原子力発電の問題

原子力発電にはとかく議論が多い。

原子力発電(原発)=原爆と考えるのは無知極まりないが、放射性物質を扱っていると言う危険性は確かに存在する。
この危険性をいかに極限するかが、科学技術の問題だが、いかんせん人間が介在すると、無用の問題も多発する。

先ごろ(2003.1.21)、シュラウドの亀裂に対して、5年間限定での運用が認められた。
本来は完全良品で運用すべきであったものだが、各所の原発で発見され、当初の規程通りに修理すると、電力需要を賄いきれないと言う事情がある為だ。

また、先ごろ(2003.1.21)、戦争など緊急事態に際して、政府が原発の運用停止を命令できる権限が認められることとなった。
破壊工作などにより、放射線被害を防ぐ為だ。

原発をかかえる地元にとっては、危険極まりない放射性物質のかたまりが近所にあると言うことは、不安極まりない。
十分に安全な対策は図られるべきだ。

しかし、短絡的に、原発廃止を訴える向きには、現在の電力事情を無視した子供染みた意見と言わざるをえない。

現在の発電は、約4割を原発に頼っている。水力発電は2割程度だ。
フランスなどはほぼ100パーセントが原発である。
水力発電にかえればいいと言っても、長野県知事の「脱ダム宣言」に象徴されるように、ダム建設に伴う自然への影響も大きいし、いかんせん有限の河川に、現在の何倍もの発電用ダムを建設することは不可能である。
しかも、天候と電力需要は必ずしも一致しない。雨の降らない夏場のクーラー電力は賄いきれまい。
火力発電と言えば、石油、ガスを燃やしているから、二酸化炭素、温暖化の問題がある。
かつて、1960年代末、石油埋蔵量は30年分と言われたが、30年経過した現在でも枯渇してはいない。これは、新たな油田開発と、代替エネルギーによる結果であり、地球資源の残量に限界があることは確実だ。
石油消費量に応じて、地下では石油が生み出されていると考えるのは、どこかのいい加減な宗教よりも信じられない。
石油に代わるエネルギーとして、天然ガスなども利用が拡大されているが、火力発電の「燃やす」という行為にかかる問題、制約も大きい。
風力発電も実用化が始まっているが、あくまで「僅かに補う」程度を超えていない。
電力需要を賄う切り札としては、原子力に頼らざるをえないのである。

電力の1/3を原発に頼っているから、電力消費量の1/3を日本経済が抑制すれば、原発は廃止可能だ。
しかし、そんな事が出来ようハズもなかろう。
1日8時間の就業時間を、6時間足らずに削る。
テレビや、夜中のパソコン利用を止める。
物理的選択肢は多々ある。
しかし、IT時代とか、いろんな事を言って、多くの機器を利用するように社会は向かっている。これに対して、電力への依存度は留まるところを知らない。

「麻薬を止められますか、人間を止めますか」と言う麻薬撲滅の広報があった。
答えは簡単で、みな「麻薬を止める」と言うだろう。
麻薬中毒患者ですら、そう答えるだろう。

電気を使用する「文明生活」を止められますか?
およそ、電気のない生活は考えもつかないだろう。
自分が電気を使わないだけではいけないのだ。
電気によりまかなわれている、全ての産業が影響する。
ここら辺の事情もよく考える必要が有る。

もちろん、原発のリスクを一部地域の住民に押し付けて済ませることももってのほかであるが。


東京電力では、2003年になって、全ての原発を止めて点検を行っている。
これに対して、愚かなテレビキャスターは「全ての原発を止めてもなんとかなっているのだから原発を見直してもよいのではなかろうか」とのたもうた。
3分間息を止めていられる人に「もう空気を吸わなくても生きて行けるだろう」等と言っているのと同じだ。
止めているのは東京電力の原発のみである。
不足する電力は、他の電力会社から、融通を受けている。
もちろん、他の電力会社の原発は稼動し、かつ、東京電力へ融通する為に、増産もしている。
この事情を無視しての発言なら、お粗末極まりないし、もし承知の上なら、首都圏よければ地方の犠牲を当然とするとんでもないことだ。
ま、テレビキャスターの発言に「信頼性」を求める事自体が間違っているかもしれないのだが。
また、電力生産設備のデータには、留意すべき点が有る。
発電量は、ピーク時に対応すべく用意されているもので、これを24時間供給できるわけではないのだ。
揚水発電と言うものがある。電力消費の少ない時間帯に、ポンプで水を汲み上げで上位のダムに水を溜め、ピーク時にこの水力で発電を行っている。
当然の事ながら、恒常的に発電できないのである。
電力会社は、各種手法で準備をしている。
文明生活を享受する以上、安易な理想論は慎むべきではなかろうか。


2004.8.10 関西電力美浜原発の二次冷却水管からの蒸気噴出事故により4名が亡くなった。
世間では、原発として注目しているが、本件事故は、蒸気タービン側の事故であって、火力発電所や、蒸気機関一般でおきうる性質のものである。
さすがに、放射線を含む一次冷却水という誤った表現こそないが、原子力発電の構造を理解しているのか、意図的に騒ぎたいのかってところだ。

さて、メーカー、整備業者と、電力会社で責任のなすりあいみたいになってるようだが。
そもそも電力会社による自社単独開発でない以上、技術は開発側に依存する。
しかし、完成品の受け入れ責任は、電力会社にある。
従って、致命的な部分があって、開発側が、技術的な部分を提示漏れした場合、電力会社が指摘のしようがない部分は潜在する。
これをもって、提示漏れを言うのか、その範囲で承認したというのか。
それぞれの「説明」は有効でも、連帯責任じゃあないのかってところだ。




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新規作成日:2003年1月22日/最終更新日:2004年8月11日