KanonをD.CU〜月日は流れて〜
時が変われば全ては変わる。何の変哲もない砂鉄が名刀となることもあれば、名刀が風雨にさらされ、鉄くずになることもある。良くも悪くも時は全てを変えていく。それは俺とて例外ではない。
「どうした、相沢博士。」
画面の先の博士が聞いてきた。博士という人種では珍しくぶっきらぼうなしゃべり方で、個人的には好感を持っている。彼は最近一番のパートナーだ。
「時が自分を変えたと思っただけだよ。たった数年で人は変わる。」
「ああ、そう言えば相沢博士は飛び級すると言われていたのだな。相沢一の実力を持つ博士が学校に通うと聞いたときは正気を疑ったものだ。」
そう思う人間も多いだろうな。だが俺からすればそれは変わった内にならない。元々学校には通うつもりでいたのだから。
「学校は案外楽しいよ。そう言えば最近先生に寝ててもバレないような画期的な寝方を開発したんだ。教えようか?」
「誰から隠れて寝ないと行けないんだよ。」
「そりゃ、上司とかかな?」
「ここでは私がトップだよ。あまり社会では役に立たないな。」
「そっか。家の学校では大評判だったんだが。」
まぁ、その所為であと少しすればバレるようになるだろう。そうしたらまた違う方法を考えないとな。
「そう言えば、今年で付属を卒業するのだろ?どうだろう。知り合いの大学に行かないか?最前線で活躍する君のことだ。一年ぐらいで卒業させてもらえるぞ。」
「そりゃ、特別待遇だ。じっくり考えるよ。」
「そうか。」
博士の顔が曇る。こういった時点で望みが薄いことを察したのだろう。
「そんな顔しないでくれ。最近はちゃんと活動してるじゃないか。データ取りは上手くいってるんだろ?」
「ああ、だがやはり君がいた方が効率的だろ?君の方法は時折私でも意味が分からない。」
「勉強不足だぞ、博士。次の長期休暇中に暇が出来れば顔を出す。それまでに『弟君、朝だよ!』悪い、また後で!」
聞き慣れた声にパソコンを終了させるが....間に合わなかった。振り返ると笑顔の音姉が立っている。一足遅かったか。
「弟君、こんな時間まで何やってたのかな?」
笑顔が怖いと知ったのはこっちに来てからだ。杏や茜に怒るときに笑われてる方が怖いと言われた理由がよく分かる。正直、心の底が萎縮されていくのが分かる。
「えっと....宿題?」
「宿題じゃないでしょ!」
音姉の声が部屋いっぱいに響き渡る。ちなみにではあるがここは朝倉邸ではなくその隣にある芳野邸。義之がここに引っ越すというので、俺もこっちに引っ越すことになった。まぁ、これはこんなところに音姉がそうそう来ることはないと言う言い訳なんだが。
「最近話題になってるんだよ?相沢祐一が大人しすぎるって。授業中、寝てるんでしょ!」
す、鋭い。授業、特に歴史系の話しなんだが、教科書が随分と古くさいので教師によく質問するのだ。それが結構教師達の悩みの種らしく、三馬鹿と付き合ってることも相まって、悪評が響き渡ってるらしいのだ。当然、その悪評は生徒会長である音姉の所まで届くものであって、今回は大人しすぎたのが災いと成してこんな結果になったようだ。
「こ、この時期はデータ出しの最盛期なんだよ。ほら俺ってデータの出し方は神がかってるし。」
「言い訳しない!ちょっと正座しなさい!」
「はい。」
音姉に言われるまま正座する。ここで逆らうと後で怖いのだ。
「弟君がみんなに頼られてるのは分かります。弟君は頭が良いし、頼りがいがあるし、何より機転が利きます。」
音姉の説教は持ち上げるところから始まる。これは音姉が本気で心配している現れである。
「でも何でもひょいひょい受けるのが悪い癖だよ。」
「いやちょっと待って。俺はそんなに軽い気持ちで...。」
「待ちません!いい?弟君は自分の知らないことたくさん知りたいんだろうけど、体は一つしかないんだよ?時間が足りないからと言って寝る時間を割いてたら、それこそ体を壊しちゃうんだよ?」
ええ、それで何度体を壊して、お世話になったか分かりませんね。
でもやっぱりやりたいんだよな。さっきの研究だって頼まれなかったらこっちから頼もうと思ってたものだし、学校でのこともやりたいと思ったからやってることだ。学生時代は短いんだから好きなことをやったらいいってよく言うじゃないか。俺はある意味それを忠実に守ってるんだ。
「っでいつからパソコンの前にいたの?」
