KanonをD.CU〜音姫編-失ったからこそ分かるもの〜
「祐一、聞いてる?」
電話の先の女が少し不機嫌そうに言う。聞いてないと言ったらどれだけ怒るだろう。ちょっと試してみたいと思ったが、止めようと理性が働いた。電話だからと言って調子に乗ってると、こっちにまで乗り込んでくる。俺の従姉はそう言う女だった。
「聞いてるよ。オーディションに受かったんだろ?」
「っそ、でねクールな悪役なの!女癖の悪い主人公を徹底的に痛めつける訳なのよ。」
「あまりはしゃぐなよ。お前は家の一家で俺の次に強いんだから。」
「ちゃんと手加減するわよ。私は女優ですから。」
モデルの時と違って、女優は演技しないとならない。相沢一家で一番絡みづらいと言われる従姉は女でありながら手が早く、しかも俺しか相手に出来ないと言うことで質が悪いと来ている。今回の成功がちゃんと成功であればいいが。そう思うのは相沢一家の総意だと思う。
「そう言えばもうすぐ付属を卒業するんでしょ?こっちに来るの?」
「行く訳ないだろ?少なくとも後3年はここにいる。そう言う話しだっただろうに。」
祖父が亡くなり、ここで生活すると決めたときそう発表しておいた。それが覆すようなことがないことは相沢であれば誰もが知っている。
「でも朝倉の家を出たんでしょ?ならもうそろそろ飽きたのかなって。」
「飽きるとかそう言う問題じゃないんだよ。それよりお前はゆっくり休め。良いな。」
「ちょっと待って!」
向こうが何か言おうとしたが、俺はその前に切った。一息ついて、ソファーに座る。何だか最近おかしい。何がおかしいって記憶がだ。
相沢から連絡ある度、何故朝倉から帰ってきたのかと聞かれる。朝倉は親友の義之の元居候先で、姉が生徒会長として、妹が後輩としている。義之の姉妹ってことで親しいが、だからと言ってこう何度も話しに出るほどの間柄じゃない。
でも話を聞いてる限り、俺が朝倉の家に居候してたみたいなのだ。あり得ないと思うが、否定出来ないだけの根拠もある。それに最近妙に音姫さんが哀しい目を向けてくる。声をかけようとするとすぐにどっか行ってしまい、杏もすぐに不機嫌になり、遠ざけようとする。何かがおかしい。でも何がおかしいか分からない。何かの拍子で忘れてしまったのだろうか。そう思って魔術を使って検索を掛けても何も分からない。
なら何もなかった。そう結論づけられないのは何故だろう。
「っとそろそろ行くか。」
コートを羽織り、家を出る。杏を起こしてやらないとならない。
「ほら、起きろ。」
寝起きが悪い杏をたたき起こし、さっさと朝食を作る。テレビでは受験シーズンも終わり、もうすぐ卒業シーズンだと言っている。家の学園では卒業式と同時に卒業パーティーが開かれ、最後の思い出作りをする。そう言えばこんなイベントの割に俺は何でクラスの出し物に参加してないのだろう。我ながらちょっと不思議だ。
「相変わらず主夫してるわね。」
「言ってろ。ほら朝食だ。」
杏に朝食を食べさせて、俺はコーヒーを飲みながら残った仕事を片づけていく。
「また仕事やってるの?」
「どういう訳か仕事がたくさん残ってるんだ。まぁ、別に全部やらないと行けない訳じゃないんだけど、やっておかないと気になってさ。」
思えばこんなに仕事が溜まってるのも不思議だ。確かに仕事とは言ってもやらなければ行けないものではないが、それでも今までずっと全てを片づけてきたはずだ。
「やらなくて良い仕事はやらない方が良いわよ。」
「まぁ、出来る範囲でしかやらないことにしてるよ。それよりもう食べ終わったのか?」
「ええ。」
「じゃあ、行くぞ。」
少し慌ただしく朝は登校する。でも慣れているはずの登校を何故こんなにも慌ただしく感じるのだろう。
「祐一君、いる?」
昼休みになり、杏達と食堂に行こうとしたとき大きな声が教室に響いた。
俺を呼んだ高坂まゆきさんは学園の副会長をしている人で、音姫さんの親友って事で何度か顔を合わせたことがある。それにしても何の用だろうか。
「お久しぶりです。何か用ですか?」
俺が早速駆けつけるとまゆきさんは露骨に顔をしかめた。何だろう。もの凄く怒ってる気がする。
「悪いけど話しがあんの。付いてきて。」
「分かりました。」
後は勝手にやってくれってと杏達に合図して、俺はまゆきさんに付いていった。
「姉離れも良いけど、ここまで徹底すると酷いわよ!」
誰もいない屋上で俺はいきなり怒鳴られた。俺は怒鳴られるほどまゆきさんと仲が良かっただろうか。いや、その前に姉離れって何だろう。
