KanonをD.CU〜音姫編-ヒロインは4人〜







 「弟君、走れ〜!」



 まゆきさんの言葉で全速力で走る。そしてそれを何とか捕まえた。



 「どこの馬鹿だ。校舎で犬なんて放したのは。」



 俺が捕まえると犬は少し抵抗するが、チャンネルをずらして敵じゃないと伝えると逆に懐いてきた。顔をいっぱい舐められてこんな仕事をやらされるとは思ってないことを思い出した。いやはやまゆきさんの人使いの荒さは想像以上だな。



 「お手柄、お手柄♪」



 まゆきさんと生徒会役員達は凄く満足そうだ。ちなみにこうやって何かやらされたのは数えて10回目。破竹の活躍だ。



 「そろそろ休憩で良いんですよね。」



 さすがに犬に追いつくために全速力で走ったため息が持たない。貴重なクリパを楽しみたいと言うより兎に角休みたい。



 「そう言えばもうすぐ後半か。今日は頑張ったから休みで良いわよ。」



 今日はとか言うのが恐ろしく気になるが、突っ込む気力もない。



 「お疲れ様です。」

 「はい、お疲れ〜。」



 まゆきさん達と別れて、ふらふらっと自分の教室に戻る。



 「あ、相沢、生きてるか!」



 俺が教室に入るとみんながみんな心配そうに駆け寄ってくる。



 「お前が死んだら音姫さんが参加しないんだろ?絶対死ぬな!」



 ここ一週間、俺は音姉の説得をしたと言うことで英雄扱いだが、あくまでそのおかげだ。別に俺がいなくても出場するさ、とか言ったら恐ろしくぞんざいに扱われるのだろう。ここは厚意に甘えておこう。



 「相沢、お疲れ。あなた、甘いもの好きだったわよね。」



 そう言って委員長がお汁粉をくれる。甘いものを食べてるのは必要なだけであって、特別甘党って訳じゃないのだが、ここのお汁粉は美味しいし、何より栄養が欲しい。喜んでいただく。



