KanonをD.CU〜音姫編-魔術師と桜〜
クリスマスは島で過ごし、年越えは相沢として国外と多忙な年末が終わり、慌ただしい三学期と入る。
「弟君、ほら行くよ。」
三学期になってから俺は音姉と一緒に通学する機会が増えた。それは義之と由夢が良い関係となり、その二人を邪魔したくないという配慮からであったが、いつの間にか二人で登校するのが当たり前となってしまった感じがする。
二人が特別な関係になったからと言って、残った二人が特別な関係になったと言うことはなかった。音姉は相変わらず世話焼きで、ちょっと夜更かしをしてると説教し、俺が何度も謝る光景がほんの少し増えたぐらいだろう。クリスマスで意識させられたものも今では形を潜め、とても自然に接することが出来ている。
やはり音姉にとって俺は弟。それもとびきり世話焼き甲斐がある駄目な弟だ。
「相変わらず眠たそうだね。また夜更かししてたな。」
今日もまた怒られる。夜更かしと言うより音姉が寝るのが早いんだ。俺にとって睡眠時間が5時間あれば多いぐらいだ。でも最近は夜遅く寝るのではなく、早く寝て早く起きるようにした。そうすれば嘘をついたことにはならないし、少なくとも早起きは三文の得と言えるのだから。
「音姉にメールした後すぐに寝たよ。」
「そうしたら眠たくないはずだよ。」
そりゃ、絶対にない。俺の体は隙あらば眠って回復しようとする特別製なのだ。いくら寝たところで寝たりないからあまり寝ないだけだ。
「俺の体は特別製なの。大丈夫。期末は一番取るから。」
「だから勉強が出来ることが大切なんじゃないの。真面目にみんなと授業を受けることが大切なんだから。今の内に出来てないと社会に出たら大変だよ。」
どうせ俺みたいな社会不適合者はサラリーマンなんて堅気な職に就けず、学者とか研究員しかなれませんよ。それにそもそも職に就かせてもらえるかどうか怪しい。
「善処してるよ。でも興味持てない授業ってのも問題だ。」
「まったく、弟君はすぐそう言って逃げるんだから。何でも楽しもうって思わないと損だよ?」
「何でも楽しんでるさ。学問に対してストイックだと思えないかなぁ。」
「弟君はどっちかというと専門職系だからそれはちょっと無理かも。」
専門職系か。確かに結構苦手なところとかあるよな。世界史は得意だけど日本史が駄目だったり、漢文得意でも古文は駄目だったり。でも結構真面目にやってる方だと思うけどな。家のほとんどは飛び級するか、飛び級するのが面倒だから授業寝てるかしかないって言うし。
「でも音姉だって興味ない授業はあるだろ?」
「そりゃ、私だってあるよ。」
「じゃあ、音姉はどうやって耐えてる訳?」
「苦手な教科はノート一杯取ってる間に終わっちゃってるよ。」
優等生過ぎる回答だな。俺なんて面倒になったらすぐにビデオカメラを回してしまう。こういうのを爪の垢を煎じて飲みたいとでも言うのだろう。
「弟君はほとんどノート取ってないからちゃんと取らないと駄目だよ。付属と本校の授業は全くの別物なんだからね。」
全くの別物とか言われてる勉強、しかもその中でも難しいやつを俺はまゆきさんに教えてたりするんですけどね。まぁ、基本的に為せば成るでこなしてきたから、これからもそうするんだけど。
「分からなくなったら音姉に泣きつくよ。」
「だからその前に頑張らないと駄目だって。」
もちろん、誰かに頼るのは最終手段だ。音姉だってもう分かってるだろうに、この話題だと毎度こんな感じだ。そんなに不真面目でも無気力ではないんだが、どうしてそう思われてるのかピンと来ない。
「音姫さん、おはようございます。」
「おはようございます。」
振り返ると杏と茜がいる。三学期に入ってからずっとこの時間で会うのに、俺は毎度時計を見てしまう。先入観というのは恐ろしいものだ。
