KanonをD.CU 〜オリエンテーションは大慌て-前編〜





 パッと目が覚める。我ながら寝付き、寝起きは自分でも怖いと思うほど良い。きっと世界中の人が俺に嫉妬しているだろう....っと自画自賛はここまでにしておこう。

 枕が変わると眠れないと言うが、そんなことは全然なかった。バッとカーテンを開けてみると、眩しい日差しが入ってくる。昨日天気予報を確認した通り晴れだな。定番だがオリエンテーション日和というやつだ。時計を確認すると、まだ随分余裕がある。杏には祖父の遺言に従い、義之の家でお世話になると連絡したところ、毎朝のモーニングコールはしなさいと言われ、約束した。杏のことだ。昨日の内に持って行く物を用意しているだろうから、ギリギリまで大丈夫だろう。とりあえず俺はさっさとシャワーでも浴びて、着替えでもしよう。

 純一さんには好き勝手やって良いと言われてるので、自分の日課は欠かさないことにした。シャワーを浴び、服を着て、リビングに入る。どうやら今後朝倉家で俺が一番早起きらしい。なら朝食は俺が担当することにしよう。正直、音姉の美味しい朝食ってのも捨てがたいが、一食確実に押さえておくことで栄養を管理することが出来る。そして昼食を自分でお弁当を作れば、ほぼ栄養を管理できると言える。一応、相沢らしい規則正しい食生活は良いことだよな。

 冷蔵庫を見つめ、瞬時にメニューを頭に描く。そして黙々と朝食を作る。



 「おはよう、祐一君。朝早いんだね。」



 朝倉家一番は純一さんだ。でも少し眠そうに見える。



 「おはようございます。もう少しで朝食作り終わりますよ。」

 「ありがとう。」



 眠いのか、そのまま椅子へと座る。さてと純一さんも来たことだし、さっさと並べるか。俺は火を止め、ご飯をよそい、テーブルへと並べる。そしてお茶を入れるのを忘れない。



 「いただきます。」



 純一さんと一緒に食べ始める。時間はまだたっぷりある。これならパソコンを起動させながら食べる必要もないだろう。



 「それにしても君が朝早いのは驚きだね。」

 「そうですか?祖父はどんなに遅く寝ても早く起きろと教えてましたが。」

 「ああ、アレは自分が出来ないから子供達にそう教えたんだよ。祐一は自分が出来なかったことをいの一番で教えるからね。」



 適当な祖父さんにしてはやたら規則正しくておかしいと思ってたんだ。自分が出来ないことをやらせてたのかよ。



 「それで祐一君は和食党なのかい?」

 「今日は時間がありましたから、せっかくでしたので。時間がないときはパンとかですよ。」



 その方がパソコンでチェックしながら食べられる。家で求められる朝食とは一に栄養、二に効率性、三に優雅さ、お行儀だ。



 「もしかしてパンとかの方が良かったですか?」

 「細かいところは気にしないよ。味も良いし、音姫らへんは驚くだろうね。」



 音姉は俺が料理できること自体驚いてた節があったな。でもパッと見た限り、義之も出来そうだったから、男が出来ないものだとは思ってないんだろうけど。何でだろうな。



 「まぁ、俺は早起きしますからこのまま朝食でも担当しますよ。」

 「それは良いかもね。」



 純一さんのお許しがでたので、朝早く起きたら俺が担当しよう。俺はさっさと食べ終わらせ、リビングのソファーに座り、ノートパソコンを起動させる。多分、朝早いこの時間が相沢らしいことの出来る時間だろう。



