ハイテク昔話 「第4話」 2000.10.05



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このサイトにアクセスして下さる方々は、圧倒的に若い(1948年生まれの私から見て)人が多いと思います。そこで、パソコンが世の中に出てくる前から、普及する頃の極私的な経験を昔話風に紹介します。そして、それを通して、パソコン普及に伴って何が進歩したか、何が変わらなかったか、何か新たに問題になったことはないかを見極めようというページです。徐々に、量を増やしていく予定です。思い出した所から書きたい、項目は年代順に並べたいという二つの希望から、書いた順序がバラバラです。おまけに、量が増えるに伴って、記事が別のファイルに移動する可能性もあります。なるべく、掲載した日付を付けますのでご勘弁下さい。



たぶん1976年、遅くとも1977年にはパソコンを使っていました。パソコン歴24年ということです。まあ、ただ長いだけのパソコン歴ですが。

使っていたのは米国のヒューレット・パッカード製で、種々の測定器がある恒温恒湿の部屋に置かれ、文房具というより、測定器の扱いでした。

1976年にApple社がApple−1というパソコンを発売しました。これが、完成品で販売されたパソコンの最初です。もっとも、パーソナルコンピューターという呼び方はまだ確立されておらず、ミニコンとも呼ばれていました。1977年になると複数の会社からパソコンが発売され、沢山売れました。もっとも、これは米国の話です。日本では、1976年8月、組立式ワンボードマイコンTK-80が発売されました。完成品としてのパソコンは1979年に発売されたNECのPC-8001シリーズ が最初です。

1976年に既にパソコンを使っていたという人は、たぶん、非常に少ないと思います。そこで、パソコンが急激に普及したNECのPC-8001シリーズ発売以前にはパソコンはどのように使われていたか、書き残して置きたいと思います。これは、結構、貴重な記録ではないかと自賛しております。 ( 2000. 10. 5 )

パソコンを統計計算に使う

当時は当然ソフトウエアなどは市販されていないので、使用する人が自分で作っていました。プログラミング言語は、Basic でしたが、後の N88-Basic に比べて、パソコンにできることが少なかった分、単純でした。この Basic はインタープリタ型 でした。記憶装置はフロッピィーディスクなどはまだなかったので、オーディオ用のテープを使いました。プリンターは感熱式だったと思います。注目すべきは、周辺機器として旧渡辺測器 ( グラフテック株式会社 ) 製のXYプロッターがつながれていたことです。このプロッターは、たぶん、8色だったと思いますが、専用のフエルトペンで指定した色の直線や曲線を書くことができました。アルファベットと数字に限りますが ( つまり、アスキーコードに含まれる文字 ) 字を書くこともできました。1976年にはこのXYプロッターを大型の計算機につないで製図に利用するシステムが開発されました。これは現在のCADの萌芽と見ていいと思います。

では、実際、パソコンを何に使ったかというと、日常的には統計計算です。既に、簡単なプログラムができる電卓 ( どこの製品か忘れたが、事務机の半分くらいの大きさ ) はありましたが、プログラム言語を駆使することにより、より快適な出力結果が得られるし、プログラムをオーディオテープに保存できることもあって、こちらの方を好んで使いました。ただし、プログラムや書き込んだデータの量が増えてくると、シークエンシャルアクセスといって、テープでは先頭からアクセスしていくので、時間がかかりました。

もう一つのパソコンの用途:グラフを書く

当時はもちろん、クリケットグラフ ( 個人的には Igor が好きです ) などのグラフを書くソフトはありませんでした。そこで、学会発表や論文を投稿する場合、XYプロッターで図を書きました。ソフトがないのになぜ図が書けたかというと、図毎にひとつずつその図を書くプログラムを作りました。まあ、こうやって作図するのは少数派で、1990年代に入って、プリンターとマッキントッシュの性能が向上して、高品質の図が書けるようになるまで、以下に示す方法で図 ( 版下 ) を作るのが主流でした。

まず、グラフ用紙に図を下書きします。その上にトレーシングペーパーを重ねます。このトレーシングペーパーは、後に、図の訂正が必要な時に備えて、最も厚手のものを使います。間違えて引いた線などを消すには砂消し ( 砂消しゴム ) を使います。こっている人は電動の砂消しを使っている人もいました。また、レタリング用のカミソリで消すこともありました。では、線を引くにはどうしたか。ここで、流儀が二つに別れます。線を引くと行っても、一定の太さでなければなりません。ひとつの流儀はインスタントレタリングを使います。もうひとつは、旧西ドイツのシュテッドラー社の製図用のペンで線を引きます。製図用のペンはペンによって細い線から太いのまで色々な太さの線を引くものがそろっていました。シュテッドラーは紙面に直角にペン先を当てなければいけないのに、下手な人に貸すと斜めにして使ってしまうので、ペン先がだめになってしまいます。また、しばらく使わないと水溶性のインクが乾いて、ペン先が詰まってしまいます。それに高価でした。また、ペン先の断面は円形なので、線の末端が丸くなってしまいます。これは、特に太い線で顕著に現れます。1981年になると、(株)サクラクレパスから、安価な水溶性のサインペンが発売されました。そこで、このペンのペン先が細いものを使って、何度も少しずつずらして好みの太さになるまで線を引くようになりました。こうすると、線の末端が丸くなりません。



文字については、インスタントレタリングを使うか、シュテッドラー社の文字用のテンプレートを使いました。いずれの方法でも、文字の列が一直線にそろって、かつ、等間隔になるようにするのに苦労しました。

1977年には、パソコンで書いた図を使って学会発表すると、字体などを見ても作成法がわからないので、講演の後に質問されることもありました。少し得意でした。また、ソフトもなかったし、パソコンをワープロとして使うという発想はありませんでした。

更に少し遊びっぽいパソコンの用途:シンボルマークを作る

1977年ある国際学会が夏にあり、そのサテライトシンポジウム ( 学会の前後の期間に参加者の一部を集めて行うシンポジウムのこと ) のスタッフになりました。参加者のデータをパソコンで管理するという発想はわきませんでした。しかし、パソコンを学会の準備に使えないかと考えました。

そこで、思いついたのはネームプレートに差し込む参加者の名前をXYプロッターで書けないかということです。XYプロッターなら、色を選べるし、字の大きさも指定できます。実際にこれは採用し、うまくいきました。

次に考えついたのは少し遊びっぽいが、シンボルマークをXYプロッターで作るということです。これも採用し、研究材料の形を元にマークを作りました。その形はなぜか主催者の教授の禿頭を後ろから見たものと非常に良く似ていました。会期中、外国からの参加者も含めて、モデルは本当はあの頭ではないか、という質問を頻繁に受けました。

このような使い方は、パソコンは複雑な計算をやらせる道具と考えられていた当時としては、少しは画期的だったと自負しています。なお、このパソコンの画面は白黒だったので、ゲームを作るようになるにはカラーで表示できるNECのPC-8001シリーズを待たなければなりません。しかし、統計計算のプログラムでも、データの入力モードに入る前に、少し遊びっぽく、画面で文字を動かして表題を表示するなどはやっていました。



なるべく正確を期していますが、当時の資料が不足しているので思い違いや間違いがあるかも知れません。何かお気づきの点があればメールをいただけると助かります。メアドはトップページにあります。




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