「おはよう、雪村さん、花咲さん。」
「おはよう。」
挨拶を交わし、だいたいこのメンバーで登校するのが三学期のトレンドだ。名実ともにクリパのメインヒロインであった三人を従えての登校は恐ろしいほどの視線を集めるが、ちょっと離れて歩こうとすると非難されるのでもはや諦めてる。
誹謗中傷、嫉妬は相沢である特権らしい。俺の従姉が嬉しそうに語っていた。
「祐一、今日も随分と目立った登校だったらしいな。」
昼休み、一人で屋上で寝そべってると義之がやってきた。せっかく一人になろうと思ったのにすぐにバレる。俺の思考は随分と単調のようだ。
「誹謗中傷、嫉妬は相沢の特権らしいぞ。」
「誰がそんなこと言ったんだ?」
「一家で一番表舞台に立ってるやつ。」
相沢は基本的に裏方しかいないが、たった一人だけ表舞台に立とうとしてるやつがいる。そいつが皆に姿を現したとき、相沢で最も嫉妬される人間となるだろう。
「っでお前は由夢と食べるんじゃないのか?」
「忙しいんだってよ。」
「どうせ俺はお前の暇つぶしだよ。」
俺がいじけて言うと、義之は笑った。でもあまり嬉しそうでない。きっと何らかの不安がある。もしかしたら由夢が忙しいってのは嘘かも知れない。
「相談事があるなら早めに言っておけ。最近、保健室に手が回ってるのか、サボることも出来ないんだ。」
さっさと話は進めるに限る。やはりそうだったのか、義之は何か決意したかのような顔つきになった。俺に出来ることであればいいが。そう思った俺は甘いんだろうな。
「最近、由夢の顔が曇ることが多いんだ。お前、原因知らないか?」
それに気付いていない俺ではなかった。確かに由夢は時折義之といるとき何とも言いようがない哀しい顔をする。一瞬だから気付かないのだと思っていたが、やはりそこは恋人。気付いていたようだ。
「お前は本当に思い当たる節がないんだな?」
「当たり前だ。」
そんなに断言されても俺は困るのだが。でも義之にとってそれで一杯一杯なのだ。実は音姉も最近哀しそうな顔で二人を見ているときがある。由夢は義之を見て、音姉は二人を見て、哀しい顔をしている。どうやら真実は音姉辺りが知っているに違いない。
「由夢でお前でも分からないことが俺で分かるはずがないよ。だけど俺もお前と同様兄さんと呼ばれてる身だからな。由夢の相談を聞いてやる感じで、調べてやるよ。」
「ありがとうな!さすが親友!」
嬉しそうな義之。でも何故だろう。時折義之の存在がぶれるのは。俺でも何とか出来ることなのだろうか。
「まゆきさん、音姉います?」
真実に近いのは音姉だ。そう半ば確信を持った俺は放課後生徒会室を訪れた。でもこの時期は卒業式と卒業パーティーで忙しいので生徒会役員は忙しそうに動いていた。
「音姫なら帰るって言ってたよ?」
「でも卒パで忙しいんですよね?」
「何だか調べ物だってさ。それに音姫がいなくても動けるように鍛えてるしね。」
そう言ってまゆきさんは後輩達に微笑んだ。確かにこの人達が時期生徒会を引っ張る。無能ではない。
でも責任感の塊のような音姉が放置するなんて嘘くさい話しだった。調べ物ならば夜に俺のパソコンを利用すれば大抵のものが手に入るし、音姉だって普段から利用している。もしや俺のパソコンで調べられないことなのか?なら尚更気になるってもんだ。
「分かりました。失礼します。」
「音姫には任せておけって言っといてね。」
俺は元気なまゆきさんと別れ、さてとと言ってペンデュラムを取り出す。
恐らくではあるが、音姉は家にはいない。今家に帰れば俺や義之と遭遇し、追求されることが予想できる。音姉は嘘が下手なことぐらい自分で知っているから俺達とは接触を避けるはず。