説教が一時中断され、追求が始まる。ここ最近は嘘が通じないので、正直に話すようにしてる。
「音姉達と別れてからずっと。」
「私達から別れてからずっと?えっと....。」
音姉が困った顔で指を折る。ちょっと想定してなかっただけに多分頭が回らないんだと思う。
「約10時間ほど。」
「やりすぎです!」
怒鳴られる。いつもの倍を軽く超えてる。常日頃怒られているのだから、倍は当然怒鳴られるレベルだ。
「弟君は人の倍以上頭を使ってるんだからたくさん寝ないと駄目でしょ!」
だから最近は授業中寝てます、とか言ったら説教時間が延びるんだろうな。ここだけは絶対言わないと心に決める。
「全部仕事?」
「最初の2、3時間は茜と杏と喋って、その後杉並とムーの新刊について議論して、それと並行して、まゆきさんに宿題の解き方を教えて。」
「まゆきも!」
「ほら音姉も困ってた問題あっただろ?あれ、まゆきさん全然分からなかったみたいで、泣きつかれたんだ。時間帯的に音姉寝てたし、俺、その問題分かったしで、教えたんだ。」
なんだかんだ言って難しいだろうなぁと思ってた学校の問題も今では難なく出来てる。おかげで難しい宿題が出されたり、テストが近づいたりするとすぐ頼られる。まぁ、分からない人を教えるのも色々な発見があるから好きなんだけどな。
「まゆき〜、弟君が夜遅くに頼み事なんてして〜。」
あっ、そう言えばこれって教えちゃマズかったんだっけ。でも隠し通せるとは思えなかったし、問題ないか。
「そう言えば音姉はあれ大丈夫だったの?」
「私?大丈夫だよ。ちゃんと勉強してるもん。」
音姉が比較的小さい胸を精一杯張る。こうやって胸を張るところは子供っぽいよな。まぁ、胸も子供っぽいんだけど。
「そっか。音姉はやっぱりすごいな。」
「や、急に褒めないでよ。当たり前のことだよ。」
褒めるとすぐ赤くなるところは子供っぽいと言うより可愛らしい。俺はこんな音姉が大好きだった。
「そ・れ・よ・り、自分の好き勝手やるのも良いですけど、ちゃんと体調管理はしなさい。分かった?」
「分かったよ、音姉。」
「よろしい。それじゃあ、ずっと起きてて大変だったでしょ?甘いカフェオレでも飲んで、シャワー浴びておいで。」
「分かった。」
音姉に言われるまま、居間に行って用意されていた甘いカフェオレを飲み干す。甘いカフェオレ、通称甘いシリーズの第一号は日常的に難しいことを考えてカロリーが足りないという俺のために作られた音姉の自信作だ。栄養価が高く且つ吸収力が高いというダイエットに勤しむ女の子が真っ青の品だ。ちなみに甘いと名が付いているが、全てが全て甘いものという訳ではなく、第一号である甘いカフェオレもそこらのカフェより甘さ抑えめに仕上がってる。これがあるおかげで俺も一日中仕事のこととか考えることが出来る。
「ごちそうさま。」
甘いカフェオレを飲んで浴室に向かう。シャワーを浴びて、大きく息を吐く。
音姉が心配するのも分かる。こうやってシャワーを浴びると、疲れを感じる。ここに来てから高い集中力がさらに高くなってる。元々高い集中力による弊害は目に余るものであったが、さらに高まった集中力による弊害はさらに大きくなっている。ちょっと前までだったらたかだか10時間程度パソコンに付きっきりぐらいでこんなに疲れを感じることはなかった。
「弟君、制服置いておくよ。」
「ありがとう。」
音姉が来たのも気づけなかった。音姉の言う通り体を労ろう。そう思いながらシャワーを出た。
「ほら、弟君、髪はちゃんとドライヤー掛けてくる。」
シャワーを出て、朝ご飯でも食べようと思うと再び戻される。髪ぐらい濡らしてたところで風邪は引かないよ。そう思いながらも先ほど体を労ろうと思ったため念入りに乾かす。ここまで来ると逆に手を着けないのも勿体ないと思い、ワックスに手を伸ばす。そしていつもしてないセットなんかしてみた。
「おっ、珍しいな。」
居間に向かうところで義之と出会す。こっちはこっちでお前がこんな時間に起きてる方に驚きだよ。
「まぁ、音姉に髪をしっかり乾かせって言われて乾かしてたらせっかくだと思ってな。どう思う?」
「少しは男っぽいぞ。」
「どんな褒め方だよ。」
月日は経ったが、俺は未だに女顔言われてる。義之は随分と男らしくなったんだが、何故に俺は未だに成長しないんだろうな。夜更かししてるからか?