 「おはようございます。あれ、弟君、もう起きたの?」



 二番目は音姉だ。驚かれてるのは何故なんだろう。



 「おはよう、音姉。朝ご飯、出来てるよ。ちょっと待ってて。」



 昨日の内、しばらく仕事は休業ってメールを送ったら仕事の数は激減した。元々この時期は実験の方も再検討だから、ちょうど良かったのかも知れない。



 「弟君が朝食作ったの?」

 「早起きしたときぐらいは作りますよ。音姉は座って待ってて。」

 「は〜い。」



 まだみそ汁は温かいがちょっと温め直して、その間にさっさと調理する。下準備してあると料理というのは早い。5分を待たずしてできあがり、運ぶ。



 「わ〜、すごい、すごい。」



 そう褒められると恥ずかしい。



 「いただきます。」

 「どうぞ、召し上がれ。」



 音姉が食べ始めたのを確認して、再びソファーに戻る。



 「弟君ってもしかしてすごい早起き?」



 そう言う音姉も早いと思うが、それより早いって事はすごい早起きと言うことか。



 「どんなに遅く寝ても早起きしろって躾けられてるんですよ。」



 そして眠くなったときに仮眠を取っておけというのが相沢の家訓。もちろん、こんな家訓のおかげで総じて学生時代、授業中は寝てばかりだったらしい。かくいう俺も学校では寝てた口だ。



 「朝食、美味しいよ。ご飯党?」

 「忙しいときはパンって感じです。今まではどうだったんですか?」

 「時々だねぇ。基本的にご飯党なんだけど、由夢ちゃんも弟くんも結構ギリギリまで眠ってるからご飯をゆっくり食べられないときがあるんだよねぇ。」



 音姉がため息をつく。でもまぁ、そんなもんだと思う。むしろこの歳で規則正しい生活が出来る人間の方がおかしいのだ。



 「まぁ、献立は工夫します。」

 「うん、早く起きた方が朝食を作ろうね。」



 早く起きた方がか。とりあえず音姉の目覚める時間の統計を取って調整するか。あまり早く起きて連続で朝食を作ってると、音姉の性格を考えると無理して早起きしそうだ。



 「そう言えば、さっきから何やってるの?」

 「実験データの整理と実験条件の再検討です。」



 あまり隠してても仕方がないので、さっさと言う。でも初めて聞いた人には分からない話で、案の定音姉は分からないって言った顔だった。



 「相沢ってのは学者一家なんだよ。まぁ、祐一君の祖父の代からなんだけど、結構子供の時から色んな事をやらせててね。祐一君も他の親戚の手伝いとかなんじゃないかな?」



 流石、純一さん。相沢のことを分かってる。強いて間違いを上げるのならば、親戚の手伝いではなく、学者仲間の手伝いって事だ。まぁ、似たようなものだから追求することもないだろう。