だがどんなところにいようと俺には関係なかったりする。俺の母は祖父と違って正規の教育を受けた魔術師だ。その母が得意なのが占い関係。そしてそんな母が俺に教えたのがペンデュラムを使った捜索魔術。
過去視を持つからと言って、現在の物が探せないことはない。よほど隠遁魔術に優れた者でなければ俺から隠れることなどほぼ不可能だ。
そっと目を瞑り、音姉を強くイメージする。一般にペンデュラムを用いる魔術は地図を用いて、流れを感じて視覚で確認するが、俺はそんなことをしないでも地図が頭に入っているなら場所がすぐに浮かぶ。
「図書館か。」
音姉を感じたのは学園の図書館だった。ここの図書館は下手な街の図書館より蔵書が多いと言われている。まずはここを調べて、街の図書館で調べ物をするつもりなのだろう。
俺は媒介のペンデュラムを指で回しながら、図書館に向かう。動けばすぐに分かるが、やはり予想通り図書館を出ない。まぁ、移動したところですぐに見つかるのだけど。
「音姉、何調べてるの?」
「キャッ!」
声をかけると音姉は悲鳴を上げ、そして崩れた。ヤバい。そう思って一気に駆ける。間一髪で音姉が倒れる前に支えることが出来た。
「大丈夫?」
「あ、うん、大丈夫。」
俺が立たせると、音姉はいつもと違って少し複雑そうな顔をしていた。
やはり何か隠し事をしている。そう確信した。チャンネルをずらして、無理矢理話させようか。いや、あの力はこんなことに使うためじゃない。使うのは最後の手段だ。
「調べ物なら手伝うよ。新聞?」
音姉が持っていたのは新聞だった。新聞ぐらいならネットを調べればすぐだったような気がするが、何か理由があるのだろうか。返答がなかなか来ないので、日付だけでも見ておく。
「桜が散った日。」
それは俺も何度か呼んだことある新聞だった。そしてその俺の漏れた言葉に音姉は過剰に反応した。この島の桜が関係するのだろうか。もしかしたら....。
「魔術使い、いいや魔術師か。」
俺の結論は音姉が少しずつ離れていくので肯定された。
魔術師とは真理を求める存在。人の世界の裏で生き、時に同じ存在に力を借り、時に同じ存在の知識を奪う求道者の成れ果て。
そのあまりに束縛的な存在であるが故に祖父や母は魔術師であることを止めた。求道者の集団とも言える相沢一家ですら俺しか魔術師になることは許されなかった。それほど魔術師となることは危ういのである。
「ああ、何というかあの桜を追ってればいずれは会うとは思ってたんだよ。でもこんなことまでする魔術師がまさか正規の魔術師とは思えなかったし、まさかこんな身近にいるとは思わなかったし。」
動揺してるのはどっちかと言えば俺の方だ。ここの桜の凄いところはこれだけ表沙汰になってるのにも関わらず、どこの魔術師もこれを容認してることにある。秘匿、秘密主義こそ魔術師の世界の常識。これを覆すこと自体、狂気。魔術師の狂気には相手に出来ないほどどうしようもないものか、逆に普通の常識を持っている物がある。つまり俺は後者であると考え、結構楽観的に秘密を探っていた。だからもし出会ったら軽い気持ちで教えて貰おうと思っていたし、まさかそんな人が自分の側にいたなんて想像もしてなかったのだ。例え朝倉と言う家に魔術師らしさを感じていようとも。
「弟君は本当に魔術師なの?」
「正規の魔術師じゃない。どっちかと言えば魔術使いか。それも仕方なく覚えたんだ。俺の祖父も母も魔術師を止めた人間だしな。」
全ては過去視を抑えるために覚えたに過ぎない。俺は協会と言う秘密主義組織に束縛され、自分の血族を束縛することはしたくないのだ。
「俺は音姉が魔術師だからって言って気持ちは変わることはない。俺は音姉の弟君だよ。」