 「売り上げの方はどうだ?」

 「結構良い感じよ。そっちはどうなの?」

 「大活躍だよ。犬とか捕まえられるのは俺ぐらいしかいないだろうよ。」

 「そう言えばそんなことも聞いたわね。張り切るのも良いけど、怪我はしないようにね。」

 「ああ、ありがとうな。」



 委員長に皿を返すと、再び盛られる。お汁粉ってのは一杯ぐらいで限界というのに。厚意を無碍に出来ないので笑顔で受け取る。そしてゆっくりと人の波でも見ていた。



 「祐、随分と頑張ったようね。」

 「よっ、次期生徒会長!」



 俺がボーッとしてると杏と茜がやってきた。制服って事は準備はまだなのか。



 「からかうなよ。お前達の頼み事を聞いたからこうなったんじゃないか。」

 「なかなかの忠犬ぶりよね。」

 「うんうん、意外と尽くすタイプだよね。」



 人が疲れてるのを良いことに言いたい放題だ。はぁと大きくため息をつく。切り替え、切り替え。



 「準備はまだなのか?」

 「うん、もう少し経ったら。」

 「服見てないけど面倒なんだろ?時間、大丈夫なのか?」

 「面倒そうに見えるのは外見だけよ。結構手抜きなんだから。」

 「あぁん、時間が足りないのよねぇ。」



 どうやら時間は掛からないらしい。でも言いたい放題だな。手芸部の奴らも二度と参加させようとは思ってないだろう。

 そう思ったらつい笑ってしまった。それが不服なのか、杏はむすっとした顔をした。



 「人のドレス姿を想像して笑うなんて最低よ。」



 どうやら勘違いされてるようだ。想像しても笑うはずがない。だって二人が似合ってないなんて事はないんだから。



 「まぁ、気にするな。時間があるなら、少し俺と回るか?」

 「奢ってくれるなら考えなくもないわ。」

 「はいはい、少しぐらいは奢ってやるよ。」



 よいしょと思って立ち上がると携帯が鳴り出した。このメロディーは....。




 「えっ、このメロディーって舞香姉様?」

 「マズいわね。」



 ワルキューレ騎行に戸惑う二人。このメロディーは発信者のテーマで、知り合い全てに強要されてる。昔から良い記憶がない二人にとってある種のトラウマだ。



 「杏。」

 「そうね。祐、悪いけど私達は先に準備するわ。ちゃんと来るのよ。」



 慌ただしく二人は教室を出て行った。行動が早いな。そんなにビビらなくとも来やしないのに。



 「ハロー?」

 「電話を取るのが遅い!」



 取った直後に大声。あらかじめ離しておいて良かった。



 「俺だって忙しいんだ。取れないことぐらい多々ある。」

 「こっちは忙しいのにそっちに時間を割いたんでしょ!融通させなさいよ!」



 同じ相沢、しかも立場的には俺が上なのにこの調子。舞香と言う従姉は超強気で、杏すら戦うことすら拒否るような女だ。



 「分かった、分かった。今後は善処する。それより用件は?」

 「まったく、調子が良いんだから。あなたに頼まれたものもうすぐ到着するはずよ。」

 「随分とギリギリだな。」

 「あなたが遅いんでしょうが!まったく、昔からやることなすこと適当なところがあるんだから。言っておくけど、あなたは当主なんだからね!もっと自覚しなさい!」



 相沢一気の強い女の相手は耳が痛い。早く切らないと電話すら保たないんじゃないだろうか。



 「分かってるよ。注意事項は?」

 「あなたのデータ通りなら問題はないはずよ。それと家のお祖母様方から写真は忘れないようにって。似合ってなくともね。」

 「分かった。それじゃあ、忙しいところ悪かったな。」

 「この貸しは高いんだからね!」



 最後の最後まで大声。着られた電話の音がとても静かに感じる。



 「相沢さん、いらっしゃいますか〜。」



 そうこうしてる内にお届け物のようだ。さすが我が一家。全ては計算通りだ。



 「はいはい、ご苦労様。」



 さっさとサインをし、段ボールを開けてみると頼んでたものがちゃんと入ってる。完璧すぎる仕事だな。これで面白いことが出来るぞ。

 こみ上がる笑いを抑えて、教室を出る。パーティーの始まりだ。








 「レディース&ジェントルメン!」



 体育館は司会である渉の声で声を上げる。やっぱメインが3人もいると過去最大というのも頷ける盛り上がり方だな。噂によれば最前列は売買されているらしい。そこまでして欲しいのか。ちょっと感覚が分からない。



 「祐、何処にいるの?」



 俺がまったりしてると電話が掛かってくる。杏は何処かいらだったような声だ。



 「人が多すぎて見えないんだろ?大丈夫、ちゃんといるから安心しろ。」

 「そう。なら私の勝利を見ておく事ね。」



 最後はちょっと嬉しそうに切られる。やっぱ不安なのかな。慣れてないし、元々臆病な性格だ。こんなんだったら近くにいてやった方が良かったかな。そう思ったらまた携帯が鳴った。今度は茜だ。



