KanonをD.CU〜音姫編-お姫様も出場〜
杉並に頼まれたと言うこともあって俺は忙しいだろう生徒会室にやってきた。なんだかんだ言って次世代の生徒会長候補にも上がってる俺は快く入れてもらえる。
「弟君、悪いねぇ。音姫、ちょっと出ててさ。」
「いえ、こちらこそ突然来て申し訳ありません。」
「いいって、いいって。」
まゆきさんは嬉しそうに言いながら、どさっと俺の目の前に紙の束とパソコンを置いた。もう慣れたことだが、念のため聞いておこう。
「これなんですか?」
「明日までに整理しないとならない書類。弟君ならすぐにまとめられるでしょ?」
「誰の仕事ですか?」
「音姫の。仕事忙しくて溜まってるんだよね。」
「分かりました。この貸しは高いですよ?」
「音姫が払ってくれるわよ。」
まゆきさんはそう言って笑い、後輩たちを引き連れてどこかに行った。生徒会室に残ったのは俺だけ。信用されてると言えば言いのだろうか。もし俺が杉並の仲間で、生徒会の資料を盗みに来てたとかしたらもう終わりだと思うのだが、そんなこと思ったりしないのだろうか。どうもここの人間の感覚が分からない。
「しっかしよくもまぁ、こんな資料をまとめようと思うな。家だったら子供たちの仕事だな。」
家はかなりに面倒くさがりが多いので面倒な仕事は他人に任せるのだが、相沢データベース関連や重要度の高いデータを扱うときは子供たちにやらせる場合が多い。現在相沢一族は第4世代までおり、もっぱらデータベースの更新作業は第4世代の子たちがやっている。子供たちも面倒な作業は嫌いだが、小遣いが出るし、何より相沢の仕事はこういうのからの積み重ねであって、自分のしたいことをするためにまず大事なのが信用なのだと言うことでまじめにやっている。思えば俺もよくやった。主に祖父さんの尻拭いを。と言うかそれに比べればこんなのたいした事ないな。そう思って早速手を付ける。
夕焼けが俺の顔を照らし、紙の音が部屋を支配した。なぜか集中できない。いつもだったらこんな紙の音、まったく気にしないと言うのに。
「俺は何でここにいるのだろう。」
声に出してしまうぐらい不思議だ。だって俺は今まで気の乗らないことは極力やってこなかった。どうせ後回しにしたって何とかなるし、むしろ気の乗らないことをやること自体、時間の無駄、強いては俺自身の価値を下げるとまで思っている。今回のことはどんな理由があるにしろ間違いなく気の乗らないことである。いつもだったら適当に流すことを俺は気を重くしてまでやり遂げようとしている。ここまで気が重いのに逃げようとも思わないのが不思議でならない。本当におかしい。精神支配はもう随分とやってきたと言うのに。
「そもそも俺は杏と茜に甘すぎるんだよなぁ。」
気が乗らないことも全くやってこなかったわけではない。その例外を思い返してみれば、全てが杏と茜に関することである。今回のことだって俺の精神支配の受け付けぬところで杏と茜関係だからと割り切っているのだと思う。これがいかに根深いものか自分すら分からない。
ただそんな俺の性格を知らない二人でないはずだ。変にまじめに言われると断りきれない性格だと知っているからこそ、杏と茜は冗談ばかり言ってると思ってた。そう、俺たちは互いに互いのことを思いやりすぎるからこそ真面目になりすぎてはいけないのである。その暗黙の了解の中、今回二人はかなり真面目、いいや、本気と言った方が正しいのかもしれない。二人、どちらかと言えば杏の方だが妙に音姉に対抗意識がある気がする。杏は人の裏を見てきているから変に真面目ぶった人間が大嫌いで、優等生を素で行く音姉なんて大嫌いなんだと思う。でも大嫌いな人間を相手にする杏ではないから、そこそこ会話をしている以上どちらかと言えば苦手な人間として捉えるほうがいいのかもしれない。とにかくそんな杏が対抗意識を持つことがそもそも俺の理解の外側にあり、それでも結構折り合いつけてやってるのかと思っていれば、今回のように思い切ったことをしてくる。
でもそこまで考えてみて一つ気になったことがある。杏が音姉に対抗意識があるとして、どうして今迄で一番大きいアクションとしてミスコンを選んだのだろう。杏の性格を考えれば人間何か一つに優れていればいいと言うもので、いくら音姉が勉強できるとはいえ、記憶に特化した杏に適うはずがない。本来ならばそれで折り合いがついているはず。あえて外見で戦うことに何の意味があると言うのだろう。
「弟君、ただいま〜。」