「話が読めないんですけど、いったい何の話しですか?」
「だからそこまで徹底する必要があるかって言うの!」
だから何の話しなのさ。悪いがこちらには全く覚えがないのだから起こり飛ばすことも出来る。しかしまゆきさんが何の根拠も無しにこんなことを言うはずがない。ここは不愉快な思いをしても真相を追求しておいた方が良さそうな気がする。
「音姫は何も話さないけど、多分あの子が何か言ったのが原因なんでしょ?細かいことは気にしないでやってよ。なんだかんだ言ってすっごい意識してるから良いことだとは思うんだけど、あの子もの凄い深刻そうな顔でいるからこっちとしてはやりにくくてさぁ。さっさと元に戻って欲しいのよ。」
まゆきさんは怒ってると言うよりお願いをしてるようだ。とりあえず話しを整理しよう。
全く覚えはないが音姫さんが俺に何か言ったことによって俺は音姫さんと距離を離すこととなって、それで音姫さんが深刻な状態になっているという。まるで恋人同士がいざこざを起こして、親友がその仲裁に入ったような状況だ。でもあり得ないだろ。品行方正で誰からも好かれる音姫さんが俺と恋人だなんて。
いや、やっぱりどう考えたってあり得ない。でも音姫さんの事を考えるとどうして胸が痛いのだろう。
「っと色々言ってみたけど、元通りとまで言わないからとにかく音姫のことを安心させてやってよ。あの子はみんなが思ってるほど強い人間じゃないから、こういうの続けると多分壊れちゃうから。」
「分かりました。ちょっと何とかしてみます。」
「そ、ありがとうね。じゃあ、頼んだよ。」
俺の返事にまゆきさんは嬉しそうに去っていった。あのまゆきさんがあそこまで感情を露わにするほどこの問題は根深い。俺はポンッ梯子を登って、登ったところで寝転がった。外はまだ冬。背中から感じるアスファルトは恐ろしく冷たい。
「俺が音姫さんと恋人同士ねぇ。」
なかなか面白い話しだ。だって俺は杉並と並ぶ問題児で、こうして授業を平気でサボる不良とも言える。そんな俺が品行方正の生徒会長の恋人同士なんて夢物語すらならない。
確かに凄い美人だと思う。品行方正に裏がないのも尊敬出来る。義之の姉代わりと言う贔屓目なしで魅力的な女性だ。色々接してみると面白いとは思ったことあるが、片や生徒会長、片や問題児って事で接点なんてほとんどない。まぁ、向こうも弟の親友ぐらいしか思ってないだろうしで接することを諦めていた。
「本当なら喜ぶところだろ。何でこんなに俺の心は空虚なんだ。」
素直に喜べないことに違和感が強い。そう言えばまゆきさん、随分と親しそうだったな。まゆきさんは後輩の面倒見が良いけどそれとなく人と距離を持つタイプだったはずだ。あれじゃあまるで親友のようだ。
「くそっ、何だってこんなに気分が悪いんだ。」
何か決定的におかしい。こうなったら過去視を使うか。
祖父より余程のことがない限り使うなと言われた過去を視る魔眼。俺に覚えがなくとも過去はその土地にある。
そうと決まれば早速行動だ。俺はペンデュラムを取り出し、頭に地図を思い描いた。
「さぁ、ペンデュラムよ。俺と朝倉音姫に最もゆかりのある土地を教えろ。」
その瞬間、頭に痛みが走った。おいおい、たかが初歩魔術で頭痛がするってどういう事だよ。
「くそっ、こんな寒い空で強制終了させられるとはな。」
どういう理由でか知らないが、この頭痛は耐えられるものじゃない。故に意識を落とすことでやり過ごすのが強制終了。こんな寒い空で意識を失うのは命に関わるが止む得ない。
ドクンッと一度心臓を鳴らせて目の前が真っ暗になっていく。そして俺は意識が落ちた。
「マジでこの寒空での強制終了は命取りだな。」
目覚めると体が氷のように冷たかった。人間、意外と丈夫だな。俺は軽く演舞をして、体を温める。時計を確認するといつの間にか放課後となり、真っ暗だ。これなら学校を歩いてもバレないだろう。
「次は暴走などさせないぞ。ペンデュラムよ、我を導け。」
再びペンデュラムを垂らし、地図を思い描く。頭痛が走ったが集中力で黙らせる。今度はまともにペンデュラムは導く。その場所は生徒会室だった。
「生徒会長との密事は生徒会室か。」
何か楽しくなってきた。では早速移動開始。俺は軽快な足取りで生徒会室へ向かう。この時期だと卒パで忙しいから人が一杯かもな。
人がいたらいたでチャンネルをずらして強烈な暗示を掛けよう。こちらは寒さで死にそうにまでなったんだ。ここまでなったら手段を選んでる暇はない。
「かといって状況把握もなく突入するのは馬鹿がすることだよな。」