 「やっほ〜、ちゃんと見てる〜?」

 「晴れ姿を見逃すほど馬鹿じゃないよ。」

 「あはは、そっか。期待していいよ〜。自信作なんだから〜。」



 茜の声から自信が聞こえる。茜が自信たっぷりなんて珍しいな。どちらかと言えばどんなに興味があるものにも一歩引いてる感じなのに。



 「楽しみにしてる。有り体だけど、頑張れよ。」

 「はいは〜い。私が勝てるように応援しててね〜。」



 最後の最後まで珍しい。こりゃ、茜が本気となると場が荒れるな。そうこうしてる内に騒がしくなった。



 「エントリーナンバー5番、付属3年3組雪村杏。」



 杏の番のようだ。杏は淡いピンク色のドレスでやはり想像通り何処かのお人形のようだった。興味なさそうだった女の子からも感嘆の息が漏れてる。



 「整った顔立ちに、本人も自慢するロリーな体型。守ってあげたい。むしろ俺が守るよと思いたくなるが、そこがバラの刺!その本性は学園きっての女王様!」



 杏がステージの真ん中に立ち、渉に指を伸ばす。



 「黙りなさい、この豚が。」



 おいおい、これって演出か?だがこの一言で観客のボルテージが上がる。ちょっと見てみると熱狂的なファンが恍惚として聞き入っている。恐るべし、SとMの世界。



 「か〜〜、Mじゃなくてもしびれる〜!まさに最高の女王様だ〜!」



 杏はいつも通り口元に指を置いてにっこり笑う。杏、怖い子。ここまでやるのかよ。

 逆に言うとここまでやらないとならない戦いなのだろうか。ちょっと甘く見てたかも知れない。



 「続いてはエントリーナンバー6番、付属3年3組、花咲茜。」



 次は茜の番だ。茜の登場は嘗てない規模の男の声が始まりだった。大きく胸を開けたドレスは今までのお姫様とかとは全く違う。どちらかと言えば高級娼婦のように男を誘うかのようなドレス。男だけでない、女もまた息を呑んだ。圧倒的な差と言うのを見せつけられた感じだ。



 「まさに圧倒的!手芸部主催ながらそのドレスは自作!どれだけ見せつけるつもりなんだ!これには男も女も脱帽だ〜!」



 渉は鼻血を吹きそうな程興奮してる。むしろこれに反応しない男がいたらそいつはおかしい。みんなの息を呑んだ音が聞こえる気がする。



 「私に夢中になっちゃ駄目よ。」



 茜が手を伸ばしたと思うと、ゆっくり指を曲げていった。その瞬間、ここにいるもの全員が息を呑んだ。おいおい、刺激が強すぎるぞ。



 「あ〜、もう我慢できない!刺激が強すぎる!」



 茜は満足したのか、ドレスを翻して戻っていく。俺は二人のやる気を見くびってたかも知れない。これほどまで本気だったとは知らなかった。



 「興奮も冷め止まないままラストナンバー!本校2年3組、朝倉音姫!」



 最後はやはり本命と言われる音姉は最後の登場だ。音姉の好きそうなシックな寒色のドレス。どこぞのお嬢様のように、誰もが思い描き、夢見るような姿だ。



 「説明がいらない我らが生徒会長!この人のおかげでどれだけ学園生活が楽しいか。まさに最強のお嬢様。」



 音姉は少し困ったような顔をしながら舞台の真ん中に立つ。



 「皆さん、クリパ、楽しんでいますか?これから生徒会はたくさんのイベントを用意してますので楽しんでくださいね。」



 音姉はやっぱりみんなの知ってる音姉だった。いつもの笑顔で手を振ると今までにない拍手が起こる。こりゃ、本命は特別何かしなくとも最強だわ。これで勝負は分からなくなった。



 「ついに出そろいました。それでは投票の方法ですが。」



 ミスコンは手芸部主催と言うことで基本的にドレスの発表会のようなものだ。だからすぐに投票に入ってしまう。

 さてと始めるか。俺はスイッチを入れる。するとバンっと暗くなる。悲鳴が上がったと同時にステージだけが照明で照らされる。そこには桜の花びらが舞った。



 「よいしょっと。」



 俺はその場へと降り立った。少し高かったが、何とかロープを使い、速度を落として怪我はなし。ドレスが翻ってちょっと焦ったが周りは俺の登場についていけてない。尤も誰一人として相沢祐一なんて気付かないだろう。シックな赤紫のドレスは中世のお姫様を意識した最高級もの。腰まで伸びるウィッグもまた映画で使われるような高級品。パットも入れて胸はあり、化粧もしたから女にしか見えない。

