KanonをD.CU〜姉と妹と先輩〜





 昼休みは俺にとって掛け替えのない時間だ。今日のように授業中寝てばかりであれば計画的な水分補給を取れるチャンスで、起きていたならば頭脳労働による栄養補給など、兎に角腹ごなしは大切だ。



 「祐、行くわよ。」



 杏から学食へのお呼びが掛かる。俺は杏のように学食派ではなく、時たまお弁当派だったりするのだが、ほぼ強制だったりする。ただ断る理由もないし、今は同じクラスだが違うクラスだったときの友達とも集まれると言うことで、断ったことはほとんどない。



 「分かった。茜。」

 「はいは〜い。」



 近くで忙しそうに片づけてる茜も呼ぶ。いつも一緒だが、声を掛けるのが俺達の暗黙の了解だった。



 「弟君、いるか〜!」



 さてさっさと行くぞと仲間を集めてると教室に一際明るいはっきりとした声が響いた。教室が少し騒がしくなる。この学校で「弟君」なんて呼ぶ人は二人しかいない。



 「義之、杉並に何か誘われたなら誘っておけよ。」

 「お、俺か?絶対お前だって!」



 弟と呼ばれる俺達は互いに言い合う。まゆきさんが俺達に会いに来るときは大抵杉並絡みの話しだ。杉並はまゆきさんと音姉が所属する生徒会と敵対関係である非公式新聞部に所属しており、常に学校生活に彩りをと言う目的で色んな問題を起こしている。それに俺達は結構絡んでいて、杉並、渉、義之は三馬鹿と呼ばれていて、俺は何故か別格扱いの阿呆鳥と呼ばれている。別格なのは三馬鹿と違って、学校に貢献しているからと言うが、だからと言って阿呆鳥って何さ。誰だよ、名付け親。



 「おっ、いたいた。」



 そう言って捕まれたのは俺の腕。ちょっと待て。俺は思い当たる節はないぞ。



 「杉並。」

 「いいや、俺は何もやってない。」



 杏が杉並に聞くが、杉並は何もやってないという。それは疑わしいことであるが、少なくとも俺は何もやってない。杏が少し不機嫌そうだ。これ以上待たせると、何かやられるっぽいな。



 「捕まえた。これから暇でしょ?暇だよね?」



 まゆきさんが顔を近づけながら言う。前々から気付いてたけど、まゆきさんって綺麗な顔してるよな。大人気の音姉の影に隠れてるからかみんな話題にもしないけど、竹の割ったような性格は付き合って気持ちいいし、女性らしい繊細なところもあるし、後輩思いの良い先輩だ。もっと評価されても良いよな。



 「っ!」



 不意に痛みが走る。よく見てみると杏が見えないようにつねってる。とにかくさっさと話を進めろと目が言っていた。



 「えっと...俺、これからお昼なんですけど?」

 「そんなの分かってるわよ。それだけなら行くよ!」



 ぐいぐいと引っ張られる。振り払うとめんどうごとになりそうなので、このままでいいや。



 「悪い、みんな。俺の分もうまいもん食ってくれ。」

 「祐くん、死なないでねぇ〜。」



 茜が送り出す。物騒なことは縁起が悪いので止めて欲しい。



 「音姫、呼んできたよ。」



 そう言って連れてこられたのは生徒会室。いつも忙しそうに動き回ってる生徒会の活動拠点だが、昼休みはイベントが忙しいときぐらいしか忙しくないという。今日はイベントが近くないからか、音姉と何故か由夢がいた。



 「弟君、いらっしゃい。ちょっと待ってて。今片づけるから」



 音姉は周りにあった書類を片づけていく。やっぱり忙しいんだな。家じゃ歯牙にも掛けないけど。



 「音姉、悪いけど俺は何も知らないよ?」

 「ん、何の話し?」



 音姉は笑顔で聞いてくる。と言うことは三馬鹿関係じゃない。何の話しだろう。



 「弟君、杉並はまた何かやってるの?」

 「俺は何にも知りませんよ。イベントはまだですからね。」



 そっかとまゆきさんが言う。まゆきさんの言う情報網やらにも何も引っかかってないからだろう。これぐらい簡単に引き下がってもらえるのなら、俺も杉並もやりやすいんだろうけどな。



