが、作業用の軽油供給が良くなく困っております。

 米の作付けは宮城・福島・岩手県等含めると相当面積で今年は栽培不可能になると思われるので各県において米の作付け計画が変更が出されると思います。福島原発事故の関係で広範囲の地域の農産物等、作付けや出荷できず、農家においては憤りを感じていることと察します。幸い私の地域は宮城県の一番北でありますから。その影響の心配はないと思われますので、今後の米の供給につきましてはご安心いただきたいと思います。
2011年3月19日

 3月11日、2時すぎ大地震は突如きました。そのとき私は、転作大豆を耕起していまして、横転するのではと思うくらいの揺れの大きさにびっくりし自宅に戻りました。自宅作業場では息子と従業員がモミ貯蔵しているモミスリを行っていましたが、家族共々皆無事でほっといたしました。屋敷や作業場の被害状況を確認したところ乾燥機にモミを一杯に入れておいたものが横倒しになっていることが大きな被害(300万円相当)で倉庫内には6000袋ばかりの有機肥料を積んでいた物が総くずれになったことと、年代物の土蔵の壁が大きく落ちていたことなどでした。

 そんな確認しているうちに夜になってしまい、携帯も通じず、停電のため何もできないので、強い余震のなか服を着たまま床につきました。翌日発電機を取り出してテレビを見たら海岸沿いの町々は大津波の甚大な被害にびっくりしました。幸い水とガスは使えましたので、生活面では大丈夫でしたが、電気が来ないのと携帯を使えないだいぶ不便をきたしました。携帯と電気は四日後の15日から使えるようになり、やっといくらかほっとしました。

 今の作業は農機具等の燃料がまったく入手できないので機械を動かせる作業など、いくらかでも米の作付けが遅れてしないように進めていますが。今年の作付けはだいぶ遅れてしまうと思われます。それでも、こうして生きていることに感謝しながら、これからの復興に向けてがんばりたいと思います。