 そう俺は女装をして降り立った。目が点となった知り合いを見て、笑うのを堪えるのが難しかった。



 「初めまして、皆さん。」



 ドレスの裾を上げて、綺麗にお辞儀。誰も声に出さない全くの静寂。そんな中、桜の花びらが舞っていた。



 「このような場に突然押しかけて申し訳ありません。本当は正規のルートで出場したかったのですけど、そうはいかず、こうした手段を用いてしまいました。」



 得意の裏声はハスキーな女声。我ながら頭が下がる才能だ。



 「えっと....乱入者きたぁぁぁぁ!超絶美少女が空から降ってきたぁぁぁぁ!」



 渉の司会に場は一斉に盛り上がる。ノリが良い奴らだ。でも超絶美少女は言い過ぎだろう。それに渉に言われるとキモい。



 「お名前は?」

 「ごめんなさい。明かせません。」

 「シャイだなぁ。」



 まさか本名を言う訳にはいかないだろう。でも名前がないと投票されないだろうから、ここは何でも言っておかないと。



 「そうですねぇ、私のことはアリスとお呼びください。」

 「アリス。まさに学園に迷い込んだ不思議の国のアリス!いやぁ、こんな娘もいるんだなぁ。」



 空想の世界ではな。だがここまでではインパクトが薄い。最後の一手。これで行けるか。



 「今宵は聖夜。皆様に私からのプレゼントを贈ります。」



 俺はすうっと唇に指を当てると場は静まる。そして俺は大きく指を鳴らした。

 しんしんと雪が降り出す。みんながみんな驚いた。ここは屋内。雪が降るなんて誰も思ってない。だからこそこれはインパクトがある。



 「お〜、雪だ!」

 「本物じゃなくてごめんなさい。皆様の聖夜に幸多くあらん事を。それででは今度こそ投票に移りましょうか?」



 渉にウィンクし、俺もみんなと同じように並ぶ。それから投票が始まった。



 「結果発表!今回は一票一票にもの凄い重みがあるからトップしか発表しないぞ!みんな、準備はいいか〜!」



 おーっとみんなが答える。ちょっとドキドキしてきた。ここまでやって勝てなかったら災難だよな。



 「圧倒的!まさに新ヒロインの登場!1位はアリス嬢です!」



 パッと眩しい光とくす玉からの紙吹雪を浴びる。そうか、勝ったか。まっ、結構狡したからな。



 「アリス嬢、みんなにお言葉を。」



 マイクを渡される。さてどうしたものか。とりあえず一言言って逃げるか。



 「皆さん、投票ありがとうございます。名前もお教えできない私ですけど、私を見つけた方は是非とも声をおかけください。」

 「っと言うとこの学園に?」

 「ええ、皆様も大好きなこの学園で私も生活しています。それでは皆さん、今日はありがとうございました。皆様の学園生活が色褪せない思い出であるように。それではごきげんよう。」