「それはそうとお前も随分と早起きだな。どうした?」
「昨日は早く寝たからな。でもそう言うお前こそこの時間にシャワーを浴びるなんて珍しいな。ロードワークでもしてきたのか?」
一応、体が衰えない程度に週四ぐらいでロードワークをしている。今日はロードワークの日ではないので、いつもよりゆっくり起きる日であり、シャワーを浴びるのはもう少し遅い。
「昨日、色々たてつづいてさ。気が付いたら朝になってた。」
「だからなんか音姉の声が聞こえたのか。あまり怒らせるなよ。」
迷惑を度合いで考えれば、義之の方が迷惑を掛けてるのだが、義之は良い子ちゃんなので、怒られるようなことはない。それに比べ、俺は悪い子ちゃんらしく、日常的に怒られてる。怒られると言うことは幸せなことなんだぞ、とか言ったらきっと馬鹿にされるんだろうな。
「了解、義之。」
「お前、本当に分かってるのか?だいたい、お前は....。」
義之からも説教される。俺という人間は人にばっか怒られてる。
「兄さん達、おはよう。」
食事をしてると由夢がやってきた。時計を見てみるまだ時間はある。でもあまりに珍しいことなので、音姉と義之は逆に時間がないと思ったようで鞄を手に取っていた。人間、混乱すると変な行動をするものだ。
「おはよう、由夢。コーヒー、いるか?」
「お願いします。」
由夢はだらしない顔で席に着く。そのときになって漸く二人は落ち着きを取り戻した。
「はい、コーヒー。」
「ありがとう、兄さん。あれ、ミルクは?」
「一口で良いからブラックで飲め。頭がはっきりするから。」
「は〜い。」
由夢は俺に言われた通り、一口飲む。するとちょっと苦めのコーヒーが口いっぱいに広がったのか、眉を細めた。
「相変わらず、お子様な味覚だな。」
「どうせ私はお子様ですよ〜だ。」
由夢は可愛く舌を出して、俺からミルクを受け取る。家ではかったるいとか言って何もやらない癖に、コーヒーにはミルクとか惜しまないんだから不思議なやつだ。
「わっ、今日は勢揃いだね。」
それはこちらの台詞ですよ、さくらさん。
「さくらさん、朝はおはようですよ?」
「あっ、ごめ〜ん。おはよう、みんな。」
さくらさんの挨拶に俺達は答える。そして音姉はさくらさんに朝食を並べた。
「ありがとう、音姫ちゃん。いっただきま〜す。」
さくらさんは美味しそうに食べ出す。この人を見てると本当に幸せになるなぁ。
「ん?」
ふと端末が鳴り出す。何だろうと手に取ってみると予定が差し迫ってるアラームだ。
「今日は日直か。」
そう言えば今日は日直だった。だからいつもより早く出ないとならないんだった。
「あれ、弟君、もう行くの?」
「日直なんだ。」
「へぇ〜、じゃあ、ちょっと待ってて。」
時間は少しだけ余裕があるので、言われた通り待つ。すると音姉が何かの包みを持って戻ってきた。
「弟君、あれじゃ全然足りてないでしょ?サンドイッチ。」
「音姉、ありがとう。」
流石、音姉。何を食べてたかまでよく見てる。ありがたくいただこう。
「じゃあ、行ってきます。」
「いってらっしゃい。」
音姉に送り出されて、家を出る。
「祐一く〜ん。」
この声は小恋か。そう思って振り返ると、小恋だけでなくななかもいる。ただななかはまだ寝ぼけているのか、大きくあくびをしたりして俺に気付いてないみたいだ。
「おはよう、小恋。」
「おはよう、祐一くん。ほら〜、ななか、祐一くんだよ〜。」
「祐一君、おはよ〜。」
ななかは未だに寝ぼけてる。朝が弱いと何度か聞いていたが、ここまで弱いとは思わなかったな。
と言うか何故にななか?小恋は同じ日直だからだけど。
「ななかも日直なんだってさ。昨日いきなり一緒に行こうって言われたのにこんな感じ。」
そりゃ、あんまりだな。仕方ない。ここは起こしてやるか。
チャンネルをずらす。ここ数年、地道に特訓を重ねた結果、少しずつではあるが言霊としての力を強くすることが出来た。もちろん、軽い暗示ぐらいで、洗脳とかそう言うことは出来ない。ただ感情とかを左右させたり、人間以外の生物に自分の意志を伝えたり出来る。またこの感覚は聴覚にも及んでるようで、人以外の微妙な意志が理解できたりなった。まぁ、便利な力だ。