 「へぇ、だから頭が良いんだ。」

 「だからって学校の勉強が出来る訳じゃないですよ。ちゃんと勉強しないとテストなんて点数取れませんから。」



 少なくともこれからの問題はそう言うのだと思う。まぁ、レベル的には低いから苦労はしないと思うけどね。



 「困ったときはお姉ちゃんに頼るんだよ。」

 「分かってますって。」



 昨日から分かってたことだが、音姉は家族に対して恐ろしいほど甘い。しかも甘えないと甘えないで落ち込むような性格だ。結構困ったさんだよな。



 「おはよ〜、って祐一、朝早っ!」



 続いて起きてきたのは義之。まぁ、オリエンテーションは普通に学校行く時間より早い時間だからこれぐらいか。



 「悪いが、俺は思われてる以上に躾が良いぞ。朝ご飯出来てるからちょっと待ってろ。」

 「あっ、弟君は座ってて良いよ。私が準備する。」

 「って朝ご飯まで祐一なのかよ!」



 驚いてばかりだな、義之よ。とりあえず義之のことは音姉に任せて、俺は杏に電話する。5分ぐらいかけ続けただろう。漸く電話が取られた。



 「杏、起きろ。そろそろデッドライン、超えるぞ。」



 学校から離れた杏の家は当然ここより早く出ないとならない。杏は女の子としては準備が早いので結構遅くまで寝ているのだが、今回はそんな杏でもギリギリだと思う。



 「そっちの生活はどう?」

 「まだ初日だから手探り状態だよ。それより時間危ないから朝食は抜いてこい。こっちで作って持って行くから。」

 「分かったわ。」



 特に反論がないのは頭が働いてないからだろう。それでも記憶力が良いから、きっとこの後いじってくるに違いない。



 「電話?」

 「幼なじみにですよ。低血圧で起きられないやつなんです。」

 「へぇ〜、弟くんの幼なじみか。どんな子?」



 興味があるのか。どう言ったものか。



 「変な子だけど、可愛い子だぞ。」



 そう言ったのは義之。的を射た回答だ。



 「可愛い子って事は女の子?」

 「祐一って家が特殊だったからか女の子、しかも二人しか友達いないんだってさ。」



 まぁ、真実なので突っ込む必要はない。常識的に考えればヤバいことぐらい知っている。



 「へぇ〜、ちょっと意外かも。弟君って何でも出来そうだから男の子、放っておかないでしょ。」



 確かに小さい子が出来るようなことは何でも出来たから結構人気はあったと思う。でも精神年齢が高すぎたのか、あのノリについて行けず、気があった杏と茜ぐらいとしか付き合わなかった。そう言う意味では卑下するほどではないのかも知れない。



 「杏...ああ、これ祐一の幼なじみの女の子なんだけど、祐一は精神年齢が高くてスポーツとかゲームに熱中する男の子とは合わないんだってさ。」



 杏のやつ、結構喋ってるな。案外、義之のこと気に入ってるのだろうか。



 「まぁ、ゲームとかやってるよりお菓子作りとか服とか作ったりしてる方が建設的に感じたから結局女の子みたいな趣味って事だったんだな。」



 まぁ、その裏で祖父に投げ飛ばされ、一家の人と組み手したり、やたら男らしいこともしていた訳だが。年相応のことの知っていることと言えば、女の子らしい物ばかりだな。



 「ふ〜ん、じゃあ、弟くんが初めての同性の友達って訳か。」

 「義之は無駄に精神年齢高いですからね。爺臭いかな?」

 「お前の爺臭いと言われるとは思わなかったぞ。」



 ある意味これは褒め言葉だぞ。落ち着きがあってノリが分かるってのはそれだけで大した才能だ。



 「で何かあったの?」

 「ただのモーニングコールですよ。今日はほら、遅刻はマズいでしょ?」



 まさか毎朝起こしに行ってて、今日からいけなくなったらモーニングコールしろと言われたなんて言えない。



 「ほんと仲良いんだね。」

 「腐れ縁ってやつですよ。」



 とりあえず向こうが嫌がるまでモーニングコールは続けようと思っている。おっと、さっさと作るか。

 俺はパソコンを終了させ、台所に入る。流石にお弁当を持って行くのは荷物になるし、杏としても困るだろう。ここは持ち運びが楽で食べやすいサンドイッチでも作るか。



 「弟君、今日はお弁当っているの?」



 俺がさっさと作ってると音姉に聞かれる。オリエンテーションってのはそうそう変わるものでないから、お弁当がいらないことを知っているのだろう。



 「俺、燃費悪いんで。」



 まさか幼なじみのために作ってるんですなんて言えない。と言うか、俺ってどれだけ杏に尽くしてるんだろうな。その手のゲームだったら絶対落ちてると思う。



 「そっか〜。なら明日からのお弁当は人より多めに作ってあげる。」



 音姉は嬉しそうに笑う。お弁当か。茜がたまに作ってくれたな。杏はまぁ、そこそこだが、茜の腕前は本物だ。しかしいつも作ってもらうのはマズいよなぁ。頼むと喜んでくれるだろうけど、あまり負担になるようなことはさせたくない。



 「お弁当は一緒に作れるときだけでいいですよ。学食ってのも経験できるのは限られてるから。」

 「そっか。なら必要なときは言ってね。」

 「そのときはよろしく。」



 まぁ、明日からの昼食事情は今日のオリエンテーション次第って所だな。どうなるものか。そう思ってる間にさっさと作り終わった。



 「わぁ、美味しそう。」

 「食べてみます?」

 「でもさっき食べちゃったから。でも食べたい〜。」

 「そう言うと思って多めに作っといた。お昼にでも食べて。」



 さっさと先ほど見つけたバスケットに詰める。うん、女の子受けしそうな感じにできあがったぞ。杏のは一応俺のってなってるし、あまり凝ると向こうも困るだろうからラップで十分だろう。



