KanonをD.CU〜オリエンテーションの終わりは〜








 「それじゃあ、義之くん、祐一くん、またねぇ〜。」

 「またな。」



 ななか達と別れ、俺と義之は二人となった。オリエンテーションも無事終わり、夕焼けが桜を彩る道を俺達は一緒に帰っていった。


 「ただいま。」

 「お帰り、弟くん達。」



 家に帰ると音姉に迎えられる。思えばこういうのは初めてだ。



 「オリエンテーション、どうだった?」

 「後で話すよ。祐一が色々やったんだ。」



 さっきから義之はその話しばっかだ。よほど俺の生き方は笑い話らしい。



 「そっか、じゃあ、お茶用意しておくね。」

 「すぐ行く。」



 俺達は自分の部屋へと戻る。義之はすぐに行くと言ったが、俺は確認したいものがある。



 「骨に異常はないが、やはり無理が祟ってたか。」



 椅子に座り、足を確認してみるとかなり腫れていた。大イノシシぐらいで骨は逝かないと思ったが、時折痛みが走っていた。見れば怪我を認識し、杏達にバレるのは分かっていた。バレないように無理をしたのが決定打だったようだ。こりゃ、しばらくバレないように大人しくしないと駄目だな。

 医療ツールにあった塗り薬を塗り込む。これで腫れは半日ぐらいで引くはずだ。



 「これで良しっと。」



 試しに軽く床を蹴ってみると、痛みが走る。思った通り、怪我を認識したら一層痛みを感じる。今日は極力歩くのを止めよう。そう思いながらリビングに降りた。



 「祐一、遅かったな。ん、着替えたのか?」

 「汗くさい格好は悪いと思ってな。」



 ズボンの裾を広いものにしておけば、痛みが走って動きが変わってもごまかすことが出来る。着替えはあくまで怪我を隠すためのものだ。



 「弟くん、お茶を並べて。」

 「はいよ。」



 俺が座るとお茶が渡される。食事前だから本当に軽いものしかない。



 「それでどうだった?」



 興味深そうな音姉。



 「オリエンテーション自体は音姉から聞いてた通りだった。でも祐一がやってくれてさ。いきなり現れた大イノシシ蹴り飛ばしたんだ。」

 「えっ、えっ。」



 音姉も訳が分からないって顔してる。



 「だから大イノシシが襲ってきたんだけど、祐一が追い払ったんだ。」

 「え〜〜〜〜!」



 音姉の叫び声が家中に響き渡った。



 「何です、姉さん?」

 「どうしたんだい?」



 続々集まる家族達。話しが大きくなりそうな予感。



 「あっ、純一さん、聞いてください。祐一、大イノシシが襲いかかってきたと思ったらいきなり蹴り飛ばしたんですよ。そしてさっさと追い払ったんです。」

 「そりゃ、すごいね。」



 純一さんは楽しそうに笑う。もしかして祖父が同じようなことをやったのを見たことあるのかも知れない。茜と杏と同じで俺がやる事のほとんどを俺的には普通で考えられるようだ。



 「すごいね、じゃないよ!弟君、危ないことはしてはいけません!」



 音姉に怒られる。危ないことをしたとは思ってない。むしろあのまま何もしなければ小恋が大怪我をしていた。しなかったこととした後のことを考えれば、俺の怪我なんて軽いものだ。



 「でもなぁ、音姉。祐一は人助けのために飛び出したんだぞ?もし祐一が何もしなかったら女の子が一人大怪我したんだ。」



 流石に義之もフォローを入れないとマズいと思ったのだろう。ちょっと困ったような顔でフォローを入れた。



 「人助けであろうとそれで大怪我をしたら二次災害です!人助けも結構です。でもそのために自分を犠牲にしてって言うのは感心しません。」



 正論だ。反論する余地はない。だがこれで論破はされない。何故ならそこには俺の意志が感じられないからだ。

 全てにおいてそこにある意志を想定してないものは何の役にも立たない。あのときもし俺が何もしなければ、小恋は大怪我をしていた。もし俺があそこで何もしないと選択していたら俺は一生後悔した。確かにもしかしたら俺が思ってる以上に大イノシシが強くて、俺の力が及ばなかったかも知れない。そして音姉の言う通り、人助けした俺ごとというのもあったかも知れない。

 だがあえて言おう。あそこで見捨てるという選択肢なんてくそったれだ。俺は即見えた後悔より起きてしまった後悔を選ぶ。



 「弟君、もう危ないことはしないでね。」



 音姉が辛そうな顔で言ってくる。音姉の言ってることは分かる。そして音姉が本当に心配してるのも分かる。きっと俺が怪我をしてると言ったら、それこそ大慌てだろう。この人に心配は掛けたくない。でもどうしようもないのだ。俺の力は俺が後悔しないためにあるのだ。