思考が迷い込んだところで、音姉達が帰ってきた。
「おかえり。仕事、終わらせておいたよ。」
「わぁ、ありがとう。」
あんなに考え込みながらもちゃっかりと仕事を終わらせるのが相沢クオリティ。音姉の笑顔を見てると、頑張ってよかったと思える。
「それじゃあ、弟君が仕事を終わらせたから今日はここまで。おつかれさま。」
まゆきさんの号令で生徒会は解散となる。解散したからと言ってすぐに音姉達が帰れると言うわけではない。二人と一緒に俺も後片付けをする。
「お疲れ様〜。」
解散の号令がかかってから30分後、全てが終わる。外を見ると真っ暗になってる。
「お疲れ様、弟君。」
「大したことはしてないよ。」
大したことをしてないのに感謝されるとちょっと気恥ずかしい。それが音姉からだったら一層だ。
「でも明後日までにやろうとしてた仕事を終わらせちゃうんだもん。すごい、すごい。」
「明後日?今日中じゃなくて?」
「今日中は無理だよ〜。一応予定ではこの時間まで時間を割く予定だったけど。」
そこに嘘は全くない。するとまゆきさんの言ってたことは嘘も方便とやらか。
「この貸し、安くはないですよ。」
俺の言葉にまゆきさんは苦笑いする。いくらなんでも三日掛ける仕事を一日でやらせるのは人が悪すぎる。基本的に俺の事務処理能力は人の数倍なので最も便利に使われる。ゆえに俺は面倒ごとを避けるためにこの手のことには高いリスクを負わせることにしているのだ。と言うか杏と茜に甘いとか思ってたけど、音姉にも甘いよな。絶対この仕事、音姉のって言われなかったら適当だっただろうし。
「そう言えば、弟君、今日はどうしたの?」
何度か顔を出したとは言え、基本的に俺がここに来ることは稀である。何の理由もなしに来るとは思ってないわけだ。
「実はさ、今年は杉並が健全なサプライズを起こしたいってことで音姉に頼みごとがあるんだ。」
「杉並?」
杉並の単語に即座に反応するまゆきさん。杉並が何を考えてるか分からないから、まゆきさんに情報を漏らすことで杉並に牽制を入れておく。
「また何かやらかすつもりなの?」
「さぁ、本人は健全だの一点張りだったから。とりあえず話を進めて良い?」
「あっ、どうぞ。」
杉並の単語が出てくるだけで、話を進めようとしないと進まないこの状況。いかにいろんなことをしてきたか分かると言うものだ。
「クリパで手芸部主催のミスコンあるじゃないか。音姉にあれを参加して欲しいんだ。」
「ミスコン?私が?」
音姉が首をかしげる。そんな素振りが可愛らしく、やっぱ音姉が出てきたらバリバリの本命で買いだろ。
「音姫を参加させて、生徒会を分断するつもり?」
「いや、本人が言うにはミスコン中は休戦状態だってさ。その間は何もしないってさ。」
杉並は嘘を付くぐらいならはぐらかすタイプだ。少なくともあれは嘘ではない。
「怪しいねぇ。」
まゆきさんは杉並に対して過剰反応の嫌いがある。怪しいと言い出したらきりがないやつだ。あいつは地下に潜らせない事ぐらいで許容しないとならないような男だ。
「虎穴に入らずんば虎児を得ずってことで参加してくれないか?」
とりあえずこんな入り方が良いだろう。まゆきさんは難しい顔で考えてる。別にまゆきさんが参加するわけじゃないんだけどな。
「弟君は何でこの件を受けたの?」
やっぱそっちの話になるか。音姉は鋭いな。
「何と言うか見てみたいのが一番だと思う。」
色々な思惑があるが、根幹にあるのは興味だと思う。音姉が周りにどう思われていて、俺はこのまま変わらずにいることが良いのかの答えがその先にある気がする。
「まゆき、どう思う?」
「どう思うって杉並が絡んでる時点で怪しいことこの上ないよ。」
「当日って少しは時間、あったっけ?」
「時間は何とかなると思う。自由時間を削ることになるけど。」
「そっか。」
どちらに転ぶか全く分からない。杏や茜には悪いが、断られたら引き下がろう。
「分かった。参加するね。」
「えっ?」
音姉の快諾に俺は素っ頓狂な声を上げた。いや、こう言うのも何だが快諾されるとは思わなかったのだ。
「参加するの?」
「だってその間も杉並君は大人しくするって言うんでしょ?逆に参加しないと大人しくないかも知れない。なら参加した方が良いでしょ?」
確かにそう考えるのが効率的だが、杉並は俺を敵に回すつもりはないとまで言ってる。音姉が参加しようとしまいと守られるだろう。
「音姫やるの?」
「まぁ、手芸部が前々から頼み込んできてたことだから、生徒会長であるこの機会に応えてあげるのも優しさかな。まゆき、駄目?」