 「ありがとう。」

 「喜んでもらえたなら嬉しいですよ。」



 ちょっと恥ずかしい。って思えば杏とか茜って俺がやること結構当たり前だと思ってる節あるから新鮮だ。



 「祐一、そろそろ行かないとやばいぞ。」



 もうそんな時間か。パッとエプロンを外して、置いてあった場所に戻し、置いてあった鞄を取る。



 「弟くん達、忘れ物ない?」

 「義之、どうだ?」

 「俺は大丈夫だぞ。お前は?」

 「昨日準備して、今日確認した。」



 忘れ物は結構多いタイプなので、確認はマメにしてる。



 「パソコンはあのままにして良いの?」

 「あっ、電源切ってるから部屋に戻してくれると嬉しい。」

 「分かった。二人ともハイキングだからって危ないことしちゃ駄目だよ。」



 結構時間が危ないみたいだが、音姉は随分と引き留めてくれる。



 「音姉、もう時間だから行くね。」



 義之が飛び出す。そんなに危ないのかと思ってみたら、確かに危ない。でもやっぱり心配してくれる人に何も言えないのは嫌だな。



 「音姉、ありがとうな。義之が危ないことしないように見るよ。」

 「弟君も危ないことしないようにね。」

 「分かってるって。それじゃ、行ってきます。」

 「は〜い、行ってらっしゃい。」



 初めて人に見送られて家を出る。家を出ると義之が時計を見ながら待っていた。



 「祐一、遅い!って何か嬉しいことでもあったのか?」

 「ん、何でだ?」

 「なんか随分と幸せそうな顔をしてるぞ。」



 そうか、顔に出るほど嬉しいのか。



 「何でもないよ。それよりどれくらいで走れば良いんだ?」

 「ほぼ全速力。俺について来いよ。」

 「了解。」



 義之が走り出し、俺は付いていく。少し冷たい風と桜の花びらが頬をなぞる。初めての道。これから通う通学路。景色は流れ、俺の気持ちが踊る。こういう世界があることを知らなかった。俺の知らない世界はまだまだたくさんある。



 「義之〜、こっちだよ〜。」

 「祐くん〜、こっち、こっち〜。」



 レースで言う最終コーナーを曲がると、二人の美少女、まぁ、月島と茜が待っていた。どうやら俺らは最後尾らしく、随分と視線が集まった。



 「お前ら、遅いぞ!」



 渉が賑やかな声を上げる。テンション高いな。まぁ、俺も高いんだけど。



 「ちょっと所用があってな。杏、お腹空いてるだろ?はい。」



 教師達がグループの人数確認に入り、リーダーである義之は教師の所に行った。そんな隙を突いて、杏にサンドイッチを渡す。



 「それ、何だ?」

 「私の朝食よ。」



 渉が聞くが、杏は短く答え、さっさと食べ始める。結構時間が掛かるかも知れない。とりあえず教師達にバレにくいように背の高い杉並を前に立たせた。



 「何だって雪村の朝食を祐一が?」



 そう言った疑問を浮かべるなってのは無理な話か。どうやって話したものか。



 「だって〜、祐くんは杏に甘くて今日もモーニングコールで起こしたんだもんねぇ。」

 「モーニングコール!」



 渉が大きな声を上げたので、とりあえず黙らせる意味で、腹に一発くれてやる。渉はあっという間に黙り込み、崩れた。



 「ばっかね〜。せっかく祐くんが杏を隠してるのに、大声上げたら祐くんが怒るに決まってるじゃない。」



 流石、茜は俺の真意に気付いている。もう教師達の話しが始まってる。そんな中、サンドイッチを食べてるのがバレたら怒られるに決まっている。せっかくの楽しい時間を潰すのは許さない。