 「駄目だ。俺は自分が後悔すると分かってることは出来ない。あのとき、もし俺が何もしなかったら小恋だけでなく、義之だって傷ついたかも知れない。それを見たら俺は絶対自分を許せない。許しちゃ行けないんだ。」

 「でもそれで弟君が怪我をしたら....。」

 「それでも駄目なんだ!怪我はすぐ治る。でも大きな後悔は一生消えない。自己犠牲とか、人助けとかそんなんじゃないんだ。ただ俺は俺を嫌いになるようなことだけはしたくないんだ。」



 自分を嫌ってしまったら最後、生きている意味がなくなってしまう。それだけは絶対したくない。してはいけない。

 俺の言葉で場が沈黙した。俺が沈黙させたんだからフォローを入れないと。でもなんて言ったら良いんだろう。



 「ちゃんと勝算はあったのかい?」

 「お祖父ちゃん!」



 純一さんが聞いた。音姉はまだ怒ってる。



 「勝算はありました。大イノシシは完全に倒れようとしてた子を目標としてましたので、側面からの攻撃には対応できるとは考えられませんでした。不意打ちであれば、たかが100kgの大イノシシの戦意を喪失させるだけの蹴りを当てられることは出来ました。」



 欲を言えばあのとき踵から入りたかったのだが、間に合うかを天秤に掛ければああやって蹴る以外他なかった。それでも間違いなく最善の一手だと確信している。



 「もし大イノシシが本気になった場合、どうしたつもりだったんだい?」

 「踵で目をえぐり、動揺したところで谷側にたたき落とすつもりでした。ウェイト、力共に向こうが勝っているのは初手で分かり得た情報でしたので、真っ正面からやるつもりはありません。」



 それでも状況が状況ならば戦うことも選択する。それが俺という人間だ。



 「なら今度からはもう少し穏便にしてくれ。音姫はお気に召さないようだから。」

 「分かりました。」



 純一さんがそう言うのならそれに沿うことにしよう。流石の俺も右足をこんなに腫らしたようなことを続けたくない。



 「お祖父ちゃん!」



 音姉は怒ってる。普通考えれば、年長者である純一が真っ先に止めなくてはならないことだろう。



 「音姫、祐一君になんて言ったところで無駄だよ。俺の知ってる祐一もそうだった。後悔しないために力が必要だって。音姫も実際見てみたらそんなに危険とは思わないかも知れない。随分と考えての行動だったからね。」



 そうか、祖父もそうだったのか。詳しく聞いてないが、祖父が学者になったのは女の子一人助けられなかったかららしい。たった一つの後悔が祖父を鬼才とまで言われる人間とした。その後悔の大きさは俺の考えが及ぶところではないだろう。



