なぜロシアをあしざまに言いたがるのか

今に始まった話ではないのだが、とかくロシアを見下した言動が目に付く。

米ソ冷戦下の、一方の銘主たる、大国、ソ連−ロシア。
それが連邦崩壊後、経済事情悪化により、すざましい状態になっていると言う。
物がない、金がない、給料未払い、モラルの低下、と言う。


手入れ?
ある雑誌の読者欄に、国際観艦式にやってきたロシア艦を見た感想として「手入れがヒドイのには驚いた」とあった。
まず、手入れとはなにを意味するのか。
艦艇が綺麗であれば手入れが行き届いていると言うのだろうか。それはなんの役に立つのだろうか。
日本人の感覚では、かつて、大砲などの武器を磨き上げ備える事を美徳とした。
当然、艦内の整備も(相応に)行き届くだろう。
が、これはあくまで日本人の精神感覚である。
本来、単に機器の性能発揮のみを考えれば、大砲の外板のペンキがはげていようが、大した問題ではない。
極端な話、ぴかぴかに磨いた大砲でも、汚物をふりかけた大砲でも、科学的な命中精度は変らないが、旧海軍で主砲に汚物をふりかけようものなら、大変な騒ぎだ。
刀の錆は切れ味に影響するが、舷側の錆は、船体の耐用命数に対して許容範囲が存在する。

また、「手入れがヒドイ」と言う比較が、あくまで、日本の艦船に対してしか比較評価できていない事も情けない。
「船は綺麗だ」と、リムパックに始めて参加した当時の海上自衛隊は、アメリカ海軍に誉められたが、戦力として評価する水準にないと言う皮肉でもあった。

ロシアは、地勢的に、北方民族である。すなわち、極寒の海域では、船の痛みも激しいのだ。
塗装がポロポロの艦船の映像は、最近、当たり前のように見せられている。
にもかかわらず、観艦式に参加したロシア艦は、居並ぶ他の艦艇に比べて、なんら遜色内ばかりか、その大きさ、兵装により、威容を十分に伝えている。
わたしは、国際観艦式に参加する艦として、十分手入れもし、立派な参加と考えているのだが。


真空管?
ミグ25が函館に飛来し、装備を確認した際、機器に真空管が使われていて、驚かれた。
トランジスタからICの時代になっているのにと言う事だ。
しかし、真空管とは言え、性能は、西側のものと大差ないものであった。

ついこの間、海上自衛隊の電子機器を見る機会が有った。
コアメモリが展示されていて、一部にはまだ使われていると言う。
コアメモリと言えば、コンピュータが出来始めた時期の、電気物理的記憶装置である。
コンパクトフラッシュ(最大512MB程度)の大きさで、64bit程度の容量しかないシロモノである。
コンピュータの世界は5年10年で世代交代し、20年で完全に交代する。
その意味で、コアメモリ、紙テープ、紙カード、8インチフロッピーなどは、いにしえの記憶の彼方にあるシロモノだ。
そんな前世紀の化石みたいなものをなんでと思うかもしれないが、(電気的)衝撃に強いと言う理由がある。

軍用品は、民製品とは一線を画する部分も有るのだ。


コンパクト化?
また、国によって考え方も違う。

ロシアの兵器は、だいたいが大型だ。
真空管の例のように、制御機器のコンパクト化が遅れている為と西側は評する。
制御機器が大型だから、あるいは命中精度が悪いから炸薬量で補う為、大型化すると言う事だ。
しかし、これには、大型のエンジンを必要とし、発射母体の大型化も連動する。
負担が増えるのだが、それをこなす体力が有ると言う事だ。
そしてまた、兵器と言うのは、ぶつけて壊してナンボのものであれば、破壊力が大きいに超した事はあるまい。

かつて、我が国の零戦は、エンジン性能が限界であった為、大型化できず、削れるだけ削ったと言う経緯がある。

ピンポイントの攻撃は、市街戦など、影響範囲の極限に有利な場合もあろう。
しかし、影響範囲1センチ平方として、ゴキブリを狙う兵器を開発するわけではない。
コンパクト化を優秀とするか、大型化できる能力を評価するかは、一言では言えまい。