少なくとも魔術師だからと言って変わることはない。だから音姉の言葉を待った。俺の気持ちは変わらないのだから。
「弟君は私が魔術師だって事を責めないの?」
「責める理由があるのか?」
「だって魔術師であることを隠してたんだよ?」
「そんなこと言ったら俺もだろ?」
「でも弟君は魔術使いなんでしょ?」
「なら魔術師だ。これで問題ないという訳だ。」
俺がそう言うと音姉は少し困ったような顔だった。魔術師であろうと音姉は変わらない。ならそれで良いんだと思う。
「桜、調べるんだろ?どうせなら俺の部屋に行こう。あそこの方が調べられる。」
そう言って、俺は音姉の手を掴んだ。
「ちょっと弟君!」
「図書館では静かに。俺は嫌だよ。こんなんで音姉と他人になるのは。絶対に嫌だ。」
この手を離すと音姉が遠くに行ってしまうのではないかと思って離すことが出来ない。
「分かってる。私もこんなことで弟君と他人になるのは嫌。分かった。全部話すね。」
「ありがとう。」
「それじゃあ、新聞を片づけようね。」
「そうだな。」
音姉はいつもの笑顔で歩き出した。これで漸く一安心。そう思ったが何故か俺は手が離せない。それが無意識でのことで少し怖かった。
「それじゃあ、音姉は魔術師を監視する家系なんだ。」
家へと帰る道のりで音姉の家のことをかなり教えて貰った。永遠の求道者である魔術師にも色々種類があって、音姉の家のように魔術が外の漏れないか監視するような家系もある。それらには魔術師殺しと言われる強力なのもあるが音姉の家系はそんなのではないようだ。
「でも家のお母さんもあまり魔術師らしいことはしてないの。私は基礎の基礎を教わっただけなんだ。」
「ならもしかしたら俺の方が上かもな。」
「そうなの?」
「俺は一応祖父に一般の魔術師の知る基本を教わって、母から一人前と言われたから。」
この眼のおかげで魔術師にならざる得なかった。せっかく祖父と母は魔術師を止めたと言うのに、俺に教えないとならなくなったんだから苦々しい思いだっただろう。
「弟君は何が出来るの?」
「捜索魔術って言う物探しが得意だよ。」
「ふふ、じゃあこれは無理でしょ。」
音姉は嬉しそうに手を出し手を握りしめたと思うと、開いた瞬間和菓子が飛び出した。
「凄い魔術でしょ?自分のカロリーを使って和菓子を作るの。」
「これって凄いの?」
同じようなことが出来る俺としては大した魔術じゃない。でもこの一言で音姉の顔が真っ赤になる。怒ったときの顔だ。
「凄い魔術だよ!だって一小節も唱えずに自分の体のカロリーを代償にして物を生み出すんだよ?普通の魔術師が見たらホルマリン漬けにしてくるだろうぐらい凄いんだから。」
そんなに凄い物なのか。俺なんか祖父が全てのイメージは経験から成すを教えるために教えた簡単な魔術という認識しかない。
「これがそんなに凄い物なのかねぇ。」
俺もギュッと握りしめ、タルトなんて出してみる。音姉の眼がまん丸になった。
「お、弟君、なんでそれ出来るの?」
「何でというか、習ったからだけど。」
「だってそれ、私のお母さんが凄く難しいって言ってたんだよ?普通の魔術師じゃ絶対に出来ないことなんだから。」
「そうは言っても出来てるよ。」
「だから無理なんだって〜!」
音姉は相当不満なようで、出来てることすら否定しそうな勢いだ。なら食ってみれば分かるだろってことで音姉の口に出したタルトを放り込んでみる。
「ん、美味しい。」
「だろ?強力なイメージは経験より成り立つんだ。自分で作れる通りに出来るんだよ。」
音姉は納得したのか、タルトを食べていく。まぁ、せっかくなので音姉の持っていたまんじゅうでも食べてみる。見た目が美味しそうな割に味はそれほどでもない。あまり明確なイメージがないからこんなことになる。この魔術はイメージありきなのである。