 「お、お前、手加減しろよ。」

 「祐が手加減しなかったら今頃病院よ。己の浅はかさを猛省しなさい。」



 杏は食べ終わり、ホッと胸を撫で下ろしながら言った。相変わらず痛烈だな。



 「祐、ありがとう。美味しかったわ。」

 「そうか。飲み物、用意できなくて悪かったな。」

 「ううん、飲めないことを想定してたのでしょ?食べやすく作られた配慮。とっても嬉しいわ。」



 流石、杏。前に一度、教えたサンドイッチを覚えてたか。まぁ、時間があれば俺の飲み物を分けられたんだけど、そんな時間があるとも思えなかったからな。食べやすく作っておいて正解だった。



 「相沢くんって料理上手いんだね。」



 月島はあえて渉の話題を避けたのか、そっちに食いついた。よく見てみると、茜が渉を支えて、何か言っている。聞き取れないが、とりあえず茜がそんなことをしたから月島は安心して、そっちに食いついたのだと想像できる。



 「祐は男の子として育てられてないからね。」

 「えっ、え〜!」



 杏が唇に指を添えて言うときは大抵、わざと言い方を変えるときだ。勘違いしやすい言い方に杏をよく知らない人は焦る一方。



 「祐くん、お料理に洗濯にお裁縫まで得意なのよ〜。」

 「えっ、え〜。」



 茜の援護射撃に困ったかのように俺の顔をちらちら見る月島。トントンッと肩が叩かれる。そこには神妙な顔の渉がいる。



 「お前も苦労してるんだな。」

 「ふぁ、ファイトだよ。」



 急に哀れんできた二人に俺はため息をつく。



 「言っておくが、男の子として育てられてないって言う杏の言葉は全部が全部正解じゃない。家は男女関係なく、同じような育て方をするんだ。料理、洗濯に、学問に格闘技は相沢では必修。お菓子作りとか裁縫が得意だったり、好きだったりするのは幼なじみが女の子だった影響。別にお前らが思ってるような環境じゃない。」



 とりあえず誤解を解いておく。そうなのって感じの二人に杏と茜は取り合わない。好きなだけ言ってくれるな、本当に。



 「ほら乗り込め。」



 そうこうしてる間にバスへ乗り込む時間となった。オリエンテーションは学校からちょっと離れた山でやることになっている。時間としてはそれほど掛からない。



 「ねぇ、相沢くんって何で義之と一緒に来たの?」



 長かったら義之の隣にさせたのだろうが、短いから少しぐらい仲良くやっておけという配慮だったのか、隣の席は小恋だ。ちなみに月島と言ったら杏達に怒られた。何がいけないのかよく分からないが、今後はそう呼ぶことにした。



 「まぁ、小恋になら教えても良いか。あまり言わないで欲しいんだけど、祖父の遺言とやらで義之のところでお世話になることになったんだ。朝倉の遠い親戚だったとかって言い訳するんだろうけど。」



 まぁ、ざっと調べてた限り遠い親戚ではあるそうだ。学園長であるさくらさんも一枚噛んでるから問題はないだろう。



 「じゃあ、一緒に住んでるんだ。」

 「ああ、だから今度から義之の家に行くって言うのが気まずいときは俺の名前を出しても構わないからな。」

 「えっ、何で?」



 分からないのか、小恋よ。もしかしてこういう話が通じるのって茜とか杏ぐらいで普通は伝わらない物なのかも知れない。



 「分からないなら気にするな。そう言えば小恋って義之と長いんだろ?アイツって何か嫌いな食べ物とかある?」

 「義之はそう言うの全然ないよ。出された料理はみんな食べちゃう。」



 そうなると献立は楽だな。以後気を楽にしながら作っていこう。



 「それじゃあ、好きなものとかある?」

 「う〜ん、みんなが美味しいと思えるやつは好きかな?ああ、和菓子は好きみたい。よく持ち歩いてる。」



 和菓子が好きか。相変わらず趣味が渋いな。



 「そう言う相沢くんは嫌いな食べ物とか好きな食べ物ある?」

 「嫌いな食べ物は不味いものと、無駄に甘いもの。好きな物は美味しいものと、甘くないジャム。」

 「甘くないジャム?マーマレードとか?」

 「まぁ、近いかな。家に代々受け継がれてるらしい。常人にはマズくて食べられないって評判だ。」



 首を傾げる小恋。常人にはマズくて食べられないものが好きな食べ物に上がる矛盾が理解できないのだろう。俺だってアレが美味しいとは思えない。だが一口食べると広がる微妙な感覚。みんながあれをマズいと思って食べてしまうのはその微妙な感覚に知的好奇心が生まれるからだと言われている。