 「っで何の用ですか?」

 「そんなの聞かないでも分かるでしょ。」

 「分からないから聞いてるんです。」

 「そっか。相変わらずずれてるねぇ。」



 これでも随分と俗っぽいことも分かってきたと思うのだが、どうやらまだまだのようだ。



 「まゆき、変なこと言わないの。だいたいまゆきが弟君に用があるんじゃない。」



 用があるのは音姉じゃなくってまゆきさんか。何の用だろ?



 「あはは、えっと...お弁当作ったから食べない?」



 まゆきさんが気恥ずかしそうに言う。お弁当か。



 「失礼かも知れないですけど、まゆきさんって料理できたんですね。」

 「まぁ、少しぐらいは。」



 なんか歯切れの悪い回答だ。とりあえず栄養摂取は急務なので、この話題は放っておくとしよう。



 「ありがとうございます。じゃ、いただきます。」

 「あっ、ああ、ちょっと待ってて。」



 まゆきさんは自分の鞄から結構大きめなと言うか、重箱を取り出す。よく見てみると音姉は何も用意してない。そうなると初めから複数人で食べることを想定してたって事か。

 まゆきさんは少し緊張した面持ちで重箱を広げる。彩りが良いな。第一印象はそんな感じ。赤、緑、黄色と色とりどりの料理が重箱を彩っている。基本に忠実というとやや褒めている感じはしないが、想像以上の出来映え....ってこれは完全に失礼な印象だが、とても美味しそうに見える。



 「いただきます。」



 なんだか視線を浴びるが、食べ始めることにする。なんと言ってもお弁当は卵焼きで始まる。これでお弁当の全体の味のバランスが分かると言うものだ。



 「なかなか上手いですね。」



 ホッとまゆきさんが胸を撫で下ろした気がした。人によっては味が薄いというかも知れないが、食べる人が食べれば品が良いと言う卵焼きだろう。他に箸を付けても大方の予想通り薄味でまとまっている。まゆきさんと言う人間の通り、あくが強くなく品良くまとまっていると言った感じだ。



 「兄さんが文句を言わないときは大抵味が合ってるときですよ。」

 「そ、そうなんだ。」



 ん、どうやら黙々と食べ過ぎたようだ。味の確認とかで無口になる癖はもう少し自重した方が良いな。



 「薄味でまとまっててすごく美味しいですよ。」

 「そうか。家って結構薄いって言われるけど大丈夫か?」

 「俺、味の薄いとか濃いってのあまり気にしないタイプですから。」

 「兄さんは味にだけは五月蠅いですけどね。」



 由夢は静かに猫を被ってると思ったら、バレないレベルで皮肉ってくる。と言うか、なんだかんだ言って由夢も箸が進んでるな。この味が合っているのだろうか?



 「由夢、随分と箸が進んでるな。もしかしてこういう味付けが好みだったのか?」



 俺はどちらかと言えば祖父の影響で味は濃いめで作る。音姉は俺ほど濃くは作らないが、それでもこれに比べれば濃い方だ。



 「そんなことありませんよ。私も濃いも薄いも気にしない性格ですから。」



 そう思っていたからこそ箸が進んでることが見逃せない訳だが。俺もこんな味は嫌いじゃないから試して見るとしよう。



 「でもまゆきがお弁当を作ってくるとは思わなかったよ。」

 「音姉も初めてなのか?」

 「まゆきの家のお弁当は何度か食べたことあるけど、まゆきが作ったのは初めて。」



 親友の音姉すら初めてのことに立ち会えるって事は凄いことだな。でも何で急にお弁当を作ったのだろう。あまりに突然すぎる。



 「それにしても何で急にお弁当なんて作ったんですか?」



 分からないことは分かるようにするための手っ取り早い方法は訊くことだ。だが訊いたと同時に横から肘が飛んでくる。由夢、何の用だよ。



 「くだらないことを訊かないでください。デリカシーがないんだから。」



 面倒くさがり屋にデリカシーがないと言われると地味にへこむ。

 そもそもくだらないことだろうか。変なことを言ったのかも知れないという仮定の下、周りを確認してみる。ちょっと気まずそうな音姉に視線を合わせようとしないまゆきさん。うん、結構変なこと言ったようだな。とりあえずこの状況を打開しないとならない。