「っで音姉はあの桜を枯らせたいっで良いんだよな?」
「うん、あの桜はどういう魔術でか知らないけど、この世界に認知されてる。でもそれは自然をねじ曲げてると言うこと。許しちゃ駄目なの。」
音姉は今までにない真剣な顔をした。俺は祖父と母から魔術師がどういう存在か聞いている。少なくとも魔術師がこの桜を知ればこの島を壊してでもその魔術を解読しようとするだろう。
だがこの魔術は普通ではない。祖父と母に魔術の解析に関して右に出る物がいないと言われた俺ですら糸口すらつかめないものだ。当然、普通の魔術師が解析するとなると荒々しくなる。俺は音姉のように自然をねじ曲げてることに抵抗はないが、この魔術を解析しに来る魔術師がしでかすであろう事に戦慄を覚えた。
「俺は正直、音姉のような正義感はない。でも魔術師がこの街で何かする前にあの桜を枯らせる。」
「あの木は人の願いを叶えてるんだよ?」
「だからこそあの木が呼び水となることだけは止めないとならない。あの桜の創造者だってそれは望んでないはずだから。」
島の願いを叶える桜の創造者は恐ろしいほど純粋だったに違いない。その人間の力が悪用されることだけは絶対にさせてはならない。俺はもしかしたら恨まれるかも知れない。犠牲の下に成り立つ幸せなど驕りでしかないかも知れない。それでも俺はやるしかない。それが俺の大切な物を守ると言うことだから。
「そう言えば弟君、調べたことがあるみたいだけどどうだった?」
「とりあえず魔術に接触して少しずつ紐解いてったんだ。」
「それって凄いことだよね?」
「祖父が考えたんだけど、魔術をプログラムとして理解することで機械的に解析していくんだ。祖父はこの魔術一本で超一流とまで呼ばれたんだ。」
祖父は魔術師を辞めること自体許される物でなかったが、この魔術を外に漏らさぬ事で半ば納得させたという。母によると祖父は本来ならば抹殺されるべき存在であったが、多くの魔術師が祖父と戦うことで魔術の見抜かれることを恐れ、半ば容認されたという。つまりこの魔術というのはそこまで恐ろしい物なのだ。
「でもその魔術を持ってしても最後のブラックボックスは無理だった。何というか、紐解こうにもどこから手を着けて良いか分からない感じだった。恐らく既存の魔術と一線を画しているから俺には理解できないんだ。」
この魔術はあくまで理論を知っているから出来るのである。よく勘違いされるが何でも解析できる訳ではないのだ。
「全く駄目だったの?」
「ブラックボックスは無理だったけど、他はほとんど分かってる。どうやら一度桜が枯れた後に誰かがあのブラックボックスを正常に作動できるようにしたようなんだ。だから枯らせるのはある意味簡単。それらの魔術を停止させればいいから。」
まぁ、そうは言っても高度な魔術だから普通の魔術師じゃ理解しただけじゃ停止など出来ないけど、俺は紐解いた物で自滅のプログラムを作れるから壊すのは簡単にできる。
「それならすぐに取りかかりましょう。」
「ちょっと待って。」
今にも飛び出しそうな音姉を止める。何でって顔をされるが肝心なことを忘れてる。
「確かに停止させることは出来る。でも停止させた悪影響を考えないとならない。あれほどの大魔術だ。どれほど影響を与えているか。そして被害を大きく出さないか考えた方が良い。」
願いを叶えるというのなら尚更気をつけるべきだろう。時間はあるのだからゆっくりと徐々に停止させていく。叶えた願いだって徐々に弱まっていけば、諦めていけるはずだ。
「弟君はすぐは嫌なの?」
「音姉こそ何故そんなに急ぐ必要があるんだ?まだ桜は世界を浸食しているから時間はたっぷりある。軽率な行動をする必要性なんて皆無だ。」