 初めと同じくお辞儀をして、仕込んでおいたスイッチを押す。突如スモークがたかれ、舞台は一瞬で呑まれる。そのスモークに乗じて、俺は駆け、体育館から離脱した。









 「祐一、ちゃんと見たか?」



 打ち上げはやはり俺が乱入した話題だ。



 「ちゃんと見てたよ。」

 「お前なら分かるんだろ?アリス嬢って誰だよ?教えろよ〜。」



 渉に振り回されるが、教える訳にはいかない。ちょっと気持ち悪くなったので、渉を少し黙らせる。



 「でも本当に凄い人だったよね。私にも随分と知りませんかって来たよ?」



 生徒会長ともなるとやっぱり頼られるんだな。でもまさか音姉も俺が女装した姿なんて思ってないようだ。



 「音姉も思い当たる節がないんだ。」

 「うん、まゆきも調べたんでしょ?」

 「情報が少なすぎるんだよねぇ。」



 よしっと内心カッツポーズ。しばらく話題になるだろうが、乗り切れるはずだ。



 「見つけて白日の下に晒してやるわ。」

 「そうねえ。私達の傷は埋めて貰わないと。」



 杏と茜はやっぱりというか恨んでるようだった。この二人には絶対バレないようにしよう。そう心に決める。



 「それはそうとどうだった?」

 「何の話しだ?」

 「ミスコンよ。祐は誰に投票したの?」



 一斉に視線が集まった。杏や茜はともかく、音姉やまゆきさんに他のみんなも視線を集めるのはどういう理由なんだろう。



 「別に誰だって良いだろう。」



 そう言った瞬間、ばかすか叩かれた。



 「言え、相沢。お前には言う義務がある。」

 「だから何でだよ。」

 「分からなくてもさっさと言え!」



 言わないとかなりマズい予感がする。何だか目が血走ってる人がいる。

 だけどどう言ったものか。当然の事ながら投票などしてないので、正直に言うことも出来ない。それに俺は優劣とか着けるのに対してすごく抵抗がある。



 「あ〜。」



 嘘でも良いから言えばいいのに、全然言葉が出ない。言わないとならないのに、言葉が出ない。



 「相沢なら投票してないぞ。」

 「えっ?!」



 俺の代わりに答えたのは杉並だった。まさか、俺の女装がバレているのか。いや、杉並と言えども無理だろ。



 「何で杉並君が知ってるの?」

 「俺と相沢は消えたアリス嬢を捕まえるべく動いてたからな。だが残念なことに予想より早く動かれたことで無理だった。悔しいことだ。」



 どうやら杉並は助け船を出してくれたらしい。これが音姉達を参加させたお礼と言うことだろうか。



 「まゆき、本当?」



 って杉並はまゆきさんが監視してたんじゃないか。バレるに決まってる。



 「杉並は確かに誰かと動いてたのは見たよ。それが弟君かどうか確認はしてないけど。」

 「ふっ、俺と共に動けるのは相沢だけだ。だが俺と相沢を持ってしてもアリス嬢の情報はつかめていない。故に今この場にて非公式新聞部はアリス嬢を追うことを宣言する。」



 助け船が泥船になった気がする。でもこの杉並のこれが効いた。少しずつではあるが、話題は離れていった。






 「っで本当のところは誰に投票したんだ?」



 帰り道、義之は音姉と由夢に聞こえないように聞いた。やっぱり隠せていないか。



 「お前は誰に投票したと思う?」



 どちらかと言えば誰に投票していると思われているのかが気になる。



 「音姉だろ。」



 義之は迷うことなく言った。何故だろう。義之の顔は真剣だ。



 「音姉はお前の頼み事だから引き受けたんだと思う。ずっと一緒だったから分かるんだけど、音姉にとってお前は特別なんだ。同じ弟とは少し違う。」



 少し話しについて行けない。



 「えっと...、どういう話しなんだ?」

 「お前はさぁ、特に意識してないんだと思う。それがお前の魅力だから誰も言わない。でもさぁ、少しぐらい気付いてやれよ。」

 「だから何の話しだよ。」

 「俺の口から言わせるなよ!」



 義之が大きな声を上げる。すると音姉と由夢が駆け寄ってきたが、義之はいつも通り笑って別のことを言って、結局話はそこで終わった。

 部屋で一人になって俺はずっと義之の言葉の意味を考えていた。

 音姉が弟としてでなく特別扱いしてる。そんなの全く意識したことなかった。音姉は血の繋がってない俺と義之のお姉さん。家族に対して誰よりも甘い音姉はいつだって俺達を優しく見守ってくれる。でも俺は義之と違って音姉の小さな時を知らない。突然、弟となって生活に入り込んだ余所者だ。それでも優しく受け止めてくれた。だからこそ弟らしくあろうと思った。音姉がどう思ってるか別として、俺にとって音姉は特別だ。それははっきり自信を持って言える。



 「少しぐらい気づけよ、か。」



 音姉にそんな仕草があれば気づいてたと思う。鈍感、鈍感、言われても人の調子ぐらいすぐに気づける。話しからすれば好意かなんか持ってる感じだ。だがどう考えたところで音姉が俺を弟と以外として見てたとは思えない。俺がおかしいのだろうか。