生徒会室の前で聞く耳を立てる。ちょっと聞こえづらいと思ったらチャンネルをずらすことで聴力を強化する。すると聞こえてきた。
「いい加減にして。まだ足りないというの!」
この怒鳴り声、杏か。みんな杏の怒りは静かなものだと思っているが、杏だって声を大きくして怒るときはある。静かに怒ることも多いのだが、それは理性が感情を支配しているときで、その逆もある。一体こんなに杏を怒らせるやつはどいつなんだ。俺はそっと戸を開け、鏡で中を探ってみる。映ったのは杏、そして音姫さんだった。
「漸く最近失った記憶を少しずつ修正されたのよ。なのに今更高坂さんを使って思い出させる気?この事態を誰が引き起こしたと思ってるの!」
記憶が修正されてる?それはちょっと聞き捨てならないぞ。この事態って何だよ。俺は普通に生活してるだけじゃないか。
「ごめんなさい。まゆきは私達が喧嘩してると思ってるようなの。」
「なら喧嘩別れしたとでも言ったらどうですか。あなたは知らなかったのかも知れないけど、祐にとってここでの思い出は何より大切なものなのよ。だって祐は海外に行けば輝かしいキャリアが約束されてた。一度スポーツを始めればたちまちヒーローになれた。でもそんなのより祐はここでの思い出を選んだ。」
杏は声を落とす。確かに杏の言う通り俺は誰もが羨むようなキャリアを蹴った。それは全て杏と茜の将来を見届けるためだ。思い出が大切だと言えば多分一番大切だと言える。だが忘れてなんてないぞ。俺は覚えてる。だってこの前のクリパだってみんなを出し抜くために女装したんじゃないか。
「ごめんなさい。」
音姫さんは先ほどから謝ってしかいない。それが杏にとって我慢ならないのだろう。
「あなたは全然分かってない!祐にとって思い出は絶対なの!思い出があるから人を大切だと言えるの。祐はあなたのことを本当に大事に思ってたわ。祐が私達以外に力を貸すなんて少し前まで考えられなかった。あなただって気付いてたんでしょ?祐は私達と同じぐらいあなたを大切に思ってたのよ。」
何だか話しがおかしな方向になってきた。またここでも俺が音姫さんのことを大事に思ってたというのだ。いくら冗談好きの杏でもマジギレで冗談を言うようなやつじゃない。もしかしてこれは本当のことなのか。俺は音姫さんのことを大切に思っていたのに、それを忘れてしまったというのか?
「せめてもの救いがあなたのことだけ忘れてたことだった。私達との思い出が消えなかったのは不幸中の幸いと言えるわ。でも祐は全てを忘れてる訳じゃないのよ。生活の節々で違和感を感じてる。それは当然。だってここ2年以上過ごした生活と違うことをしているんだから。でもそんな祐を私達が支えることで成り立ってるの。」
おいおい、さらに話が進んだぞ。俺の感じてる違和感は記憶を失ってるからだって言うのかよ。2年以上も何処で生活してたって言うんだ?
「そこであなたが出てくると全てが崩れ去る。もう良いでしょ?祐はあなたのためにあんな状態になったんだから。祐はあなたを幸せにするためにああなったの。なら今度は祐を幸せにするためにあなたが不幸になって!」
その瞬間、俺は戸を思い切り開いていた。考えより先に体が動いた。
「祐!」
「弟君!」
音姫さんの声に頭が痛む。杏が俺の側に駆け寄って、倒れそうになった俺を支えた。だが俺は歩いた。そして音姫さんを見下ろした。
「何か知ってるんだろ?教えてくれ。何でこんなにも違和感を感じるんだ?」
俺が聞くと音姫さんは目を逸らす。初めて見る哀しそうな顔に頭が痛む。俺は音姫さんの肩を掴み、俺を見させた。
「教えてくれ?そんな顔をされると頭が痛いんだ。このままじゃどうにかなってしまう。お願いだ。何とかしてくれ!」
俺は叫ぶが音姫さんは堅く口を紡ぐ。こうなったら言わせてやる。そう思ってチャンネルをずらそうとすると目眩がする。まるで音姫さんにすることを拒否しているように、力が使えない。
「教えてあげる。祐は音姫さんの事を『音姉』って呼ぶぐらい大切に思ってたの。」
杏が呟いた。振り返ると杏は真っ直ぐな瞳で俺を見つめていた。
「『音姉』?まるで義之じゃないか。」
「祐はこの学園に入学したその日の内に朝倉の家の居候となったの。だから義之と同じく朝倉姉妹と兄弟同然だった。祐は音姫さんにとって『弟君』だったのよ。」
弟君と聞く度に頭痛が走る。もしやこの痛みこそ忘れた俺を戒める痛みだというのだろうか。