 「そう言えば昨日の問題どうなりました?」



 こちらもこちらで気になる話しだ。よく勘違いされてるのだが、俺だって勉強してるから杉並とトップを争ってるのだ。昨日はまさしくそんな誤解から始まったのだが、何とか関係資料を手に入れ、その場で回答を導いた。その場しのぎであったので自信はない。



 「凄く良くできてたよ。音姫も驚いてたぐらいだ。お前はやっぱり頭良いんだな。」



 嬉しそうなまゆきさん。勘違いされてるな。あまり良い状態とは思えないからさっさと言うか。



 「いや、俺は頭が良いんじゃなくて....。」



 ドンッと肘が当てられる。完全な不意打ちであったため声を発するための息が消失する。これをやってたのが男だったら絶対投げ飛ばしている。何のつもりだ、と由夢を睨む。



 「いらぬ言葉で人は困らせないで下さい。多少誤解されてた所で問題はないでしょ。」

 「しかしだな、由夢。何でも出来ると思われるのも大変なんだ。」



 何でも出来ると思われて何でも頼まれるので断るのも大変だ。正直、俺にだって出来ないものがあるのだと知って欲しい。



 「なら今度からは受ける前に出来ないってはっきり言って下さい。まったくかったるいことばかりするんだから。」



 由夢は呆れた顔で言う。と言うか由夢には同じ事ばかり言われてる気がする。少しは自重しろって事か。



 「あれで正解だったのなら良かったです。」



 本当なら誤解を解く所だが、由夢に言われたこともあり、引くことにした。



 「でもまゆき、今度から困ったなら私を頼ってよね。」



 ちょっと怒ったように言う音姉。



 「音姫は早く寝すぎだよ。」

 「まゆきが遅いんだよ。」



 出たよ、音姉の正論。まゆきさんが俺に相談してきたのは日が変わるちょっと前。その時間は音姉的には寝てないと行けない時間。現代人からすればあり得ない話だが、品行方正を地でいく音姉には常識化している。これを論破するのは俺すら不可能だ。



 「音姉はもう少し起きても大丈夫だよ。」

 「また、弟君はそういうこと言う。」



 ちょっと言っただけで怒られる。何だかなぁと思いながらももう少しこの話題を続けようと思う。まゆきさんのお弁当の貸しを返すつもりでだ。



 「そりゃ、お年頃だから睡眠不足とか気になるのは分かるけど、素材が良い上、まめに栄養とか美容とか気にしてるんだから細かいことを気にするのは良くないよ。」



 はっきり言って美人な音姉が睡眠不足を気にする余地なんて全くと言っていいほどない。

 まぁ、自分の長所を磨くというのもあるが俺からすれば一つを熱心に磨く前に他に手を出す方が可能性が生まれるし、音姉のことを考えれば勉強だって出来るし、仲良く話すことだって出来る。



 「弟君、愛してるねぇ。」



 突然、まゆきさんがそんなことを言った。



 「何のことですか?」



 時折、まゆきさんの言ってることは分からない。愛してるとか、良くやってるとか言われてる。よく分からないので、毎回訊くが、今回のように何も教えてくれない。世の中、俺が分からないことはたくさんあるな。



 「弟君は何でそうやってお世辞ばっかり言ってるかな?」



 どうやら俺のアドバイスは音姉的にはお世辞で、あまり嬉しくないものらしい。本当のことなのに、と言っても何故か信じて貰えない今日この頃、俺は結局昼休みが終わるまで音姉に怒られ続けた。