近況と、私のひとり言
近況と、艦船に関する、私の世間話のコーナーです。
(2000.3.15)携帯電話を導入しました。
ポケベルなどの流通以来、懸案となっていましたが、そんなにリアルタイムに連絡を取る必要も無いと思っておりましたが、昨今の状勢はそれを許さず、ついに導入いたしました。
で、ND社のは、CFキャラクターが気に入らないのでパス。J-phoneのCFキャラクターは、前回のドラマの好感度で、それにしました。観月ありさちゃんの所も捨て難かったんですが、通信性能面の噂で見送りました。
で、だれしもやる、通信試験。自分の電話へ掛けてみて、呼び出してにっこり。
メールの設定と思いましたが・・・、いやー、オペレーションが大変です。
まずは、キーが入れられない。入っても次に行かない。やっとの事で、メールの設定と、通信試験。
全角192文字程度迄ですが、e-mailの通信も可能です。
これ以上の長文は、後半がカットされます。
⇒私の携帯電話
(2000.1.22)ジェネラルサポートの、シミュレーションソフト 日露戦争 買っちゃいました。
私のパソコンは「ゲームマシンにしない」と決めていましたが、ちまちま入っています。
日露戦争は、ご存知、大日本帝国海軍の、輝かしい海戦のあった、闘いです。
既にかなり昔、日本海海戦というボードゲームを買っていましたが、駒数が多く、結局やらずに今日まで、置いてあります。
果たして、試しに、日本海海戦の所を動かしてみましたが・・・。
いやー、細かく動ける反面、個別の指示がめんどくさい。
砲撃指示が面倒だから、ほうってあったら、ロシアはバンバン撃ってくるし、結構当たります。当然、沈没艦も出ました。
説明書も200ページを超えていて、全部読む気もしないのですが、指揮官の設定にはちと疑問。
結果論として東郷さんが最高かも知れませんが、マカロフを超えているのはどうも。
また、ロジェストベンスキーを始め、ほとんどのロシア提督の能力は、日本の1/3。ちょっと酷いんじゃないかな。
私としては、ロシア側を指揮して、東郷
さんとやってみたいんですが、このゲーム、ロシアは自動です。
(99.8.25)写真の公刊誌での発表
去年の、ハワイでのミズーリの写真が掲載された事に味を占め、最近多少積極的に送っている。
ただ、私の写真の処理には時間が掛かる。当日写真屋さんへ出せたとしてもラボの回収は翌日、中一日で処理して戻ってきて、選んで焼き増し、説明文をつけて送ると、早くて10日。編集部の締め切りの関係も有り、よっぽどタイミングが合わないと、タイムリーな掲載は望めない。もちろん即日仕上げで出版社へ持ち込むとかの手段も無くはないが、あくまで素人、プロの真似は出来ません。機材もそこそこ(⇒私の撮影機材)、フィルムも量販品、現像プリントも一般の処理です。大伸ばしには耐えられませんし。
1999年5月には、航空写真家 柿谷さんのお手伝いで日本で見られる 艦船ガイドに関わらせて頂きました。
以後、色々と引き合いも頂いています。
⇒公刊誌などで紹介・利用された私の写真
⇒公刊誌などで紹介・利用された私の写真・記事
(99.2.7)フランス艦隊の艦内撮影
当日、正直に「艦内撮影禁止」「カメラの艦内持ち込み禁止」の指示に従われた方々が居る反面、機材を隠し持ち、あるいはどさくさに紛れて艦内に持ち込み、
好き放題撮影し、あまっさえ、インターネットで配信している輩が居るのには、
憤りすら感じます。
当初のフランスの強硬な制限の反面、艦上や後半でのガードの甘さもいい加減ですが、
その場に流され、常識外れな見学者の行動も考えさせられます。
私の場合は、こういった矛盾そのものが我慢できないので、
何度かの交渉の上、了解下での撮影にこぎつけました。
近く、公開予定です。
(99.1.4)家のパソパソ1周年
去年、この自作機を組み立てて、はや一周年。ハッピーバースデーぱそぱそ。
しばし、トラブルには見回れているものの、まあ、順調なる稼動。
しかし、使用しているパーツは、順次陳腐化し、CPU/K6-200MHz は、買った時の半値以下\7800の広告を最後に市場から姿を消し、HDDも、RAMも、更に大容量のものが、更に価格ダウンで市場をにぎわせている。
悲喜こもごもの今日この頃。
(99.1.4)パール判事の本が出版
太平洋戦争後の東京裁判で、連合国でありながらただ一人、日本の無罪を主張した、印度のパール判事の論文が、このほど出版される。
印度の核実験に対し、「なんでも反対」主義の我が国は、いとも簡単に非難をしているが、印度の国際感というものは、当時から一貫していると思っている。