 微妙だからこそ気になってしまうツンデレ系の食べ物こそ、相沢家に代々受け継がれる「甘くないジャム」。ちなみに俺が受け継いだのはMinase Akiko ver.で、祖父が晩年まで研究し続けたレシピも残っている。受け継いだのもかなりの難度の代物だったが、きっと祖父が残した物はかなり改良が加えられているだろう。帰ったら作らないと。



 「ねぇ、相沢くんは杏や茜と一緒に遊んでたんだよね?」

 「毎日が毎日遊んでた訳じゃないぞ?俺は基本的に祖父にみっちり鍛えられてたんだ。」



 まぁ、そんな祖父だが茜や杏が来ると困った顔で俺を解放するのだから全くと言っていいほど遊んでいない訳ではなかった。だいたい、月五ぐらいで遊んでたな。



 「女の子と遊んでて楽しかった?」

 「ここだけの話し、杏も茜も女の子らしいことしてないから小恋の考えてる質問とは違ってると思うが、楽しかったぞ。」



 それは胸を張って言える。俺は茜と杏に出会えたことに心から感謝してる。



 「そっか。仲が良いんだね。」

 「まぁな。でも義之と小恋も仲良いじゃないか。」

 「私達は腐れ縁だもん。」

 「俺達はさぁ、本当にずっと一緒だったからあんな関係なんだと思ってる。小恋と義之は多分、俺達ほどずっと一緒じゃなかっただろうけど、でも小恋は義之のことを『義之』って呼んでる。思ってる以上に仲は深いんだよ。俺は『相沢くん』だしさ。」



 軽くウィンクする。途端、小恋の顔が真っ赤になる。気付かれないと思ってたんだろうか。バレバレだろ。



 「義之はありゃ、恐ろしく鈍感だけど、小恋のことは誰よりもよく知ってると思うよ。小恋のペースでゆっくり進めたら良い。何かあったら遠慮なく頼れよ。」



 そして俺は小恋の頭を撫でる。その心内を読まれたのが恥ずかしいのか、ここは真っ赤な顔で俯いている。



 「ありがとうね、祐一くん。」

 「礼なんて結構だ。俺は好き勝手やってるだけだ。」



 礼を言われると、恥ずかしくなってくる。ちょうどバスが止まり、逃げるように降りる。ポンッと肩が叩かれた。振り返るとそこに茜と杏がいた。



 「相変わらず察しは良いわね。」

 「人間関係、鬱陶しいとか言う癖にこういうのって得意だよねぇ。」



 やはり俺の思った通りだったのか。まぁ、この前カラオケで親しくなれなかった分ここで取り戻したと思えば良いか。



 「まぁ、強いて言うなら『嘗めるな。これでも相沢だ』....はいはい、読まれてますね。」



 この二人相手だと決まり文句さえ言わせてもらえない。はぁとため息をつくと、二人はさっさと小恋の所へ歩いていった。なんだか、素直に喜べないんだよなぁ。



 「祐一〜、担任が荷物持てってさ〜。」



 渉に呼ばれて、早速向かう。そこには結構重たそうな鞄4つ。



 「業者が忘れていった水らしいぜ。」

 「業者に届けさせろよ。」

 「なんでも業者はこの時期大忙しなんだってよ。」



 どこの業者が何故この時期に忙しいか問いつめたい気がするが、問いつめたところでこいつはなくならないだろう。はぁとため息をつく。ため息をついてるからまたつく羽目になったのだろうか。