 「大丈夫だよ、音姉。俺、見てたけど祐一は自分に出来たことをしただけだった。危ないって分かってることはしてないはずだ。」



 いや、危ないって認識はあるのだが、とりあえずこのフォローに感謝しよう。さてとここまで心配掛けさせてるんだ。ちゃんと責任は取らないと。



 「ゴメン、音姉。俺さぁ、多分周りの人のこと考えないで自分勝手生きてるんだと思う。でも信じて欲しい。俺は絶対大丈夫。心配しないで。」

 「う、うん。」



 俺に押される形で、音姉は納得する。純一さんがウィンクする。あの人は何でもありだな。これが祖父の親友って事なのか。



 「でもお姉ちゃんが危ないと思ったときは止めますからね。」

 「分かった。」



 俺を止める止めないはその人の自由だ。ただ俺を止められるとは思わない。でも心にとどめておこう。こんな俺を心配してくれる人がいると言うことを。



 「っでさぁ、祐一ってそれだけじゃないんだぜ。」



 義之が話を変える。それからは仲良く話すこととなった。








 「兄さん、無視しないでください。」



 そう言って俺は由夢に止められた。そうか、兄さんって俺のことか。さっきから随分と呼ばれてたのは俺だったのか。



 「悪い。義之が呼ばれてると思ってた。」

 「気をつけてください。」



 ちなみにどうやって気をつければ大丈夫なのか教えて欲しい。義之は聞き間違いをしてないようだから、今度違いを聞いてみようか。



 「っで何だ?」

 「やや、姉さんは気付いてなかったみたいだから私が兄さんの怪我の具合見ておこうと思いまして。」



 そう言って見せられる救急箱。そんな馬鹿な。過保護な音姉すらごまかしてるのに面倒くさがり屋の由夢に見抜かれてたなんて。



 「な、なんのことだろうな〜。」

 「はぁ、何で姉さんも兄さんも気付かないんだろう。隠しておいてあげますからさっさと見せてください。」

 「はい。」



 意外と俺も人を見る目がないんだなぁと思いながら由夢を自分の部屋へと入れる。リビングなんかでやっていたら意味がない。



 「何もないですね。」



 由夢は少し興味深そうに俺の部屋を見渡す。まだここに来て間もないからと言うのもあるが、恐らく義之のような部屋にはならないだろう。



 「向こうでも本とパソコンぐらいしかないよ。汚いより良いんじゃないか?」

 「そうですね。汚いと姉さんに怒られますし。」



 由夢も義之も相当怒られてるんだろう。でもそれぐらいであった方が暖かみがあって良いと思うけどな。



 「じゃあ、見せてください。」

 「はいはい。」



 諦めたように俺はズボンの裾をめくる。先ほどより少しは腫れが収まったように見えるが、かなり腫れてる。



 「うわぁ、結構痛そうですね。」



 由夢に触られ、ビクッと足が動いた。腫れてるのでそっと触られると痛みが走る。



 「ごめんなさい。」

 「いや、大丈夫だから。」



 説得力はないだろうが、とりあえず触っては欲しくないな。



 「本当にイノシシ蹴ったんですね。あれ結構嘘っぽかったですよ?」

 「だろうな。ちなみに蹴ったイノシシは100kgを超える大イノシシ。常人だったら蹴りきることも不可能。まして骨は逝かれただろうな。」



 それはちょっとした自慢。でもそんな俺の自慢に由夢はため息をつく。



 「あの場でも言い足りないなかったって感じですね。よく言い止まりましたね。」

 「心配されてるのは分かってたから。自分勝手生きているからこそ、踏みとどまらないとならないところを見極めないとな。」



 とりあえずそう学んだ。でも由夢はそんな俺の言葉にため息をついた。



 「天才と何かは紙一重ってやつですね。お願いですからかったるいことは止めてくださいよ。」



 そう言って由夢は救急箱から湿布を取り出して、俺の足へと当てた。冷たい感触と痛みが引く感触。この感触、まさか....。



 「やはり相沢印。」



 湿布の入ってた袋に輝く相沢の文字。相沢謹製の湿布薬だけじゃない。よく見たら救急箱に入ってるの全部相沢印だ。



 「あっ、これお祖父ちゃんが貰ってくるんです。すごく評判良いですよ。」



 そりゃ、みんなが互いにデータを出し合い、作っている相沢印だ。ちなみに薬だけでなく、身近な装飾品、パソコン、通信端末などもある。




 「相沢印は相沢一家謹製だ。俺もよく使ってる。」

 「こんなところで兄さんとの繋がりがあったんですね。あっ、動かないでください。包帯巻きますから。」



 由夢が綺麗に包帯を巻いていく。意外、と言ったら失礼なのかも知れないが上手い。全てが終わったとき、綺麗に固定されていて、動きやすい。これなら日常生活に支障を来すことはないかも知れない。



 「ありがとう。」

 「やや、当然のことしただけですから。」



 由夢は少し恥ずかしそうに手早く救急箱を片していく。



 「じゃあ、何かお礼をしないとな。」

 「別にそんなつもりでやった訳じゃ....。」

 「そうだろうけど、じゃあ、こうしよう。俺が明日朝ご飯を作るから、由夢の好きなのにしてやるぞ。」



 微妙と言われるかも知れないが、誠意は示しておきたい。でも由夢もまんざらじゃないようで、結構考えてる。



 「じゃあ、姉さんが言ってたサンドイッチ作ってください。」

 「了解。腕によりを掛けて作ろう。」



 サンドイッチが食べたいなんてやっぱ由夢も女の子だな。食べやすくて栄養のあるのを作ろう。もちろん、今日作ったのと同じのも作っておこう。好みってのは色々あるから、選択肢は色々用意するべきだ。



 「じゃ、私帰りますから。」

 「ありがとうな、由夢。」

 「おやすみなさい。」



 少し恥ずかしそうに由夢は出て行った。由夢も由夢でお節介、いや優しいところがあるんだな。そっと包帯を触ってみる。こうやって誰かにやって貰った事なんて一度もない。怪我をしたら誰かに気付かれる前に処置しろ。祖父は俺にそう教えている。だが人にやって貰えると幸せになれる。



 「あんまり初めてに喜ぶのもどうかと思うけどな。」



 そう思いながら俺はパソコンを起動する。画面の先にいる人たちは俺の変化に気づきはしないだろう。だが間違いなく俺は前へ進んでいる。そんな気がしてならなかった。