3日目
市場へ行ってみた
今日は9時に集合でいい。
いつものように7時過ぎに朝食を済ませると、少し時間に余裕があった。
ツアー仲間の男性の、“ホテルの裏手に市場があり、豚がそこで解体されている”との情報を前日に聞きつけ、行きたくなっていた。
そこで出かけることにした。
父はホテルで休憩。
なんせ、旅行はその土地の生活を感じた時が、一番楽しいも〜ん。
早速外に出てみると、朝からバイクの通行は多い。
今日も元気に我が物顔で通りを占有している。
歩行者は、隙あらば平気でどこでも横断してくる。
車を止めても、悪びれもしない。
若いうちはいいけれど、年取ったらイヤだな、こんな道!!
もっとのんびりしたいよっ!!
交差点は、大きいクセに、信号は真ん中にひとつだけある。
こんなんで役に立つんだろうか??私は無理だとにらむ。
中国の通り沿いには商店が立ち並んでいる。食堂や金物屋、荒物屋、食料品店、機械の部品屋などだ。
そして、商店の上が中層、あるいは高層の団地やマンションになっているのがほとんどだ。
この写真は、典型的な通り沿いの店である。
食堂の外には椅子とテーブルがあり、桂林米粉を食べている人たちが多かった。もちろんどんぶりでかっ込んで。
近くに漓泉ビールの事務所と工場があったので、写してみた。結構市街地で作られているんだなぁ。
不意にアヒルの鳴き声がして、振り向いた。
見ると束になったアヒル(!)が古びたバスの屋根に乗せられるところだった。
うっ、生きてるのに荷物扱いだ。。
市場の近くに屋台が出ていた。
中華マンがほかほかと湯気を立てていて、とってもおいしそう。
10元札を出して、一番小さい中央の中華マンを指差したら、なんと1元で4つも来た。安い!!
中身は具は少なめだったが、豚マンで、まずまずおいしかったよ。
市場のすぐ入り口に、これから建設がされると思われる空き地があった。広いな。
これだけあれば、何でも建てられるだろう。
市場には、かごに伏せられたがちょうがいた。これを、自転車に乗った主婦が、がちょうのくちばしを紐でくくり、自転車のハンドルに引っ掛けて持ち帰るのだ。当たり前の顔して。
家では当たり前の顔して首を落とすのだろう。
軽いカルチャーショック。
ハーブのような野菜や、瓜類、トマト、サトイモ等、いろんな野菜が売られていた。
さらに奥には、衣類や雑貨、調味料、乾物、工具などが売られていた。
豚肉は、既に解体が進んでいた。
頭を切り落とすシーンは見られなかったが(ちょっとホッとした)、生暖かい気候で新鮮な肉が包丁で刻まれ、悪くならないうちに買って帰る風景は、何だか懐かしいような。。戦後まもなくの日本の光景であっただろう。
手持ちの人民元は、9元しかなかったが、何か買うことにした。
手頃なところで、調味料かな。
この時不意に思った。
中国の醤油を使えば、もしかして本格中華が作れる?桂林で食べた中華って、すべて八角に似た香辛料がベースにあるように感じるけど、それって基本になる醤油の味なんじゃ??
そう考えると、どうしても醤油がほしくなった。
そこで、醤油とから揚げ粉を、筆談で値段を聞いたら5元だったので買うことにした。
日本に帰り、味見してみると。。
色がどす黒い。たまり醤油のさらにたまった部分みたいだ。
味は。。クセがある。八角のお味もちょっぴりある。思った通りだ。
梅干の干したのは、普通の食料品店で買ってみた。2.5元。0.5元あっても仕方ないから、揚げせんを0.5元で買い、合わせて8元。(130円程度)
日本じゃ、から揚げ粉しか買えない金額じゃん!