 「おっ、重さに違いがあるみたいだぞ。俺、こいつ〜♪」

 「じゃあ、俺はこれ。」

 「では俺はこれを頂こう。」



 そして残った鞄。間違いなくこいつが一番重い。だって見た目、こいつが一番沈んでた。



 「祐一くん、荷物持とうか?」

 「大丈夫。鍛えてるから。」



 よいしょと持ち上げると、慣れ親しんだ重さ。ざっと18kgって所か。祖父が強制で体験入隊させた軍隊を思い出す。と言うか、これ絶対俺達に持たせるようなものじゃない。



 「ペットボトル3本か。こりゃ、結構重いな。」



 その渉の言葉に杉並も義之も同じような顔をしてるところを見ると、どうやら俺のだけが外れらしい。まぁ、教えると教えるで面倒ごとになりそうなのでこれでいいや。



 「ハイキングか。我らの目的地は何処だ?」



 ハイキング中、杉並が言った。



 「えっと頂上かな?」



 馬鹿正直に答えるのは天然の小恋。どうやら小恋は杉並の一石に気付いてないっぽい。



 「私達の目的地はロシアよ。そして冬将軍にやられて帰るの。」



 察しが良いのが杏。杏はナポレオンのロシア遠征を持ち出したか。



 「え〜、ここは八甲田山でしょ。『天は我らを見放した』って言うの〜。」

 「えっ、え〜!」



 全く意味が分からない小恋。それにしても茜は八甲田山を持ち出してきたか。マニアックだな。



 「敵は本能寺ってのはどうだ?」



 あえて戦国時代を持ち込む義之のセンスはなかなかだ。茜が持ち込もうとしたドラマがより鮮明に浮かぶ。



 「う〜、何を言ってるか分からないよ〜。」



 小恋が根を上げた。難しいことは言ってないんだけどな。とりあえず俺がフォローを入れておくか。



 「小恋、杉並は俺達にハイキングを題材として面白いこと言わせる。まぁ、笑点の大喜利みたいなことさ。それで杏はロシアに攻め込んで冬将軍に敗北したナポレオン軍で、茜は八甲田山で遭難した日本陸軍第8師団で、義之は本能寺を攻め落とした明智軍で例えたんだ。」

 「あっ、そう言うことか。」



 どうやら分かって頂けたらしい。良かった、良かった。



 「っで小恋の番よ。」

 「えっ、私?!じゃあ、えっと....。」

 「敵は鎌倉にありってのはどうだ?」



 小恋が言う前に渉が割り込んだ。悪くないが....。



 「義之に被ってるだけじゃなく、お題に不適切ね。」

 「新田義貞は鎌倉に攻め込んだ訳だし、実際言ったとは思えないもんねぇ〜。」



 渉の回答に案ずと茜がだめ出しする。まぁ、実際言ったかどうかに関しては「敵は本能寺にあり」ってもの怪しいらしいんだが、杏や茜はこれより悪いと判断したか。個人的には渉が新田義貞を出したことを評価してあげたい。



 「えっと....いざ、鎌倉へなんてどうかな?」



 小恋は何とか絞り出すように言った。鎌倉続きか。まぁ、慣れてない人はそう言うところから言って行くもんだろう。



 「趣旨が変わってしまうぞ、月島。いざ、鎌倉へは招集命令だ。」

 「ふみゅ〜。」



 小恋が杉並にだめ出しされ、へこむ。まぁ、着目点は良いと思う。これから頑張り次第だな。



 「っで落ちは祐ね。」

 「楽しみ〜。」



 無駄に盛り上げてくれる幼なじみ達。と言うか、難しいな。有名なのって使われてるし、マニアックなのは知らないメンバーがいる。くそっ、だからさっさと杏と茜はさっさと言ったのか。アイツら完全に俺を潰す気でいやがる。