「祐は気付いてなかったかも知れないけど、いつも音姫さんの話ばかりしてた。何度音姫さんに嫉妬したことか。ずっと私達が祐の側にいたのに、いつの間にか側にいたのよ。でも祐が人を大切に思うことは喜ぶべきものなのだと茜は言ったわ。だから私は認めようと思っていた。なのにある日祐は突然そのことを忘れた。すぐに分かったわ。祐が力を使うなんて大切な人にしか考えられないもの!私達じゃなかったら必然的に音姫さんになる。音姫さんの所為であなたが大切に思ったものがなくなったのよ!」
杏の言葉の一つ一つに頭痛が走る。全て真実かよ。俺は音姫さんのことを音姉って呼んでいて、いつの間にか杏達と同じぐらい大切に思っていて、それでいて忘れてしまったという。
「じゃあ、何で忘れたんだよ。俺にとって思い出が大切なのなら忘れるはずがないだろ!それに俺は大切な人を幸せにしたいんだ。これじゃあ、まるで不幸にしたみたいじゃないか!」
全ての話しが本当なら俺は音姫さんを不幸にしてる。そんなの俺がする訳ない。だがそう言うと杏が泣き出した。
「私達が言ったの。人の幸せなんて人が勝手に決めるだけだって。あのときの祐にとってこれが幸せだったの。私だって分からない。でもこれが私達に相談して、出した祐の答えなの!」
その一言に俺の全てが崩れ去った思いだった。これが幸せ?それは本当なのか?大切な人のことを忘れて、大切な人の顔を曇らせてるこれが俺の望んだ幸せなのか?
「確かに祐は色んな事を忘れてしまった。でもそれでも私達にとってとても大切な人。もうこんなことで苦しまないで生活すればいいの。」
杏が俺の手を引っ張る。俺はそれに逆らう力がなくて、為すがまま。
「音姫さん、色々怒鳴ってごめんなさい。私達が責任を持って祐を幸せにして見せます。だからもう私達に関わらないでください。」
そう言って杏は俺を連れ出した。それから随分と連れ回された気がするが特に覚えてない。ただ俺の頭には音姫さんの泣きそうな顔がこびりついていた。
「ペンデュラムが指したのはここか。」
漸く杏を寝かしつけた俺はペンデュラムで俺が過去を失った最後の場所を探した。杏は俺を止めたかっただろう。あれからずっともう思い出さなくて良い。音姫の分もずっと側にいるからと言っていたから。
でも俺はやはり思い出したかった。せめて音姫さんを笑わせたかった。
「悪いけど私は邪魔をするよ。」
枯れた桜の影から茜が現れた。俺が着るスーツとデザインが変わらぬスーツに身を包み、俺を哀しい瞳で見つめていた。
「茜、悪い。俺は思い出さないとならないだ。例え杏とお前がそれを望まなくとも。」
「だから私はここに来た。祐くんを止めるために。」
茜がいつもの口調と違う。こんな茜を俺は知らない。
「俺が止められると思うな。」
「止めてみせる。それが私が桜に望んだことだから。」
茜はまるで引く気配が見えない。気が乗らないがやるしかない。俺は一気にチャンネルをずらし、人外の力を手に入れ、一気に茜の後ろに回る。チャンネルを戻せば力は元に戻る。そして当て身を当てれば茜の気を失わせることが出来る。それで終わりだ。
「チャンネルをずらすことで超人的な瞬発力を生み、背後に回る。当て身を当てて気を失わせる。」
俺の当て身は空を切り裂いた。そして茜の体が沈んだと思ったとき、俺の頭の上に茜の足があった。沈むと見せかけて俺の頭めがけて踵を当てて気を失わせる。
茜が何故これほどの高等技術を持っているか分からないが、だが俺とて相沢で最強と言われる男。襲いかかる踵めがけて先に飛ぶことで踵は最高の一撃となる前に終わる。大技の後には必ず隙が出来る。俺は沈んだ茜めがけて拳を振り上げる。
だが沈んだ茜が急に向かってきた。カウンター狙いか。ならばそれをカウンターしてやる。少しでも距離を取るべく、俺は地面を蹴る。しかし茜は離れない。いつの間にか先ほどの足が俺の首を回り、逃がさなかった。
まさかこの技は。そう思ったときに茜の膝が俺の顔を襲う。間一髪で受け止めるが、この技はこれで終わらない。飛んできた膝がさっと離され、俺の首を回る。そして茜が回り、ギュッと俺は引かれる。そして俺は地面へと叩きつけられる。これはそう言う技なのだ。
「まさか相沢流古武術を使うとはな。」
不意打ちとは言え、知っている技には反応出来るように出来ている。俺は地面に叩きつけられる前に手を突き、そしてすぐさま茜の足を外し、今度こそ距離を取る。
茜が悔しそうに睨む。もう奇襲は効かない。例え茜がいかに優れた武術者であろうと相沢流古武術を使う限り俺の敵ではない。
「流石、祐くんねぇ。私が戦えると知らない状況で旋風での奇襲だったんだけどぉ。」