畳彩山を登る
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この日は桂林の市内を回ツアーの時間となった。
最初に観光したのは、漓江のほとり、桂林市内を一望できる「畳彩山(じょうさいざん)」だった。
一帯は公園のようになっており、そのうちの「明月峰」を登ることになった。
右の写真はその入り口だ。トンネル状になった内部には、仏像が掘り込まれている。
トンネル内を通る風は涼しい。
石門のような入り口の裏に、“壽”の文字があった。
これは、上から順番に「一百一十」と読め、縁起がいいとされる。
頂上まで石段は450段あった。
ヒールの高いサンダルの私は、不安定ながらも歩ける。
心配された父は、疲れたと言いながらも、ちゃんと頂上まで登りきった。たいしたもんだ。
石段と言っても、1段1段が狭いし高かったんだから。
頂上の周りには、南京錠がぎっしりと連なっていた。
おみくじのように、願掛けでもしているのだろうか?
きっと恋愛成就だと思うわぁ。
左の写真は、頂上にあった東屋。さすが中国風!!
頂上はそれほどは広くないが、売店はあった。さすが観光地!!
見所は、やっぱりここからの風景だ。
写真右上: 漓江の上流
写真左上: 西の方向
写真右下: 漓江の下流 漓江に突き出している岩は「伏波山」
写真左下: 東の方向
360度のパノラマだ。
川があり、桂林特有の岩山がある。
西の方向に見える中国っぽい建物は、夜のナイトクルーズ(後述)の終着点なのだ。
下の列の説明をしよう。
上の右は、独秀峰が中央に見える。
独秀峰は、明の時代には桂林の中心地だった。明の靖江王の居城である靖江王府がおかれた場所だ。現在は広西師範大学の一角に存在している。
独秀峰の後ろに見えるビル群が、桂林の中心地だ。
バスで何度も通った“中山中路”という目抜き通りに沿って、ビルが林立している。
その右隣の写真は「漓江民族風情園」。
左下の写真の、青い屋根のテラスの右隣に続いていた。
少数民族のテーマパークで、衣装を展示したり、アトラクションを上演したりしている。
そういや、中国の建物というより、ビルマやタイに近いような。。
青い屋根のテラスの向こうに畑があり、そのまた向こうには、大規模なマンションがどんどん建設されていた。
中国は、今まさに建設ブームだと思った。高度成長期だなぁ。
象鼻山の近くの
次の目的地は、象鼻山だと思っていた。
バスは象鼻山の入り口を入って、ずんずん奥へ進んでいった。
ちょっと、奥すぎやしない??の心配をよそに、とある建物の前で止まった。
桂林博物館だそうだ。
建物は、少数民族の宮殿を模しているらしい。
中国調でもあり、日本っぽいようにも思えた。
中では、頼みもしないのに、とある部屋へ通された。
そこでは、中国で100本の指に入るという、水墨画の巨匠である謝先生が登場し、目の前で水墨画を描いてくれた。
水墨画は下から上へ筆を動かしていく。
春は蘭、夏は竹、秋は菊、冬は梅を描くと縁起がいいということで、竹を使って1枚描いてくれた。
筆を動かす手は早い。10分程度で仕上げてくれた。
低く飛ぶ鳥は、雨が近いことを表現しているそうだ。
実際に水墨画を描くさまが見れて良かった。見ると、似たような掛け軸が飾ってあった。2万円だって!!
動画&音声は こちら
中国の美術館は、なぜか美術品を販売している。
日本語を話せる美術館のガイドさんが、絵画や彫刻の素晴らしさを伝えると共に、お値段も伝えてくれる。
その後、翡翠や猫目石で作られた急須や壷の販売の話が始まった。
25cmくらいで18万円だという。
翡翠や猫目石だから価値があると思うけど、そんなにいいものかなぁ???
別の人の話だと、文化大革命で国が美術品を多数撤収したので、売って国庫を潤しているらしい。
なぁ〜んだ、国家ぐるみの国力増加計画か。
でも、ツアー仲間のひとりは、カード払いで例の急須を買ったようだ。すごいなっ!!