ななかの額にそっと指を置く。こうすることで言霊が強くなるらしい。まぁ、動物たちが言ってたことなので怪しいと言えば怪しいのだが。
「ななか、起きなさい。」
それは優しさなんて全くないほどの厳しさを込めての言葉。逆らったらどうなるか分からない。そんな恐怖の感じ方は人それぞれだが、ななかはビクッとしながら起きあがり、本能的に小恋から遠ざかっていた。
普段活発だけど、恐がりなんだよな。起こさないとと言う親切心からの行動が徒となってるっぽいな。仕方ない。責任は全うしないと。再び意志を固める。
「ななか、怒ってないからさっさと行くぞ。」
気にするなと言う意志を伝える。ななかは何か勘違いしてたと思ったのだろう、あははと笑いながら歩き出した。そして俺達は歩き出す。
「おはよ〜。」
「おはよう。随分と眠たいみたいだな。夜更かしか?」
「あはは、昨日宿題に時間掛かっちゃって寝るのが遅かったんだ。」
宿題か。そう言えば俺達にも宿題出てたような出てなかったような。
「理科でしょ?先生、好きだよねぇ。」
小恋は真面目だからな。あんなのネットで調べれば簡単に分かるのに、教科書と地力で何とかするから時間掛かるし、頭が痛いのだ。かくいう俺はネットというか、相沢データバンクに検索を掛ければほとんど分かる。理科など得意中の得意だ。
「私も昨日大変だったよ。ななかじゃないけど、もう少し眠ってたかったなぁ。」
小恋もそう言って大きくあくびをする。おいおい、年頃の女の子が異性の前で大きくあくびをするな。ただでさえお前は人気があるんだから、そう言うのやって五月蠅くなる馬鹿も多いんだよ。
「祐一君、日直終わったら見せてよ。」
「何をだ?」
「だから理科の宿題。今回のは自信ないんだよ。」
自信ないのはいつもだろ。意外と何でもそつなくこなすんだから自信を持ってやれと言いたい。
っとそんなのは置いておいて宿題があったのか。ちょっと思い当たる節を探してみる。なんだかんだ言って、俺は宿題を提出された日にやってる。ビビる前に確認しよう。
「それっていつ出された?」
「昨日。時間さえ掛ければ出来るものだから早いんだってさ。」
昨日のことを覚えてないってのはどうなんだろう。とりあえずやっていないので、内容を確認してみる。例えやっていなくとも端末には記録されてる。今回のこともはっきりと書かれていた。
「なぁ、これって出さないとマズいか?」
「出さないのはマズいよ。放課後付きっきりでやらされるんだよ?」
そりゃ、地獄だ。まぁ、理科が昼休み後にあるのが幸いだ。時間はたっぷりある。
「っとそれじゃあ、さっさと手を着けますか。」
鞄をあさり、グローブキーボードとアイディプレイを取り出し、端末に接続する。こういう時、何でも歩きながら出来るように育てられたことに感謝せずにはいられない。
「もしかしてやってない口?」
それがななかからではなく、渉だったら投げ飛ばしてやるところだろう。ぐっと堪える。
「まさかのまさかだな。全然覚えてなかった。」
時折ポンッと抜けるのが玉に瑕だ。しかしまぁ、宿題としては大したものじゃない。所詮、切り貼りだな。
「時折忘れてるよね。」
「思春期の男の子は色々いっぱいいっぱいなんだよ。あっ、でもこの調子なら日直の仕事前に終わるな。」
全ては相沢データベースの優秀性のおかげ。と言うか、叔父さん、叔母さん、どれだけ宿題に困ってるんだよ。充実しすぎだ。
「わっ、祐一君、早いね。」
「叔父と叔母がいかに宿題嫌いだったか分かるもんだな。似たような宿題、ばっかある。」
おかげで今回の宿題は今まで以上に早い。羨ましがるなよ。相沢であることで被る被害はこんなのじゃ帳尻合わせできないんだから。
「ほら見なさい。今頃慌ててやってるわ。」
学校に入る直前で、杏と茜に出会う。杏の圧倒的余裕の笑みから、これが仕組まれたものであったことが伺える。そうか、なんかやたら昨日長引かせたと思ったらこれのためか。あくどいこと、この上ない。
「あっ、杏、茜、おはよう。」