「でも急がないと駄目なんだよ!じゃないと由夢ちゃんが!」
バッと音姉が口を塞いだ。何故ここで由夢の名が出てくる?魔術師の常識として後継者は一人だ。だから由夢は魔術師でないから、この手の話題に関係ないはず。
そう言えば音姉は随分と哀しい目で由夢を見ていた。でも由夢だけじゃなく義之もだ。
「音姉、まだ隠してるだろ?」
「ううん、何も隠してないよ。」
嘘だ。何も隠してないのなら音姉は首を傾げる。
「嘘は言わないでくれ。由夢に何かあるだけじゃないんだろ?義之も何だろ?」
「止めて!」
音姉が耳を塞いで声を上げた。それほどまでに言いたくないことなのか。だがここまで関わってしまった以上、俺は全てを知る必要がある。
チャンネルをずらし、過去視を発動する。ここは音姉の部屋。つまり音姉が何かするとき必ずここを使う。ならばここの過去を視ることで全ての謎は解明される。俺は逆再生する過去を視ていった。
ここかと思ったところで逆再生を止める。そこで音姉は恐らく桜の木を自分なりに調べてまとめたであろうノートを前にして頭を抑えていた。こんな音姉は視たことがない。
「嘘だよ。弟くんが本当はいないなんて。」
よく見てみると音姉は泣いていた。俺は視線をずらし、ノートを視てみる。そこにはある程度の原理と身近にあった影響が記されている。そしてそこに先ほどの言葉の答えがあった。
「義之は桜の願いによって生まれた人間なんだな。」
俺の言葉に今の音姉が頷いた。過去によると義之は誰かの願い、恐らくはさくらさんの願いによって生まれたという。だから身寄りのない義之は最も桜に近しい純一さんが引き取った。そして義之の存在は桜によって成り立っており、桜が消えれば当然義之は消える。
音姉はとっくの昔に調べ終わっていた。ただ桜を枯らすことが義之を殺すと言うことで踏みとどまらせていた。それでも枯らせようとしてた強い意志を新たな魔術師という俺の存在が後押ししようとしていた。何の疑問を持たずにあれを枯らせていたら義之は消え、音姉にも深い傷跡を残した。本当に危なかったと言える。
「こうなったら別の方法を考えるしかないな。少し難しいけど改良を重ねて、義之が消えずに済む方法を模索しよう。」
「それはどれくらい掛かるの?」
「どれくらいか分からない。想像できない世界だ。」
「なら駄目だよ。協会だっていつしかここの異常に気付く。そうなったら私達ではどうしようも出来ないんだよ。あれは早く枯らせないと行けないの!今この一瞬でもすぐに!」
分かってる。あれがあること自体危険なことを。
「でも義之を犠牲になんて出来ないだろ。アイツは桜が生んだのかも知れないけど、ただの少年なんだぞ?俺達と馬鹿なことやっては笑い、人が苦しいのを見てられない。音姉にとって大事な弟じゃないか。」
俺はあの桜の危険性を認識していても義之を犠牲にすることなんて出来なかった。今思えば俺が最初に感じた違和感は魔術師としての本能が義之の存在を否定していたからかも知れない。でも接すればすぐに分かった。アイツはただ生きていただけだ。そして今アイツを慕ってるやつがたくさんいる。そんなやつを見捨てる事なんて絶対に出来ない。
「私にだって分かってる。これが弟君を犠牲にしてでもやることかって。でも私はそういう風に育てられたんだもん。お母さんに頼まれたの。悪い魔術師を倒すのが私の役目だって。私は正義の魔術師じゃないと行けないの!」
俺が魔術を覚えたのは生きるために必要だったからだ。でも音姉は違う。音姉にとって魔術は亡くなった母と繋ぐ唯一の絆なんだ。だから断ち切る事なんて絶対に出来ない。