 「さぁ、私の旗に付いてきてってのはどうだ?」



 何とか絞り出した物を言ってみる。首を傾げなかったのが杏と杉並だったところを見ると、かなりマニアックだったみたいだ。



 「ジャンヌダルクか。彼女は農民でありながらその高い使命感でフランスに勝利をもたらした。さしずめ俺達は一人の人間の使命感に連れられているって事か。」

 「言い得て妙な回答ね。時代考証が甘いけど、良い回答よ。」



 どうやら理解してくれた二人は高評価のようだ。



 「祐くん、マニアックすぎ〜。」

 「ええい、先に言って逃げたやつが言うな。だいたい、何で俺は台詞系なんだよ。もっと淡々としたの言いたかったぞ。」



 台詞系は時代考証を考えるとどうしても回答しづらい。ドラマは生まれるためポイントは高いと思うのだが、俺はそう言うのはポンポン出せるタイプではない。どちらかと言えば杏や茜同様、淡々としたのでポイントを稼ぐタイプだ。祖父には手堅すぎるって笑われるだろうが。



 「杉並としてはどうだったんだ?」

 「俺か?初音島炎上!珍獣を絶滅から救えだな。」

 「それ趣味?」

 「ムーは愛読書だ。」



 どうやら某番組の探検隊が杉並のイメージらしい。初音島は一年中桜が咲きっぱなしなので珍獣に一匹や二匹いてもおかしくない。しかしムーの愛読者が近くにいるとはな。家では常に物議を醸し出す一品だ。



 「でも何で大喜利なんだ?」



 そりゃ、もちろんな質問だ。俺達は祖父が好きだったから何度かやってたが、普通はやらないと思う。小恋とか渉なんて初めてだろう。



 「せっかくだ。イメージを聞いてみたかったのだ。大喜利は笑いのセンスを見抜くのに打って付けだ。」



 笑いのセンスが分かるかどうか知らないが教養を見抜くことは出来る。結構、物知りだな、みんな。



 「杉並的には誰に座布団?」

 「俺のイメージについて来られてのはいなかったが、各隊員は素晴らしいイメージを持っていた。」



 何が各隊員だ。杉並の頭の中では「隊長!」とか叫ばれてたりするのだろう。



 「中でも相沢は一番だ。教師達に踊らされてる俺達を的確に表現した。」

 「そうね。祐の回答はほぼ完璧だったわ。座布団1枚。」



 杉並と杏の言葉にお〜っと歓声が上がる。なんだか恥ずかしいな。



 「でもジャンヌダルクを出してくる辺り性格が分かるわね。よっ、このS。」

 「しつこいぞ、お前。」



 やたらしつこいネタなので、杏のおでこを弾く。杏が睨んだが知ったこっちゃない。



 「しっかし先頭はもう着いたんかねぇ。」



 渉がまだ長そうな先を見ながらぼやく。1組から上り始めると思いきや、担任が学年主任とかよく分からない理由で1組は最後尾をやっている。結構長い列となってる中、最前列と最後尾ではかなりの開きがあるだろう。



 「もう着いてると思うぞ。俺達だってあと数分だ。」



 そう言ったのは義之。後数分か。地獄のハイキングに比べれば大したことないのな。



 「それでさぁ、頂上着いたら『キャーッ!』えっ、え〜!。」



 突然の悲鳴。前の方からだ。何があったのだろうと見てみると、みんながみんな道から転げ落ちそうなぐらい避けている。何か落ちてきたか、何かが走ってきたのか。そう思って見てみるとでかいイノシシが走ってる。アレに引かれたら大怪我だろうな。最悪転落して死亡か。



 「おいお前ら、とりあえず精一杯避けろ。」



 時間的に余裕があるのでさっさと教え、全員が前と同じように道一杯に避ける。まぁ、向こうはパニクってるだけで特別敵意はない。目立った行動さえしなければ問題ない。

 そう思って安心したときだった。目の前で誰かが倒れようとしていた。

 倒れる先は道。倒れようとしてるのは小恋。倒れたら最後、イノシシに体当たりされ、大怪我になるのは必至。誰もがそんな姿を見届けてるだけ。俺ぐらいだろう。スローモーションで見てるやつは。頭の中でイノシシの位置を確認する。そして俺は瞬時に動き出す。