すなわち、西欧主導の国際秩序・正義感と言うものとは、一線を画している。
かの国の主張の真意を感じ取れば、核廃絶に向かわない各保有国に対する、止むを得ざる主張の真意も納得できるものと思われる。
(98.12.21)某国海軍のサイトに紹介されました
私のホームページが、某国海軍のサイトに紹介されました。
事の成り行きは、かの国の艦艇が東京港を訪問した際、私が例の如く写真を撮っていたのですが、その後、ホームページ担当者とやり取りが有り、その際、東京寄港時の写真を見せた所「ヘリから撮ったのか?」等の問答が有り、こんなんも有るよ、と送ったりしているうちに、航海記に載せたいと言う事になって、東京港でのページに採用、紹介されました。
しかし「ヘリから撮ったのか?」に対して「No」で終わっていればそれまでですが、「いや、東京港にはレインボーブリッジが有って〜」と1日かけて返信したら、「私は英語が良く分からん」と明記してあるにもかかわらず、あれやこれや書いてきてくれて、読むのと返事とに苦労しました。
この間、2〜3日のやり取りで、航空郵便でも1ヶ月はかかりますから、インターネットなればこその、賜物です。
が、問題点として、世間話のつもりで、細かく書いた物が、そのまま掲載されまして(文法上の構文修正は有り)ちと、日本の皆さんにはお見せできない状況となってしまいました。
(98.12.13)コンピュータの西暦2000年問題
巷では、迫り来る問題としてアナウンスされているが、私はどうしても釈然としない。
⇒コンピュータの西暦2000年問題
(98.12.3)経済企画庁って。
経済企画庁って、経済活性化を企画する所かと思っていたら、どうも「経済観測」しかしていない。「著しく」とか、文学的表現に労する必要などまったく無く、とにかく日本経済は暗い。明るくなれば、国民皆体感できると言うもの。ごたく、ならべんでええから、なんとかせえや。
(98.12.3)高橋是清翁はなぜ有名か。
最近、どこかの国の誰かさんが「総理経験の上、大蔵大臣に就任」と言うだけで「平成の高橋是清」等と言われているが、とんでもなく失礼な話だ。
高橋是清翁が、総理経験の上、大蔵大臣に就任と言うのは、紛れも無い事実だが、偉い所は、そんなつまらないレベルの話ではない。財政難の折り、軍事予算を大幅に削減し、国家財政の建て直しに挑んだ事が、ホントの偉い所だ。軍事予算は、当時の国家の基盤たる軍事力の支えであり、統帥権にも触る部分である。それを敢えて削減の対象とした所が、物凄く偉いのだ。そして、一部予想された通り、危険は現実の物となり、2.26事件で陸軍青年将校らにより官邸を襲撃され、職に殉じた。みずからを犠牲にする事を厭わず、国家財政の再建に望むその覚悟と手腕こそが偉いのだ。
どこかの国の誰かさんは、国債のランクが下がっても、どこ吹く風。「福祉予算を半減し、経済活性化に挑む」なんて事でも言えば、まだ偉いが、とてもとても、襲撃されるほどの種案は持ちあわせていないようだ。とても、たとえで比べては、高橋是清翁に失礼なお話。
(98.11.4)自営でのホームページが、稼動を始めました。
(98.11.2)自宅回線開設
ケーブルテレビ品川 (ODN 1.5Mbps-光ファイバー-ケーブルモデム-LAN)の回線を接続いたしました。 これにより、自宅環境での、インターネットが可能となりました。
(98.8.17)
「本国艦隊司令官の ホームページ」が、サーバーオーナーの一方的都合で、廃棄されてしまいました。
「98.11.21 パソコン通信運営会社の批判を理由にした一方的なID番号抹消は無効と判決」という事例も有り、良識に欠ける極めて遺憾な事件でした。
(掲載日 98.5.20)
今週は色々と忙しい。いや、繁忙の連続ではないのだが、時間指定のイベントが多い。
こういう時は、スケジューリングが大切で、旨く計画が構成できれば、総なめの掛け持ちもこなせるが、いい加減だと、総崩れになってしまう。
また、一生懸命に調整したにも関わらず、すっぽかしを食らうのは寂しい。
特に、早朝の出動などは。
5/21 07:00-5/22 08:00 横浜港ぷかり桟橋に Cable & Wireless Adventurer と言う、トリマラン型の船が、80日間世界一周の途上、寄港する予定になっていたが、
いやな予感がして念押しの確認をすると、1日遅れているとか。
うーん、難しい。
(掲載日 98.5.17)当たらない天気予報