「音姫が決めたなら駄目って言わないよ。でも音姫を貸し出すんだから、弟君も仕事手伝ってね。」
「おやすいご用ですよ。」
正規でない俺がやらされる仕事なんて大したことない。まさにおやすいご用だ。
「じゃあ、そう言うつもりで話を進めないとね。まゆき、忙しくなるよ。」
「望む所よ。」
二人は楽しそうに笑いあう。俺も自然と笑みがこぼれた。
「その調子だと無事ミッションは成功させたようだな。』
家に帰るとすぐに杉並からチャットがあった。画面の顔からは予想通りと言った感じが見て取れる。
「あくまでお前が何もしないという条件の下だからな。何かしたら分かってるな?」
「言ったはずだ。その時間は何もしないと。そうそう、参加者のリストが完成した。アップするから確認しろ。」
仕事が速すぎるな。どこまで計画されているのか想像できないな。
「大方の予想はどうなんだ?」
「本命に朝倉、対抗に雪村、単穴に花咲と言った所だ。」
「やはり音姉が本命か。」
「知名度が圧倒的だからな。だがむしろ知名度の低い二人が食い込んでるところが面白い。当日、場が荒れることは間違いないだろう。」
確かに音姉の知名度は抜群で知らない人はいないと言え、二人の知名度は噂からのものでどちらかと言えば低いと言える。だから単純に人気がオッズとして現れるとは思わない。杉並の言う通り当日鞍替えする人間は多いだろう。
「っでお前は誰を予想したんだ?」
「それは教えん。」
「いくら俺でも予想ぐらいでは怒らんぞ。」
「もちろん、それは知っている。だが教えん。」
何故だが知らないが、それは随分と強い意志だ。こうなった杉並は間違いなく教えてくれないだろう。
「そう言うお前はどうなんだ?」
「言わないお前が俺に聞くのかよ。」
「俺は元締めだからな。大方の予想は立てておかないとならない。今回のヒロイン達は全てお前に縁の深い者ばかりだ。と言うことはお前の出した答えが最も正解に近いと言えるだろう。」
杉並の言ってることは間違ってない。恐らく三人のことを一番よく知っているのは茜と杏と親しい分だけ俺だ。
「ここでの話しは誰にも話さん。お前自身の気持ちを整理する上でも言ってみろ。」
気持ちを整理、か。俺なんかが勝手に悩むこと自体おこがましい事なんだよな。杉並の言う通り気持ちを整理させて、楽しんだ方が良いか。
「そうだなぁ、やっぱり音姉が堅いな。スペックは言うまでもないし、みんなには品行方正で理解ある生徒会長として知られてる。男にとって理想のお嫁さんって感じだろ?」
やはり音姉の優位は揺るがないと思う。茜も杏もスペック的には見劣らないが、何分性格が特殊すぎる。あれについて行けるのは仲間内だけだ。
「確かに俺の下調べでは朝倉姉に対しての好印象が強い。だがミスコンは良くも悪くも見た目の勝負のはずだ。見た目で言えば花咲なんて強いと思うぞ。」
「茜は確かに強いけど何というか、男達には見た目だけのイメージが根深いと思う。あまり言いたくないんだけど、大抵の男は茜の内面まで見てないと思う。だから一見強いと思うけど、票は集まりにくいと思うんだ。」
もちろん、茜は魅力的な女の子だ。でも男達は体ありきで茜を見ることを俺はよく知っている。こういう人間の表はほぼ浮動票と言えて、インパクトの強い方に流れていくだろう。
「それと杏が対抗になったのは恐らく音姉とイメージが逆だからと思う。こっちは逆に票は堅いけど、絶対数が少ない。勝つとしたら茜の浮動票が流れることぐらいだろう。だが茜だって魅力的であることは言うまでもない。結果、音姉が優勢と見るんだよ。」
あくまで機械的な情報からの推測。それを杉並は黙って聞いていた。
「ある意味お前らしい答えだな。」
「ある意味ってどういう意味だよ?」
「自分で考えろ。それより当日ギリギリまで参加は受け付けておくからな。待ってるぞ。」
ほぼ一方的に切られる。なんか気になったので、ハックを仕掛けようとしたら向こうは電源ごと抜いていた。流石に起動してないパソコンに侵入することは出来ない。よもやここまで読まれているとかえってすがすがしい。
「楽しまなきゃ損か。」
全ては終わった後に分かる。ならば始まる前から臆病になるのは愚かなことだ。
「でももっと楽しくしないとな。」
俺は一つの妙案が浮かび、笑いが隠せなかった。
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