その後、桂林市内のレストランで食事をした。
ここは、お土産が一番安かったと思う。
桂花茶は、ホテルの売店で5個1000円で安いと思ったが、ここはさらに安く、10個で1000円だった。
信じられない〜〜。
私はここで、緑茶を買ってみた。
中国の緑茶は結構高く、250元もした。これが二つで250元まで下がったので買ってみた。
帰国して飲んでみたら、香りが高くて、すごくおいしかった。大成功だ。
店員もしつこくなくて良かった。
七星公園と象鼻山
次の観光地は七星公園だ。
ここは、漓江の東にある。
パンダもいるのだが、彼(彼女?)はへたって寝ていた。パンダはどこでも同じだわ。
ここの見所は、駱駝岩だ。
ワシや父の後ろにあるのがそう。
ヒトコブラクダですね。
なぜワシを撮ったのかと言うと。。
畳彩山の記念撮影を撮ってくれる場所にあった“見本”が、このワシを背景としていたからだ。
有名なモニュメントなのか??
とりあえず撮っておこうっと。
象鼻山は、象が鼻を伸ばして水を飲んでいる形をしている。
対岸から見られる。
近くに鵜飼のオバさんや、観光筏が浮かんでいた。
両方とも有名な観光ポイントらしいが、ふぅ〜〜んで10秒程度で終わってしまった。
どうやら中が鍾乳洞になってるらしい。
この日は、何回も雨が降っていた。
象鼻山へ行く時も、この日2回目の豪雨。
ツアーメンバーは、メンドーだからバスで近寄ればいいよとも言ってる。
とりあえずバスが近くに着いたら、雨が小降りになっていた。ラッキー♪見られるよっ!
ここで私は、失態を犯してしまった。
バスから降りると、降りてすぐに傘を差し出す手があった。まぁ、ご親切に。
ツアーのスタッフが傘を貸してくれてるのかと思って、その傘を受け取ったら。。。それは物売りの傘だったじゃな〜〜いっ!!
さぁ〜〜〜っっと血の気が引くのを感じた。ヤバい、こんなダサい傘、いらないよ!だいたい、いくらするの??どうやったら返せるんだろう??
焦って、物売りの手に押し付けたが、もう受け取ってもらえない。まずい、まずい!!このままだと、買わなくちゃならない。
よく見たら、物売りの手にスーパーの袋がぶら下がっていた。そうだ、この中へ入れよう!
そうやって、いやがる物売りの袋に、無理やり傘をねじ込むと、物売りの顔を見ずにさっさとその場を後にし、ようやくピンチを切り抜けた。
はぁ〜、危なかった。
桂林の市内の観光ポイントは、このように、物売りや体の不自由な人が大勢立っていて、異様だった。
日本の客引きなんてかわいいものよ。
正陽街は洗練されている
次は、桂林の歩行者天国の繁華街である「正陽街」を歩くことになった。
漓江に面した道でバスを降り、正陽街へ向かう途中は、なんと子供の物売りがいた。
6歳くらいの女の子で、花を持って観光客に近づいてきた。
それだけならまだいいが、相手にされないとわかると、今度は背中を叩いて興味を向けさせる。腕を組んでくる。取り合わなくても、しつこく続ける!
まいったね、これは。4歳くらいの男の子もいたよ。
子供だし可哀相なのだが、子供だから許されるだろうという悪どいやり方を憎んだ。
先ほどの見世物小屋にでも入れそうな体の不自由な人といい、中国の暗の部分を見る思いだった。
お金のために、生活のために、何でもやる。生きていくために、何でもやる。国家が生活を保障してくれないから、本人がやるしかないのだ。
もしも観光客がお金を出せば、商売になるとたちまち人だかりになってしまうだろう。そして観光客は中国を苦手と思うようになる。
彼らは北部の農村から職を求めて都市にやってきた人たちだろう。
ほかに食べていく術を知らないのかも知れない。貧富の差を思い知らされた。
だけど、中国が近代化を目指すのなら、取締りをすべきじゃないのか?