「お手本のような旋風が仇となったな。相沢流古武術は必殺を目的とした武術。故に流れるような連続攻撃を主とする。その怒濤の連続攻撃は力の弱い女ですら必殺を可能とするが神業と呼べる技術によって成り立つ。神業と呼ばれる技術も見切られては効果は発揮出来ない。最後の一撃ぐらい相沢流古武術に頼らなければ良かったな。」
実際二撃目で確信したが、それが違っていれば間違いなく俺はその辺に転がっていただろう。運が良かったのだ。
「残念ながら私はこれしか出来ないの。」
「それは旋風だけって事か?」
「違うわ。祐くんが知ってる相沢流古武術だけって事。私は祐くんが見てきたものなら何でも知ってる。よく分からない公式に理論。必殺を目的とした相沢流古武術。そして祐くんのお爺様とお母様が教えてた魔術。形となったのは相沢流古武術と少しの魔術だけだったわ。」
茜はそう言ってペンデュラムを回して見せた。それは俺のに形が似ている。でも宝石の数が違う。あれじゃあ、精度の高い捜索は難しいだろう。
「教えてくれ、茜。なんでこんなことをしたんだ?」
「何度も言うけど祐くんを止めるため。私の力はそのためにあるの。」
そう言って笑う茜はいつもと変わらなかった。いくつもの疑問が浮かぶ。いくら祖父が茜に甘くとも無茶無理で成り立つ相沢流古武術を教えるはずがない。茜は俺が見ているから知ってると言った。ならばそう言う魔眼なのか。
俺が考え事をしてるとき、急に茜が崩れた。何か考える前に体が動いていた。何とか茜が崩れる前に間に合う。その体は少し震えていた。
「あはは、こんな日のために練習してきてたんだけど体が耐えられなかったみたい。旋風以外なら良かったかな?」
「馬鹿言ってるな。大丈夫、体の方は心配ない。今安定させてるから。」
チャンネルのずらし方を変えれば、身体の異常だって見て取れる。その異常に合わせるような形で魔力を通していけば体はすぐに安定する。少し経って茜の体を安定させてホッと胸を撫で下ろした。
魔術での体の強化は祖父が教えてくれたが負担が大きく、どうせ同じ事をするならチャンネルをずらした時による方が効率が良いって事で使ってない魔術なのだ。チャンネルをずらした状態での強化すら鍛えた俺だって堪えるものなのだから、それ以上に負担が大きく、筋力がない茜は体が壊れてしまうような事だ。
もし一歩でも遅かったらと思うとゾッとする。もっと怒鳴り飛ばしてやりたいぐらいだ。
「本当を言うと私が止めないと行けなかったの。」
茜がぽつぽつとしゃべり出した。今ならば過去視で俺の過去を探れる。だが自分の命を考えず止めようとした茜を放り出す事なんて出来ない。茜を失ってまで欲しいものじゃない。
「茜は魔眼持ちなのか?」
茜は俺の問いに首を振った。
「祐くんと出会った頃、私はずっと杏が羨ましかった。何でこんな素敵な男の子があんなに優しくしてくれるんだろう。私ってほら、何だか人と違ったから誰とも深く接することが出来なかった。今では杏と仲良くやってるけど、初めの頃は祐くんが目的で近づいたんだよ。」
茜は少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに語り出した。俺が覚えてるのは気難しかった杏とたった一人だけ仲良くできたのが茜で、いつの間にか三人で遊ぶことが多くなったと言うこと。前から何で親しくなったのか分からなかったが、まさか俺だったとは思いもしなかった。
「祐くんと杏と遊ぶようになったけど、私はすぐに思い知った。祐くんは多分世界で一番の天才で、杏は祐くん以上に凄い記憶力を持っていた。私だけが普通の子だったのがとてつもなく嫌だった。」
「茜はそんなのなくても俺の大切な人だよ。」
「そうだね、祐くんは必ずそう言ってくれるってそのときから知ってた。だから私は願ったの。祐くんはいつしかその才能が転じて、孤立してしまうかも知れない。そんなとき私だけでも理解者であるために祐くんと同じものを見たいって。そうしたら私は次の日から祐くんの見たものが見えるようになったの。」
「誰がそんなことを叶えたんだ?」
「そこの枯れている桜はここに生きてる人の願いを叶える桜だったの。とりあえずその桜が私に与えてくれたこの目のおかげで、私は祐くんが見てきたものを全部見てきた。ゴメンね。私、本当は何でも知ってたの。なのに私は何もしなかったの。ゴメンね、ゴメンね。」
茜が泣き始める。願ったら叶った。でもその所為で見なくて良い物もたくさん見てきた。俺のプライパシーだけじゃないんだろう。俺が見てきたたくさんの汚いものを茜は何の予備知識もなく見せられた。俺が感じてきたものとは桁が違う。茜はただの女の子なのにただの女の子として生きてられなかったのだ。