5/16-17は 下田の黒船祭りの日だった。車で夜行車中泊で、黒船祭り、戸田資料館、三津スカンジナビア、等を回ってやろうと思っていたが、ちょうど前線通過とかで、よくない天気の予報だった。はるばる行くのに、あいにくの天気ではと、見送ったのだが・・・。
雨は夜中に通過、日中は晴れてさえいる。なんとかせえよ天気予報。思えば、気象予報士とかの資格制度が始まってから、天気予報はろくに当たらないようになっている。
(掲載日 98.4.30)静岡の自転車
去年の今ごろ、静岡で自転車を乗り回していましたが・・・
約100年前、第十五代将軍徳川慶喜公も、同じように静岡周辺を自転車で走りまわっていたとか。
私の宿泊先の近所には、慶喜公宅跡の碑 がありましたが、
私が、中古自転車を買ったお店、慶喜公の自転車保守を受け持っていた方が開いたお店だそうです。
慶喜公の自転車は、\300(現代換算で\3000000)、当時の慶喜公の年収(第十六代徳川家当主からの給付金)は \20000、当時の静岡市の年度予算が\20000 だそうです。
ふーん、もしかして、慶喜公がのりうつっていたかも。
(掲載日 98.4.30)なんとかせえよ 円安ドル高
ひところ $1/¥80を割っていた事を思うと、$1/¥130は 気が狂いそうです。
$150の本でも、\12000 で済むところが、\19500。この差の\7500 なんなんだろう。
$1/\100 を割っていたのは、アメリカさんの事情で、異例とは言え、$1/\110 を超えるのは誰の責任なんだろう。日本の経済状態 すなわち大蔵省指導の結果であれば、本来発生しないこの差損分、大蔵省が補填してくれて当たり前のような気がする。
日銀辺りで外貨両替を頼むと、$1/\105 位で替えてくれれば納得もするが・・・。
接待にうつつを抜かせ、公務を忘れていた責任は許し難い。こんど、差分の請求書を送ってやろうかと思っている。或いは、確定申告で「大蔵省責任による為替差損」と書いといてやろうか。
(掲載日 98.4.19)最近の出不精
4/18:陸上自衛隊 練馬駐屯地 創立記念、
4/18:船舶技術研究所 一般公開、
4/18-19:エリツィン特別機来日、
4/19:航空宇宙技術研究所 一般公開、
4/19:陸上自衛隊 滝が原駐屯地 創立記念、
等があって、ぼつぼつ出動要素だったのだが、若干の寝過ごしとかで、結局パソコンいじりが優先してしまった。
(掲載日 98.4.8)最近の出不精
4/4陸上自衛隊 朝霞駐屯地 創立記念 であったが、例年どうり式典がないので、パス。
4/5陸上自衛隊 宇都宮駐屯地、駒門駐屯地、習志野駐屯地、新町駐屯地 創立記念 であったが。駒門駐屯地、習志野駐屯地 は見ているので、ヘリの宇都宮駐屯地か、施設の新町駐屯地かと、悩んでいるうち、移動距離にめげて、結局パス。
(掲載日 98.3.8)
今日は、横浜の「帆船日本丸友の会」で、野間恒氏の講演があるので、行きたかったが、連日のパソコン繁忙のおかげで寝坊をしたりで、見送ってしまった。
昨日は、プリンタ導入で、写真裏面メモ印字ソフトの調整やらで一日つぶすし・・・。
(掲載日 98.3.1)
3/1まで、清水のフェルケール博物館で「和船模型の展示」が有るので行きたかったが、
パソコンが忙しかったり、日程調整が進まないまま、時間切れとなってしまった。
3/1は、横浜に「クイーンエリザベス2」が寄港するので、出動の予定だったが、まさかの雪。年始めからの出不精と、明日の「オリアナ」寄港、そしてなにより、昨日増設のスキャナのトライアルもあるので、見送ってしまった。
(掲載日 98.1.19)
当ホームページからのリンクの了解をいただくためのメールを、インターネットアドレス帳に溜まったものから、一斉に発信したところ、全体の15%程度、相手先が見つからず戻ってしまいました。団体の場合、担当者個人にアドレスが割り当てられている場合が多く、郵便と違って、担当者のメールアドレスが変更となっただけで、使えなくなってしまうのは、不便でも有り、さびしくも有ります。溜まったホームページのアドレスの方も、移転や廃止となって行くケースも多く、寂しさを感じます。(;_;)
(掲載日 98.1.15)
昨年末、毎年恒例の、年末の東京港一巡を、パスしてから、出不精になってしまった。
98.1.11、習志野で、陸上自衛隊の空挺団降下初めもあったが、雪のあとで、車両移動の不安からパスしたが、降下部隊は、雪原服装で、雪中降下の姿は、およそお目にかかれないもので、失敗した。
以下、「自己紹介と近況」より転載