桂林は、観光都市なのだから、良いイメージを植え付け、また来たいと思わせる必要があると思う。持ってる自然が素晴らしいだけに。
私が子供の頃の日本でも同様だったが、足のない人たちは子供心に怖かったし、もうそこには行かないと思ったものだ。
中国国民の意識改革が望まれる。
さて、正陽街は、ブティックが立ち並び、おしゃれなファッションストリートだった。
若い女の子が20元と書かれたワゴンの中のTシャツを見ていた。
ベネトンやナイキ、アディダスなどのお店があった。
中央付近に広場があり、そこは一段と個性的な建物があって興味深かった。雰囲気は歌舞伎町の広場だ。
ぶらぶらと歩くと、10分くらいで終わる。ファストフード店のない渋谷のセンター街みたいなもんだ。
最後まで行くと、「示范街」と書かれた看板を発見!直訳すれば、「模範を示す通り」だ。モデル通りってこと??
ここの前が百貨店になっていたので入ってみた。
百貨店でお土産を買うのが一番リーズナブルだからだ。
1階はアクセサリーや衣類を売っていた。地下に降りると、食品売り場があった。スーパーみたいな形式だ。
よぉ〜しっ、ここでお土産GETだぁ〜〜っ!!
お茶を探してみた。見つからなくて困っていたら、なんとツアー仲間がいて、売ってる場所を教えてくれた。
他にも2人ツアー仲間がいた。みんな考えることは同じ。地元の安いお店だ。
袋入りの、200g18元というお茶があったので、買おうとしたら、父が50元持ってるはずなのに34元しかないのがここで判明。
クレジットカードも、日本円も不可。うっそぉ〜〜!!だから両替しようって言ってたのにぃ!!
ツアー仲間に借りようにも、彼らも50元程度しかなく、お茶を飲む予定だと言うのであきらめた。
仕方ないので、一番安い16.5元のを二つ買うことにした。おいしいんだろうか?
番茶みたいに、葉の粒が大きいので不安だ〜〜。
百貨店を出ると、外はスコールだった。この日4回目の雨。
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その頃には、桂林のお天気にも順応してて、雲の切れ目や、空の明るさの方向を見て、この雨は長くないなと判断できるようになった。
しばらく待ってると、果たして小降りになってきた。
そこで、ぶらぶらと出発し、ゆっくり歩いて行くと、ちょうど集合時間になった。うまくできてるね♪
この日の正規の日程はこれでおしまい。
けれど、すっごくしつこい店員さんのいたお土産屋さんと、すっごく高いお茶屋さんへ連れて行かれたのを書き加える。
お茶専門店のお茶は誰も買わなかった。さすがに100g3000円以上は出せないよ。
いくら効能がどうの、品質がこうのと言われ、何杯もお茶を勧められ、お茶菓子をいただいてもなぁ〜。
でもそれじゃ悪いかなと、楊枝入れを、1個20元×3 買った。義理は果たしたぜぃ!!
しつこいお土産屋さんで、「清涼油」を3倍近くの値段で堂々と押し付けてきたのには閉口したわぁ。
ひとりにつき、ひとりの店員さんがつくのって、反則よね。断るのが大変じゃない。
ナイトクルーズは幻想的
部屋に戻ってから、ホテル内のいつもとは違うダイニングで食事をした。
う〜ん、代わり映えしないお味。
平均化されているというか、当たり外れがないというか。。
ホテルのトイレは、タンクの中央に流すボタンがある。吸い込みが良すぎて流すとうるさいのなんのって。
隣の部屋の流す音まで聞こえちゃう。
このせいで、私は毎朝5時前に目が覚めるのだった。
さて、ナイトクルーズだ。
オプショナルツアー、ひとり4000円。
3500円の、中国雑技団と千手観音が組み合わさった観劇とどちらにするか迷った結果、父がナイトクルーズにした。
これは大正解。すごく良かった。
単純に、わかりやすかったし、楽しませてくれた。
ナイトクルーズの出発点は、杉湖だ。
上の写真のように、太陽の塔と月の塔があり、暗くなるに従い、ライトアップされた。
それを合図にするかのように、水上バスは出航した。
まず、音楽と共に噴水が見られた。
最初はこれだけでも感動する。
動画と音声は こちら
ツアーガイドの陸さんとの記念写真も撮り、次なる見所の水上レストランへと、水上バスはどんどん進んでいった。
対岸は、緑、赤、青、オレンジ、紫等の光で幻想的にライトアップされている。
すっかりテーマパークだ。
小船が停泊している写真の後ろの建物は、明時代の由緒正しい建造物らしい。
鳥居があったり、二重橋があったり。
橋をくぐって出発地の杉湖から榕(ガジュマルの意味)湖へ行くと、小島が見えた。若者に人気のスポットだそうだ。
凱旋門のそばを通り抜けると、ゴールデンゲート・ブリッジが見えた。
それなりに大きい。
観光用の鵜飼がやってきた。
鵜が潜って魚を飲み込み、筏に戻ると、鵜飼が首を絞めて魚を吐き出させる。
吐き出させた後は、小さな餌を鵜にあげていた。
どうやって魚を取るのかが手に取るようにわかって、楽しかった。鵜飼の現場を見るのは初めてだったから。
老人山が見えてきた。次第に山が増えてきていた。
橋をくぐって右に進路を変えると、山肌に絵が書いてあるような、不思議な岩山が見えてきた。あれはなんだろう??