「そんなに自分を責めるな。茜は俺のことをずっと考えてただけじゃないか。」
「でもね、でもやっぱり何かするべきだった。深く傷ついてるときぐらい優しい声を掛ければ良かった。でも駄目だった。怖かったの。祐くんに知られるのが。祐くんに気付かれたらきっと嫌われるから。嫌われるなんて嫌だったの。」
そっか、結局俺が茜を苦しめてたんだ。たった一言でも想いを言葉にしてれば茜はこんなに辛い思いはしなかった。全ては俺が好き勝手生きてたことが悪かったのだ。
「あっ、自分を責めてるでしょ〜。祐くんは悪くないんだよ。全てはお互い様なの。だから自分を責めるだけのは止めて。私も責めたくなるでしょ?」
「茜がそう言うのならそうする。」
「祐くんらしいね。」
それは自分を責めないという意味だったのだろう。お互い様か。それは本当なのだろうかと思ってはならないのだろうな。過去は忘れて、今を見つめよう。
「少し話が逸れたね。私はこの目のおかげで祐くんが何をしたか知ってる。」
「音姫さんを助けたのか?」
「正確にはそうじゃないの。義之君は芳野学園長の願いから生まれた存在だったの。だから桜が枯れると消えてしまう。音姫さんはこの桜を枯れさせたかったけど、義之君が消えると分かってからずっと悩んだみたい。そんなとき、祐くんが協力することになった。」
「じゃあ、音姫さんは。」
「祐くんと同じ魔術師。でも音姫さんは祐くんと違って魔術に対しての知識はほとんどないみたいだった。もしかしたら私の方が魔術師として優れてるかも知れない。」
そう言って茜は嬉しそうに笑った。あの杏ですら音姫さんに随分とコンプレックスを持っていたようだから、茜も持っていたのだろう。それが例え人に褒められるものでなくとも嬉しいに違いない。
「っで祐くんは音姫さんを幸せにするために自分で一人で桜を枯らせることにしたの。」
「じゃあ、俺は音姫さんの幸せを願って行動したんだな?」
「そうだよ。祐くんが誰よりもみんなの幸せを願ったんだよ。」
それを聞いてちょっと安心した。俺の行動は幸せにするって思いでしたのなら少なくとも間違ったことをした訳ではない。方法が少しだけおかしかっただけだ。
「祐くんが義之君を助けるために見つけたのが思い出を代償として存在させる魔術。人一人存在させるのにどれだけの思い出を失うか分からない祐くんは私達を呼び出した。他愛のない相談だったつもりなんだろうけど、私はこれがお別れにもなるかも知れないことを言ってるんだって知ってた。でも今までずっと視てきたから止められなかった。だって記憶を失っても私達が側にいてくれるって信じてたんだもの。だから私は辛くとも送り出した。何度自問自答したか分からなかったよ。」
それは先ほどの動揺から察することが出来る。止めることが出来たのに止めることをしなかった。辛かっただろう。俺はギュッと抱きしめた。
「そして私達と別れた祐くんはここで魔術を完成させて、桜を枯らせたの。そして幸か不幸か代償となったのは音姫さんとの思い出だけだった。でもそれはつまり義之君を存在させるだけの思い出だったことを意味するのよ。」
「それだけの思い出なのか。」
「たった2年ちょっとだけど、私達と積み上げてきたのと同じなんだよ。ずっと一緒だった私や杏からすれば悔しいけど、でも祐くんはそれで良いと思うの。色んな人と出会ってその人を大切だって思うことが出来るのが祐くんの素敵なところだもの。」
そう言って微笑む茜は誰よりも輝いていると思う。今ならば何故俺がこんな結果になると分かっていて選んだのが分かる。こうやって支えてくれる人がいるから怖くなかったんだ。きっと何とかしてくれる。例えその先に不幸があるのだとしても幸せになれる。きっとそれが俺が出した結論なのだ。
「もう記憶は戻らないのだろうか。」
「後で魔術書を読めば分かると思うけど、お爺さんの魔術書には無理みたいな事が書いてあったわ。祐くんも全てを失う覚悟はしてたみたいだったし。」
ならばきっと戻らないのだろう。どれほど大切だった思い出か気になるが、失ってしまったものは仕方がない。それよりも大切なものがある。そっちの方を失わないようにしないとならないのだ。
「それじゃあ仕方がないな。義之を助けて、音姫...っと音姉か、を助けたってことで納得しよう。」
「とっても大切だったんだよ?」