(98.1.4)自宅にパソコンを導入いたしました。それも、何と、組み立て。
詳細は、私のコンピュータ史をご覧ください。
今後、プリンタ等を増強予定ですが、回線は、将来計画です。
(11/28)ホームページのアドレスが変更となりました。
本国艦隊司令官 www.acvs.com/mc/fleetmk/homej.html ** 当時のアドレスです **
(11/13)ホームページを試作してみました。ローカルでのつもりでしたが、限定でネットでも参照できる状態になりました。
(11/5) かねてからの問題として、増設ディスクへ長時間連続処理でアクセスするとストールすると言う病気があって、厄介物でしたが、ふと「共有モードを外すと上手く行くかも」とひらめいて、試行したら、多少長時間に耐えました。で、ついでにやっていると、逆に、エクスプローラ等基本ツールが動かなくなりはじめ、再起動さえも途中で止まってしまうと言う、ブラックホールへはまり込んでしまいました。にっちもさっちも行かなくなって、セーフモードによる立ち上げで、突破口を開き、何とか、以前の状態まで戻せました。結局朝から14:00過ぎまで掛かってしまいました。
(9/19) Visual Basic 5.0 の学習を開始。
とりあえず、多少使えるようになったカナ?(10末迄)
(8/12)E−mail機能がぐちゃぐちゃ
ネットスケープナビゲータの試供版を入れた為か、ホームページからのE−mailへのリンク等がおかしくなってしまいました。MS-Mailとごっちゃになるし。グスン。
(8/8)ネットスケープナビゲータの試供版を入れてみました。
一般的には、こちらの方が優れているらしいのですが、
慣れの問題か、インターネットエクスプローラーの方が好きです。
(8/1)新しい郵便番号が判りました。
98年2月から「142−0063」となります
(7/23)使っているPCのハードが変わりました。、
PC−9821Xa7e になりました。
使い古しですが、850Mのディスクが1+増設1で、まあそこそこです。
(従来はIBM、PS/V Vision ディスク350Mでした)
(7/上旬)E-mailのアドレスが変更になりました。
当面、転送がかかりますので、旧アドレスも使えます。
(5/下旬)パソコンを毎日触るようになりました。
以下、「艦船仲間の談話室」より転載
(掲載日 97.12.10)
Jane's Fighting Ships 1997-98 が到着しました。
主要国のカラーページ化が始まりました。
相変わらず、海上自衛隊の写真は、2枚を除いて中井八郎氏の作品です。
一昨年あたり、一冊$330、\110/$1、程度だったのが、
カラーページ増加の値上げで$375 、円安で\125/$1で、実質30%以上値上げになりました。
1980年代から、2年に一度買っていますが、高くなったものです。
当初は、丸善で\28000位だったのですが・・・。
今年は、洋書やさんでは、一冊\80000とか聞いているので、これではとても買えません。
(掲載日 97.12.10)
おかげさまで、「本国艦隊司令官」ホームページのデータ容量が、約5MBとなりました。
ページテキスト1.5MB、写真3.5MB、です。
(掲載日 97.12.3)
海上自衛隊と、海上保安庁の兼ね合いについて、統合した方がとか、色々議論されていますが・・・、一つの見方として。
海上保安庁には、司法警察業務があります。通常の洋上領海警備もその一つですが。
この場合、海上自衛隊のカラーの船舶が、現場で行動したら、どういう事になるでしょうか。
北の方では、ロシア国境警備隊の艦艇が、同様の行動を行っていますが、現場で日本漁船が受ける威圧感は、相当のものだと思います。
果たして、対馬や南西諸島で、こういう局面になったら、どうなるか。
尖閣列島で行った、海上保安庁の一大行動を、海上自衛隊の艦艇が実施したら、それこそ、キューバ危機の様相を呈する事になります。
当然、日本の覚悟の程を相手方に示し、一挙に解決する事になるかもしれませんが、
逆に、軍国日本とか叩かれる事になります。
日本政府に、対応する外交策と、それだけの覚悟があれば、問題はないのですが、弱腰の体制ではそうは行きません。
となれば、司法警察業務を受け持つ海上保安庁と、最悪の場合の実力集団としての海上自衛隊は、独立していた方が、よいと言う事になります。
(掲載日 97.12.2)
ホームページの北海道航路の記事を読んでいて思い出しました。
えりも丸?かなんか(先代かどうかも忘れた)、日本沿海フェリーと言ってた頃の