近づいてみると、それは絵ではなく、洞窟だった。ライトアップされて、光の当たってる部分と影の部分のコントラストが、絵のように見せているのだ。
私には右を向いて座ってる人の“象形文字”のように見えた。
その写真の左側に、塔が見える。
ナイトクルーズの終着点だ。
ここは、まるで竜宮城のように流麗華麗な建物が並んでいた。
そのひとつで、中国舞踊をしているのが遠目に見られた。丸くなって中央に集まったり散らばったり。。
そこを折り返し点として出発点に戻る。
すると、左手に「女子十二楽房」のように、中国の民族楽器を持った若く美しい女性が、中国的な音楽を奏でるのが聴こえるのだった。
なんて盛りだくさんなサービス!!
ちっとも退屈しない。
スケールも大きい!!
帰りは、船の中で優雅に二胡の音色に浸った。
ベートーベンの第9、モーツァルトの他に、瀬戸の花嫁、北国の春も演奏し、日本からの客が多い船内をくつろがせてくれた。
私はむしろ中国っぽい曲が聴きたかったのだけれど。。
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得意の拾い物で、画像を集めてみました。
左は、乗船記念であるナイトクルーズのDVDの表紙。手前の堂で中国舞踊を披露してくれた。
右は同じ場所を角度を変えて。
左の写真に見える橋からの写真のようだ。
これらは、昼間に見た畳彩山のすぐ北隣にある。ってことは、山に絵が描いてあるように見える、洞窟を山頂付近に持った山が畳彩山なのだ!
昼間見たのと景観が全然違うじゃな〜い!!
静かに感動した。 |
出発点に戻ると、太陽の塔と月の塔は、煌々と光り輝いていた。
派手だ。
中国のイメージは、もともと派手だと思っていたが、ここで決定的になった。
下船すると、桂林で1,2を争う『桂林漓江大瀑布飯店』という高級ホテルの壁面で、毎夜8:30になると滝が見られると、陸さんが案内してくれた。
壁が滝になる??
イメージが涌かなかったが、上から水が落ちてくるんだろう程度に思っていた。
さて、時間になった。付近は花火の夜のように、あちこちに人が集まっていた。
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アナウンスがあって、その後に少しずつ水が落ちてきた。水は壁面を次第に覆い、ついには壁面全部を流れ出した!
すごい、ホテル全体がアトラクションだ。
水は循環しているとはいえ、15〜20分間ずっと流れているのだそうだ。
動画と音声は こちら と こちら
5分も見れば退屈するので、横にあった繁華街ちっくなスクリーンを写してみた。
右はホテルの正面は、こんな感じで、後ろによもや滝があるとは思えない。
『桂林漓江大瀑布飯店』は、桂林の中心に近く、人が多数集まっていたのは、「中心広場」が裏にあったからと、あとでわかった。
ちらっとだったが、夜の街も見られたのは有意義だった。
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