「大切だったから助けられたんだろ?幸か不幸か俺は大切な幼なじみのことを覚えていて、その内の一人が俺に失ったはずの過去を教えてくれた。これ以上欲張っちゃ本当に大切なものを失ってしまう。」
「本当に良いの?」
「それよりこれからが大変なんだろ?思い出せないとは言え、全ては俺がしたことなんだ。少しずつ修正して行かないといけない。まずはみんなに謝らないとな。特に杏にはしっかり謝っておかないと一生恨まれそうだ。」
俺があははと笑うと茜もつられて笑った。やっぱり茜は笑ってたほうが可愛いな。
「ん、どうしたの?」
「笑ってる茜が可愛いなって思っただけだ。」
予想外だったのか、茜の顔がたちまち真っ赤に染まる。いつも同じようなことばっか自分で言ってる癖に言われてることには慣れてないんだな。
「からかったわねぇ〜。」
漸く調子を取り戻した茜はぐいぐいっと俺の首に回した腕を絞めていく。
「おい、ちょっと待て。冗談で相沢流古武術はヤバいだろ。」
「だって〜、私にとってとても身近なんだもの〜。」
相沢一家の中でも相沢流古武術を使いこなせるのは一部しかいない。身近な遣い手と言ったら現在子供達に教えている父と従姉と俺ぐらい。それ以外は無理なものだから他の武術を身につけてる。
もしかして茜ってもの凄い天才なんじゃないだろうか。話を聞いてた限り、魔術まで使えるようだから凄すぎるぐらいだ。
「って言うか胸に押しつけるな。苦しいだろ。」
「ああん、男の子みんなが触りたがってるこの胸に触れてるのよ?もっと喜ばないと。」
そりゃ、俺だって男だからそう言う欲望がない訳じゃない。でも茜が自分のスタイルにコンプレックスを持ってるようだからそれに触れることだけはしなかった。なのにこの仕打ち。あまりに酷すぎる。
「茜、お前胸のこと随分と気にしてただろ?」
「男の子がイヤラシい目で見てくるし、肩は凝るし良いことないからねぇ。でも祐くんが好きみたいで嬉しいわぁ。」
「まぁ、俺も男だからな。大きい胸、嫌いじゃないぞ。」
「それじゃあ、小さい胸は?」
「嫌いじゃないぞ。まぁ、どんな見た目であれ大切な人であれば関係ないさ。」
これだって茜だからだぞって言ったところで信じてはもらえないんだろうな。でもそんな俺を茜は優しく抱きしめた。
「桜が枯れちゃったけど時たま祐くんが視てるものが視えるの。だから世界が祐くんの敵になっても必ず私だけが認めてあげる。どんなことをやっても私が許してあげる。」
「祖父に似て女たらしかも知れないぞ?」
「そんなの今更でしょ〜。私は良いよ。ちょっと悔しいけど、私は祐くんがどんな眼で見てるか知ってるから。不幸にさせちゃ駄目だぞ〜。」
俺にとって大切な人を幸せにするってのが信念だとしたら、茜は大切な人をずっと信じるって言うのが信念なのだ。
「じゃあ、約束だな。」
「うん、約束。」
茜と指切りをする。契約するときそれを違えることぐらい考えておけ。祖父が言った言葉だ。魔術師にとって契約は絶対であるが、それに縛られるなと言うことを言ったのだ。まさに規格外。
約束だけは一生守り通せ。これも祖父が言った言葉だ。ビジネスライクな契約と違って、約束は自分の信念を懸けるのだと。だから俺にとって約束とは自分の全てを懸けて行うこと。
俺は自分の大切に思った人を不幸にしない。例えそれが俺からのエゴだとしてもそれでもやり通すと。そして小指に掛かる白い指に誓った。俺もまた茜の一番の理解者であろうと。
さぁてとどうしたものか。こんな美味しい状況を見逃すなんて男としてマズいよな。
そんなこと思った瞬間、携帯が鳴り出した。誰だろうと着信を見てみると杏からだ。まさか、アイツ俺の気持ちの変化までお見通しとか言うんじゃないだろうな。
「ハロー?」
「何処に行ってるのよ、馬鹿!」
耳だけじゃなくてスピーカーも壊れたんじゃないかと思うぐらい怒鳴られる。
「あ〜、勝手に抜け出してきたな〜。」
茜は楽しそうに俺の頬をつつく。そりゃ、抜け出して来るさ。信用ないのかトイレまで付いてくるような状態だったんだから寝てるところを狙って来るさ。
「安心しろ。すぐに戻る。」
「当たり前よ!勝手にいなくなって勝手に忘れられるなんてゴメンよ!」
杏は大層ご立腹だ。まぁ、今までの話しから想像すれば同じようなことをしたら間違いなく杏達との思い出が消える。次は私達って想像はあながち外れではない。
「大丈夫。俺は絶対にお前を忘れない。」
「信用出来ないわ!とにかくさっさと戻ってくる!いいわね!」
思い切り切られる。さっさと戻らないと何か色々失う気がする。
「杏は祐くんのことにだけ怒るからなぁ〜。」