義之を殺すことは出来ない。でも母との約束を違えることは出来ない。音姉の性格上、究極の選択なのだと思う。だから心に誓った。この人には絶対に桜を枯らさせない。全て俺だけでやろうと。
「分かったよ、音姉。俺も覚悟を決める。」
「ありがとう。でも責任は私が持つよ。」
音姉は優しいから俺に罪悪感を持たせないようにしようとしている。自分だって壊れそうな癖に、俺の方を心配している。だから微笑んだ。そんな音姉を安心させるために。
「いいや、責任は自分で取りたい。一週間欲しい。一週間あれば考えがまとまると思う。一週間なら良いだろ?」
桜が機能してる以上、そう簡単に魔術師はやってこない。一週間なんて大した日数ではない。
「分かった。じゃあ、一週間後の夜。一緒に行こう。」
「ああ、分かったよ。」
俺がそう言うと音姉がフッと崩れた。慌てて支えると音姉が泣き出した。
緊張の糸が途切れて、感情のコントロールを失ったんだと思う。ずっと一人で悩んでいたのに協力者が出来て、それで一緒に罪を分かち合える人に出会ったから。
「私ね、気付いてからずっと迷ってた。由夢ちゃんは弟くんのこと本当に大好きで、やっと結ばれたんだもん。なのに私が引き裂いちゃう。正義って言う理由だけで。」
正義って理由だけで義之を殺すことなど音姉は出来る人じゃない。でもやらないと行けないという責任感が音姉を突き動かし、苦しめている。泣き出した音姉を俺はギュッと抱きしめた。せめて悩んでるのが一人じゃないと知って貰うために。
それから音姉はずっと泣いて、そのまま寝てしまった。俺は音姉をベッドへと寝かせ、布団を掛ける。
「大丈夫。俺が何とかするから安心して寝て良いんだよ。」
俺は音姉の頭を撫でて、部屋を出る。いつの間にか夜も深まっている。携帯を見てみると義之から何度も着信があった。先ほどの話しで少し動揺しているが、兎に角用件を聞こう。
「義之、何の用だ?」
「何の用だ、じゃねぇよ。音姉との難しい話しってのは終わったのか?」
「ああ、終わったよ。そっちに由夢はいるのか?」
「ああ、こっちで食べた。お前と音姉の分もあるぞ。こっちに来いよ。」
「悪いけど音姉は疲れて寝ちゃったんだ。それと俺、今日はこっちに泊まることにしたから由夢と二人で仲良くしろよ。」
「気を回すなよ。」
「どうせ由夢の顔が曇るのはお前の甲斐性無しの所為だ。しっかり甘えさせてやれ。」
「お、おう。」
義之の変な返事を聞いて、俺は携帯を切った。
「絶対に俺が何とかしてみせる。義之も由夢も音姉も幸せにしてやるんだ。」
一週間あればその答えを見つけてみせる。でもその前に話すことがあった。俺はリビングに向かう。思った通りそこには純一さんとさくらさんがいた。
「んにゃ、難しい話は終わったの?」
「ええ、終わりましたよ。あの桜がいかに高度な魔術で作られていたか教えました。」
俺の言葉に二人の顔色が変わった。
「何の話しかな?」
「惚けないでください。もう全て知ってるんですよ。桜がここで人の願いを叶えてること。さくらさんの願いで義之が生まれたこと。あの桜の制御した魔術だってさくらさんが作ったんでしょ?今更隠さないでくださいよ。こっちだって色々知りすぎて頭がパンクしそうなんですから。」
俺の言葉にさくらさんはため息をついた。
「いつかは知っちゃうと思ってた。君は祐一君の孫だから。」
「それはどういう事ですか?」
「祐一君は解析、解読、解呪のエキスパートだった。ここに来たのも当時咲いていた桜を危惧してだった。だから君があの桜を危惧するのも当然と言えば当然なんだ。」
祖父はあの桜を知っていた。その危険性と共に。では何故祖父はあの桜を容認してたのだろう。一度枯らさせたのなら二度目は許さないはずだ。祖父は晩年ずっとここに住んでたのだからここに危険が及ぶのだけは絶対避けたはずだ。