ような気がする。
台風接近の、金華山沖で「消息不明」となる事件がありました。
当の船は、台風を避けて、航路を沖にとり、悠々と航海を続けていたのですが、
船が「沿海か近海か」の資格で、積んでいた無線も近距離用で、通信が途絶えたのです。
で、陸の方からは、船の姿なんか当然見えないから、無線で確認するしかなく、
しかし、応答がない。台風が接近して海は大荒れ、で、遭難したのでは、要するに沈没、と大騒ぎになりました。
翌日、台風一過、船は、無事姿をあらわしたのですが、
この事件の後、ちょっとくらい沖を通ったくらいで通信途絶するような無線は、
まずいのでは、となり、規則とかが変更されたようです。
(掲載日 97.12.2)
ロシア艦来日のおり、色々いわれていますが、私の感想です。
世界の艦船の9月号の読者欄に、下記の文の一部が掲載されましたが、編集され過ぎで、内容が違うように解釈されそうですが、こちらはその全文です。
ロシアの経済情勢から見て、世間の風評もそんなもんかとも思う部分がありますが、あまりにも見下したような分析が横行するのも考え物だと思っています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
世界の艦船9月号のグラビアのロシア艦CICの説明で”海上自衛官から「あきづきみたいだ」”とのコメントがありますが、相当昔の世界の艦船に”あきづきに乗艦したソ連武官が「この艦のミサイルはどこに積んであるんだろう」と囁きあった”と言うコメントを思い出しました。しかし、キツイ話をさせて頂ければ、ソ連武官の発言は、自国で当然搭載している誘導弾が艦上に見えないので、搭載方法や装置に疑問に思う分析であるのに対し、海上自衛官の発言は、ただ見た目の判断で、戦力をあなどる如きで、それこそ奢り高ぶりでは無いでしょうか。戦力とは、ただのハードウェアだけではなく、運用する人その他全てを戦力とすべきものです。かつて、Mig25が北海道に来た時、装置に真空管を使っていて、たちまち「旧式」論が出ましたが、その後の分析で、処理能力は、当時の西側のものと何ら変わらない優秀な物だったと言います(重い、大きい、電力を食うと言う不便はありますが)。さて、もう一つ興味深い点があります。それは、今回来日したロシア艦の状態(奇麗さ)です。艦の塗装も錆等無く、美しいもので、そして水兵の帽子のリボンも全員新品で揃えられていました。また、猛暑だったにも関わらず(その前後で一番暑い日に当たっていた)、服装が乱れた乗員も見かけませんでした。ウラジオストクには、錆にまみれた艦が多い中、これほどの艦を持ってくる事は、凄い事です。当然儀礼上、無礼の無いようにとの思いもあったでしょう。また、ロシアの誇りもあるのでしょう。そうやって考えれば、友として誠実な、敵としては決して侮れない国ではないでしょうか。ちなみに、今回ロシア艦の一般公開の有無や警備について色々ありましたが、整理すると、ロシア側は一般公開を希望したが、日本側が警備上の事情から、招待状制を「提案」した(あくまで決定権はロシアにある)。しかし、両者の合意は、合意文書のように厳格なものではなく双方独自に解釈し、友好親善を目的とするロシア側は見学に招待状は必要としない一般公開と認識し、お役所仕事の日本側は招待者のみと運用した、ようです。
(掲載日 97.12.1)
船に関することわざ・例えで、よく考えると「あれ?」となるもの
「灯台もと暗し」灯台は海を照らし、船の安全な航海を助けるが、そのふもとは真っ暗だ。と言う事から、灯台は海を明るく照らすと言う錯覚にとらわれるが、ここが間違いで、海面を照らす街灯のようなものではなく、灯台の位置を示している、航路標識なのである。
「護送船団方式」金融行政を語る時、大蔵省の保護による護送船団方式とよく言われるが、その昔、全滅を含めて極めて被害が多く、護衛能力の不足に悩んだものだ。かくして今日、金融界も、太平洋戦争末期の護送船団の運命をたどりつつあるように見えてならない。
(掲載日 97.11.27)
観艦式のページの英語版を作っています。公式パンフレットの英文を参照しているのですが、Fleet Review(観艦式)、Ovserved Surface Group Unit 1(受閲艦艇部隊第1群)、Demonstrating Surface Group(訓練展示艦艇部隊)とか、ショーか何かのような軽いイメージになってしまいます。
新規作成日:1997年11月14日/最終更新日:2000年4月25日