日露関係の今後を考えるに当たって

北方海域ならびに領土国境の扱いは、国家間ならびに国民感情的要素も多分にあるが、社会正義ならびに諸法規に照らし、両国政府ならびに両国民において、冷静なる判断と対応が求められるべきものと考えている。
その意味では、まだまだ日露間の交流、友好関係は、始まったばかりの感が否めない。
私も、ここ数年、艦船を通じて、ロシアの方々と、いささかの交流の機会を得たことにより、それ以前の印象とはまったく異なるものがあり、誤った先入観を捨て、まずは接し交流を深めて行くことが大切と感じている。
「相手が見えない、分からない」と言う事は、いかに不必要な恐怖感を抱き、緊張を高めるものかを痛感している。
かつて、鬼畜米英、イエローモンキー などと罵り合い、戦争をした日米国民のほとんどは、相手国民の顔を見たこともなく、ホントに鬼や猿と信じて戦っていた。
「冷戦時のソ連国民は火星人の想像図と大差ない人種」と考えていた人々も多いのではなかろうか。

私もかつては、ソ連は冷酷な敵国と考え、北方領土は武力奪還以外に無いとさえ考えていた。しかし、実際ロシア船舶の乗員と会話し、或いはロシア艦船を見学して行くと、どうもロシア人その物は、普通の人間である事が分かってきた。
彼らの血の色や体温さえ異なると思っていたのは、単なる先入観に過ぎなかったのである。冷戦時代、西側に対して、対抗勢力の雄であり、寒い地に住み、国境線では容赦ない。こういった、一方的情報のみによる、先入観が増殖していたに過ぎないのだ。

ロシア客船見学時に、案内してくれたマリンスチュワーデスさんへThank Youが通じなかったので、挨拶程度のロシア語を覚え、92年には、ロシア客船で、ウラジオストクも見てきた。そして、日本に訪問するロシア艦艇も、つぶさに見ている。
こういった書き方をすると、すぐに「スパイか回し者」的な扱いをする者が多いが、「有無を言わさず相手を攻め滅ぼす」と言う短絡的非現実的な発想から一歩抜ければ、相互理解による友好関係の大切さが重要なことは言うまでもない。

日露関係を顧みれば
・江戸時代、日本人の漂流民を厚くもてなし、日本へ送り届けた
・幕末、ペリーが武力威嚇により開国を迫ったのに対し、平和的な外交を求めてきた
・日露戦争と言う直接対決があったが、帝国主義時代の国家間の衝突であり、国民間での憎しみそのものは薄かった
と言う、比較的友好的な経緯があった。
むしろ、ロシア革命でソ連となる前後から
・シベリア出兵
・ノモンハン事件
・第二次大戦末期の、日ソ不可侵条約の破棄、北方侵攻
・シベリア抑留
・東西冷戦
などと言う、暗い関係が続き、印象が悪くなっている。
日ソ不可侵条約の破棄、北方侵攻、シベリア抑留 は、すべてスターリン独裁体制のもとで行われたものであり、自国民への圧政の時代でもあった。
日本は島国なので、国境線は存在しないが、広く海洋を接しており、資源、漁業問題など、隣接する国家間とは、しばし問題を抱えている。
朝鮮半島の人々が、秀吉の朝鮮出兵から朝鮮総督府の時代までを根拠にして、日本に非友好的な部分があるが、立場を変えれば似たようなものかもしれない。
ごく一部の局面から短絡的に発想するのではなく、深く知り合うことか肝要である。

さて、直面するテーマとして
・北方領土問題
・北方海域での漁船拿捕銃撃の問題
がある。
しかしながら、通説的な、或いは、一方的な主張に基づく、主観的情報に満ち溢れている。
問題を実際に解決して行こうとすれば、更なる正確な詳細情報が必要である。

北方領土問題
北方領土の別なる問題


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新規作成日:2000年5月20日/最終更新日:2000年5月20日