「実を言うとな、祐一君。祐一の遺言って言うのは嘘だ。」
「何でそんな嘘をついたんですか?」
「遺言ではないんだよ。俺は君を桜の前で拾った。そのときに出会ったんだ。死ぬちょっと前の祐一と。」
俺が倒れたあの日か。でも過去視を持ってない純一さんが祖父に会えるはずなんてない。
「祐一はあの桜をさくら以上に理解していた。だから君が桜を調べて万が一の状態になったときトリガーとなって現れるように願っていたらしい。俺の前に現れた祐一は君のことを任せたと言った。だから正確には嘘じゃないんだよ。」
色々疑問点が残るが、ここで嘘を言う意味がないのを俺は知っている。祖父は俺を純一さんに頼んだ。多分これは俺が桜と関わるのを監視させる意味合いだと思う。それほどまでに祖父はあの桜を存在させることにしていた。
その理由を考えてみた。でも思いの外あっさりと分かった。義之がさくらさんの望んだ子供だったとしたら、それは純一さんとさくらさんとの間に生まれた子供だ。例えパラレルワールドによる物だとしてもさくらさんにとって義之は自分の子供。祖父はそんなさくらさんの気持ちを踏みにじることなど出来なかったのだ。
「さくらさん、教えてください。あの桜を枯らせて、義之が存在する方法ってないんですか?」
「ないよ。あの桜を枯らせれば遅かれ早かれ義之君は消滅する。ボクが出来るのは少しだけこの世界に止まらせるぐらいで、結局みんな義之君のことを忘れてしまうよ。」
あれほどの魔術を編み出したさくらさんならばと思ったが、やはり予想通り不可能だった。俺は一息つき、ソファーに座った。やけに体が重く感じる。
「音姉がずっと悩んでるんです。母の願いを叶えないと行けない。でも義之を消滅させることなんて出来ないって。俺があれを枯らせることが出来るって知ったらすぐに行こうって行ったんです。あれが消えて義之が消えたのを俺が知ったときに自分を追求させやすいようにですよ?危うく俺は音姉を傷つけることでした。今日は久しぶりに自分を殺したくなりましたよ。」
俺はいつも通り冗談交じりに笑えているだろうか。純一さんとさくらさんを見てみると辛そうな顔をしている。きっと俺は泣きそうな顔をして喋ってるのだろう。
「一週間の猶予を貰いました。一週間後の夜、俺は音姉の二人で一緒にあの桜を枯らせるって約束しました。でもそんなこと絶対にしません。義之を犠牲にした幸せなんて願い下げです。音姉に深い傷跡を残すなんてゴメンです。俺は絶対に何とかして見せます。だから二人は何にもしないでください。きっと二人は孫のため、息子のために何かやるんだと思います。でもそれはきっと根本的な解決になりません。俺がきっとどうにかしますから、お願いですから何もしないでください。約束して貰えますか?」
答えは返ってこない。二人は黙り込んでる。
「お願いです。俺が何かするまで何もしないと。音姉も由夢も義之も絶対に幸せにして見せますから約束してくれませんか?」
「若い君が犠牲になることなんてない。」
「馬鹿にしないでください。俺は俺を犠牲に出来るほど出来た人間じゃありません。でもきっと何とかします。それは絶対です。」
そう自分に言い聞かせる。俺なら出来ると、俺しか出来ないのだと。
「分かったよ。」
「ありがとうございます。」
返ってきたさくらさんの言葉に俺はホッと胸を撫で下ろした。でも二人はきっとすぐに動き出すだろう。動物たちで桜を監視させ、明後日にでも取りかかることにしよう。絶対に誰にも不幸にさせない。そう心に誓った。
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