 「弟君、ちょっと良いかな?」



 音姉の声にどくんと心臓が鳴った。落ち着け。全ては推測でしかないじゃないか。



 「どうぞ。」



 心を落ち着かせて、答える。音姉はいつもの格好でやってきた。



 「今日は泊まるの?」

 「ううん、この後帰る。」

 「そっか。じゃあ、遅くなるとマズいな。」

 「大丈夫だよ。お隣だもん。」

 「駄目だよ。音姉は自分が思っている以上に疲れてるんだから。しっかり休まないと駄目だって。」



 テンションが高い間は疲れというのは感じにくい。音姉は知らず知らずに頑張っちゃう人だからその反動は人より大きい。本当ならさっさと帰って休んで貰いたい。



 「大丈夫。弟君と話したらすぐ帰るよ。」



 そう微笑まれると強くは言えなかった。



 「それにしてもクリパは大成功だったな。」

 「そうだねぇ。みんな楽しそうで本当に良かった。」



 みんな楽しそうで良かったというのは音姉らしい。本当にこの人はみんなのためにやっていたのだ。



 「弟君は何が楽しかった?」



 何が楽しかったって聞かれるとやはりミスコンか。少々曰わくのある話題だけど、正直に言った方が良いはずだ。



 「俺はやっぱりミスコンが良かったよ。音姉、凄く綺麗だったよ。」

 「弟君にそう言われると嬉しいな。」



 音姉の頬が赤く染まる。意識させられただけにこんな素振りすらドキドキする。



 「でも一番になれなくて残念だったな。それにしても驚いたよ。いきなり現れたと思ったらいきなり一番だもんな。みんな、ああいうのに弱いんだよ。」



 勝敗をうやむやにするための乱入は少なからず音姉達を傷つけたと思う。茜や杏はこの手のことに慣れてるから良いが、音姉は決して慣れてないはず。



 「本当に凄い人だったよね。ああいう人がみんなに好かれるんだろうなぁ。」



 でも返ってきたのは力ない言葉だった。音姉が力なく笑う。俺はこの人のこんな顔を見るためにしたんじゃない。



 「でも所詮、色物だよ。なんて言うか、イベントものだからああいう凝ったのに弱いだけで、普通にやってたら音姉の勝ちだったよ。」



 それは取り繕うための嘘だ。茜も杏も本気だったため、全ては拮抗していた。



 「弟君は優しいね。」



 そんなの音姉が気付かないはずがなかった。何でこういうとき俺はもっと言葉を出せないのだろう。目の前の人が哀しんでるのに、俺は何も出来ない。



 「でも音姉がみんなに好かれてるのは本当だよ。それは嘘じゃない。」



 そんなことしか俺は言えなかった。それでも音姉は笑ってくれた。気を遣わせてどうするんだよ、俺。



 「そう言えば弟君はあのアリスって子、追おうとしたんでしょ?やっぱああいうのがタイプなの?」

 「勘弁してよ。俺、ああいうの絶対駄目。」



 自分ってのもあるが、あれは最も打算的な女をテーマにした姿なのである。兎に角イメージがそう言うものなので、基本的に好きになれない。



 「そうなの?凄く綺麗で、礼儀正しいみたいだけど。」

 「綺麗とか礼儀正しいとかあまり関係ないよ。俺はあまりそう言うので考えたことがないから。」



 どちらかと言えば俺は言動で人と形を確認している。綺麗とか礼儀正しいとかで好きになるって事は決してない。



 「じゃあ聞くけど、弟君はどんな人がタイプなの?」



 音姉が顔を近づけた。なんでそんな気になることを言うんだよ。義之の言ってたことが本当だとか言うのかよ。



 「俺はあまりそう言うのないんだと思うよ。」

 「いくらなんでもそれはないよ。」

 「嘘は言わないよ。俺はその人が幸せであるならそれで良い。俺は女たらしの祖父の血を色濃く受け継いでるし、好奇心が強くて同じ事をやってられない人間だから人を幸せになんて出来ないと思う。」



 そう、それで良いんだ。仮に音姉が俺のことが好きでも、俺がそう言う人間だと知れば自ずと離れる。

 それが音姉にとって幸せなんだ。でも...それで俺は幸せなのだろうか。



 「弟君は難しく考えすぎだよ。」

 「そうかもな。注意するよ。」



 音姉がどう感じ取ったか分からない。でもこれで良いんだと自分に言い聞かせた。

 音姉のいなくなった部屋で今日使ったドレスを見つめる。もしかしたらアリスこそ俺が俺自身を嫌う象徴なのかも知れない。