科学技術?
ロシアの科学技術は、西側よりかなり遅れているとさえ言う。
しかし、日本に指摘されたくもないだろう。
ロシアは、独力で、宇宙飛行士を数多く、創出しているが、我が国では、ようやくH2A宇宙ロケットが3基連続成功したに過ぎない。
そしてまた、連続失敗し、抜本的見直しが行われている。
ロシアも、数多くの事故に見回れているが、通算すれば、パーセント程度の事故率であろう。
しかし、H2系のように、2基連続の失敗など、何割の失敗率であろうか。


技術開発
また、ある雑誌に「先行する西側が、散々な目に遭って開発を断念した技術にいつまでもこだわった為に、クルスクの事故のように、最近まで問題を引きずっている」と評する記事があった。

これもおかしな話だ。
科学技術と言うのは、研究開発の上に成り立っている。
他が失敗しても、改善して開発する意欲も必要だ。

酸素魚雷と言う、我が国が世界に誇れる秘密兵器があった。
最初の使用では、遠方からの発射にもかかわらず、酸素魚雷の特性である、航跡が目立たない事から、米艦は付近の海面下の潜水艦からの攻撃と誤認し、爆雷をまいて逃げ去ったと言い、その開発は、正に功を奏している。
が、この酸素魚雷も、取扱が困難で、開発を試みた全ての国が、大きな損害を被り、我が国を除いて、開発を断念している。
氏の評価からすれば、開発は早期に断念されているべき物だ。

他国が開発できないものを実戦配備すると言うのも、兵器として必要な要素の一つでもある。


さて
日本は、かつて、日露戦争でロシアに勝った。
日本海海戦では、ロシア艦隊を壊滅させた。
大国であったロシアに勝った。
この栄光が、無条件に潜在している。
日露戦争での勝利は、各種の努力によって為し得た結果ではあるが、いくつかの条件が変っていれば、勝利はありえなかった。
もし、ロシアが開戦当初から、バルチック艦隊の半数でも、極東に派遣していたら、我が国は、開戦する事すら出来なかったであろう。
しかし、戦艦三笠と共に、勝利の記憶しか残っていない。

その後、太平洋戦争末期、ソ連は日ソ不可侵条約を破棄して我が国に攻撃を加え、北方に攻め込み占領、シベリア抑留などの負の記憶が加わる。
当時の条約と言うのは、公正な契約と言うよりも、力のバランスを前提とした、状況の確認に過ぎないと言う事は、言い過ぎであろうか。
そもそも、この日ソ不可侵条約、日本と同盟を組んでいるドイツとソ連が戦争する時期であるから、締結自体、不可思議ではある。
そしてまた、北方領土返還も、戦争による領土割譲と言う局面を考えれば、勝ち取る以外に方法も見えない要素もある。

そして、東西冷戦。
スターリン時代、シベリア抑留と言う暗い時代もあいまって、鉄のカーテンの向こう側と言う、冷え切った時代が続く。

やがてベルリンの壁の崩壊から、瞬く間にソ連解体へ進むと同時に、共産主義経済が破綻した。

この間、日本人には、日露戦争勝利の記憶しかない。

要は、まず、優劣なり、上下を決めて、話をしようとしている向きが多い。
そして、その結論に対して、理屈をくっつけている。
が、視点を変えれば、全く意味を成していない。

そして先入観。
新しい情報の入手を怠ると、躍進する現在の姿を見落とす。
国際観艦式参加のインド艦搭載兵器の多くは、インド国内の生産なのだが、一般に「ロシア製」と表現される。
鏡に映せば、海上自衛隊艦艇の搭載兵器も、国産とは言わないのだが・・・

島国根性と言おうか、過去の栄光にしがみついているだけと言おうか。
情けない限りだ。

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新規作成日:2002年11月27日/最終更新日:2004年5月18日