茜が感慨深そうに言う。確かに今回ばかりは相当怒ってるように感じる。声を荒げるなんて本来なら杏のキャラじゃない。
でもそんなこと言ったら茜なんて俺と対等に戦ったんだよな。俺って思ってる以上にこの二人のことを知らないんだ。
「なぁ、茜は杏が声を荒げるって知ってたか?」
そりゃ、俺も全く知らないって訳じゃないけどここまでとは知らなかった。同じく幼なじみの茜は知ってたのだろうか。
「私も知らないわよ〜。そりゃ、声を大きくすることぐらい考えたことがあるけど、やっぱキャラじゃないよねぇ〜。」
やっぱり茜も知らない。って事は杏も茜が俺と戦えるなんて露とも思ってないに違いない。やっぱもっと知っていかないとならないんだよな。幼なじみとしてあぐらをかかず、色んな事を知り合っていかないと。
「さてとそろそろ戻らないと怒られるだけならまだいいけど、泣きつかれると本当に困るからな。」
怒られてるときはじっとしてるだけだが、泣きつかれたら泣きやませるのに多大な労力を必要とする。でも杏の泣き顔ってどうもグッと来るんだよな。ギャップの所為だろうか。
「何か、君は楽しそうだな〜。」
「こら、頬を突くな。嬉しくないはずがないさ。だって本気で心配してくれてるんだぞ?望んでしてもらえる事じゃないんだから。」
人に心配してもらえることを厄介と思うようになっちゃお終いだ。まぁ、それも程度によるんだろうが、怒ったり泣いたりしてもらえることは幸せなことだ。
「祐くんのそうやって何でも素直に言葉に出すところは素敵なことだよ〜。」
「ん、ありがとうな。っで立てるか?」
「無理〜♪」
「ちょっと待てって。」
茜に押し倒される。もう身体に異常なんてないはずだ。そりゃ、少しは体が痛いだろうけど歩けないほどじゃない。
「祐くんの所為で体が痛い〜、帰れない〜。」
つまり送れって事らしい。まぁ、迷惑を掛けたのは事実だ。ここはちゃんと送るのが礼儀だろう。
「よいしょっと。」
「ちょっとそれ失礼よ〜。私は重くないんだから。」
俺がお姫様だっこで持ち上げると猛抗議を受ける。確かに重たくないけど、こちらだってチャンネルをずらして結構体のダメージを負ってる状態なのだから楽ではないのだ。
「はいはい、茜は羽のように軽いですよ。」
「何か適当〜。たまには私も杏みたいに優しくしてよ〜。」
「ちょっと待て。俺はそんなに差別してたつもりはないぞ。」
「だって毎朝起こして、朝食作ってイベントごとになったらお弁当まで作るなんて贔屓よ〜。」
「いや、あれは杏がずっと一人でいるから仕方なくだなぁ。」
「そんなので納得出来るほど大人じゃないもん。」
茜はすねたようにそっぽを向く。確かに茜からしてみれば贔屓だよな。でも杏を起こして茜を起こしてってなんていくら俺でも無理だぞ。
「許してくれ、茜。ほらあまり怖い顔してるとそう言う顔になっちゃうぞ?」
「ずるいったらずるい。幼なじみとして待遇の改善を要求します。」
どれだけ俺は弱い経営者なんだよ。交渉ごとは最初で決めないと泥沼化するからな。ここは一発大きいので行かないと駄目だ。
「よし、お弁当作ってやるぞ。」
「ん〜、もう一声!」
こちらとしては最大限努力したにもかかわらずもう一声というか。でもこれはある意味もう一声で終わるって事だ。
「分かった。たまにお迎えに行きます。」
「よろしい〜。楽しみだなぁ〜。」
ご機嫌となった茜は俺の胸へと顔を埋める。まぁ、こんなのも悪くないか。
「それじゃあ、祐くんの家まで全速力〜。」
「お前、帰らないのかよ。」
「だって〜、杏もいるんでしょ〜。一緒ならまだしもリードされるのはやだもの〜。」
こりゃ、俺が抱きかかえてるのは爆弾らしい。俺って今日で死ぬんじゃないだろうか。まだ昇らぬ陽がとても待ち遠しく感じる。
「ほら〜、すぐにチャンネルずらす。杏がまた電話してくるわよ〜。」
きっと電話が来たら茜が取ってさらに場をややこしくするに違いない。
「祖父さん、アンタの人生もこんな感じだったのか?」
今まで非難しかしてこなかった祖父の女のだらしなさに妙な親近感を感じる。どうせだったらコツでも教えて貰った方が良かったな。俺もどうやら同じ生き方をしそうだから。
「ほら、急ぐ〜。」
茜に急かされ、俺はチャンネルをずらす。いつもと違う世界が妙に愛おしい。きっとこれが現実逃避なんだろうな。俺は大地を蹴り、夜闇を駆けながら今後の人生を憂いずにはいられなかった。
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