小恋とななかは何も知らないので、二人に挨拶する。だが茜と杏はしきりにこっちを見てる。くそっ、完全にしてやられた。
「祐、おはようは?」
人を嵌めといて白々しい。だが突っ込んだら完全な負けを認める他ならない。もはやこちらが敗北してることは明白であるが、完全な負けは後々に多大な影響を与える。ここはこみ上げる敗北感を押さえ込み、接していこう。
「おはよう、杏、茜。宿題の方はどうだ?」
仕掛けてくる前に仕掛ける。俺はデータベースのおかげで、後すぐで終わるが少なくとも簡単に終わるものではなかった。あいつらにだってそんな時間なかったはずだ。
「宿題なら杏といっしょで完璧。ドンッと来いって感じよ〜。」
そう言って茜はニヤニヤ笑ってる。俺とチャットをしてる間にこそこそやってた訳か。俺も作業中でなかったら怪しさに気付いてただろうに。完全に油断してたな。
「してやられたって感じ?」
杏は小恋と仲良くお喋りし、茜は俺の所にやってきた。恐らく発案、実行は杏だろうな。
「してやられたよ。今日は朝から音姉に怒られたりして最悪だ。」
「もしかして徹夜?」
「昨日も言ったが仕事が溜まっててな。お前らとチャットして、杉並とチャットして、先輩とチャットして、先方とチャットしてたら、いつの間にか朝。そうしたら今日に限って音姉が俺の部屋まで来てさ。朝からお説教だよ。」
そして今に続く。とりあえず最悪と言っておくのが一般的な感覚だろう。
「本当はこっそり教えようかなぁって思ったんだけど、杏がノリノリでさぁ。今回、杏がうまいことやってたから、きっと大丈夫だと思って。」
基本的に俺達の会話は会話をした中での秘密を重視する。例えば俺があれほどまでに完全な敗北を気にしてたのに茜に言ったのは、茜がこのことを杏に伝えないからであり、茜が杏がノリノリだった経緯を教えないのはそれが杏と茜との会話だったからだ。
「何にせよ、杏にはしてやられたよ。どっちが上か教えてやらないとな。」
相沢として、男として、そして唯一対抗できる人間として、反撃を心に決める。そうは言ったところで何も策がないのがきっと駄目駄目だ。
「祐くん、は頑張るねぇ。いい加減、してやられてればいいのに。」
「勘弁してくれ。それに俺は杏をしっかり教育して、無事結婚まで面倒見るって決めてるんだ。」
「相変わらず、お父さんみたいねぇ。思春期の女の子相手に手痛い目に遭ってる感じ?」
俺は杏を任された。だから杏の側にいたし、杏が幸せになれるように努力している。それで反発されるのは仕方のないことだ。所詮、俺は他人で、しかも大人ですらないのだから。
「親の苦労、子知らずだよ。まぁ、親の苦労、子に知らせずでもある。」
「まっ、知らないのは祐くんもだろうけど。」
「何の話しだ?」
「秘密。」
この話題になると茜は必ず答えず、俺の唇に指を添える。こうなると何も言えない。茜にはそんな不思議な力があった。
「祐一くん、宿題が忙しいんなら私だけでも良いよ?」
「そのために私達がいるのだからね。」
なら嵌めるなと言いたかったが、朝が壊滅的に弱い杏がこんなに早起きしてたのだから言いづらいところはあった。それにこれが一番なのであるが....
「気にするな。もう終わってる。」
俺の言葉にみんなが目を丸くする。教室には数人が俺と同じように、もしくは全く手が着けられず、苦労してるが、俺はそんなのを圧倒的な速さで追い抜き、終わったというのだ。
「嘘は良くないわよ。」
「この程度で嘘をつくか。今回の宿題は一家の誰かが同じようなのやってたから比較的簡単だったんだよ。後はこっそり印刷するだけ。」
それもよくお世話になってる保健室当たりに行けばすぐに終わるだろう。実質、もう終わったのだ。
「早すぎるよ。」
そんな小恋の言いぶりに俺は笑みを隠せない。この手は最大級の褒め言葉だ。
「それこそが相沢祐一という男だからな。」
相沢だからとは言わない。何故なら俺は相沢の期待とは別の道を歩いているから。あくまで相沢祐一と言う個人の力。俺は俺を誇れるような人間でありたいと思っている。
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